赤旗の志位委員長の「改訂綱領が開いた『新たな視点』」に違和感を禁じ得ない。


令和2(2020)年4月12日


 しんぶん赤旗は、「改訂綱領が開いた『新たな視野』」という志位委員長の講義を連載している。今日(4月12付)は既に4回目の講義の記載が行われている。この中で以下のような記述がある。見出しは「旧」ソ連、中国などー自由と民主主義、個性の発展などの取り組みは無視された」の中で次のような記述がある。「逆に言いますと、『五つの要素』の豊かな発展を土台に、社会主義・共産主義へと進むことを展望する日本においては、旧ソ連や中国のような人権侵害や民主主義抑圧は決して起こりえません。自由、民主主義、人権など資本主義時代の価値ある成果のすべてが受け継がれ、豊かに花開く社会が訪れることはわが党の綱領上の確固たる公約にとどまらず、社会発展の法則的な必要であることを『五つの要素』という整理によって、より明瞭につかむことができるのではないでしょうか」注1

注1:五つの要素
   1.「資本主義のもとでつくりだされた高度な生産力」
   2.「経済を社会的に規制・管理するしくみ」
   3.「国民の生活と権利を守るルール」
   4.「自由と民主主義の諸制度と国民のたたかいの歴史的経験」
   5.「人間の豊かな個性」

 この共産党の資本主義社会の見方には問題があります。資本主義社会がこれら五つの優れた要素を蓄えており、この発展上に社会主義があるという捉え方は「ノー天気」だと思います。まさにこの五つの要素は、独占資本主義と労働者階級の戦いの中で勝ち取られるものであり、高度に発達した資本主義が無条件に保証するものではありません。
 このような権利がすでに日本において保証されているのか、むしろ労働者の権利は奪われていく方向性が強くなっているのが、日本社会の現実であると思います。

 まずソ連や中国との違いを強調しているが、つい最近まで中国共産党を評価し、社会主義を目指している国だと主張してきた共産党にソ連や中国とは全く違うという主張が国民に受け入れられると思っている「ノー天気さ」にもあきれ返ります。
 この引用部分の前に「『自由と民主主義』―『民主共和制』の旗を一貫して掲げ続けた」という見出しで、「日本共産党に対して、『独裁』とか『専制』などといった攻撃を投げかけてくるものがいますが、それはマルクス、エンゲルスの立場ともまったく無縁の中傷であり、デマだということを、はっきりのべておきたいと思います。と主張しています。

