人権感覚が全くない共産党の「新型コロナ対策」幹部会委員長志位氏の声明



令和2(2020)年9月18日


 共産党の安倍首相に対する「新型コロナ対策にかんする緊急申し入れ」(「以下緊急申し入れ」と言う)(7月28日)


 に対して違和感を禁じえなかったが、昨日の報道ステーションの田村 憲久厚生労働大臣の発言ですべてが理解できた。
 司会者の意地悪質問であったが、こう質問した。総裁選挙で石破氏は「一刻も早く感染症の予防に対する法律を改正し、新型コロナの感染拡大に着手すべきだ」と主張していたが、菅新総理は「一段落してから見直せばよい」と言っている。田村大臣は石破派だがどちらの立場をとられますか質問した。
 それに対して田村大臣は、国民が「感染症の予防に対する法律」の改正を求めるのであれば急がなくてはならないが、その辺は国民の意思の正確な把握が必要である。と前置きし、もともとこの「感染予防法」は、我が国においては、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である」と答え、このことは「感染予防法」の「前文」に書かれていると指摘した。
 その内容は、「人権擁護の思想がその基本であり、私権を制限することは慎重でなければならない。」と主張し、感染者に対しては「療養」していただく」と彼は述べた。
 私は「緊急申し入れ」に対して違和感を持っていた。それは以下の行に対する反発である。「政府として、全国の感染状況を分析し、感染震源地を明確にし、そこに検査能力を集中的に投入して、大規模で網羅的な検査を行い、感染拡大を抑止するべきである。
 これらの大規模で網羅的な検査を行う目的は、診断目的でなく防疫目的であること、すなわち無症状者を含めて『感染力』のある人を見つけ出して隔離・保護し、感染拡大を抑止し、安全・安心の社会基盤をつくることにあることを明確にしてとりくむ。」
 

共産党の「緊急申し入れ」(志位委員長)には「感染予防法」の前文の思想が欠落している


 私は「感染予防法」「前文」がありその目的が明確にされていることを知らなかったが、共産党の方針には旧ハンセン病の隔離政策のにおいがすると思っていた。そのためこの点に疑問についてこの間四回にわたって共産党のコロナ政策を批判してきた。
 1.「コロナ問題での共産党の間抜けさを暴露した赤旗日曜版(8月2日号)」8月2日
 2.「『新型コロナ対策にかんする緊急申し入れ』志位委員長に漂う共産党の弱点を暴く」8月7日
 3.「メッキが剥げた共産党『緊急申し入れ』日本共産党幹部会委員長 志位和夫」8月8日
 4.本日付赤旗「志位委員長記者会見」今までの主張をコッソリ修正する姑息さが見える!」8月28日

 田村大臣の発言に接し、この感染症予防法の「前文」を読んですべての疑問が吹っ飛んだ私の危惧していたことが、この「前文」にみんな書かれている。共産党の「緊急申し入れ」は、この「前文」重要性を理解しない立場から書かれている。

 もう少し具体的に見てみたいが、この法律の正式な名称は「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」という名前であり、感染症の予防と「感染症の患者等の人権を尊重しつつ、これらの者に対する良質かつ適正な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ的確に対応することが求められている」(前文)
 さらに。「ここに、このような視点に立って、これまでの感染症の予防に関する施策を抜本的に見直し、感染病の予防及び感染症の患者に対する医療に関する総合的な施策の推進を図るため、この法律を制定する。」(前文)

 志位委員長の「緊急申し入れ」の決定的な弱点は、この法律の名前の後半「感染症の患者に関する法律」の分が完全に欠落している。
 田村新大臣は、緊急申し入れの『感染力』のある人を『見つけ出し』て『隔離・保護』し、感染拡大を抑止し、安全・安心の社会基盤をつくる」という発想ではなく、彼は「療養」していただくと語った。

