討論の広場に投稿していただいた記事(05)   平成28(2016)年投稿分

   自衛隊に対する「党」の方針        赤木 貴志
送信日時:2016/12/30 15:23:30


 投稿に対するご返答、ありがとうございます。

 自衛隊に対する「党」の方針は、次の通りです。
 この方針は、第22回党大会で決定されました。自衛隊の段階的解消(具体的には3段階で)については、
 @日米安保の解消前は、憲法9条の蹂躙を許さず、軍拡から軍縮へ。
 A日米安保廃棄後は、自衛隊の民主的改革と大軍縮。
 Bそして、国民合意のもと、憲法9条の完全実施めざし自衛隊の解消にとりくむ。

 私は、ここで言われているように、カギは「日米安保の廃棄・憲法擁護(戦争法廃止)の闘いと、自衛隊解消(改組)の闘いが、しっかりと結びついた運動が進められなければならないと考えます。今こそ、諸悪の根源「日米安保条約の廃棄を!」の闘いに全力で取り組むときではないでしょうか(沖縄の新基地反対の闘いを先頭に、「米軍は日本から出て行け」の闘いに全力をあげるときです)。
 「防衛」の視点は、自衛隊と警察庁の秘密組織の民主的改革と強化で、当面する他国からの脅威や、テロには十分だと思っています。(この点は書き出すと長くなるのでやめます。)

 この間の、ここでの討論で、藤野議員の「人殺し発言」がありました。私は、この発言は全く正しい発言であったと思います。言い訳など必要ではありません。兵器は全て人殺しのために使用されるのものであって、それ以外の何ものでもありません。この、防衛予算が「人殺しのためのもの」でなくて、いったい、何だというのでしょうか。残念ですが、党中央が行ったこの件に対する対処は、無条件で納得できるものではありませんでした。

 ここに係って、憲法9条は「自衛のための戦争も放棄している」と、私は解しています。この点も含め、「防衛」については、議論が必要と思っています。

 すみません。思ったことを書かせてもらいました。専門的な知識は全く無い私ですが、「党」の『綱領』や『大会決定』は理解することができます。そして、そこを基本に考えて、出される『方針』に対して、おかしいなって思うことは、躊躇せず上級機関に意見を申し立てています。私の拙文を、管理人がお読みいただければ幸です。

 もう一点、杤原議員の除名についても意見を持っています。長くなってしまうので、次回の投稿とさせていただくことをお許し願います。



  自衛隊の「活用」を前面に押し出した共産党  エガリテ
平成28(2016)年12月31日


 投稿ありがとうございます。

 自衛隊問題に対する党の方針は、藤野政策委員長の発言をお詫びした際、変化の兆しが明確に見えました。この変化に気が付かない方は、藤野議員がなぜ更迭されたのか不思議でたまらないと思います。党は明らかに自衛隊は「違憲」だというだけでなく、「活用」という新たなキーワードを生み出しています。現状では「活用」に比重が移りつつあります。それが本日付け赤旗2面【政治】欄の「自衛隊『活用』と立憲主義」の記事です。

1.野党でなく与党側に立つという意味(安全保障政策は欠かせない)

 共産党は現状では野党共闘と市民運動の延長線上に連合政権を作ることを当面の目標にしています。つまり、政権側に立とうとしています。この際、安全保障の問題をどうするかが予め問われて来ます。

 国民は安全保障をどうするかは大きな関心事です。貴方が言われるように憲法9条は「自衛のための戦争も放棄しています」この憲法のおかげで、日本は平和国家を目指し、第二次世界大戦後他国への武力行使は行わず、国家間の紛争で1名の死者も出していません。確かにそうですが、旧社会党が言ったように「非武装中立」で日本の安全が守られてきたのではなく、米国の半ば従属国という立場性が日本の安全保障を支えてきた事実もあると思います。

 確かに日本におけるアメリカ軍は、日本防衛が主たる目的でなく、アメリカの世界戦力の一環として存在していることが本質です。しかし日本の安全保障に全く関係がないかと言えば、そうでもない側面もあると思います。

 憲法9条をどうとらえるのか、日本共産党は最近は天皇制の問題も含め、憲法の精神を全面的に守るという立場をとっていますが、政権を取ったら、自衛隊をすぐに解散するとは言っていません。

(1) 共産党は、基本的に「自衛権」を否定していません。

 すべての軍事力を否定し、「非武装中立」国家を成立させ、本当に日本国民の安全が守れるとは思っていないと思います。(空想的社会主義的議論になってしまいます)前回のコメントでも言いましたが、共産党は現行憲法制定時に反対の立部を取っています。(自衛権の放棄はおかしいと)

 共産党は政権側に立った際に、「国民の合意のもとに自衛隊の解消を行う」としていますが、私はこの国民的合意は絶対に取れないと思います。日本の背丈に遭った自衛隊に軍縮していくという方針は合意できても、自衛隊の解散は、社会主義国を作るよりも難しい課題だと思っています。

 共産党はおそらく「国民の合意は得られない、だから自衛隊は存続する。そのことで国民の安全は保たれる」と判断していると私は思っています。(これが「政権を担う政党の主張として無責任だ」と私は批判しています。)

 共産党が、日本が他国に先駆け、一切の武力を持たない国家成し遂げ、外交努力だけで日本の安全が勝ち取れると思っていないことは、共産党の主張を見れば明らかです。(マハトマ・ガンジーさんの「非暴力、不服従」運動とは主張とは明らかに違います。)

 ここまでは昨日書いていましたが、本日(12月31日)付赤旗は2面【政治】で「自衛隊『活用』と立憲主義」という記事を載せています。その中で「『実力組織なしに日本の平和を維持できる』と自衛隊解消の国民的合意が成熟するには、なお長期の時間を要します」と書いています。つまり理想に向かって進むが、現実は自衛隊抜きには、国民の命と財産は守れない立場をとっています。(この部分追加記載)

(2)自衛隊の活用を主張

 前回も言いましたが、自衛隊解散までに「急迫不正の主権侵害や大規模災害など、必要に迫られた場合には、自衛隊を活用する」と言っています。自衛隊解散後の「急迫不正の主権侵害」に対してはどうするのか答えていません。これは自衛隊の解散はありえない、あるいは自衛隊の解散は何十年あるいは百年も先の話で、現在その問題を討論する必要がないと捉えていると思います。

 一切の軍隊を持たないということを方針に掲げるのであれば、「急迫不正の主権侵害」に対しては、無抵抗で戦い、世界の良心に期待し、民族の存続が脅かせれることはないだろうから、一定の犠牲は容認する。という立場性を明確にすべきだと思います。(中国が実力で尖閣列島を抑えた際も譲り、沖縄も中国の物だと言われたら退き常に恭順の姿勢で臨み、争いを避けるのも一つの方法です。)

(3)安全保障政策を持たない限り政権構想の連合には入れない

 それよりも、私が今思っているのは、共産党が安全保障政策を持たない限り政権を担う連合には絶対入れないと思います。(民進党との連合は不可能です)多くの国民は、アメリカに対する従属や自衛隊の海外派兵には反対していますが、「丸腰」になることには恐怖を抱いています。

 連合政権は、第一に安全保障政策の一致が前提になると思われますし、共産党以外の政党が、自衛隊の解散を前面に出した連合は組まないと思われます。軍拡に反対することは極めて重要ですが、「憲法に書いてあるから、自衛隊は解散する」という論理は理想主義・教条主義であり、国民の生命・財産をどのようにして守るかを前面に打ち出さない限り、政権を担える政党にはなれないと思っています。(共産党の得意な「安全・安心の政治」の根幹が問われています。)

 ここでも本日付赤旗は、「憲法を守ることと、国民の命を守ること、さらに国民的合意を重視することを同時に真剣に追及するのが日本共産党の立場です。」と書いています。これは自衛隊がなくても国民の命が守れる世界情勢が成熟した際には自衛隊を解散すると言っているのだと思います。


2. 藤野議員の問題

 この藤野政策委員長の発言を捉え、党は党の政策と違うと言って政策委員長を更迭しました。ここに現在の共産党の自衛隊問題に対する政策の変化が読み取れます。

 あなたは藤野議員の発言は何ら間違っていないと言われました。私もそう思います。HPに載せた「共産党 藤野政策委員長の更迭は正しいか?」の最後に私は「安保法制や憲法改悪は、明らかに自衛隊を人殺し集団に変えようとしている。この訴えを退ければ、共産党はこの戦いに勝てない。いつの間にか社会党が歩んだ道を歩こうとしている」と結んでいます。

 私は、この件(更迭)について異論を書いています。すでに読んでいただいたでしょうか?

 ★共産党 藤野政策委員長の更迭処分は正しのか?平成28(2016)年6月30日
   「この発言」はわが党の方針と異なる誤った発言であり、結果として自衛隊員の皆
  さんを傷つけるものとなってしまいました。(6月29日赤旗)

 ★藤野政策委員長の更迭は仕組まれた芝居    平成28(2016)年7月14日
   専守防衛でない海外での戦闘能力は認めないというのが共産党の基本的立場

 ★藤野政策委員長の更迭には「憲法と自衛隊」を如何に処理するかの問題である。 
                         平成28(2016)年7月18日
   共産党の政策を間違えて発言したと屈辱を与えて更迭したことは許せません。

 を書いています。

 ここで、共産党は何を言ったのか、「安保法制(戦争法)は反対だが、それ以外の既存の自衛隊予算には反対でない.」「藤野議員は自衛隊すべてを否定している発言を行ったから党の方針に反している。そして自衛隊の職員を傷つけたことをお詫びする」とまで言ってのけた。

 共産党の自衛隊に対する政策は、明らかに揺れ動いています。藤野問題のお詫びでは自衛隊問題について相当突っ込んだ主張(専守防衛の自衛隊の容認及び活用)をしていますが、27回大会方針は、今までの主張をそのまま載せています。

 しかし、本日付赤旗は、「自衛隊の『活用』と立憲主義」という記事を載せ、明らかに『活用』(容認)を前面に出しています。

3.栃原議員の除名問題についても私の意見を書いています。

 ★大阪府会議員の白紙領収書発覚事件について   平成28(2016)年11月21日

 これももし読んでおられなかったら読んでみてください。







 「民族民主統一戦線政府」を樹立へ  赤木 貴志
送信日時:2016/12/24 15:20:21

 投稿を歓迎していただく丁寧なご挨拶、ありがとうございます。
 自衛隊・連立政権をめざす問題、そして原発問題と、貴殿が危惧されている問題はいくつかあるようですが、私は、「科学的社会主義の党」として、必ず不十分な点を克服して、革新統一戦線を結成し「民主連合政府」を樹立、続いて、民族民主統一戦線へとその戦線を強化し、「民族民主統一戦線政府」を樹立することは、間違いないでしょう。(何年先になるかは、解りませんが!)
 
 私の上記3点を解する所を書かせてもらいます。
@自衛隊について
 これは、明確に憲法違反の組織です。そして、その予算(軍事予算)は、「人殺しのための予算」以外に何物でもありません。今の党の方針では、それは「矛盾」でしかありません。この「矛盾」をどう解決するのか。それは、自衛隊の解散ではなく、改組ではないでしょうか。例えば「緊急救助隊等の災害救援組織」として生まれ変わらせることです。
 「防衛」はどうするか。核兵器が使用されるような侵略であれば、自衛隊でも何でも、あっても無くても同じです。予想されるテロ等の脅威には、警察組織の秘密部隊で十分なのではないでしょうか。

A連立政権について
 なかなか、難しいと思っています。一番近い所で言えば、社民党なのでしょうが。これは、最後には「解同」が障害となる。民進党も、「連合」の障害がある。その前に、「第二自民党」のこの党との連立は、そもそもあり得ないというのが、良識ある方の見るところではないでしょうか。

B原発問題について
 即時ゼロ、全ての原発は廃炉の立場です。現在の科学では、「核」と人間の共存は不可能だと解しています。人間が、人間の手で制御できないものを、使用してはいけないと思っています。

 申し訳ありません。至極、端折って私の思いを書かせてもらいました。貴殿にとっては、不十分でしょうが、少しは私のことを、知っても貰えるかなって思っています。
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 自衛隊問題は、「自衛権」を認めるか否かが大切  エガリテ
平成28(2016)年12月26日


 投稿ありがとうございます。
 頂いた3点について、私の考え方を書いてみます。 

@自衛隊について
 自衛隊について憲法違反なのは、誰が見ても明らかです。しかし現憲法制定時共産党は憲法9条について、「自衛権」をも放棄するものとして反対しています。(野坂参三が国会で)(注1)

 まず「自衛権」をどう見るかです。最近本屋で産経新聞が出している共産党批判の本をチラッと見たのですが、そこには「共産党は自衛権を否定していない。権力掌握後自衛隊を解散し、共産党に都合の良い『赤軍』作ろうとしている」というようなことが、書いてありました。(これは完全なウソですが・・・)

 旧社会党は「非武装中立」であり、自衛権を放棄したような議論を展開してきました。共産党も冷戦時代は、どちらかと言えば、自衛権には触れず、戦争が起こる危険性がない、平和外交を推し進めれば、戦争は回避できるという立場をとってきました。

 その根底にあったのは、ソ連や中国、北朝鮮が社会主義国であり、侵略戦争を行うはずがない。という確信が前提にありました。

 ところがソ連が崩壊し、中国が急速に台頭し、また北朝鮮が核兵器やミサイルに頼る外交を展開し、日本をめぐる情勢が極めてきな臭くなってきました。この段階でも、平和外交で戦争が回避できるのか、共産党の立場性を明らかにする必要があります。

 現在、共産党は旧社会党が主張した「非武装中立」というような形で自国の平和は守れないという見方をしていると思います。その表れが、連立政権を樹立してもすぐさま自衛隊の解体には着手しないと表明しています。国民の多数が自衛隊の解散を望むまで自衛隊は維持し、「急迫不正の主権侵害や大規模災害など、必要に迫られた場合には、自衛隊を活用する」と言っています。

注1:「党は、憲法草案の採択にあたり、反対の態度を表明しました。大きな理
  由は二つありました。一つは、天皇条項が主権在民と矛盾したものであり、
  戦後の日本では、天皇制の廃止と徹底した民主主義の政治体制への前進が
  もとめられていたからです。二つ目に、党は、憲法9条のもとでも、急迫
  不正の侵害から国をまもる権利をもつことを明確にするよう提起しました。
   しかし、吉田首相は9条のもとで自衛権はないとの立場をとり、党は、こ
  れを日本の主権と独立を危うくするものと批判して、草案の採択に反対し
  たのでした」(『80年史』、83頁)。

 これは明らかに自衛隊の必要性を認識しており、自らの口では言えないので、「国民の多数がいらない」と言わない限り存続さすという、責任逃れの議論を展開しています。

 尖閣列島の問題が起こった際、ホリエモンは、「国土を持って国を認識するのは時代遅れだと言いました。すでにグローバルな社会になっており、資本でもって相手国を『侵略』しており、尖閣列島など中国がほしいのならやれば良い」と彼は言いました。このような立場に立てば、自衛隊も不要かもしれません。

 しかし、共産党は明らかに尖閣列島は日本のものであり、中国の一方的な軍事的挑発に反対しています。自衛隊の持っている力に依拠して中国と渡り歩くことを想定しています。(注2)北方領土の問題も同じです。戦争で奪われた国土が平和的に返還された例は皆無だと言います。ロシアは100%北方領土の返還を行わないでしょう。(領土問題は安全保障の問題と深くかかわっています)

 自衛隊を憲法違反だから「解体」するという方針は、同時に国土の問題でのいさかいは避ける。ホリエモンのいうように、「ほしいものは相手にやれ、日本は経済に特化し、相手国の経済に侵食し利益を上げることに専念する。」このような割り切りが必要です。

 自衛隊を「解体」して国民の安全が本当に守れるかの議論が必要です。(災害救助でなく安全保障の観点から見るべきです。)

注2:12月25日付赤旗赤旗13面【近畿】に面白い記事が載っています。「意見・
  質問そも場で回答」「共産党がチャット宣伝」という見出しで、記事を書い
  ていますが。その質問例が「中国との違いは?」「政治はよくなるの?」で
  す。見出しでこの質問を掲げながら、回答は一切載っていません。中国と
  の違いを前面に打ち出すべきですが、具体的には答えられない(整理できて
  いない)のが現状と思います。しかし、中国の軍事的挑発に明らかに対抗する
  必要性を認識し始めています。


B連立政権について
 野党共闘で、自民党の独り勝ちをつぶすことは可能だと思われます。その意味では、野党共闘は極めて重要だと思いますが、その後の連立政権は難しいと思います。社民党は一番近いですが、すでに国民の中での影響力を失っています。「解同」問題は現状ではネックにならないのではと思っています。共産党は知事選挙等を見ていても「解同」批判は一切行いません。この問題は過去の問題として、現在はあまり力を入れていないと思います。「解同」自体も全く力を失っています。沖縄での大阪府警の機動隊の職員が沖縄県民に対して「土人」発言を行いましたが、解放同盟の動きは全く見えません。

 民進党は寄せ集め集団であり、国民の立場に立った政治家も多くいますが、同時に自民党よりも右派的人物も相当います。選挙協力では共産党と手を握っても、政権となると簡単には手を結べない相手だと思います。

 現状では、民進党より自由党との連合の方が現実的ですが、自由党も国民的支持が少なく、連合できても政治的インパクトは小さいと思います。

 現状では政党間の連合は難しく、シールズ「SEALDs」のような市民運動が盛り上がれば、それとの共闘が一番政治を動かすと思っていますが、なかなか難しいとも思っています。

 自公の連立の今後の展開がどうなるのか、安倍首相が大阪維新を大切にし、公明党との距離が広がるのでは、あるいは、平和と福祉の党と言われた公明党が最後まで自民党と心中する気があるのか、創価学会の動向も含め、その辺も注目に値するのでは思っています。

B原発問題について
 核の問題は私も「即時ゼロ」の立場です。100年後にコントロールできるかもしれませんが、そんな話を今する必要は全くないと思っています。(共産党はお人よし集団です。100年後に必要になるかもしれないから、いまからそのことを言っておこう。嘘をついてはいけない。・・・誠実かも知れないが、政治家としては馬鹿です。)

 以上三点に対する私の考え方です。私も理論家ではありません。直感的に感じたことを書いています。政治は誠実でなければならないと思っています。そうした立場から発言しています。参考にしてみてください。-


   「共産党攻撃を目的とされていない」理解できる    赤木 貴志
送信日時:2016/12/18 16:51:58


 初めて訪問させていただきました。党への選挙戦術や原発政策への貴殿のご意見を、党は無視しているみたいですが、私にはその実態を知り得ることはできません。しかし、貴殿の上記のご意見に対し、少なからず納得する部分があり、そして、貴殿がためにする、共産党攻撃を目的とされていないことが理解でき、時間を見つけて読ませてもらおうという気持ちになりました。
 今後も、訪問させていただきます。よろしく、お願い致します。

  私の立ち位置を理解していただいてありがとうございます。 エガリテ
平成28(2016)年12月19日


 投稿ありがとうございます。
 共産党は野党連立政権への参画を夢見ています。その為には何が障害になっているのか、私なりにポイントを整理し提案しているつもりです。

 選挙戦術での最大の誤りは、「安全・安心」を前面に掲げていることです。「安全・安心」を前面に掲げるのなら、近隣諸国とどう平和共存を行うのかその道筋を語る必要があります。「民主連合政権を作り、憲法違反の自衛隊を国民の多数の賛成を得て解散する」という主張は私は無責任だと思っています。政治家は自らの信念を語るべきであり、「国民の多数が支持するなら」という前提条件は、「国民にゲタをあづける」ものであり、政治家として支持を得られなうと思っています。

 現在の「中国やロシア、北朝鮮」をどう見るのか、これらの国々が日本に戦争を仕掛けてこないのか、あるいはどうして封じ込めるのかその展望・道筋を語るべきです。

 話はコロッと変わりますが、昨日、今大ヒットしている「君の名は」を見に行きました。とても良い映画です。その中に主人公の女性のお父さんが町の町長さんであり、町長選挙で街頭演説している場面がありました。その演説の内容は「安全・安心」な町づくりでした。

 選挙戦で「安全・安心」の街づくりを主張するのは、すでに権力を握っている人です。挑戦者は「国民の要求が何かを具体的に把握し、その実現のために戦う」という立場を基調にしない限り選挙には勝てません。「安全・安心」を主張するものは「横綱相撲」立場にいる人です。

 「君の名は」という漫画の映画でも、政治の本質が理解されているのに、共産党はなぜわからないのかと改めて思いました。

 原発問題も同じです。すでに権力を握った政治家の視点で物を見ており、民主的利用が国民生活役に立つという立場から脱せません。何時権力を握れるかわからない時点で、権力をとった時にはというような瞑想はやめ、現実に国民がそのことで苦しんでいることに目を向けるべきです。

