共産党は衆議院選挙でなぜ敗北したのか?(今回の選挙戦の雑感)


平成29(2017)年10月23日


市民と野党の共闘で選挙戦を戦い、議席は減らしたが、得たものも大きい。


 志位委員長は、22に日深夜のテレビ朝日のインタビューで敗戦の弁を語り「私たちの力が足りなかった。ただ市民と野党の協力で野党共闘を進めた戦いは間違っていなかった。議席は減らしたが新たな共闘関係等が進み成果を上げることが出来た。」と答えた。これに対して、「共闘を進めるために相当多くの立候補者を降ろしたことが敗北につながったのでは」との司会者からの突っ込みに対して、「それはない、私たちの力が足りなかった。でも私たちが候補者を降ろしたとにより立憲民主党や無所属議員が当選できたことは、私たちは喜んでいる」と答えた。
 私は志位委員長のこの発言を基本的には支持するが、テレビ朝日が突っ込んだ候補者を降ろしたことで、比例の票を減らしたのではという質問は的を射ていると思う。

大阪10区の選挙戦を見ると志位委員長の話は必ずしも正確ではない。


 大阪10区の戦いが特殊なのかも知れないが、共産党は候補者を立てずに、立憲民主党の辻元清美氏を野党統一候補として支持を決めたが、共産党が野党統一候補として辻元氏を支援する戦いを全く組織しなかった。この選挙戦で高槻市の共産党は全く動かなかった。選挙戦の突入前に「北朝鮮にきびしく抗議する」というビラを赤旗に折り込んで配布したが(私はこの内容を批判したが)それ以降選挙戦に入っても、共産党は「辻元清美を応援しています」というビラを一切配布しなかった。
 赤旗に折り込みで入ったビラは小池書記局長来るというビラ(2種類のビラ)だけであり、辻元氏には何も触れず、また「比例は共産党」という見出しのビラも一切配布しなかった。

共産党の事務所(富田地域)は明かりは消え、お通夜のような静けさであった。


 私は週3日働いているが、その際共産党の事務所前を通り、JRの駅を利用するが、共産党は一切宣伝を行っていなかった。辻元清美氏には2回会ったし、自民党の大隈和英氏にも、大阪維新の松浪ケンタにもあったが、不思議なことに共産党と公明党には会わなかった。(公明党の動きもおかしい)
 さらに帰りに共産党の事務所の前を通るが、共産党のポスタ―が6枚貼られているが、1枚は「守ろう憲法9条」もう1枚は「志位さんの写真をメインにして『力を合わせて未来をひらく』」というポスターで、後の4枚は「10.22安倍政権NO!」「市民+野党でぶれない」「比例は共産党」というポスターを張っている。(資料参考)
 蛇足ながら仕事の帰り道共産党の事務所の前を通ると、選挙中にもかかわらず。事務所の電気は全て消えていて真っ暗である(資料参考)
 「共産党は辻元を応援している」ことがどこにも書かれていない。ポスターの文字「市民+野党でぶれない」には、立憲民主党と共闘するという主張が全く書かれず、辻元清美の名前も、立憲民主党の名前もない。
 一般の市民が見て、「市民+野党でぶれない」という言葉で何が連想されるのか、その辺の想像力が全く欠如している。赤旗を読んでいる者は「市民+野党」の意味は分かると思われるが、普通の市民においてはこの主張が何かはさっぱり分からない。
 なぜ共産党は、「民主主義を愛する市民と共に、立憲民主党(辻元清美氏)を支持する」と書かないのか、こう書けば「市民+野党で」の立場がよくわかる。共産党のポスターには非常に疑問を感じる。(このような記載が選挙法に触れるのなら、最低限「小選挙区は野党統一候補を!」と書かないのか疑問に思う。)

共産党は、辻元清美に対して選挙戦においどのような立場で戦ったのか?


