マヌケな大阪民主新報
     共産党は橋下維新と戦う気があるのか?


                                                                                      平成25(2013)年1月19日

はじめに

 大阪市の桜宮高校の体罰による自殺が社会問題になっている。毎日新聞には次のように載せている。 

 大阪市立桜宮高校のバスケットボール部主将の男子生徒(当時17歳)が自殺した問題を巡り、橋下徹市長が同校の体育系2科の入試中止を市教委に要請したことに波紋が広がっている。同校の保護者や市議会からは「受験生への影響が大きい」と批判が噴出するが、橋下市長は予算権を盾に一歩も譲らない。  

 体罰を巡る議論が首長と教育委員会との権限問題へと広がるなか、市教委は21日に入試の是非を最終決定する。(毎日新聞1月19日(土)0時44分配信)

 この問題を巡っては、新聞やテレビ、ネットでも大きな話題になっている。しかし、1月20日付け大阪民主新報は、共産党大阪府委員会として何ら声明を出していない。大津中2自殺事件の際も、赤旗は沈黙を守り、どこのだれか分からないNPOの責任者の談話を載せお茶を濁した。(しかも、この人の談話は明らかに事実誤認があった。)

<大阪民主新報(1/20)は、桜宮高校体罰・自殺事件に対する見解を発表していない>

 大阪民主新報は一面に「体罰を考える」という記事を載せ、DCI大阪センター代表委員 松村忠臣氏を登場させ「子どもの命と人権を何よりも大切に」という記事を載せている。またいつもの手だ、他人に語らせ、共産党としての正式な見解を載せない。(載せられない。・・・能力が無いため。)

 この桜宮高校の事件は、すでに政治問題化し、橋下氏が吠えまくっている。彼はこの事件を利用し、教育に対する政治的介入を画策している。この段階で橋下氏の一連の発言や行動を批判せず、原則論(子供の命と人権)だけ主張する共産党府委員会は全くのピンボケである。(上記DCI松村氏の記事)

<ここでも共産党の組織原則が弊害になっている>

 共産党は民主集中制を組織原則にしているため、上級機関が判断しない限り、個々の党員は何も発言できない。他の党派は、それぞれの政治家が党の基本的立場を踏まえ自由に発言している。共産党の府会議員、大阪市会議員、それに市長候補であったわたし氏、さらには参議院選挙の候補者たつみコータロー氏はこの件について何も発言していない。

  共産党は何とかして選挙に勝とうと20日付大阪民主新報でも一面トップの「若者が輝く年に」「コータロー参院選挙区候補が新成人と対話」(茨木市)と大きな見出しを掲げ、コータロー候補と振袖姿の新成人の写真を大きく載せている。ここに共産党の大きな勘違いがある。この華やかな大きな写真より、桜宮高校の問題について共産党はこう考えるという方針を出す方が、選挙戦には有利であることが分かっていない。

 1月5日の「党旗びらき」の志位委員長の話は「国民に溶け込み結びつく力」であったが、どこの職場でも橋下氏の入試中止決定が話題となっている時、党の主張が明確でなければ、党員は話の輪で主導権を握れない。(例えば尖閣列島の問題でも、私は昨日仕事中にある女性から、鳩山さんの行動を「ばかやね」と話しかけられた。ここで党の方針に通じていれば、「いや鳩山さんが正しい」と返す必要があるが、それでは受けない。)

 党の最大の欠陥は、個々の政治家が自由に発言できないことである。今回のように橋下氏が暴れまわっている時に、本来なら市長候補であった「わたし氏」が登場し、「私が市長ならこの問題をこのように解決する」と話さねばならない。一度立てた候補者は常に次回も狙う位置に存在し、政治的発言を続けならなければならない。これが選挙戦を戦う基本である。

 党は候補者を選んでも、負ければそれで終わりであり、その後は候補者として活動せず、一介の事務職員になり下がってしまう。これを繰り返しているから候補者に人気が出ない。

<橋下・維新と戦うということは>

 今大事なことは、橋下氏のでたらめな方針に真っ向から戦う政治宣伝が必要である。にもかかわらず、20日付け大阪民主新報は、橋下という活字が見当たらない。(唯一あったのは「橋下市長が安倍首相と会談」だけである。)この辺が大阪民主新報の政治音痴を現している。

