日本共産党 最近おかしくないですか

茨城県議会補選筑西選挙区の勝利は画期的なものであった。

     自共対決が現実のものになったのか!!


平成25(2013)年9月22日


はじめに


 9月10日赤旗の一面トップは、一般紙が五輪東京招致でお祝いモード一色だったにも関わらず、赤旗は茨城市会補欠選挙筑西選挙区の勝利を一面トップで伝えた。この勝利がよっぽど嬉しかったのであろう。それほどこの勝利は画期的なことであった。(私はこの赤旗記事編集に批判的であるが・・オリンピックが当然一面トップであるべきであった。・・・・参照「2020年東京オリンピック開催をどう見るか」

  赤旗はどのように伝えたか「自共対決制し初議席」と大見出しを掲げ、さらに「定数1『オール筑西』で一点共同」と中見出しを掲げている。さらに横見出しで「地域に中核病院」をと書いていることから見れば、この争点で一点共同を推し進め勝利したと分析しているように思われる。

「一点共同」と「自共対決」との関連はどうなっているのか?

  一点共同路線は、保守と革新の枠を乗り越え、特定の課題で共同して戦う戦術(路線)である。ここでも「オール筑西」で闘ったと書いている。つまり「地域中核病院」を建設するということは、保守・革新の区別なく、すべての市民の共通の願いであると思われる。

  こうした課題を前面に掲げて戦うことに反対ではないが、自共対決という以上、共産党らしさを出さないと、選挙では勝利したが、地域の政治情勢は全く変わらなかったということなる恐れがある。

  赤旗の記事を読む限りでは、この選挙戦で、原発反対や、震災復興の課題を掲げて戦ったのかはうかがい知れないが、3.11後の一斉地方選挙の争点設定(課題)が震災からの復興を最大の課題に掲げながら、同じ地方選挙であるにも関わらず、これらの課題を全く訴えない選挙戦が果たして正しいのか疑問が残る。

この選挙の勝利がいかに画期的かをまず見ておく(話は元へ戻るが)

  私は東京都の都議会選挙の総括の際、共産党に対する忌避意識があり、票の獲得には限界があり25%の壁を乗り越えることが難しいと指摘した。(ついでに公明党には30%の壁があると指摘した)しかし今回の選挙では「鈴木さとし」候補は16728票を獲得し、得票率は52.66%を獲得し、25%の壁どころか、あっさりその倍を獲得した。(この得票数は、前回同選挙区での2.2倍、今年7月の参院選で共産党が得た比例区票2916票の5.7倍である。・・赤旗より)

  茨城県を全く知らないが、保守的な県だと思っている。現に2010年の県議会選挙の戦い方を見れば大阪の戦いに比べれば、全く腰の引けた戦い方をしている。

  県議会の議席数は65人であるが共産党は1議席しか獲得していない。(今回の補選でやっと2議席目である)しかも選挙区は36もあるのに共産党の立候補は5選挙区にとどまっている。七人区が1つ、五人区が1つ、四人区が1つ、三人区が5つある。頑張れば当選できる可能性がる選挙区が八つもあるにも関わらず立候補は5選挙区にとどまっており、最初から敗北主義的な戦いをしている。

  今回の選挙で本当の自共対決を制したと思うのであれば、次回の県議会選挙では全選挙区に候補者を立てて闘うべきであろう。

  さらに私の持論を言えば、赤旗が増えない限り、選挙での獲得票数は増えない、あるいは「マイ名簿」闘えば勝てるという法則では、直近の参議院選挙の獲得票数の5.7倍を説明することはできない。つまり選挙戦という特殊な戦い(運動)を、赤旗の拡大や、マイ名簿との関連で見ていれば、赤旗拡大が進んでいないから、マイ名簿の取り組みが進んでいないからと、選挙で勝てないという結果が先に見えてしまい、選挙戦という特殊な戦いを組織できない敗北主義が生まれる。敵と見方の力関係という情勢分析を行えず、有効な戦いが組織できない。

 しかし、今回の選挙戦の勝利は重要なものであり、何故勝てたのかの分析が極めて重要である。それは、赤旗の部数や「マイ名簿」から離れて、一点共同路線が成功したのか、自共対決路線が成功したのか、あるいは候補者個人の人徳なのか、相手側候補が全くダメだったのか、それらの分析を行う必要がある。

