写真で振り返る2011年(大阪民主新報)・・・悲しき写真集



 
 大阪民主新報(12月25日付け)は裏面表紙で「写真で見る20011年」という特集を組んでいる。しかしこの写真集の寂しさが現在の共産党を表している。

  記事は、2011年は、東日本大震災と福島第一原発事故を受け、震災復興・救援活動が全国で取り組まれ、原発ゼロ社会の実現を求める世論と運動が広がりました。統一地方選挙(を)はじめ中間選挙、大阪府知事選、大阪市長選で、「日本共産党は、政治の暴走を許すな、住民こそ主人公の政治実現を訴えて奮闘しました。」と書かれている。

  この記事は、写真集の前口上ですが、大阪府委員会の本音が出ている面白い記事である。今回のダブル選挙、中央委員会の介入でいつの間にか「独裁ノー」が争点になりました。しかし大阪府委員会は、「政治の暴走」を許すなと戦った覚えはあるが、「独裁ノー」で戦った覚えは無いとこんなところで本音を語っています。10月29日の「独裁ノー」の宣言、及び「わたし候補」の出馬辞退などは全て党中央の押し付けだと主張しているように見えます。そのことを裏付けているのが、赤旗11月30日3面の記者座談会です。

 <赤旗11月30日(水曜日)3面の抜粋>

  A―たたかいの大義を打ち立てたという意味では、知事選の告示日(10日)に駆けつけた日本共産党の志位和夫の演説が大きかった。志位氏は「今回の選挙戦の最大の争点は、橋下・「維新の会」による独裁政治を許すのか、民主主義を守り抜くのかにある」として、憲法違反の「独裁3点セット」−「大阪都構想」「教育基本条例案」「職員基本条例案」を批判した。

 B―あの演説でなぜ「独裁政治」とよぶのかわかったという声もあった。

 A―ある新聞が「市長選「独裁」是か非か」と争点を報じたのも、志位演説の直後だ。

 Bーその後「明るい民主大阪府政をつくる会」は「なぜ「独裁政治」と呼ぶのかー事実を見てください」と見出しをつけたビラを作り、大阪市内だけでも約120万枚配った。 と書かれている。


  この記事は、大阪府のダブル選の「独裁ノー」は志位委員長の街頭演説から始まったとしていますが、正確には11月29日の大阪府委員会の声明から始まっています。しかしこの声明は大阪府委員会となっていますが、中央委員会の強い指導の下、大阪府委員会が渋々発表したと私は見ています。(なぜか大阪府委員会は「独裁ノー」を避けてきました。)

  この記事は志位委員長が演説して全てが変ったようにいっているが、その点おいては捏造記事といえるが、中央委員会の思いは、大阪府委員会が「暴走ノー」とか「横暴ノー」といっている現状の業を煮やし、無理矢理「独裁ノー」で押さえ込んだ(声明を出させた)、「我々が指導して、はじめて戦いが正常な対立軸(「独裁ノー」)が設定された」と主張していると思われる。

  この推測が事実だとしている根拠は、この写真集の導入の文書(「独裁ノー」でなく、「暴走ノー」になっている・・大阪民主新報(10月30日付け)の選挙中の主張である。)及び大阪民主新報(12月18日付け)大阪府会議員団長の談話から、「独裁ノー」が一切現れない異常さから指摘している。

 四中総で志位委員長は、「橋下・「維新の会」の策動は、地方からファッショ的な独裁政治の拠点をつくり、国政に広げようというきわめて危険な動きです」、(中略)「大阪市長選挙では、41%、52万人もの有権者が「独裁ノー」を掲げた平松候補に票を投じたことは、今後のたたかいを発展させる重要な土台となるものです。」発言しています。

   この視点が選挙後の大阪民主新報には全くありません。11月30日以前の主張に先祖がえりしています。(一せい地方選挙、ダブル選挙、橋下・「維新の会」に対する大阪府委員会の動きは不可解です。・・党中央は、是非大阪府委員会の実態調査を行うことをお勧めします。・・・ついでに私の意見書15通を完全無視した大阪府委員会の政治的感覚についても調査してください。)

  話がだいぶ横道にそれましたが、今日は写真の話です。この写真集を見て悲しくなります。先に述べた写真集の説明では「2011年は、東日本大震災と福島第一原発事故を受け、(中略)原発ゼロ社会の実現を求める世論と運動が広がりました。」をメインにしながら、「原発ゼロ」のたたかいの写真が無いのです。共産党は5月1日中央のメーデー会場で志位委員長が原発ゼロ宣言を行いましたが、大阪はそんなことはつゆ知らず、メーデーを「原発の安全点検」で戦ってしまい、メーデーの写真が載せられないさびしい写真集になっている。

 こうした写真集の中にも、現在の共産党の弱さが一目瞭然で出ている。悲しい限りだ。