12月30日毎日新聞投稿記事

     程永華・中日大使の寄稿文を支持する。


平成25(2013)年12月31日


 私は、この間「中国は本当に社会主義を目指す国か」と批判を続けてきたが、毎日新聞への程永華中日大使の寄稿文を読んで、この主張が本当に中国の主張であれば、中国を再評価したい。これまでは一般紙の中国情報を中心に中国を評価してきたが、この大使の寄稿文を見る限りでは、中国の主張に理がある。以下具体的に見ていきたい。

過去の戦争責任はひと握りの軍国主義者が負うべきであり、日本人民は中国人民と同じく被害者

 まずこの寄稿文の見出しは、「『不戦の誓い』場所が違う」というものだが、彼は、「靖国神社を参拝することは、日本政府の過去の戦争に対する認識と姿勢、戦後の中日関係の回復と発展の政治の基盤、広範な被害国人民の感情にかかわるものであり、日本の進む方向にかかわるものである。これ自体が政治、外交問題だ。」と主張しているがこの立場を支持する。
 次に彼は、日中国交正常化の際の周恩来の主張(立場)を中国政府はそのまま堅持していることを示している。(私はこの立場を中国はすでに放棄したと思っていた。)
 「中国は一貫して日本の軍国主義と日本国人民を区別し、戦犯と一般兵士を区別して考えている。日本軍国主義が発動した戦争で中国人民は甚大な災難に遭い、日本人民もその害を深く受け、あの戦争の責任はひと握りの軍国主義者が負うべきだと考えている」と戦争責任に対する基本的立場を主張している。
 韓国の朴槿恵大統領はの3・1節(抗日運動の記念日)の演説で「被害者と加害者の立場は1000年経っても変わらない」と述べ日本国民全体を敵視するような煽りかたをしている。

ポツダム宣言と極東軍事法廷の裁判を受け入れることが日本の戦後の再生の前提

 次に彼は、「ポツダム宣言と極東軍事法廷の裁判を受け入れたことが日本の戦後の再生の前提であり、日本政府は約束を守り、侵略戦争の性格とA級戦犯戦争責任問題に対する明確な責任をある姿勢をとるべきだ。」と主張している。この点も中国の主張を明確にしており、朴大統領の「千年恨み節」とは大きく異なる。この彼(中国大使)の主張(要求)は、我々日本は認める必要がある。
 さらに「我々は一般市民が自らの親族を弔うことに意義はないが、日本の指導者の参拝は侵略戦争の性格と責任に対する認識にかかわるもので、中国は絶対に受け入れることはできない」と主張している。
私は単純な加害者被害者論には反対しているが、程永華大使のこの主張は認めざるを得ないと思っている。被害者である中国が主張しているから受け入れるのではなく、加害者側の日本として、自主的にこの立場に立つべきである。
 戦後の日本の繁栄は、二度と侵略戦争を行わず、平和国家として世界から信頼される道を目指したことによってもたらされたはずである。最近の安倍首相の動きは、いつか来た道を思い起こさせ、近隣諸国に対する配慮を欠き、脅威になっていることを、我々日本人として知るべきだと思う。

「不戦の誓い」の場所を間違えた?(これは確信犯)

  「安倍首相は参拝後の談話で、過去への反省の上に立って「不戦の誓い」を堅持していく決意を新たにしたと述べた。しかし靖国神社での「不戦の誓い」というのは場所を間違えており、世界の良識ある人に強い反感と疑念を抱かせた。」と主張しているが、事実中国・韓国だけでなく、アメリカ、ロシアやヨーロッパでも批判が出ている。(世界のどの国にも支持されない行動を取ることは異常である。)
  「靖国神社は戦前、日本軍国主義の対外侵略の精神的支柱であり、現在もA級戦犯を祀っているだけでなく、侵略戦争を躍起になって美化し、歪曲し、現在の国際世論とは全く相容れない間違った歴史館を宣揚している。その中の「遊就館」は典型だ。日本の指導者がこうした場所で「英霊」を参拝し、侵略戦争を発動した当時の元凶に対して「平和」「不戦」を言っても、被害国の人民は受け入れられないし、国際社会も信じないだろう。これは平和にたいする冒とくと言わざるを得ない。」と彼は主張しているが、この主張に全面的に賛成である。ただ一点不満を主張するとすれば、この主張は被害国の人民の主張のみでなく、同じように過去の侵略戦争で被害を受けた日本人民の立場でもある。(周恩来首相の被害者は中国人民だけでなく、日本人民も被害者だという視点から語って欲しかった。)
 

靖国神社を参拝したことで、日中間の平和共存は遠のいた

 さらに彼は、「侵略戦争を美化する靖国神社を参拝したことで、中日関係も正しい方向を堅持することができない」と主張し、「安倍首相の参拝が日本の内政若しくは一個人の問題では決してない。」断言し、「日本の為政者が問題の本質を認識したうえで、平和発展を真に堅持し隣国と真に平和共存することを希望する。」と締めくくっている。
  この彼の文書から、中国の大国主義・覇権主義的主張は全く見られず、日中間の平和共存のための基本的視点を説いている。我々日本人としても十分支持できる内容である。