 私が一番批判してきたのは、旧ハンセン病者対策の「隔離」という思想が「緊急申し入れ」にはあり、それを文書化する段階で、『見つけ出し』て『隔離・保護』という言葉になる。
 さらには、これらの大規模で網羅的な検査を行う目的は、診断目的でなく防疫目的である言葉が公然と使われている。(注1
 これは国家主義的な思想であり、個人の人権を完全に踏みにじったものである。共産党の最大の弱点を「緊急申し入れ」は暴露した。
 
注1:私は共産党の「緊急申し入れ」なかの『隔離』という言葉に、違和感をいだいていたが、(旧ハン
  セン病に対する措置と同じ)今日の赤旗の【潮流】の中に、『隔離』という言葉がネガティブな言葉
  だと書かれていることを発見した。以下該当部分を記載する。
   【潮流】「大丈夫?」という言葉から始まるこの潮流は、新型コロナ感染を予防するための、ソー
   シャルディスタンス。幼い子どもも「近づいたらダメ」と言われ続けています。身体的距離は、
  "心の距離と"となり、本当の気持ちが出せなくなっている。【中略】▼隔離、疎外、孤独とネガティ
  ブな言葉ばかりが浮かんでしまう。【後略】赤旗も「隔離」はネガティブな言葉だと思っている

追記:共産党の混乱を表す、元大阪府会議員のコラム


 後援会ニュース『町の灯』というビラが定期的に配布されてくる。その中に前府会議員のコラムが毎回掲載されている。今回は「新型コロナウイルス」に対する彼の見解を書いている。見出しが3つあるが2つ目の見出しは無症状者へのPCR検査を感染激増地で行い『陽性者』を隔離・保護すること」と書いています。この記事を読んでいくと、検査数を増やし感染者を保護、隔離、治療できなければ、無症状者感染者による感染がくすぶり続け、社会・経済活動の再開をとともに感染症拡大が再燃します。」と書いています。
 この記事の批判点は、見出しは「隔離・保護」でありながら、文中では「保護。隔離、治療」になっています。この順番が大事という意識がありません。「隔離・保護」は明らかに旧ハンセン病対策の思想の残りカスを引きずっており、「保護、隔離、治療」「隔離」はいらないと思うが「治療」が入り、感染者に対する対応が書かれている。
 もう一つ大きな問題は、「緊急申し入れ」に引きずられ、感染者であっても無症状の者が、感染を増やしているという指摘に振り回され、「無症状者へのPCR検査の推進」と書いているが、PCR検査を行って初めて無症状者の感染者か否かがわかるのであって、検査前に無症状感染者をどうして見分けるのか混乱した文書になっている。
 すべての者がいつでもPCR検査を受けられることを要求すべきであり、「緊急申し入れ」「全員にすることは無駄」だとか、「やみくもにやるべきではない」という思想があり(赤旗日曜版8月2日号)このような変な見出しになってしまっている。

参考1:「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」の前文


前文
 人類は、これまで、疾病、とりわけ感染症により、多大の苦難を経験してきた。ペスト、痘そう、コレラ等の感染症の流行は、時には文明を存亡の危機に追いやり、感染症を根絶することは、正に人類の悲願と言えるものである。
 医学医療の進歩や衛生水準の著しい向上により、多くの感染症が克服されてきたが、新たな感染症の出現や既知の感染症の再興により、また、国際交流の進展等に伴い、感染症は、新たな形で、今なお人類に脅威を与えている。
 一方、我が国においては、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である。
 このような感染症をめぐる状況の変化や感染症の患者等が置かれてきた状況を踏まえ、感染症の患者等の人権を尊重しつつ、これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ適確に対応することが求められている。
 ここに、このような視点に立って、これまでの感染症の予防に関する施策を抜本的に見直し、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する総合的な施策の推進を図るため、この法律を制定する。

参考2:後援会ニュース:前府会議員宮原たけしの一言(クリックしてください)