 共産党のいうように将来的には原発の利用が可能になるかもしれません。しかしいつの話か分からない話を念頭に置いて、現在の問題を議論することは馬鹿げています。どうしても「平和利用」がチラつき、現在の戦いに力が入りません。そのことが国民から見透かされるのです。

 そんなことをいつも考えています。


  「朽原議員の除名反対」   畑中 剛フアン さん
送信日時:2016/11/27 09:24:16


 朽原府会議員が政務活動費の流用事件で党は除名としたが非常に情けない話と言わざるを得ない。朽原家は父親時代から東大阪ではよく知られており貢献も大きかった。松井の恫喝により除名にすることにより保身を図るその共産党の体質に辟易する。勿論不問には出来ないが維新も政務活動費の流用を数多く起こしているにも関わらず維新の軍門に下り維新に屈服した姿は藤野発言で安倍政権に屈服し彼を不当に更迭した一件と根は通じている。共産党はかなり意気地無しの集団と化した。闘う姿勢を失った共産党に展望を見いだすのは難しい。

  私も反対です。問題の本質はもっと他ののところにある。 エガリテ
平成28(2016)年11月29日


 情報提供ありがとうございます。

 私は杤原前府会議員の功績がわからず断定的な言い方はできなかったのですが、実績があり、府民からも信頼が厚いのであれば、処分には一定の配慮が必要と思っています。

 共産党は何か問題を起こせばすぐに議員辞職させ、除名処分を行いますが、確かに正義感があり潔く見えますが、自民党などはできるだけ事件を起こした者をかばいます。

 国民がどちらの方を支持するのかは微妙ですが、仲間を守る、擁護するというのも人間味があり、支持される要素があるのではと思っています。

 問題があるものを問答無用で処分することは、トカゲのしっぽ切りのように見え、責任が自らに及ばないようにする、幹部の自己保身とも見られます。

 今回の事例では、大阪府の常任委員会は、最初は朽原議員に問題がなかったと発表し、党中央から詰められ、問題があったと見解を変えています。その際府の常任委員はその実態を知らず、府会議員団にその責任があると責任の所在を明確にしていますが、府会議員団 団長は、私も知らなかった、責任は朽原議員と東大阪地区委員会にあると主張しています。

 一般的に責任の所在がどこにあるのかは、やはり組織の長に責任は問われます。共産党の主張では、府の常任委員会も府議団 団長も「知らなかった」という言葉を使い、責任回避に努めています。この間様々な企業が不祥事を犯したときと同じ対応です。

 なぜこのような問題が発生したのか、党の側に弱点がなかったのか等何も明らかにされていません。2013年11月に日本共産党の相模原市議だった大田ひろし氏は、党への多額の寄付やカンパ(年間総額300万円超)が事実上強制され、生活に支障をきたしているとの理由で離党届を出すという事件を引き起こしています。

 今回の事件も、朽原議員が「住宅ローン等の支払いで生活が苦しかった。」と言っています。しかも大阪維新による歳費引き下げで苦しくなったと言っています。(ここが一番悲しい所です)

 一般的に言って、共産党は議員定数の縮小や歳費の切り下げには消極的です。これは各級の議員歳費が共産党の財源を支えている重要な収入源であるからです。アメリカやヨーロッパ等では、ボランティア的な議員も多いと言います。財政が厳しい共産党にはこうした提案ができないところが寂しいところです。(注1)

注1:週刊ポスト2014年8月8日号で大前健一氏は「地方議員はすべて無休の
   ボランティアにすべき」という提案を行っています。

    海外の地方議員は無給、もしくは少額の報酬や手当が当たり前である。たとえ
    ば、連邦よりも地方が強く、地方のことはすべて地方が自分で決られるスイスの場
   合、日本の市町村にあたる2889のコミューンでは、住民の代表が無給で議員を務
   め、行政的な意思決定をしている。彼らは農民や職人や会社員や商店主などで昼間
   は普通に仕事をしている人たちだから、議会は平日の夜に開かれる。そこで決まっ
   たことに住民は必ず従わなければならない。文句は言えない。それが「コミューン
   の掟」なのである。
    アメリカの場合、地方議員の年間報酬は50万円くらいで、議会はスイスと同じく
   平日の夜に開催される。イギリス、フランス、スウェーデンなども地方議員は原則
   無給である。欧米先進国の地方議会は、いわばマンションの管理組合の理事会のよ
   うなものであり、地方議員は地域社会のため、住民のためにボランティアで働くの
   が常識なのである。

 今回の事件は、単に朽原議員の議員辞職や除名で幕引きを図るのではなく、共産党の財政問題と議員活動の問題等の持っている矛盾をしっかり議論しておかないと今後とも同じような問題を引き起こし、国民から大きな批判を受けることは避けられないのではと思っています。

 参考:大阪府会議員の白紙領収書発覚事件について

 谷川Hさんの投稿に対する私の回答   エガリテ
平成28(2016)年10月31日

〇谷川H氏の投稿は、投稿者のモラルを欠いている。
  谷川Hさんの投稿については、必要なことについてはその都度回答しましたが、谷川H氏の投稿内容があまりにも常軌を逸していたため、回答せず保留していた部分があります。 
 三回の投稿をいただき、谷川H氏の主張が一定見えてきたので、改めて三回の投稿に対する回答を行います。これらは「『新版』第一回の投稿批判」というような名前を付け、前の回答と区別します。

  次回から三回の投稿文書を順次改めて批判していきます。投稿そのものは馬鹿げていますが、回答を整理する中で、当ブログの主張がより一層明確になると考えています。谷川H氏三回の投稿には相当厳しい批判を行っています。是非読んでみてください。
 谷川H氏の投稿を最初は老人の暇つぶしの投稿と思い侮っていましたが、これは右翼的潮流からの批判ではないかと現在は思っています。そこでこの谷川H氏の投稿に対して全面的批判を始めたいと思っています。)

〇谷川H氏批判文書(5回に分けて批判します)
 第一回は、なぜ谷川氏の「疑問?」に答えなかったのか。
  彼は回答不能に陥ったとか「認知障害」等と人を病人扱いし、自分が勝ったと喜んでいます。私は「当ブログの基本方針を他人から批判される道理はない」極めて失礼な珍入者に真面目に対応する必要がないと判断し、質問に答えなかっただけです。
  しかし、このブログの閲覧者の中で私がなぜ真面に応えないのか、不審に思っている方もあると思い、今回全面的に回答及び批判を始めることにしました。

第二回目の内容は、彼が求めていた回答です。
     彼の出した疑問に沿って回答を書いています。

第三回目の記事は、谷川H氏の第一回目の投稿に対する批判です。
    これは当初回答を寄せていますので、新版第一回投稿批判という題名にしました。ここでは彼は革新
 無党派を装いながら、実際は「全共闘派」だと指摘しています。
   また、彼の理論のねつ造がどのような手法をもって行われているかを解明しています。

第四回目の記事は。谷川H氏の第二回目の投稿に対する批判です。
     新版第二回投稿批判という題名にしました。
     基本的には、彼の詐欺的手法の話術の暴露を行っています。

 第五回目の記事は。谷川H氏の第三回目の投稿に対する批判です
      新版第三回投稿批判という題名にしました。

 追加投稿:谷川]H氏の「A」と「B」の矛盾論に答える

   この記事では、彼は共産党支持を装いながら、実際は右翼陣営の人だとの私の見立てを書いています。彼はその都度自分の立ち位置を変え、共産党の支持者なのか、共産党の批判者かで悩みましたが、それらは見当違いで、彼は昔「全共闘」、今は「右翼」というのが正しい評価ではないかとみています。
 上記五回に分けて掲載したいと思っています。相当な長文になっています。適当に読んでみてください。
 それぞれ文書が相当長いので、別のページに記載します。書き上げた物から順次掲載していきます。該当文書をクリックしてください。


 答えて下さい――「当ブログの矛盾」  谷川 Hさん
2016年 10月 18日(火)10:57 pm


同じ設問3回目

 新潟県知事選挙大勝利、応援に出かけ日数消化、歴史的たたかいでした。それで投稿が間延びしましたがせっかく始めた「討論」なので続けます。
 植田与志雄さんより関連投稿をいただいておりますが、まずは当ブログ主との「討論」を静観していただけるようお願いします。

( はじめに )
――投稿者の設問に答えない、当ブログ主(エガリテ)さんの態度について

 当ブログは「マルクス・レーニン主義」(以下、「M・L主義」とも記す)を「基本視点」にしているとあるので、この「討論の広場」に闊達な「討論」を試み私は初投稿しました。
 初投稿で「討論」テーマは、「当ブログの矛盾」です。
 この設問、ブログ主にとって大変シビアな内容のものだと思います。それ故、これに正面から答えるブログ主の返信を期待しました。ところが残念なことにブログ主の返信は、論拠を示したこの設問対して、わずか11文字答えただけでした。それどころか当ブログ主の返信文大半は、設問に関係ない情勢論の披露や初投稿者の私を評価するという内容でした。返信文に「M・L主義」の片鱗もなく粗暴なものでした。
 私は2回目の投稿を行い、そこで、「討論」に向き合わないブログ主の態度を批判、ブログ主はまず投稿者の設問に答えるべきであり述べたい持論があれば設問に答えた後に記すべきだと要望。
 そして、「討論」しやすいように設問には番号を付して投稿しました。
 ところがどうでしょう、2回目返信もまた1回目と同様、私の設問に対して数行で終わり、返信文面大半はまたも投稿者批判(的外れな)に費やすという非常識な内容のものでした。
 以上概要は、次のようにこの間2回の投稿表題からも見てとれるでしょう。

設問 ―― 「日本共産党批判と当ブログの矛盾」
返信 ―― 「野党共闘で自公政権を追い詰めることが重要」
設問 ―― 「当ブログは、変質した似非社会主義政党を支持している?」
返信 ―― 「自己の立場を曖昧にし、革新勢力に楔を打ち込む姿」

 以上投稿表題でも見れるように、ブログ主は投稿者の設問に向き合わないため「討論の広場」としながら「討論」が始まらない。当ブログ主は、気に喰わない設問には難癖をつけて答えようとしない人なのでしょうか?本当に疑われます。
 一般社会常識でも、自ら「討論の広場」を開設しているのですから、投稿者が設問したらまずそれに真っすぐ答えることは当たり前です。まして、「M・L主義」を云々するのであれば、史的唯物論による「階級闘争」の主側面の一つは「理論」であり、投稿者から投げかけられた設問に対して背を向けるとか「討論」テーマを逸らせるなどの行為はもってのほかでしょう。
 しかも、私の初投稿の設問テーマは、情勢論でもなく日本共産党論でもありません、設問テーマはズバリ、ほかならぬブログ主の基本スタンスの在り方を問う「当ブログの矛盾」です。それについて初回返信はわずか11文字、2回目返信も数行で済ませる当ブログ主の行為は批判されて当然です。
 実際は、当ブログ主は回答不能に陥っているのだと思います。私はそんな感想を持っていますが、いずれにせよそのようなブログ主の態度によって「討論」はまだ始まっていません。
 三度目の正直ということもありますので、2回のやりとりをふまえて設問した本題「日本共産党批判と当ブログの矛盾」について三度問うことにします。

 ブログ主(エガリテ)さんは、設問に対し今度こそ答えて下さい。

―――(尚、「新社会党・・共産党本部に『改憲阻止』共闘協議の申し入れ」についてなど本題から外れた当ブログ主コメントについては、別途投稿で批判します)

( 設 問 ・本 題 )
 「当ブログの矛盾」――― 当ブログは、似非社会主義政党を支持する?

 私は、当ブログ開設主旨説明をみて、そこに「矛盾」(初投稿で、AとBとの矛盾)があることを指摘し設問しました。
―――当ブログ基本スタンスにある「矛盾」
 「日本共産党最近おかしくないですか」のHP開設主旨説明に次のことが書いてあります。「当ホームページは、共産党の現在の問題点を指摘」。「その基本的視点は、マルクス・レーニン主義からの逸脱(国家権力と戦うことを忘れたという意味で)」。「あくまで共産党の躍進の課題という視点から見ています」、など書いてあります。
 そこに「基本視点」と「視点」という二つの「視点」がありました。で、その二つの「視点」の間にある違和感を覚え、私は説明を読み返しました。

 すると次のことがハッキリ見てとれました。
 1、最近の日本共産党の状態について、「おかしい」と当ブログ主は断定している。
 2、「おかしい」度合は、「マルクス・レーニン主義からの逸脱」としている。
 3、その「逸脱」内容について、「国家権力と戦うことを忘れた」の意味だ、とわざわざ念を入れて説明。

 ブログ主による、以上の定義が妥当だとすれば、「国家権力と戦うことを忘れた」政党ということですから御用政党の類でしょう、そのような政党は人民にとって何の価値もない政党であり、「共産党」を名乗る資格は当然ありません。ところが、当ブログは、

 4、「あくまで共産党の躍進の課題という視点から見ています」と書いてある。

 上記1,2,3において『完全におかしくなった共産党』に対し、当ブログ主は正常とは言えない特別の郷愁にでもとらわれているのであろうか、4、において「あくまで・・躍進」を願うという表明を行い、それを当ブログの基本スタンスとして説明している。
 これは矛盾という外ありません。「おかしい」のは当ブログ主ではありませんか?
 A(上記1,2,3)とB(4)は、「基本的視点は、マルクス・レーニン主義」において完全に矛盾しています。
初投稿において、大まか以上のことを私は設問しました。 

―――当ブログ主旨説明(矛盾)をもう少し吟味します、

 日本共産党は、日本を社会主義社会にすることを目的にしている政治結社で、その闘争の理論的指針は『マルクス・レーニン主義』(「科学的社会主義」と同義)であると宣言していることは周知のことです。
 しかし、当ブログ主は日本共産党の実態は「M・L主義」から逸脱したと評価し批判している。では、そのブログ主の批判に妥当性があるのかどうか?
 そのことの可否は、日本共産党の行っている実際を検証して明らかになることです。が、当ブログ主は自ら党員だった実践経験と「基本視点」による認識において、現在の日本共産党は「マルクス・レーニン主義からの逸脱」状態にあると規定しています。それが当ブログの「基本視点」による認識規定です。その規定が正しければ、日本において伝統ある有力な社会主義政党が変質、喪失したことになりますから、日本の政治史上で決定的大問題といえます。
 「逸脱」は、本筋から別に逸れ外れることを意味します。本筋から逸れれば迷走しどこに行くかも分からない沼地にはまり頓挫もある、すでに目的地への展望を喪失した状態です。まして、論じているのは革命闘争の問題、階級敵との激烈な闘争の真っ最中にその先頭に立つことを自覚していた部隊が、こともあろうに「国家権力とたたかうことを忘れ」闘争の本道から「逸脱」したというのです。その闘争は挫折する運命に陥った。
 「逸脱」「共産党」は、巧妙な敵の罠にかかってしまったのでしょうか。イヤ、送り込まれた何者かの手引きによる「逸脱」かも知れません。または最高司令官と本部がたたかいに疲れて楽な道でもあるかと逸れたのかもしれません。いずれにしても階級社会からの人民の開放という社会的実践における、情けなく決定的不幸な事態の話です。
 当ブログ主のいう「逸脱」とは、「M・L主義」の「基本視点」から述べればそのようなことを指します。

 そしてこの「M・L主義からの逸脱」について、ブログ主はわざわざ「(国家権力と戦うことを忘れたという意味で)」と念を入れて説明しています。――つまり、その「逸脱」の性質は部分的「逸脱」や一時的「逸脱」ではなく、「国家権力と戦うことを忘れた」という革命運動で本質的・根本的な「逸脱」状態であると念を入れて当ブログ主は説明している。これは、ブログ主が日本共産党について決定的な状況規定を行ったことになります。

 革命闘争の直接的課題は、「国家権力」を革命勢力が奪取する闘争のことです。最終的にブルジョアジーによる国家支配を終わらせるために労働者階級と人民が国家権力を掌握してそれを実現していくたたかいです。
だから、そのことを一番理解している「国家権力」を握るブルジョアジー支配勢力は、革命運動を昼夜命
がけで攻撃、労働者を搾り上げ頭を擡げないように屈服させ、「M・L主義」と革命政党・革命的統一戦線運動を攻撃し分断策動をする。支配勢力は、それを効果的に行うための常とう手段として革命的労働運動の内部に労働官僚を育成しスパイをも送り込み、革命的階級闘争を挫折させようと策動している。そのように教えているのが「マルクス・レーニン主義」の史的唯物論、階級闘争・革命闘争論です。

 ブログ主によると、伝統ある社会主義政党・日本共産党が「国家権力と戦うことを忘れた」『M・L主義から逸脱』したということですから、それは今述べた階級闘争の最中に引き起こされた事態であると認識しなければなりません。
 そうした事態のことを「M・L主義」では「日和見主義」と呼びます。当ブログ主旨説明の内容を以上のように吟味すれば、“日本共産党は、右翼日和見主義に転落した”と規定したことになります。

 ブログ説明―――「忘れた」と表現した当ブログ主の大きな誤り

 「マルクス・レーニン主義からの逸脱(国家権力と戦うことを忘れたという意味で)」。これが当ブログ主による、日本共産党を評価した記述です。
 しかしそもそも、「国家権力とたたかうことを忘れた」革命政党などあろうはずはありませんのでので、実際どうであるかについては、本当に日本共産党が「おかしい」のかそれとも当ブログ主の認識が「おかしい」のか、そのいずれかの問題です。

 しかしハッキリしていることは、
 「国家権力と戦うことを忘れた」日本共産党と表現する当ブログ主の「忘れた」とする記述は間違いです。
 「忘れた」のではないでしょう。その党は「日本共産党」を名乗り、社会主義を目指すと言い、今も最高幹部の一人である不破哲三が「党科学的社会主義研究所所長」を名乗っている通り、彼らは「忘れた」のだとする当ブログ主の見解は明白な間違いです。彼らは自信と確信を表明してその態度をとっています。
 私は今回の投稿に当たって少し調べてみましたが、日本共産党は最近も「党綱領の生命力」を堂々宣伝しています。彼らは彼らの路線に確信をもって運動しており「忘れた」状態などでは全くありません。
 かりに、日本共産党本部に対して“貴方たちは今や国家権力とたたかうことを忘れた政党である”と言ってみなさい、必ず猛反撃されるはずです。だから「忘れた」とする当ブログ主の認識は、完全なる誤りです。
 それでは、
 当ブログ主の認識の誤りはどのような内容のものか?

 「国家権力」との闘争は革命運動の根本課題であり、革命政党の使命です。それを当ブログ主は、日本共産党の「逸脱」を「国家権力と戦うことを忘れたという意味」と説明している。

 どのくらい「忘れた」期間が続いているのでしょうか?
「忘れた」?誰が?それを正す人もいないでその状態が続けば「忘れ続けている」となり、やがて「もうすっかり忘れてしまった」「そんなこともあったっけ」という風にもなるものですが、それは激烈な階級闘争の真っ最中での話です。ですから、当ブログ主の表現である「忘れた」は、状態を表す言葉としては「国家権力とたたかうことはもうやっていない」「やめた」の方が状態表現としてより近いのではないでしょうか。
 しかし、問題はその程度のことではありません、

 日本共産党は実際には「党綱領の生命力」を説いています。しかし、それにもかかわらず当ブログ主は、日本共産党の現在について「マルクス・レーニン主義からの逸脱(国家権力と戦うことを忘れたという意味)の状態であると規定しています。このことから、次のように書き表すことができます。

―――日本共産党は「党綱領の生命力」をもって「マルクス・レーニン主義からの逸脱(国家権
力と戦うことを忘れた)」のである。―――

 これが、日本共産党の主張と当ブログ主の主張を併記合わせた文章となります。
つまり、日本共産党は彼らの確信において「マルクス・レーニン主義からの逸脱」し「国家権力と戦うことを忘れた」となります。
 ということで、日本共産党は、敢然と「マルクス・レーニン主義からの逸脱」をはかった政党でありながら「共産党」を名乗る、つまり似非社会主義政党、社会主義運動を内部から骨抜きにする有害な政治潮流である。と規定できます、似非社会主義政党の標本として「中国共産党」がありますが、そんな潮流の「躍進」を願うというバカもないでしょう?

