日本共産党大阪府委員会にとっては悩ましい選挙が行われた。


平成28(2016)年4月24日



日本共産党大阪府委員会にとって悩ましい選挙(茨木市、大東市)が行われた。


 一つは2016年4月10日投票の茨木市補欠選挙である。もう一つは、17日に投開票が行われた大東市長選挙である。
 この二つの選挙がなぜ悩ましいかというと、過去に共産党の市会議員が当選後共産党から離党し他会派へ移るというとんでもない事件を起こした選挙区であるからである。

●茨木市の市議会補欠選挙の結果

 まず茨木市であるが、なんと過去に共産党を裏切った市会議員が補欠選挙に出馬し、本家の共産党の議員のほぼ2倍の票を取って1位で当選してしまった。

 
得票数
氏名
年齢
性別
党派
新・旧
主な肩書
30218
 岩本 守
51
無所属
 介護士
 
23489
 敷知 龍一
54
無所属
 会社役員
 
15459
 浅藤 雅志
46
共産党
 政党職員

 この岩本氏は、平成21年5月1日発行の茨木市の市議会だより、会派構成という記事で、日本共産党会派の代表として記載されています。同じ議会だよりの22年5月1日発行の会派構成では、岩本守氏は会派に所属しない議員になっています。同じ議会だより23年・24年の5月1日発行では、刷新市民フォーラムに岩本守氏は所属しています。25年は市会議員選挙があり、岩本守氏は、33位、得票数1167票で落選しています。(定数は30人)ほぼ泡沫候補です。
 その彼が、28年4月の補欠選挙でトップ当選です。しかも共産党の候補者のほぼ2倍の得票数を上げています。共産党にとっては一大事です。メンツ丸つぶれです。
ちなみに共産党の茨木市での議員の数は、平成21年には4名いましたが、岩本氏の会派離脱後その議席は回復できず現在は3議席です。私の記憶では昭和40年代は高槻市と同じく6名から8名はいたと思っています。(これは不確かな記憶ですが・・・)

●大東市の市議会選挙の結果

 つぎに大東市の選挙を見てみましょう。大東市の選挙結果はもっと深刻です。4月24日付大阪民主新報は、一面で大東市の結果を伝え、「共産党が2議席確保」という記事を書いていますが、前回の当選者は3名です。大阪民主新報の大東の市議選結果の表を転載します。

 
得票
得票率
当選者(候補者)
今回
前回
今回
前回
今回
前回
日本共産党
3360
4782
8.07
10.23
2(2)
3(3)
民主党
 
7280
 
15.57
 
3(3)
自民党
3448
2515
8.28
5.38
2(2)
1(1)
公明党
10301
12215
24.75
26.13
4(4)
4(4)
大阪維新
6699
 
16.1
 
3(4)
 
無所属・諸派
17809
19954
42.79
42.68
6(14)
6(8)
合計
41617
46746
 
 
17(26)
17(19)

という結果です。
 何が深刻かといいますと、赤旗(大阪民主新報)では大勝利のように報じていますが、前回3人の当選者がいるのに、最初から2名しか立候補していません。ここに最大の問題があります。大東市の議会だよりの会派の構成を見ていくと、そのへんが見えてきます。
 平成24年25年発行の議会がよりには、日本共産党の議員が3名います。@豊芦勝子、A古崎勉、B飛田茂です。ところが26年の議会だよりでは共産党の議員は@豊芦勝子、A飛田茂の2名になっています。さらに27年の議会だよりでは、共産党という会派はなくなり、@豊芦勝子、A飛田茂の2名は無会派と記されています。理由は豊芦勝子議員が共産党の会派を離れ、飛田氏一人では会派作れず、共産党という会派はなくなったものだと思われます。
 この経過等について私は何も知りませんが、平成24年の「だいとうし議会だより」に面白い記事が載っています。議長選挙と副議長選挙の結果が載せられているのですが、副議長選挙で公明党議員団の大束真司議員が12票、共産党豊芦勝子議員が1票、同じく共産党古崎勉員が1票という記事があります。
 副議長の議席を同じ会派で争うことはまずありません。しかも共産党がそれぞれ勝手に出ることもありません。他会派が意識的に妨害行動を行った可能性は否定できませんが、その後の共産党会派の分裂を見ると最初から争いがあったのではと思われます。
 大東市の古崎勉議員は、私の立命館大学での友達でもあり、体調不良を理由に議員辞職をされたことは知っていましたが、本当に体調不良が原因で辞職されたのかについては疑いを持っています。それは大東市の議員だよりに、古崎氏が市会議員を辞職したという記事が載っていましたが、党からの市民に対する記事であり、古崎氏本人の(市民に対する)ご挨拶の文書は載っていませんでした。この記事構成に違和感を禁じえません。
 大東市は4年前に3名の市会議員が誕生しながら、解散時には1名という醜態をさらしての今回の選挙戦でした。そこで2名が当選し、会派作れるということで大勝利と謳っていますが、4年前にあった陣地は先の茨木市も大東市も大きく後退しています。
 ちなみに大東市平成8年からの共産党の得票数及び獲得議員数の推移を見てみますと、

