統一地方選挙結果を報道した赤旗の紙面は大本営発表に酷似している。


平成31(2019)年4月30日


選挙結果を客観的に報道できない赤旗の限界


 先に書いた「読者の広場」での私のコメントの見出しに「選挙戦の総括は『勝った、勝った、又勝った』大本営と同じセンス」と載せたが、それは言い過ぎだと思われた方も多いと思われるので、その根拠について書いてみたい。
 4月21日投票日の翌日の赤旗一面記事(大阪版)は「大阪11市町全員当選」という大きな見出しの記事を載せています。中見出しは「地方選 貝塚は空白克服」である。「午前0時30分現在」とは書かれているが、この記事は読者を完全にミスリードしている。
 私は共産党は厳しいだろうと予測していたが、共産党は全員当選したのか、大躍進だなと一瞬思ったが、この記事を読み始めると、まず当選者の万歳の写真が高槻市の写真であった。そんなに勝利していない高槻の写真が出るのは何故かと疑問が沸いた。まさか高槻版があるはずは無いのになぜだろうと思った。
 さらに記事を読むと、「枚方市では1議席増の5議席をめざしましたが、現有4議席の確保となりました」と書かれています。ここで「アレ!」と思いました。
 「見出しは全員当選なのに、『全員ではないやなんか』」それとここには大きな市の結果が載っていない、例えば豊中市や吹田市や寝屋川市なぜ載っていないのかという疑問が沸きました。「↓関連面」と書いているので2面を見ました。
 2面を見ると、「高槻・四条畷・高石・忠岡・藤井寺・貝塚・大阪狭山・泉大津・熊取・田尻・岬」「共産党全員当選の市町」「午前0時20分現在」という大きな見出しがあります。そして記事はこれら市町村の当選者の名前が列挙されています。しかしそれ以外の市町村の当落は一切書いていません。なんとも言えない不思議な記事になっています。
 赤旗には、「選挙結果詳報はあす、あさって」というお断りがあり、選挙結果は、あす(23日)あさって(24日)に詳しく報道します。と書いています。 
 ところが、23日の赤旗にも、豊中や寝屋川の記事は見つかりません。
 よくよく見ると「統一地方選後半戦の結果」「43市25町1村で169人が当選」(近畿2府4県43市25町1村)という記事があり、その中の大阪の欄に初めて大阪の全市長選の当落が書かれています。その書き方はした。「貝塚市(定数18)は1議席を取りもどし、空白を克服しました。」「定数削減された豊中市(定数34、2減)は前回比6から4、寝屋川市(定数24、3減)は現有5人から2、門真市(定数20、1減)は現有4から2、岸和田市(定数24、2減)は前回比5から4になりま」と延々と書いていますが、最初の貝塚市だけが勝った選挙で後は現有議席を守ったか、現有議席を減らしています。

選挙戦後半の最大のポイントは衆院大阪12区(寝屋川)の補選


 今回の選挙戦では、衆院大阪12区補選(寝屋川)が大きくクローズアップされましたしかし同時に戦われた寝屋川の市会議員選挙では5人いた市会議員が2人になっています。この原因は何か詳しく分析する必要があります。赤旗は宮本氏の奮闘ばかりを伝えていますが、その選挙戦で市会議員が3人も討ち死にしたことを伝えていません。本当に共産党と市民との共闘は成功していたのか真摯な議論が必要です。
 今回赤旗の報道を見て初めて気が付いたのですが、赤旗の選挙戦の報道は「勝てば官軍」であり、負けた者(地域)の報道は一切しないという報道姿勢を取っています。
 共産党は市会議員選挙といえども、党の選挙ですから、前回の議席数から増えたか減ったかで判断し、議席が減ったところ(選挙区)は何の発言権も有しないのだとことに気が付きました。議員の数は減ったけれども、善戦した、非常によく戦ったという評価は全くありません。(市会議員選挙等は、個人のクローズアップは一切行わない報道姿勢です。)
 このやり方は、戦いの経験の蓄積できないシステムです。市会議員は減らしたが特定の候補が奮闘した場合、他党ならその人に注目が当たりますが、共産党は全員で総ざんげです。このやり方に発展性はありません。
 今回の選挙戦で豊中や、寝屋川が如何なる戦いをしたのかが一切書かれていません。取り分け寝屋川の市会議員選挙を「市民と野党が統一候補」で衆議院補欠選挙を優先して戦った選挙戦術が市議選ににどういう影響を与えたかを注目すべきですが、一切触れていません。

共産党は黒子に徹した場合は強いですが、表に出た場合には弱い。


 市民と野党の戦いは貴重な経験ですが、共産党が裏に回って戦えば成功しますが、共産党が前面に出た場合は失敗します。今回の寝屋川の選挙はこれに当たると思われます。
 共産党は京都では蜷川府政(一九五〇年以来七期二十八年)の実現に大きく貢献してきました。大阪でも社共共闘で黒田府政の実現に大きな役割を果たし、社会党がこの戦列を離れた際、共産党1党で黒田氏を支え当選させています。
 共産党が裏に回れば強いのですが、共闘路線の戦いは共産党の党勢拡大にもつながります。戦いの中で共産党が次第に勢力を伸ばしていくと「庇を貸して母屋を取られる」という議論が生まれ、過去には社会党は共産党との共闘から脱落していきます。(最も社会党の共闘からの脱落は自民党からの攻撃や誘いあるいは、部落解放同盟に乗っ取られたという政治的経過が最も大きな原因ではあるが)