 よって、当ブログの基本スタンスの再検討が必要なのではありませんか?
と、以上のことを、私は初投稿より書いて、貴方に設問してきました。貴方は、2回目返信の冒頭で私に対して「あなたの主張の根幹は『変質した似非社会主義政党を支持している?』この一言に尽きます。」と批判して書いているのですが、馬鹿げたことです。
 初投稿を読めばわかる通り、もとより私はそのことを書いてそのテーマで設問したのであって、貴方にある認知の歪み「確証バイアス」が邪魔して素直に読めなかっただけのことでしょう。
 「討論の広場」でありながら、投稿者の設問にまっすぐ答えない貴方なので、今回3回目も同じ設問なんです。
 「マルクス・レーニン主義」を「基本視点」に置くという当ブログが、国家権力との闘争を放棄した「似非社会主義政党」の「躍進」を願うなどという、実に、「当ブログは『おかしい』」という設問(日本共産党の評価ではなく、当ブログのスタンスを指摘した設問)です。

―――エガリテさんの「基本視点」と「実践の優位性」の問題
 付随して、当ブログの基本スタンスについて一言。
 「基本視点」は「マルクス・レーニン主義」だそうですが、その理論・思想の柱はマルクス主義の経済学、哲学としての弁証法的唯物論、そして階級闘争理論としての史的唯物論です。革命運動の武器としてのこの理論・思想の「基本視点」において、人間の社会的行為で最も生き生きしたものは「実践」であるとされています。
 そうであるならば、日本共産党の「躍進」を願うエガリテさんであれば党員として「実践」することが「基本視点」から生ずる行為でならねばいけないのではありませんか?
 郷愁から「躍進」を願い、中途半端に「批判」する当ブログ主のスタンス、そんな風にみえますが、その辺も、当ブログのスタンスと「基本視点」との矛盾に見えます。

※ 長文になりましたのでここで止めますが、
―――当ブログ主は2回目返信において、「日本の革命政党にとっては日本共産党は、打倒すべき対象である」と、私が主張しているかのように書いていますが、貴方の思考レベルが現れた文章のようです。  革命運動内部で発生した日和見主義の潮流にどのように対応していくか、私はそのような考えにはありません。長文になりますのであしからず。


 私は他の共産党批判と差別化を図るために、「より国家権力との戦いを」という意味で書きました。 エガリテ
平成28(2016)年10月21日


再三の投稿ありがとうございます。
 貴方の投稿は自らの立場を明確にせず、私の主張を一方的にねじ曲げ投稿され、自分の作り上げた屁理屈に回答せよと迫られています。私は議論をするにもルール(礼儀)というものがあると思っています。 まず相手の立場を尊重し、その上で自分の疑問をぶつけるのが通常の姿だと思っています。今まで多くの方から意見を頂きましたが、皆さんそのような対応をされてきました。
 ただ、ひとりだけ、アルジェリアでの日本人労働者の殺害事件の際、私が殺された人の遺体が日本に帰国された際の赤旗の「人質」という表現は無神経と批判した際に、「殺されて当然」と言うメールをくれた方がいます。 
 この方は紳士的な人でしたが、私のHPの討論のあり方として「殺されて当然は」受け入れることが出来ないと何回かの議論の上にお断りしたことがあります。注1

注1:    殺されて当然!                         ○○ ○○さん  
                                     平成25(2013)年4月17日
 私は「極左」であり、あなたのような中道左派とは大きく意見を異にすると思いますが、書かせてもらいます。
 『無神経な赤旗記事―「人質9人無言の帰国」という見出し』という貴殿の記事に反論します。
 アルジェリアにいた日本人会社員は、アルジェリアの資源を人民から強奪しようとしていた帝国主義侵略者であり、アフガニスタンやイラクに派遣された自衛隊員や外交官と同様に、殺されて当然です。
 「帝国主義侵略者は殺されて当然であり、多く殺せば殺すほど喜ぶべきだ」という意識を人民がもたなければなりません。 

 貴方のやり方は、討論ではなく、人の家に土足で上がり込み刃物を振り回している姿の様に私には見えます。「私(貴方)の主張が正しいのだから、私に屈服せよ」と迫っておられます。これでは議論にならないので、私は貴方にまともに対応していないのです。
 今回の三回目の投稿で貴方の主張の片鱗が私も初めて分かりました。貴方の基本的スタンスは現在の日本共産党を評価する立場から、私のブログを攻撃されていることが・・・これも私の推測にすぎませんが。
 それならそれで素直にそのことを書くべきです。あなたの投稿は(私(エガリテ)の主張から導き出す結論だと断られていますが、「疑似社会主義政党は、共産主義・社会主義の名を使って階級闘争の理論と闘争内部から歪めて革命運動を挫折される極めて有害な潮流です。現在の日本共産党はその役割を演じているのではありませんか?」)と書かれています。
 さらに疑似社会主義政党とその有害性については、中国共産党と中華人民共和国の実態がその分かりやすい見本となっている。違いますか?と書かれています。
 この主張から、貴方が中国共産党の腐敗堕落と日本共産党の実態をだぶらせ日本共産党を批判されていると思いました。中国共産党は私も全く評価していません。日本共産党に「中国が社会主義国」であるという評価をやめるべきだと主張しています。
 私には貴方の政治的基本的スタイルが未だに判りません。貴方は何を主張したいのですか。もう少し自分の考え主張を素直に表現されたらいかがでしょうか。(共産党を叩きたいのか?それとも共産党を擁護したいのか基本的スタンスを明らかにされていません。)
 ただ、今回貴方の主張が私なりに一定見えてきました。基本的には、私が「日本共産党を攻撃しているのが気に入らない」と言うのが貴方の態度だと思っています。(これについても貴方はまた違うと言われると思いますが)
 無内容な討論をこれ以上続けたくありません。そこであなたの疑問に合わせた回答を書いていきます。
 私のブログは、「日本共産党最近おかしくないですか」この出発点は【3.11】東日本大震災に後の一斉地方選挙に際して、「原発再稼働反対」を共産党は方針として掲げるべきだと主張しました。(共産党は「安全優先の原子力政策」でした)大震災に見舞わられ、原発がメルトダウンしている状況での共産党の方針はあまりにも間が抜けていました。この主張を日本共産党中央本部、大阪府委員会、高槻・島本地区員会に意見書と言う形で13通送りました。しかし、党中央本部は「選挙戦の総括ができしだい、回答する」という一度回答を回答を行いましたが、大阪府委員会は「私の意見書を受け取ったという回答がほしい」という要望すら一切無視しました。高槻市の共産党は一度家にきてくれましたが、「ウソをついて弁明」しただけで、私の出した質問には何ら回答を寄せませんでした。
 この際、私は私の愛した共産党がこのような態度を取られるなら、私は批判に回らざるを得ない、少なくとも意見書を受け取った。今後の参考にしたいぐらいの回答はもらえないかと哀願しましたが(私に共産党の批判をさせないでくれ・・「回答さえくれれば批判しない」と言いましたが)、完全に無視されたことから始まります。
 これが「おかしくないですか」の原点です。(この意味は市民感覚からずれていませんかです。)おそらく日本の政党の中で市民対応において最も遅れた対応をしているのではないか?政権を担おうとする政党が国民の意見を全く封殺するのは、社会主義の負の遺産を日本共産党も持っているのではないかが私の出発点です。
 そして大阪ダブル選挙が始まりました。この場合の共産党の基本的スローガンは「安全・安心・やさしい大阪」でした。私はこの共産党のスローガンは、戦いのスローガンではない(「階級的な視点が全くない」)と批判しました。(警察の「安全標語」と同じではないか?あるいはこれは当選した知事が所信表明で使う言葉だと批判しました。)この選挙の結果は歴史的敗北でした。統一戦線方式を取りながら、共産党単独で闘った票よりも後退するという惨敗でした。私はこの敗北の原因が、敵を明確にしない戦い方にあるとみています。
 新潟での選挙は戦いの争点を明確にしています。ここに勝利の原因があると私は見ています。

○他の共産党批判サイトとの区別を図るのが目的
 このHPは以上のような背景から立ち上げました。その際、共産党に対する批判は極端な反共主義によるものが多く、私も反共主義者だと批判され、その中身をしっかり読んでもらえないことを危惧し、共産党の躍進を願う立場からの批判を行うため、反共主義ではなく共産党の批判を行う立場を明確にしました。 その立場が、共産党は革新の統一戦線こそ求めるべきであり、味方を固めることが大切だと主張し、同時に敵を曖昧にし、「保守との共同」などと言う路線を求め始めた共産党に対する警鐘の意味で、「敵を曖昧にしてはならない」というのが私の最大の主張でした。
 貴方は、共産党は綱領を守ると言っているから、今も昔も同じだという議論をなされていますが共産党の綱領の核心はアメリカ帝国主義と日本独占資本主義が日本国民を苦しめているというのが最大の特徴でしたが、現在では綱領改定が行われ、この主張は葬り去れ、今では、前綱領の「二つの敵:アメリカ帝国主義と日本独占主義」は「二つの異常」に言い換えられ、その言葉も「異常」や「害悪」や「ゆがみ」に変質し、さらに二つが三つになったり二つになったり、揺れ動いているのが現状です。(敵はなくなりました。・・・国家権力と闘うという姿勢は後ろに追いやられました)
 共産党26回大会では、革新の統一戦線という言葉を使わず、「政党戦線においても、日本共産党との連合の相手が必ず出てくる(注2)と、私たちは確信するものである。そのさい、私たちの連合の対象となる相手が、従来の保守の流れも含む修正資本主義の潮流であることも、大いにありうることである。日本共産党は、社会主義・共産主義の日本を展望する党だが、当面する変革の課題は、資本主義の枠内で「二つの異常」を正し、「国民が主人公」の日本への変革をはかることにあると考えている。」(26回大会決議引用)

注2:この相手は、社民党や新社会や民進党を想定したものではなく、「従来の保守の流れをも含む修正
   資本主義の潮流」を指しています。この間の政治情勢の中で原発反対の運動や安保法制反対の闘
   いの中でSEALDs(シールズ)等の市民運動が起こり、この市民運動が主導して野党共闘を求め、野
   党の統一戦線は広がりましたが、26回大会での共産党の主張は保守との共同にあったと私は見て
   います。

 貴方は現在の共産党の方針をどの程度理解されているのか私には分かりませんが、貴方の文書を読む限りにおいては、共産党は一直線に社会主義革命を目指していることを前提にした議論を立てておられるように見えますが、日本共産党は現状では、「資本主義の枠内で『二つの異常』を正し、『国民が主人公』の日本への変革をはかる」としており、私もこの路線を基本的には支持しますが、この路線が行き過ぎ、例えば労働組合の賃上げ闘争等でも、最近は企業と闘うのではなく、大企業の保有する内部留保の一部を分けてくれという闘争に変質している。(中小企業ではどう戦えば良いのか方針が無い)
 「二つの敵」と闘うための革新の統一戦線を放棄し、保守との共同に足場を変えつつある現状を批判したのが、「国家権力と闘いを前面に押し出さず」という事を「忘れた」という表現を使っただけです。
 私の書いた文書はこのHPの中に沢山あります。その主張を読んで頂ければ貴方の主張が成り立たないことが判ると思います。あなたのやっていることは単なる揚げ足取りであり、その議論に未来が全く見えてきません。
 貴方は、共産党は批判してはいけないという立場ですか?私は党の各級機関が私に取った態度を見て、このやり方では絶対に国民に信頼されないと思いました。国民からのいろんな批判を組み入れてこそ政党は成長するものだと思っています。反共ではない共産党の批判は、共産党は歓迎すべきであって、それとの闘いの中で成長すると私は思っています。中国共産党は権力を掌握していますから、人権活動家などを大量に逮捕しています。この思想は崩壊の始まりです。(注3)

注3:全国規模で始まった。人権派弁護士らの一斉拘束事件
   中国の公安当局は2015年7月9日以降、王宇氏や李和平氏ら著名な弁護士や関係者を相次いで
   拘束。 
    香港の人権団体によると計300人以上が連行され、弁護士9人を含む20人以上が重罪の国家 
   政権転覆容疑などで逮捕された。ほかに1人の消息が不明だ。当局は「弁護士らが一般的な事件を
   政治化し、反政府感情をあおり立てた」(国営新華社)としている。この弾圧では、2016年6月8日ま
   でに248人の人権派弁護士や活動家が標的にされています。中国当局は、18人を正式に逮捕、そ
   の内14人を国家の安全に関わる罪で起訴しました。(朝日デジタル 2016年5月26日00時49分)

 日本共産党もこのままでは、権力を握った際に批判の自由を認める度量は無いのではと心配しています。
 共産党に取って私のHP等痛くも痒くもないかもしれませんが、公式に攻撃をかけてこないのは、共産党も言論の自由が大切だと思い始めているからだと思います。弾圧すればその跳ね返りが強いことを意識していると思います。そうした共産党の思想が育つよう私は挑戦を続けています。しかし決して打撃的批判にならない様の気を付けているつもりです。(さざなみ通信は、私と力量も影響力も全く違いますが、締め付けが行われたと聞いています。・・・私の基本的立場はさざなみ通信と似ています。)初期のさざなみ通信は素晴らしい論文を多く出し、一定の政治的影響を与える勢力になるとみていましたが、ここ数年は完全に掲示板を維持しているだけで、さざなみ通信としての方針が語られなくなりました。掲示板の議論は荒れ放題になり、結局は閉鎖に追い込まれています。

 このHPの主張は私の思いであり「私の夢」です。65歳の時にこれを決心し、75歳までこれを貫くゆもりです。何も変化は生まれないかも知れません。しかし少しは、影響を与えていると思っています。当初の目標は10年間で10万の閲覧を目標にしていましたが、現在すでに73000人を超えています。今年戦われた大阪の地方選挙箕面市や和泉市の選挙では開票日とその翌日で1600件位の閲覧がありました。私がどう見ているかのフアンが増えつつあることは重要です。討論の広場には、掲載不可の人からも沢山情報を頂いて」います。
 大きな県の県会議員だった人や、現職の地区員もメ−ルをくれています。さざなみ通信が記事の更新をやめたことで、ますます私のHPの役割は増えています。
 貴方がどのように批判されても貴方の自由です。しかしこのサイトはすでに社会に認知され、多くの人が私の主張に賛同してくれています。
 貴方がその中に屁理屈をこね回しても、存在できる場所はありません。このHPは私が運営しており、私の趣旨に賛同する人たちでいろいろ議論をしようとしています。仲間を求めているのです。意見の違いは排除しませんが、もともとこのブログが気に入らないという主張にまで付き合っていられません。(さざなみ通信は管理が出来ずつぶされています。)
 あなたが他の所で自由に批判されたら良いと思います。現状でも私に断らず、私に記事を引用し批判されている方もおられます。それは自由ですし反論する気にもなりません。
 貴方の様に私の編集方針に問題がある(友好的な批判なら歓迎しますが)打撃的批判は歓迎しません。しかも自分ではさも理論的だと思っておられますが、全く屁理屈の理論であり、その生産性を全く感じません。冷静に自分の行っている行為を客観的に見てください。

PS:ここまで書いても貴方はまだ「私の疑問に答えていない」と主張されると思います。貴方の議論は「自
  分の書いた絵」に私がまいりましたと言うまで同じ主張をつづけられると思っています。そこであなたと
  同じ論理で私も貴方に迫ってみたいと思います。(これを読めばあなたのやっていることの誤りが判り
  ます。)
   貴方は私の事を「妄想癖」「認知障害」「歪み症状」が出ていると批判されています。そもそも討論相
  手にこのような批判を行う事はその批判者の人間性を表しており、同時に人権侵害でもあります。
   それは置いておいても「認知症」と批判した人に対して難しい論議を吹っ掛けることは明らかに「イジ
  メ」ではないですか?貴方の文書は完全に論理矛盾を行っており、その回答を求めます。「認知症」の
  老人から何を引き出そうとしておられるのですか?(貴方の理屈は破綻しています。この矛盾を説明し
  てください)
   相手に対して「認知症」という悪罵を投げつけることは、人権侵害ではありませんか?沖縄での警察
  官の「土人・シナ人」発言とどこが違うのですか?

    次に私は貴方が共産党を似非社会主義政党と認識され、社会進歩の障害物、邪魔者と捉えてお
   られるという判断から、貴方の投稿を間違っていると批判しました。
    貴方は今回の投稿で、私の「この認識が間違っている」と批判されています。しかし、貴方の文書
   を読んで投稿していただいた植田氏もやはり貴方の状況認識を私と同じ視点でとらえられています。
    私は「認知症」だから読み間違えたと貴方は批判されるかもしれませんが、植田さんはこの世界で
   は名の売れた相当な理論家です。その彼も貴方の主張を私と同じ立場で認識されています。(ただ
   似非社会主義の評価は違いその役割は評価されていますが)
     これは貴方の議論のやり方がフェアでないからです。自己の立場を明確にせず、屁理屈をこね回
   し、相手を錯乱し、「認知症」とレッテルをはり、自己の勝利感に酔うという典型的なブログ荒らしの
   愉快犯的な投稿です。
    貴方から、これら私の質問に対する明確な回答が無い限り、これ以上の議論は行いません。

PS:貴方は私のこの文書に対してまた答えていない。あるいは私が聞いていないことを答えていると騒
   がれると思いますが、私の文書は貴方の投稿を見て、そうだなそういう考え方もあるなと思われる方
   もあるかと思いその人たちの疑問に答える形で書いています。
    このHPを立ち上げてから相当日数もたっており、あなたの批判のタイミングで、私のHP参加者に私   の思いを知ってもらうためにも書いています。
 

  谷川Hさんへ、
     このブログの基本的スタンスについて  植田 与志雄さん
送信日時:2016/10/04 14:18:22


◆谷川Hさんへ、このブログの基本的スタンスについて           2016.10.04 植田与志雄
 私はこのブログの読者です。
*社会主義に関してエガリテさんと少し異なった考えを持っていますがこのブログを応援しています。

 そのあたりのことを少し書きます。
 ソ連は崩壊したけれど、まだ社会主義の理念の中には尊重に値するものがあると思っていて、そういう意味で「社会主義」の再建を願っているものです。しかし、社会主義のあのような悲劇的経験を知れば、「社会主義」の深いレベルでの見直しが必要なことも明らかだとも思っています。
 そしてそのような探究は多くの人々の英知を集めた共同作業となると思いますし、このブログもそのような共同作業の場の一つと思っています。これがこのブログの基本的スタンスではないでしょうか、エガリテさんの真意もここにあると推測します。
 複数ルートからまだ見ぬ頂上を目指す集中登山のようなもので、頂上へ達することができないルートをそうとは知らずに辿ることもあるでしょうし、頂上に着いたら、資本主義よりもさらに非人間的な世界だったとなる危険な頂上であることもあるでしょう、そういった探究を共同で、もちろん異なった意見を認め合った上で、すすめることが大切と思います。

 今回の議論はたまたま共産党の評価をめぐって意見が分かれていますが、今求められているのは社会主義像の見直し的探究でしょう。ですから谷川Hさんが共産党のことを社会主義から逸脱した似非社会主義と評価するのは問題ないですが、社会進歩の障害物、邪魔者というのは言い過ぎでしょう。谷川Hさんのイメージしている「社会主義」が障害物となって似非社会主義のほうが進歩の側にあるかもしれません、まだだれも分からないのです。「社会主義運動の側からは、日本共産党は革命運動における「日和見主義集団」とか、時に「裏切者」の烙印も押される」と言うのもどうかなと思います。共産党にそのような烙印を押す社会主義運動もあるでしょうが、そうでない社会主義運動もあっていいでしょう。社会主義は伝統的社会主義から似非社会主義まで、あるいは今は保守の流れにある人々までもが合流する、来るべき社会を探究する運動として初めて再建できるのではないでしょうか。社会主義の再点検、再探究ですから各自の社会主義像は持ったままでも共同作業に参加するべきです。
 敵対でなく探究の友として互いに意見の浸透とブラシュアップを図ればいいのです。他者への50%の敬意と50%の否定、自己への50%の固執と50%の懐疑と否定を持って仲間づきあいをすべきではないでしょうか。

*もう一点、「エガリテさんは基本視点に矛盾がある」とする谷川Hさんの批判が腑に落ちません。
 批判の中心はここですよね「変節、堕落して似非社会主義党となった共産党の躍進を願うのは矛盾している」。でもエガリテさんは共産党が道を外しそうになっているから「立ち直って正しい道を歩むことで躍進してほしい」と言っているのです。私にはそう読めます。共産党が変節した似非社会主義党なのかは別に議論すべきですが、それは措いたとしても共産党への批判と立ち直っての躍進を期待することは両立するでしょう。道を外れつつある共産党をそのままで躍進を願っているのではないです。党を批判しつつ立ち直っての躍進を期待する、ちっとも矛盾していない、ごく普通のことと思います。
 念のために言えば私は共産党の変節を必ずしも否定的には見ていません、ここはエガリテさんと少し違うところですが大きな問題ではないです。前記共同作業で出てくる一コマに過ぎないと思っています。

