5月25日付の赤旗はすべての記事が緊張感のない間抜けな内容になっている。


令和2(2020)年5月26日


しんぶん赤旗一面トップは「コロナ危機 共産党の「緊急提案」ここまできた」

 この記事は果たして一面トップの記事に耐ええるか、中身が全くない。最後の締めを読めば如何に馬鹿げているかがわかる。以下に最後の締めを引用します。
 「収入が激減した世帯では、10万円の給付ではとても足りないという声も出ています。生活を支える継続的な補償が必要です。」と書かれていますが、「とても足りないという声も出ています。」この消極的な姿勢にはあきれかえります。
 ちなみに、同自付けの日刊ゲンダイの記事は、見出しで「安倍首相を待ち受ける三つの運命」「逮捕か」「総辞職か」「野垂れ死にか」と書き、リード部分は「黒川騒動はもちろん、これが本番だ。そのほか、弁護士の桜告発でホテルがしゃべればアウトだし、稲田検事総長を切れば、世論は一気に退職要求。コロナ対応でも現場は支離滅裂の混乱で、いよいよ錯乱、官邸は断末魔」と書いている。これぐらいの意気込みがないと赤旗では遠慮してものを言っている。
 日刊ゲンダイは少し過激なので、ここでは置くとして東京新聞の1面は、充実している。東京新聞としんぶん赤旗の違いを比較すれば、赤旗のふがいなさがよく分かります。東京新聞の一面トップは「原発問題」一面左は「森友問題」その下は「黒川氏訓告官邸が決定」という記事を載せています。
 同日の赤旗は、一面トップでコロナ対策の批判記事ですが、最後の締めは先にも書きましたが10万円の給付ではとても足りないという声も出てきます。」他人事で白々しい安倍首相と同じ主張(論法)です。一体誰の主張なのか、共産党の主張か、国民の主張か主語を曖昧にしてさらには主張も曖昧で「声も出ています」という無責任な記事を書いています。こんな記事で心が打たれますか!

安倍首相の欠陥は、国民との「対話能力の低さ」と「気づき」のなさ(毎日新聞「風知草」)

 同日の毎日新聞の「風知草」(山田孝男)さんは、自民党の中堅の衆院議員の言葉として『とにかく安倍路線を代えたい』(中略)「その前に正すべき欠陥がある。国民との対話能力の低さである」と書かれている。さらに柳田邦夫氏の著作「『気づき』の力/生き方を変え、国を変える」(新潮社)に「事の本質に気づくか否かを分けるものは人間の感性である。感性は、現場を踏み、人間に触れて磨かれる」
 感性を働かせた深い気づきがないかぎり、政権の再浮揚はない。」と書かれている。私はこの通りだと思う。これは安倍首相に投げかけられた言葉だが、私は共産党も現場感がないし国民との対話力がない。今日の赤旗を見ればそのことがよく分かる。
 今日の新聞で言えば、黒川氏の「訓告」という処分はあまりにも理に合わず、安倍首相は黒川氏に退職金を渡したい。これまでお世話になったという意図がありありであり国民はこれに怒っている。赤旗はこれに対して無関心である。(この件について私は5月22日「黒川辞任―国民の怒りを結集できない『しんぶん赤旗』―もはや役割が果たせない!)と書いた。(本日5月26日赤旗で初めて取り上げた)
 赤旗の1面にはもう一つ大きな記事がある「香港 再び大規模デモ」「国家安全法抗議 警察が暴力的排除」この記事は、「人権侵害強化の動き中止を」という志位委員長が強く要求と書いているので、まあみられるが、最後の「要求」は弱く「抗議」にするべきだ。
 

黒川氏への定年延長に対する国民の反対運動の盛り上がりを

          「「世論の反発」はダメで「民主主義の底力」が正しいのか?

