鈴木元さんの「志位和夫委員長への手紙」については、なかなか面白い



令和5(2023)年3月10日

鈴木元さんに対する私の印象

 私は鈴木元さん(以下「元さん」と書く場合があります)が、立命館大学で共産党のトップに君臨していたとき(1969年頃)、私は学年では2回下で共産党員として、部落解放同盟の理不尽な要求に対して戦った経過があります。彼は何千人という活動家の頂点に立っており、私の事など記憶にもないと思われるが、私は憧れのリーダーであったので鮮明に覚えている。彼と直接会話を交わしたのは。2〜3回ぐらいしかない。それだけ雲の上の活動家であった。
 彼が如何に優れた活動家は、1969年部落解放同盟が立命館大学に攻撃を仕掛けてきた際、この理不尽な戦いを如何に戦うかは極めて難しい戦いであったが、彼は大学側との団体交渉の際でも、大学側の教授連中に対して一歩も引かず、論陣を張り、その頭の回転の良さと迫力に驚くほどの力があった。全共闘の学園破壊に対しても真正面から対峙し、主導権は我々側にあった。東では突破者を書いた宮崎学がいるが、彼は西の突破者であった。
 私が最初に言葉を交わしたのは、鈴木元さんが立命館の校庭でベンチに座り、共産党の機関誌「前衛」を読んでいたときである。私の方からちょっかいを掛けた。元さんが共産党の論文を読んでいたので、「なぜ今頃これを読んでいるのか、僕はすでに読んでいますよ」と声を掛けた。その時の彼の返事は、「私はこの論文を何回も読んでいる。今日は10回目だ」「皆の前で指導的な話をする必要があるから一字一句間違わない様に読み直している。」との回答が返ってきた。私は完敗した。
 次に記憶が残っているのが、学生寮で鈴木元さんの部屋に20人ぐらい集まりで話をしていたが、その際鈴木元さんの彼女がみんなに紹介された。私は立命館の共産党の幹部でもないのに、なぜその日、鈴木元さんの部屋にいたのかは全く記憶にない。この会議は正規の会議ではなく、元さんがざっくばらんに我々に自分は何を考えどのような行動をしているかが話され、さらに彼は、「自分は何時でもどこでも寝られるように、ズボンのポケットに、常にタオルと歯ブラシを携帯している」というような話を聞いた覚えがある。
 もう一回は、私は部落問題研究会というサークルにいたが、そのサークルの一番のボスと私が学生会館に呼ばれ、選挙戦か機関誌拡大かは忘れたが、与えられたノルマを達成するように指導を受けた。その際我々のサークル活動の値打ちを評価せず、サークル活動より、選挙の票読み、あるいは新聞拡大に力を入れよと指導された。
 私の共産党に対する不信感の第一歩はこれである。我々が日常的に苦労して戦っている姿を評価せず、選挙の票読みあるいは赤旗拡大を最優先するこの共産党の指導は間違っていると私はこの時点ですでに共産党の弱点を見抜いていた。
 今回の鈴木元さんの本には「第4章『党勢拡大月間』は、一旦中止し、あり方を抜本的に検討する」という章がある。鈴木元さんが私と同じ考え方を持っておられることを初めて知った。

