帝国の慰安婦のダイジェスト版を読む


平成26(2014)年9月6日


「帝国の慰安婦/植民地支配と記憶の違い」の著者 朴裕河氏のダイジェスト版を読む

 
  この「帝国の慰安婦/植民地支配と記憶の闘い」(2013年)朴裕河・世宗大学日本文学科教授(57)のインターネット上の要約を、更に私が要約した。是非本文を読んで欲しいが、私が下記に要約しているので参考に見て欲しい。
  彼女の問題提起は、「従軍慰安婦問題」の議論を再度構築する上での重要な視点が提起されている。私は基本的には、朴裕河さん問題提起を乗り越える事無くして、従軍慰安婦問題は語れないと思っている。(以下の「要約」は筆者にことわる事なく、私の独断と偏見で書いたものである)

インターネット上のダイジェスト版から朴裕河教授の指摘を拾い出すと

1.その目的は「できるだけ早い解決」を目指す。

2.「従軍慰安婦とは何か」の定義づけを行っている。
  アジア太平洋戦争で日本軍の性の相手をした全ての女性を「慰安婦」と呼ぶべきでない。
  「慰安婦」とは、「日本人」になっていた「朝鮮人」「台湾人」「沖縄人」だけだと考えるべきである。そして「娘子軍」に近い存在だった。(注1)
 
注1:彼女の「慰安婦」は、軍人たちを「慰める」女性たち、軍隊を支える部隊という意味を込
  めている。(敵国の人間を捕虜にして犯す場合は慰安婦に当たらず、犯罪と見ている。)
  「慰安婦」とは、基本的には<国家の政治的・経済的勢力拡張政策に合わせて戦場や
  占領地となった地に「移動」していった女性たち>のことである。

3.「慰安婦」と「朝鮮人慰安婦」
  「国家のために」出兵していった男性のために「慰安婦」が用意されるもで、その対象は「日本人女性」だった。それが、朝鮮が植民地になったがために「朝鮮人女性」もその仕組みに組み込まれた。
   その機能は、近代以降西洋を含む帝国主義とともに始まったと見るべき。

4.朝鮮人慰安婦は「植民地支配」が生んだ存在であり、その点で日本の「植民地支配」の責任が生じる。
 たとえ契約を経てお金を稼いだとしても、そのような境遇を作ったのが「植民地化」であることは確かで、朝鮮人慰安婦に対する日本の責任は「戦争」責任でなく「植民地支配」責任として問われるべきである。

5.吉見教授は慰安婦に「居住」「職業」などの自由がなかったというが、それは基本的には、「業者」による拘束で、居住の自由がなかったのは「慰安婦」として「軍」とともに行動する限り、「軍人」にそれがないのと同じようなケースと考えるべきであろう。(注2)

注2:従軍慰安婦(岩波新書)1995年発行の著者 慰安婦の強制連行を主張する日本側の第一
   人者

6.20万人の従軍慰安婦は間違い
  「20万」という数字は、日韓を合わせた、「国民動員」された「挺身隊」の数である。日本人女性が15万、朝鮮人が5−6万、と言及した1970年の韓国新聞の記事が、上記の誤解も手伝ってその後そのまま「慰安婦」の数と理解させたと考えられる。

7.1990年代の謝罪と保障
  1965年の国家間条約で個人補償は終わっているので国家賠償はできないと思った日本政府が「法的責任」は存在しないと考えながらもなお「道義的責任」を取るとして行った、いわば「責任を取るための手段」だったのである。

8.1965年の過去精算について
  1965年の日韓条約は1952年のサンフランシスコ講和条約に基づいての条約だったので、「戦争」の事後処理をめぐる条約だった。「植民地支配」という精算に関する条約でなかったのである。
  この交渉の中で、日本は「個人の請求権」は個別に請求できるようにしたほうが良いといっていた。しかし韓国側は、北朝鮮を意識して、朝鮮半島唯一の「国家」としての韓国が代わりにもらおうとしてその提案を拒否した。厳しい冷戦時代の最中にいたという歴史的経緯がある。

