4.14神戸討論集会

    「とめよう壊憲!護憲結集!討論集会」に参加してみて分かったこと。


                                                                                                      平成25(2013)年4月15日

 私はこの集会参加を断った共産党を「猜疑心の塊となった共産党」と前回書いたが、この集会に参加してみて、その思いを一層深めた。集会は共産党の不参加という状態で開催されたが、盛況であった。(120人定数の部屋に140人位が集まった。)

 しかしこの140人の9割以上は団塊の世代とさらにその上で占められており、若者は皆無であった。一番若いと思われる青年(一人)が30代かなと思われた。共産党が若者を結集できていないことに問題があるとみていたが、共産党に限らず、護憲勢力全体がすでに高齢化していることが分かった。因みにこの集会の主催者は81歳(?)、問題提起された広原さんが75歳(?)だったと思う。

 これは、護憲を支える中心的思想は過去の戦争の反省に基づいているのだと思われる。戦争を知らない世代を、どう護憲の戦いに巻き込むのかは、今後の大きな課題と思われる。緑の党の参議院候補者が、言葉の翻訳(「護憲」を分かりやすい言葉で)を考えていると言っていたが、そんなことも必要なのかしれない。(注1)

注1:政党の新しさと支持者の相関関係も面白いと思った。緑の党の代表者は長谷川羽衣子31歳の溌剌とした若
   い女性であった。また候補者も30代の主婦であり、感覚が若かった。彼女は右か左かの議論はもう古い、私
   は「前へ」と訴えていると主張した。言葉の翻訳も含め、政党としての感覚の若さを感じた。これに対して新社
   会は白髪のおじいさん、社民は63歳の元衆議院議員であった。

集会の運営は、公平に整然と行われた。

 最初の問題提起を行った広原氏、その後に発言した3党の代表者(社民、緑の党、新社会)とも、発言は前向きで、共産党の批判は一切行わなかった

  その後討論に入り、10人位の人が発言したが、その中で神戸における市民運動の中で、神戸空港反対以外は、共産党を含めた共闘がなかなかうまく進んでいない(共産党のセクト性)との報告があったが、司会者が、このような意見が出ることを一番恐れていたが、欠席者を批判することはできるだけ控えてほしいと発言した。

  さらに社民党の党員と名のった者の発言の中で福島党首の交代を臨むという発言の中で、長く居座る点で、宮本委員長や不破氏と変わりないという発言があった。

 また、今度は共産党支持者からの発言で、社民党の代表(元国会議員服部氏)の発言の中で、「連合が全く駄目だ」という発言があったのを捉え、「サヨナラ原発の署名は、自治労が200万、教祖が100万署名を集めている。そのような実態を見ずにレッテル貼りはやめよう」と主張された。さらに広原氏を含むすべての発言者に向けて、「人の(他党の)「悪口を言う」のは、やめよう、共産党もレッテル貼りが得意だが、広原さんも京都市長選の際「悪口は言わない」と言われていた。」と指摘し、みんな「悪口はやめよう」と言われた際、拍手が起こった。

  討論は全体としてこのような集会が持続的に行われることを臨むものが多かったが、広原氏の基調報告に対して、労働組合の果たす役割や、情勢の中でアメリカの果たしている役割が述べられていないことに、不十分さがあるという指摘があった。

  これに対して広原氏は、労働組合は、私は実態を把握できていない、アメリカ問題は本日の主要な議題でなかったので敢えて言わなかったと答えられた。

  集会の最後に主催者が、この集会を行う上での取り組みの経過を報告した。その中に「志位委員長に初めて手紙を書いたが、この集会はダメだという回答が返ってきた。再度手紙を送ったが返事はもらえなかった。そして手紙をもらって2日後に、赤旗紙面でこの集会はダメだという発表があって驚いた。」という報告があった。

 主催者の発言はさらに、共産党が参加しないという回答に接して、私の周りには二つの反応があったと話され、その一つは、「やっぱりダメやろう」というものであったと言われた。さらにもう一つは、「赤旗でこれだけ取り上げてもらったことはすごい」という反応があったと報告された。(注2)