 共産党のおかしさは、マルクス、エンゲルスの立場は『独裁』や『専制』と違うから共産党は『独裁』や『専制』と無縁であると証明したような議論を行っていますが、国民が共産党を『独裁』や『専制』とみているのは、マルクスやエンゲルスの理論を知ったうえで攻撃しているのではありません。現在の共産党のあるがままの姿を見て、そう感じているのです。
 例えば、この志位委員長の報告(講義)です。この講義を見て私が感じたのは、共産党という政党はマルクス・エンゲルスの解釈権を握ったものが権力を握る政党だとイメージを世間に知らしめています。委員長が基本的には終身制であり、宮本賢治氏時代は宮本氏の解釈で、不破時代は不破氏の解釈で、志位時代になれば志位氏の解釈で党運営がなされることが明確になっています。志位委員長はだいぶ前に委員長になられたが、不破氏が理論的に握っていたため、志位理論というものを今まであまり聞いたことがありませんでしたが、不破氏が高齢になり、やっと志位理論が党内理論になり、これで文字通り共産党は志位氏が権力をすべて奪取したと見えます。
 中国問題もそうです。「中国は社会主義を目指す国」と認定していたのは不破氏だと思います。この重しがあったために、中国が社会主義とは無縁な国だということが日本社会では常識になっていたのに、共産党だけが中国は社会主義国と言い続けていたきらいがあります。
 これは中国も毛沢東時代、周恩来時代、ケ小平時代、さらには習近平時代とそれぞれの理論があります。国全体が特定の指導者の理論で発言するという異様さがあります。
 日本のほかの政党を見てくだい、みんな自分の主張をもっています。そのことに国民は安心感を持っているのです。例えばコロナウイルスで安倍さんが緊急事態宣言(4月7日)行い、「対人接触を8割減らす必要がある」と国民に自粛を求めているのに、その翌日(8日)二階幹事長は、「できるはずがない」、「お願いベースだ。国民も理解している」と記者団に語っています。また3月25日には都内のホテルで行われた学習会(80人で)「不要不急の外出はいけないとか集まって何かするのもどうかと言われていますが、私はまあ、あんまり神経質になってもしょうがないと思います。好き嫌いを言わずご飯を食べて、睡眠さえしておけば少々のことは勝ち抜くように人間の身体はできているのです」(2月10日FRIDAY)
 もし共産党で国会議員からこのような発言が出たら、即除名です。それはそれぞれの政党内の規律で行っているのであり、どのような判断を行うかは政党の自由だと共産党は主張すると思いますが、国民は怖い政党と認識してしまいます。
 党内に言論の自由がないということは、もし共産党が天下を取ったら、我々国民にも発言の自由がなくなると類推するのはある意味では自然な理解です。これをデマだと反論し、さらにマルクスや・エンゲルスはそんなことを言っていないと反論して効果があると思うところに共産党の間抜けさがあるのです。(党内では、それが許容されても国民にはまったく響きません・・・正に東大出のおぼっちゃまの理屈です。)
 私は志位氏がした講義をなぜ党内の政策畑か学習畑の人が説明しなかったのか、安倍さんがこんな細かいことが分かりますか、彼はすべて官僚が書いた文書を読んでいます。その間抜けさが逆に安心感につながるのです。
 「どう考えても志位さんの方が頭が良い、共産党の理論をすべて語れる素晴らしい人」だというところに落とし穴があるのです。国民は特定の個人が圧倒的な支配権を持つ組織は危ないと見ます。新興宗教的に映るのです。安倍さんのような間抜けなピエロが旗を振っているほうに安心します。
 緊急事態宣言と言いながら、お願いでしかない、この間抜けさを大事にしているのです。そうでないのなら安倍政権は一気に崩壊し、国民が厳格なスーパーマンを求めているのであれば志位氏が選ばれるでしょうが、一部のスキのない賢さを示せば示すほど、国民からの支持を失うのです。
 さらにもう少し言えば、いつの間にか現在の日本の資本主義を評価し、最底辺であえいでいる人たちの目線からずれてきているのです。私はチャンネル桜(水島社長)というユーチューブを見てびっくりしましたが、右翼の経済学者が安倍総理のコロナウイルス対する国民支援に対して異議を捉え、それは国民の中で最も生活困窮者を助けない政策だと批判しているのを見てびっくりしました。
 彼らの主張は消費税を「0%」にせよ、と主張しています。これがすべての国民に救済が行われる唯一の道だと言います。ネットカフェ等で生活している人(都内で約4,000人)にまで支援が届くのは消費税「0%」が一番公平だと主張しています。さらに保守は「働かない者に対して支援しない」という主張だと思っていましたが、ネットカフェを追い出されても、生活保護を受けてください、命を大切にしてくださいと呼び掛けています。
 共産党よりも社会の底辺の人に対する思いやりがあります。共産党は、昔は日雇い労働者や生活と健康を守るか等の組織化に熱心でしたが、最近では最底辺の人たちに依拠するという謙虚さを失っているように見えます。
 
 私が志位氏のこの講義を読んで感じたことは、全く党内向けで志位氏の権力基盤が確実なものになったという宣言に見えます。これこそが共産党の弱点だなと思いました。生意気なことを言わせてもらえれば、今この志位論文を果たして共産党員の何割が読むのか、また理解できる者がどのぐらいいるのか、私は相当少ないと思っています。
 また、この論理だてが気に入りません。「五つの要素」=高度に発達した資本主義の恩恵が社会主義の基盤を生み出している。これに乗っかれば社会主義が実現できるように読めますが、多くの国民は高度に発達した資本主義が、ますます労働者階級から搾取と収奪を強め、格差社会を広め、低賃金に喘いでいる時に、この搾取と収奪の本質を暴き、戦い組織することこそが求められているのに、それよりも、社会主義に到達する前段階を作ってくれているという独占資本主義に対する評価は、現在の生きづらさから目を背けるものであり、国民の中には浸透しない論理だと思われる。

 現在コロナウイルスの問題が政治的には最大の課題になっています。安倍内閣は全くの無責任な政策を出しています。共産党はこの事態に接してもビラもポスターも1枚も出していません。地区でビラを書く力量がなくなったのか、それともビラを撒くお金がないのか、はたまた配る手段(お年寄りばかり)がなくなったのか、どこに原因があるのか分かりませんが、こうした状況が打開できない状況で、中国は社会主義を目指す国でないと綱領を改めた。これは社会主義社会を目指す上で最も大事な理論展開だと言われてもピンとくるのでしょか?何か共産党がものすごい決定をしたという態度で国民の中に入れば、そんなこととっくの昔からそう思っていた。今更そんなことを言っているのかと馬鹿にされるだけだと私は思います。国民の意識と離れたところで議論をしています。
 志位体制が確立したという儀式なら国民には何の関係もありません。