 

最近の共産党の躍進を一過性の物と見るのか、第三期高揚期と見るのか

  まず、確認しておかなければならないことは、この間の共産党の躍進は、赤旗の拡大が進んだわけでも、「マイ名簿」路線が成功したからでもない。3.11の震災を経験し、原発依存体質の日本のあり方に国民のあいだから批判が沸き起こっているからである。あるいは、小泉・竹中路線以降、貧富の差の拡大が促進され、大企業は大儲けし内部留保金を大量に増やしつつあるのに労働者の賃金は下がり続けている。(注1)これらの怒りが根底にあると思われる。
  さらにTPPへの参加を強引に推し進め、日本の農業に壊滅的打撃をもたらそうとしているからである

注1:利益剰余金(狭義の内部留保)は増加傾向にあり、1988年に100兆円、2004年に200兆円を突破。2010年に
     は過去最高の293兆8808億円を記録した。一方。日本のサラリーマンの平均年収の推移を見れば、ピークだ
     った平成9年(1997年)の467万円から下がり続け15年で約60万円減りし、月収に換算すると5万円減である。

 こうした情勢との関連で、この選挙の総括を行わない限り、この勝利は単なる夏の珍事で終わってしまう。

ひょっとしたら第三期高揚期か?(第一期高揚期と比較してみる)

 志位委員長は、参議院選挙の結果を見て、第三期躍進の時期だと主張しているが、はたしてそうか検証してみたい。

 現在までに得票数が50%を超える選挙の事例を歴史的に見てみたい。共産党の躍進は、確かにその前兆が出てくる。古い話をすれば、 私の記憶では、長野県塩尻の市長選での勝利が最初ではないかと思っている。
  1967年4月30日長野県塩尻市で共産党員である高砂正郎氏が市長選挙で当選し、日本で初めての共産党市長となった。その当時民主連合政府の実現を訴えていた共産党にとってこの勝利は大きく、その可能性を保証するものとして大きく宣伝された。共産党躍進のひとつの象徴であった。以下は私の居住する大阪の実態であるが、躍進期とはどのようなものを指すのか振り返ってみたい。

第一例
 なんといっても、黒田府政実現(1971年から1979年3月まで)、が大きい。選挙では、「大阪にきれいな空を取り戻そう」と公害・環境対策を訴えた黒田が左藤を破って当選、初の革新系大阪府知事となった。2期目の選挙は社会党が離脱し、共産党単独支持であったが、黒田氏は勝利した。共産党の絶頂期であった。

第ニ例
 榎原和夫氏(1971年〜1991年)が、吹田市長選に「明るい革新市政をすすめる会」が支持母体の社共統一候補として出馬し初当選。しかし、同和行政の進め方をめぐり、1期目の途中で社会党が与党を離脱したため、再選を目指した1975年の市長選では共産党単独推薦で辛勝する。その後、1979年の市長選でも共産党単独推薦で当選を果たしたが、以降は5党(自民、社会、公明、民社、共産)推薦を取り付けるオール与党体制により、1991年まで5期連続で市長を務めた。

第三例
   さらに津田一郎氏(1973年〜1989年)「乱脈不公正な同和行政の是正」を訴え、羽曳野市長選で当選を果たして西日本初の共産党員市長となる。その後、1989年まで4期連続当選する。

第四例
 さらに、東大阪市長に長尾氏が当選(1998年〜2002年)2002年、任期満了に伴い行われた市長選挙で、前回の市長選挙で約5,000票の差で落選した松見正宣に敗れる。しかし2006年、任期満了に伴い行われた市長選挙で、無所属として立候補し、再び当選する。20079月3日、議員任期満了直前の議会で不信任決議が可決される。議会解散せず出直し市長選挙に出馬するが敗れる。

  これが共産党の躍進期という実態である。これに比べれば、参議院選挙での8議席の獲得、その直前に戦われた東京都議会選挙で8議席から17議席に躍進、参議院選挙後の地方選での善戦、さらにこの茨城市の筑西の県会議員の選挙結果からだけでは、まだまだ程遠いと言わなければならない。(これは補欠選挙であり、すべての党が闘いに挑んだ選挙ではない)