  おそらく主催者がこの集会の参加予定者を半分ぐらいに予想していたのに盛況だったのは、赤旗の記事の影響が大きいと思われる。(私自身赤旗記事を見て参加したくなった。)

注2:この感情は私も理解する。私は15通の意見書を送った際、途中で一回だけ共産党中央委員会選対局(?)
   から「あなたのメールは確かに受け取った、選挙の総括は党外の人間の意見も聞き6月に総括を行うのでそ
   れまで待ってほしい」という趣旨のメールを受け取った際、党中央が反応したというのは驚きと共にうれしかっ
   た。(絶対開かない扉を開けたという意味で)
   だからお礼のメールを出した。しかしその後は、一切返事はなかった。

  この責任者の発言は、司会者が、欠席者(共産党)の批判は押さえてほしいと言われたこととは少し矛盾する面もあったが、取り組みを行ってきた責任者が経過報告を行うことは許容範囲であると私は思った。

共産党の心配は杞憂に終わった

 全体として集会は、整然と行われ、共産党に対する配慮が異常なほど行われていた。すべての発言者(広原氏と3党の代表)は、今回の共産党の態度を見て共産党は、「反護憲連合の統一戦線の仲間ではない」というような発言は行われなかった。

 極端な話、主催者側は、「この集会をボイコットした共産党は、「反護憲連合」の一翼と我々は認識することはできないと突き離し、護憲を取り巻く状況は、政党のセクト性を前面に押し出すのではなく、如何に共同のテーブルに着くかを追求すべきである。」という立場から、

 共産党の不参加は、それぞれの政党自主性の範囲ではあるが、「このような「集会」が憲法改悪阻止の国民的共同を広げるための建設的な意見交換の場になりえないことは明白です。」という決めつけ赤旗に報道した姿勢は、「反護憲連合の動きに水を差すものであり、この集会の名において共産党に猛省を促すものである」位の決議を挙げても仕方がない状況だと思もわれる。しかし主催者側は、大人の判断をなされ、一切共産党への批判を組織されなかった。

 もう少し配慮について触れると、社民党の代表は、大阪では、このような集会を積み重ね、当面社民党、新社会、緑の党の連携を深め、その後共産党や、生活の党も巻き込んでいくようなことを考えざるを得ないと発言され、最初から共産党の排除を前提にはされていない。発言者のすべてが、共産党排除論は主張されなかった。ただ共産党も含む統一戦線の難しさは語られたが、それは共産党のみの問題としてではなく、それぞれの党の党内事情があり、簡単にいかないという趣旨の報告であった。(社民党の代表者は、社民党の中央も問題があると自らの党の問題点について語られていた。)

 ようするに参加者全員の意思は、政党の利害関係を乗り越えて、護憲に一点で大同団結すべきだという意思であるという事がこの集会に参加して良くわかった。

 排除の論理はだれも語らなかったし、共産党の選挙の総括が間違っているなどの発言も一切なかった。このような議論に興味があるとは見えなかった)皆が求めていたのは、統一であり、「他党の悪口は言わない」という素朴な発言が一番支持を得た(拍手が行われた)

 私自身、共産党の不参加で行われるこの集会は、共産党糾弾集会みたいな集会になるのではと思って参加したが。参加者はみんな大人であり、また主催者側が最初からそのような議論にならないように配慮されていたように思える。

 参加者が求めていたのは、個々の政党に対する批判ではなく。如何に共闘が組めるか、またそのことが求められている情勢だとの共通認識であった。

共産党は今回の対応について総括すべきだ

  参加者の中に共産党の関係者も沢山いるとの発言もあった。共産党はこれら参加者を摘発して処分を行うような愚行を行わず、参加者から本当にこの集会が、共産党が予測したような「反共の大合唱」の集会であったのかそれとも共産党も含めた統一戦線を求めたものであったのかを正確に把握すべきだ。

