「岩手いじめ自殺事件」は「大津いじめ自殺事件」と同じような様相を示してきた


平成27(2015)年8月17日


 まず岩手いじめ自殺事件の概要は(以下河北新報を引用する)


<矢巾中2自殺>もうイヤだ 悩み綴り3カ月(河北新報(2015年7月12日)

 岩手県矢巾町で列車にひかれ死亡した(7月5日)中学2年の村松亮君(13)が担任教諭と交わした生活記録ノートには、自殺をほのめかす記述が約3カ月にわたって残っていた。いじめに遭っているとの訴えに、担任は周囲の生徒への指導に動いたが、解決につながらなかった。村松君が亡くなって12日で1週間。「市(死)ぬ場所は決まってるんですけどね」。最後の6月29日の欄にはこう記されていた。

 「この今日を大切に、でだしよく、終わりよくしたいです」
 最初の記述は2年生が始まった4月7日。新学期への期待がにじみ、担任は「みんなと協力してがんばろう」と記した。
 異変が現れたのは4月中旬。クラスや部活動への不満を漏らし始めた。20日には「しっぱいばっかりだし、もうイヤだ。死にたいゼ☆」と記した。
 5月に入ると、体育で使うジャージーがなくなるトラブルがあった。13日には「づっと暴力、づっと悪口、そろそろ休みたい氏(死)にたい」。担任は「全体にも言おうと思います」と対処を模索する。
 町教委によると、学校が5月に行った悩みアンケートで村松君は「悪口を言われている」と答えた。担任は相手生徒と面談し、問題は解決したと考えた。
 その認識とは逆に6月に入ると、いじめを示唆する記述が急激に増える。
 「○○とけんかをしました。ついにげんかいになりました。もう耐えられません」(3日)「解決してません。またこりずにやってきた」(9日)
 担任は「きのう話ができてよかったです」などと励ました。村松君は「先生はぼくにとってなくてはならない存在」(19日)としたため、信頼を寄せていたことをうかがわせる。
 28日には「生きるのにつかれてきたような気がします。氏(死)んでいいですか?」と記した。最後の29日は「ボクがいつ消えるか分かりません。ですが、先生からたくさん希望をもらいました」と書き残した。
 矢巾町教委は、村松君がいじめを苦にして自殺したとみている。近く第三者委員会を設けて究明する。

いじめを原因とする自殺事件が起こった際に重要なことは何か


 岩手いじめ自殺事件(以下「岩手事件」という)に遡ること約4年前、2011年10月11日 に滋賀県大津市内の市立中学校の当時2年生の男子生徒が、いじめを苦に自宅で自殺 する事件が起こった。
 私はこの事件に対するマスメディアの対応を一貫して批判し、いじめ問題の本質に迫らず、犯人探しに終始している愚かさをこのホームページで9回に渡って警告してきた。(文末の資料参照)
 今回の「岩手事件」も、1ヶ月半が経過し、大津いじめ自殺事件(以下「大津事件」という)と同じような誤り、加害者探しに狂奔する動きがある。大津事件では、デビィ婦人や、片山さつき議員までが、「こいつが加害者だ」という誤った情報を自らのブログで公表し、加害者の特定や顔写真等を載せているブログが1日何十万人ものアクセスがあるという異常事態を引き起こした。
 今回も同じように「加害者はこいつだ」というブログが沢山ある。しかし今回の特徴は被害者の父親を中傷する記事もブログで掲載されたことが前回と少し違う側面がある。
 なぜ、このような犯人探しが「いじめ問題」が発生した場合の中心的な関心になるのか、それは大手のマスメディアが被害者の保護者の発言・動向を中心にすえた報道を行ってきたからである。
 大津事件でもそうであったが、被害者の保護者の要望を一方的に垂れ流し、教育問題として何が重要かの問題提起を行ってこなかったことに最大の問題がある。今回の「岩手の事件」でも、父親は、「いじめの加害者の名前を教えてほしい」という要求を前面に出された。(マスコミ報道によれば)この父親の要望をマスコミは最大限取り上げるため、多くの国民もここにこの問題の核心がそこにあると捉え、犯人探しに興味がそそられるのである。
 マスコミは犯人探しに手を貸さず、教育問題として読者と一緒に考える姿勢を貫くべきである。前回の大津事件ではこの立場で報道したのはNewsweekの日本版だけであった。その見出しは「大津いじめ事件を歪曲する罪」であった。(これについては、教育評論家尾木直樹(尾木ママ)という人物 共産党系の教育評論家として脚光を浴びる。大津事件第4段に詳しく書いている)

