市民団体や民主党等からの批判を「反共攻撃だ!」と反撃しないことが大切


平成28(2016)年1月20日

 
 このページは、討論の広場に今井 明さんから投稿していただいた「野党共闘の実現は日本共産党の人間的誠実さにかかっている」に対するコメントとして書いたものです。

 
今井様の主張私もまったく同感です


 私は従来から、共産党の「反共攻撃だ!」という言葉を封印すべきだと主張しています。共産党に対する批判は全て「反共攻撃だ!」と騒ぐことによって、切り捨て解決するやり方は、思考停止になり、相手に対して失礼だけでなく、己の側の思考停止を招く、極めて危険な言葉(反撃の手段)だと考えています。 
 一般的にこれらの手法を取り入れているのは、カルト的な新興宗教に見られる手法です。
 さらには、共産党には絶対に誤りはないという無謬性が重なり、党員は益々思考停止に陥り、一般社会常識を受け入れない特殊な集団として育ってしまいます。
 このことを具体的に痛感したのが、私が共産党の各級機関に15通の意見書を出した際の、共産党の対応を見て初めて分かりました。多くの党員はこの共産党のカルト的組織論の呪縛から逃れられず、党中央が正しいという信念の下に当活動に全てを捧げています。

共産党の政策が国民本位になっていないと気づいたのは原発に対する方針です

 共産党の政策に、「これは間違っている」と最初に思ったのは、1911年3月11日の震災で原発がメルトダウンし、多くに国民が被害に遭い、自らの居住地を捨てなければならないという重大な局面が発生しているにもかかわらず、共産党が震災直後に戦われた一斉地方選挙で、原発反対の政策を掲げず、共産党が選挙の政策として「安全優先の原子力政策」という馬鹿げたスローガンを掲げたことに始まります。

15通の意見書を共産党中央に送る。・・・しかし完全に無視された。

 これ以後、私は4月12日から6月15日かけて15通の「意見書」を出し、「共産党の原子力政策は間違っている」を中心に訴えてきました。
 これに対する共産党の対応は、党中央は一回だけ返事をよこし、「今は選挙中で忙しいので答えられない。選挙後、党中央委員会で総括を行った上で回答する」というものでした。しかし、その後一切回答はありませんでした。
 大阪府委員会は全く無視、大阪府会議員団長(大学時代の友人は)は、「返事ぐらいせよ」という私の再三にわたる抗議に対して、メールで返事を返してきましたが、その書き出し「私は、あなたが思っている以上に超多忙です」であった。 
 高槻市委員会は2名で私の家を訪ねてきましたが、「意見書」に対する回答は全く持ち合わせず、私が「5月1日のメーで会場で、志位委員長が『原発ゼロ』宣言を行ったにもかかわらず、高槻市の共産党のビラ(5月13日付)に、「安全優先の原子力政策」が書かれていたので、私が電話で抗議した経過を捏造し、あの電話は5月1日以前であったと強弁しました。(そのとき私は怒りましたが、証拠を突きつける事ができず水掛け論に成りましたが、来訪者が帰ってから、抗議電話のあとに市委員会から送ってもらったFX(原発ゼロのビラの原稿)があることに気づき、その日付を見ましたが、5月17日でした。)
 このような共産党の無責任な対応に対して、私は8月15日に共産党に9月末を期限に最終通告を出し、「あなたがたが誠意を見せないのなら、私は今後共産党の批判をインターネット上でやる」と通告しましたが、結局無視され、10月23日に、「日本共産党 最近おかしくないですか?」を立ち上げました。

「人間としての誠実さ」は共産党の立て直しにとって重要な課題

 前置きが長くなりましたが、「人間としての誠実さ」に一貫してこだわっています。今回の「国民連合政府」構想に関しても「共産党『戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府』の実現を呼びかける」(9月21日)では、「呼びかけ」と「共産党26回大会決議との整合性はあるのか?」で、「民主党に対して一定の謝罪を行い、この大同団結を」ということを書いている。なぜなら共産党は、「民主党は第二自民党であって民主党の躍進は日本の政治改革に何ら役割を果たさない」というような批判を今まで行ってきた経緯があります。
 さらには、「国民連合政府」を目指す共産党の勘違い(12月27日)では、「共産党アレルギー」の克服のため共産党側の課題は何かを明らかにしたか!で共産党に対する「アレルギー」の根源は何かで、その根源(人間性)に迫っています。
 さらに「人間としての誠実さ」に対する私の意識は、15通の「意見書」を出した際にも、この問題を大いに扱っています。例えば「意見書9」党改革のためのいくつかの初歩的提案を行います」では、「国民から意見をもらったら必ず返信を行うということを、党として徹底しては」というものです。(こんな簡単なことすら未だにできていません。)
 私は最近共産党の地域ビラが入っていたので、それに対して何点か、こういう改善をしては」という文書を出しましたが、何ら反応がありません。
 また「意見書13」では、「社会的常識を党活動の基本に」という要望を行っています。これは大阪府会議員団長が私のメールに対する返信の際に、返事が遅れたことを謝らず、「私は貴方が思っている以上に多忙です。5月29日に1〜2時間の時間がとれそうですのでいくつかの点について貴方に手紙を出すつもりです。」という上から目線の返信に驚きました。忙しいとか忙しくないとかにかかわりなく、人に物を尋ねられたら返事を出すべきであり、本当に忙しくて出せない場合は、やはり「申し訳ないが遅れる」というのが常識ではないかというのが私の指摘です。
 さらには、「意見書15」で「党の体質改善へ幾つかの提案」で「党が勝てない根っこの部分」で「1.解放同盟と共産党の類似性」「2.忌避意識」で共産党は、「政治的立場を異にしても、人間として相手を尊重する」ことが大切という見出しで、原水爆禁止運動において活躍された哲学者古在由重さんが亡くなられた時の赤旗の対応などを批判しました。また、「(2)反共攻撃という言葉を封印すること」という小見出しで、なんでも「反共攻撃」という言葉でかたづけることの危険性を書いています。
 平成24年10月1日に、「まちがいいだらけの共産党」「日本共産党の13の大罪」という記事を書き、その6番に「共産党の最大の武器『反共攻撃だ!』を封印することが必要」とも書いています。

