日本共産党 最近おかしくないですか

保守との共闘の行き着く先


平成27(2015)年6月7日

 この文書は、討論の広場に投稿していただいた木原 健治さんの「保守との共闘についてひと言」に対するコメントとして書いたものです。最初の13行(カッコの中は討論の広場で回答した内容)カッコ以降がその続きの文書です。

 
 貴方が言われているように、今回の戦争法案に対する態度を見ていると、保守の中からも反対の声が出ています。歴代の内閣法制局長が反対していることも大きいです。また自民党の元大物議員の多くも反対しています。これらの現状を見れば、現在の安倍内閣は必ずしも保守本流ではなく、自民党の中でも本来少数派であった右翼的な部分に占拠されてしまっている印象を受けます。
 そうした状況から言えば、自民党内の良識的な部分と連携し、安倍内閣を孤立させていくことは重要だと思っています。また指摘されている小林節氏等は共産党と立場を同じくするものではありませんが、安倍内閣の推し進める戦争法案反対では連携でいます。この点についても反対はしません。
  さらに言えば先の大阪都構想で、自民・民主・公明・共産が手を結び反対したことも大きな成果を上げています。これらの動き全て支持しますが、問題は選挙で多数を獲得し、議会を通じて民主的改革を目指しているのであれば、革新勢力を大ききしていく努力が絶対に必要だと捉えています。


保守との共闘路線は、「改革=革新」イメージが後退する。

 共産党は安倍内閣の行っていることは国民の世論と遊離していると主張します。その通りです。最近の安法法制論議でも日経新聞では賛成派25%くらいしかありませんでした。圧倒的に反対が多いのです。これは原発問題も消費税の問題も同じです。
にも関わらず共産党の票は最近増えてはいますが、この増えた票数は過去にも獲得していた票数であり、この壁が越えられない限界を共産党は有しています。どうすれば国民の多数派の世論のよりどころになりえる政党に成長できるかが最大の課題です。
 橋下氏はこれらの回答をくれていると思います。国民は「改革」を求めているのです。改革を実現してくれる政党に50%もの支持が集まるのです。橋下氏が集めた票数は、本来共産党が獲得しなければならない票なのです。なぜ共産党にそれができないのか、それは共産党が「改革の党」というイメージが打ち出せていないからです。私は本来「改革は革新」につながると思っています。ところが共産党は「改革」を曖昧にしてすでに既得権益者の利益を守る保守主義に見えてしまっているのです。
 ソ連が崩壊するとき、ソ連国民は共産党を「保守派」と見ていました。私はこれに驚きましたが「共産党」と言う政党が必ずしも改革の党ではなく、保守的な党と見られるような世界的風潮があります。

保守との共闘路線は、共産党幹部の大物意識がくすぐられているように見える。

 共産党が保守との共同を叫べば叫ぶほど、この運動が成功すればするほど、共産党本来の改革の党と言うイメージが薄れ、私は党の前進にはつながらないと思っています。
  多くの国民は改革を求めている。戦争法案にも反対である。原発の再稼働も反対である。消費税の増税にも反対である。そうであるなら、なぜこの層の中に入っていき、この層を組織しないのか私にはわかりません。
 そうではなく、保守との共同を掲げ、農協の偉いさんとの会談を評価し、府会議員が昔は相手もしてくれなかった地域のボスが、共産党の議員に対応してくれると喜んでいる姿は府会議員本人が、自分は町の有力者として認知されているという事に満足している姿にしか私は見えません。
  世の中には褒め殺しと言う言葉があります。先の大阪都構想でも「たかじんのマネ―」で橋下市長は宮原府会議員をほめまくりました。これをどう見るかです。橋下氏も宮原府会議員の実力を認めている。共産党に議員はすごいと見るのか、こいつを褒めておけば、真正面から反対をようしないだろうと舐められているのか評価が分かれているところですが、橋下氏が褒めたのは明らかに先制攻撃であって、それが理解できない共産党の人の好さは政治の世界で生き残ることはできません。

共産党は誰に依拠した政党か、どの部分の声を代表した政党かを曖昧にしてしまう

 資本主義的観点から見れば、どこに顧客がいるかという視点です。共産党の顧客は、改革を求めている人です。戦争に反対している人です。さらには原発に反対している人です。この人たちと交わり組織していくことが重要であり、街のボスが共産党にも良い顔をしてくれるようになった、空気が変わってきたというのは完全な勘違いです。(注1)

注1:本日6月7日付赤旗に、保守との共同とはどういうものかの共産党の考えが載っています。極
    めて興味深い評価です。
   見出しは「沖縄の新基地・大阪の住民投票」「一点共闘 勝利の道」ネット番組 井上氏(井
 上哲士参議院議員)語る という記事です。
    この中で彼は、「保守層との共闘によって言葉使いや立ち振る舞いなど学ぶことも多いと述
  べ、『共産党も鍛えられているのだと思う』と語りました。」 と書いています。
    これは一体何を意味するのか、保守層は現在権力を握っている層であり金持ちの文化教
   養を体現している人たちである。しかし文化には働く人たちの文化があり、一 般市民の言葉
   使いがある。共産党が学ばなければならないのは、社会的弱者の思想や考え方、日常の生
   活等であり、お金持ちの持っている素養を身に着けることでは無い。私は保守との共闘は、
   結局保守層に取り込まれ、個々の大衆の闘いを軽視していくことにつながると批判してきた
   が、この発言がまさにその思想的弱点を吐露したものになっている。『マイ・フェア・レディ』の
   サクセスストリーに顎がれているような文書だ、

保守との共同を前面に出しすぎ、国民の自発的戦いなどの評価が後退している。

   私がこの間声を上げているのは、革新の統一戦線と保守との共同のどちらに共産党は比重を置いて戦おうとしているのかです。革新の統一戦線はすでに死語になり保守との共同のみが語られています。
  60年安保や70年安保のような運動を組織してはじめて、安倍内閣を追い詰めることが出来るのです。保守との共同はこれらの運動を組織することをためらわせ、結局は安倍内閣の戦争法案推進を側面から手助けすることになりかねません。
  多数が反対しているのに、その声を吸収してくれる政党が無いことが、無党派層を大量に生んでしまっているのです。いま大事なのは多数の国民の意志を結集できる政党の存在です。その担い手に共産党はなるべきですが、現状では組織原則など問題が多々あり、それを結集できないのが現状です。
  橋下氏は「改革」を前面に掲げて戦えば、国民の多数を組織できることを示してくれました。この手法に学ぶべきです。