日本共産党 最近おかしくないですか

安倍政権との共存が居心地がいいと判断し始めている


 平成27(2015)年3月11日

 
 この文書は、討論の広場に3月6日に投稿された弥生さんの文書に対する返戻ですが多くの方にできれば読んで欲しい内容でもあります。

投稿ありがとうございます。
 
 共産党の方針転換がいつどのような形で行われたのかは、私も正確には把握していません。相当長い空白があります。
 私が在籍していた頃は2本足の活動を唱え、大衆運動と機関紙拡大を2本足の活動と言っていましたが、その当時でも地区の幹部の指導は、機関紙拡大一本でした。それは地区幹部に大衆運動を指導する力量が無いからだと私は理解してきました。
 しかし、最近の動きは、地区幹部(中間管理職)の問題ではなく、党全体が大衆運動から手を引いていっているような気がします。全ての価値観が選挙で勝利するに集約され、その勝利を獲得する保証は赤旗の拡大だと論理づけてしまいました。そのため毎日が拡大月間になってしまいました。昔は大衆活動を行い、成果を上げてきているのだから、その人たちを組織していこうという論理でしたが、今は運動の成果として、赤旗拡大を行うというような論理は完全に否定され、赤旗拡大は運動と関係なく、独自に系統的にやるものに変わってきています。
 共産党員が、様々な分野で国民の利益を擁護して闘うことが、党内では評価されず、赤旗を拡大したり、選挙で票をたくさん読んでくるものが評価される時代になってきました。私はどのような活動が評価されるかに別にこだわっているのではありません。ただ。共産党の力の源泉は大衆とともに闘う中にあると思っています。赤旗が増えた、選挙の票が増えたというような形で党建設が進んだというような理解では、一時的な躍進が勝ち取れても、必ず共産党は衰弱します。共産党は選挙で多数を獲得して国政を担って初めて値打ちを発揮する政党ではありません。いつの時でも国民とともに戦い、国民の要求実現に奮闘するのが共産党です。
 この基本原則の確認を求めているだけです。しかし、共産党は赤旗の拡大と選挙の票読みだけで党の躍進を図ろうと躍起になっています。このことが如何に間違っているかは、共産党員の目をみればわかります。現在の共産党員は義務感だけで頑張っています。頑張ってはいますが、目は輝いていません。みんな疲れた表情をしています。
 自分の部隊の士気が高いか、それとも低いかの判断すらされず、上からの方針を機械的に下ろし、あとは詰回していく、このようなブラック企業のような集団になっています。

 共産党員の士気がなぜ上がらないのか、そこには大義(正義)がないからです、国民と共に戦っていないからです。だから確信が持てないからです。なぜ確信が持てないのか、それは共産党の党是である、「万国の労働者 被抑圧民族の団結」という共産党の誇るべき大義を投げ出してしまったからです。
 なぜ先の世界大戦では共産党は戦争反対を貫けたのか、それは国境を越えた団結の思想があったからです。今回「イスラム国」の日本人拘束、殺害予告がされた段階で、どういう立場をとるかが、我々日本国民に突きつけられたのです。この際、「イスラム国」と闘うという旗を上げないものは非国民みたいな議論が政府官邸を中心に広められました。共産党派この政府の企みに簡単に乗っかり、イスラム国解体を主張し始めました。
 戦前は、今まで戦争反対を訴えてきた人も、全ての人が国家の利益という枠の中に吸収され、相手国を侵略する事の罪意識もなく、国家の扇動に組みしていく誤りを犯しました。
 日本国憲法施行後、最初の総選挙である第24回衆議院選挙(1949年)で日本共産党は35議席確保しています。それは一貫して戦争に反対してきた共産党の活動が評価されたからだと見ています。しかしその後の当活動の誤りから第25回選挙(1952年)では0議席になっています。その後苦難の道を乗り越え33回衆議院選挙(1972)で39議席を得ています。(第一次田中内閣・・・公明は言論出版妨害事件の影響もあり29議席(-18)と敗北、)
 しかし、この1972年というのは新日和見主義事件が発生した年でもあります。躍進した共産党は、大衆運動の跳ね上がりに極めて神経質になっていきます。選挙で票を獲得するためには、ストライキだとか大衆団交のような運動の過激さが、返ってマイナスになるのではと思い始め、秩序ある大衆運動を求めてくるようになります。学生に対しても、学生の本分は学ぶことであると位置づけ、大学の授業に復帰することを求めてきます。
 労働運動の分野でも共産党は大きく方針を変え、1974年「教師聖職論」、1975年に自治体労働者論で「全体の奉仕者論」を出し、労働組合が自らの要求に限定せず、地域社会の要求の先頭に立って戦うことを主張しました。この「全体の奉仕論」を説明するために党中央からこの文書の立案者が大阪に来られ我々自治体労働者に説明されました。その際、当中央の方針に対して「イメージが沸かない、一体どのような活動をすれば良いのか」と質問された方がいましたが、中央からきた講師は、「たとえばゴミの収集でゴミを回収しゴミ箱を投げて返した際、ゴミ箱が壊れる場合がある。そこで、ゴミ収集に携わる労働者はあらかじめカナヅチと釘を用意しておき壊れたゴミ箱をその場で修繕して市民に返す」という話をされました。
この話に私はすごい違和感を禁じえませんでした。(その当時ゴミの入れ物は今のようなプラスチック系のものではなく、多くの人はりんご箱のような木の箱を使っていました。)
 何が言いたいのか、戦後憲法制定後の最初の選挙で躍進した共産党が、活動方針の誤りから次回選挙では「0」になったというトラウマが共産党にはあり、1972年選挙で39議席を獲得した共産党は、大衆運動で暴力的な行為が行われれば、一気に議席を失うという判断の下、できるだけ、過激な大衆運動を押さえたいと言うのが共産党の中にはあったと見ています。
 しかしこうした努力を行いながらも共産党の議席は、1967年5議席、1969年14議席1972年の39議席(プラス25議席)ホップ、ステップ、ジャンプと躍進しましたが、19767年17議席と後退し、その後1979年39議席を獲得し復活したかに見えましたが 1980年29議席 83年26議席、86年26議席、96年16議席と衰退していきます。以下1990年以降についてより具体的に見ていきます。
 
