第三回中央委員会総括は、果たして党再生の武器になり得るのか?


平成29(2017)年12月17日

選挙総括(三中総)は一言でいえば「わが党の力不足」で敗因を処理
  この総括から読み取れるのは、強大な党建設が課題として提起され、またまた党員は赤旗拡大に専念させられる。
 選挙の総括の基本は前回選挙と比較し、得票数、獲得議席の比較を行う上で行うことがことが大切。

 2017.10.22に行われた衆議院選挙の結果の総括が行われた三中総には、いくらかの新たな特徴がみられる。(負けた責任を他者に求めない)
 私が一番注目するのは、まず結果である。今回の選挙で比例区選挙で850万票を目標としながら、440万票しか獲得できなかった。これは前回の2014年の衆議院選挙の6,062,962、2016年の参議院選挙の6,016,194票を大きく下回り、目標850万票の53%しか獲得できず惨敗である。
 議席数においても公示前の21人から12人になり、大きく議席を後退させた。これをどのような視点で総括するかが注目されたが、共産党の獲得票数や議席だけで総括せず、共闘を組んだ政党の議席獲得数が伸びたという総括を行い、政党間の共闘や市民との共同の戦いが前進した面を評価し、今後の前進の第一歩を切り開いたと総括した。
 共産党の議席が減った点については「私たちの力が足らなかった」と総括し、責任がどこにあるのかを回避した曖昧な総括になっている。
 確かに今回の選挙は公示直前に前原民進党が希望と合体すると発表し、これまで共産党と民進党及び市民団体が話を進めていた野党の選挙共闘の話が一方的に破断され、野党共闘による選挙戦を想定していた共産党の目論見は一夜にして葬り去れ、共産党にとっては極めてピンチな選挙戦になった。しかし、前原氏の目論見は、小池氏の排除宣言でこれまた一夜にして民進党と希望の党の合体話は成立せず、排除された者の中から枝野氏が「立憲民主党を」を新たに結党し、希望から排除された民進党議員や民進党から立候補しようとしていた多くの候補者を束ね中道左派的な政党を立ち上げた。
 共産党はこの事態に対して、これまでの選挙共闘の流れを生かすため、十分な政党間の協議抜きで一方的に67名の議員を降ろし、立憲民主党を支援した。このことが功を奏し、立憲民主党は55議席を獲得し野党第一党に躍り出た。
 この結果をどう見るかが重要であるが、この点についての十分な総括が行われず、共産党としては野党統一候補が大きく躍進したことを十分満足しているし、喜んでいると総括した。(「市民と野党の共闘勢力は。3野党では38議席から69議席へと大きく議席を増やし、さらに各地で無所属の野党統一候補が勝利しました。このことは私たちにとっても大きな喜びであります。」志位委員長)
 しかし、戦い前夜にこれまで戦いを準備してきた候補者を降ろしたことを、当事者である予定候補者及び地元の支持者にはどう映ったのか等の総括がなされていない。私は共産党のとった戦略は成功したと思っている。いち早く決断し実行に移した手腕は評価されるべきだと思っているが、この共産党の中央の判断に反対の意見が全く出てこなかったことに異常を感じる。
 聞くところによると、候補者と共に戦っていた現場は、候補者がいなくなり、戦いが盛り上がらず、比例区もオセロのようにひっくり返されていく状況に焦りを感じたと言っている。私の選挙区でも候補者はおらず、選挙は全くの無風状態であり、選挙期間中共産党の選挙活動に全く遭遇することは無かった。
 440万票という選挙結果は、ここ最近では最大の負けであり、党中央はこの間はどちらかというと選挙は好調であり、850万票という数字は、実現可能な数字だと思っていたはずである(実際共産党は1988年の参議院選挙で8,185,078票を獲得した実績がある)、にもかかわらずその目標の5割強の440万票で簡単に納得する党中央の心理が私には分からない。
 もし党中央は最初から850万票などとれるはずがないが、大きな目標を掲げて叱咤激励をしておけば8掛けか7掛けぐらいは取るだろうと言うような考えで、850万票を目標としたのであれば、その無責任さに腹が立つ。
 なぜ目標の5割強しか取れなかったのに「私たちのちからが足りなかった」というような一般論で総括が行われるのか私には腑に落ちない。850万票に対して440万票しか獲得できなかったのだから「力不足」なのは誰でもわかっている。これは目標に問題があったのか、戦術に問題があったのか、共産党は正しかったが、国民は理解しなかったのか、何らかの合理的な説明が求められる。「わたしたちの力がなかった」というような極めて抽象論で総括が行われ、三中総を学べという運動が行われても何を学んでいいのか分からないのが現場での気持ちではないか?
 ただ今回のこれだけ大きく目標を外した場合、今までの総括であれば、敵は「反共攻撃を行ってきた」という総括がなされるのが通常の総括だが、今回は負けた理由に「反共攻撃」という言葉がない。この点は共産党が一歩前進(脱皮)した点だと思われる。