9.「個人請求権」が残っているという主張には無理がある。
  1965年の条約は植民地支配について謝罪になっていないが、それは冷戦下にあって元帝国主義がそのような事に対して謝罪するような発想をするような時代に至っていなかった、そして元植民地側も冷戦時代のあおりを受けて、自ら「過去精算」を急いでしまったたまのことだった。したがって、慰安婦問題に関しての、「個人請求権」が残っているとする支援者の要求には無理がある。

10.1910年の合併条約について
  さらにさかのぼって1910年の合併条約自体が「強制的」なもので「不法」だったとする議論もある。そしてこの条約が「不法」だとすると当然日本に「植民地支配」についての「法的責任」が生ずることになる。しかし、たとえ少数が率いてやった事が明らかでも、それが「条約」という(当時における)「法的手続き」を通してのものだった以上、このことを「不法」とするのは倫理的に正しくても現実的には無理がある。
  ただ植民地支配を、ひとつの民族に対する「罪」とみなすことはできるはずだ。

11.「罪」と「犯罪」
  韓国が求めているのは慰安婦募集と慰安所使用に関わることを「犯罪」と認めて「賠償」せよとするものである。(日本の支援者の多くもそれを主張している。)しかし、当時において日本国内で「売春」が「罪」と認められていなかった以上、そのことを「犯罪」とみなすことには無理がある。
  しかし、「人身売買」は当時においても「罪」と認められていて、「犯罪」だった。そういう意味では、植民地支配も、強姦も、強制動員も(軍人や挺身隊)、当時において「他民族」や「女性」の立場を考えなかった「罪」であったことは確かである。

12.「アジア女性基金」について
  そういう意味では90年代の「道義的責任」は、そうは意識しなかったにしても、まさにそこを突いての「謝罪と補償」だった。最初に声をあげた朝鮮人慰安婦が「植民地支配」による存在ということも認識されていて、それに対する補償だったからである。そして「植民地支配」に対しての「法的責任」を求めることがいささか無理があるのはさきに述べた通りである。
  現在この問題では、ほかの国・地域では「アジア女性基金」を受け入れて一応解決されたことになっている。そして現在補償を求めているのは「韓国慰安婦」だけなので、「韓国問題」として捉え直す必要がある。そして、あらためて「植民地支配」に対する謝罪として「基金」を拒否した人を対象に追加処置を行うことだけが解決のための唯一の道となるであろう。それは、亡くなった兵士たちに遺族年金を支払うのと同じ発想―つまり、「自発的に」「国民動員」されていった「日本人慰安婦」が現れるのなら、どのように補償するのかーで考えるべきことでもある。オランダや中国などのはかの国といっしょに考える「女性の人権」問題との捉え方では、朝鮮慰安婦の特殊性が見えてこない。

13.「性奴隷」について
  朝鮮人慰安婦は基本的には「売春婦」であるが、同時に「準軍人」のようなものだった。従って、彼女たちの境遇が悲惨だったことはまぎれもない事実であるが、強制労働をさせた主体は主に業者だったのだから(もちろんそのような状況を作った日本軍に責任がないというのではない)彼女たちの「性奴隷」は、まずは業者との関係で言われるべきだある。「性奴隷」に関してもしかり、である。彼女たちの自由を拘束したのは直接には業者だったのである。
  そして彼女たちは、国家の必要によって直接的に動員されて命さえも(戦場、病気、過労働)担保にしたという意味では「国家の奴隷」でもある。それは、移動の自由も廃業の自由もさらに命を守る自由もないと言う意味では軍人もまた「奴隷」という意味と同じいみでの奴隷である。軍人は「法」によって、慰安婦たちは「契約」によって構造的な奴隷となっていた。

14.河野談話は見直す必要がない。
  河野談話は「自分の意思に反して」慰安婦になったことを認めているのであって「強制連行」を認めているわけではない。物理的な強制性でなく構造的な強制性を認めたことになる。それは、朝鮮人の場合、たとえ自発的に行ったように見えてもそれが植民地支配によってもたらされたことであることを正確に認めている言葉でもある。
  つまり、河野談話見直し派が主張しているような、いわゆる「強制性」を認めたわけでなく、しかも管理をしていたという意味では「官憲が関与」したのは事実なので、そうである限り河野談話は見直す必要がない。