 谷川Hさんの意見に対する討論を広げていただいてありがとうございます。 エガリテ
平成28(2016)年10月4日

 植田さんの投稿を読ませていただき感心しています。私は喧嘩早い方で、すぐに相手の狙いは何かということを考えてしまいます。共産党の打倒が日本の政治にもたらす影響を考えた場合、戦争できる国づくりへ一層向かうことは明らかです。残念ながら社会主義は相当先の課題になってしまったと思っています。
 現状での最大の課題は、革新の統一戦線を築いていくことだと思っています。安倍政権の推し進める軍国主義化を阻止することなしに、日本の民主化は勝ち取れません。
 そのような情勢の中で、安倍政権の軍国主義化の危機を感じながら、社会主義建設にとって共産党の打倒が大切だという論理こそが最大の論理矛盾であり、このことに気づかず、私のブログの論理矛盾を突くという大上段からの論議の仕方が、私には全く理解ができません。
 対応が分からず、批判を批判で返すような主張になってしまいました。植田さんの問題提起が討論の幅を広げていただき、他の方からの議論が生まれれば、面白くなると思います。
 今日は時間がなく、これで失礼します。

変質した似非社会主義政党を支持している ?  谷川 Hさん
送信日時:2016/10/01 23:16:55


 ブログ主様、通りすがりの私の投稿文(9/22付)でしたが掲載、返信されてあるのを拝見しましたので往信します。

はじめに、
「討論の広場」におけるブログ主の返信の在り方について、
ブログ主にお願いしておきますが、ここは政治や理論について討論する場でしょうから、投稿者が投げた問いや質問についてはキチンと返答し、関連した持論があるのでればその後に記述するという姿勢とルールが互いに求められるのだと思います。そのことは当ブログの「基本視点」が「マルクス・レーニン主義」だというのですからなおさらのこと、理論問題は階級闘争の主要側面の一つであり理論問題の討論において論点をずらすことなく正面から向き合うことを要求します。
 その点で、貴方の返信文は、下記に記す通り、残念ながらそのようなものではありませんでした。
 それで、今回は最初にその問題からはじめ、討論を具体的にするために番号を付けて論点とし、それを率直に書きます。

一、投稿者の問いに向き合わない貴方の姿勢と返信内容に見る問題。
 貴方の返信(9/)内容を一口で評すれば「確証バイアス」の典型と言えます。それでは討論になりません、まずはその問題を述べて、討論が有益ななるよう改善を求めます。
 @ 貴方は、私の設問に向き合いませんでした。
 私の投稿文表題は「日本共産党批判と当ブログの矛盾」でした。これに対し、貴方の返信表題は「野党共闘で自公政権を追い詰めることが重要!」であり、表題をみてわかる通り、貴方は情勢論を述べて私の設問に向き合いませんでした。

 私の設問は、―――当ブログ主旨説明には基本矛盾がある。それは、“AとBの矛盾”であると指摘し、その根拠を具体的に述べて設問し、従って、文末にて「当ブロの・・・スタンスの再構築が求められているのではないでしょうか」と、当ブログのスタンスがもつ基本矛盾について問うたものでした。
 それは貴方にとって大変シビアな設問であるので、その根拠については丁寧に書くことに心がけ少々長文の投稿文にもなりました。
 ところが、貴方の返信はその私の設問に対して「この指摘は誤っています」と、たったわずかの11文字で済ましてしまった。その返信コメントを裏付ける根拠については何一つも述べないままに貴方はそうしたのです。それが当ブログの「基本視点」の実態かと唖然ともしました。

 A 貴方の返信文の大半は、私の設問に関係のない、貴方による社会党などを批判した情勢論でしたが、そこでまた驚いたのが、当ブログに初投稿者である私についての評価について書いてある、しかも何の根拠もなくブログ主の勝手な憶測によりてだらだらと書いてある、次のようにです。

 ―――「私は昔より政治では革新無党派、若いころは活動を通して社青同向坂派・太田派、民青同盟の彼らたちと等距離で付き合っていました。」との私の投稿文の記述をとりあげてブログ主は「あなたは社青同高坂派・太田派に心情的共鳴を得られたことが分かります。」と誤字(※高坂派でなく向坂派でしょう)を交えて私にレッテルを貼りました。しかし、私のその文章のどこにそのようなレッテルを貼る根拠が見え出せるのでしょうか?第三者が読めば一目となる、首をかしげたくなるブログ主の妄想癖のなせる業が現れている。 次もそうです、
 ―――「若いころの社青同高坂派・太田派に対する郷愁から、共産党憎しで共産党の没落を願うような貴方の姿勢は、」と、これも根拠を記述しないままブログ主は私にレッテルを貼っています。憶測による他者へのレッテル貼りですが、こうなるともはや認知障害、歪み症状が出ているほどのものになっています。

 私はその投稿文で、社青同(また民青同盟)についての評価を1行も書いていません。また共産党批判した部分は、6月30日付のブログ主自身の投稿文に書いてあるブログ主による日本共産党批判に合わせてコメントした程度のもので、それ以外の項目を上げて共産党批判はしていません。ですから、その文面内容から“「共産党憎し」の貴方”であると非難される筋合いはありません。その共産党批判は貴方自体がやっている話ではありませんか。
 しかしもし、私がそこでしたコメントが問題であるというのであれば、貴方はそれを具体的にとりあげてその是非を批判すればよいだけのことですが、しかし貴方はその作業を一つもしていません。

 以上のように、根拠を述べず憶測を基に“「共産党憎し」の貴方”という私へのレッテル貼りであり、挙句に私の設問テーマに関係ない持論披露という貴方の返信文です。このような文章癖の原因には、精神科学では認知の歪みの一種「確信バイアス」の歪みがあると言います(※)。

 ―――ブログ主は「私は社会党という政党は良く知りません。その中での社青同がどのような役割を果たしたのかもよく知りません。」と言いながらも、返信文の大部分を社青同、社会党、解同、民主党などについての体験を交えて評価し、優位は共産党にあるということを書いて終わっている。が、そのような評価などは私の設問と何の関係もない、別の話だったのです。

(※)確証バイアス
 自分の願望や信念を裏付ける情報を重視・選択し、これに反証する情報を軽視・排除する心理的傾向。個人の先入観に基づいて他者を観察し、自分に都合のいい情報だけを集めて、それにより自己の先入観を補強するという現象である。

 以上の経過を述べて、本題に入ります。

 私の前回投稿文について、「この指摘は誤っています」と書いた貴方ですが、その根拠を一つたりとも述べていませんので討論はまったく進行していません。貴方のその主張の正当性を証明するために、改めて必要な討論作業を行ってください。それは、私の指摘と設問根拠について「基本視点」に立ってその論理性の可否を述べることです。

 そのため前回投稿の設問要点を改めて列記します。

二、“当ブログ主旨説明がもつ基本矛盾”―――求められるスタンスの再構築
 ―――似非社会主義政党に変質した日本共産党を支持するブログなのか?

 「日本共産党最近おかしくないですか」HP主旨説明には、「当ホームページは、共産党の現在の問題点を指摘し・・」とあり、その「基本視点は、マルクス・レーニン主義からの逸脱(国家権力と戦うことを忘れたという意味で)」としてあり、また「あくまで共産党の躍進の課題という視点から」であると、ブログのスタンスが書いてある。
 そこで質問します、

1、そこで貴方が「忘れた」としている日本共産党の状態を書いたその記述表現は正確ではなく誤りですね。
 そもそも、“「国家権力と戦うことを忘れた」革命政党”などは存在しません。
 その「忘れた」は事象を正しく表現したものではなくただ貴方の表現にすぎません。現在日本共産党は「共産党」を名乗り、不破哲三が科学的社会研究所所長で「マルクスとともだちになろう」などと宣伝している通り、日本共産党は革命政党であることを標榜しています。従って「忘れた」とする貴方の表現は根拠がなく誤りです。

2、日本共産党の「マルクス・レーニン主義からの逸脱」状態は、上記1の通り、その「逸脱」は「忘れた」どころか、党は明確な意思に基づいてその状態にあるとするのが正しいでしょう。
 「忘れた」のではなく、貴方の言う「逸脱」は日本共産党の確信的「逸脱」行為とすることが妥当でしょう。
 貴方の言葉を入れて表現すれば“確信的行為として「国家権力と戦うことを忘れた」状態”となる。つまり正確に書き直せば、『国家権力と戦うことをやめた(あるいは放棄した)』日本共産党である、となります。―――そうしたことを称して、一般的には「路線転換」したと呼び、階級闘争のスタンスにおいては「変質」「変節」したとか呼ばれるようです。
 以上から、日本共産党は「マルクス・レーニン主義からの逸脱」をはかり「変質」した政党である、ということになりますが違いますか?

3、上記から、「マルクス・レーニン主義からの逸脱」をはかり「変質」した政党でありながら「共産党」を名乗り「マルクス・レーニン主義」を説く潮流の問題、それを当ブログの「基本視点」によって立論すれば、革命運動の内部における「修正主義」の潮流・似非社会主義政党の問題として論ずることとなります。違いますか?

 似非社会主義政党は、共産主義・社会主義の名を使って階級闘争の理論と闘争を内部から歪めて革命運動を挫折させる極めて有害な潮流です。現在の日本共産党はその役割を演じているのではありませんか?

4、似非社会主義政党とその有害性については、中国共産党と中華人民共和国の実際がその分かりやすい見本となっている。違いますか?
 中国の国内路線は、社会主義をめざしたものではなく「マルクス主義」と正反対のプラグマティズムによる(ケ小平の「生産力論」に代表される)「国家資本主義」路線であり「共産党」の看板と組織機構は多民族国家を統治支配するための都合のよい道具として大資本家と国家官僚の利権支配の装置となり、その対外路線は、露骨な自国利益優先主義に貫かれ『経済成長』につれて大国主義・覇権主義を露わにし始めている。その延長線は「社会帝国主義」となる。
 閉塞する資本主義世界からの脱出の道を求め模索する世界の人々の前に、その中国の実態は、「資本主義の方がまだマシ」と思わせるに充分の好材料となり、世界と日本のブルジョアジーの蛮行を助長、「万国の労働者団結せよ」のたたかいの重大な障害物となっている、、中国とその党は社会主義運動から変質・堕落した見本です。

5、「共産党」を詐称した似非社会主義政党は、体制党であれ在野党であれ社会主義運動からは放逐すべき潮流でしょう。その潮流に向き合って「あくまで共産党の躍進・・」とするのであれば、当ブログは自らの「基本視点」により「修正主義」の烙印を押すことになるのではありませんか?

6、以上から、―――当ブログは「基本視点」に基づいて、基本スタンスの再構築が必要なのではありませんか?

 青年期に革新無党派を自称した私は、社青同や民青同盟の仲間が革新統一でスクラムを組むこと願い、互いに批判し合う彼らと論戦するために史的唯物論、弁証的唯物など必死に勉強したものです。そうした目で現状の政治の荒廃を見ながら書いているのであって、、、貴方の勝手な言いがかりであるところの「社青同・・に対する郷愁」などをもってこれを書いているのではさらさらありません。
 社会発展の原動力としての階級闘争の「逸脱」問題を曖昧にして、時評を行うことなどは「基本視点」が揺らいでいる証ではありませんか?

  自己の立場性を曖昧にし、革新勢力に楔を打ち込む姿 エガリテ
平成28(2016)年10月2日


 あなたはいろいろ回りくどい言い方をされていますが、あなたの主張の根幹は、「変質した似非社会主義政党を支持している ?」この一言に尽きます。
 あなたが言いたいのは、日本共産党は「革命政党」であると言っているが、実際は「革命政党ではなく、革命を目指すものからすれば、革命の妨害分子でしかない、日本の革命政党にとっては日本共産党は、打倒すべき対象である」というものだと思われます。(注1)

注1:あなたは今回の往信で「根拠を述べず憶測を基に“「共産党憎し」の貴方”という私へのレッテル貼
   りであり」と書かれていますが、その舌の根も乾かない中で「似非社会主義政党は、共産主義・社
   会主義の名を使って階級闘争の理論と闘争を内部から歪めて革命運動を挫折させる極めて有害な
    潮流です。現在の日本共産党はその役割を演じているのではありませんか?」と書かれていま
   す。この文書ほど共産党を侮辱した文書はありません。あなたの主張からすれば言ってもないこと
   を私が言ったということですが、それが事実なら、私はすでにあなたの「本質」を見抜いていたという
   ことになりませんか?
    ついでに言えば、あなたは「私はその投稿文で、社青同(また民青同盟)についての評価を1行も
   書いていません。」と書かれていますが、あなたの文書には、「昨年の安保法制デモで、社青同で
   バリバリの活動家だった親しくしていた知人と数十年ぶりに再会し盛り上がった、社会党解散後彼
   は新社会党で活動してきたという、彼曰く、十年以上前に衆参両院で憲法調査会が設置された頃こ
   れは大変なことになると共産党本部に「改憲阻止」共闘協議の申し入れを行ったが共産党は屁理屈
   で応じなかった、不破哲三やと志位とか連中の「統一戦線」なんて口先だけで実際は民主党に色目
   を使っていたのだ、今を見てみろ、共産党も市民団体の後塵拝するありさまじゃないか、と辛らつ批
   判だったが、当然ですね。」という行があります。
    ここまで書けばあなたが社青同と民青同盟との中間に存在したとはどうしても受け止めることはで
   きません。あなたは明確に「社青同」に旗を揚げておられます。
    さらにあなたは、私が上記二点(「共産党憎し」、及び「心情的社青同派」)について述べたことに対
   して「憶測による他者へのレッテル貼りですが、こうなるともはや認知障害、歪み症状が出ているほ
   どのものになっています。」という悪罵を投げかけられていますが、よくあなたの文書を読んでくださ
   い。あなたは、これらについて明確に述べられています。あなたこそ自分の書いた文書を忘れられて
   いるのではありませんか?
 
 あなたは、自己の主張の本質を隠すために「青年期に革新無党派を自称した私は、社青同や民青同盟の仲間が革新統一でスクラムを組むこと願い、互いに批判し合う彼らと論戦するために史的唯物論、弁証的唯物など必死に勉強したものです。」と述べ、あたかもあなたが社・共の革新統一を願っている立場から投稿されているような装いをこらしています。
 あなたの本質を最も表しているのが、あなたが中国共産党を批判している行です。「万国の労働者団結せよ」のたたかいの重大な障害物となっている、中国とその党は社会主義運動から変質・堕落した見本です。つまり日本共産党も中国共産党と同じく、「『万国の労働者団結せよ』のたたかいの重大な障害物になっている。」というのがあなたの根本的主張です。(これも言っていないと主張されるかもしれませんが、文脈からあなたの結論はここにあると読み取れます。)
 このようにあなたが考えることはあなたの自由ですが、この「自分の考え方に同調しないこのブログはとんでもない」という主張は、あなたの思い込みであり、その主張を押し付けられても受け止めることはできませんと回答(前回)したつもりです。

 あなたは、自分の事を、「社青同向坂派・太田派、さらには民青同盟の仲間」と言われていますが、日本共産党を革命運動の中で打倒目標にしているのは、中核派や革マル派など、昔の全共闘に結集していた人たちです。(あるいは右翼的政治潮流がやはり打倒目標にしていますが。)あなたの主張する「似非社会主義政党は、共産主義・社会主義の名を使って階級闘争の理論と闘争を内部から歪めて革命運動を挫折させる極めて有害な潮流です。」は、社青同向坂派や太田派の流れを組む社民党もそのような立場を表明したことがありません。(今日、日本の主要な政党が共産党の打倒を目標に掲げた事はありません。このような主張は民主主義に反し、日本の政党としては生き残れないと思います。)
  あなたは自己の政治的立場を明確にせず、あたかも自分が、社・共統一戦線支持派のような顔をして、私のブログに意見を出されていますが、まず自己の政治的立ち位置を明確にして発言すべきです。その不誠実な態度に対して、私は「回答」を行っています。

  あなたは自己の主張、「日本の革命運動にとって『日本共産党』を打倒することが最大の課題である」ことを主張するため、自己の立場を偽装し、私のブログに対して「イチャモン」を付けているだけです。私がブログをどのような立場で書こうとそれは私の勝手です。同時にあなたが「日本共産党の打倒こそが、日本革命の展望を切り開ける」という主張をするのも自由です。
  ただ、自己の主張をしたいがために理屈にもならない理屈をつけて、さも「私は理論的に議論を展開している」と主張されても、私から見れば再考にも値しない屁理屈だと思われます。
  このブログは、題名にもあるように、日本共産党が革命政党としての根幹を逸脱しないように、批判し、本来共産党はこうあるべきだという私の思いを書き綴ったものです。あなたが言われるような「基本スタンスの再構築が必要なのではありませんか?」は、大きなお世話です。あなたがそのような主張を行いたいのであれば、自分でHPを立ち上げ宣伝を行えばよい話です。
  私はあくまで「日本共産党最近おかしくないですか」というスタンスで、国民の中に情報発信を行おうと考えています。ですから個々の選挙戦でもなぜ敗北したかを分析し、こうすればもっと戦うことができるという課題を積極的に提案しています。
  この間の大阪府下の市議会選挙(箕面市・和泉市など)の投票日その翌日には、1500人ぐらいの閲覧があります。私がこの選挙戦をどう評価しているかを見たいという人がいるということに確信をもって書き続けています。
  最後に失礼ですが、あなたの文書からは、前向きな話が全く見えてきません。あなたが、革新の統一戦線を如何にして構築していくかという議論をされるのであればお付き合いしますが、あなたの議論から伝わってくるのは、単に私をやり込めよう(あるいは日本共産党を卑しめる)という熱意だけです。

  日本共産党批判と当ブログの矛盾     谷川 H
送信日時:2016/09/22 22:18:17


  私は昔より政治では革新無党派、若いころは活動を通して社青同向坂派・太田派、民青同盟員の彼らたちと等距離で付き合っていました。社共が分断されていく辺りになると仕事漬けとなり政治は脇目で眺める生活となりました、いまは完全退職し毎日が日曜日お金はないが時間はたっぷり。今の日本はあまりの政治荒廃、改憲が取りざたされる社会の曲がり角にある、そんな問題意識でネット探訪もしていましたら当ブログも一見、そんな通りすがりの者ですが一筆献上します。

 ブログ主には大変失礼なタイトルを書きましたが、それが記事にふれた率直な感想です。「日本共産党最近おかしくないですか」HP主旨説明「当ホームページは、共産党の現在の問題点を指摘し、その克服を・・」とあります。しかし、その説明には根本的に相対立する次の二つの内容が混、矛盾が現れていました。

 A、批判する「基本視点は、マルクス・レーニン主義からの逸脱(国家権力と戦うことを忘れたという意味で)」
 B、「あくまで共産党の躍進の課題という視点から」

 これ、ブログ主さんの気持ちは何かわかるような感じもするのですが、完全に矛盾(Aの「基本視点」とBの「視点」の対立)したことが書かれてある。それは肝心なことが整理されていないためです。 
 Aの問題―――「国家権力と戦うことを忘れた」は『革命闘争を忘れた』と書けます。しかし、革命政党が革
          命闘争を「忘れ」て運動することなど現実には絶対ありえません。もしそうならば彼らはアホ集
                   団で相手にする価値もありません。日本共産党は「革命闘争を忘れ」たということではないで
                しょう。その証拠に、日本共産党は「共産党」の看板をつけたままで外しません、不破哲三も
          科学的社会主義研究所所長の名前で講演をしている通りです。それ故、その「逸脱」事象
          を「忘れた」と記述しているブログ主の認識表現は不正確です。肝心なことは、その「逸脱」
          事象の性質についてキチンと吟味する必要があるのです。その「逸脱」は、一時的な健忘症
          的な「逸脱」か、それとも確信的意思による「逸脱」であるのかについてです、
           繰り返しながら整理しますと、「国家権力と戦うことを忘れた」共産党とは、『階級闘争を忘
          れた』『革命闘争を忘れた』共産党と書けますが、その場合「忘れた」のではなく明確な意思
          に基づき「放棄した」共産党と評価することが妥当です。そうした状態のことを一般的には“共
          産党は路線転換して「変質」した”“共産党は既成政党になった”などと言います。そうなると
          、社会主義運動の側からは、日本共産党は革命運動における「日和見主義集団」とか、時
          に「裏切者」の烙印も押されることにもなるでしょう。 私たちの青年時代はこの種の話で盛り
                     上がったものです。
 
 Aの「基本視点」にみる結論―――「国家権力と戦うことを忘れた」日本共産党は、「共産党」を名乗っては
                     いるが階級闘争を放棄した似非社会主義政党である。故に、当HPの
                     主旨は「マルクス・レーニン主義」の「基本視点」に立って似非社会主義
                     政党となった日本共産党を批判する。
                      という具合になるのが合理的な説明になろうかと整理できます。