マスメディアの無責任な対応がインターネットを後押し

 大津事件の際は、マスメディアは、この犯人探しで無責任な情報がインターネットで大々的に報道されていることに注意を傾けず、それらのニュースと呼応するような形で、教育委員会に対する批判や被害者の父親の主張等を全面的に展開し、その中で行われている犯人探しの人権侵害的自称には目をつむるという態度に終始してきた。
 マスコミが、自らの扇動が、無責任な部分を生み出したことに始めて触れたのは事件発生後40日ほどが経過した時点で、警察が「無関係男性中傷容疑の男を送検」という事態(11月21日)になって初めて、毎日新聞は、「ネット等では『義憤に走る者も』と勇み足も発生している」という記事を載せたが、自らの責任(大手マスコミの煽り)には触れなかった。また『義憤に走る者』という言い方は「正義の見方」のような捉え方であるが、警察は書類送検したのである。『義憤』というようなカッコの良いものでなく、中傷・誹謗は明らかに犯罪です。私はこのマスコミの対応についても批判してきました。(参考:大津・中2自殺事余話)
 今回の「岩手事件」でも、無関係の人たちへの中傷合戦は繰り広げられている。毎日新聞は8月14日(金)29面で「岩手・いじめ」「ネットで2次被害」「偽情報や中傷加熱・拡散」という記事を書いている。これは前回の大津事件の反省に立って、毎日新聞がネット上の「偽情報の中傷」が2次被害をもたらしていることを認め、また警告を発したものとして評価はできるが、そもそもネットでの謝った情報の流布をもたらしている原因が大手マスメディアの責任だということを認めていないところに問題は残る。

大津事件の解決に今も残る疑問(第三者機関は公平・中立であったか)

 「大津事件」では第三者委員会が活躍し、その結論を持って終結したように思われる。「岩手の事件」でも第三者委員会が設置されると聞いている。しかしこの第三者委員会の結論で事件を集結するやり方には疑問を感じている。
 「大津事件」では、被害者の父親がリーダシップを発揮し、第三者委員会の人選にも介入し、事態解決のレールを引いていった経過がある。マスコミもこの父親の行為を一貫して支持し、毎日新聞は、この父親が主導した第三者委員会の報告書が出された際に、2013年2月1日付新聞27面で「やはり学校が見殺し」という大見出しの記事を書いた。
 これはこの報告書を読んだ父親の感想であり、父親の発言として伝えるべきであったが、毎日新聞は、父親の発言という注釈をつけず、この見出しを出した。同日付の朝日新聞は、「父『息子は見殺しにされた』」という見出しであった。(参照:「『教育の森』の毎日新聞は死んだのか?」「マスメディアは第三者委員会の報告をどのように報道したか」)
 

この第三者委員会には怪しさがつきまとう

 私は、この第三者委員会の設置は、被害者家族の要望を最大限に重視した委員会になっている。第三者委員会が公平・中立であるためには、委員の構成が重要であるが、この委員会は被害者家族の推薦者3名と市側の推薦者3名で構成されている。なぜ加害者側の立場に立った委員がいないのか、あるいは教職員の立場を代表した委員がいないのか不思議である。
 さらにこの家族(以下「父親」とよぶ)は、この第三者委員会で討議する議題は「いじめ問題」の学校側の責任だけであり、被害者家族の家庭の問題は一切議論の内容に加えないことを約束させている。
 この約束が父親をさらに有利に導いた。市側推薦委員の一人が、父親が児童相談所に子供の件で相談している事実に気づき、児童相談所にどのような相談に来たかを訪ねて行ったが、この事実をいち早くつかみ、ルール違反だと主張し、この市側推薦の委員を辞職に追い込んでいる。(参照第三者委員会の設置要項は正しいのか? 第6弾)
 会議は定足数6名であったが、5名で運営され(父親推薦3名、市側推薦2名)で、230ページにわたる報告書を作成し、越大津市長に提出した。
 こうした経過で作成された第三者委員会の報告が果たして公平な判断をしたのか極めて疑問である。越市長は最初から教育委員会に責任を取らせ、自らの政治的基盤を高めるためこの第三者委員会を利用しようとした形跡がある。
 この問題が発生した際、大阪の橋下市長は「くそ教育委員会」と教育委員会を罵倒し、教育行政も自分の一元的支配を狙ったが、それに波長を合わせて越市長も政治的発言を繰り返した。

