ふたたび「帝国の慰安婦」


平成26(2014)年9月8日



「日本共産党」の「慰安婦論」(志位委員長)を読んだ

 昨日私は、「帝国の慰安婦/植民地支配と記憶の違い」の著者 朴裕河氏のダイジェスト版を読むという記事を書いた。しかし今日「歴史の偽造は許されない―「河野談話」と日本軍「慰安婦」問題の真実 日本軍「慰安婦」問題の本質は何か、事実はどこにあるか。歴史を捻じ曲げる一部勢力の攻撃を論破する。」
「志位和夫著慰安婦問題と日本共産党」(以下「志位論文」という)を読んで一昨日のまとめで重要な視点を落としていることに気がついた。

 朴裕河氏の主張の優れたところは、「慰安婦」とは何かの定義を行っていることである。これについても一定は触れたが、本日共産党の志位委員長の主張を読んでこの定義ができていないところに重要な問題があることに気がついた。
 「志位論文」の主張を拾いながら、朴裕河氏の主張の鋭さに再度触れてみたい。

「共産党」は「従軍慰安婦」とは呼ばず、日本軍「慰安婦」あるいは「慰安婦」と呼んでいる。

 まず最初にお断りしておかなければならないことは、共産党は基本的に「従軍慰安婦」という言葉を使っていない。日本軍「慰安婦」あるいは「慰安婦」という言葉を使っている。この「志位論文」の見出しも「日本軍『慰安婦』問題の真実」である。
  例えばこの問題の第一人者吉見義明氏の岩波新書の題名は「従軍慰安婦」である。なぜ共産党は「従軍慰安婦」という言葉を使わないのか、この点については良くわからないが、「慰安婦」とは何かの定義に関連していると思われる。

小池副委員等は強制性の証拠は「河野談話」と「裁判所の事実認定」

 前にも述べたが「報道2001」に出席していた小池副委員長は、吉田証言が虚偽だったことを朝日新聞が認めた段階で、強制連行の根拠がなくなったのではないかとの批判に対して、いや日本の裁判所で強制連行が認定されているということを最大限主張した。この発言は終了時間間際だったので、橋下市長や野村弁護士が何か反論したが、よくわからなかった。(前回私が紹介したのは「河野談話に基づき反論していた」であったが正確性を欠き、彼はその後「裁判例」があると主張していた。)
 この彼の主張が良くわからなかったので、前回はこれを省略したが、今回志位論文」を読んで小池氏の主張の意味がよくわかった。
 「志位論文」は従軍慰安婦問題が、「20万人以上の韓国人が強制連行されて「慰安婦」とされた」という韓国側の定義(アメリカに設置された慰安婦碑文)に対して、何ら評価を加えず、吉田証言の虚偽が公に明らかになった段階で、他の根拠から「強制連行」があったことの実証に最大限努めている。それは小池氏が発言した河野談話と「裁判例」である。

裁判所の事実認定は「朝鮮人」と「中国人」は全く違った「事実認定」になっている。

 この裁判例10件が取り上げられ、この10件の裁判のうち8件の裁判の判決では、元「慰安婦」たちの被害の実態を詳しく事実認定しています。と書いている。さらに8件の事実認定の内容を書いているが、この内容こそが極めて重要な問題である。8件の事例のうち4件は韓国人が被害のケース、他の4件は中国人のケースである。
 まず韓国人のケース(4件)に共通するのは、連れて行ったのは、日本人と朝鮮人の二人連れである。ここでは4件とも「日本人」とだけ書かれ、「軍人」という言葉が一切ない。次にどのように連れ込まれたかでは、「軍服工場にお金を稼ぎにいかないか」、「日本人の紹介するいい働き口がある」、「日本の工場に行けば、一年もすれば嫁入り支度もできる」、「金儲けができる仕事がある」という言葉に釣られてついて行ったというものである。さらにどこに連れ込まれたかでは「ラバウルに連行された」、「中国各地の慰安所」、「慰安所にいれられた」「『陸軍部隊慰安所』という看板が掲げられた長屋の一室にいれられた」とされている。
 これに対して中国人の事実認定は全く違ったものになっている。
  まず連れて行ったのは「日本軍兵士によって」、「3人の中国人と3人の武装した日本軍兵士」、「日本軍」、「日本軍兵士」中国の案件はすべて連れて行ったのは「日本軍兵士」である。さらに、連れて行かれた方法は「拉致・連行」、「拉致・連行」、「後ろ手を縛られ連行」、「拉致・連行」、明らかにすべて「強制連行」である。また、どこに連れて行かれたかでは、「『ヤドン』(岩山の横穴を利用した住居。転じて横穴を穿ったものではなく、煉瓦や石を積み重ねた作った建物も差す。)に監禁された」、「ヤドンの中に監禁された」、「一軒の民家に監禁された」、「ヤドンの中に監禁された」となっている」。
 (以上志位論文より抜粋)

