「たかじんのマネー」での共産党府会議員の主張は間違っている。


平成27(2015)年3月8日


 3.11震災直後に戦われた一斉地方選挙でも、秋に戦われた知事選・市長選のダブル選挙でも共産党は「橋下・維新の会」と戦わなかった。

 
 共産党は4年前、橋下・維新の会との対決を避け、大阪府知事選挙、市長選挙で大敗した。
 その最大の失敗は、橋下維新の体質や政策と対決せず、「安心・安全・やさしい大阪」というスローガンを掲げ戦ったことである。しかし共産党はこの敗北から何も学ばず、相変わらず橋下氏との対決を「橋下・維新の会」の体質や政策:「大阪都構想」の本質を暴くのではなく、4年前と同じ「安全・安心・やさしい大阪」路線で闘おうとしている。
 そのことを明らかにしたのが、大阪ローカル番組「たかじんのマネー」(2/28)で橋下市長も出演した「大阪都構想」についての討論番組での、共産党の府会議員団団長である宮原府会議員の発言である。
 この番組は「大阪都構想」問題を取り上げ、全ての党派に呼びかけたが、共産党以外はどの党も参加を断り、共産党だけが参加してくれたと褒めあげ、橋下市長も隣に座った宮原氏を立派な人物だと褒めあげた。(褒め殺しである。)
 橋下市長は、「『「大阪都構想』を基本的には二重行政の解消であり、このことにより多くの財源が生み出され、市民生活の向上のために資することができる」と主張した。これに対して、宮原議員は、「『「大阪都構想』の本当の狙いを明らかにすることができず、「大阪都構想」が実現されれば、プールの数が減るとか、老人の敬老パスがなくなるとか、地下鉄が民営化されれば、サービスが低下するなど具体的な市民生活が破壊される」と一生懸命主張したが、なぜ「大阪都構想」が実施されれば、そうなるのかの説明は一切なかった。
 コメンテーターで出ていた、内閣府男女共同参画会議議員なども務める勝間和代さんやジャーナリストである須田 慎一郎さんは、共産党の主張は「行政が老人福祉等社会福祉政策に重点を置くか、それとも府民の生活基盤を重視するかは行政の政策の重点の置き方の問題であり、『大阪都構想』とは基本的に関係がなく、本日の議論は『大阪都構想』の善し悪しであるから、『大阪都構想』の問題点を語るべきだ」と主張した。橋下氏もこの二人の指摘を踏まえ「反対者達は具体的問題について何も語らず、議員としての自分の利権を守るために『大阪都構想』を反対している。」と批判した。
 CM明けに須田さんが、宮原氏に対して「先ほどCM中に橋下氏が悪いから反対と言われたが、問題は橋下氏か」と聞かれ、宮原氏は「その通り彼が信用できない」と答えた。この宮原氏の回答も極めて非論理的である。なぜ橋下氏が信用できないのか論理建て体系的に説明しなければ、単に好き嫌いの次元で共産党が反対しているように見える。

4年前の選挙戦でも共産党は「橋下氏という人物」の本質を捉えきれなかった。

 4年前私は共産党の地方選挙での戦い方を一貫して批判してきた。それは橋下氏という政治家が如何に危険かを共産党は主張すべきであったが、共産党は語らなかった。大阪知事選・市長選の最終版に橋下「独裁」を許すなという言葉がやっと出たが(23年10月30日)、これは大阪市長選挙に立候補していた平松氏が最初に使い、共産党もその体質を遅ればせながら、「独裁」認定をおこなった。(しかしその後も「暴走」や「横暴」という言葉を使い「独裁」がなかなか定着しなかった) 共産党が橋下氏の「独裁NO」を政策化したのは告示日以降であった。(しかし、選挙ポスターには「独裁NO」はなくあくまで「「安心」・「安全」の「やさしい大阪」であった。)
 この基本的スローガンの決定が告示以降にずれ込み、「安全・安心」路線で戦うのか、「橋下・維新の会の独裁NO」で戦うのかは揺れ動き、選挙結果は極めて惨めな結果となった。  
 その後4年が経過し、再び一斉地方選挙が行われる。ここで共産党は、橋下・維新の会の掲げる「大阪都構想」と今回こそは全面的に対決し、粉砕する必要があるが、共産党の「大阪都構想」批判の論理が未だに分からない。(少なくとも「たかじんのマネー」に出演した宮原議員の主張からは何も伝わってこなかった。)宮原議員の主張は4年前の「安全・安心・やさしい大阪」路線の延長線上の主張であり、ダブル選挙の告示以降のスローガン「橋下『独裁』と闘う」と主張した最終版の主張は消え去っている。(また一からの出直しである。)

