京都の市長選挙の結果をどう見るか


平成28(2016)年2月9日


 

本田候補が前回に比べ善戦できなかったのは、戦争法案反対が原因か?

共産党が惨敗したとか、SEALDs(シールズ)シールズの影響で共産党が敗北した、あるいは戦争法案反対一本であったために共産党は敗北したというような解説がインターネット上に出ていますが、必ずしも共産党は敗北したのではなく、革新の陣地を守ったと言えるのではと思っています。

 まず結果ですが、門川大作氏が254545票(得票率63.80%)、本田久美氏が129119票(得票率32.36%)であり、三上 隆氏が15334票(3.84%)という結果になりました。
 この数字をどう分析するかが重要ですが、インターネット上では、前回票に比べれば門川氏は30000票増やし、本田氏は60000票減らしているというものです。確かにこの点から見れば惨敗ともいえる結果です。
 しかし、この原因をSEALDs(シールズ)の運動や、戦争法案反対に求めるのは間違っていると思っています。
 
 本田氏が獲得した129119票(32.36%)はそんなに悲観すべき数字でしょうか?すべての政党を敵に回して闘い、共産党一党で30%の票を維持したのは、さすがに京都の共産党です。革新統一の歴史の流れが地下水脈に脈々と生き続けているのです。

※京都の市長選挙の歴史

1967年 富井 清 253200 52.15%
共産党

与党時代

社・共
共闘時代
社会党 共産党 民主革新会議    
  八杉正文 232298 47.85% 自民党 民社党        
    485498              
                   
1971年 船橋求己 310590 51.85% 社会党 共産党 民主革新会議    
  永末英一 288482 48.15% 自民党 民社党        
    599072              
                   
1975年 船橋求己     自民党 社会党 共産党 公明党 民社党  
                   
1979年 船橋求己     自民党 社会党 共産党 公明党 民社党 新自ク
                   
1981年 今川正彦 143757 52.16% 自民党 社会党 共産党 公明党 民社党 社民連
  加地 和 131850 47.84% 新自ク          
    275607                



 






1985年 今川正彦 199043 44.86%
社・共
共闘
破綻
自民党 社会党 公明党 民社党    
  湯浅 晃 139588 31.46% 共産党          
  加地 和 105044 23.68% 新自ク 社民連        
    443675                



 






1989年 田辺朋之 148836 35.36%
三つ巴
自民党 公明党 民社党      
  木村万平 148515 35.29% 共産党          
  中野信夫 73025 17.35% 社会党 社民連        
  城守昌二 50493 12.00% なし          
    420869                



 






1993年 田辺朋之 246452 55.22%
共産対
全政党

野党時代
自民 公明 民社 社会党 社民連 日本新党
  井上吉郎 199893 44.78% 共産          
    446345              
                   
1996年 蝟{頼兼 222579 50.46% 自民  公明 民社 社会    
  井上吉郎 218487 49.54% 共産          
    441066              
                   
2000年 蝟{頼兼 284225 57.31% 自民 民主 公明 社会 自由 自由連
  井上吉郎 211727 42.69% 共産          
    495952              
      0.00%            
2004年 蝟{頼兼 231822 53.69% 自民 民主 公明 社民    
  広原盛明 174847 40.50% 共産          
  新井信介 25090 5.81%            
    431759              
                   
2008年 門川大作 158472 37.25% 自民 公明 民主京都府連    
  中村和雄 157521 37.02% 共産          
  村山祥栄 84750 19.92% 市会議員 後に京都党設立      
  岡田登史彦 24702 5.81% なし          
    425445              
                   
2012年 門川大作 221765 53.86% 民主 自民 公明 みんな    
  中村和雄 189971 46.14% 共産          
    411736              
                   
2016年 門川大作 254545 63.80% 自民 公明 民主 社民    
  本田久美子 129119 32.36% 共産          
  三上 隆 15334 3.84%            
    398998                



※京都の選挙結果(得票数の推移)

※京都の市長選挙結果(得票率の推移)


 京都の市長選挙の歴史を見れば、1967年から1975年までは共産党は与党でした。その中心的な役割を果たしたのが社共の統一戦線でした。1975年の市長選挙で自民党が与党に加わり、1979の選挙でも自民・社会・共産・公明市政になり対立候補が無く無投票で船橋市政が続きました。その次の1981年の選挙でも自民・社会・共産・公明は今川正彦氏を担ぎ出し、自民・社会・共産・公明が与党時代は三期つづきだしました。しかし自民党は続く1985年の選挙で、共産党を排除し、自民・社会・公明・民社党で今川正彦氏を担ぎ出し、共産党の与党時代は終わりました。
 1989年の選挙では、社会党が独自の候補者立て、自民は公明・民主党と連立を組み、共産党も独自候補を立てて三つ巴の選挙になりました。この時の結果ですが、自民党派は148836票、共産党は148515獲得し、その票差は321票で、互角の戦いを行いました。社会党は73025票でした。この段階で京都では、革新の首座が共産党にあることが明確になり、社会党の右傾化と凋落が始まります。
 自民党はこの選挙結果に驚き、社会党への懐柔を深め、以降1993年〜2016年まで、共産党対他のすべての政党の対決が京都の市長選挙の特徴になりました(自民党は社会党を完全に支配下に置きます)。
 共産党の得票率は、1993年44.76%、1996年49.54%、2000年42.69%、2004年40.50%、2008年37.25%、2012年46.14%、2016年32.36%となっており、全政党を敵に回しながら孤軍奮闘し、統一戦線型の選挙手法で40%台を維持してきましたが、今回は32.36%に終わりました。


