赤旗の支離滅裂第三弾

    赤旗の紙面は統一した思考で書かれていない、そこには基本方針が見られない。


平成27(2015)年3月29日
 

海外で戦争する国づくり・・・とどのように対決するか

 共産党は安倍政権が押し進める「海外で戦争できる国」づくりへ反対の姿勢をとっている。
 その立場から言えば、安倍首相が20日の国会質疑で自衛隊を「我が軍」と述べたことは、重大な問題発言であり、単なる「言い間違いでした」では、済ませられる話でないことは明らかである。
 マスメディアもこの問題を積極的に取り上げず、国会でも余り問題となっていないようだが、民主党や維新の会はこの発言を問題として追求しているが、共産党の立場が定かではない。
 「我が軍」問題の数日前に、自民党の三原じゅん子参院議員は16日、参院予算委員会で「ご紹介したいのが、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇(はっこういちう)であります」としたうえで、同理念のもとに経済や税の運用をしていくべきだと質問した。
 こうした自民党が憲法を踏みにじり、「海外で戦争できる国」づくりへ、の前のめり的な発言を捉え、憲法遵守の立場から共産党は、論陣を張るべきだが、おざなりの言葉でこの問題をスルーしている態度は許せない。そのことを象徴する記事が(3月28日付)赤旗に掲載された。

自衛隊「我が軍」発言、首相「他国軍と対比」(3/28赤旗記事の見出し)

 この赤旗の見出しは何か?「『他国軍と対比』の中で『我が軍』発言は発せられたので何ら問題がない」という主張は、菅官房長官の言い訳のセリフそのものである。なぜ赤旗の見出しが、菅官房長官の発言になるのか?(注1)

注1:菅義偉官房長官は25日午前の記者会見で、安倍晋三首相が20日の国会質
  疑で自衛隊を「我が軍」と答弁したことをめぐり、「自衛隊は我が国の防衛を
  主たる任務としている。このような組織を軍隊と呼ぶのであれば、自衛隊も軍
  隊の一つということだ」と述べた。

 首相答弁については「全体の流れとして、外国の軍隊と共同訓練をしていることに対しての質問の中で、自衛隊を『我が軍』と述べた。答弁の誤りにはまったく当たらない」と語った。
 
 赤旗のマヌケさは「首相『他国軍と対比』」と書いた場合、これは安倍首相の発言を批判したと全ての人が捉えてくれることを前提に書かれていると思うが、とりようによっては、安倍首相の弁解を理解(了承)しているようにも見える。 
 菅官房長官の発言を見出しに付けるのであれば、その発言が如何におかしいのかのサブ見出しを付けるべきである。
 インターネットでは「我が軍」発言ができるのはナポレオンかヒットラーだけであるとか、あるいは、精神科医の香山リカさんはツイッターで、米オバマ大統領は「演説で『our military』とは言うけど『my military』とは言いません」と指摘した。「我が」の意味するところは、「私」なのか「我々」なのか。インターネット上では、解釈を巡って意見が交わされたりもしています。
 この安倍首相発言の「我が軍」発言は、「我が」もおかしいが、自衛隊を「軍」というのもおかしい、二重の誤りがある発言である。

「軍」発言のどこが問題かは、27日付け毎日新聞の社説が明確にしている。

 「この記事では『おざなりな認識は困る』であるが、その一部を引用すると、(軍と自衛隊)の「最も決定的な違いは、自衛隊には軍隊に不可欠な『軍法会議』が存在しないことだろう」
 「武力攻撃を目的とする他国の軍隊には通常、特別の法体系として軍法がある。しかし、憲法76条は最高裁を頂点とする司法制度以外のものを認めていない。このため、自衛隊にも一般の国内法が適用される。このように自衛隊と軍隊を明確に区別することを目的として、数々の配慮が積み重なれてきた。・・・・」
 「国民が自衛隊に信頼を寄せるのは、軍隊と異なる存在だからでもあろう。自衛隊と軍との区別がおざなりのままでは、安全保障法制の議論が粗雑になってしまう。」で締めくくっていている。説得力のある主張である。

