安保法制:共産党 高槻・島本民報のピント外れなビラ


平成27(2015)年9月21日


 安保法案が参院平和安全法制委員会で、集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案が自民・公明両党によって強行採決(17日)翌日配布された高槻・島本民法は相変わらず頓珍漢な理論を振りまいている。
 この安保法案に対する理論的を支えているのが共産党の大阪府会議員団団長の宮原議員である。共産党の大阪府委員会は、この宮原理論の稚拙さに批判をする能力すら既に失われたのか、私個人としては非常に寂しい思いがする。
 

高槻・島本民報は、同じ原稿を下に既に三回もまかれたものの焼き直しである!


 私は、既にまかれた三枚のビラを批判してきた。9月13日に「馬脚を現した共産党大阪府会議員団団長の戦争法案反対のビラ」という文書を書いている。それは、この安保法案関係で宮原議員の書いたこれまでの3枚のビラを批判したものである。それぞれのビラの最大の弱点は、
 まず一枚目のビラ(これは宮原議員のビラに対応して出した一枚目のビラという意味である。)は、アメリカ帝国主義を美化し、アメリカには帝国主義的な側面もあるが、同時に平和外交も行っているとアメリカを二つの側面から評価すべきというアメリカ帝国主義美化論を批判した。注1
 二枚のビラは、安保法案(戦争法案)の首謀者は誰かという議論で、宮原議員は「自衛隊トップの暴走から生まれた安保法制(戦争法案)の強行はやめよ!!」という主張を行ったことを批判した。
 3枚目のビラは、この2枚目のビラに共通する思想的弱点は何かを明らかにした。宮原議員の出した三枚目のビラは、2枚目のビラとほぼ同じビラであり、私が批判した2枚目のビラのおかしな主張「自衛隊トップの暴走から生まれた安保法制(戦争法案)の強行はやめよ!!」自衛隊トップの暴走がすべての原因という主張をこっそり引っ込めたものである。(このビラは、2枚目のビラの発行日が9月10日でこのビラが12日であることからしても明らかに修正版である。)

注1:アメリカ帝国主義の二面性については、確かに26回大会の決議案にもその指摘が
  あります。しかし26回大会は、二面性を認めつつもアメリカ帝国主義の本質は変わ
  っていないとホローしています。以下26回大会の該当部分を引用します。
  
   26回大会(2014年1月15日(水)の中央委員会報告
   米国自身におこった変化――軍事的覇権主義とともに、外交交渉による対応もオ
  バマ政権は、歴代米国政権の基本路線である軍事的覇権主義の立場を継承・固執し
  つつ、多国間・2国間の外交交渉による問題解決に一定の比重をおくという世界戦
  略をとっている」。
   もちろん、オバマ政権が、軍事的覇権主義に固執し、先制攻撃戦略を依然として
  選択肢としていること、さらに、この政権がすすめている外交戦略も、大局的に見
  れば、米国の影響力の確保という覇権主義の戦略の一環としてすすめられているこ
  と――すなわちアメリカ帝国主義の本質に変わりはないことを直視しなくてはなり
  ません。
       これが共産党のアメリカ帝国主義に対する評価だ

強行採決後、宮原レポートは共産党高槻・島本民報に焼き直され発行された。

 強行採決後発行された高槻・島本民報は、この間宮原レポートとして発行された府会議員の個人ビラが共産党高槻・島本地区委員会の正式な主張であることを示したものである。
 その内容は宮原レポートと全く同じであり、見出しに「安保関連法 強行採決は絶対に間違い!」という見出しを付け足したに過ぎないビラである。この見出しのすぐ下に、「正すべきは自衛隊トップの暴走」「安倍首相訪米の4ヵ月前に約束していました」という見出しを掲げている。
 宮原議員は、「自衛隊トップの暴走から生まれた安保法制(戦争法案)」という主張は」取り下げたが、彼の考えは全く変わっていない。今日の政治情勢の中で「自衛隊の暴走」が最大の危機だという彼の主張は変わっていない。


共産党高槻・島本民報(ビラ)の異常さ(敵は自衛隊一色)

 この高槻・島本地区委員会発行の民報(ビラ)を見ると、自衛隊という文字のオンパレードである。このビラの見出しの中に「自衛隊」という文字が、7回出てくるが、「安倍内閣」という言葉は一度も現れず(上記でも述べた自衛隊批判の見出しの文言の中に「安倍首相の訪米の4ヵ月前に」で一度だけ「安倍首相」という文字が出るが)、自・公政権という言葉も一回も書かれていない。如何にこのビラの主張が特殊なものであり、政治的に偏向しているかがわかる。

自公暴走 戦争法案を強行採決(赤旗)