 
獲得票数
総得票数
獲得議員数
 
平成8年
11052
52241
21.16
5人
 
平成12年
10181
52922
19.24
5人
 
平成16年
7092
48686
14.57
4人
 
平成20年
6063
47345
12.81
3人
 
平成24年
4782
44760
10.68
3人
解散時には1名
平成28年
3360
41619
8.07
2人
 

※高槻民報の選挙結果の足し算もいつも間違っていますが、今回の大東市の選挙結 果も24年4782票とっており、有効得票数44760票で割れば獲得得票率は10.68%あ ります。今回の負けを小さく見せるために細工かもしれませんが大阪民所新報の 前回10.23%は間違っています。(10.68%が正解・・前回比2.61%低下が正解、 2.16%低下は間違い)

共産党の地力は回復していない。

 今共産党は、来るべき参議院選挙で1人区の野党の統一候補を呼びかけ、注目を浴びて、いかにも共産党ブームが起きているような錯覚にとらわれているが、足元の選挙戦では決して共産党躍進の足場を固めていない。相変わらず地盤沈下したままだ。確かにこの両選挙区は例外といえば言えないこともあるが、このようなことが興るところに現在の共産党の弱点がある。
 いいか悪いかは別にして、昔なら共産党を出た人が、共産党に対抗して市会議員選挙等に出馬した場合は、叩き潰していたが、相手候補が共産党の倍も票数を取る姿を指をくわえて見ているような共産党は見たことがない。この方が民主的で良いのかもしれないが、やはり間抜けさを感じる。
 なぜこのような事が興るのか、それは共産党に地力がなくなってきたからである。私は高槻の共産党はずっと見てきているが、市会議員という政治家が育たない、市議会で市の幹部を唸らすような質問ができない。共産党の議員といえば、市役所の中を赤旗を配って歩く「赤旗おじさん」位にしか見られていない。
 私は市役所の内部にいたが、共産党の議員が集金に来た際、20歳代の若い職員が「議会で変な質問をしたら赤旗を切るで!」と発言した。それを笑って受け流している議員を見て「なんと情けないことだ」と思った。
 「高槻市で発生しているすべてのことに関心をもち、市民の立場から発言する」その意気込みが全く感じられない。「市政資料」という市会議員団が出す配布物があるが、内容はほぼ市の広報の二番煎じであり、この資料がどのような政治的力になるのかは全く分からない。この資料の原資は議員に支給されている政務調査費が充てられているが、税金の無駄遣いである。
 例えば一番最新の2016、4.24版「市政資料」が手元にあるが、その見出しは「高齢者の健康づくり 市営バス敬老パスの効果を問う」という見出しの記事があるが、私はこの記事をみて、何時から共産党は「市営バス敬老パス」反対に回ったのかと思ったが、記事を読めば賛成の立場で書かれている。
 一般的に「何々を問う」という言葉の使い方は、「質す」という意味に使われる場合が多いので、ここでは素直に「尋ねる」でいいのではないか?そして市役所当局から「『市営バスの敬老パス』は費用以上の効果があることが分かった」で結び、今後とも「『市バス敬老パス』の継続を望む」で話を結べばよかったのに、大上段に構えすぎ「効果を問う」は「効果がないだろうと質した」と読み取れる。
 単純な事だが、すべての記事が練られていない、相手に何を伝えようとしているのか分からない。もっと大きな戦いでいえば、5年前のダブル選挙の「安全・安心・やさしい大阪」去年の「さよなら維新」すべてその時の情勢、「相手とどこでせめぎ合っているのか」そのことが「スローガン」にできない。
 政治というものの緊張感が全く演出できないところに共産党の地盤沈下はあると思っています。
 何回も書いていますが、大阪の共産党は同和行政をめぐって部落解放同盟と真正面から戦いを挑み、その主張が市民の心をとらえたから大阪で躍進した。共産党の衰退は解放同盟の衰退とともに衰退している。戦う相手を見失ったからである。本来なら大阪維新の会がその相手だが、共産党は維新の会と全く戦えていない。「さよなら維新」は戦いのスローガンとは全くの無縁である。
 共産党はまさに「正義の味方」であり、「不正なモノと戦う」時に府民からの支持が集まる。それをどう勘違いしたのか、戦わず常識的な大人のイメージを出せると勘違いして紳士ぶっているが、そのような共産党を府民は求めていない。
 黒田府政の際、共産党は「改革の旗手」であった。しかし今は、府民は「大阪維新こそが改革の旗手」と捉えている。政治は戦いであり、府民が何を求めているのかいち早くつかめる動物的なカンとそれを政策に展開して訴える力があるかないかにかかっている。

大阪維新にはその力があり、共産党にはその力(政治的センス)がない。

 府民の多くは安保法案(戦争法)にも反対だし、原発推進も反対である、にもかかわらずこれを組織する政治的力に欠けているため、その全くの敵対者である、橋下氏に期待してしまう。そのことを可能にしているのは「改革の旗手」というイメージを府民の中に訴える力の差である。
 お互い政治のプロである。なぜ「嘘とペテン」で固めた橋下に勝てないのか、真剣に総括すべきである。赤旗の部数を増やせば橋下に勝てるような「あさって方向」を向いた議論では政治的に勝利できない。おそらく橋下氏は笑っていると思う。「なんと戦いやすい相手だと、常に自分の側に勝利があると」共産党相手ならいつでも勝てると見ていると思う。
 格闘技でも負けが続けば工夫するどうすれば勝てるか考える、そしていつかは打ち負かす。だから面白いし応援する。常に工夫がなく同じ戦い方で戦う人に誰が応援するだろうか?この人たちも勉強している、戦いに勝とうとしていると分かったとき、この人を応援してやろうという気持ちがわいてくる。政治の世界も「勝負事」と同じだと私は思っている。