共産党は総選挙の総括ができていない。(敗北が認められない)歴史的検証が必要。



令和4(2022)年1月2日


 大阪の共産党の栄枯盛衰を1968年当時から、最近の状況と比較し、現在の共産党に足らないものかを見極めるために一覧表を作ってみた。私の頭の整理のために作ったもので、落書きみたいなものになっているが、こうして書きだすといろいろ見えてくる。一番私が驚いたのは、共産党の躍進のカギは参院補欠選挙での沓脱タケ子氏の当選が決定的だと思っていたが、よく見ると、沓脱タケ子氏の当選の前年に共産党は大阪で702,938票を取っていることが分かった。さらに沓脱選挙の翌年橋本敦氏が763,457票取ってさらに共産党の陣地を拡大していたことが分かった。
 第2点目は共産党の最近の衰退は、大阪維新と吉本興行の合体で共産党がピンチに陥ったと見ていたが、2009年に民主党政権が実現し、そのあおりで共産党がコテンパンにやられている現実を掴んだ。第22回参議院選挙(2010)に共産党清水忠史の得票は366,105票であり、これは共産党の最低ラインである。この原因は維新かと思ったが、維新は、結党はしていたが、候補者は出していない。誰が共産党の票を吸い上げたのか、よく見ると民主党である。この選挙で民主党は2名の候補を立て(4人区で)1名の当選者を出している。獲得得票数は
1,316,865票獲得している。このあおりで共産党は最悪の票数366,105票に終わった。歴史的敗北である。しかもそれ以降これが基礎数になってしまった。

1968年〜1974年の共産党は基礎数が700,000票であり、最高は763,457表である。




                                       当選者38人 共産党第3党 共産党が一番輝いていた。
 この1972年の選挙が共産党の絶頂期です。選挙制度が違うので分かりにくいですが、中選挙区制で大阪の選挙区6区中5区でトップ当選し、1区正森成二氏のみが2位当選であった。総得票数702,938票は画期的な数字であり、この数字が共産党の基本数字にのし上がった。大阪3区では共産党が1位、社会党が2位という結果であった。学生運動の高揚等左派勢力が力を大きく伸ばしていた。
 共産党の候補者は、40〜50歳の働き盛りの人格者であった。他党派に比べ明らかに勝っていた。

  この第8回の参議院選挙、東中光男氏は358,278票取っている。これが大阪の共産党が一人前の政党になる出発点であり、共産党は50年たって先祖返りしてしまった。


1975年〜1982年衰退期 1978年黒田革新府政終焉



1983年〜1988年 横山ノック・西川きよし等、吉本勢が政治に進出してきた。


1989年〜1997年 部落解放同盟の運動の最盛期



1998年、宮本たけし氏 725385票で当選、1970年代の票を確保
1月23日付け大阪民主新報に1998年の共産党躍進の記事が掲載された。これを一部引用します。

1998年7月参議院選挙。日本共産党は、記録づくめの躍進を遂げます。
 全国では、比例代表選挙で過去最高の820万票(得票率14.7%)を得て第3党に躍進。回選6議席の2倍以上、15議席を(比例8議席、選挙区7議席)を獲得し、非改選の8議席とあわせて過去最高の23議席となり、予算を伴う法案提出権を得ます。
 大阪では、比例代表で77万3856票を獲得、95年(41万9540)の約2倍に。大阪選挙区では宮本たけし候補が72万5365票を得て勝利。95年の山下よしき勝利に続き、”表裏”とも議席を得ます。
 比例代表選挙では、大正区・城東区・西淀川区・生野区・東大阪市・八尾市・柏原市・忠岡町で第一党になりました。(1月23日号大阪民主新報から引用))
宮本たけし氏の票数が見出しの725385票と大阪民主新報の引用部分(72万5365票)と違うのは、恐らく民
  主新報側の誤りと思われる。
以下この年(1998年)の選挙結果を記載しておきます。 
当落
氏名
年齢
所属党派
新旧
得票
得票率
備考
西川きよし
52
無所属
1,057,393
26.44%

山下栄一
50
公明党
872,294
21.81%

宮本岳志
39
日本共産党
725,385
18.14%


坪井一宇
58
自由民主党
573,610
14.34%


その他9人出馬


770,535
 19.27%





3,999,217
100%

参考:その他の内訳(主な政党)民主党13.57%、社会民主党2.91%、新社会党0.51%、維新政党・新風
    0.14%であった。




民主党政権樹立(2009年9月〜2012年11月まで)


民主党政権崩壊(2012年11月)



 最後に、この表から分かることは、選挙の票と赤旗の部数に因果関係は全くない。むしろ風が吹いたときに議席は大きく変化する。共産党は1970年代に風が吹いた。1971年に黒田革新府政が実現し、第33回衆議院選挙(1972年)で風が吹き、全国では38人の当選、大阪では選挙区6区で全員当選し、その内5選挙区で1位、他の一つは2位当選であった。(共産党旋風が舞い上がった)
 確か小池百合子氏が「風が吹きましたね」と言われた際、「風は吹くのではなく、吹かせる物だ」と答えていたと思いますが、赤旗をコツコツ増やすより、この風を吹かすことで世の中は変わるのだと思っています。そういう視点から見ると共産党の政策「4つのチェンジ」はピンボケです。もっと多くの国民が困っている生活問題を丁寧に拾っていかないと風は吹きません。赤旗拡大と「気候変動」では、国民の気持ちをつかまえることはできません。
 共産党の衰退は、大阪で見る限りでは、維新の風が強く維新に敗北したかに見えますが、70年代の勢いは、80年代に横山ノック、西川きよしの吉本勢にかく乱され、すでに力を失っている。それでも60万代は維持している。90年代村上弘衆議院議員が引退後は、48万から49万にとどまり、98年に宮本岳志氏が725,385票取り70年代の勢いを取り戻したかに見えたが、2000年代に入り59万さらには44万と後退し、決定的な敗北は2010年の清水忠史氏の366105票である。2011年には、知事選挙が戦われ、梅田章二氏が355939票で共産党の実力が36万前後だと言うことが分かった。その後(2013年)辰巳コウタロー氏が468,904票取って当選したが、3年後のわたなべ結氏は454,502票で落選、その3年後(2016)の辰巳コウタロー氏が381,854票で落選と、じり貧状態を露呈し、今回の衆議院選挙で306,725票と最悪の結果に陥った。
 蛇足ですが、今日1月2日付の大阪民主新報が手に入りました。その中に共産党大阪府委員長の柳利昭委員長に聞くと言う記事が載っています。この中で彼は選挙戦の総括で「共産党は全党の大奮闘で比例票で前回並みに踏みとどまりましたが、掲げた目標には大きく届きませんでした」と発言されています。果たしてそうでしょうか、共産党の得票は4,166,076(7.2%)前回は4,404,081票(7.9%)です。大阪では306,725票(7.5%)、前回316,651票(9.0%)です。大阪の票数の最悪の数字を更に落ち込ませ、得票率に至っては9%〜7.5%に落とした事は大敗北です。その意識が無いことに驚きます。もうこれ以上後はありえません。このノー天気差がじり貧を招いていると思います。私は個人的に大阪の躍進は村上 弘委員長の力量に寄るところも大きかったと思っています。

参考1:参議院選挙総括 大阪編(令和元年8月2日)
参考2:参議院選挙総括 大阪編(資料室)