舛添問題とその背後に忍び寄る安倍首相の影


平28(2016)年5月17日


舛添氏がマスコミに叩かれている姿を見るのは痛快である、しかしこの裏はないのか?

舛添氏の豪華大名旅行の外遊や、公用車を使って毎週末湯河原の別荘に行っていた問題、さらには家族旅行を政治に関する会議と主張したり、家族での飲食代まで政治資金で処理したりする彼の政治姿勢が大きく取り上げられています。
  確かに彼の弁明や会見での主張を見ても、全く説明にならない説明に終始し、舛添要一という政治家が馬脚を現したといえる現象です。
  これに追い打ちをかけているのが、これまでの数々の事件に必ず顔を出し、発言している片山さつき議員が、ここぞとばかり出てきて、彼は昔から変わらない「ケチでセコかった」と証言しています。
 これまで片山さつき議員は、事件があるたびに顔を出し、軽率な発言を繰り返し問題になっていましたが、今回は元夫のことであり、的を射た発言だと思います。(注1)

注1:片山議員の発言で私が批判したのは、大津のいじめ問題で、こいつが犯人だというような
   名前だしを行い、それが事実と相違していた事件です。(参照:教育評論家尾木直樹(尾
   木ママ)という人物 共産党系の教育評論家として脚光を浴びる。

  確かに、舛添都知事の弁明を聞いていると、こんな男が都知事だったのかと、彼の人間性を疑われる弁明ばかりです。例えば毎週末湯河原の別荘に行っていた問題を追及された際、私が地震で下敷きになったらどうするの、私が湯河原にいた方が安全だという趣旨の発言を行ったりしています。(注2)

注2:仮に新宿の近くにいても、これが壊滅的な打撃を受けて、私ががれきの下敷きになって出
    ることもできない。少し離れた立川にいましたとか、下町にいました。こっちからの方が早く
    来られますというケース・バイ・ケースなのです。だから、先ほど申し上げましたように、東京
    都にいればいいということではないし、東京都にいなければいけないということでもない。
    (4月28日舛添都知事定例記者会見:産経ニュース2016.4.29 06:01更新)

  都民の命をどう思っているのか、自分は重要人物だから、守られるべきだという選民意識が彼にはあることが分かる主張です。

 さらに彼は、TBSの「ニュース23」に生出演し(5月9日)、一連の問題点について指摘されましたが、反省の色は全くなく、苦しい弁明に終始しました。この弁明の中にも選民意識がありました。

  アナウンサーからなぜ貴賓室や豪華スイートに泊まる必要があるのか聞かれたさい、自分が大物だと相手に見せるために、こうした演出が必要だという趣旨の発言を行いました。
  またなぜ飛行機は100万円もの上乗せが必要なファーストクラスでないといけないのかと相当につっこまれましたが、自分は大物だから当然この待遇を受けて当たり前というような回答に終始しました。
 ところが昨日(5月16日)の羽鳥慎一のモーニングショーで、過去の舛添氏の発言を取り上げられていましたが、その内容は、民主党の国会議員が外遊の際にファーストクラスで行ったことをとらえ、「大臣になったんだからファーストクラスで海外というさもしい根性(注3)が気に食わない」と彼が過去に発言していることが紹介されていた。

注3:さもしいを辞書で引くと、1 品性が下劣なさま。心根が卑しい。意地汚い。

  この「さもしい」という言葉は、今日までの舛添氏の生き方にピッタリと当てはまる。「こんな男は一刻も早く、政界から去るべきである。」と思うのは当然のように思われるが、この舛添退陣劇の演出を行っているのは、安倍総理周辺とそれをバックで支えている右翼陣営の策動だという議論がインターネットでは多くみられる。

大手新聞や、テレビだけでは、真実が見えず、インターネットでの指摘が重要。


 まず今回の一連の不祥事が発覚し、舛添批判が新聞・週刊誌・テレビなどオンパレードであり、見ていて舛添の馬鹿さがどんどん暴き出されていく姿は痛快であるが、これが政府によるマスコミの操作でないのか冷静に見ていく必要がある。
 舛添批判そのものは正しく、彼は政治家の矜持を持ち合わせておらず、ただの金にセコイ、エリート意識だけの人物に見える。しかも、舛添氏以上に同じ問題を抱えた政治家が沢山いるが、それらの人に対してマスコミは批判を行っていない。
  まず、石原慎太郎は、舛添以上に都政の私物化を行ってきたが、このような批判にさらされていない。石原慎太郎も多くの外遊を行い、やはり大名旅行を行っていた。都庁の税金で、自分の息子を都の関連事業(TWS)に登用したり、その「TWS」を通じて、3枚の絵画を計約52万円で購入していた歴史もある。(注4)