◎1990年 第1次海部内閣 共産党16議席 
自由民主党  得票:30,315,417 (46.11) 275議席 
野党・無所属 得票:35,330,352 (53.89)  237 議席
(日本社会党 得票16,025,472 (24.39)  136 議席)
(日本共産党 得票:5,226,986( 7.96)   16 議席

※1991年ソ連崩壊

◎1993年 宮澤改造内閣(社会党大敗55年体制が崩壊自・社・サ政権)
  ★日本共産党 得票:4,834,587 (7.70) 15議席 (2.94)  -1 議席
  ☆日本社会党 得票:9,687,588(15.43) 70議席(13.70) -66議席
  1994年6月30日から1998年6月までの 自由民主党・日本社会党・新党さきがけ(自・社・サ政権)(1996年1月19日以降は社会民主党)

※55年体制崩壊
◎1996年 共産党26議席(小選挙区比例代表並立制が用いられた 争点消費税
 ★日本共産党7,096,766(12.55)2議席  7,268,743(13.08) 比例24議席 計26
☆社会民主党1,240,649(2.19) 4議席  3,547,240 ( 6.38) 比例11議席 計15
 社会党は1990年の選挙では、得票16,025,472 (24.39)136 議席を取りながら、1993年の選挙では、9,687,588(15.43) 70議席(13.70) -66議席と後退している。しかもこの時、自・社・サ政権に参加し、社会党から社民党へ脱皮し、その結果、小選挙区で1,240,649 (2.19)4議席 、比例区で 3,547,240 ( 6.38)11議席と歴史的大敗北をしている。(この時点で旧社会党と共産党の力関係が逆転した。)共産党のこの時点での躍進は、社会党崩壊による影響もあったと思われる。

◎2000年  第1次森内閣
★日本共産党 20議席
  7,352,844 (12.08) 0議席  6,719,016(11.23)比例20 議席 計20議席 -6議席
☆社会民主党 19議席」
  2,315,235(3.80 )4 議席 5,603,680 (9.36)比例15 議席 計19 議席 +5議席

◎2003年  第1次小泉第2次改造内閣
★日本共産党 9議席
 4,837,952.(8.13)0議席 4,586,172 (7.76)比例 9議席 計9議席 -11議席
☆社会民主党 6議席
 1,708,672.(2.87)1議席 3,027,390  (5.12)比例 5議席 計6議席  -12議席

◎2005年 9議席 第2次小泉改造内閣
★日本共産党 9議席
  4,937,375(7.25) 0議席 4,919,187( 7.25)比例9議席 計9議席 ±0 ±0
☆社会民主党 7議席
  996,007(1.46)1 議席 3,719,522 (5.49)比例6議席 計7議席  +1 +2