松竹氏の反乱(党首は党員による投票で決めたら良い)が、鈴木元さん批判に波及している。


 この松竹さんについては、私は全く面識もなく、このような人間が党内に居たのかとビックリしている。「アリの一決」でこの指摘は共産党に相当重要な指摘を行った。この男が2月5日除名処分になった。この者は中央委員会でも働いた経歴があり、共産党の中でのエリートだと思われるが、現在は京都の南地区の専従(?)で働いていたらしい。
 なぜこの者を除名したのか、大手マスコミから共産党は相当突っ込まれているが、その理由説明に、『元さんの書いている本をもう少し早く出せないかと働きかけたというのが大きな理由になっている。』私は党から相当前に去ったので詳しいことは知らないが、除名された松竹さんは鴨川出版で、編集主幹を担当しており元さんがどのような本を出すのか知る立場にあり、本人も『シン・日本共産党宣言』という本を1月に出す予定(文春新書)だから、元さんの本も同時期に出してくれと頼んだそうである。この鴨川出版は元さんの卒業後に勤めていた会社である。共産党系の出版社だと認識していたが、元さんの共産党批判の本を1月に出版したと思われる。(手元に元さんの本は持っているが、1月20日第1刷発行となっている)
 話は少しずれたが松竹さんの除名の理由に、「松竹氏は、乱暴な党攻撃を書き連なれた本を1月に出版した(ここまで読めば松竹さんお本が批判されていると読めるが)鈴木元氏対し、その内容を知りながら近づいたと批判している。」この文書の書き方が如何にもおかしい。松竹さんの本の批判をおこなわず、元さんの本を「乱暴な党攻撃を書き連ねた本」と断定し、その彼と共謀したから除名と書いている。
 この書き方では読み方は、松竹さんの本を批判していると読んでいたら、元さんに関する批判かと思ってしまう。
 記者会見でも、松竹さんは除名され、「鈴木元さんはなぜ処分されないのか」を聞かれているが、回答は「京都府連が除籍しているのでその辺は分からないと答えている。」

松竹さんの除名理由が何かが変である。


 私が想像するのは、鈴木元さんは既に共産党を離党しているのではないか、そのために鈴木元さんの処分は出来ないのではないか?松竹さんの本は読んでいないが、鈴木元さんの本は、根本的な批判を行っており、このままでは共産党員として戦えないのではと思う。

鈴木元さんの出した「志位委員長に対する手紙」は、政治的にどのような影響があるのか


 鈴木元さんの「志位和夫委員長への手紙」は面白い読み応えがある。私の意識とほぼ同じである。私はチマチマと書いてきたが元さんの本は、根本的な点から共産党を見て批判している。それこそ「シン・共産党宣言」である。抜本的な改革を提案している。これは明らかに敵対文書である。これは共産党にとっては解散宣言をしない限りこうはならない。それほど共産党は切羽詰まっているのである。私もそう思っているが共産党はおそらく何も受け付けない。党員にもこれを読むことを避けさせると思う。すべてはでっち上げだと言って抑え込むと思われる。
 この本は私にとっては極めて面白い、ここに共産党変革のカギがあると見た。しかし元さんの批判は打撃的な批判であり、これでは共産党とは全く相いれない。一番まずいのは、「共産党はソ連から金を貰っていた。」というような共産党が最も触れられるのを嫌う課題まで出してきている。私もずっとこの間共産党を批判してきたが、基本的には打撃的批判は避けてきた。元さんはそれを乗り越えてしまっていることに、私は少し躊躇する。
 共産党は元さんのへの評価は「乱暴な党攻撃を書き連ねた本」になっているが、これについては私もそう思う点はある。一般的な大衆団体でも問題がある場合の批判のやり方は一定の節度を保って行われる必要がある。なぜ度を外した攻撃かと言えば、公明党であれば池田大作の批判はタブーだし、幸福実現党では大川隆法の批判はタブーである。共産党で言えば宮本顕治さんへの批判はタブーである。それを真正面から批判している。
 例えば、85ページ 3.宮本顕治氏の誤りとその原泉 (1)宮本氏の決定的な誤りは、宮本氏によって、不破哲三氏と貴方・志位和夫氏の幹部会委員長・書記局長の後継者指名が行われたことです。(中略)志位委員長・貴方は第18回大会(1987年)で33歳の時に准中央委員になり、次の第19党大会で(1990年)で35歳の時に中央委員・書記局長に就任しました。(中略)このやり方は毛沢東が林彪や華国鋒を後任に指名したものと同じやり方ではないですか。およそ近代政党とは言い難い「個人独裁」的党運営です。
この批判は根本的な批判であり、共産党の生死を決める批判です。「これを言っちゃお終いよ」という批判です。確かに志位委員長が選ばれた基準は宮本委員長の子どもの家庭教師であったことを考えれば、完全な私物化です。
 もし元さんが中央委員会に入っていたら、また違った共産党になっていたと個人的には思いますが、個人的な選抜方法は危険を感じます。宮本委員長の場合にトップ集団にいた方は、その後の2大会を経てほぼいなくなりました。このことによって共産党の理論家はほとんど失脚し、理論的な論文を書く者がいなくなりました。
 さらにこの本で気になるのは、元さんが立命館卒業後、鴨川出版に就職し、その後立命館大学に就職し、そこで立命館大学の改革を行ってきた歴史があるが、その点については全く触れられていない。この期間の元さんの活躍は「立命館の再生を願って」という本に書かれているが、これを読ませてもらったが元さんの視点は経営者の視点であり、学生本位の立命館という視点が全く見られない。この点が私にはわからない。(注1)