「大阪都構想」の最大の狙いは「橋下の橋下による橋下のための政治」である。

 橋下氏は明らかに橋下王国を頭に描いている。彼は大阪府民の利益など何も考えていない。彼は大阪府知事になり、「これで俺は大阪のトップだ、やりたいことはなんでもできる」と思ったが、実際運営してみて足かせが多く、必ずしも自分が大権を振るえない。どうすれば大権を振るえるかを考えた末にだした結論が「大阪都構想」である。彼の足かせは、大阪府は財政が厳しく借金だらけであるが、大阪市は比較的財源があり、しかも地下鉄という優良企業も持っている。この大阪市の財源を府へ吸い上げることが第一の課題だと彼は思った。さらに彼が問題と考えたのは、議会である。大阪市の地下鉄の民営化も議会が反対し、思うようにいかない。この議会を解散させ、自分のやりたい放題の大阪府の運営を彼は狙っている。三番目の足かせは労働組合である。労働組合つぶしに彼は動いた。(最近橋下市長の組合潰しが裁判で違法であると相次いで判断されている。)橋下氏はこの三つの課題の克服へ力を入れていくこれができれば大阪「橋下大国」の誕生であると狙いを定めて動きだした。それが「大阪都構想」である。
 この橋本の狙いと対決する際、宮原議員が主張する「プールの数が減る」みたいな論議ででは全く対抗できない。(3月8日)付の大阪民主新報は宮原議員の発言を受け、民主新報の一面に3人の市民を登場させ宮原発言をカバーしている。そのうち一人はプール問題を語っている。(注1)この共産党のマヌケさは橋下氏にとっては痛くも痒くもない。

注1:3月8日付大阪民主新報:一面トップ「市民の声届く大阪市に」「無理だら
  けの『都』構想は撤回を」「山中日本共産党大阪市議団幹事長が代表質問」と
  いう記事を載せている。この内容は整理されており、宮原発言とは大きな違い
  があるが、この記事を補完するために三名の市民を登場させている。
   一人目は、敬老パス問題を主張、二人目は都構想反対の住民投票には反対
  を、三人目は、プールの数が24から9つ減らされる。という記事です。これ
  は宮原発言に近いものです。

プールの数が24箇所から9箇所減るは「大阪都構想」の本質ではない

 宮原氏が指摘したプールの問題も地下鉄の問題も、テレビではコメンテーターの勝間氏が反論を加えた。プールを行政が運営するのが正しいのか、あるいはそれだけの数が必要なのかと、それに対して宮原氏は高槻市には市民プールが4箇所あると主張したが、勝間氏は、市民全体が使う施設ならわかるが、利用者は限られているのではないかと反論していた。
 さらに地下鉄については、宮原氏が公営だから市民にやさしい運営ができると主張したが、東京では地下鉄は民営だが何ら不満はないサービスは充実していると反論されていた。
 宮原氏の橋下批判の何が間違っているのか、サービス低下が「大阪都構想」によってもたらされるという批判は、たとえば大阪府民が、関西の私鉄のサービスが、大阪地下鉄に劣っているという認識が府民の中での共通認識になっているかである。
 サービス問題より、大阪市の財産が、民間に売り渡され、それを取得したものが多くの利益を得る。つまり大阪市の行政運営の中で、儲けが出るものは全て民間に売り渡すという手法が正しいか否かの戦いである。

橋下氏が狙っているのは、自治の破壊であり、民主主義の破壊である。

 彼は大阪市議会の解体を最大限狙っている。大阪は庶民の街であり、共産党の市会議員も強い。このような議会と共存することを彼は最大に嫌らっている。「大阪都構想」などと耳あたりのいい言葉を使い、何か大阪が東京のような繁栄が保証されているような幻想をバラマキ、「大阪市の解体」を狙っているのが「大阪都構想」(実際は「大阪市解体」構想)である。・・・共産党は、この言葉を使うべきである。
 共産党が本当に闘う気があるのであれば、「『大阪都構想』は、『大阪市解体構想』であり、市民の代表である大阪市議会を解体し、橋下氏が、自由に大権が振るえる行政機関に衣替えをすることを狙っているのである。これは大阪市民の願いではなく、大阪の財界の願いであり、儲かるものは全て民営化して財界の要望に応えようとするものである。」と主張すべきである。
 この橋下氏の狙いの本質を暴かず、「プールの数が減る」で戦うのは、橋下氏側からみればハチが刺す痛さも感じられず、せいぜい蚊が刺した程度の痛みでしか過ぎない。