赤旗にも優秀な記事もある。それは3/27日付の【潮流】である。

 赤旗の【潮流】は、朝日新聞で言えば【天声人語】の値する記事だと思われるが、「我が軍」発言で共産党はどのような発言を行っているか27日付赤旗の記事を探しやが見つからず、やっぱりダメかと思って、【潮流】を見て、初めて「我が軍」問題を扱った記事を発見した。しかもこの記事は赤旗にふさわしい記事であった。
 赤旗は誰が書いているのか知らないが、一般的にはこの欄は第一線の記者を退いた後論説委員等を経験したベテラン記者が書いていると思われる。【潮流】の内容は、赤旗の取るべき基本的立場を示している。以下引用する。
 「馬脚を現したのか、確信犯だったのか。隠しきれない危険な本性が見えました。」安倍首相が、国会で自衛隊を『我が軍』と呼びました。」▼「日本の憲法は9条で、『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』と定め、国の交戦権も認めていません。これまで政府は、自衛隊は自国を防衛するための「必要最小限の実力組織」であって、通常の軍隊ではないとしてきました。▼安倍自公政権はいま、自衛隊をアメリカの戦争に切れ目なく参戦・支援させる『戦争立法』を推し進めようとしています。そのなかで出てきた『我が軍』発言。憲法と自衛隊をめぐる歴代自民党政権の解釈さえも強引に投げ捨て、自衛隊を「軍」にしたいという狙いが透けています。▼防衛大の卒業式訓示。安倍首相は、『不戦の誓い』を現実とするためには先人たちにならい、決然と”行動”しなければならないと強調しまた。・・・平和のためだといえば、戦争も可能だとでもいうのか▼いっせい地方選挙がはじまりました。・・・地方自治の原点を取り戻す機会です。同時に「戦争する国づくりに」を許さない決意を示すときです。▼・・「『平和への一票か、戦争への一票になるのか』。日本の今後がかかる選挙の幕開けです。」で締めくくっています。
 私はこの赤旗の【潮流】の主張の立場を支持します。しかし赤旗の本紙や大阪民主新報はこの立場から相当離れた議論をしています。その事例がこの潮流の翌日の赤旗の【我が軍】の記事です。(上記の記事です。)

だらしない赤旗記事のオンパレード、【潮流】とは大違い。 

 赤旗の弱点は「イスラム国問題」でクローズアップされた。一連の赤旗の主張の批判を行ってきたが、最初に書いた「イスラム国による日本人2人殺害警告と赤旗の主張」を見ていただければ、赤旗の問題点が浮き彫りになると思われます。このイスラム国問題をめぐる報道のなかで、赤旗は「万国の労働者の団結や被抑圧民族の団結」を支持する立場を完全に放棄したことが伺える。
 それを最も明らかにしたのが「志位委員長の「イスラム国」糾弾「声明」は致命的な欠陥を持つ」であった。
 さらには安倍政権が「イスラム国」問題を利用し、日本を一気に海外で戦争できる国へと策動しているにもかかわらず、一切有効な反対運動を組織してこなかった。
 また。大阪での橋下維新による「大阪都構想」と憲法改悪の動きが安倍首相の推し進める憲法改悪の動きと連動して進められようとしているにもかかわらずその反動勢力側の意図を明らかにする戦いを組織せず、府会議員団長は「プールの数が減る」を最大の争点として訴えている。なんでこんなにマヌケな主張になるのかわからない。
 

28日版の赤旗及び大阪民主新報のおかしな記事

 28日付赤旗は、15面【社会】で「戦争立法」世界で武力行使、法律家は許さない、6団体声明「法整備中止を」という記事を載せている。これは良い記事である。だが上記で述べた「我が軍」の記事は全く間が抜けているし、「ニュース@NEWS」欄には「戦争立法で協力要請」と安倍首相の動向を伝え、「成立へ会期の延長も」と【ワシントン=時事】の記事を載せ、自民党の高村正彦副総裁の発言を何の論評もなしに伝えている。
 29日付大阪民主新報は、さすがに「大阪都構想」の是非が今回の選挙戦の最大の争点であることに気がつき、紙面のほぼ5割以上を使って「大阪都構想」批判を始めだした。これは非常に良いことだが、京都大学の藤井聡教授がまとめられたように(「7つの不都合な事実」)ポイントを絞った論議ができていない。 
 取り分けて5面の富田宏治関西学院大教授の講演はすぐれた内容になっている。見出しだけを取り上げると、大見出しが「住民投票に勝利して 維新政治にとどめを」さらに「本質は『大阪市消滅』構想」「『都』構想と改憲への野望」「民主主義の危機を越えよう」という見出しで書かれている。この講演は完全に「大阪都構想」の本質を突いている。これをまとめて、5つぐらいのスローガンにまとめれば市民には分かりやすいと思われる。
 前市長の平松さんも「大阪都構想」反対の市民運動を行っておられるが、そのスローガンは@大阪市がなくなる現実を知らせる、A大阪は「都」にはなれないを知らせる、B「反対」票の正確な情報を提供と書いています。
 Bは少し意味不明ですが、@の大阪がなくなるAの大阪はなくなるが「都」にはなれないというこの2つの主張は重要である。
 恐らく「大阪都構想」賛成派の多くの人は、大阪が「都」になれば何か格が上がって、市民の生活も良くなるのではと幻想を抱いておられると思う。「大阪都構想」で大阪が「都」になるとみんなが思っているのに、「都」にならないということは知ればショックは大きいと思う。
 何しろ分かりやすいスローガンにまとめるべきである。私は大阪民主新報の富田宏治氏の講演内容は大賛成であるが、ただ一点前回の民主新報の記事を批判したのと同じフレーズ「よく分からないものには反対を」があるが、平松さんが言うように、「大阪市がなくなるが「都」にはならない」と説明すれば、ほな、何の為にやるのという疑問が返ってくる。その際、橋下氏は自分の思い通りに市の運営を行いたいと思っている。という話を行い、すぐには信じてもらえない場合は、今までの彼のやってきた問題点を話せば、ほぼ理解してもらえると私は思っている。理解してもらえないのは、「大阪都構想」の企みが何かを、5つぐらいの合言葉でまとめきれていないからだ。

