日本共産党 最近おかしくないですか

喫緊の課題は、「革新の統一戦線」か「一点共闘」か


平成27(2015)年5月10日


 この文書は投稿欄の弥生さんの投稿に対する私のコメントとして書いた文書です。私信ではありますが重要な文書ですので、できれば読んでみてください。

選挙戦の総括の視点

 選挙戦の総括は政治的課題との関連で総括されるべきだと思っています。安倍首相の推し進める「海外で戦争できる国づくり」に対して楔を打ち込むことできるだけの、戦争反対派の陣地は築けたのかが、総括の視点にならなければならないと思っています。
 弥生さんの指摘はいつも鋭いですね。共産党はすでに革新の統一戦線の旗は降ろしてしまったとみています。現在は、保守との共同の流れの中で自らの活路を切り開こうとしているように見えます。赤旗を読んでいると、自民党のOB、昔の幹部が盛んに登場します。野中広務、加藤紘一、山崎拓など自民党の幹事長経験者があたかも共産党を支持しているように扱われています。この保守からの支持があるから共産党の主張が正しいという論理立てに私は違和感を持っています。おそらく共産党は、この宣伝で共産党アレルギーが払拭できると思っているのでしょう。
 しかし共産党の保守との共同路線は失う物も大きいことに共産党の幹部は気が付いていません。共産党が国民から支持される理由は何か、それは戦前戦後一貫して平和を守り、国民の生きる権利を尊重して闘ってきたからです。戦後はアメリカ帝国主義とそれに事実上従属する日本独占資本主義と闘い、憲法を尊重し、国民の生活を守るため、革新の統一戦線の確立に勤め、安保条約反対など多くの分野で国民の命と権利を守る闘いを組織してきたからです。

二つの敵論を二つの異常に置き換え、勝ち取るべき目標も「ルールある資本主義に」変更


 最近は「アメリカ帝国主義と日本独占資本による支配」という現状規定や「日本独占資本」という概念そのものを放棄しています。「独占資本の全社会的支配の打破」という61年綱領の革命的見地を投げ捨て(23回大会:2004年1月)、経済的には独占資本の支配を維持したままで、ただ選挙を通じて政府の構成と政策だけを変えるという議会主義的・社会民主主義的路線に変化していま。(ルールある資本主義)
議会主義を徹底するために、革新統一戦線を構築していく運動を投げ捨て、保守との共同を探ることで自らの党勢の拡大に勤めています。そこには、共産党以外の人々の中にも「海外で戦争できる国づくり」に反対している多くの国民との連携よりも、選挙戦で得票を多く獲得するため保守勢力との共同が中心的課題になりつつあります。注1

注1:5月1日付【潮流】に面白い記事が載っています。
   「戦後の自民党政治を特徴づけるときよく『対米従属』という言葉を使いま
  す。」「日本は独立した国なのに従属といえるか。学生時代、そんな議論を交わし
  た覚えもあります。▼訪米中の安倍首相を見ていると、やっぱりこの言葉がぴった
  りと当てはまります。」と書いています。

対米従属は過去(学生時代)の議論は、綱領的見地を逸脱した主張

 なぜ【潮流】がこんなコメントを書いたのか、それは今回の安倍首相のアメリカ訪米での「日米合意が日本の対米従属を表すもの」であると共産党が主張したことに対応するコメントです。5月1日付赤旗は、「首相演説」「究極の対米従属」という見出しで山下書記局長が会見という記事があります。 
 【潮流】の記事は、共産党が久しく「アメリカ帝国主義とそれに従属する日本独占資本主義」という言葉を使わなくなっていたので、今回の安倍首相の訪米内容が「究極の従属」(5/1赤旗)という評価をしても、若い党員や一般の人には分からないと思って、「昔は『対米従属』という言葉を使っていたのですよ」という解説記事になっています。
 しかし、「戦後の自民党政治を特徴づけるときによく『対米従属』という言葉を使います」というのは、全くとぼけた表現で書かれたこの記事に同意できません。 
なぜ昔は「対米従属」という言葉が使われたのか、それは日本共産党の綱領にそのことがかかれていたからです。1961年の日本共産党第8回大会で採択された日本共産党綱領では、日本の規定を「高度に発達した資本主義国でありながらなかば占領された従属国」と位置付け、「反帝・反独占の人民の民主主義革命」を掲げていました。
 5月1日の赤旗新聞に「対米従属」と言う言葉が使われ、これが久しぶりに使われたことを【潮流】の記事がホロー(暴露)しているように見てとれます。
 

革新統一から保守との共闘で共産党の躍進は勝ち取れるのか?

  高槻市の選挙結果から分析する

 共産党は右へシフトを移すことにより新たな支持者を獲得している錯覚に陥っています。現在、共産党が一時的に勢力を挽回しているように見えるのは、旧社会党の支持者の票の行く場がなくなり共産党に流れ込んでいるのです。決して保守層からの支持が増えているからではありません。
 高槻市の今回の一斉地方選挙の結果を見れば明らかです。前半戦の府会議員選挙では共産党は19388票を獲得し、見事当選しました。しかし後半戦の市会議員選挙では、立候補者4名は当選しましたが、12456票の獲得にとどまっています。(6932票減らしています。) 
 公明党は府会議員選挙21609票、後半戦の市会議員選挙は23840票です。(前半戦より後半戦は獲得票数が2231票上回っています。)この違いに共産党の票のからくりがあります。(公明党との力関係は前半戦では2221票差であったのが後半戦では11384票差の差に広がっています。)
 前回の府会議員選挙には社民党の候補が立候補しており9709票(島本町を含む)を獲得していました。その社民党票5000〜6000票が府会議員選挙では共産党に入ってと思われます。
 社民党は平和を求め、憲法改悪反対を政党としては最も訴えてきました。その支持者にとっては社民党亡きあとに票を入れるとなると、共産党以外にはありません。後半戦の市会議員選挙には社民党の立候補者は1名でしたが、社民党の流れを組む立候補者は数名います。その方たちが5000〜6000票を奪い返し、共産党の市会議員選挙では12456票になっています。(この12456票は前回選挙時獲得数とほぼ同数(4票多いだけ)であり、これが現在の共産党の実力と思われます。前半戦の府会議員選挙では社民党が立候補を見送ったことが、共産党の勝利につながっています。
 つまり共産党に一番近いのは社民党の支持者です。この人たちを引き付けることが大切なのに、共産党は盛んに保守との共同を掲げ、右へ右へと舵を切っています。
ここに、共産党の戦略の誤りが見えます。まず革新の統一戦線をつくり「戦いの核」を固めることが大切です。近くの隣人を大切にせず、遠くの人たちにサインを送り続ける姿は、戦略としても間違いだけでなく、道義的にも誠実さを欠くように見えます。