ふたたび朴祐河教授の「慰安婦」とは何かに立ち返る

 この裁判で韓国人の事例と中国人の事例の事実認定が全く違うことが重要であり、これをひとくくりにまとめて「慰安婦」の実態とは言えない。

 朴祐河教授は、日本が戦争した地域にあった性欲処理施設を全て本来の意味での「慰安所」と呼ぶことはできない。たとえば、「現地の女性」がほとんどだった売春施設は本来の意味なら「慰安所」と呼ぶべきではない。つまりそのような場所にいた女性たちは単に性的はけ口でしかなく、「自國の軍人を支える」という意味での「娘子軍」とは言えないのである。さらに、戦場で提供されて、半分継続強姦の形で働かされた女性たちや、戦場での一回性の強姦の被害者も厳密な意味では「慰安婦」ではない。

 オランダや中国の場合、軍が直接集めたり隔離して性労働に従事させたのでそれは文字通り「強制連行」に間違いない。ただその場合は上記の意味での「慰安婦」とは言えない。日本人・朝鮮人・台湾人が「日本帝国内の女性」として軍を支え励ます役割をしたのとは違って、彼女たちへの日本軍の行為は、「征服」した「敵の女」に対する「継続的強姦」の意味をもつからである。
  このような日本軍との「関係の違い」や「慰安婦」に対する理解が、否定者と支援者間に接点を見いだせず慰安婦問題をめぐる混乱が深まったのである。

  大まかに分ければ、問題発生以来、「慰安婦」としてみなされてきた人の中には@もとの意味での「慰安婦」(これは挺身隊よりゆるやかな「国民動員」の一種と見るべきである)A民間運営の施設(占領地や戦地に早くから存在した場所を含む)を軍が指定し衛生などを「管理」した所で働いていた人たち、B戦場で捕まって継続的強姦の対象になっていた「敵の女」の三種類の女性たちが入っていることになる。

  このうち文字通り「強制」はオランダや中国のケースであるが、(軍属扱いされた)「軍服を着た業者」が集めた朝鮮の場合、業者が「挺身隊」(強制的)、しかし「法律を作っての」国民動員。しかし「志願」の形となる)に行くとだましたがために、「強制連行」だったと当事者たちが認識した可能性も高い。

  朴祐河教授は、慰安婦とは何かの定義づけを行っており、彼女によれば「日本帝国の慰安婦」という呼び方で、中国人等が強制的に拉致され強姦された問題は、「慰安婦問題」でなく、犯罪として扱うべきだと主張されている。

オランダや中国人に対する行為は「犯罪」、朝鮮人慰安婦問題は「植民地支配」の責任

  先の裁判所の事実認定においても、朝鮮人慰安婦の事例は、「強制連行」でも、強姦でもなく、騙されてつれてこられたという色彩が強い。この捉え方は河野談話(朝鮮半島では「(慰安婦の)募集、移送、管理等も、甘言、弾圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と同じであり、河野談話が基本的には朝鮮人慰安婦問題の解決の指針になるのではないか。

  オランダや中国人に対する、拉致・強姦事例を持ち出し、朝鮮人慰安婦とゴッチャまぜにした議論は、慰安婦問題を複雑にし、日韓の対立が深まるばかりである。朴祐河教授の問題提起を日韓ともに真摯に議論すべきである。