駅頭宣伝の政治的意義について

      この政治宣伝をノルマにしてはならない!


 平成25(2013)年10月3日


1.駅頭政治宣伝は、その地域の政治地図を塗り替える重要な闘い

 駅頭で政党が政治宣伝を行う意義は極めて大きなものがある。話は少し古くなるが、民主党の野田元首相が、1987年(昭和62年)に千葉県議会議員選挙に千葉県内一の激戦区である船橋市から立候補した。「金権千葉の政治風土を変えよう」「路地裏の政治」と毎日朝夕、駅前で訴え、下馬評を覆し当選した。

 駅頭での政治宣伝はその地域の政治地図を変えるぐらい重要な戦いである。

 私が出勤するJRの駅は、曜日によってどの政党が立つかが調査されている。火曜日は共産党、水曜日は公明党である。この二つの政党は基本的には常にその曜日駅頭に立って政治宣伝を行っている。(他の政党は不定期である)

 公明党は必ず3名ほど議員が立ち、その時どきの政治報告を行っている。一番最近では9月議会(市議会)の報告を行っていた。しかも必ず市会議員が弁士以外に立っている。

2.共産党の駅頭宣伝の弱点(選挙が終われば終わってしまう)

  共産党は衆議院選挙に向けては候補者であったA市が、ハンドマイク片手に政治的演説を常に行っていた。(彼の演説はそれなりに旨い)ところが衆議院選挙後は、彼は駅頭に立って演説することをしていない。ここに共産党の弱点がある。衆議院議員の候補者は当中央からの指令によって任命される。A候補が、よし次も頑張るぞ、負けたあくる日から、候補者活動をすることは許されていない。12月の選挙で落選したことによってA氏の候補者活動の任務は終わったのである。次に誰が候補者になるか高槻の現場では誰も判らない。Aではなく、Bと決まれば、B候補が候補者活動を行えるが、それは次の選挙の1年前ぐらいにならないと決まらない。ここに共産党の選挙活動の最大の弱点がある。(野田元首相は延々と駅頭に立って演説し、当選を勝ち取っている。この芸当が共産党にできない。)

3.最近の駅頭宣伝の実態

 昨年の12月以降共産党の駅頭活動は停滞し、参議院選挙期間は一定の活動があったが、その後また停滞している。そしてこの8月くらいから、市会議員候補のD氏(前回市会議員に新人で立候補し惨敗した。)を先頭に運動を再開し始めた。(次の選挙が一番近いのは市会議員選挙と見ているから?)

 共産党の駅頭での活動が再開されたことは良いことだし、D氏の誠実さが伝わってくるものはある。しかし、この駅頭宣伝は、ビラまきを行うだけで、D氏の演説が全く無い。さらには前から指摘しているが他の参加者にビラまきを行う姿勢が全くない。(お年を召されている方ばかりなので仕方がないのかもしれないが)

 されに私が一番問題にするのは、撒かれているビラの質である。その時々の情勢にあったビラが全く撒かれず、適当にそのへんにあるビラを撒くという形態になっている。

 この9月〜10月に、私が駅頭でもらったビラは5枚あるが、最初の2枚は同じビラ、次にもらってビラ2枚も同じビラ、最後にもらった5枚目のビラは、3枚目のビラと4枚目のビラの変形のビラ、しかもこの5枚ともが消費税反対のビラです。(このもらった順番は間違っているかもしれないが)

 全く斜めからの議論をしますが、ビラを取る人はほんのひと握りの人です。だからこんなビラまきの仕方をしていてもなんの問題もないと共産党は思っているように思う。しかし、本当に共産党のことを知ろうと思って真面目にビラをとってくれた方はこの安直さに、失望するだろうと私は思っている。

 この間にオリンピックの招致(9月7日)が決まった。10日(火)の駅頭のビラでこれにつての共産党の見解を撒けばもっと注目されたであろう。あるいは10月1日(火)には、消費税8%導入の正式決定があった。これに合わせた消費税反対のビラを撒けば効果があったであろう。(前に撒いたビラと同じでは・・・・・)

4.共産党の駅頭宣伝は、政治的闘いでなく、単なるノルマの消化

 同じビラを惰性で撒く、当中央に駅頭宣伝を行っているというアリバイ作りのために駅頭宣伝をいるのであれば、それは賢明な市民には見抜かれてしまう。  

 社会主義経済がこの間破綻し、中国のように個人の利益を認めれば、経済は異常に発展し、格差社会が広がり多くの国民は、貧困に喘ぐという異常社会が実現しているが、社会の発展にとって個人の利益という問題は無視できない。 

 議員になりたいと思う人は他党派では、最も出世主義的な人が多い、この個人的な「向上心というか野心」が議員の実現に大きな力になっている。市民もこの議員になって頑張るという候補者個人の輝き(ギラツキ)に対して応援する節がある。

 常識的には、次の選挙に勝ちたいと思っている者は、駅頭で黙ってビラを撒くだけという行為に耐えられず、普通ならマイクを持って自分の政治心情を訴え、ひとりでも多く自分の個人的支持者を増やそうとするのが人間の心理である。また市民はそのやる気を評価してくれる。

 駅頭で黙ってビラを撒く、市民はこの人が誰かも知らない(タスキ掛けをしているのでもない)、この活動が本当に投票行動に結びつくのか、現在の活動は社会主義社会の「ノルマ」をこなしているようにしかみえない。

 マックスウエーバーも言ったが、職業としての政治家にはカリスマ性が必要である。「演説・アジテーター」を行わない者は政治家と言えない。