 私はこの間京都の共産党がすべての政党を敵に回しながらも、40%台を維持し、1996年に至っては、49.54%の数字を獲得した歴史を偉大な成果だとみています。なぜこのことが可能であったのか、それは社・共の統一戦線の成果を社会党の裏切りの中でも追い求め、他党派の市民も共産の支持候補を応援し支えてくれた歴史があります。
 今回の選挙の出口調査でも、本田氏の票を支えているのは、確かに共産党の支持者の票が一番多いですが、民主党、維新の党、京都維新の会、京都党、支持政党なしの市民から35%から50%に近い得票数を得ています。門川氏が強かったのは、自民党支持者と公明党支持者をほぼ取りこぼしなくまとめたところに最大のカギがあります。
※支持政党別支持者


 ここで注目すべきは、共産党は自民党や公明党に比べ、取りこぼしが2倍程度あることです。この原因は何かの解明が必要です。

大阪の戦い方との比較・・・・・大阪はすでにどん底に低迷

 大阪の知事選挙では、維新対自民党・民主党・公明党・共産党の戦になりましたが、反維新派は大惨敗に終わりました。自民党支持者は50%程度しか自派候補に投票せず、共産党支持者も75%程度しか投票しなかった現象が現れています。
 5年前に闘われた知事選挙では、共産党の基礎票より少ない得票率(9.7%)になっています。大阪ではすでに統一戦線が未来を変えるという期待を持った人が「ゼロ」になってしまったといえます。(統一戦線型の選挙をしているのに、共産党の基礎票も出ないという現象が起こっています。)

 この違いはどこから来ているのか、それは大阪の選挙は社共統一で闘った歴史が浅く、黒田府政が短期間で終わり、統一戦線型の政治の良さがあまり浸透せず、闘いを組織する側も、部落解放同盟との闘いに争点を絞り込んでいたため、その課題が消滅すると何を課題として戦えば良いのか、分からななくなり、政治の争点を明確にできなかったことが最大の敗北原因だと思っています。
 それに比べれば京都の共産党は、政党間の争いである衆議院選挙では共産党に入れない人でも、市長選挙は共産党が支持している候補者に入れるという人がまだ多く存在しているのが判ります。統一戦線型の政治に期待をよせる風土があると思っています。

 この間の共産党の衰退は、革新の統一戦線から、保守との共同に方針転換したことが主要な原因である。

 確かに京都も大阪も力を失いつつある。しかし京都と大阪では質的な違いがある。京都は革新的な政策を訴えながら、その陣地をかろうじて守っているが、大阪は革新統一の政治課題を投げ出し保守との共同路線を進化させる中で大惨敗に陥っている。
 出口調査を見る限りにおいて、京都の市民は、共産党と共に市政運営を行うことに他党派(自民党・公明党以外)に沢山いることが分かるが、大阪の選挙結果は、共産党の推薦した候補者に共産党の基礎票すら入らないという無様な状態になっている。
 今回の選挙戦で、確かに京都は戦争法案反対を前面に掲げて闘った。そのことは、地方自治体の選挙では違和感もあるが、それを前面に掲げて闘った共産党の勇気に拍手を送りたい。戦争法案反対を掲げたから、あるいはSEALDs(シールズ)が参加したから負けたのではなく、大胆に戦争法案反対を掲げ、32.36%獲得したことに意味があると私は見ています。例えば年代別投票動向(出口調査)では各年代にほぼ同じ支持があります。共産党の支持者と言えば年寄りほど多いというピラミッド型ではありません。
※年代別の投票動向
I

共産党の躍進は、戦争法案反対等国民の立場に立った戦いの中にある。

 大阪は、5年前政治的課題を一切避け「安全・安心・やさしい大阪」で闘い得票率9.7%という惨敗に終わっている。今回は、自民党や公明党・民主党とも組んで「さよなら維新」と言う馬鹿げた方針で闘い、自民党や民主党・公明党を合わせて獲得得票率33.3%でしかない。(京都は共産党だけで闘い32.3%)この大阪と京都の成果は異次元の違いである。
 私は常に「闘った者が勝つ」を信条にしています。大阪のように自民党の軍門に下った者は敗北と言う結果しか得られない。京都は安倍政権と真っ向から戦い、今日の時点で32.3%を獲得したことは偉大な成果である。
 しかし、その京都も力を失いつつある。この3割と言う陣地を維持する力量があれば、反転攻勢に打って出ることは可能だと思っているが、革新の統一戦線の旗を投げ捨て、保守との共同へと京都も舵を切るなら大阪と同じ結果が待っている。京都の奮闘を期待したい。