共産党は「職業としての政治家」を本当に育てているのか?



  最近政治家といえば松下政経塾育ちの政治家が目立ちます。(野田総理もその一人です)。つまり政治家とはそれなりの資質を持ったものにそれなりの教育を施さない限り一人前の政治家は育たないのです。

  共産党は、「政治と金」の問題で一貫して政界の浄化を目指し奮闘しています。そして金権政治の一掃の戦いで一定の成果も挙げてきています。しかしこれもマンネリ化し、すでに国民の政治に対する期待の中で主要な柱から一歩後退しています。

  政治と金の議論を続けていくと、政治家という職業が倫理性の高い人物でしか勤まらなくなります。しかし政治の根本は「権力の奪取」であり、それぞれ個人の権力欲や野望に裏打ちされている側面があります。そこに魅力がある面もあります。橋下知事の魅力(人気の高いのも)もこのようなところにあります。

  共産党の政治家は確かに清潔です、しかしそこには政治家としての「ギラつき」がありません。無味無臭で人間としての個性・魅力が見えません。それは個人としての野心が去勢され党のために働くという、サラリーマン化した政治家になってしまいます。

 今回の一せい地方選挙でも、高槻市では共産党は府議会選挙で14447票、市議会議員選挙で12451票と減らしています。これに対して公明党は府議会選挙で23529票、市会議員選挙で26273票と増やしています。公明党は市会議員選挙で約12%の票の上積をはかっていますが、共産党は14%減らしています。ここに共産党の政治家の最大の弱点が出ています。それぞれが政治家個人として魅力を持ち票を獲得しているのではなく、組織票のみで戦っているからです。

  共産党の市会議員の候補者を見ていると政治家ではなく、単なる共産党の事務員のように見えます。共産党という政治組織を維持するため議員を出し、その費用で活動家を支えているような側面が伺われます。こう指摘すると誹謗中傷だと言われると思いますが、活動実態がそれを物語っています。

  議会では市会議員はあらかじめ発言通告を行います。市の職員は議員控え室に日参し、何を質問するかを聞きだし、それに対する回答をあらかじめ作成し、答弁者が答弁できるように準備をします。共産党の議員控え室に質問とりにいった際、まだ党から指示が来ない、何を質問するのかわからないという言葉が返ってきます。議員個人の政治的力量で戦うのではなく、党の指導(原稿をいただいて質問する)これでは政治家でなく単なる事務員です。

  市会議員には議会が開かれているか否かにかかわらず毎月議員報酬が出ています。ということは、365日昼夜を問わず市民のために働く必要があります。私は共産党の議員団のメールアドレスに、特定の人にこのメールを渡してほしいと頼みましたが、その返事が一ヶ月経過して返ってきました。その際、「メールチェックを行っていなかったので気がつかなかった、確かにいただいたメールは指定されたかたにお渡しした」というメールをいただきました。議員が3人(今回の選挙で5人から3人に現象)いて一ヶ月間誰もメールをチェックしなかったこの実態は、だれも議員活動をしていなかったこと証明しています。

  また、私の意見書の「数の多さと、脅し」の内容を見て、二人の市委員が尋ねてくれましたが、この際、「私のような意見や苦情が数十通寄せられているのに、私の家にだけ来た。」と恩着せがましく言われたが、市民からの貴重な意見に全てソッポを向いていることを思わず白状されたことになります。これが共産党の実態、共産党の政治です。

  確かに「政治とお金」の問題は重要ですが、議員報酬を受け取りながら、議員活動をせず党活動に専念することも問題ではありませんか。さらに国民(市民)意見に耳を傾けない政治家が果たして真の意味で政治家といえるのでしょうか。

 「職業としての政治家」としての必須条件は何か、それを共産党はどれだけクリアしているのか、おそらく「清潔さ」以外は全て落第点だと思います。その辺に市民は気がついています。橋下氏みたいないかがわしい政治家でも、政治家としての感性を備えているからあれだけの支持があります。政治的支持は赤旗の部数で決まるのでなく、政治家本来の能力に負うことが極めて大きいといえます。

 「清潔さ」はその一つのメルクマールではありまが、主要な課題ではなく、むしろ政治家としての能力のほうを国民(市民)はもとめています。この勘違いを克服しない限り共産党の躍進はないと思われます。