 しかしこの茨城市の筑西地区県議選補選の53%強の獲得票は、確かに長期低落傾向からは脱したのではないかという兆候ではあるが、皮肉な見方をすれば、共産党という政党を日常的に見たことがなく、共産党アレルギーがなかったのではないか。敵陣営もまさか共産党に負けると思わず、反共攻撃が何も行われない中、共産党らしさを前面に掲げず、「一点共同路線」で成功した事例でないかと見ている。赤旗が書いたように本当に自供対決を制して競い切ってかたのなら、画期的な勝利であるが、一時的珍事で終わりそうな気がする。

長期停滞傾向を脱し、第三期高揚期の手がかりを掴んだのか

  志位委員長は、8月10日の日本共産党91周年記念公園で、「1960年代の終わりから70年代にかけて国政選挙での“第1の躍進”、1990年代後半には“第2の躍進”を経験してきましたが、今回の参議院選挙の結果は、それにつづく“第3の躍進”の始まりともいうべき歴史的意義をもつものとなりました。」と語っている。

 その内容は
 第一に、参議院選挙比例区での躍進
 7月21日の参議院選挙で、日本共産党は、改選前の3議席から8議席へと躍進し、非改選とあわせて参議院で11議席となり、議案提案権を得ることができました。
 選挙戦の軸にすえた比例代表選挙で515万票(9.7%)を獲得し、「5議席絶対確保」の目標を実現したことであります(拍手)。515万票という得票は、前回参院選の356万票を159万票、昨年の衆議院選挙の369万票を146万票、それぞれ大きく上回る成果であります。

第二は、参議院選挙の挙区選挙で勝利を勝ち取った(東京・大阪・京都)
  それにくわえて、東京、大阪、京都の三つの選挙区――首都と商都と古都、日本の三つの「都」で、議席を獲得することができたことであります。選挙区での議席獲得は12年ぶり、複数の議席獲得は15年ぶりになります。その最大の教訓は、どこでも、比例代表選挙で日本共産党躍進の波をつくりだすことを土台にしてがんばったことが、選挙区選挙においても勝利への道を開いたということであります。

第三には、都議会選挙での躍進(8議席から17議席へ倍増)
6月23日の東京都議選で、日本共産党が8議席から17議席への倍増、民主党を追い抜き都議会第3党への躍進をかちとったことが、全国の情勢を激変させ、参議院選挙の躍進に連動したことであります。

 などを挙げている。

第2期高陽期と比較すれば、結果は歴然(第三期高揚期ではない)

  しかし、これらの結果が示すのは、「躍進」ではなく、長期低落傾向に対する流れを阻止し一定の地盤を回復したといえるものである。志位氏が指摘する第2期高揚期の1998年の参院選での共産党の比例代表で8195078票取っており、今回の参議院選挙の獲得票数は5154055票(1998年参議院比の63%)であって、この水準は2005年から2009年の健闘期に匹敵するものであり、これを第三期高揚期と捉えるのは正しくない。あくまで長期低落傾向には止めをかけ、反転攻勢の手がかりを掴んだぐらいの位置づけにすべきであろう。(注2)

注2:<最近18年間の選挙結果を分析する>

  1996年衆議院選挙から2013年の参議院選挙までに12回の選挙が行われている。この結果を時系列に見れば、共産党が既に危機的状況まで負け続け、解党的出直しが必要なところまで追い詰められていたことが判る。今回の参議院選挙の結果は、長期低落傾向に歯止めをかけたものであることが良く分かる。以下に資料を添付する。

★1996年衆議院選挙〜2013年参議院選挙までの共産党の得票数の推移

   @

 A

   B

   C

   D

   E 備 考

 1996年

衆院選

7,268,743

88.70%

167.90%

 高揚期

 1998年

参院選

8,195,078

  100.00%

189.30%

 高揚期

 2000年

衆院選

6,719,016

 81.99%

   155.20%

 高揚期(すこしかげりが)

 2001年

参院選

4,329,211

  52.83%

   100.00%

@致命的な敗北

 2003年

衆院選

4,586,172

  55.96%

   105.94%

 停滞期

 2004年

参院選

4,362,573

  53.23%

   100.77%

  停滞期  

 2005年

衆院選

4,919,187

  60.03%

   113.63%

  停滞期(それなりに奮闘)

