差別表現と指摘された谷垣演説と共産党

   部落解放運動の今日的到達点を理解していない。


平成27年(2015)年4月4日


谷垣氏演説で差別表現、「不適切」とおわび、撤回(4/4毎日新聞)

自民党の谷垣禎一幹事長は3日、大阪市での街頭演説で維新の党が進める「大阪都構想」に関し、「『自民党大阪府連は都構想に反対している、バカだチョンだ』と維新の方は言っているけども、ちょっとそれは言い過ぎなんじゃないか」と発言した。「チョン」は韓国・朝鮮人への差別的表現に用いられることがあり。谷垣氏は発言を撤回したが、野党からは批判と驚きの声が上がった。
 谷垣氏は演説終了後「不快な思いをさせ大変申し訳ない。不適切な発言についてはおわびし、撤回する」とのコメントを発表した。
 維新の党の柿沢未途成長会長は記者会見で「大変品位のある谷垣氏の言葉とは、にわかに信じがたい」と批判した。・・・共産党は「発言を撤回したのは当然だ。関係者におわびもあってしかるべきだ」とのコメントを出した。【砂糖慶】
 という記事を載せている。

部落解放同盟と言葉狩り

 部落解放同盟の運動の高陽期、差別でもないものを「差別だ」と断定し、民主団体等への介入も含め多くの問題を発生させてきた。この主観的な「差別論」の最初の事件の勃発は東上高志氏が雑誌「部落」に書いた「東北の部落」という紀行文であった。部落解放同盟はこれを差別文書と断定し立命館大学に糾弾闘争(1967年)を仕掛けてきた。(東上高志氏は立命館大学の講師であった)これ以降些細な個人の発言等に目を付け、差別でないものを「差別」と決めつけ、全国いたるところで糾弾闘争が行われ、多くの被害を出してきた。
 分かりやすい事例でいえば、ちあきなおみのヒット曲「四つのお願い」(1970年4月10日に発売された。ちあきなおみの4枚目のシングルである。)が放送自粛された歴史がある。この歌の内容には全く差別的な意図はないが、タイトルの「四つ」という言葉が部落差別を連想される差別用語とされたため、ちあきなおみの代表曲の一つであるにもかかわらず、1980年代後半から1990年代にかけてはCDなどへのベスト盤へは収録されず、放送も自粛されていた。(この「四つ」は四葉のクローバの意味だと思われる)
 谷垣氏が発言した「バカだチョン」という言葉もしばしば放送などで、出演者が発言し、解放同盟の抗議で、その後その言葉を使ったものは、お詫びを強要されてきた。
 この言葉を多くの人が知ったのは、1980年代にあるカメラメーカーの宣伝に「バカチョン」カメラというのが出現したからである。最初はこの宣伝が受けて大ヒット商品になったが、この表現が差別でと指摘され、このカメラの表現を撤回した。
 しかしこの「バカチョンカメラ」のネーミングには差別を助長するような意図は全くなくこのカメラの正式名称は、「何も考えずにバカみたいにボタンをチョンと押せば撮影されるカメラ」であり、「バカチョンカメラ」はその略称である。
 タレントの間寛平がテレビのバラエティ生放送で「僕はカメラの知識はぜんぜんダメで、昔からバカチョンカメラしか持っていないんですよ」と発言したことに対し、部落解放同盟から「チョンは在日韓国人及び在日朝鮮人を指す差別用語であり、何の知識を持ち合わせていない人種という日本人の一方的な差別用語である」との抗議電話があり、謝罪させられた。(ウィキペディア:バカチョン)
 こうした「差別論」は誤りであり、差別の解消には何の役にも立たないと批判して、部落解放運動携わっていた人達が部落解放同盟正常化全国連絡会議(正常化連)(全解連の前身の組織)を立ち上げ(1970年6月)部落解放同盟と袂をわかつことに意味があったのではないか。

部落解放同盟の運動の中からもこうした差別論の誤りが批判されてきた。

 京都産業大学の教授で京都部落問題研究資料センター所長(2000年から2004年)の灘本 昌久(なだもと まさひさ、1956年4月6日 )は、「差別とは何か」で多くの論文を発表されており、『ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ』(径書房、1999年)などによって、『「チビクロサンボは差別ではない』など、従来の差別論の大きな見直しを一貫して提起されている。
 その彼が、『毎日新聞』1997年3月14日夕刊、(シリーズ世の中探見―部落差別の現在(6))「差別語といかに向きあうか」という文書の中で、この「バカチョン」が差別か否かについて書いておられる。以下一部引用する。
 たとえば、有名なところでは「馬鹿でもチョンでも」のチョンが朝鮮人をさしている差別語だ、という話がある。しかし、この表現は江戸時代に庶民が使っていた言葉で、「チョンまげ」や読点の「チョン」と同根の言葉であって、朝鮮とは何の関係もない。現に、私が大学で教えている朝鮮人学生自身が「自分の父親でも使っている言葉なのに差別とはおかしい」と私に苦情を言いにくるほどである。もちろん、差別的に使われることが皆無とはいえないだろうが、普通の日本語の用法としては例外に属する。・・・・・
 
 私はこうした「××は差別語であり、被差別者を傷つける」という論法の有害性は、三つあると思う。第一は、ある言葉を用いるときの妥当性や正当性あるいは正義が、自分の外部からしかやってこないということだ。・・・・
 有害性の二つめは、被差別者がある言葉で傷つく原因の一半が被差別者自身に内在することを見落とすことである。アメリカ黒人が「ブラック・ピープル」といわれて傷ついた理由のかなりの部分は、「黒い肌はマイナス」という価値観を白人と共有していた自分自身の美意識によるのである。

 三つめは、反差別運動が安易に差別の証拠の仕入れができてしまうということである。差別反対運動にある程度成果があがると、差別事象は減ってくる。そのとき、なお差別が存在すると言いつのるのに、単語狩りは汲めども尽きぬ証拠物件の泉となる。むろん、そうした運動は退廃する。

 差別語を「なくそう」とする限り、その行動は言葉のデリカシー要求運動に収斂していくしかない。差別語は、「いかに向きあう」か、それが問題だ。

 この彼の立場こそが、「言葉狩り」対する明確な回答であり、共産党も部落解放同盟が推し進める「言葉狩り」や「報道自粛用語」等に反対してきた歴史がある。

谷垣氏の発言について、その解決、落としどころはどこにあるのか

 確かに谷垣氏は自民党の幹事長という公人であり、その発言の重さは重要である。社会一般に誤った認識とはいえ、「バカチョン」の「チョン」は朝鮮人を指すと思っている方もおられ、そのようにこの発言を理解する者が皆無とは言えない。
 そういう点では谷垣氏のような重要な責におるものが不用意に発言することは慎むべきではあるが、彼がこの言葉「チョン」を、朝鮮人を念頭おいて発言したとは思われない。そういう意味では攻撃するものは「因縁」を付けるような発言であり、慎まなければならない。
 今また「言葉狩り」が大手を振って社会に横行することの方がよっぽど害があり、この発言は「公人としては配慮にかけた」と本人が謝れば、それを「了」として受け止めることが大切である。何か喋れば「差別」だと批判されるような社会は、二度と復活させてはならない。
 共産党は、谷垣幹事長の今回の発言に接し、自らが主張してきた「言葉狩り」反対の立場をすでに忘れてしまったのかも知れない。自民党の谷垣さんだから、「攻撃せよ」というようなご都合主義では逆に批判されるだけである。