京都と大阪の共産党の地力を比較する。(知事選挙の結果から)


平成28(2016)年1月30日

 このページは「討論の広場に」投稿していただいた今井 明さんの「山下書記局長の演説では、京都市長選挙の争点は明らかになはならない」に対するコメントとして書いたものです。今井さんとは違う立場から、山下氏の弱点はあるが、京都の共産党はしっかりしているし期待しているという立場から書いています。


大阪の共産党の1970年代の躍進はバルブでしかなかった

 私が京都に住んでいた時は、民医連の活動が非常に大きな役割を果たしているとみていました。同時に大学が多くあり、学生運動の影響力もあったと思っています。
 大阪の革新勢力にはそうした住民の根っこからの組織が弱く、部落解放同盟の理不尽な蛮行との闘いの中で共産党の影響力は大きくなっていったとみています。つまり大阪の共産党はバルブであり、長くかかって住民の中から組織されて来たというものではなく、大阪の衛星都市が人口急増都市になり、市職員や教職員に大量の大卒が採用され、その中に学生時代の共産党員が多く採用されてきたことに、大阪の共産党の躍進があったのではとみています。(よりざっくばらんな言い方をしますと、京都の大学で育った共産党員が卒業後大阪の市職員や教職員に多く採用され、大阪の共産党の発展に大きく寄与してきたとみています。そして最近の衰退は、その団塊の世代が定年を迎え退職していったことが影響していると思っています。)
 また、大阪の共産党が大きくなったのは、部落解放同盟との闘いを真正面に掲げ闘ってきた事が最大の力になりました。つまり、共産党は「正義の味方」というイメージを打ち出すことに成功したのです。しかしこの戦いは部落解放同盟の力がなくなると共に共産党の力も無くなってしまいました。
 全くうがった見方をすれば、部落解放同盟のおかげで共産党は大躍進を遂げたが、部落解放同盟の運動の退潮に合わせて共産党も退潮してしまったのが大阪の共産党の姿です。
  大阪の共産党の幹部は、大阪の共産党の躍進の契機がどこにあったのか理解せず、最近の知事選挙では「同和問題」を選挙の争点から避けています。最大の争点であった同和問題を引き下げて後の争点が定まらず、いつの間にか「安全・安心・やさしい大阪」などというバカげたスローガンで戦うから敗北するのです。
 維新が躍進するのは、そのメッセージがしっかりしているからです。彼らは明らかに「改革の党」だという姿を府民の中に浸透させることに成功しています。「前向き」あるいは「後退させない」と常に前向きのスローガンを掲げています。
 
 こんなことを書けば嘘八百だと批判されると思いますが、大阪の知事選挙と京都の知事選挙流れを詳しく見ていけばそのことは明確になります。以下大阪府の知事選挙の結果と京都府の知事選挙の結果を比較して、大阪と京都の地力の差を見ていきます。京都は歴史と伝統があり、さらに地域に根ざした運動を着実に行っています。大阪は、一時的なバルブが発生したが、バルブがはじけて元の木阿弥になってしまった。その原因は大阪府の幹部の間抜けさにあると私は見ています。注1

注1:以下の表を見てもらったら分かりますが、大阪の最高値(得票率で)は黒田府政が誕生
    した時点での1558170票(得票率49.77%)です。その後、紆余曲折があり、2011 年の
   選挙では357159(得票率9.7%)まで落ち込んでいます。
      2015年に至っては自民党の候補を勝手連的に支持し、1051174票(得票率  31.
    0%)になっています。この100万票は、1979年の黒田候補が共産党単独で闘い、相手
   候補に敗れた際の1671812票(47.94%)にもはるかに及びませんでした。
     黒田知事以降3回の選挙では、共産党の支持候補は100万票台を維持しましたが
   (1983年1253074票、1987年1112660票、1991年964554票)1995年横山ノック候補
   が現れると、共産党支持候補は50万台(57万869票)に落ち込み、その後2回の選挙で
   はまた100万票台に戻すが、2004年にまた50万票台(505167票)に舞い戻りその後 
   は、50万票の壁を乗り越えることができず、橋下徹氏の出現で、2011年には、357159
   票(得票率9.7%)まで落ち込んだ。
    この数字は、黒田知事誕生以前の1967年の村上弘氏の獲得した260661票(得票率 
   11.38%)大きく水を開けられた数値になっています。