宮原府会議員の選挙戦に望むビラには、闘いの基調が全くない

 話が、前後するが、この府会議員は、前回4年前の選挙の際に、震災後の最大の政治戦であったにもかかわらず、原発反対も橋下維新の会の批判もない選挙広報を発表した。さらに彼の個人ビラは、母ひとり子一人で非常に苦労し、京都大学を出たというお涙頂戴の選挙ビラであった。私がこのホームページを立ち上げたのは、このビラに呆れ返って、批判を繰り返したが、何ら有効な回答もなく、私がついに切れて立ち上げたものである。
 驚くべき事に、4年後の現在、彼はまた同じビラをまき始めた。すでに一度この問題は取り上げたが、新たなビラもやはり同じ趣旨のビラである。(別紙資料参照)
 このビラを少し照会したい。まずプロフィール「父の死後、・・5歳から母に育てられる・・京都大学文学部で学ぶ。」
 趣味:【読書】(歴史小説や時代小説・人情もの、マンガなど)・・心に残った【映画】:「あなたへ」・・「たそがれ清兵衛」「寅さんシリーズ」【嫌いなこと】弱いものいじめ【好きな歴史上の人物】吉田松陰、坂本龍馬、【人生の目標】明るい幸せな社会
 というものです。何かいい人を演出し、基本的思想は「人情」だと読み取れる。
 しかしたとえば、心に残った映画が「あなたへ」というのは、高倉健さんが亡なれ、高倉健ブームが起こっていることに便乗しようとするアザトサが目に付く。(私もこの映画を見たが心に残る映画とは言えない。)もっといい映画がたくさんある。たとえば私が昨日見たクリント・イーストウッド監督の「アメリカンスナイパー」等は反戦の立場に立ったいい映画だった。全ての趣味が大衆迎合的中身である。・・・これでは候補者本人の真の姿が浮かび上がらない。
 次のページは。「私があゆんだ道」であり、生い立ちを書いている。この議員は初めて立候補したのではなく大阪府会議員6期をすでに努めており、このような生い立ちより、府会議員の実績を中心に書くべきである。
 裏面に「府会議員として24年」子育て支援と平和に全力という記事を書いているが、府会議員の最大の課題を、子育て支援と平和に絞ったのも疑問が残る。平和の記事は囲い込み記事で「安倍政権と維新の会が憲法を変えることで一致」という記事を書いているが、これそのものに反対はしないが、橋下氏の押し進める「大阪都構想」こそが、自治の否定であり民主主義の否定だと、現場からの憲法破壊の実態を語って欲しかった。
 さらに左半分に「府民のくらしを守る」として記事を書いているが、これは実績を書いているのか、今後の課題を書いているのか、わかりにくい。課題としては何かミミッチー感じがする。もっとみんなが希望を持てるような課題整理を行うべきだ。

「大阪都構想」(「大阪市解体構想」)と戦わない者に未来はない

 この「大阪都構想」問題のテレビが放映された後、宮原府会議員は駅頭演説で、「たかじんのマネー」に出演し、私は庶民の生活を守る立場から精一杯発言しましたと主張していた。確かにその通りであったが、「大阪都構想」反対という立場の議論としては極めて不十分であった。論争する場合、敵の狙いが何であるかを暴かずに、自分の主張だけを行っても、相手を論破したことにならない。スタジオの参加者も、宮原議員の主張が反論になっていないことを盛んに主張していた。
 一言で、橋下氏の狙いは何かを語らねばならない。それは「大阪市の解体」であって、大阪市議会も解体し、大阪市の財源から2200億円を府へ移動させ、市民の権利を奪い、また地下鉄など市民の財産を企業に売り渡す橋下独裁体制を築こうとしている。彼は、その成果を掲げて中央政界に乗り込み、安倍氏と協力し、憲法改悪を狙っている。安倍氏と同様に日本の政治の右翼的再変異情熱を燃やしている。これが彼の真の狙いである。
 
 堺市長選挙で大阪維新の会に勝ったのは、竹山 修身市長が市民の利益にならないことをきちっと説明したからである。
 この主張をしっかりしない限り、5月17日予定の「大阪都構想」の賛否を問う住民投票で負ける危険性すらある。