以下参考に共産党の獲得得票数の変化を示しておく。

 共産党が最大の得票数を獲得した、1998年の参議院選挙の獲得票数(約820万)を基準に分析していく。この21年間を4期に分けて分析する。


 ★この表をどう見るかについて説明する。
1.最近21年間の選挙結果を時系列で表している。
2.左から順番に、@選挙の実施年度、A衆議院選挙か参議院選挙か、B獲得票数、Cその次が1998年を  100%とした場合の各年次の比較、
  D次の欄は、2001年を100%とした場合の各年次の比較。E最後の欄は備考。
3.重要なことは、高揚期(1996年、1998年)と停滞期(2000年〜2009年)と衰退期(2010年〜2012年)  があることである。
4.さらに2013年に再度高揚期を迎えるが、2017年衆議院選挙で再度致命的な敗北を期す。


共産党の選挙と反共攻撃の関係について、(この点を確認しておく必要がある。)


 共産党のHPで反共攻撃と入力して検索すると、多くの赤旗記事が現れる。例えば赤旗(2016年7月12日付)参議院選挙の結果について、日本共産党中央委員会の記事では、「今回の選挙で野党攻撃、反共攻撃と正面からたたかって勝ち取ったものである」と総括しています。この選挙では勝ているので、反共攻撃と戦って買ったと総括していますが、負けたときは反共攻撃が行われたから負けたという総括が行われます。これには共産党の選挙方針と大きな関係があります。
 第25回大会決議案の用語解説(赤旗2009年12月3日)第4章(18)「四つの原点」にもとづく活動 選挙活動の「四つの原点」は、選挙勝利をめざして有権者との結びつきを広げ、強める法則的な活動方向を示したものです。
 その(2)大量政治宣伝、対話と支持拡大を日常的におこない、日本共産党の政策とともに、歴史や路線を含む党の全体像を語り、反共攻撃にはかならず反撃する。
 と書かれています。

 そこで共産党の選挙戦は常に「反共攻撃」と戦ったか否かが求められます。例えば、2017年10月20日赤旗は、池内さん東京12区全力 野党議員・著名人 懸命に応援という記事で、「公明党は『なんでも反対の党』と街頭で反共攻撃」と書いています。また2017年9月25日赤旗は、「堺市長に竹山氏3選」「維新『都』構想に痛打」という記事で、「一方維新は『都』構想」を隠して『停滞か、成長か』などと根拠のない宣伝と『野合』批判・反共攻撃に終始しました」という記事を載せています。

反共攻撃とは何をさすのか、歴史的な重みを伴わない最近の言葉


 反共攻撃とは一体何をさすのでしょうか、権力側が捏造した情報等により、共産党の弾圧を企てる攻撃であり、一番有名なのがヒトラーによる「国会議事堂放火事件が共産党によるものだ」と吹聴し、権力奪取を図るような事件を言うのであって、単なる選挙戦での政策論争の行き過ぎを捉えてこの言葉を使うと、返って大衆は引いてしまう。
 それは「共産党は絶対であり、批判は許さない」という姿勢をとっているとみなされる。一般国民は、世界の共産党の実態や、日本共産党の上意下達方針(幹部が全て決定する)も知っており、その思想を党外にも持ち出し、批判の封殺を行っていると捉えられる危険性がある。
 他党の批判を「反共攻撃」という言葉で返さず、その批判のどこが間違っているのか具体的に語る努力が必要である。
 民主主義は「何を言っても自由であり」、言論には言論(道理)で返すべきであり、「反共攻撃」という返し方は、一方的な攻撃であり、相手との人間関係の遮断を意味し、得るものはない。
 私自身赤旗を読んでいて「反共攻撃」が行われたと言う記事を見つけ、何が具体的に行われたかを見た際に、「共産党は自衛隊の存在を認めず、解消をもくろんでいる」という批判が行われた事象をもって「反共攻撃だ」と騒いでいる。これがなぜ反共攻撃か全く分からない。共産党の政策を100%正しくは述べていないが、ほぼ共産党の主張に間違いない。
 これをもし反共攻撃というのなら、元政策委員長であった藤野氏がテレビ討論会で述べた、自衛隊の予算は「人殺しの予算」という主張も正確ではなく反共攻撃になってしまう。
 この共産党が使う「反共攻撃」という言葉は、解放同盟が「差別だ」というフレーズによく似ている。「一撃で相手を倒す」意思を持った言葉であり、言われた者には相当の違和感と口惜しさが残る。何も共産党の攻撃を目的としていない会話の中でも、十分な理解の無い中で誤って共産党を攻撃する場合もある。それらを十羽一からげにして「反共攻撃だ」という返し方は、違和感を一般的に感じることに気づくべきだ。
 今回の三中総の中に「反共攻撃」の文字がないのは、共産党がこのことに気づいたのか、たまたまかは分からないが、私は重要な問題だと捉えている。