 そうしますと、Bの問題―――「あくまで共産党の躍進の課題という視点から」というB「視点」では、当ブロ
                 グは「あくまで」似非社会主義政党の「躍進の課題という視点から」設立してい
                 るという具合になり、「国家権力と戦うことを忘れた」集団の仲間入りしているとい
                 うことになり、当ブログはAの「基本視点」により批判対象となる運命となります。

 問題の本質―――「共産党」の名を語り共産主義を説く似非社会主義政党の問題。当ブログの立ち位置
            の矛盾は、この似非社会主義政党の見方について整理されていない点から起こっていま
            す。
 
 似非社会主義政党の大きな特徴の一つは、社会主義・共産主義の名を用いて実際は社会主義革命運動の理論の核心を骨抜きにする有害な役割を演じると言われてきました。そのような集団の「あくまで・・躍進の課題」を論ずるなど愚行でしかありません。そのために、具体的事例をあげてみましょう。

―――現在の中国、似非社会主義・中国共産党
 現代資本主義の展開はグローバリゼーション、強欲資本主義の矛盾は噴き出すもそれを制御する国際的な力は形成されず資本主義による被害はとどまるところがありません。この状態は世界の社会主義運動の立ち遅れがそれを許す結果になっているのですが、社会主義国を標榜するのであれば決然としてそれらと対峙し、自国の社会主義建設事業を通して社会主義の優位性を世界に示し世界の労働運動や平和や民主主義の運動を激励連帯する役割をはたさなければいけません、初期のソ連のようにです。
 ところが、似非社会主義政党が国家運営をするとどうなるか。ソ連は崩壊しました。現在では、大国中国・中国共産党の実態がその生きた見本になるでしょう。中華人民共和国憲法は中国の社会主義建設を謳いその指導党として中国共産党を書き込んであります。その実践の数々は「社会主義」とは名ばかりの醜態と堕落であり、その様子は高度に発達した資本主義国日本に住む広範な日本人に知られ、嫌社会主義・嫌共産党を生み出し続けているではありませんか。それが似非社会主義政党・中国共産党がもたらしている現実です。昔より日本の支配階級は拍手喝さいを送ってきました。
 こうして似非社会主義政党の実態は、グローバリゼーションの現代世界においてクッキリ浮かび上がっています。「国家権力とたたかうことを」やめた似非社会主義政党は、敵前で社会主義運動を内部から腐食して台無しにする有害な潮流です。史的唯物論・階級闘争の「基本視点」では、その党がすでに国家権力の側に位置しているか資本主義国の在野政党であるかに関わらず、革命運動とその事業を「共産主義」の名前を使って腐食させる有害な集団であると、名指しして批判します。

 現在の日本社会は、曲がりなりにも形式民主主義のある社会ということになっていますから、表面からみれば階級闘争の現れ方は武力闘争とは違い特に死亡者が出るわけでもなく緩慢に見えるでしょうが、本質的に激烈な闘争状態にあります。日本社会は歪み、大企業は史上最高利益を毎年更新する現象に対し国民世帯貯蓄率はここ十数年で急下降しOECD中で下位に大転落、青年層の半数が非正規雇用状態におかれ結婚の夢も持てないなどという悲惨な実態がつくり出されている。つい最近の安保法制強行に見るように、支配勢力は自ら生み出した矛盾をかき消して突き進むために凶暴性を露わにして挑んでいる激烈な情勢です。
 この激烈な階級闘争において、「国家権力と戦うことを忘れた」共産党ということですから武装解除して横道に逃亡した党ということす。

 「討論の広場」も拝見したところ、6月30日付表題「私も共産党の躍進を願っています」とブログ主さんの記事があり、やはり「あくまで共産党の躍進」が当ブログの立ち位置だということが確認されました。が、「基本視点」により自己分析が求められているのではないでしょうか?

 ついでに、6月30日記事についても一言、
 「人材不足・・これは長い間の党運営の失敗」「党組織そのものがガタ・・どのように立て直すか」などとありましたが、それは普通に言って「没落」といい、トップと基本政策が根っから間違っているからそうなる。団体や企業であればすでに社会的有用性に価値がない、不良債権団体として第三者に管理され競売にかけられたたき売られる運命でしょう。似非社会主義政党の方針が現実に通用せずボロボロガタガタになっている状態、救いようはありません。
 「修正資本主義の潮流」とありますが、現日本共産党が修正資本主義の潮流の代表事例の一つでしょう?不破哲三がヨーロッパのネオ・マルクス主義に染まったという評価をみましたが、どう
もそれが正解のようです。実際やっていることは民進党、社民党、生活の党とほとんど変わりません。天皇制擁護勢力になったのには私はもう口あんぐりでした。
 「革新統一」の言葉が書いてありましたが、現在の日本共産党の方針からはその用語は使われていませんね。調べて驚きましたが、かつての「革新三目標」も「共同三目標」とかに変更されています。「革新」とは、保守勢力に対決する革新勢力の結集基準を表した用語でしたがそれが消えている。最近の青年の皆さん方は「革新」という言葉を知っているのでしょうかと、今回思った次第で驚きでした。
 昨年の安保法制デモで、社青同でバリバリの活動家だった親しくしていた知人と数十年ぶりに再会し盛り上がった、社会党解散後彼は新社会党で活動してきたという、彼曰く、十年以上前に衆参両院で憲法調査会が設置された頃これは大変なことになると共産党本部に「改憲阻止」共闘協議の申し入れを行ったが共産党は屁理屈で応じなかった、不破哲三やと志位とか連中の「統一戦線」なんて口先だけで実際は民主党に色目を使っていたのだ、今を見てみろ、共産党も市民団体の後塵拝するありさまじゃないか、と辛らつ批判だったが、当然ですね。

 当ブログの「基本視点」に基づく、スタンスの再構築が求められているのではないでしょうか。
 

  野党共闘で自公政権を追い詰めることが重要! エガリテ
平成28(2016)年9月24日

 投稿ありがとうございます。

 あなたが書かれた情勢分析「日本社会は歪み、大企業は史上最高利益を毎年更新する現象に対し国民世帯貯蓄率はここ十数年で急下降しOECD中で下位に大転落、青年層の半数が非正規雇用状態におかれ結婚の夢も持てないなどという悲惨な実態がつくり出されている。つい最近の安保法制強行に見るように、支配勢力は自ら生み出した矛盾をかき消して突き進むために凶暴性を露わにして挑んでいる激烈な情勢です。」という認識は一致しています。
 「この激烈な階級闘争において、『国家権力と戦うことを忘れた』共産党ということですから武装解除して横道に逃亡した党ということす。」というこの指摘は誤っています。
 あなたが書かれている「若いころは活動を通して社青同向坂派・太田派、民青同盟員の彼らたちと等距離で付き合っていました。」という記述から見れば、あなたは社青同高坂派・太田派に心情的共鳴を得られていたことが分かります。しかし、この政治的潮流は日本の民主化の戦いの中でどのような役割を果たしたのですか、この集団こそ政治の表舞台から姿を消し、現在、影も形もありません。まさに運動を根本的に間違ってきたからではないですか。
 私は社会党という政党を良く知りません。その中で社青同がどのような役割を果たしたのかもよく知りません。しかし、私が就職した市役所での社会党の人たちのはたしてきた運動はずっと見てきました。大阪の自治労は組合の幹部から多数の市会議員等が生まれましたが社会党の市会議員から保守に立場を変えてきた者や、政党を渡り歩かなくても、議会で労働者の生活改善については全く発言しない議員を見てきました。
 大阪府下の自治体では、部落解放同盟の行政に対する不当な介入と戦うことが重要な課題でしたが、社会党は、解放同盟員の組織的加入で組織を乗っ取られたような状態でした。
 大阪府下で言えば谷畑孝氏という議員が部落解放同盟推薦で社会党の議員でしたがその後自民党を経て、現在は大阪維新の会の議員になっています。摂津訴訟で一躍有名になった井上一成議員も社会党副委員長までした人でしたが、(1995年に村山改造内閣で郵政大臣として初入閣しますが)、その後民主党、自由党、保守党さらには自由民主党と渡り歩いています。(井上一成氏も部落解放同盟推薦議員と言われています。)
 日本の民主主義の運動が現在困難に陥っているのは、社会党の変質が最大の問題点です。私の選挙区では社民党の辻本清美が頑張っていましたが、今は民進党の辻本清美です。そういう意味では社会党の運動を「社会民主主義」というのであれば、社会民主主義を標榜する運動がほとんど壊滅したところに日本の民主主義の危機はあるのです。

 共産党が我々の学生時代と違い、相当右傾化している点は問題ですが、現在の日本の民主主義を守る運動を担えるのは、政党では共産党以外にありません。この間の大阪の衛星都市の現状を見てください。社民党の議院はほとんどいなくなりました。新社会も大阪ではほとんど勢力はありません。民進党もすでに野党第一党の座を共産党に奪われています。(注1)

注1:大阪の主だった都市での民主党や社民党新社会の議員の数
   大阪府会議員の会派別人数は、大阪維新42人、自民25人、公明15人、共産3人、
  民進1名、大阪市会議員の会派別人数は大阪維新37人、自民20人、公明19人、共産9
  人、その他1(大阪府議会・市議会では、旧社会党の流れを組む議員(?)は、大阪
  府会議員の民進党1名だけです。社民党や新社会党は1名もいません。民進党ですら
  大阪市議会では0名です)  
  ◎衛星都市では
都市名
民進党
共産党
社民党
新社会
高槻市
※4〜5人
4人
0人
0人
吹田市
0人
7人
0人
0人
豊中市
2人
6人
1人
0人
枚方市
3人
4人
0人
0人

 各市役所のHP会派名に各議員の政党名を入れない所が多く、実態は良く分からな
  い。例えば高槻市では、「民進党・元気ネット」に6名いるが、その内何人が民進党
  員か不明。高槻市は比較的民進党が多いが、吹田市は壊滅的(?)社民党は豊中市に
  1名、新社会は皆無(?・・おそらく大阪全体でもそうだと思われる。)

 政治はリアルに現実を見ることが大切です。日本を再び戦争できる国にするか、それとも憲法の平和主義を守り、近隣諸国との平和共存で、国民の基本的人権を守る国づくりを行うためには共産党のさらなる躍進が必要なことは明らかです。
 失礼ですが、若いころの社青同高坂派・太田派に対する郷愁から、共産党憎しで共産党の没落を願うようなあなたの姿勢は、日本の政治改革には何も役立ちません。
 私の大雑把な感想ですが、なぜ社会党は没落し、共産党は何とか踏みこたえているのかの差は、国民大衆の中にどちらが根を下ろしていたかの差だと思います。私の働いていた役所でも社会党系の人は出世していきましたが、共産党系の人は実力があっても昇格せず生涯一職員として退職していった者がたくさんいます。この誠実さと真面目さが、国民から共産党が支持されたにに対して、社会党系は、解放同盟や大学を物理的に解体するような過激な学生運動を支持し、国民大衆の中に根を下ろしてこなかったため、それら過激な運動の衰退とともに崩壊していったと見ています。
 

 テレビで、共産党出演者の非論理性を嘆く!!     木下 優雅
送信日時:2016/08/07 14:17:41


 8月5日深夜(6日)の朝まで生テレビを見て、余りにも情けなく感じました。論客がいないのかと。改憲反対派から、あのソーリーソーリの民進辻元氏や塾長司法試験予備校講師伊藤弁護士がいたからまだ救われたが、私の親父曰く正森さんらがいた頃は良かったという言葉ではないけど、共産党を代表して出ている議員は弁護士の伊藤真氏のように理路整然とこうこうこうで憲法改憲に反対だ、こうこうこうでそれは違憲だ、それらは憲法を変えなくても法律で出来ると声高らかにどうして主張できないのか。風呂の浴槽内で屁をこくが如くブクプク言っているだけじゃ視聴者に何も伝わらない。
 昔共産党は我が党のことはマスコミに取り上げられないとか言っていたけど、この様にテレビに出れているんだから言うべきこと主張すべきことを毅然と声に出せ。
 それとテレビに出るのなら自分の党の理念、個々の事案に対する政策、その他全てを日々研究し、あの御用評論家の80歳を過ぎた司会者を論破せよ。共産党に期待するゆえに言いたい!!

 「ディベート力のなさ」は、党の組織体制の問題点から来ている。 エガリテ
平成28(2016)年8月14日


 投稿ありがとうございます。

 私はこのテレビ番組を見ていないので、具体的には言えませんが、常々同じことを考えています。
 確かに私が若かった頃は、上田耕一郎氏がほぼ準レギュラーでこの番組に出ており、縦横無尽に活躍されていました。彼が参議院選挙で勝利した際、「『朝生ファミリー』の上田耕一郎氏当選した」と司会者が喜びをもって紹介した際、政治的には共産党を否定していても、上田耕一郎という政治家を認めているのだと思い、上田耕一郎の偉大さを実感した思い出があります。
 最近は、共産党の議員が出ていても、「だから共産党はダメなのだ」とこの司会者が良く突っ込みます。これは尊敬の念が失われています。この司会者が年を取ったのか、あるいは政治的に右傾化したという人もいると思いますが、私は共産党のディベート力の低下が根本にあると思います。
 商業マスコミですから、やはり「絵になる人」を重視します。そういう点では、辻本清美氏は達者であり、この番組で重宝がられています。私は辻本清美の選挙区に住んでいますが、辻本清美の活動力は共産党の10倍はあるように見えます。政治家とは何かを知り尽くした政治家だと思います。(小池百合子氏もそうですが・・・)
 なぜ、共産党はディベート力を失ったのか、それは党の組織原則が大きく影響しています。議員個々の発言は認められておらず、すべての議員は党中央の方針の宣伝工作隊に過ぎないからです。自民党や民主党はそれぞれの議員の顔が見えます。それぞれが自分の主張を持っています。それに対して共産党は、あの人は党内左派だとか右派だとか、あるいは、革新統一戦線派だとか、保守との合同派だとか何も見えてきません。
 共産党は政党の在り方として、これが本来の姿であり、これが正しいのであり、他の政党は近代政党としての体を成していないと主張しますが、国民が政党に対して何を期待しているかから政党の在り方を議論すべきだと思っています。
 今回の東京都議会選挙で小池百合子氏は党の方針に反して立候補しました。自民党は「小池百合子氏を応援するものは、本人だけでなく家族であっても処分する」と言いながら、選挙が終われば、安倍首相が小池首相に会い、「仲良くやっていきましょう」と話しかけ、小池氏の自民党除名は無いように見えます。
 この「ヌエ」的な存在の自民党に対して、国民の批判は強まっているでしょうか、国民は自民党の懐の深さにあきれながらも、それを承認しているのです。これはその政党のドタバタ騒ぎが国民の前に開示されており、いくらだらしなくても安心できるのです。
 一方選挙戦の最中に、共産党の藤野政策委員長が、テレビの政治討論会で、自衛隊の予算を「人殺しの予算」と指摘したことで、共産党はすぐさま藤野政策委員長を更迭し、党の主張の正当性を担保しようとしました。この処置が党内及び国民に歓迎されたのでしょうか、私はそうは思いません。
 各級機関の共産党員は、党の政策をあやまって語った場合、何時でもその職責を失うという前例を示してしまったのです。その昔須藤五郎議員が部分的核実験禁止条約の国会での批准に対して、党は反対の姿勢をとっているのに、賛成の立場で発言した際、当時の宮本委員長は「役者がセリフを間違った」と言いましたが、ここに共産党の「議院感」の本質があると思われます。議員それぞれの個性を認めずあくまでも党の政策を忠実に実施する役者に過ぎないという思想があります。
 上田耕一郎は大幹部であり、そのときその時の課題に対して受け答えする技量も権限もあったための面白かったのですが、現在の議員は、党の政策を一字一句間違えてはならない、党官僚であり(政治家ではない)面白くないのです。
 国民が期待しているのは、それぞれの議員の個性であり、その主張です。議員が信念に基づきその主張を行っているから支持するのであり、党の政策責任者が、「党の政策を十分知らず誤った主張をした」というような官僚体質全開の政党の姿には魅力を感じません。


      策責任者の件(2)        元党員 B
送信日時:2016/07/15 22:06:00


丁寧にご返答いただき、ありがとうございます。

1.私の感覚では、「人を殺すための予算ではなくて・・・」発言は、相手をカッカさせて討論の主導権を握るための挑発です。その意図がないのなら、「殺し・殺されることにつながる予算」くらいで十分です。ディベートの訓練もしないで討論会に「政策責任者」として出席させ、与党関係者を「100万票減るぞ!」と歓喜させた任命者の責任は重大と思います。結果的に失言に終わったわけですから、一票一票積み重ねている党員や支持者の努力を考えても、「政策責任者」として辞任はやむを得ないでしょう。(次項をお読みになって、私が常識外れだとお感じになったとすれば、きっとそうなのだと思います。ある程度自覚しています。) 「辞任」か「謝罪」かを除き、党としての事後処理内容についてのエガリテ様の見解には同意します。

2.企業で情報管理に携わった経験から党本部に改善を申し入れゼロ回答されたころから、党本部は単に無能者あるいは自己保身者の巣窟なのではなく、非効率な運営や意図的なエラー誘発などで党を弱体化させるために敵から送り込まれた工作員に蝕まれているのでは?との仮説を持ちました。今回の件にも、その臭いを感じてしまいました。外国訪問に飛行機を使わないほど用心深い某将軍様が核開発など尖がったことができたのは、身の安全を陰で保証されていたからだろう、と疑っていたのと同類の感覚です。

3.「憲法の恣意的解釈変更」を糾弾する幹部の皆さんは、「綱領の志位的解釈変更」は問題視されないのでしょうか?以前にも書きましたが、共産党は状況追従型に劣化したように思えます。
 また、個人の思いを前面に出して野党統一方針を語った時の委員長には、安倍首相と同類の傲慢さと高揚感が見えました。

  藤野氏の更迭には「憲法と自衛隊」を如何に処理するかの問題である。 エガリテ
平成28(2016)年7月18日


 投稿ありがとうございます。3点に渡ってご意見をいただいていますので、私のコメントもそれに合わせて書いてみます。
 またまた文書が長くなったので、別ページに書いてみます。

 藤野政策委員長の更迭には「憲法と自衛隊」を如何に処理するかの問題である。

 参議院選挙結果について、私見を述べます。   元党員 Bさん
送信日時:2016/07/12 20:49:29

1.政策委員長更迭自体は妥当では?
  刺激的な表現を用いる以上、相手の反応に対してギャフンと言わせる次の一手をあら かじめ準備しておくべきです。それなしの発言はあまりにも軽率です。「政策責任者」 ですから、責任を取るのは当然。私は、任命者も共同責任と思います。

2.戦争法関連の訴えが弱い
  共産党だけではありませんが、護憲派の「中国や北朝鮮にどう対処するか」策が貧弱 です。
  選挙時期に合わせた領海侵犯やミサイル実験に対して、「平和的話し合いを」と主張 するだけでは説得力がありません。ことの本質は国対国の対立ではなく、適度に相互挑 発しつつ支配力強化を狙う産軍共同体と、国境を越えて平和を求める各国の国民との間 の対立です。この観点に立たないと、徐々に戦争法反対世論が弱まるのを防げないと危 惧します。

3.党本部には
  「国民の党に対する理解不足」が、支持が広がらない原因ではない。「国民が正確に 理解しているから支持が広がらない」と考えないと、展望は開けない、との趣旨の投稿 をしました。

 藤野政策委員長の更迭は仕組まれた芝居に見えます。 エガリテ
平成28(2016)年7月14日


 投稿ありがとうございます。3点のわたってご意見をいただきました。それぞれについて私の思っていることを書いてみます。
 文書が長くなりますので、別ページで私の持論を展開します。そちらへジャンプしてもらえますか。

 藤野政策委員長の更迭は仕組まれた芝居。(現行憲法下での自衛隊容認への布石)

        「共産党は理不尽」                   畑中 剛ファン
送信日時:2016/07/10 22:59:34

  「共産党は理不尽」
  参院選は与党が3分の2を獲得し、共産党は事実上敗北した。何故共産党は負けたのか?大阪に限って話すが候補者の掲示板を見ても「野党共闘の架け橋に」などという間抜けなフレーズを使用し今如何に政界が憲法が危機的状況にあるか、安倍内閣が如何に国会を形骸化し自らの野望の手段としか考えていないか、如何に排外主義的であり覇権主義的で自由と民主主義を憎んでいるか、如何に経済施策が滅茶苦茶で高い物価に人件費切り捨てなどで老人や金持だけが栄華を享受し若者を敵視しているか、その他諸々訴えるべき事があったのにしなかった。
  藤野議員の一件は共産党が安倍内閣に対し屈服し、兜を脱いだという面でも党員や支持者の間に言い知れぬ屈辱感と怒り、悲しみを与えた。党の政策に反することならともかく正論を述べて同志からかばってもらえず他党に反論も出来ず更迭される。これほど理不尽なことがあろうか。
  こういう体質が嫌悪され支持者の票の大部分は多分棄権に回ったと思う。期待される共産党員像は単に上部の発言にYesと言う人物だけである。突き詰めて言えば黒でも白と言いくるめるような話術や討論力が全く鍛えられない体質が今回の敗北を引き起こしたとも言えるだろう。共産党にもう一度問いたい。「今どのような状況か本当に認識しているか?」と。