◎2009年 9議席 麻生内閣 社会民主党(与党)
★日本共産党
2,978,354(4.22)0議席  4,943,886 (7.03)比例 9議席 計9議席 ±0 ±0
☆社会民主党
1,376,739(1.95)3 議席 3,006,160 (4.27) 比例 4議席  計7議席 ±0 ±0

 この年の共産党の得票数が少ないのは、全区立候補を見送ったため。この影響もあり民主党は大勝する。308議席、自民党119議席

◎2012年 野田第3次改造内閣 
★日本共産党
 4,700,289(7.88) 0議席 3,689,159( 6.13)比例8議席 計8議席 -1議席
☆社会民主党
 451,762(0.76) 1議席 1,420,790 (2.36) 比例1議席  計2議席 -3議席

◎2014年 第2次安倍改造内閣
★日本共産党 21議席
7,040,169(13.30)1議席 6,062,962(11.37)比例 20議席 計 21議席 +13議席
☆社会民主党
419,347(0.79) 1 議席  1,314,441:(2.46) 比例1議席 計 2議席  2 ±0

※ 旧社会党(現在の社民党)が存続の危機になっています。この原因を作ったのは、自・社・サ政権で与党側に入ったことが転落の始まりだと思われます。
以上の分析は共産党と社会党の力関係を見たものであり、他の全体的な政党の力関係を表していない極めて不十分なものです。

共産党は、2014年にこの18年間の衰退(小選挙区の導入後)の流れの中で初めて芽がでた21議席をどうしても守りたいのがの今の政策になっていると思います。
なぜ1972年から、約40年間ほど衰退していったのか、それは共産党を支えていたのが、大衆の運動であったことを見失い、運動をセーブし、赤旗拡大一本に活動を矮小化してしまったからです。1996年の26議席獲得し復活の兆しかと思われましたがその後の選挙では選挙ごとに議席を減らし、断末魔まで追い込まれたが、は2014年に21議席取り一定の議席獲得に成功しました。
 この躍進は、選挙戦の争点を消費税にしたことが大きいと思われる。(過去にも消費税が争点の時は躍進している)さらには戦後70年も経過し、昔のような反共攻撃がすでに効果を見せないことも大きいと思われる。また、共産党の方針が革新の統一戦線で無く、一点共闘という名の下に保守との共同路線を取り始めた事も大きいと思われる。
 自民党の基盤であった保守票においても矛盾が広がり、明らかに自民党離れしている。この統計でも出発点の1990年の自民党は、得票数30,315,417 (46.11)獲得議席数275議席である。直近の選挙で自民党が獲得した比例区の選挙では、得票数17,658,916 (33.11% )である。
 このような中でどう戦うかが求められているが、共産党は、この間戦わないことが集票に繋がるとの確信を得てきていると思われる。志位氏の代表質問の際の、「テロ政党」とのヤジがなされた場合も翌日の赤旗では批判せず、穏便に進めようとした経緯がある。自民党の側も簡単に折れ、ヤジを飛ばした議員を引き連れ誤りにきた流れなどを見ると、安倍政権とどこかで共闘しようという流れがあるよう見える。
 そのことを誰の目にも明らかにしたのが、今回の「イスラム国」問題だと捉えている。この問題で共産党の現在の考えが明らかになった。しかし、イキリすぎて、テロとの戦いに止めておけばよかったものを、「イスラム国」解体を叫んでしまった。この宣言で共産党は国際共産主義運動の連帯から自ら脱退した。今後自らの政党の位置づけをどうするのかが問われてくるだろう。現状では単なる「福祉党」に成り下がっている。
 
 最後にもう一点共産とのおかしさを書いておきます。3月9日の毎日新聞は、2面で中国「加害者責任忘れるな」と大きな見出しで、さらに「70年談話 安倍首相けん制」という記事を書いています。その横に自民党大会「統一選へ結束演出」「首相演説 看板政策「必ず実行」という記事を書いています。明らかに中国の大毅外相の記事の方が目立ちます。
 赤旗は、自民党大会を同じく2面で扱い、中国の大毅外相の記事はベタ記事扱いです。日頃従軍慰安婦問題で大きく主張している赤旗が、大毅外相の話を重要と捉えない。どちらが赤旗かと疑いたくなります。