 このような共産党の動きを見ていると、共産党は元々大阪10区には候補者がおらず、最初から候補者を立てる気が無かったのではと思われる。辻元清美氏側も共産党の応援を期待しておらず、彼女は単独でも勝ち抜く決意を持っていたのではないか?
 共産党が選挙戦に候補者を立てないことはうれしいが、共産党と一緒に戦うことはかえってマイナスになると辻元氏は考えており、共産党側に具体的協力要請を全くしなかったのではないか?
 辻元清美氏が駅前に多くの市民と共に宣伝活動をした際、共産党の市会議員や府会議員はいなかった。(私の使う駅はJR富田駅であり、高槻駅ではそういう行動がとられたのかも知れないが?)
 ただ、この選挙期間中共産党の選挙活動に一切接しなかった。宣伝カーにも合わないし、駅前の宣伝もないし、赤旗に選挙の政策ビラすら折り込まれていなかった。さらに事務所は電気すらついていない。共産党は自前の候補が無ければ全く戦いを組織できないのではないかとみている。

志位さんの話は、現場はその判断でガタガタになっている現状を見ていない。


 私は今までも共産党の選挙戦での活動を批判してきたが、今回ほど選挙中に共産党を見なかったのは初めてだ。すでに組織崩壊してきている。
 なぜそうなるのか?それは嘘の「御題目」を唱え組織してきたことの限界だと思われる。
 嘘の「御題目」とは何か、「赤旗を増やせば選挙で勝てる」「選挙戦で負けた場合は必ず、赤旗の部数が減っている」これが最大の敗因の根拠だと主張し、敗北の責任を末端の共産党員に押し付ける。
 「機関紙が増えれば選挙に勝つ」は共産党の独特な選挙戦術であり他の政党と全く違うことに気づくべきだ。(そこに真実はない。)
 例えば今回の選挙で、昨日今日できた立憲民主党が勝っている。これは新聞拡大が成功したのか?、機関紙など持っていない。しかし立憲民主化勝った。これは枝野氏の演説の上手さ、大衆の心をつかむ演説であった。昔ケネディ大統領の演説が話題になったが、私は政治家の党首の発信力にはその政党を左右する大きな力があると見ている。小池氏は逆にこれで失敗した。

「共産党は選挙になぜ勝てないか」(資料1資料2資料3資料4資料5)


 これは前にも書いたが、思いつくままに書くと、まず「政治家を育てていない」今回の選挙戦を見ていても他党の有名な政治家はほぼ当選してくる。大阪10区がいい例で、辻元清美氏は社民党でも民主党(民進党)でも自民党や大阪維新を破って当選してくる。(大阪の民進党はすでに壊滅状況であり、大阪市会議員(0名)や府会議員(1名)は全く存在しない)
 そうした現状下で辻元がなぜ強いのか?それは1市民として見た場合、辻元清美氏と会う機会が圧倒的に多い。彼女は駅前で宣伝活動は行うし、どんな小さな市民の集まりにも顔を出す。その際に自分は国会議員だと威張るようなそぶりは全く見せない。さらに国会での活動もテレビを通じてお茶の間にも入り込んでくる。配られるビラも論理的で読みやすい。
 この間の駅前の宣伝戦を見ていると、自民党や公明党は共産党に比べてその支持者の動員が圧倒的に違う。辻元清美氏も相当な支持者を動員していた。これは候補者の人柄に惚れ、その人を支持する人たちを常に育てている。
 共産党は後援会づくりで失敗している。他の政党は個人後援会である。共産党は「党の後援会」である。この違いはどこから生まれるのか、共産党は組織が動いて候補者を当選させると思っているが、(公明党も同じと思うが)自民党などは、本人の力で後援会を育て、自分の個人の力で半分は得票を勝ち取っている。
 今回の選挙で言えば、立憲民主党の得票数と辻元清美氏の得票数は大きな開きがある。個人の執念で票をかき集めているのである。
 この得票原理を理解しない限り共産党は絶対に選挙で勝利できない。赤旗拡大に党活動の多くを割き、消耗していき、勉強をして自分の能力を伸ばし、政治家としての力量を育てる時間が全く保証されていない候補者が立候補させられる。これが大阪10区の実態だ。共産党の候補者には魅力がない。(今回は出ていないが)

ポスターに「ぶれない」と書かれているが共産党は本当に「ぶれて」いないか?