 今回の選挙総括(三中総)でその言葉が使われていないのは開かれた国民政党へ脱皮するための共産党の変化だと思っている。

その他今回の注目点は、三中総での志位委員長の言葉「リスペクト」(尊敬し、敬意を表す)です。


 共産党は2013年26大会で日本において共産党と共闘を組める政党はないと断言し、社民党や民主党を敵対勢力的な位置づけを行い、保守との共同(「一点共闘」)にその活路を見つける路線を模索していました。(注1)私はこの方針は馬鹿げていると一貫して批判してきましたが、今回の衆議院選挙を通して共産党の野党連合路線が主要な統一戦線論になりました。
 そのことを証明するのが志位委員長の結語での発言、「わが党が国政選挙で独自のたたかいをしていた時代には、安倍自公政権を批判して、野党にもこういう問題があると述べ、わが党の値打ちを語るよいう押し出しをやりましたが『共闘の時代』に入ったもとでは、そういうやり方は適切ではありません。共闘は相互にリスペクトしてこそ進みます。」と語っています。
 これは極めて重要な指摘であり、私は「反共攻撃」とい言葉を安易に使わない姿勢と、他の野党を「リスペクト」するという共産党の主張は、共産党が開かれた国民政党になるための重要なステップを踏んだものとして評価しています。


注1:日本共産党 第26回大会決議案(2013年11月)抜粋
第1章 「自共対決」時代の本格的な始まりと日本共産党
(1)「自共対決」時代の本格的な始まり
 民主党の裏切りへの国民の失望と怒りの高まりのなか、2012年12月の衆議院選挙で、自民・公明政権が復活した。
 2013年7月の参議院選挙では、自公政権が参院でも多数を握る一方、野党のなかで日本共産党がただ一つ躍進を果たした。日本共産党の躍進は、1960年代終わりから70年代にかけての“第1の躍進”、90年代後半の“第2の躍進”に続く、“第3の躍進”の始まりという歴史的意義をもつものとなった。 
 日本の情勢は、「自共対決」時代の本格的な始まりというべき新たな時期を迎えている。
@自民党と共産党との間の「受け皿政党」が消滅した
 自民党と日本共産党との間の自民党批判票の「受け皿政党」が消滅した。「二大政党づくり」の動きが破たんし、「第三極」の動きがすたれつつあるもとで、日本共産党は自民党への批判を託せる唯一の党となっている。

B「一点共闘」がさまざまな分野で広がる画期的動きが生まれている
 「二つの異常」と国民との矛盾の激化のもとで、一致する要求・課題で共同する「一点共闘」がさまざまな分野で広がり、これまでにない広範な人々が立ち上がり、この共同の輪のなかで日本共産党が重要な役割を果たすという、画期的動きが生まれている。

(3)日本共産党の不屈の奮闘がこの時代を切り開いた

(4)この情勢に日本共産党はどういう政治姿勢でのぞむか
 この情勢のもとで、日本共産党は、つぎの三つの姿勢を堅持して奮闘する。
 「対決」
 「対案」。
 「共同」――安倍政権の暴走の一歩一歩は、国民との矛盾を広げ、国民のたたかいを呼び起こさざるをえない。わが党は、一致する切実な要求にもとづく「一点共闘」をあらゆる分野で発展させ、日本の政治を変える統一戦線をつくりあげるために奮闘する。