注4:石原都知事が猛反発…画家の四男・延啓氏“公費旅行”疑惑
   石原慎太郎東京都知事(74)は24日の定例会見で、画家の四男・延啓(のぶひろ)氏(4
    0)の登用をめぐる都の事業の「私物化」疑惑に猛反発した。石原知事は、時折語気を強め
    ながら「(人事は)わたしが命じたわけではない」と断言。延啓氏の活動はボランティアで行
    われているとし、「息子だが立派な芸術家。余人をもって替えがたかったら、どんな人間でも
    使う」と強調した。(2006年11月25日06時05分 スポーツ報知)

舛添批判の痛快さに酔っている間に、何か大きなものを失っていないか

  何か政治的目的をもって、舛添叩きが行われていないか、冷静に考えてみることも重要である。最近の事例では、甘利氏の問題や高市早苗の問題があるが、大手メディアは、これらはほとんど取り上げられていない。
  もう少し遡れば、小沢一郎の政治資金の問題が取り上げられ、共産党はその先頭に立って戦い、小沢一郎の政治的影響力を奪ってしまったが、これも民主党つぶしの策略であったのかもしれない。
 共産党は今頃になって、小沢氏との連携を深めている。小沢おろしは一体何であったのかの政治的総括を行わず、志位氏が小沢氏と会談し、野党共闘の戦略戦術を教わっているという報道があるが、過去の総括抜きの接近は無責任な野合に見える。
  インターネットでの舛添批判を見ていると、政治と金の問題ではなく、舛添氏の政治姿勢を明らかに攻撃している。その一つは韓国との関係であり、もう一つは憲法に対する舛添氏の立ち位置の問題である。
 舛添批判の本質は、安倍一強内閣が、日銀の人事に関与したり、NHKのトップをやはり安倍派に替えたり、重要な国家権力をすべて安倍派で握る右派勢力の権力奪取の一貫かもしれない。この視点からの検証が必要である。

舛添批判の核心は何か

 インターネットに「ねねねNEWS」というサイトがある。ここの舛添問題の見出しを見れば、「舛添要一『公用車&韓国人特別支援学校&豪遊』問題で任期前の辞任も」になっている。核心は、「韓国人特別支援学校」問題である。
 舛添要一都知事の問題と見出しを掲げ、第1番目に問題としているのは、韓国人特別支援学校問題を取り上げている。
  この問題の本質がどこにあるのか、私は把握していないが、日韓首脳会談ができなかった時代に、舛添氏が韓国を訪れ、パククネ大統領と会談し、安倍氏ができないことを俺はやってのけたと政治的に宣伝に利用し、裏でこの韓国人学校の増設を約束してきたのでないかと思われる。
 韓国人特別支援学校へ土地の提供を行うことにわたしは反対しないが、ただ舛添氏が政治的に利用したのであれば反対である。
  この問題の反対派は、民族的な差別的視点にたって反対しているように見える。ことさら舛添氏の出自にまで言及し、韓国との関連性を強調し、舛添氏に対する非国民的批判は当たらないと思う。ヘイトスピーチ的な視点からの舛添氏攻撃には反対する。

舛添氏は憲法の立憲主義を主張していた。

  次に、最も重要な視点であるが、舛添氏は超保守的な思想や憲法観を否定し、堂々と自己の主張を行っている。
 例えば、舛添氏は都知事選挙当選後の初の記者会見で、選挙で支援を受けた自民党の憲法改正草案について「立憲主義の観点から問題がある。今のままの草案だったら、私は国民投票で反対」する」と述べた。
 以下舛添氏のHPから彼の憲法観を見てみる。