 大阪選挙区は改憲派が76.06%、改憲反対派は21.05%。 エガリテ
平成28(2016)年7月12日

 投稿ありがとうございます。
 大阪での共産党の敗北は、あなたが言われる通り、全く間抜けな主張になっています。それだけでなく、今回は赤旗に政策ビラの折り込みもなく、ポストへの投函もありませんでした。街にはポスターも貼られておらず、選挙を戦っているイメージが全くありませんでした。
 藤野議員の件についても私はあなたの主張と同じです。
 最後に書かれている、候補者の力量問題も重要です。東京では民進党の蓮舫議員が1,123,145票獲得しています。これは候補者の魅力に負うところが大きいと思います。共産党も政治家を育てることが重要だと思っています。
 選挙結果については別紙で「共産党はなぜ選挙に勝てないのか?第5弾(参議院選挙)」見てください。

 藤野政策委員長の更迭に対して一言(「間違っている」)中島 春雄
送信日時:2016/07/08 17:55:01

----- ご意見ご感想 -----
 私は共産党に必ずしも与するものではないですが、先般の共産党の藤野政策委員長がNHKの政策討論番組での発言を撤回した(させた)事には落胆している。「人を殺すための予算でなく、子どもを育てる予算を優先させていくべき」と発言した事が論議を呼び、自民、公明などから非難を浴び、同氏及び党はこの発言を撤回した。しかし、私はこの発言を読んで特に違和感を感じない。だから発言を撤回した事にはむしろ違和感を感じた。 過去にも「人を殺しに海外に行かせるな」とか同様の表現がなされている。今回の非難は「一生懸命日本の国を守っている自衛隊員に対し失礼だ」と。今の自衛隊には二つの側面があって、災害時の救助・支援活動と所謂軍事(防衛)活動だ。私達国民は災害救助支援活動には「災害救助隊」という側面をみており、その為の予算を防衛予算という見方をしていない。防衛予算というと戦闘機、戦艦、潜水艦、戦車、ミサイル、その他軍需装備品の所謂武器や軍事訓練等に拘る予算というのが一般的な通常の考え方だ。
 これらは、自民党などが国を守る為のものと言おうと、人を殺す為の装備である事に間違いない。武器は敵をやっつけないとその価値はないからだ。藤野氏はこの考え方に基づいて「人を殺す為の予算」と言ったものの筈だ。だから決して党の方針に合致しないどころか、正論だと思う。今回発言を撤回し、謝罪したことで参院議員選挙で与党側に大きな追い風になった事ははなはだ残念な事と思う。今回の非難は、与党が手ぐすね引いて待っている所に嵌った感じだ。

 良識ある正論ありがとうございます。  エガリテ
平成28(2016)年7月9日

 投稿ありがとうございます。あなたが言われるように藤野政策委員長の発言は共産党の方針を逸脱したものではありません。ただこの間大きな災害に見舞われ、人命救助に自衛隊が活躍し、こうした功績から自衛隊に対する国民の認知度が高まっているのも事実だと思われます。
 このことを利用し、自衛隊の本質を隠し、改憲への策動をしているのが政府与党です。安倍政権が狙っているのは明らかに海外で戦争できる軍隊の創設です。この狙いと戦うことが必要な時に、「人殺しのための予算」という表現を撤回すれば、「海外で戦争できる軍隊」=「人殺し集団」という本質を暴くことを放棄したことになり、今後の改憲反対の運動に水を差すものです。
 共産党の不甲斐なさを痛感します。

 この問題に対する私の基本的考え方は、前回書きましてのそちらを見てください。
  「共産党 藤野政策委員長の更迭処分は正しいのか?

 「共産党は論戦を抛棄したのか?」    渡部 結ファン
送信日時:2016/06/28 21:21:05


 藤野議員が日曜討論で軍事費を人を殺すための予算と発言したことに対し与党が攻撃の「材料」にしている。野党共闘は少なくとも戦争法廃止を最低限の合意としており集団的自衛権で日本軍(自衛隊)を「人を殺すための」軍隊に変質させようとしているのは他ならぬ政権与党である。与党から攻撃されたら反撃の材料は10倍くらいあるはずである。
  しかし論戦を抛棄した共産党執行部は情けなくも政権与党に屈服した。人を殺すことを想定していない軍隊など世界のどこにあるのか。藤野議員の発言は真実を述べたまでのことではないか。共産党は観念論者にいつからなったのか。共産党は逆に絶好の反撃を逃しただけでなく議席減の可能性や与党3分の2も現実味を帯びてきた。
  池内議員の件や横浜市会の件に見られるように共産党は論戦を抛棄したのか?誰の味方なのか?これで野党共闘にヒビが入るなら所詮はそこまでと割り切られないか?絶対におかしい。全国の良心的な共産党員は憤っているという。当然である。

渡部 結フアンさんの怒りはごもっともです。  エガリテ
平成28(2016)年6月30日


 投稿ありがとうございます。私に文書を書く機会を与えていただいてありがとうございます。仕事が忙しくついついさぼりモードになっています。今後ともよろしくお願いします。
 この問題は重要ですので、長文のコメントを書きました。そのため別紙に載せています。そちらへジャンプしてください。

 「共産党 藤野政策委員長の更迭処分は正しいのか?

 参議院選 議席拡大を心から願っています。倉沢 高志さん
送信日時:2016/06/25 10:55:34

 
  党籍を離れ早20余年経過しましたが、議席拡大を心から願っています。
 確かに小選挙区制導入され選挙情勢は非常に厳しく難しい点があるでしょうが、活動が下手と言わざるを得ないほどに旧態依然です。
 大阪で衆議院議員7人全員当選させていた当時の底力というものが消失している。大阪府会の議席、堺市会の議席の現状を見るならば明白です。
 今、参議院議員選挙が繰り広げられていますが、昨今のネット社会の中で青山繁晴氏が街頭演説を残る形でネットにupされていますが、かたや渡部陣営は第一声とか志位氏来阪の演説は残る形でupされているが、後は時間とともに消える形でupし候補者の影が薄くしてしまっている。
 また残念なのは、正森、東中、村上、経塚、藤田、神埼、四谷といった候補者議員を送り出すことが出来た当時と違い人材不足がひしひしと感じられる。
 その中にあって渡部結という若い人材を国会に送り出せる可能性が十分ある今、底力を発揮すべきである。
 あの沓脱タケ子のように、大阪から女性の議員が出ることを期待している。

 私も共産党の躍進を願っています。   エガリテ
平成28(2016)年6月30日

 
 投稿ありがとうございます。

  私も共産党の躍進を願っていますが、貴方が言われるように人材不足がはなはだしいと思っています。党を代表できる看板代議士が不足しています。しかしこれは長い間の党運営の失敗の中で生まれてきた現象です。
最近若い人たちの中に一般世間に受け入れられる候補者が生まれ、少し前進しています。渡部結候補も魅力ある候補です。ですが党組織そのものにガタが来ており、どのように立て直すかは大きな課題です。
今回の参議院選挙では、野党共闘が進み、無党派の市民の方とも広がりが進み、共産党としては久しぶりの革新統一の闘いの様な輝きがあります。
  しかし、26回共産党大会(2014年1月)で決定した方針は、保守との共同や、従来の保守の流れを組む修正資本主義の潮流に期待を寄せた様な方針です。安保法制反対の闘いが、保守と革新の分岐点が明確になり、共産党が唱えていた保守との共同路線派、現在のところ語られなくなっています。こうした方針上のブレがあるかぎり、大きな前進は勝ち取れないと思います。
  保守は自衛隊問題で共産党に踏絵を踏まそうとしています。しかしこの踏絵を踏めば、共産党の共産党たる所以が消滅します。上記投稿に対するコメントで語っていますが、共産党は闘わなければならないところで引いています。
 
注1:26回大会(2014年1月)中央委員会報告 幹部会委員長 志位 和夫
  政党戦線での連合の展望――日本共産党の躍進が決定的条件
  第四は、政党戦線での連合の展望についてであります。
    決議案は、「政党戦線においても、日本共産党との連合の相手が必ず出てくると、 
  私たちは確信するものである」と表明するとともに、「そのさい、私たちの連合の対象となる相手が従来の
   保守の流れも含む修正資本主義の潮流であることも、大いにありうることである」とのべました。この間のさま
  ざまな課題での保守の人々との共同の発展は、そのことを強く予感させるものであります。


「舛添バッシングに乗っかっていいのか?」渡部 結ファン
送信日時:2016/06/12 16:02:11

 
  連日のように都知事舛添の道楽騒動が報道されているが、共産党はこのバッシングに乗っかって本当にいいのか?確かに舛添の行いは誉められたものではなく質すべきは質さなければならない。だがこの問題は政権与党によって「演出」されたものであるという一面も見過ごしてはならない。
  舛添の道楽は言語道断だがパナマ文書でSoftBankの孫正義や楽天の三木谷などがタックスヘイブンに資産を飛ばし脱税紛いのことを行っているがこれこそ舛添の一件以上に問題だろう。
  間も無く参議院選挙があるが安倍内閣は自らの経済失政や異常な議会運営、愛国と言いながら米軍基地を増強しようとし、レイプ惨殺にもだんまりを決め込むなどウルトラ右翼丸出しの思想。行き着く先は改憲だがこれらの問題を覆い隠すために舛添を利用しているに過ぎないのである。
  更に舛添は韓国人学校建設を推し進めるなど石原の排外主義的な思想と一線を画している。また福祉予算の増額にも前向きな姿勢を示していた。ウルトラ右翼にとってはそれが気に入らないのである。
  共産党は「真の敵は誰か?」等とよく言う。その言葉をそっくりそのままお返ししたい。

 舛添問題は本質を見失うと、政治的に利用されてしまう。  エガリテ

 投稿ありがとうございます。
  最近仕事が忙しくこのホームページの更新がおろそかになり、見放されかかっています。貴重な投稿ありがとうございます。徐々に紙面の充実を図っていきますので今後ともよろしくお願いします。

 コメントは長文のため別のページに書きました。
  「舛添問題は本質を見失うと、政治的に利用されてしまう。」を参照してください。 

  「深刻な人材不足」            渡部 結ファン
送信日時:2016/04/13 10:47:50


 共産党は「連携」の美名のもと衆議院補欠選挙で不戦敗という道を選んだ。特にかつて議員も居、法定得票数も取り続けている京都3区での不戦敗は共産党の人材不足を象徴している。共産党が支援するとしている泉健太は旧民主党の中でも急進的な人物で「小前原」とも言われている。こんな人物を支援する義理がどこにあるのか!北海道ではやむを得ないにしても京都3区は候補者を擁立すべきだった。いや、擁立したかったが出来なかったのだろう。京都府内では最近人材不足のため首長選挙等での不戦敗が相次いでいる。最も得票率の高い京都でもこの有様であるからもう共産党に全区立候補者を擁立する資金も人材も枯渇しているのであろう。山下書記局長が突如更迭されたがその原因に山下氏があくまでも擁立にこだわったからだという噂もある。異論も受け入れるような度量、大局を見据えた度量、価値観の押しつけの放棄。これがないと来たるべき同日選では惨敗必至であろう。

 地方での人材不足は深刻、大阪の現状の一端を問う  エガリテ
平成28(2016)年4月24日


投稿ありがとうございます。
 「深刻な人材不足」と書かれていますが、私もそう思っています。中央にはそれなりの人材は抱えていると思いますが、地方に回れば極端な人材不足が現状だと思います。それは共産党が人材を育てる政策を打って来なかったからだと思います。
 党員それぞれの長所を生かす立場から見るのではなく、赤旗の拡大を最大の目標に掲げ、赤旗を拡大するものが英雄的党員だというような思想が充満し、いつの間にか新聞屋さん的党になってしまい、政治的力量等の能力は後回しされ、市会議員の候補者は失業救済事業のような形で決められ、活躍できずに去っていっています。議員が全く育っていません。。
 政治的力量は、育てていくものですが、天性みたいなものもあります。いくら勉強に秀でていても政治的感性が全くない人もいます。私は動物的なカンみたいなものも政治的実力にはあると思っています。
 そういう意味では共産党の市会議員は、みんなまじめないい人ですが、人間的魅力を感じません。情熱とか向上心みたいなものが全く感じられなく、変なプライドだけが見え隠れします。
 大衆とともに戦う、大衆の中に入り込むみたいな能力がどんどんなくなり、いい人の集団だが全く魅力のない人の集団へと変わりつつあります。全国的には違うのかはわかりませんが、私の住む大阪では着実に共産党の地力が落ちてきています。そのことを決定づけたのが橋下大阪維新の誕生です。この誕生に一番影響を受けたのは共産党です。
 共産党は、不正を質し、改革の政党だというイメージが府民の中にありました。だから黒田革新府政が実現しました。社共共闘がつぶれ共産党一党で戦った際でも黒田革新府政はつぶれませんでした。これは大阪府の政治情勢の中で最大のガンは部落解放同盟の蛮行にあるという共通認識が府民にありました。これに真っ向から対決したのは、政党としては共産党だけだったからです。共産党は、正義の党として、改革の党として輝いていました。
 しかし、現状では改革の党は橋下維新に横取りされています。共産党はもはや守旧派になってしまっています。だから共産党は伸びないのです。
 ソビエト連邦が崩壊するとき、ロシア共産党は守旧派として国民の支持を失いました。私は新聞で共産党が守旧派として国民から見られているということにショックを受けましたが、大阪の現状は正にそうなっています。橋下氏の武器は、「前向きに改革していく」です。その打ち出しに成功していますが、共産党は党内改革もできず、府会議員、市会議員に本物の政治家を擁立できず、赤旗拡大だけに力を入れている姿を、国民はすでに感じ取っています。
 この党に本当に自分の未来を託せるのか、確信を持てないでいます。そのことに共産党は気づき改革を行っていくことが重要です。

 今日新たに茨木市議会補欠選挙と大東市会議員選挙の結果について私の感想をUPしました。この二つの選挙は特殊といえば特殊ですが、共産党の今の弱点を表していると思います。大阪民主新報は、大東市の選挙結果を大勝利のように取り上げていますが、実はここ20年で完全に半分ぐらいの陣地を失っているのです。
 私は大阪の共産党の実力は、昔は、公明党とほぼ互角であったが最新は二分の一の勢力になり下がったと前から指摘していますが、大東市の場合、平成8年には得票率21.16%の支持で5名の議員当選したが、最近の結果は得票率8.07%で2名の議員の当選でしかありません。平成8年に比べれば37%ぐらいの力量になっています。公明党との力関係でも二分の一どころか三分の一にまで地盤は低下しています。これは政党として危機なのです。 
共産党は赤旗が減ったから危機だと騒ぎますが、得票率がこれだけ下がっているのに危機と言わずに勝利したといいます。政治的感性が全く狂っています。 

  共産党は何を最終目標にしているのか見えない   ななし ごんべ
送信日時:2016/03/30 00:02:59

  たまに朝にビラ撒きやってますね。お疲れ様です。ただ、共産党が日本にどういった点で寄与するのかという具体的な政策が私からは見えず、何を最終的な目標としていますか?本当のゴールは?未だに不明です。
  また共産党=アカのイメージが強過ぎるので、少なくともイメージカラーだけでも変えてはいかがか。
  賢明な日本人は投票に行きますが、賢明な日本人は共産党を少なくとも今は支持しない。
  賢いマイノリティを集めるならまだしも、愚かなマイノリティ集めても烏合の衆というのはおわかりでしょう?
 支持したい人を選別してください。応援してます。

 共産党が目指すべきものは、社会主義との関連で見えなくなっている。 エガリテ
平成28(2016)年4月11日


  投稿ありがとうございます。

  個人的に忙しく投稿していただいたのに、掲示板に載せるのが遅れてすみません。

  ご指摘のように、今共産党がどのような方向を目指しているのか、目指すべき社会主義との関連で見えなくなっています。
  当面は憲法擁護の立場から、安保法制(戦争法)反対に最大の課題を設定し、野党共闘で安倍自公政権との戦いを推し進めていこうと思っているとみています。

  最近赤旗を見ていて共産党が様々な点で変化を模索しているなと感じています。私が感じたことを少しだけ羅列的に書いてみます。

「共産党、暴力革命の方針に変更ない」政府が認識示す 

                  朝日新聞デジタル(3月22日)

  政府は3月22日鈴木貴子議員(鈴木宗男の娘)の質問主意書に答える形で「警察庁としては現在においても『暴力革命の方針』に変更はないものと認識している」との答弁書を決定しました。
 わたしは常々共産党に対して、「反共攻撃だ!」と叫ぶことを封印すべきだと言ってきましたが、まさにこれは根も葉もない「反共攻撃」です。これに対する共産党の反応がどうなるのか注目していましたが、一応批判はしていますが、基本的には「スルー」しています。非常に大人の対応をしています。共産党も成長したなと思っています。
 もう一件「反共攻撃」に関連して、時代は大きく変わりつつある、もう時代遅れの反共攻撃などありえないし、効果もない。それに過剰に反応すれば反って不利になると指摘してきました。今回私の見方が甘かった面もあると感じさせる事件がありました。

「保育園落ちた 日本死ね!」と共産党

 「保育園落ちた日本死ね!」この一主婦のブログが大きな注目をあび、保育所の待機児童の問題など政治的に注目され、政府も緊急対策を打ち始めています。昨日付の毎日新聞朝刊トップ記事は「企業内保育所に助成」でした。
 わたしはこの一主婦のブログに対する共産党の対応の鈍さ(民進党に比べ)批判してきましたが、昨日たまたまこの「保育園落ちた日本死ね!」「日本共産党」を「キー」にしてYAHOOで検索してびっくりしましたが、10ページぐらい見ましたが、ほとんどの記事は 日本共産党の仕込みだ(やらせ)というような記事ばかりです。
何かあれば必ず共産党に関連付け攻撃する、この体質はまだ根深くあるのだなと思いました。現実的には赤旗本紙や日曜版を見ている限り、共産党はこのブログに基本的には批判的です。共産党はこのブログを【主張】でも取り上げましたが、「保育園落ちた」と取り上げていますが、「日本死ね」は外しています。赤旗日曜版にも1面トップで大きく「保育園落ちた」という文字が躍っていましたが、「日本死ね」はなく、共産党が取り上げているのは、「保育園落ちたのは私だ」というフレーズを前面に出しています。
 にもかかわらず「共産党が仕掛けた」とまことしやかに書かれているのをみると、「困ったときの神頼り」みたいな思想(共産党攻撃をしておけばよい)がまだまだ政治の世界で生きているのだなと思いました。

サンダース上院議員は、自称「社会民主主義者」赤旗3月10日付

 話はコロッと変わりますが、アメリカの大統領の予備選挙の記事を赤旗で見て首をかしげました。3月10日赤旗は、「米大統領の指名争いで8日、民主党は2州、共和党は4州で予備選挙・党員集会を実施しました。民主党は、同指名候補の獲得に必要な代議員を多数抱える中西部ミシガン州で、自称「民主社会主義者」のバーニー・サンダース上院議員が、大逆転勝利しました」
 赤旗はサンダース上院議員に対して、自称「民主社会主義者」という言葉を使いました。この「自称」という言葉は、基本的には如何わしい人物に対して付ける言葉です。アメリカで「社会民主主義」を掲げる候補が善戦している、この結果を学ぶ必要がある共産党が、揶揄したことは許されるべきことではありません。

パナマ文書 中国指導部親族の記載 報道・ネット情報を封鎖 

                         赤旗4月8日付

 さらにもう一つ注目したのは、パナマ文書です。4月8日付赤旗は7面【国際】で「パナマ文書」「中国指導部親族の記載」「報道・ネット情報を封鎖」という見出しを掲げ、中国の習近平国家主席がタックスヘイブンに関連していると報道しています。赤
旗は基本的には中国の幹部の不祥事に対しては消極的にしか取り上げてきませんでした。一般紙が報道してそれを見て、小さく報道するのが今までの姿勢でしたが、今回は記事も大きく、取り上げたのも一般紙に負けないスピーディな取り上げ方です。