 9月18日の赤旗一面の見出しは「自・公暴走 戦争法案を強行採決」であり、縦見出しは「野党、成立阻止へ徹底抗戦」と書いている。この見出しこそが常識的な見出しであり、同日付の毎日新聞も「安保法案 再び強行可決」「野党問責で対抗」という見出しを掲げている。さらに毎日新聞は、【社説】で「安保転換を問う」「参院委採決強行」「民意に背を向けた政権」という記事を書いている。
 本日付(20日)赤旗に参院本会議での戦争法案に対する小池副委員の反対討論が掲載されているが、その最後の締めくくりは、「日本共産党は、戦後最悪の安倍政権を打倒し、この国の政治に立憲主義、民主主義、平和主義を取り戻すため、あらゆる政党、団体、個人のみなさんと力をあわせてたたかいぬく決意を表明し、憲法違反の希代の悪法、戦争法案に対する怒りをこめた反対討論とします」と締め括っている。
 共産党中央が主張しているのは、「安倍内閣の打倒であり、守るべきは立憲主義、民主主義、平和主義であり、それを脅かす希代の悪法戦争法案への批判です。」
 同日付の毎日新聞も、一面で「国家の過ちに謙虚であれ」論説委員長 小松 浩氏の主張を掲載している。その書き出しに<君はいつも正しい。それが間違いと思わぬかぎり、きみはいつも間違う>という今年5月に亡くなられた長田弘さんの詩の一節を引用し、「自・政権の暴走」を戒め、最後に元英外相のハード氏の言葉「民主主義国家の指導者は、国民の圧倒的な支持がある時のみ軍隊を派遣できる」という言葉で締めている。
 つまりこの安保法案(戦争法案)が強行採決された時点での、政治的争点は小池議員の主張のとおり、立憲主義、民主主義、平和主義こそが争点であり、それを掲げて安倍政権を打倒に追い込むことが政治的最大の争点であり課題である。
 そういう意味では、赤旗(20日付)の一面「『戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府』の実現をよびかけます」は、この政治状況にかなった呼びかけであり政治的には正しい選択であると見ている。(この声明は別途批判を考えているが)
 宮原大阪府会議員団団長は、戦争法(安保法制)反対の戦いを、「自衛隊の暴走」にその主要な矛先を求めているが、これは一見勇ましく見えるが、全くのピント外れであり、共産党が打ち出した新たな戦いの目標(「『戦争法』(安保法制)廃止の国民連合政府」案)に水を差すものである。
 今戦われようとしている戦いの主要な敵は、立憲主義、民主主義、平和主義を破壊しようとしている自・公政権であり、決して自衛隊のトップではない。宮原議員は自衛隊のトップが主要な敵と言うなら、その具体的戦い方を示すべきである。
 宮原議員は単なる思いつきでビラを書いている。しかしそれがいつの間にか高槻・島本共産党地区委員会の公式見解になり、さらには共産党大阪府委員会の主張になるのなら、共産党のだらし無さに恐怖を感じる。

大阪民主新報の相変わらずの間抜けさにも気になる

 最後の大阪民主新報はこの強行採決をどう伝えたかを書いておく。一面トップに「止まらぬ戦争法案反対・安倍退陣の声」この主張は、宮原レポートと違い、安倍内閣の退陣を求めており評価出来る。
 ただこれは個人の趣味趣向の範囲だと思うが、私は「止まらぬ」というこの見出しがきらいである。「止まらぬ」は一般的に「止まらぬ不祥事」というように、悪いことが広まるという意味で使われる。インターネットで「止まらぬ」と検索してみたが以下の様なものが拾えた。
 
  ★どうにも止まらぬ野心 (@yashin_official) | Twitter
  ★イライラ朴大統領の止まらぬ暴走 韓国政界「まるで王朝時代」 元側近 ...
  ★止まらぬ「貧困の連鎖」、子供の教育機会に格差−アベノミクスの影 ...
 
 歳のせいでもう一つ引っかかるフレーズがあります。それは山本リンダのヒット曲「どうにもとまらない」です。これらは「止まらぬ」という言葉を否定的な物事を現すところで使っています。
 なぜ「戦争法案反対」の広がりを「止まらぬ」という表現を使うのか、私には理解不能である。私なら「広がる」とか「全国津々浦々で」というような言葉を使う。

 7面に読者の広場があり、「政権最後のあがきが見える」という投稿を載せている。その内容は宮原議員の主張に近く自衛隊トップの動向を「国民の声を無視してでも暴走する安倍政権の上を行くがごとき自衛隊の暴走です。」・・・「そこに戦前の軍部の姿がダブります」という主張を載せている。
 この読者の声は自衛隊の暴走だけを捉えたのではなく、この主張の見出しから見れば、基本的には自・公政権の枠内での自衛隊の暴走に触れた主張であると見ているが、宮原議員の「自衛隊トップの暴走から生まれた安保法制(戦争法案)」という偏った主張が展開されている中で、それを補強するものとして使われているのなら危険を感じる。
 なぜこのようなことを言うのかと言えば、「大阪都構想」反対の戦いの際に、宮原議員は橋下市長とともに、テレビに出演し大阪都構想が実現されれば、「大阪市内のプールの数が減らされる」と主張しました。その際、勝間和代氏などコメンテータが「プールの数と『大阪都構想」は関連ない、『大阪都構想』の本質的批判をしてくれ」と宮原議員に迫りましたが、彼は「プールの数が減る」という主張に終始しました。
 その翌日の大阪民主新報には、「『大阪都構想』実現でプールの数が減ると」いう記事が載っていました。この例があるので、今回のこの読者の声も「同じような目的で掲載されているのではないか」と気になりました。(最後のこの文書は蛇足ではありますが)