私の人生を変えた  一枚のビラ



  私は40年間の仕事を終え、老後の生活を如何に暮らすか考えていました。いろんな選択肢の一つに、共産党の事務所に無給で勤めて、もう少し事務的な整理整頓を行えば共産党のためになるというようなことを考えていました。(それはこれまでに家に入る共産党のビラ等を見ながら、これではダメだなと思うことが沢山ありました。)
  ある人から電話があり、仕事が斡旋され、アルバイトで働くようになり、老後の一つの生き方が定まりつつありました。そんな時に何気無しに赤旗を広げたときに、一枚のビラが新聞から落ちてきました。それは私の大学時代の親友であったM府会議員の選挙出陣のビラでした。

  しかし、このビラを見たとき、私は唖然としました。これが一せい地方選挙を戦う共産党のビラかと。何が書かれていたかは記憶が定かではありませんが(そのビラをなくしてしまいました)大きくは3点について書かれていました。
  一つめは、母親と子どもで貧しい家庭を生き抜いてきた。母親は行商をして息子を
               支えてきた。
  二つ目は、立身出世話物語で、苦労の中から立ち上がり京都大学を卒業した。
  三つ目は、府会議員としての実績が書かれていたが、その内容が府民の出費を
        500円抑えたという極めてしょうもない手柄であった。

 私はこのビラを見て、今度の一せい地方選挙は大敗すると直感的に思って、その後も赤旗等の論調を丁寧に見たが、全てがその時点での情勢に応えたものになっていなかった。

 ◆弱点の主要な内容は
      @今回の選挙を「震災復興を最大の課題にする」
         聞こえは良いが何をするのか具体策は全くなかった。
      A大阪維新の会との対決を避けた。(選挙公報にも維新の会は全く出てこな
      い。)
      B「命を守る政治」言いながら、「原発の反対」が打ち出せず、「安全点検」を掲
     げてしまった。
  私はこの誤りに気づき、これでは大敗するだろうと思ったが、すでに走り出している選挙戦での修正は難しいと思い、どんどん書き溜めて、選挙結果が出てから共産党にすぐに「意見書1」を送付(4月12日した。後半戦の参考にしてもらおうと思って。)

  私は、共産党から当然返事があり、「ありがとう」といわれると思っていた。(私は共産党をずっと信頼していた)しかし何の返事もなく、受け取ったという回答すら共産党は拒否した。(大阪府委員会)そこで私は意地になり、「意見書」を出しまくった、全部で15通になる。これだけ出しても大阪府は、受け取ったという返事さえしない。

  この事態に至って、私は共産党と戦うことを決意した。私の目標は10年戦争である。今後10年間共産党をウオッチし続け、共産党の誤りを世間に公表し、共産党が参った、「今後は国民の意見に耳を傾けます」という言葉を聞くまで戦い続けるつもりである。

  老人パワーである。老人を無視したらどういうことになるか、是非共産党に知ってもらおうと思っている。おそらく私の予想では、共産党は今の姿勢を変えない限り、国政では完全に敗北し、地域で福祉党のような形で、細々と生き残るのではと思っている。

  共産党は「ネズミを取ることを忘れた猫である」政治とは権力を奪取することである。そういう意味では橋下氏は正しい。共産党のような「安全・安心の街づくり」を選挙戦の争点だと思っている限り、政治の世界では、生き残れない。団塊の世代と共に消え行く運命だ。 10年後が楽しみだ。老後の生きがいができた。老人パワー全開である。