注1:「立命館の再生を願って」という本は鈴木元さんが(52歳で河本八郎理事の懐刀として立命館に就職し14年間
  立命館の再生に努めた時期がある・・・「立命館の再生を願って」から)しかし鈴木元さんが手助けし、川本理事
  長が手腕を発揮したこの時期は、産学共同路線で無原則的な拡大路線を突っ走り、成功させたように見える
  が、これが本来の意味での発展・進化であったのか、それとも立命館の「教学驚愕理念=平和と民主主義」の終
  焉を意味するのか吟味が必要である。(彼は立命館退職後に鴨川出版取締役になっている。)元さんが立命館
  で活躍した内容は、必ずしも党の立場と一致せず、学生の自由な活動を押さえて来た歴史があるように思われ
  る。

 この本で元さんの経歴が書かれているが、卒業後の就職先鴨川出版が記載されていない。あなたはマネーロンダリングのように、立命館に努めるため鴨川出版に努め、前歴をつくり立命館に入っている。それと現在の位置を明確にしていない。あなたは現在現役の党員かそれとも、共産党の後援会の会長かの区別を明確にしていない。この点が気になる。

この本の最後の最後に元さんは本性を現している。

 小池書記局長の勘違いによる醜態を捉え、共産党に攻撃をしている。これは打撃的攻撃であり私は支持できない。

 私はこの本をとっても面白く読ませてもらった。さすがは「元さんや」な!と思う点が沢山ある。わたしの知らなかったこともたくさん書かれていて非常に勉強になった。
 まず何が面白かったのか。例えば第6章、新たな前進を遂げるために分析・総括しておくべきことの2.余りにも多くの知識人を切り捨ててきたことに真摯な反省を(2)田口富久治氏の問題など私も田口氏の論文が好きだった一生懸命読んだ、しかし共産党はダメだと切り捨てた。この時は失望した。
 こうした元さん指摘を共産党は何故受け入れないのかと思って読んでいたが、最後の最後に、小池書記局長のパワハラ問題を取り上げているが、私はこの事件はパワハラでは無いと思う。これは小池議員の単なる勘違いで、老化現象が現れただけであり、自分の役職の有利さから、不当な仕事をやらすというようなものでは無く、自分は正しいことをしているのに田村副委員長が間違ったことをしたと勘違いして怒ったものである。これは単なる一人相撲である。田村副委員長も、自分が間違っているのに何を言っているのかと心の中では思っており、精神的打撃を食らっていない。田村副委員長自身、パワハラだと思っていなかったと答えている。
 何でもかんでもセクハラやパワハラやという言葉にも感心しない。無理やりパワハラやという形で人を落とし込むことは問題がある。
 私が経験した事例では、退職後民間の職場の管理職の女性と世間話をしていた際、私が「おばちゃん」という言葉を使った際、その女性管理職は「セクハラ」だと言った。私は世間話で「おばちゃん」という言葉を使ったが、その女性に対していったのではない。「おばちゃん」というグループがあると言っただけでセクハラだと言われた。その際その管理職に、貴方は服装をほめられた際にセクハラだと言っていないでは無いかと突っ込んだ際、それは「うれしいからだ」と答えた。自分が好きな人から褒められると喜び、嫌いな人から言われたら「セクハラ」やというような曖昧な概念が横行している。この小池書記長の話は「誤って読んでいない、訂正する必要はなかった」は、単なる勘違いであり、自分が恥ずかしく、誤れば済む話である。小池氏の勘違いを副委員長は、逆に諭せばよかった事件であるが、多くの人の前で、小池書記局長の恥を晒すことは避けて、この人は「何を言っているのだ」心の中で処理されたのだと思う。(大人の対応をしている。)
 鈴木元さんの最後の部分は賛成しがたい。相当恨み辛みを持っている感じである。共産党の発展のためという言い訳がこの一言で通用しなくなったと私は見ている。