     この共産党の支持票の動きをみていると、共産党は横山ノック氏によってカウンター
   パンチを喰らい、橋下徹氏にノックアウトされたといえる。吉本興業に代表されるお笑い
   票に共産党は弱いようである。

京都の共産党の地力と大阪の「解放同盟」バブルとの違いの検証


   大阪府知事選挙の歴史     京都府知事選挙の歴史
政党名
得票数
得票率
支持政党・候補者
政党名
得票数
得票率
支持政党・候補者
1947
自由党
446509
47.2
  1947       木村惇
 
社会党
389526
41.18
           
 
共産党
59896
6.33
           
 
無所属
50005
5.29
           
 
 
 
 
           
1951
自由党
884919
57.38
  1950       蜷川虎三
 
社会党
636744
41.28
           
 
共産党
20714
1.34
           
 
 
 
 
           
1955
自由党
901611
52.98
 日本民主党 1954       蜷川虎三
 
無所属
800132
47.02

         
 
 
 
 
           
1959
自民党
1004575
50.39
  1958       蜷川虎三
 
無所属
989151
49.61
           
 
 
 
 
           
1963
自民党
1292939
53.43
  1962       蜷川虎三
 
無所属
1049910
43.39
           
 
無所属
57920
2.39
           
 
無所属
19040
0.78
           
 
 
 
 
           
1967
自民党
1667551
72.38
  1966  
 
  蜷川虎三
 
無所属
339902
14.75
     
 
   
 
共産党
260661
11.38
 村上弘    
 
   
 
無所属
35872
1.56
     
 
   
 
 
 
 
     
 
   
1971
無所属
1558170
49.77
 社・共(黒田) 1970  
 
  蜷川虎三
 
自民党
1533263
49.98
     
 
   
 
無所属
39248
1.25
     
 
   
 
 
 
 
     
 
   
1975
無所属
1494040
42.08
 共産(黒田) 1974 無所属
523708
50.22
 共産・社会(蜷川)
 
無所属
1043702
29.4
 自民   無所属
519208
49.78
自民・民主・社会の一部
 
無所属
947664
26.69
 社・公・民      
 
 
 
その他6名
 
 
     
 
 
 
 
 
 
 
     
 
 
 
1979
無所属
1792856
51.41
 自・社・公・民 1978 無所属
502175
48.59
 自民、新自ク
 
無所属
1671812
47.94
 共産(黒田)敗北   無所属
326932
31.63
 共産(杉村敏正)敗北
 
無所属
22857
0.65
    無所属
204419
19.78
 社・公・社民・民社
 
 
 
 
     
 
 
 
1983
無所属
2173263
63.02
  1982 無所属
656430
62.81
 自。公・民・社民
 
無所属
1250374
36.26
 共(亀田得治)   無所属
388644
37.19
 共産・革連(川口是)
 
無所属
24718
 
     
 
 
 
 
 
 
 
     
 
 
 
1987
無所属
2224379
66.66
  1986 無所属
527676
61.74
 自・社・公・民・新自ク
 
無所属
1112660
33.34
 共(角橋徹也)   無所属
326932
38.26
 共産(吉田隆行)
 
 
 
 
     
 
 
 
1991
無所属
2064708
68.16
  1990 無所属
503623
62.41
自・社・公・民・新自ク
 
無所属
964554
31.84
 共(角橋)   無所属
303279
37.59
 共産(木村万平)
 
 
 
 
     
 
 
 
1995
無所属
1625256
48.24
 横山ノック 1994 無所属
539952
65.4
 自・社・公・民・さきがけ
 
無所属
1147416
34.05
    無所属
285614
34.6
 共産(木村万平)
 
無所属
570869
16.94
 共産    
 
 
 
 
その他2名
 
 
     
 
 
 
 
 
 
 
     
 
 
 
1999
無所属
2350959
67.64
 横山ノック 1998 無所属
512238
58.6
 自・公・民・社民・自由
 
無所属
920462
26.48
 共(鮫島真)   無所属
361864
41.4
 共産(森川明)
 
その他7名
 
 
     
 
 
 
 
 
 
 
     
 
 
 
2000
無所属
1380583
45.98
 自・公・民・自由    
 
 
 
 
無所属
1020483
33.99
 共産    
 
 
 
 
無所属
574821
19.14
 自民府連 2002 無所属
482158
48.7
 自・公・民・社民・自由
 
その他1名
 
 
    無所属
391638
39.5
 共産(森川明)
 