憲法の基本を知らない国会議員たち(舛添要一)   2015-08-09 09:27:30  


 最近の国会議員の言動をみるに、憲法の基本を学んでいるのだろうかという疑問を持たざるをえない。自民党は、2005年10月28日に、「新憲法草案(第一次草案)」を発表し、2012年4月27日に「日本国憲法改正草案(第二次草案)」を決定した。私は、第一次草案の取り纏めに深く関わったが、当時、与党であった自民党は、政権党の矜持をもって、人類の智恵の集積に依拠し、バランスのとれた責任ある草案を作成した。その私は、すでに自民党を離党し新党改革を立ち上げていたが、野党時代の自民党が纏めた第二次草案を一読して驚いてしまった。それは、右か左かというイデオロギーの問題以前に、憲法というものについて基本的なことを理解していない人々が書いたとしか思えなかったからである。
  そこで、昨年、『憲法改正のオモテとウラ:憲法改正とは政治そのものである』(講談社現代新書)という本を書いて、「立憲主義をわかっていない国会議員に任せて大丈夫?」という疑問を呈したのである。しかし、拙著など国会議員は読まないのか、私の危機感は伝わっていないようである。拙著の4ページに以下のように書いた。
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  「第二次草案」をまとめたと言われている自民党議員は東大法学部の出身であるが、母校の憲法の授業で立憲主義について教わったことがないと言ったという。それを聞いたら、憲法講義の冒頭に立憲主義を教えたはずの故芦部信喜教授が、何と言うであろうか。ちなみに、芦部教授は私の師でもある。」
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  この自民党議員とは、法的安定性軽視発言をした磯崎陽輔補佐官である。拙著では、名前は伏せておいたが、ご本人が、立憲主義についての同趣旨の発言を公開しているし、それはすでに報道などで伝えられているので、もう伏せる必要もない。
 武藤貴也衆議院議員は、戦争の悲惨さ、怖さを体験したことがあるのだろうか。取材や視察で、カンボジアやイラクの戦場に身を置いたことのある私は、一発の銃声に恐れおののき、平和や戦争は机上の空論ではなく、実に具体的なものであることを痛感したものである。この議員の憲法観もまた、人類の長年の智恵を踏みにじるものである。自民党の第二次草案のPR用パンフレットでは、「西欧の天賦人権説」が否定されているが、人類が戦って獲得してきた基本的人権についての理解に欠けると言わざるをえない。
  国民の代表として期待されている仕事をするためには、国会議員は、日本国、また諸外国の憲法について基本的な理解をしておく必要があるのではないか。

  この舛添氏の憲法認識はまともである。最近活躍が目立つ憲法学者の小林節氏などと気脈が通じているところがあるのではと思われる。小林節氏も安倍首相等が推し進める超保守の憲法改正論に危惧を抱き、日本国憲法の原点に返る主張をされている。
小林氏は日本国憲法第9条の改正については賛成の立場をとっているが、日本国憲法第96条の改正や憲法内に「愛国の義務」や「家族は助け合わなければならない」というような道徳に関する事柄を明記することについては反対の立場をとっている。
舛添氏も自民党の改憲案「国を愛する国民の努力」等という復古調の条文を削除している。
また、舛添は、憲法に個人の歴史的解釈を入れてはいけないとして、「和を尊び」は中曾根の個人的歴史観であると切って捨てた。「現職の自民党総裁が違憲になりかねないような表現を、自民党の草案に採用することは絶対にできない」とも。『読売新聞』(206年11月23日付)
小林氏は、安倍晋三の解釈改憲については「たいへん危険なこと」であると述べ、安倍政権による憲法改正は実現させてはならないと主張している。

 こうした舛添氏の憲法に対する考え方が安倍首相を中心とする超右派から危険分子化され、今回の騒動で舛添氏(立憲主義の立場に立つ)を葬り去ることに最大の狙いがあるのかもしれない。
保守勢力の中で安倍首相に代表される超右派が台頭し、現在まで自民党の主流を占めてきた保守本流が漂流し始めている。(居場所がないので赤旗の良く顔を出す不思議な現象が起こっている。)この変化をとらえるべきである。

日本の大手メディアは、安倍政権の言論統制に相当屈服しており、大手メディアの論調だけを見ていたら、いつの間にか洗脳されてしまう危険性を常に意識しておく必要がある。
赤旗は舛添問題でも、独自路線を取れず、大手メディアの後追いになってしまっている。

政務活動費「研修費・会議費」・「旅費及び交通費」「0円」は評価されるのか?

最後に高槻市の個別的な案件であるが、政治とお金が注目され、最もそのことに力を入れているのは共産党である。
そこで、共産党の政務活動費の報告が最近のビラで報告されていたが、その内容を見てびっくりした。
支出の項目に「研修費・会議費」あるいは「旅費及び交通費」という欄があるが、すべて「0円」である。舛添氏に比べたら清潔この上ないのであるが、これもおかしいのである。
これは、議員として何も活動をしていないということを表しており、不必要な視察(旅行目的は)いらないが、必要な視察は必ずあるはずである。先進事例から学び、それを高槻市当局に追及することは重要であり、研修費も視察費も「0円」ということは、政務活動費そのものの役割を否定するものであり、共産党の政治活動の停滞を表す数字である。
家族の旅行に政治資金を使う者も入れば、せっかく支給されている政務活動費を研修費や視察に一銭も使わない潔癖な人もいる。しかしこの潔癖さは、何も仕事をしていないことの証明でもある。