15.解決をめぐる葛藤
  日本政府が作った「基金」が「民間」のものと認識し、「責任を回避するもの」と強く非難し、受け取りを拒否した人達は、国会立法だけが「日本社会の改革」につながると考えていた。
  しかし前述したように「強制連行」が焦点になっていると1965年の条約がある限り慰安婦をめぐる被害を「国家犯罪」とみることはできない。したがってそれを「国家犯罪」と認めて「賠償」することを求める「立場」は不可能であるほかないだろう。
  にもかかわらず20年以上も基金批判者たちが「立法解決」を主張してきたのは朝鮮人慰安婦問題を通じて「日本社会改革」を見ようとする転倒した構想があってのことであった。そしてその意図がなかったとしても、そのような主張は、慰安婦をけっかてきに日本国家のための人質にしていた主張とさえ言える。基金に反対した中心部にいた人達は、現代政治を変えるのに過去のことを利用したことになるのである。
  支援者たちの一部は、慰安婦を日本固有のファシズムが作った問題とみなし、一方的な被害者とのみ捉えた。韓国側の誤解だった挺身隊との勘違いも感情移入のしやすい原因だったはずだが、慰安婦問題は、国家間問題となってしまった以上はともかく「国民の合意」が必要だった問題だった。

16.世界の意見
  韓国の運動家たちは、2000年代以降日本政府を説得することより世界に訴えて日本を圧迫するやり方に出た。しかしKumarawasumi報告書をはじめ、数々の国連報告書のほとんどは韓国側の資料をそのまま鵜呑みにして作られたものだったと考えられる。
  そこでその多くは「20万の少女が強制的に連れて行かれ性奴隷としてはたらかされ、敗戦後もほとんど虐殺された」と考えられている。

17.帝国と慰安婦
  「軍隊」は今でも「慰安婦」を作り続けている。日本軍の慰安婦と違うのは、「国家のため」と意識させられているかどうか、そして平時(しかし戦争を待機している)か戦時かの違いだけである。
  それらの「基地」は、かつて戦争や冷戦のためにおかれ、その状態を維持し続けた。そして今やアメリカこそが日本や韓国に慰安婦を作り続けているのである。もちろん日本や韓国がそれを提供し黙認している構造である。(橋下市長の「風俗を利用せよ」との言葉は、図らずもそのことを顕すものだった)
  かって国家が政治的経済的に勢力範囲を広げるべく「帝国」を作ったように、現在でも特定国家の世界掌握勢力は存在する。その中心にあるアメリカが、慰安婦問題に関して日本を非難する決議を出し続けているのはオランダの女性が入っていることや不十分な」報告書によるものとはいえアイロニーというほかない。
  弱者のために闘ってきたはずのリベラル勢力は、そうした意図はなかったはずだが、日韓の葛藤を作ることで韓国の軍事化や保守化を進めた。北朝鮮と連携して日本を批判するのも、現実には冷戦的思考を維持するのに組みしている。

18.解決のための視点
  上記に述べたように、支持者たちは、冷戦的思考から抜け出し、否定者は慰安婦が単なる売春婦ではないことを知ることでその悲惨さに(朝鮮人日本軍を靖国に祭るのなら彼女たちは蔑むのは矛盾)気がつく必要がある。
  そして日本内の国民的「合意」を見出して解決に望むべきだ。具体的な方法は。韓国慰安婦問題の捉え直し(植民地支配問題として捉え、ほかの西洋帝国もまたこの問題と無関係でないことを指摘する)、それは「罪」を認めて「道義的責任」を負うことの表明であろう。そして「基金」の思考―植民地支配を「罪」と認めての謝罪と国庫金での補償が望ましい。

参考:ふたたび「帝国の慰安婦」
     従軍慰安婦と赤旗報道
      討論の広場