 
 
 
    他2名
 
 
 
2004
無所属
1558626
56.18
 自・公・民・社民    
 
 
 
 
無所属
670717
24.18
 江本孟紀    
 
 
 
 
無所属
505167
18.21
 共産(梅田章二)    
 
 
 
 
その他2名
 
 
     
 
 
 
 
 
 
 
     
 
 
 
2008
無所属
1832857
54
 橋下徹 2006 無所属
514893
65.6
 自・公・民・社民
 
無所億
999082
29.4
民主・社民・国民新   無所属
269740
34.4
 共産(衣笠洋子)
 
無所属
518563
15.3
 梅田章二    
 
 
 
 
その他2名
 
 
     
 
 
 
 
 
 
 
     
 
 
 
2011
大阪維新
2006195
54.7
 大阪維新 2010 無所属
529927
63.3
 
 
無所属
1201034
32.8
民主府連・自民府連   無所属
307826
36.7
 共産(門祐輔)
 
無所属
357159
9.7
 共産(梅田章二)    
 
 
 
 
その他4名
 
 
     
 
 
 
 
 
 
 
     
 
 
 
2015
大阪維新
2025387
64.1
  2014 無所属
481195
69
 自・民・公。維新
 
無所属
1051174
33.3
 自民・共産・民主   無所属
215744
31
 共産(尾崎望)
 
無所属
84762
2.7
       
 
 











 全国的な革新府・市政の誕生の中で、共産党が躍進した1970年代には遠く及ばず、2015年の大阪の共産党は、50年前の水準にすら及ばなくになってしまいました。(得票率においては、2004年の18.21%、2008年の15.3%、2011年の9.7%と着実に支持を失っている。・・・1967年 村上弘氏 得票率11.36
 これに対して京都は1975年の蜷川氏の時に社会党が解放同盟の策動で反蜷川に流れる中で、523708票(50.22%)獲得したのが最大の高揚期であったが、蜷川知事が高齢で引退した1978年、共産対すべての他の政党という図式で杉村氏が326932票(31.63%)を獲得したが、この得票率31%の数値はその後の選挙で直近の2014の選挙を除き、一回も割ったことが無い。それどころか、1998年森川明氏は共産党単独推薦で361864票(41.4%)を獲得している。京都は1970年代の革新の政治的流れを未だに受け継いでいる。(後でも述べるが、2014年は、ふるわなかったが1978の98%を獲得している。)
 上記資料をもう少し単純化してわかりやすい資料を下記に示します。
  大阪府共産党支持候補の得票 京都府共産党支持候補の得票 備考
 
得票数
得票率
得票数比較 
得票率比較 
得票数
得票率
 得票数比較
得票率比較 
 
1978
 
 
 
 
326932
31.63
100.00%
100.00%
基礎 
 数値
1979
1671812
47.94
100.00%
100.00%
 
 
 
 
1982
 
 
 
 
388644
37.19
118.88%
117.58%
;
1983
1250374
36.24
74.79%
75.59%
 
 


1986
 
 
 
;
326932
38.26
100.00%
120.96%
1987
1112660
33.34
66.55%
69.55%
 
 


1990
 
 

303279
37.59
92.77%
118.84%
1991
964554
31.84
57.70%
66.42%
 
 


1994
 
 


285614
34.6
87.36%
109.39%
1995
570869
16.94
34.15%
35.34%
 
 


1998
 
 
 

361864
41.4
110.68%
130.89%
1999
920462
26.48
55.06%
55.24%
 
 


2000
1020483
33.99
61.04%
70.90%
 
 
;

2002
 
 
 

391638
39.5
119.79%
124.88%
2004
505167
18.21
30.22%
37.98%
 
 


2006
 
 


269740
34.4
82.51%
108.76%
2008
518563
15.3
31.02%
31.91%
 
 


2010
 
 


307826
36.7
94.16%
116.03%
2011
357159
9.7
21.36%
20.23%
 
 


2014
 
 
 

215744
31
65.99%
98.01%
2015
1051174
33.3
62.88%
69.46%
 
 
;
 
                   