 2007年

参院選

4,407,932

  53.79%

   101.82%

   停滞期

 2009年

衆院選

4,943,886

  60.33%

   114.20%

  停滞期(それなりに奮闘)

 2010年

参院選

3,563,556

  43.48%

    82.31%

A致命的な敗北 深刻

 2012年

衆院選

3,689,988

  45.03%

    85.23%

 上記敗北を追随 深刻

 2013年

参院選

5,154,055

  62.90%

   119.05%

2005年の水準に近い

 ★この表をどう見るかについて説明する。

1.最近18年間の選挙結果を時系列で表している。

2.左から順番に、@選挙の実施年度、A衆議院選挙か参議院選挙か、B獲得票数、Cその次が1998年を100%
   とした場合の各年次の比較、D次の欄は、2001年を100%とした場合の各年次の比較。E最後の欄は備考。

3.重要なことは、高揚期(1996年、1998年)と停滞期(2000年〜2009年)と衰退期(2010年〜2012年)があることで
  ある。

4.今回の参議院選挙の結果は、1998年の最高の嶺から見れば62.90%という水準であり、2001年の致命
  的な敗北から見れば、119.05%と一定の回復と言える。一番近いのは2005年の衆議院選挙の結果であ
  る。これは停滞期であるが。よく奮闘したと言える水準であって、第三期高揚期というなら最低650万票  
  の獲得が必要である。(2000年の衆議院選挙の水準)

参議院選挙後の政党間の力関係について

 参議院選挙後の各種選挙を見ていても、共産党にとっては一定の善戦が認められる。その最も大きな要因は、民主党がこけて、橋下氏の従軍慰安婦問題の発言で、大阪維新の会の支持が急速に落ちていく中、自民党政権への対立軸を市民が求めている結果だと思われる。

 一番最近の政党支持率(15日の関西テレビの新報道2001)では自民党についで共産党と公明党が同じ率(5.4%)で並び、民主党は共産党よりも下(4%)という結果が報告されている。維新やみんなの党は2%台、社民党は1%以下だったと記憶している。

 この間行われた大阪での地方選挙の結果を見てもこれを裏付けているような結果が出ている。

参議院選挙後大阪で行われた市会議員選挙の結果は、選挙後の政党間の力関係を表している。

  この間大阪では、羽曳野市議選、柏原市議選、摂津市議選が闘われている。この3つの市議選で共産党はいずれも現状維持を行っているが、民主党、大阪維新の会、みんなの党はいずれも後退している。(大阪維新の会は結成されておラウ、みんなの党は、2009年8月8日に結党されてたばかりであり、衆議院選挙や参議院選挙比であるが:注3) さらに社民党はこれらの地方の」市議会選挙に候補者すら立てられない状態である。

 まず9月8日投開票日であった羽曳野市会議員選挙(定数18名)では、民主党は1名しか立候補できず得票率も2.37%にとどまっている(前回は12.5%)みんなの党も立候補1名であるが、得票率は1.92%で落選している。大阪維新の会は、さすがに検討し無所属を除いて比較第一党(21.23%)になっている。 

 しかし自民党が17.08%(前回39.31%)であり、自民党の票がそのまま維新に流れたと見られる。(大阪維新の会と自民党の得票率を足すと38.46%であり前回自民党が獲得した39.31%若干劣る。) 共産党は16.88%(前回17.68)公明党は17.45%(前回16.21%)で共産党との順位を入れ替えている。しかし参議院選挙前に戦われた多くの大阪の衛星都市の市会議員選挙では、共産党の票の2割弱が維新に流れる(枚方で約2割、箕面では約3割)という状況は克服できている。

 次に同日戦われた柏原市会議員選挙(定数17名)では、民主党、大阪維新、みんなの党は候補者すら立てていない。政党で立候補しているのは、自民党、公明党、共産党だけである。得票率は無所属が57.69%(前回55.76%)獲得しており、未だ政党化が進んでいない地域である。政党別では自民党が第一党で18,84%(前回17.26%)公明党が第二党で14.14%(前回16.53%)第三党が共産党で9.33%(前回10.46%)である。