 ちなみに同日の毎日新聞も「パナマ文書」「中国指導者親族の名前も」という記事を載せています。赤旗の方が「報道。ネット情報を封鎖」と書いた点が優れています。
中国の腐敗は留まるところがありません。すでに社会主義とは無縁な存在です。しかし共産党は、中国が社会主義国と言っているから、我々はそれを尊重し、社会主義国と呼んでいると主張します。
 この論理で行くなら、サンダース上院議員は自ら「社会民主主義者」と言っているのに、自称「社会民主主義者」と批判的に書くことはおかしいと思います。中国こそ自称「社会主義国」と赤旗は書くべきです。
今回のパナマ文書の赤旗での取り上げ方から見れば近い将来、日本共産党が中国を自称「社会主義国」と呼ぶ日が来ると思っています。

 最もこれらの記事の揺れは、赤旗自身が記事を書く力を失い、すべては「時事」等の配信記事に頼っているからかもしれません。情けない限りです。 

 「壮大な勘違い」        渡部 結ファン さん
送信日時:2016/02/06 19:56:43


 昨年の大阪府知事市長選挙で維新が圧勝したが維新が信任されたと言うより共産党に府民がNoや三行半を突きつけたと言うべきだろう。府民の共産党に対する反発や拒否感が半端ないことを思い知らされた。
 あからさまには言っていないが党幹部は全世帯が赤旗読者になれば、全世帯にビラを配りきれれば天下を取れると思っている節がある。とんでもない勘違いと言わざるを得ない。仮にそうなったとしても議席に結び付く可能性は非常に低いだろう。せいぜい2議席程度しか増えないだろう。
 共産党は議席が増えたときいつも「国民連合政府」などと言っている。昭和40年代から。「絶対無理!」と確信を持って言える。基本政策が不明な政党と何故「連合」出きるのか!
 私は共産党を事実上7年前追放されたが基本的な体質は何も変わっていない。党員獲得にせよ大部分の「対象者」は後援会に入るようなノリで入党申込書にサインしているという。党在籍中にも感じていたが赤旗を購読していなければ党員とは言えない。党員と認められない。党員の概念を明らかにしなければまた幽霊党員を増加させるだけだろう。
 もう少し庶民の目線にたち9条が無ければ韓国みたいに徴兵が出来、集団的自衛権の名の下にベトナムを侵略したような例を出したりしてもっとリアリティーに訴えるべきではないのか。
 維新政権の大阪が如何に経済発展を阻害し、人口特に若年者を減らし、企業減少を止められず「副首都」と意気込みながら中小企業庁一つ誘致させることさえ窮窮とし、大阪市営バスが民営化されると一律料金が崩れ一日パスも無くなりシルバーパスも全廃される可能性が高いことなど突っ込むところはナンボでもあったはずである。
 自民こそが破壊者と闘う「戦士」であると演出し共産党はみすぼらしい姿で街頭でビラを配るべきではなかった。一切「共産党」を出さずに闘うということも選挙活動である。 本当に国民連合政府を夢見ているならそういう分別もあって然るべきだろう。
いずれにせよ参議院選挙や4月に予定されている総選挙は大苦戦するだろう。共産党は自分達が大衆にどのように映っているかもう一度考えるべきだろう。


  赤旗拡大至上主義は官僚ばかりがはびこり、大衆運動家を育てない。 エガリテ
平成28(2016)年2月12日


 投稿ありがとうございます。

過去2回の知事選挙の結果は、きわめて厳しいものがある。(壊滅的惨敗)

  知事選挙の結果は5年前の選挙と今回の選挙の二つの選挙結果から判断されるべきだと思っています。5年前の「安全・安心・やさしい大阪」のスローガンを掲げた選挙で共産党は大惨敗しました。
  この選挙がなぜ大惨敗なのか、それは知事選挙等で無所属の立場で立候補して多くの国民の支持を得る戦い方が全く機能しなかったことです。無所属の候補者ですから、共産党独自の戦い方と違い、戦うスローガンを排除し、「安全・安心・やさしい大阪」のような耳障りのいい言葉で戦い、「ふわっとした民意を吸収するという  選挙戦略が、府民からそっぽを向かれたことです。
  おそらくこの選挙では、共産党単独で候補者を立てて、共産党の政策を前面に押し立てたほうが良い結果が得られたと思います。
  共産党は、黒田知事誕生時(1971年)は、社・共で1494040票を獲得し、1979年には共産党一党だけの推薦で1671812票を獲得した歴史があります。(この選挙は47.94%の得票率を獲得しましたが、選挙そのものは自・社・公・民推薦の候補に負けています。)
  この無所属の候補を前面に押し出して戦う共産党の選挙戦術は、亀田得治(元社会党大阪府連委員長)を擁立して戦った1983年の選挙戦(疑似社・共共闘)でも1250374票獲得し、府民の立場に立った府政を取り戻す戦いには、大きな期待があったことを裏付けています。
  しかし、この統一戦線型の選挙戦も、1995年の横山ノック知事の出現で、木っ端みじんに打ち破られます。この選挙戦は、横山ノック氏はどの政党の支持も受けない文字通りの無党派の候補でした。自公民は別の候補を立てて戦い、共産党も独自の候補(無所属)を立てて戦いましたが、結果は横山ノック氏が1625256票、自公民の候補者が1147416票獲得し、共産党の支持候補は570869票に終わりました。

革新の統一戦線型の選挙戦術の終焉とそれに代わる物の創出の必要性

 そのカギは保守との共同ではなく、府民との共同戦線の構築であろう


  この選挙ではっきりわかったことは、社・共共闘で築いてきた統一戦線型の選挙戦が、社会党が脱落したのちもそれなりの効果を示してきましたが(1991年の選挙では共産支持の候補者は964554票)、共産党一党では、お笑い旋風には、吹き飛ばされてしまうことです。
  この横山ノックの選挙とほぼ同じ戦いになっているのが、2008年の橋下徹氏の登場です。橋下氏の得票は1832857票、民主・社民・国民新党の擁立した候補が999082票、共産党が支持した梅田章二氏が518563票とほぼ横山ノック氏登場と同じ結果を示しています。
  橋下氏の2期目の2011年選挙では、横山氏と橋下氏の登場で大敗している経験に学ばず、相変わらず統一戦線型の選挙戦の雰囲気で戦い、大敗北に終わりました。(得票数357159票、得票率9.7%)
  2011年の選挙戦の大敗北で驚いた共産党は、2015年の選挙戦では自力候補者を立てる力を失い、禁じ手である自民党の候補者を勝手連的に応援するという背水の陣で戦いましたが、「自民党候補の当選で府政を変えよう」というビラを自民党よりも積極的に配布し、自民党支持者を蹴散らかすという効果を発揮し、自・共をはじめとする多くの政党が支援したのもかかわらず、自民党の候補者は、維新候補にダブルスコアーで敗北しました。
  この選挙は大きな教訓をもたらしました。共産党の主張する保守との共同路線は、革新統一戦線とは似て非なるものであることが明確に立証されました。 
  自民党の候補者を共産党が担いでも何ら効果が出ないだけでなく、むしろマイナスに作用することが今回証明されました。
  報道機関が実施する出口調査はいかがわしさが付きまといますが、今回の知事選挙では、自民党支持者が自党の候補者に50%しか投票していないことが分かり、さらに共産党支持者も74%位しか自民党候補者に投票していませんでした。(これには棄権者は当然含まれていません。・・棄権者も相当多く出たと思われます。)
これが共産党が求める保守との共同の哀れな結末です。


政治家に求められているのは、府民の心と響きあえるディベート力

 赤旗と選挙の票数の関係性については、わたしも一貫して批判していますが、科学的な政党という割には、きわめて非科学的な主張です。はっきりと財源確保が必要だということを前面に出せばいいと思っています。もっと言えば、政党助成金をもらえば良いと思っています。赤旗の拡大、配布・集金に多くの活動時間を割くのは、全く無駄だと思っています。
 例えば橋下維新は、機関紙の拡大に成功してあれだけの票を集めたのではありません。芸人独特の感性で大衆の気分・感情をつかむことが得意なのです。過去の事例ではノック・西川キヨシが成功したのと同じ路線です。島田伸介は、芸能界追放のような事態になっていますが、その前なら、彼でもほぼ同じ得票を獲得したと思われます。芸能人の持っている話芸が人をつかんでいるのです。
 政治家も情報を発信する力が必要です。演説する力が必要です。ディベート力が求められています。さらにはカリスマ性が必要です。これらの要素が共産党の擁立する候補には決定的に欠けています。共産党は赤旗の部数、ビラの枚数という文字文化で戦いを挑んでいますが、今は文字ではなく、言葉の時代だと思います。
 全くの昔話で申し訳ないのですが、各政党が集まり政治討論会がテレビで行われ、共産党は不破氏、公明党は矢野氏が出ていましたが、不破氏の発言は理論的であり。速記を起こせばそのまま使えるものですが、それに反し矢野氏の発言は程度が低いものですが、国民の気分感情にあっているのです。この発言を文字に起こしても何ら感動を与えませんが、その場の雰囲気では彼が勝っているという印象を受けました。やはりテレビ時代では話術が重要です。
 それと同じだったのが、橋下大阪市長と宮原共産党府会議員団長のテレビ討論では(テレビ大阪)橋下市長はまず宮原議員を褒めあげて機先を制し、そのあと宮原議員が橋下氏を追及できないように仕向けました。そのテレビを見ていたものは、その話術(ディベート力の違い)に気が付いたと思います。
 ひと昔前にオームの上祐が「ああいえばこういう」という議論を続けるので、「ああいえば上祐」という言葉が流行りましたが、私は政治家にはこの資質が重要だと思っています。
 共産党が政治的に伸びないのはこうした資質に劣るものが多く、赤旗拡大を行えば選挙に勝てるという方針では、候補者の役割は何もなく、候補者を支える末端の党員の肩にすべての責任があるのです。共産党の選挙総括で、候補者活動に触れたものや、政策が正しかったのかなどに触れたものは見たことがありません。党中央は常に正しいのである)

選挙戦の総括を正しく行わない限り、共産党の躍進は実現できない。

 事実赤旗の選挙戦の総括は、「党中央は赤旗が前回選挙戦より部数が減っていることに警鐘を打ち鳴らしてきた。にもかかわらず、部数が減ったまま選挙戦に突入し負けてしまった。」という総括が常に行われている。常に党中央は正しい、負けたのは党中央の方針を実現しなかった末端の党員の責任だと総括されて終わりになる。
 例えば知事選挙で、自民党の候補者を勝手連的に担いだのは正しかったのか?正しかったとしても、戦い方はあれでよかったのか?「栗原候補の当選で府民生活が改善される。」というビラをまき、党独自の方針をすべて放棄したことは正しかったのか?「さよなら維新」というメインスローガンは、本当に府民の心をとらえたのか?自民党よりも共産党の方が前に出た戦い方は、自民党支持者を蹴散らかしたのではないか?等々の総括が必要である。
  さらには維新府知事や市長が続く限り、今回の選挙戦術(自民と協力し、さゆなら維新)をとり続けるのか?も重要な総括の視点である。


 山下書記局長の演説では、京都市長選挙の争点は明らかになはならない
                                        今井  明 さん
送信日時:2016/01/25 22:25:59

 
 1.目前に迫る京都市長選挙
 1月24日告示、2月7日投票の京都市長選挙が目前に迫っています。「憲法市民未来ネット」は、21日の夜、京都市政の改革を訴える新市長の実現のために、市民大集会を開き、「教え子を再び戦場に送らない」、戦争法廃止、原発再稼働ストップ、京都経済・暮らしの再生を強く訴えました。日本共産党の山下芳生書記局長も応援にかけつけ、新しい市長が実現すれば、「市民の暮らしはもちろん、 日本の政治にも大きな前向きの変化が生まれる」と述べ、「京都から『戦争法NO』の狼煙を上げよう」と訴えました。保育所の民営化、京都府内最低の子ども医療費助成など、市民に痛みを押しつけ、また四条通りの車線変更などを独断で専行する市政の問題を告発し、「安倍さんもひどいが、門川さんもアカン」の声が与党支持者にも強まっていると指摘しました。そして、「日本の夜明けは京都から」の心意気で、選挙戦に勝利しようと呼びかけ、会場は大きな拍手で包まれました。このように「しんぶん赤旗」(1月22日)は伝えています。

 2.京都市長選挙の争点
 山下さんが応援演説で訴えたのは、次の3点です。第1は、戦争法廃止です。山下さんは、「京都市長選 挙は、7月の参院選挙を待たずに政治の流れを変えることができます。本田久美子さんは『京都から「戦争法廃止」「憲法9条守れ」と発信し、世界に響かせたい』。本田さんを市長に押し上げて、流れを変えようではありませんか。続く参院選で、戦争法を強行した自民・公明とその補完戦力に退場の審判を下そうではありませんか。(参院)京都選挙区では、日本共産党の大河原としたか候補の勝利で自民党を落とすためにがんばりたいと思います」」と訴えました。京都市長選挙の争点の第1は、なによりも「戦争法NOの狼煙」をあげることです。
 第2は、貧国・格差の拡大をストップさせることです。山下さんは、「すでに日本は6人に1人が貧困ラインを下回る社会になっています。とくに1人親家族の貧困率は50%を超えOECD(経済協力開発機構)加盟34ヶ国で最悪です。こうした現実を見ないで、さらに貧困と格差を拡大する消費税10%なんてとんでもありません」と訴え、「未来ネット」が推す候補者が「子ども未来局」を設置し、高齢者の「困った」に応える市政を作ることを公約にしていることを紹介しました。市長選挙の第2の争点は、貧国・格差の拡大にストップをかけて、市民や子どものための政治に「転換させることです。

 第3は、市民の声が届く市政を実現することです。山下さんは、現在の市長は、「国民多数の声にいっさい耳を傾けずに暴走する」ところが安倍首相を同じであると批判します。具体的には、四条通りの 車線減少・歩道拡張工事により大渋滞が引き起こされ、周辺住民やタクシー業界から懸念が出ていること、党市議団による「マイカー規制」の検討要請を無視して、独断で専行してきたこと厳しく非難しました。

 3.定型的パターンと「+α」の演説?
 戦争法、暮らし、民主主義。山下さんによれば、この3つの争点をめぐって激しく闘われるのが今回の京都市長選挙のようです。若干の「+α」が付け加えられていますが、戦争法反対、消費税増税反対、民主主義と立憲主義の回復という3つの主張が基本になっています。これで京都市という地方自治体の首長を選ぶ選挙の争点を網羅できているのでしょうか。戦争法廃止の争点については、京都市内では志位委員長を迎えて反対集会する大学もあり、多くの学者・研究者の参加によって、多くの学生の意識も変化し始めていますが、現在の市政はそれに背を向けています。このことをもっと強調してほしかったと思います。暮らしの争点については、失業中の人々や生活保護受給者の暮らしの実態、非正規雇用の労働実態、ブラック企業・バイトの問題、大学生・高校生の就職内定率などの現状は深刻です。京都・京阪神の大手企業の内部留保を活用すれば、それを改善できるか展望を示してほしかった。そして、民主主義の問題については、交通渋滞を緩和することも重要ですが、市政と市民とをつなぐネットワークの構築のありかた、自治会や町内会のような旧来の連絡網だけでなく、組織化されていない市民の声をいかに市政に反映すべきかという重要な問題があります。さらに、海外から多くの観光客や留学生が集う京都市の未来ビジョンなどにも、現在の市政では展望が見いだせないだけに、期待されていた問題でした。もっと京都の未来を訴えてほしかったと思います。

 かつて上田耕一郎さんや不破哲三さんの演説を聞いた時も、3つの構成要素から成り立っていました。しかも、具体的な事実とその分析を踏まえたものであり、関西の地方紙でさえ書いていないことも話されていました。それを聞いた人は、やる気がみなぎったと思います。そのような演説ができたのは、上田さんも、不破さんも、革新自治体としての歴史のある京都への期待と思い入れがあったからだと思います。しかし、山下さんの演説からは、残念ですが、そのような「心意気」は感じられません。山下さんの演説の冒頭は、「京都市長選挙は、7月の参院選挙を待たずに政治の流れを変えることができます。……続く参院選で、戦争法を強行した自 民・公明とその補完戦力に退場の審判を下そうではありませんか。(参院)京都選挙区では、日本共産党の大河原としたか候補の勝利で自民党を落とすためにがんばりたいと思います」。京都市長選挙の応援演説の冒頭で、このように自党の参議院選挙を宣伝し、しかも京都市長選挙は、現在の政治の流れを変えるための前哨戦であるかのような口振りです。「未来ネット」で活動している人々は、この言葉をどのように受け止めたのでしょうか。「未来ネット」が推す候補者のための応援演説として相応しいものだと思ったのでしょうか。共産党が共産党の選挙の宣伝をするのは当たり前と、感じていたならば、そのような政治的感性では、当選できるだけの支持の輪を広げることはできないと思います。

 4.惰性を排し、初心に帰ろう
 山下さんの演説は、「しんぶん」を読む限り、準備不足は否めません(集会に参加できなかった人は、それを読むんで、情勢を知るしかないからです。その演説を読んでも、勇気はもらえません)。主催者も打ち合わせ不足です(書記局長が来れば、集会動の員数は見込めると思ったのかもしれませんが、「集会で学ぶ」ということの重要性を忘れています)。この集会をきっかけに、情勢を大きく変化させようという意気込みがあれば、もう少し気迫に満ちた集会になっていたのではないでしょうか。「惰性を排し、初心に帰ろう」という言葉を昔よく聞きましたし、言われました。その言葉はもう使われてないのでしょうか。

 京都と大阪の共産党の地力を比較する(知事選挙の結果から) エガリテ

 
 投稿ありがとうございます。
 京都の市長選挙については、私は現在大阪に住んでおり、具体的な事は分かりませんが、大学卒業までは京都に住んでおり、それなりに関心があります。
 京都と大阪の共産党ですが、京都の共産党は長い歴史を持っており、網の目の様に張り巡らされている共産党の組織力が大阪とは全く違うと認識しています。

 あなたに投稿対するコメントを、数字を使った票を作りたいため、いつもと同じように他のページに書かせてもらいます。

 京都と大阪の共産党の地力を比較する。(知事選挙の結果から)

 野党共闘の実現は日本共産党の人間的誠実さにかかっている 今井 明
送信日時:2016/01/17 09:39:35

 

一 衆院北海道5区補選における野党共闘について

 4月に衆院北海道5区補欠選挙が実施されます。自民党は、すでに故町村氏の娘婿の和田義明氏(44)を公認候補として擁立しています。野党の側は、民主党は池田真紀(43)を、共産党は橋本美香(45)を候補とすることを明らかにしています。ただし、共産党は、戦争法廃止のための国民連合政府を樹立するために、野党候補の一本化を呼びかけ、それが実現した場合には橋本氏の候補を取り下げることを示唆しています。補欠選挙ということから、事実上の1名区であり、7月に予定されている参議院選挙での野党共闘の可能性を考えるうえで注目されています。

 北海道の地域政党・新党大地の鈴木宗男氏のオフィシャルブログは、佐藤優氏が鈴木氏に送った「週刊アサヒ芸能」(1月19日号)の「ニッポン有事!鈴木宗男氏が共産党との共闘を避けた訳」の原稿を掲載しています。そこには、鈴木宗男氏が、自民党の和田義明氏(44)を支援すること、そして「共産党が推す候補とは一切協力しない」と断言していることが紹介されています。一見すると、鈴木氏が反共主義の立場から野党共闘を妨害しているように見えますが、実はそうではないようです。野党共闘を阻んでいるのは誰なのか。この記事を通して、考えてみたいと思います。

 二 鈴木宗男氏が「共産党との共闘」を拒否する理由

 鈴木氏が、「共産党が推す候補とは一切協力しない」と主張しているのは何故でしょうか。佐藤氏は、その理由として4点挙げています。第1は鈴木氏の個人的経験に根ざす問題、第2は共産党が北方4島だけでなく、ウルップ島からシュムシュ島を含む22島の全面返還を要求している問題、第3に共産党との共闘によって、「新党大地」を支持基盤である保守層が離れていく問題、そして第4は共産党との共闘によって、新党大地と創価学会の信頼関係が崩れる問題です。このなかでも、第1の鈴木氏の個人的経験に根ざす問題が、野党共闘の可能性を論ずるうえで重要です。