 保守との共同には寛大である共産党が、なぜ護憲勢力の結集に意欲を示さないのか、どうしても理解できない。

  共産党が躍進できない大きな理由の一つは、こうした情勢に対応した課題を定めて統一戦線で戦うことに背を向けているからである。決して個々の党員の奮闘が足らないから前進しないのではない。なぜこんな簡単な政治の常識が共産党に分からなくなったのか私にはまったく理解ができない。

  「赤旗拡大で世の中が変わる」という内向き志向では、政治戦線で絶対に勝利できない。情勢は切り開くものであり、それが政党の役割である。「国民の半数は原発に反対している」あるいは「国民の半分は改憲に反対している」という共産党の主張は、評論家の主張であり政党は、その国民の意識を組織して、国民がその政治課題で立ち上がることを援助するところにある。国民が立ち上がる政治情勢は、一党一派で作れるものではなく、政党間の共闘で流れを作ることから始まる。昔共産党は、社共共闘を追い求め、まさに1+1は2でなく、3にも4にもなることを実証して見せた。その共産党が革新(護憲)の統一戦線に消極的で、保守との共同に積極的になる姿は、哀れで見ていられない。共産党の幹部は何を目指していうのか、国民に分かりやすく説明すべきだ。

共産党は不参加声明の中で本性を現した(重要な発言を行っている)。

 それは、共産党の出した選挙総括の善し悪しを国民は議論してはならないという主張である。回答は、「政党が正規の機関で決定した総括や方針を、公開討論で変えさせようなどというのは、政党の自主的活動への不当な介入、干渉に他なりません。」と主張した。

 これは、一斉地方選挙の総括、今回の衆議院選挙の総括で、共産党は何が問題なのか広く党内外の意見を聞き、総括したいといったことが、その場逃れの言い逃れであったことを示したものである。

  私は一斉地方選挙でも今回の衆議院選挙でも、選挙戦の総括の視点を共産党に送付しているが、受け取りましたという返事すらない。(15通の意見書では、一回だけあった。)今回の6中総を見ても、1200通を超える意見があったと言いながら、どのような意見があったのか、どの意見を参考にしたのか、あるいは参照したかは一切触れていない。総括内容を読んでみて、党内外の提案を受け入れたとはどうしても見られない。

  しかし今回の不参加回答の中で共産党は本性を現した。総選挙の総括にあたって国民の意見を組み入れることなど、「端から考えていない」のである。考えていないどころか、国民が共産党の総括に口を挟むことは、「政党の自主活動への不当な介入、干渉」としかとらえていないのである。(失礼ながらこの発想はスターリン主義である。・・・なぜ受け取りました、参考にさせていただきますという返事が共産党になぜできないのか不思議でたまらなかったが、今回の発言ですべてが分かった。私の15通の意見書は、政党の自主行動への不当な介入・干渉と捉えているのだ。)

  民主主義社会では、すべての政党が国民の批判にさらされ、それを乗り越えることによって成長するのである。自民党は国民から批判されて当たり前だが、共産党への批判は許されない。こんな理論がまかり通ると思っている人は、スターリン主義に毒されている人である。(注3)

注3:たとえば自民党は選挙で勝ったと総括しているが、これは小選挙区制によるものである。何%の得票で何%
   の議席を占拠している。・・・これも自民党の選挙総括に対する批判である。(これを共産党は当たり前のよう
   に主張しながら、共産党への批判は許されないという論拠はどこにあるのか?)

  本当に馬鹿な人たちだと思う。すでに党中央は国民から遊離しているのである。その打開は国民から学ぶところにある。党の力の源泉は、国民の戦うエネルギーや英知を吸い上げるところにある。そのことを抜きに現在の党の停滞の克服はできない。(民主集中制の組織原則は、建前ではそうなっているが、現状ではパイプは詰まっていて機能していない。このことに目を背けてはダメだ。)

  現場の多くの党員はそのことに気付いている。党中央こそが最も遅れた隊列になっていることになぜ気付かないのか、その理解に苦しまざるを得ない。

  4.14集会はそうした共産党の弱点を克服する良い機会であったが(無党派の市民が用意してくれたが)共産党はその善意を受け止めることができなかった。・・・もう目覚めないと完全に手遅れになる。