  さらに、15日開票の摂津市会議員選挙(定数21)では、民主党は、候補者を2名しか立てられず、しかもそのうち1名は落選させている。得票率は7.92%(前回20.37%)であり、歴史的な敗北を期している。前回は3名の候補者を立て、1位、2位、4位で当選を果たしていることから見れば、壊滅的な選挙である。大阪維新の会は3名立候補し、1名を落選させてはいるが、得票率は13.81%である。みんなの党は1名を立候補させ落選している。得票率1.08%である。民主党、大阪維新、みんなの党が振るわない結果になっている。

 第一党は公明党で24.86%(前回は21.16)、第二党が共産党で15.96(前回16.95)、第三党が大阪維新の会で(13.81%)で自民党は第四党で7.05%(10.05%)ある。無所属は29.32%(前回は31.47%)である。

これら三つの選挙結果(羽曳野市、柏原市、摂津市)は何を語っているのか

  これら三つの選挙線を見る限りでは、民主党の崩壊が想像以上に進んでいる。15日(日曜日)のテレビの政党支持率で、共産党が民主党を抜いたのはあながち嘘ではないと思われる。大阪維新の会も振るわず、みんなの党は大阪では難しい(泡沫候補状態)現状が明らかになっている。

 共産党は3選挙区とも議席数の現状維持を勝ち取り、得票率を若干落としているが参議院選挙前の衛星都市の市会議員選挙では2割前後落としていたことを見れば、明らかに善戦している。公明党は相変わらず善戦し、柏原市では投票率を落としているが、他の2市では前進を勝ち取っている。

 大阪維新の会は、大阪では衆議院選挙で1462093票(36.04%)獲得しているが、今年行われた参議院選挙では6355299票(11.90%)まで落とした。今回の三つの選挙結果は、この水準に落ち着いたと思われる。この水準は参議院選挙で公明党が比例代表で獲得した7568080票(14.20%)より劣る水準である。(これで大阪維新の会というモンスターが無くなり、大阪の選挙戦も一定落ち着くのかなと思っている。)

注3:12年衆議院選挙比例代表(大阪)・・   前回の衆議院選拒比

政党名

今回の選挙

得票率

前回の選挙

得票率

票数の差

前回比


共産党

314840

7.76%

468144

10.51%

153304

67.25%

3番

自民党

852061

21.00%

994098

22.32%

142037

85.71%


民主党

375593

9.26%

1931431

43.36%

1555838

19.45%

1番

維新の会

1462093

36.04%

 


1462093


 

公明党

590344

14.55%

704839

15.82%

114495

83.76%

 

みんなの党

238050

5.87%

205421

4.61%

32629

115.88%

 

未来の党

172826

4.26%

0


172826

 

 

社民党

51477

1.27%

150663

3.38%

99186

34.17%

2番

国民新党

0

0.00%

 


0


 

合計

4057284

100.00%

4454596

100.00%

 


 



 この資料を見ていただければ明らかなように、共産党は昨年末の衆議院選挙では。歴史的な敗北(前回比67.25%)をしていた。最も一番敗北したのは民主党で前回比(19.45%)であり、2番目は社民党の(34.17%)である。

 民主党はこの敗北を未だ引きずっているが。共産党は、参議院選挙勝利後は回復しつつあり、ほぼ4年前の水準に戻っている。

 12年末の衆議院選挙で前回選挙比67.25%しか獲得(大阪では)できなかったのは、大阪維新の会というモンスターが、36.04%獲得したことが大きく影響している。(ちなみに全国的には、前回比74.62%であった。)

 民主党が大きくこけて、大阪維新の会の化けの皮が剥がれつつある中で、共産党は4年前の勢力を確保しつつある。

 この陣地回復は、赤旗の拡大や、マイ名簿でもたらされたのでない。

 先にも述べたが、共産党躍進を支えているのは、自民党政権下国民の生活の破壊が進む中で、国民の怒りが組織始められたことが第一の要因であり、第二の要因は自民党政治に変わる勢力として期待された民主党や日本維新の会(大阪維新の会)が自らズッコケタ政治情勢が共産党にとって有利にはたらいている。