大阪府会議員団長の選挙に向けたビラ(高槻民報:2015年3月 No.15-1)

 相変わらず争点が曖昧で何を言っているのか分からないビラをまいている。
まず一面「平和が心配」「暮らしが大変」みなさんの思い・・・まっすぐに届けます。これが現在の共産党の闘う姿です。何が問題か、この見出しは「平和」も「くらし」も触れている。何も問題がないのではと思われる方も多いと思われるでしょうが、違うのです。全くマヌケなスローガンになっています。
 彼のこの文書には「敵」がいないのです。誰が平和を犯そうとしているのか、誰が暮らしを破壊しようとしているのか、「敵」が明確にされていません。これでは、北朝鮮からミサイルが飛んでくるから、あるいは中国が尖閣列島を奪いにくるから「平和が心配」なのか分かりません。暮らしも同じです。誰が大企業中心の政治を行い、消費税値上げや非正規雇用の拡大を通じて国民の生活を破壊しているのか明確にしていません。
 さらには、「敵」を明確にしないということは、必然的に戦いを組織するという観点がこのビラには全くありません。本来共産党は労働者の戦いや、市民の戦いを支援し先頭になって戦い支持を受けるものですが、このビラでは共産党の役割は、御用聞きになっています。「みなさんの思いを・・・まっすぐに届けます。」一体誰に届けるのでしょうか、彼は府会議員であり、松井知事にそのことをいいに行きますと約束しているのでしょうか?馬鹿げています。宮原府会議員が松井知事に「思いをまっすぐに届けてもらっても」松井知事がはい分かりましたと言ってそれを実行してくれるのですか?そんなことはありえません彼は聞き置くだけで終わってしまいます。それでは大阪府政は一貫して何も変わりません。

大阪の政治決戦は橋下・維新の会を大阪から放逐すること

 いま大阪の政治を変えるためには、橋下・維新の会を大阪から放逐することが大切です。そのための戦いを盛り上げて、5月17日の住民投票で彼らに審判を下すことが最大の課題です。これこそが大阪を変えることにつながります。なぜこの流れを彼は語らないのか極めて疑問です。
 次に2面・3面ですが維新政治と正面から対決、大阪と高槻のために全力と書いています。「これは維新政治と対決と書いたことは一歩前進ですが、いま維新が最大の課題として設定している『大阪都構想』と闘う」という言葉がありません。今は総力戦です。天下分け目の戦いです。それは「大阪都構想」の本質を暴き、市民に訴え、大阪市解体を許さず維新を敗退に追い込み、橋下氏を政界から放逐する戦いです。
 なぜ、橋下・維新の会との戦いの第一の政策が35人学級なのですか(宮原氏のビラから)、現在の最大の課題は大阪市の解体を阻止し、自治を守り、民主主義を守ることです。この宮原氏の発想は、「たかじんのマネー」で主張したプールの数が減ると同じ議論です。橋下維新の会が「大阪市解体」という全面戦争を仕掛けている時に、「プールの数が減る」とか「35人学級の拡大」など個別の政策で対峙しようとするセンスの悪さには呆れ返ります。このような戦いでは絶対に勝てません。

 4面に「平和を愛する高槻のみなさんの良識で憲法9条を守りましょう1」と書いています。これも一般論であり、この時点では「安倍首相と橋下維新の会の憲法改悪の策動を『大阪都構』に『NO』を突きつけ跳ね返そう」位の見出しにして欲しい。
 何しろ赤旗や共産党のビラは本質を隠蔽し、対立軸を浮かび上がらせず、訳のわからない主張に終始している。これでは選挙に勝てっこない、

資料:宮原府会議員の公示直前のビラ