 赤旗2面におかしな記事が載っている。「『検察庁法改定報道』『民主主義の底力』と報じた『赤旗』」「法政大学教授 上西充子さんに聞く」という記事である。この先生は、「安倍晋三首相が検察庁法改定の今国会で成立断念を表明したことは画期的です。ところが翌19日の朝刊各紙の一面の見出しは「世論の反発」という言葉が並び、『市民がおかしいという声を上げた行動がゆがめてまとめられている』と思い残念でした。」と書いている。「赤旗には、見出しにも本文にも『反発』の言葉はなく、1面の見出しに『民主主義の底力を示した』とありました。疑問の多い法改正の抗議する市民の力を正しく伝えるもので、改めて市民の声が政治を動かす力になることがはっきり示されていました。」と書いています。
 主要紙が使った「反発」は、これまでも野党の政権批判をまとめる表現として使用され「感情的にはねのける」という印象を与えます。世論の「反発」との表現には、「大衆は法案をちゃんと理解もせずに文句ばかり言う」という"権力者目線"を感じます。という記事を載せています。
 私はこの先生の主張は考えすぎであり、学者の議論だと思います。十分理解できなくとも、大衆の鋭い感性でこれはだめだと立ち上がった事の何処が悪いのですか、この先生の考えこそが上から目線だと思います。確かにネット右翼はそのような攻撃を掛けました。きゃりーぱみゅぱみゅは攻撃を受け、自分の発言を削除しました。みんながみんな法律家ではなく、その法案の何処がおかしいのか正確に語れと言われたら語れないかもしれませんが、この主張を行った人は、安倍政権のおかしさに気づき、その声を上げたのです。理解度がどうか等全く問題はありません。
 自分だけが知っている。この現象は「民主主義の底力を示した」というのが正しいという主張は学者の論議であり、共産党の弱点でもあります。「民衆は反発した」は「民衆が立ち上がった」と同義語であり、私が読んでいる毎日新聞が、民衆の戦いを侮辱したようにはまったく感じません。それよりも生意気に、「民衆の戦い」に文句をつけそれは「民主主義の底力を示した」と表現するのが正しいという学者目線こそが上から目線です。

毎日新聞は「庶民がその素朴な正義感で、何に憤り、何を巨悪と認識するかを自分の体で感ずることができねばならぬ」と書いています

 毎日新聞は「世論の反発」という点について当日「余禄」で以下のように書いています。
 戦後の政財界の重大事件をつぶさに見てきた「巨悪は眠らさない」との名フレーズを残した元検事総長の伊藤は講演で、悪の大小の順番はどうやって付けたのかを「方法はただ一つ。検事がいつも庶民の心を失わないことである」「庶民がその素朴な正義感で、何に憤り、何を巨悪と認識するかを自分の体で感ずることができねばならぬ」まことにシンプルな正義論だが、その明快さこそが戦後の検察の公正への国民の信頼をつなぎとめてきたのも事実である。(中略)コロナ禍さなかの政府のこの見当違いを、庶民の「素朴な正義感」が許すはずもない。(中略)過去の疑獄では検察の士気の源泉となってきた庶民のシンプルな正義が、検察の独立と中立を救った一幕である。と書かれている。
 この余禄の何処に「反発」は、これまでも野党の政権批判をまとめる表現だという視点が見られるか、まさに学者の妄想でしかない。

中国に対する報道は、相変わらず甘さを残している。

 実は25日付赤旗は、ほとんどの記事がピンボケであり、1ページずつ批判を行おうと思って書き始めた。この2ページの学者の主張に気づかず構想を立てていたが、2ページで「カチン」と来てしまい、後のページの批判ができなくなった。残念だが既に現在夜中の2時半である。
 一つだけどうしても書きたい記事がある。「米の中国批判に反論」「王毅国務委員外相が会見」という記事があるが、王毅氏の主張を一方的に伝えている。
 毎日新聞はどう報道したか、王毅外相の意見を載せた上で、「ただ、会見では東南アジアや欧州の記者からも中国の高圧的な外交姿勢をただす質問が相次ぎ、中国に対する各国の厳しい目を反映した形になった。」
 シンガポールの記者が、「東南アジア諸国や米国が感染に追われる中、中国は南シナ海での活動を強化している」との見解を提起すると、王氏は「根も葉もないはなしだ」と主張。  
 欧州主要国で高まる中国への警戒心関する質問に「中国と欧州には根本的利害の衝突は存在せず、ライバルではない」と反論した。と中国の怪しい動きに対して、東南アジア・欧州が脅威を感じていることを報道している。赤旗は王毅氏の主張を垂れ流しているだけである。どのページも問題があるもっと書きたいが時間切れです。申し訳ありません。
参照:東京新聞一面(5月25日)