とめよう壊憲!護憲結集!討論集会!に不参加表明(h25.3.31 赤旗)

 あまり長々と過去の記事に触れるのは宣伝になり読みづらいと思われますので、最後にもう一つだけ紹介させて下さい。それは「猜疑心の塊になった共産党」「情勢が求めているのは、護憲勢力の結集であって、保守との共同ではない」(25年4月4日)で共産党が「止めよう」壊憲!護憲!討論集会」(神戸市)に不参加を表明したことを批判し、革新の統一戦線を封印し、保守との共同を運動の中心に据える方向性を批判したものです。この市民運動に水を差しておいて、今頃「護憲で全員集合」と言われても反発する市民運動家もいると思われます。

 何か過去の記事の宣伝の場になってしまいましたが、今井さんが言われている「人間的誠実さ」というのは私の永遠のテーマでもあります。

<いままでにない共産党への注目>しんぶん赤旗(1/16)
 16日付しんぶん赤旗で面白い記事を見つけた。「みんなのアンテナ」という欄で「いままでにない共産党への注目」という浜松市の方の投稿記事が載っていた。「いままでにないない共産党」とは、共産党の主張は「常に一貫している」だと理解していたから、共産党自身も「様変わりした」ことを認めているのかと注目してその記事を読んで見たが、見出しと違い記事内容は「今までになく注目されている」であった。
 「いままでにない」は、かつてない ・ 新しい ・ 斬新な ・ 新奇な ・ 目新しい(共産党の政策)がつながると思われるが、「今までになく」は国民の側の変化を表している。国民が今までになく注目しているという文書になると思われる。
 
 上記記事では、「立憲主義と民主主義の根底を脅かす安倍政権への批判、国会開会式に初の出席」と今までになく注目されていることがわかります。と書かれていることから見て、「国民の意識が変わった」の方に力点があるようによも取れる。
 投稿者は、「いままでにない共産党の政策」が「今までになく国民に注目されている」と主張したかったのかもしれない。
 そうなると、共産党は、「いままでにない政策(右傾化)」という定義づけを認めたことになる。

共産党が迫られているのは、政策の「右傾化」ではなく、組織原則の見直し!。 

 共産党は唯我独尊をやめ、他の党派の役割をみとめ、また、党から去った人の人格を認める事ができるかが問われているのである。なぜ一般市民の中に共産党アレルギーがあるのかは、そうした共産党の持っている独特の性格によるものである。
 嫌いな政党では共産党と公明党が一位を争っている。それはこの二つの政党に同じ弱点があるからである。
 その第一は、党内民主主義がなく、指導は上意下達であり、党内の結束力は硬いが、一度組織から出れば、非国民みたいな扱いを受けるからである。
 創価学会の新聞を見たことがあるが、かつての党首であった竹入義勝氏等は仏罰に当たれみたいな記事が堂々と載っていました。共産党はこれほどひどくはありませんが、100歳を超えていた野坂参三氏をやはり敵のスパイであったと批判して除名した歴史があります。このような党の姿が国民から批判されていうと思います。

共産党は独善主義や排他主義あるいは人を人とも思わない権威主義的な面がある。

 共産党が「愛される共産党」になるには、いろいろ脱皮すべき課題があると思っています。第三者機関に図って客観的に党のあり方を見ていくことも重要だとも思っています。
 共産党が批判してきた部落解放同盟は、様々な不祥事が新聞紙上で取り上げられた際に、京都大学の教授や弁護士などの識者を集め(15人)、「部落解放運動に対する提言委員会」を結成し、そこからの提言を受け入れている。
 自らの組織の弱点は、本人たちはなかなか気が付かず、第三者の率直な意見を聞くくらいの度量が共産党に求められる。
  しかし先にあげた「壊憲反対!」の集会参加を断った際の共産党の主張は、「政党が正規の機関で決定した総括や方針を、公開討論で変えようというのは、政党の自主活動への不当な介入、干渉に他なりません。・・・このような「集会」が憲法改悪阻止の国民的共同を広げるための建設的意見交換の場になり得ないことは明白です。(赤旗h.25.3.31)と参加を断るのはある意味では自由ですが、多くの市民の方が、護憲を求めて集まっている集会を、「憲法改悪阻止に何ら役割を果たせない。」という共産党の主張は驕りでしかなく、市民の側から見れば「何様のつもりか!」という怒りが出るのは当たり前である。(この集会は私も参加したが、共産党批判は行われなかった。さらに地元の共産党員が相当参加しており、「共産党員だが」と断りながら、積極的に発言していた。)
 これらの共産党のとってきた対応に対して一定の総括抜きに、「国民連合政府」を呼びかけても、躊躇する人も出てくるのは当然だと私は思っています。