 共産党は、今回の選挙で「市民+野党でぶれない」と書いているが、共産党の政権構想は、この間相当揺れ動いている。
 何が問題か、それは対立軸をあいまいにしてしまっている。保守:革新とか
右翼:左翼とか、資本家と労働者とかこうした対立軸をあいまいにしてきた。
 ソ連崩壊の際に、ソ連では国民が共産党が保守だと見られていると聞いてびっくりした事がある。共産党は常に改革の党であり革新の党であると思っていた。ところが日本でもインターネット上で共産党は革新の党でなくすでに「保守」なっているという意見を時々見る。
 確かに大会の方針でも、保守との共同という言葉を使い、TPP反対集会などで保守と共産党が一緒になって反対運動がやれるようになったと喜んでいた。(保守層が共産党を対等に扱ってくれる。例えば農協の幹部が共産党に挨拶してくれる。共産党が一人前になった。)
 最近は市民をバック(接着剤に)にして他の野党との共闘を推し進めていこうとしている。今回はとりわけ自主的に候補者を降ろし、立憲民主党の躍進に一役買って出た。これは私も評価している。
 ところが、選挙日当日赤旗14面【社会・総合】に著名人の「#比例は共産党」を呼びかける投稿も続いています。という記事があった。以下引用する。
 哲学者・作詞家・作曲家の適菜収さんは20日「私は共産主義には否定的です。にもかかわらず比例で共産党に投票を呼び掛けているのは。共産党の政策が安倍政権よりはるかに保守的で真っ当だからです」と投稿。という記事を載せています。
 昔なら共産党が「安倍政権よりはるかに保守的」と言われれば、反論していたのに、今では唯々諾々とこれを受け入れている。つまり、共産党は保守と革新という線引きが現状では不必要だと思っていると思われる。
 資本家と労働者も敵・味方の関係でなく、大企業の内部留保金の数パーセントを労働者の賃金に回せば、お金の回転が上手くいき、結局は大企業がもうかるという理屈をこねている。ここでは敵・味方の概念を捨て去り、内部留保の使い方をアドバイスする側に回っている。
 すべての価値観を壊しにかかっている。これが共産党が振るわない理由だと思われる。
 枝野氏は右も左もない。一歩前に進もう。草の根民主主義を徹底しましょう。国民が主人公だと訴えている。「みなさん一緒に戦いましょう」大衆の心に響く言葉を発している。
 志位さんは、国難は「安倍総理だ」と言い、皆さんと呼びかけているが、私の考えに同調を求めるという話し方である。枝野氏の話し方は、「あなた方国民の声を私にください。あなた方の力で私を支えてください。」常に国民が主役だとの姿勢をとっている。彼の話は聞くものを引き付ける。最終版の演説で8000人の人が集まったことはすごいことだ。これが戦う力だと思う。
 共産党は、対立軸をあいまいにし、話の筋が通ていない。そこに魅力がなくなっている。

政党は国民の意識をくみ上げる組織的整備が行われていなければならない


 政党の栄枯盛衰は、党首力に大きく影響する。小池氏もそうだし、枝野氏もそうである。党首の発信力は大きい。小池氏の排除の論理は国民から批判された。枝野氏の国民目線の演説は大きな支持を得た。
 小池氏の敗北は、上から目線の発言ともう一つは政党としての組織化を行わず『小池私党』にしたことである。共産党はここから学ばなければならない。
 その政党が民主的に運営されているか、これは投票する場合の大きな基準になっている。共産党の様々な決定が、党内民主主義を基礎にして打ち出されているとはだれも思っていない。
 中国の現状を見れば明らかなように、共産党の物事の決定は上からのトップダウンである。トップの神聖化さえ図ろうとする。この中国共産党と日本共産党は違うと何度言おうが国民は信じない。
 なぜ日本共産党と中国共産党は違うのか、国民が納得する説明が行われていない。今回の選挙戦の敗北の弁でも、志位委員長は「私たちの力が弱かった」とはいうが「私の判断が間違っていた」とは絶対に言わない。希望の党のあの生意気な小池百合子氏ですら、「私の発言に誤りがあった」と認めている。
 前原氏も「政治は結果責任ですから」と自らの判断誤りを認めている。共産党だけは選挙戦でどんな結果が出ても党首の交代がない。このことが国民から見れば、政党として民主主義が徹底されていないと判断されてしまう。同時に共産党自身の政治家を育てると言うシステムの無さにつながっており、政党としての厚みがなくなってしまう。
 枝野氏は、国民の声を結集するのが立憲民主党だと言っている。「我々に声を下さい。我々を利用してください」とも言っている。草の根民主主義を主張している。このことが国民に受けたと思っている。
 共産党は、上意下達の組織原則を改めない限り、現状を大きく突破することはできないと思っている。