岩手の教育委員会に大津市の被害者の父親が第三者委員会の要望を行う

=7月17日 町教育委員会が第三者委員会に関しての遺族(大津、岩手)の要望拒否!=

大津市イジメ自殺事件の父親が村松亮君の父親を訪れ矢巾町教育委員会の 「越秀敏」教育長に「第三者委員会の委員を決めた後にご遺族に事後報告を  するんですか?」と問うと「越 秀敏」教育長が、凄い大きな声(威嚇行為)で 大津市いじめ自殺事件のご遺族に反論するという異常な対応を見せた。 という記事があるが、私はこの大津の父親のやり方には疑問を感じており、岩手の教育委員会の判断の方を支持する。
 第三者委員会は、真の意味での第三者でなければならない。被害者の父親の推薦委員が半数(その後多数)を占める委員会が本当に第三者委員会か強い疑問を抱く。私は第三者委員会が何を議論するのかその枠組みをしっかり決めておかないと、大津のように「学校が見殺し」というような無責任な結果報告になる。(あくまで毎日新聞の見出しだが)
 議論すべきは、彼がなぜ自殺に至ったのか、学校側に不十分さがなかったか、あるいは家庭側にも問題を抱えていなかったか、あるいは友達関係に問題がなかったなどの検証を行い、今後の教訓を見出すことである。検証委員会は「犯人探しの場」では無い。毎日新聞はこの視点からしかこの問題を捉えていないから、230ページの報告書を読んで、「学校が見殺し」というような見出しを掲げた記事を書いた。(第9弾:大津中2自殺事件)
 「岩手の事件」でこの同じ過ちを繰り返してはならない。第三者委員会はこの問題に関わったすべての代表が参加して構成されなければならない。そして教育的立場から、それぞれが自らの立場からの問題点を探り、同時に今後どのような対応が必要になってくるのか、子供たちにも展望を与える報告書でなければならない。特定の個人や組織だけを問題化し、責任を押し付け、他の 人達(例えば家族など)は全く問題が無いというような結論は避けなければならない。
 中学生の子供が自殺するという痛々しい事件に接し、関係者は、それぞれが自分の立ち位置で問題を見つめ直し、今後のいじめ撲滅の励ましになるような第三者委員会の報告書をまとめる必要がある。犯人探しの第三者委員会なら開かない方がよっぽどよい。子供の教育に何らよい影響を与えない。


参考資料:大津。中2自殺事件特集

第1弾「大津・中2自殺事件」を取り上げました。                   平成24年7月23日

      大津・中2自殺事件のマスコミの論調を批判し、この問題をどう捉えるべきかに基本的見方
      を提示したものです。
        この文書は「さざ波通信」に投稿しましたが掲載を拒否されました。
        その理由は、@政治的話題でない。A本サイトの趣旨に合わないでした。 

第2弾「大津・中2自殺事件」さざ波通信に投稿                    平成24年8月2日
        「大津・中2自殺事件」の重要性を社会に問うた文書です
       この問題に対するマスコミ報道を批判し、被害者の人権擁護重視に流され、加害者側の
     人権軽視の風潮を批判したものです。

第3弾「大津・中2自殺事件」                                      平成24年8月6日
         この文書は、さざ波通信の一方的な悪意に満ちた管理人コメントに対する反論と抗議文
        書です。(さざ波通信との決裂宣言です。)

第4弾「大津・中2自殺事件」・・・長文です。                          平成24年8月6日
         Newsweekの日本版がこの事件を正しく伝えていることと、共産党の宮本岳志氏が国会で
       一般マスコミよりひどい質問をしていることを発見しました。 

第5弾「大津・中2自殺事件」                                        平成24年8月21日
       大津教育長襲われけが・・・マスコミの無責任さが招いた結果
         「大津事件から教師集団は何を学んだのか」(全教アピール批判)

第6弾「大津・中2自殺事件」                                       平成24年8月27日 
       第三者委員会の設置要綱は正しいのか?
         真の真相究明に蓋をする設置要綱      

第7弾「大津・中2自殺事件余話」                                 平成24年11月23日
      「無関係男性が中傷容疑の男を送検」
      一般マスコミに責任はないのか

第8弾 「大津・中2自殺事件」                                       平成25年2月3日       
         「教育の森」の毎日新聞は死んだのか?
       マスメディアは、第三者委員会の報告をどのように報道したか

第9弾「大津・中2自殺事件」。                                        平成25年2月9日         
       毎日新聞「自殺には「謎」が残る」・・・これが正しい。
      教職員組合は、「やっぱり学校が見殺し」という主張と戦うべき