 日本共産党は、2002年、外務省から流出した極秘文書に基づいて、いわゆる「鈴木宗男疑惑」を厳しく追及しました。それは、鈴木氏が北方領土交渉において、北方4島のうち、まず北海道の一部であることが明確な2島(歯舞群島と色丹島)の返還を中間的に取り決めて実現し、残りの2島(国後島と択捉島)については交渉を継続するという話し合いを行なっているという疑惑です。日本共産党は、外務省から流出した機密文書に基づいて、鈴木氏の領土交渉は「二島先行返還論」であり、四島だけでなく、千島22島の返還の道を閉ざすものであると批判しました。しかし、「二島先行返還論」は、不破哲三氏が『日本共産党と領土問題』(日本共産党出版局・1998年) のなかで、領土問題を解決するうえで「現実的な筋道」であると主張していたものです。日本共産党は、自民党と鈴木氏を批判するあまり、自分自身が「二島先行返還」を主張していたことを失念していました。しかも、その後、その極秘文書が改ざんされたものであることが判明し、それに基づいた追及に根拠
がないことも明らかになりました。日本共産党は、このように二重の誤りを犯したのです。

 このような事実誤認を犯した場合、誠実な政治家・政党であれば、どのような態度を取るでしょうか。鈴木氏の「疑惑」を追及し、批判したのは、共産党だけでなく、他の野党も同じでした。民主党の原口一博氏と社民党(当時。現在は民主党)の辻元清美氏は、鈴木氏に対して謝罪したそうです。しかし、日本共産党は違います。まだ謝罪していません。鈴木氏は、「公の場でも、私個人にも間違えを認めて謝罪した。だから民主党や社民党に対しては、わだかまりはない。これに対して共産党は頬被りしている。自分たちは絶対に間違えないというあの党の独善的な体質は変わっていない」と、自らの誤りを認めない日本共産党に対して厳しく批判し、共産党との共闘を拒否しています。「共産党アレルギー」ではなく、共産党の人間的誠実さの欠如を鈴木氏は主張しています。

 三 野党共闘の前提条件としての人間的誠実さ

 戦争法は、日本国憲法の平和主義、民主主義、立憲主義を否定して制定されました。立憲主義は、何よりも「個人の尊厳」という崇高な理念に基づくものです。それを回復するために、政治に対して大きな期待がかけられています。野党の間に政治的理念や政治綱領の違いはありますが、平和と民主主義、憲法に根ざした政治を実現するという点では一致点が見出せるはずです。しかし、政党間の協議や協定を実現しようと思えば、人間個人の問題と同じように、信頼関係が必要です。信頼関係と人間的誠実さこそが、対立関係を緩和し、一致点を見出すための基盤であることは言うまでもありません。日本共産党にそのような信頼を寄せることができるでしょうか。鈴木氏が受けた非難は、当時政権与党・自民党の国会議員であったのでやむを得ないものだったとか、だから日本共産党は謝罪する必要はないというのでしょうか。

 「野党との共闘を呼びかけているのであって、保守層と創価学会を支持基盤にしている与党的な政党との連携は考えていません」と述べて、新党大地を「野党共闘」から排除することもできるかもしれません。しかし、事実誤認に基づく鈴木氏への非難の誤りを謝罪しない態度は、新党大地が与党的な存在であっても正当化することはできないでしょう。志位委員長は、野党共闘を阻んでいるのは誰であるのかを、自分の胸に手を当てて考える必要があります。

 意見を異にすれば、反共攻撃批判するのはやめるべき  エガリテ

今井様

いつも投稿いただきありがとうございます。

 その時々の課題を整理され投稿していただいていることは、このサイトでもそれに対応することによって、重要な課題を見逃さず、常にタイムリーな情報が発信できるということで非常に感謝しています。

 今井様からいただく情報は常に課題が整理されており、私がコメントを付け足すことは、何もないわけですが、提案されていることに対する私の思いを書かせていただいています。
 今回の投稿の結論である「野党共闘の前提条件としての人間的誠実さ」は私も全くその通りだと思っています。あなたの投稿に全面的に賛成の立場から私の思いを書かせてもらいます。
 まず今回の投稿で、鈴木宗男氏がなぜ共闘を拒否したのかとの説明、具体的に把握していなかったので、非常に参考になりました。また北方領土の返還をめぐる共産党の主張の流れも把握していなかったので非常に参考になりました。
 そこで、私は結論部分である「野党共闘の前提条件としての人間的誠実さ」について絞ってこの議論に参加したいと思っています。

  以下長文となったためまた別ページに移動します。

 市民団体や民主党等からのからの批判を「反共攻撃だ!」と反撃しないことが大切。



 小池晃さん、志位さんの足を引っ張っていますよ! 今川 明 さん
送信日時:2016/01/10 10:28:31


1 産経新聞1月8日の報道  
 2016年1月8日(15時39分)のインターネット産経ニュースは、小池晃・日本共産党政策委員長の「北朝鮮の核実験は重大な脅威である」との発言を報道しています。その内容は以下の通りです。小池さんが北朝鮮の核実験に関して「脅威」という言葉を用いたことに大きな意味があすようです。

 北朝鮮の核開発に関しては、すでに志位委員長が昨年(2015年)11月のテレビ番組に出演した際に、「北朝鮮にリアルな危険はない」と述べていました。つまり現実的な脅威や危険はないということです。これについて、公明党の山口代表は、1月7日の党会合で、「共産党は、かねて『北朝鮮は脅威ではない』と吹聴していたが、今の現実(1月6日の核実験)から見て妥当な認識なのか。改めて問い返さなければならない」と批判しました。小池さんの発言は、この山口発言に対するものです。小池さんは、1月8日の記者会見において、「全く筋違いだ。無責任な発言はしないでほしい」と反論し、北朝鮮の核実験について、「この地域と世界の平和と安定に対する重大な脅威だ。間違いない。そういう認識は持っている」と明言し、志位さんも北朝鮮の核実験が「地域と世界の平和と安定に対する重大な脅威だ」との認識を持っていると述べました。小池さんは、志位さんが昨年11月に「北朝鮮にリアルな危険はない」と述べたのは、「戦争法」は中東やアフリカで米軍が軍事行動を起こした場合を想定したものであって、「北朝鮮のリスク」はその想定には入っていないので、北朝鮮の核開発を理由にして「戦争法」を正当化することはできないという趣旨だと補足したうえで、山口発言に対して、志位さんが「一般論として北朝鮮のリスクがないなどということは言っていない」と、志位さんもまた北朝鮮の脅威を認めていると明言し、「志位委員長が言ったことをもう1回確認しろと言いたい。とんでもない事実誤認、事実をゆがめた攻撃であり、抗議したい」と語りました。

2 1月6日の志位談話の内容
 小池さんは、山口さんが事実誤認を犯していると抗議しました。昨年11月の「北朝鮮にリアルな危険はない」発言は、「北朝鮮の脅威」を否定したものでないにもかかわらず、山口さんは志位発言を誤解しているというのです。そもそも、志位さんの北朝鮮に関する認識は、どのようなものなのでしょうか。

 志位さんは、1月6日に、北朝鮮の核実験に関して談話を発表しました。そこでは、「地域と世界の平和と安定に対するきわめて重大な逆行」であるとの認識を示しました(逆行論)。志位談話の特徴は、北東アジア地域と世界の平和と安全に対する「脅威」という表現は用いなかった点にあります。しかし、小池さんは1月8日の記者会見で、「脅威」という言葉を使いました(脅威論)。逆行論と脅威論が同じことを意味しているのであれば論ずる必要はありませんが、異なる言葉が使われる以上、意味も異なり、また認識も異なると解することができます。

 日本共産党は、昨年夏の安保法制に関する衆議院での審議において、制度を設ける根拠(立法事実)が十分に説明されていないと、安倍政権を批判していました。安倍首相は、ホルムズ海峡での機雷の除去などの理由を挙げましたが、それは理由にはならないと退けていました。その後、審議が参議院に移り、政府は東シナ海での尖閣防衛を理由として持ち出し、中国問題や朝鮮半島有事問題など立法事実であることが示されたものの、具体的に議論されないまま9月に法案可決となりました。志位さんが、11月のテレビ番組で「北朝鮮にリアルな危険はない(脅威ではない)」と発言したのは、中国の海洋政策や朝鮮半島有事は安保法制の立法事実にないえないことを主張するためであったと思います。志位さんは、中国や北朝鮮の諸政策 が北東地域と世界の平和と安定の脅威であるかどうかの問題を、一般論としては語らず、あくまでも安保法制の立法事実になるかどうかの問題として扱い、それを否定する議論に徹していたということです。

3 山口代表の事実誤認?
 志位さんの議論方法は、昨年11月のテレビ番組の時点では問題性は表面化しませんでしたが、今年に入って、北朝鮮がいきなり核実験を強行し、国際社会がその脅威を非難し始めたので、日本共産党としても、それを無視できなくなり、談話を発表したのだと思います。しかし、談話のなかで、北朝鮮の核実験を安倍首相と同じように「地域と世界の平和と安定に対する脅威」という言葉を用いると、安保法制の立法事実を補強してしまうことになるので、「逆行」という言葉を選んだのだと思います(穀田さんは、「けしからん」という言葉で説明したそうですが、「けしからん」というのは、北朝鮮の核実験を非難するという意味であって、脅威かどうかの問題をはぐらかしています)。安保法制の 実施を目論む安倍政権と対決する日本共産党としては、安保法制の立法事実を否定するために、北朝鮮の脅威を否定しなくてはなりません。だから、「逆行」していると言わざるをえなかったのです。

 このように、志位さんは、北朝鮮が脅威かどうかを、一般論として語らず、あくまでも安保法制の立法事実との関係で問題にするという態度で一貫しています。しかし、山口さんが批判したのは、志位さんが安保法制の立法事実を批判するために、北朝鮮が核実験を行なっても、それを「逆行」と言い続け、脅威を否定したからです。つまり、北朝鮮の核実験を見れば、志位さんもまた脅威だと認識しますよね。その脅威を取り除くために、何らかの施策を講じなければならないですよね。安保法制はその一環であり、必要なものなのですよ。山口さんは、このように志位さんに向かって述べたわけです。

 しかし、小池さんの対応は単純なもので、志位さんが批判されると、まずは守らなければならないと反発して、いやいや、志位さんも北朝鮮が脅威であることくらいはすでに認識していますよ、と述べてしまいました。北朝鮮の核実験を脅威であると認めたことは、安保法制の立法事実を日本共産党としても補強したことになります。それでも安保法制を批判するならば、新たな根拠(例えば、北朝鮮の脅威は、安保法制を制定するほどまでには至っていない)を提示しなければなりません。志位さんや穀田さんは、北朝鮮の逆行を非難するだけにしていたにもかかわらず、小池さんは「脅威」という言葉で、それをひっくり返してしまいました。事実誤認をしたのは、山口さんではなく、小池さんの方だったようです。

 問題の本質は、アメリカの「核」をどう評価するかである。 エガリテ
平成28(2016)年1月11日

 投稿ありがとうございます。
 今井さんの投稿のあとに1月10日付しんぶん赤旗にBSフジ「プライムニュース」での志位委員長が大いに語った内容が掲載されています。それを読む限りでは、志位委員長は「逆行」と「驚異」を使い分けていないと思われます。志位委員長の主張は「『逆行』により『驚異』が増した」だと思われます。
 いただいた投稿は重要な課題を含みますので、コメントを書いていましたが、またまた長文になってしまいました。別紙に掲載しますのでよければ読んでみて下さい。

 問題の本質は、アメリカ帝国主義の「核」をどう評価するかである。

大阪W選「自主支援の方針を真剣に総括する必要性」 今井明
送信日時:2016/01/07 23:22:24


1.急浮上する府大・市大の統合問題 
2016年1月6日「しんぶん赤旗」の関西紙面に大阪府立大学と大阪市立大学の「統合」問題が報道されています。それは次のような内容です。

 大阪府議会の本会議は、2015年12月22日、松井知事が提案した府大・市大の統合案を「大阪維新の会などの賛成多数で可決強行」しました(「可決強行」というのは分かりにくいですが、自民党が賛成に回ったことは触れられていません)。日本共産党は反対しました。また、現在開会中の大阪市議会でも、同様の議案が提案されていますが、同じ内容の議案はすでに2013年11月の市議会で提案され否決されています。昨年(2015年)5月の大阪市の住民投票でも、「大阪都」構想が反対多数で否決されたときに、府大・市大の統合案は含まれていましたので、否決されたも同然です。従って、大坂市では、府大・市大の統合案は市議会と住民投票で否決されているのです。現在開会中の大阪市議会は、その民意を尊重し、否決すべきです。
 「しんぶん赤旗」は、このように報道しています。

2.大阪W選挙における自民候補の公約とは?
 2015年11月の大阪W選挙では、日本共産党が自主支援した栗原知事候補と柳本市長候補は、この問題を有権者にどのように訴えていたでしょうか。もちろん、栗原さんと柳本さんは、大阪市の存続を前提にした政策として提案していましたが、その内容はどのようなものだったのでしょうか。つまり、日本共産党が自主支援した彼らの政策の中身がどのようなものであったのかという問題です。この問題は、私たちにもブーメランのように帰ってきます。
 栗原さんのホームページには、選挙公約は詳細に書かれていなかったのですが、ネットで報道された記者会見では、府大と市大の統合・再編には「多様な選択肢がある」というような見解を述べていました。柳本さんは、ホームページで、市大は大阪市の知的インフラであり、大阪の成長戦略実現の不可欠な要素なので、市大のブランド力を活かして発展できる「新大学」の実現を検討したいと公約を掲げていました(ユーチューブ「くりはら貴子政策発表会見(栗原・柳本質疑応答)【2015.10.28】開始から32分頃の時点)。つまり、2人の候補者は、府大と市大の統合問題に対して、「様々な選択肢」のなかから妥当な統合・再編の形態を選ぶ、あるいは市大を
 「新大学」として発展させると述べていたのです。これは決して、府大と市大の統合に反対する立場ではありません。日本共産党は、自身が自主支援したのはこのような政策であったことを覚えているでしょうか。

3.住民投票と大阪W選挙の狭間にいる日本共産党
 日本共産党は、府大と市大の統合問題が2013年の市議会で否決され、2015年の住民投票でも、その政策を含めて否決されているので、市議会は民意を尊重すべきであると述べ、2大学の統合に反対しています。しかし、直近に行なわれた大阪W選挙では、維新は「大阪都構想」を前提にして2大学の統合を主張し、自民党候補も前提は違いますが、統合・再編を掲げていました。そして、大坂府民・市民は維新の政策を支持しました。この民意を尊重しなくてもよいはずはありません。
 大坂府議会も市議会も、知事・市長の側は、「大阪都構想」を念頭に置きながら、今後は様々な政策を実施する計画を立てていると思いますが、現在のことろ、府大・市大の統合問題は、「大阪都構想」を前提とした扱いになってはいません。つまり、大坂市の存続を前提にしながらでも実現できる政策になっています。松井知事は、すぐに「大阪都構想」が実現できるとは考えていないようなので、手早くやれることを先に進め、また自民・公明でも賛成できることから順に着手するという手法に訴えているようです。大阪府議会で自民党が松井知事の統合案に賛成したのは、実のところ、栗原・柳本の府大・市大の統合案が維新と大差のないものだったからです。

4.自主支援の方針を真剣に総括する必要性
 日本共産党が自主支援した栗原・柳本候補は、敗北しましたが、松井知事は、府大・市大の統合案を実現するために、彼らの政策を活用し、その範囲内で進めています。日本共産党は、それに反対していますが、何故ですか。「松井知事が維新だから」ですか、それとも「そこまで細かい政策について自主支援したわけではない」からですか。いずれにせよ、大阪府議会の自民党は、維新提案の府大・市大の統合案に賛成しました。その内容は、栗原・柳本候補の選挙公約と同じだったからです。日本共産党が自主支援したのは、その政策だったのです。
 この自主支援という態度は正しかったのでしょうか。日本共産党大阪府委員会は、この点についての真剣な総括が必要であると思います。

 一点共闘や保守との共同(共闘)方針の核心は何かの再確認が必要 エガリテ
平成28(2016)年1月10日


 今井様、投稿ありがとうございます。実はこの投稿に対するコメントをあげようと思って着信履歴を見て、更にもう一通投稿していただいていていることに気づきました。
 もう一通は、もう少し待っていてください。できれば明日にでも掲載します。

 大阪府大・市大「統合」関連法案を自民党も賛成にまわり可決したことは重要です。今井さんが言われるように、大阪W選挙での自民党候補への自主支援の戦い方の総括が必要になってきます。
 同時に、現在提案されている「国民連合政府」構想にも影響する議論だと思っています。
 政党間の共闘は本来どうあるべきかという問題だと思っています。昔は、社共共闘路線の場合は、政策を練り合わせ、相当な時間をかけて共闘(統一戦線)を築いてきました。
 しかし現在の共産党の掲げる「保守との共同」や「一点共闘」には危うさが内包しています。共産党の内部でもこの共闘の位置づけが理解されていないようにみえます。
 高槻市の日本共産党の地域後援会のニュース(街の灯)というのがありますが、そこに各級議員の新年の挨拶が載っていますが、そこに大阪府会議員団長の挨拶の中に「今年は・・・戦争法廃止の『国民連合政府』をつくり、消費税増税や社会保障改悪ストップのために頑張ります」という決意が載せられています。この決意は勇ましいですが、国民連合政府の性格をキチッと把握していない主張です。
 本日付(1月10日)赤旗に志位委員長のBSフジ番組(プライムニュース)での主張が掲載されています。その中で志位委員長は国民連合政府の位置づけを「安保法制=戦争法の廃止と立憲主義の回復という一点での一致を基礎にした政権ですから暫定的な政権」だと答えています。(他の政党と政策の違う消費税はどうするのかという質問に対して)
 つまり、「国民連合政府」というのは一点共闘なのです。この一点共同(共闘)の意味が分からず、この政権で消費税問題など全てが片付くような幻想を振りまいています。
 この弱点が出たのが大阪W選挙です。大阪W選挙は一点共同(共闘)でもない勝手連的な運動でした。しかし共産党はあたかも自民党と政策協定ができたような戦いを組織しました。私は大阪W選挙ではこの戦い方を最初から批判してきました(参照:維新政治と戦わず、自民党の金魚の糞に成り下がった大阪の共産党
 大阪W選挙は一点共同(共闘)の変形でしかなかったのです。共産党は「反大阪維新の会」という一点だけの共同(共闘)を自民党と行ったのです。(行うべきだったのです。)
 ところが共産党の大阪府会議員団長のビラを見れば、「維新に対する批判より、自民党政権になれば府民の生活がこれだけよくなるというビラを配布してしまった」ことに最大の問題点があったと思っています。
 駅頭でタウンミーチングをやるというビラにも栗原候補の写真を大きく載せ(紙面の3分の1位)宣伝しました。このビラを見れば栗原候補が演説に来るように見えましたが、実際は共産党の府会議員が市民の質問に答える集会でした。私もこのビラを批判しましたが、内部からの批判もあったと思われ、その後の同じ内容のビラで栗原候補の写真が小さくなったり、「栗原候補は来られません」と注釈が付いたりしました。
 この大阪W選挙の共産党の戦いを見れば、一点共同(共闘)とは何かが理解されていないと思っています。この総括を今井さんは求めておられますが、今の大阪の共産党にはその力は無いと私は見ています。
 先に述べましたが大阪府会議員団長の新年の挨拶が「国民連合政府をつくり、消費税増税や社会保障改悪ストップ」ですから、未だ一点共闘の意味が分からず、すべての政治課題を流し込む危険性を常に内包しています。
 なぜ大阪W選挙で共産党の支持者は、反維新で結集できなかったのか、それは共産党が自民党を全面的に支持する姿に、市民は呆れ返りついて行けなかったのです。(これについては「大阪ダブル選挙、反維新候補が惨敗・・どうしてこういう結果になるのか?」で詳しく書いています。)
 共産党は基本的には革新の統一戦線を目指して戦うべきですが、今日的局面では「国民連合政府」の提案(実現)は時期にかなったもので有り、支持しますが、この政権はあくまで、戦争法案を廃止し、立件主義を取り戻す戦いであるとの位置づけを理解して取り組まないと大阪W選挙と同じ間違いを犯すと私はみています。
 老婆心ながらそのことを危惧しています。
  

追記:今日、この原稿を書き上げてから、たまたま京都に行く用事があり、京都市長選挙
   のビラを街頭でもらった。そのビラは4ページのビラに仕上がっていて、1ページ
   あたりにB4版の大きさがある。その一面トップは候補者の名前が「HONDA」
   とローマ字で書かれ、ビラの中心は「戦争法廃止は京都から」と書かれている。こ
   れがメインスローガンである。さらには相手候補と味方候補の違いを「戦争法案容
   認。憲法・暮らし・まちを壊す現市政」、「戦争法廃止。憲法を生かし、市民の声
   をきく市政」という標語を載せている。
    大阪では自民党候補を支持したためにこの対立軸を打ち立てる事ができなかっ
   た。ここに惨敗の最大の理由があると私は思っている。
   
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