 この原則を確認して、闘いを組織しないと、新たな第二極が生まれた場合、また国民はそちらに吸収されるという現象が起こってしまう。

 それを阻止するために、赤旗で組織することが重要だと共産党は主張すると思われるが、義理で無理やり取らされた赤旗にはその役割が果たせない。むしろ逆に共産党に近づけば、赤旗を読まされたり、カンパを求められたり、お金が掛かってかなわないと逃げてしまわれるリスクがあることを見ておかなければならない。

共産党の8中総との関連で見てみる

 この文書をほぼ書き上げていた時に8中総が出て、この文書そのものが情勢ボケになってしまったが、8中総については改めて書くとして、この文書の最後に少しだけ言及する。

 この8中総で共産党は赤旗が増えれば、票が増えるという原則がインチキだということを自ら白状している。また「マイ名簿」方針が躍進の原動力だと言いながらこれも事実でないことを自ら白状している。非常に面白い文書になっている。

 まず、赤旗と選挙の票数の関係であるが、「(3)宣伝・組織活動の教訓について」で、「前回選挙時に比べ赤旗は日刊紙で89.5%、日曜版で86.7%、対話数は82.3%、支持拡大も94.9%にとどまり、掲げた目標の関係でも投票日前日までに行った支持拡大の総数は、78.5%にとどまったが、これらの組織活動の弱点も、自力の弱点を反映したものである。」と書いているが、これはもし敗北したときの言い訳の総括内容である。この指摘は何を表しているのか、これらの指標と選挙の獲得票数には何ら関係がないことを証明しているに過ぎないのである。

 さらに「(3)「大運動」の政治的意義A―“第三の躍進”を本格的な流れにするために」で、「今回の参議院選挙での比例区の515万票は、日曜版読者一人あたりでみると5.0票になる。これは、それ以前の数回の国政選挙での比例代表の得票数が日曜版読者あたり一人あたりでみると、2票台〜3票台であったことと比較して高い(参議院で見て2001年が2.7票、04年が2.9票、07年が3.5票、10年が3.0票)。こうした得票と党勢との広大なギャップを前向きに埋めるとりくみをなくして次の選挙でのひきつづく躍進の保障はありえない。」
 これもこの赤旗部数と選挙の獲得票数の関連から、まだまだ我々の周りに支持者はいる。この人たちに赤旗の読者になってもらおうというしてきは理解できないこともないが、赤旗部数と選挙の獲得目標に関連があるという今までの選挙方針が全く「嘘」だということが暴露されたと捉えるべきである。

 さらに今回の躍進の保証を支えたものとして「マイ名簿」を評価しているが、「(3)宣伝・組織活動の教訓について」「「マイ名簿」にもとづいて、党員の全国的な結びつき、つながりを視野に入れた活動にとりくんだ、「全国は一つ」で比例代表選挙に勝利する組織的保証となった。」と総括しているが、ところが一方では、「マイ名簿」を生かした活動は大きな教訓を作った。この活動に踏み出した支部と党員は一部にとどまっており、教訓を全党のものとし、発展させていくことが大切である。と総括している。

 マイ名簿」で勝ったと総括しながら、その運動が一部の支部と一部の党員しか実践されなかったということは、勝利の原因がここにないことは明らかである。

 勝利の原因を科学的に明らかにせず、次回選挙で赤旗拡大と「マイ名簿」で勝てると思って指導の柱をそこに据えるなら、必ず大きなしっぺ返しを喰らうであろう。

 もはや常識が全く通用しない党になってしまった。最初の話に戻るが、茨城市筑西地区の県会議員の勝利を、「赤旗拡大」と「マイ名簿」から説明(証明)していただきたい。それができないのならこの話は全て嘘だということが分かる。

 選挙戦の勝利は、情勢の中で語るべきだし、情勢を切り拓いたものだけが勝利できる。敵と味方に力関係・争点を見抜き、効果的な政治宣伝を繰り広げ、大衆を組織できたものが勝利する。

 ときの総理大臣が「たった一言の失言」をしただけでも、選挙情勢は大きく変わる。これらを見抜き、素早く対応できる党のみが勝利する。

 運動員の数や、赤旗の部数、票読み活動なども影響を与えるが、選挙戦術としてはそう大きな要素を占めていない。今回の参議院選挙の勝利がそのことを証明している。