共産党は大きな政治的決断を行った。市民と野党の共闘の主導権を握ると。


 こうした警戒論が一般にある中で、今回共産党は大きな賭けに出ました。市民と野党の統一で政治を動かすという方針を具体化するため、現職国会議員で有る宮本氏を議員辞職させ統一候補として戦いました。これは市民と野党の統一候補路線がなかなか進展しない中で自ら身を切り実践することで、この流れを作り、一方的な共産党の立候補辞退だけを迫る立憲民主党などに対して、統一候補は共産党になる場合もあることを示し、今後の統一戦線での主導権を握ろうとしたと見ています。
 この大胆な発想は評価されるべきだとは思いますが、実績がそれに伴わず、逆に立憲民主党などは、共産党が統一候補では勝てないという確信を得たと思われます。

市民と野党統一戦線は共産党の党勢拡大につながるのか?


 私が何よりも気になるのは、同時に戦われた寝屋川の市議会選挙に良い影響を与えていないことです。5人から2人と政治的に大きな敗北を期しています。これは深刻な事態であり、その原因は何かをしっかり究明すべきです。
 例えば大阪維新は自らの政党の衰退を感じ取っており、このまま府会議員選挙や市会議員選挙に打って出ても勝ち目が無いと悟り、知事選挙と市長選挙をぶっつけ、大勝利を得ました。安倍総理のダブル選挙も同じ戦略です。
 共産党は宮本氏を辞職させ市民と野党の協力を進める流れを作ろうと奮闘しましたが、その影響を受け(?)市議選は大惨敗です。なぜ流れが生まれなかったのかをキチット総括せず、「宮本さんの決断に勇気参院戦で本気の共闘へ」というような記事ばかりが踊っていますが、宮本氏の決意などではなく党中央の決断であることは誰もが承知している。その決断が正しかったか、寝屋川の選挙結果(宮本氏の票数や市会議員の結果)との関連で語られるべきだと思っています。

宮本氏の選挙(市民と野党の統一候補)路線は本当に成功したのか?


 まず、宮本氏の得票数は市民と野党の統一にふさわしい得票数であったのか?
 前回の衆議院選挙と今回の補選を比較してみます。


 市民と野党の統一を掲げながら宮本氏は前回衆院議員選挙で戦った松田 正利氏の得票数を大幅に減らしています。(‐8831票)、前回選挙に比べ樽床氏が加わり、それぞれが前回票を減らしていますが、自民党は、24,589票減らし、維新は4,189票減らし、共産党は8,831票減らしています。樽床氏は24,589+4,189+8,831−2251=35358票得ました。
 つまり樽床氏が新たに立候補したことにより、前回の三人の候補(政党)はそれぞれ票数を減らしましたが、共産党は前回票の38.63%失っています自民党は34.34%、維新は6.48%しか失っていません。大阪維新の完勝です。自民党が維新に奪われるのはある意味では当たり前ですが、共産党が前回比38,63%票を失ったことは深刻です。
 上記に状況が深刻な事は、同時に戦われた市会議員選挙においても現れています。共産党は現職議員が5人いましたが、5人立候補で3人が落選しています。極めて深刻な事態です。
 

 寝屋川市議会議員の中には「新生」や「新風」などの地域政党が前回選挙まで大きな位置を占めており、政党間の栄枯盛衰を見ていくのは難しいが、市会議員選挙で、市民と野党の共闘路線の先頭に立つ共産党に支持が集まったかと言えばそうではなく、市会議員は5名から2名に落とした。この表から見れば共産党は今回選挙で前回より141票増やしているが得票率では0.58%落としている今回は衆議院の補欠選挙と同時に行われた為、投票率は上がり、得票数は6405票増えたが共産党は141票しか増やせなかった。
 公明党は衆議院補欠選挙の方針が明確でなかったため、(自民党候補に入れるか、樽床氏に入れるか)力が入らず、前回より1833票減らし、投票率を3.36%落とした。伸ばしたのはやはり維新である。票で8347票、率で7.12%伸ばしている。
 なお自民の票が前回は無いが、新風という政党が自民色が強く、今回自民党と新風と暖簾分けしたように見える、そういう意味では前回の新風を自民党と見て、今回の自民党+新風で比較を行う方が良いのかもしれない。
 高槻市との比較では、高槻市は立憲民主党が3名当選し、社民も1名当選しているが、寝屋川市では、立憲民主が最下位で1名当選しているだけである。国民民主は候補者すら立てられない。社民は1名立候補したが、752票で完全な泡沫候補に過ぎない。
 要するに共産党が言うほど今回の宮本候補の劇的な立候補は市民には受けていない厳しい争いになったため、敵の方が最大限の力を発揮し、共産党は新しい戦略という策に溺れて実際は衆議院選挙、市会議員選挙とも後退した。
 結果論ではあるが、市民と野党の統一候補と宮本氏の選挙に力を入れ、市会議員選挙に十分な力を回せず、3名の市会議員を失ってしまった、次点で落選した松尾信次氏は最下位候補と1票差である。市会議員選挙にもっと力を入れていたら当選していたと思われる。奇襲作戦は失敗に終わったと見て取れる。