 この表は、社共の統一候補であった知事選挙が、社会党の裏切りで、共産党の単独推薦になり、負けた時を共産党の票が最高に出た時と仮定し、その後、45年が経過して、共産党の勢いがどの程度保持できているかを、大阪府と京都府で比較した物です。(起点の得票数と選挙毎の得票数の比較と、得票率と選挙毎の得票率で比較しています。以下の説明は得票率の比較の説明です。)
 この表から読み取れるのは、京都では、革新候補の敗北後9回の知事選挙が戦われていますが。その起点(1978年)から見て、130%以上の得票率を獲得したのが1回、120%台が2回、110%台が4回、90(98)%台が一回あります。一番多かったのが120%台です。(京都も直近の選挙が一番悪く98%台で初めて100%を割った。)
 それ対して大阪では、革新の候補敗北後10回の選挙がありますが、起点(1979年)から見て70%台が2回、60%台が2回、50%台が1回、30%台が3回、20%台が1回あります。例外的に2015年は自民党の候補者を応援しましたが、自民党と足しても66.9%にしかなりませんでした。その前の選挙(2011年)が20.23%という厳しい数字です。大阪は明らかに革新統一戦線の財産を全て食いつぶし、50年前の選挙戦の獲得票率に先祖返りしています。
 
以下は上記の表をわかりやすくグラフ化したものです。
 ★グラフ1:大阪府知事選挙の獲得票数の推移(1979年を起点とした場
       合)



 ※この表では2015年に奮闘しているように見えるが、この選挙は自民党候
  補に相乗りしたものであり、共産党単独では、2011年より落ち込んでい
  ると思われる。

 ★グラフ2:大阪知事選挙での得票率の推移(1979年を起点とした場合)


 
 ※2015年については上記に述べたと同じ判断が必要

 ★グラフ3:京都知事選挙の獲得票数の推移(1978年と起点とした場
       合)



 ★グラフ4:京都知事選挙を得票率の推移でみた(1978を起点とした場
       合)



 ※京都の知事選挙は、直近の2014年以外は、起点である1978年より常
  に善戦している。特に1998年に至っては、130%の得票率を上げてお
  り、社・ 共の統一戦線の破綻による陣地の後退の巻き返しを図っているこ
  とがよくわかる。
   直近の2014年は起点よりも得票率を下げたが98%をを獲得してい
  る。 (大阪は20%でしかない。)
   この差がどこから来るのか大阪の共産党の幹部は真摯に総括すべきであ
  る。

 1960年代後半から70年代は、社・共の革新統一戦線が結成され、東京都知事(1967年)大阪府知事(1971年)をはじめ全国で革新の府(県)政や市政が生まれ、革新勢力の高揚期であったが、部落解放同盟の運動論を巡って。共産党と社会党の分断が図られ、1970年代の後半から次々と革新自治体は崩壊していきます。(東京都知事(1979年)、大阪府知事は1979年、京都府知事は1978年に、自民党系が知事になっています。)注2

注2:革新の統一戦線と部落解放同盟の役割は、「立命館大学の学園闘争(1966   〜
    1969)」が詳しい。
      上記ブログにアクセスして、「はじめ」の中の「見出し一覧」をクッリックして、「第三部
    民主主義運動の前進と学生運動」の「第二章「京都の民主勢力と『部落解放同盟』」
    (148p)参照してみてください。


山下書記局長の演説は、京都市長選挙の争点は明らかになったのか?


 さて、前置きはこのへんにして、本題の山下演説の評価ですが、私はその場にいなかったので演説の雰囲気等は分かりませんが、一般的に言って軽い感じがします。我々が若かりし時は、宮本委員長の発言や上田耕一郎氏や不破哲三氏の論文や、赤旗に載る無署名論文をむさぶるように読みました。この中にこそ真実があると思っていました。最近の共産党は理論戦線で全く後退しており、世界の情勢、日本の情勢から、物事を解き明かすことが出来なくなってきています。魅力ある指導者が不足しています。
 例えば、朝まで生テレビなどでも、上田耕一郎は人気のあるパネリッストでした。田原総一朗が、朝までテレビの仲間だと上田氏評価していたのを思い出します。現状では共産党の参加者は、特定されず、時々呼んでもらえる程度です。辻本清美氏の方が評価されています。
  この山下氏の演説、今井さんのご指摘のように、「京都市長選挙の応援演説の冒頭で、このように自分の党の参議院選挙を宣伝し、しかも京都市長選挙は、現在の政治の流れを変えるための前哨戦であるような口振りです。」という発言は確かにいただけません。これは共産党が常に持っている弱点でもあります。いうなればマニュアル人間なのだと思います。上田耕一郎などはマニュアル人間でなく自由に話せる力量を持っていたから、共産党の支持者以外でも、その話を聞いてみたいという要望があったのだと思います。
  官僚組織が強固になればなるほど、マニュアル人間が活躍し、臨機応変に対応できず、聴衆は面白くなく、早く終われと感じてしまいます。