 ★今党が語らなければならないことは

  • 1.教育における体罰の位置づけである。
        とりわけてスポーツの指導と体罰について(これについては元巨人軍の桑田真澄さんがすでにいい見
       解を出している。)
  • 2.今回の事件をどうとらえ、解決の基本的な方向性を示すべきである。
       橋下氏の示す入試廃止は解決策か、かく乱か 

  • 3.その際、橋下氏の言動の誤りと対比の中で語るべきである。

    ★そのポイントは

    (1)まず無責任な橋下氏の態度を批判すべきである。
        彼は大阪市のトップでありながら、人ごとのようにこの問題を取り上げ、自らの責任を全く感じていな
       い。むし ろこの問題を政治的に利用しようとしている。
        (もし企業で何か事故があった場合、例えばJRの場合、トップが「私はそうするように言っていたが、担
          当者 がそうしなかった。担当者を総変えします」ですむのかどうか。)

  • (2)体罰問題に対する橋下市長の発言のブレを批判する。
        橋下氏は、自分がラクビーの選手であった経験から、体罰容認論を行っていた

  • (3)「橋下徹市長が同校の体育系2科の入試中止を市教委に要請したこと」に対する評価。
       すでに、公明、自民、民主系の3会派は入試実施を求める要望書を出したと聞く。  

  • (4)さらには、橋下氏は、市教委が入試中止を拒んだ場合、予算凍結などの措置を取る考えを示した。この
       予算を付けないと教育委員会に恫喝をかけている彼の態度に対する批判。 等々である。

 これらの見解を至急出して、国民の中に入らない限り、大阪府下における橋下氏の優位は動かない。

 すでに政府は、下村文科大臣が「慎重に検討を」と橋下氏の発言を批判的見解を出している。スポーツ紙もこの問題を大きく取り上げ報道している1月18日付けスポーツニッポンは、弁護士17人が入試実施要求「橋下市長は教育に無理解」という記事を載せ、発表された「入試実施を求める声明文」も掲載している。
 声明文には「橋下市長は教師と生徒が教育をつくるという根本問題への完全な無知、無理解を露呈している」と批判。市役所で市教委に声明文を提出後、記者会見した伊賀興一弁護士は「学校の主人公は生徒だ。入試をしない決断はあり得ない」と強調した。となっている。

 このように政府も、弁護士も、スポーツ紙なども見解を載せ始めているのに、大阪民主新報が何ら見解を発表出来ないのは、なんとも情けない。

<党の危機は、赤旗の減紙が危機なのではなく、政治的力量が無くなった事が危機である>

 何回も同じことを言って失礼だが、要するに日常起こっているさまざまな問題に対して、党としての見解が出せないことが最大の危機である。衆議院選挙戦のキャッチフレーズは「提案して行動する党」であった。ところがその提案ができない、さらに見解を出したとしてもその見解がピンボケの為(大津・中2自殺事件や尖閣列島の方針など)に何の役にも立たないばかりか、その見解の愚かさからさらに陣地を狭めている。これが共産党の今の姿である。

 政治家が政治的な問題に対して発言できない、党の見解まちというような議員では市民は信用しない。私の若いころの市会議員は、「大衆の前に出るのが怖い」といった。大衆は何を質問するか分からない。その際党の見解が出ていないものに対して回答ができない。(例えば、アルジェリアでの人質事件や、ボーイイング787機が事故を多発している。この件についてどう考えるかと聞かれた際、何と応えてよいかわからないはずである。)他党派の議員は何に対しても応えられる訓練がなされている。そうした力量を持たない者は政治家として信用されない。

 私の仕事上の経験では、市議会で共産党議員から質問をするという通告があり、その内容を聞きに行ったが、質問するといった当人は何を質問するのか分かっていない。党からの指令を待っていると答えた。そのあと何回言っても、まだ連絡が来ないと言い張る。その時呼び出された課は数課にまたがっていた。(議員控え室に職員が10人くらい待機していた)結局議会前日の午後8時頃に聞きに行ったがやはりまだだという。それなら当日の朝にお願いしますと別れたが、当日の朝、質問は中止しましたと連絡してきた。これが悲しいかな共産党の実力・姿である。

 こんなことをしていて、党が前進する訳がない。後退するには後退する理由がある。早く目覚めませんか。