共産党の京都の底力は、大阪とは全く違う

  今井さんは、山下書記局長の発言に注目されていますが、私は大阪府委員会と京都府委員会の力量の差に注目しています。私は5年前の知事選挙の際に、大阪府委員会の馬鹿10連発という文章を書きましたが、今回のW選挙でも大阪府委員会は全く馬鹿げた闘争方針で闘っています。その結果が、あの無様な結果であったと思っています。
  今回、京都に行った際に、京都市長選挙のビラをもらいました。京都のビラは大阪とは全く違い、素晴らしいものに仕上がっています。
  京都のビラと大阪のビラの決定的な違いは、敵を明確にしていることです。私が京都でもらったビラの一番目立つスローガンは、「戦争法廃止京都から」というスローガンです。確かに地方自治体の選挙ですから安保法制など国の課題を前面に据えるのは違和感がありますが、昨年の戦争法案反対の闘いの延長線上で知事選挙を戦う京都の姿勢を私は評価します。
 それは、蜷川府政が7期も続き、「憲法を暮らしの中に生かそう」というスローガンを府庁舎にかけ続けた歴史と伝統のなかにこの戦いを位置付けているからだと思います。
 大阪は5年前知事選挙のスローガンは「安全・安心・やさしい大阪」でした。昨年戦われたダブル選挙では「さよなら維新」でした。その主張に全く階級的な視点が無く、こんなスローガンを掲げてどのような闘いをすれば良いのか最前線で闘う人々に具体的イメージが本当に沸くのでしょうか?・・・
 私は大阪の共産党の幹部は全く選挙が判っていないと思っています。選挙は戦いであり、相手陣営と切り結ばない限り勝利は掴めません。「安全・安心・やさしい大阪」は誰にも受け入れられるスローガンですが同時に毒にも薬にもならないスローガンです。
  昨年の知事選挙のスローガン「サヨナラ維新」も同じ弱点を含んでいます。「サヨナラ」という言葉は日常生活で毎日のように使われており、「サヨナラ」と伝えてもまた明日には会うのです。このような日常生活で普通に使われている言葉を「政治の世界」で使っても何ら効果を発揮する者ではありません。共産党の選挙での目的は、政治の世界から維新を追放したいという思いだと思われますが「サヨナラ」と「追放=叩きだす」ではイメージが全く違い、その思いはつたわりません。
  ビラ等で維新の行ってきた様々な悪政を暴きながら、「サヨナラ」と言う言葉を使えば、それなりに理解されると思いますが、共産党のビラには、維新に対する批判は非常に弱く、さらには「自民党の栗原候補で世の中を変えよう」と言っても白けるばかりです。この選挙戦の総括を共産党は曖昧にしていますが、歴史的な敗北です。自民党と共産党それに民主党、公明党も栗原氏に相当たなびいたはずなのに、全ての政党が束になってかかっても100万票余りしか獲得できませんでした。 
 100万票の内訳は分かりませんが、共産党の果たした役割は、おそらく前回の梅田氏の36万票をわり、20万票台だったとみています。(大阪の政治勢力の中で共産党の地盤は根本的に破壊されています。根本的な見直しが必要です。この見直しを行わず、惰性で闘うのであれば、ますます後退していると私は見ています。)
 京都はビラを見る限り健全だと思います。京都再生のビジョンを掲げ「1.『全国平和首長懇談会』を呼びかけます」、2.「『子ども未来局』を設置」、3.「長寿『サポート計画』」、4.「『区民協議会』で参加と自治」、5.「京都経済の再生」、6.「都市財産は市民のために」と都市政策を明確に打ち出しています。同時に現在の門川市政の問題点も明確に打ち出しています。大阪のビラとは全く次元を異にしています。
 今井さんは山下書記局長の演説では、選挙戦を戦う武器にはならないと指摘されましたが、その弱さを私も同意しますが、このビラを良く学べば戦えると思います。大阪のピンボケビラとは格段の差があると思います。
 京都の善戦を期待しています。