「正義の味方 真実の友」・・・これは何の標語か分かりますか?


 月光仮面のキャッチフレーズのようなこの言葉は、実は30数年も前に、「一紙で間に合う新聞」を強調した赤旗の宣伝文句である。正確には「正義の味方 真実の友・赤旗」だったと思う。(ポスターが作られ街にも張り出されたと思う。)

この当時赤旗をいかに増やすかの市委員会の主催した集まりで、「赤旗の料理欄がすばらしいからそれを宣伝しろ」とかまことしやかに議論されていた。そのとき市会議員の夫人が手を挙げて、「商業新聞を止めて赤旗に変えてくれといった際に、「赤旗には折込チラシが入っていないからダメだ」といわれたがどう対応したら良いか」との発言があった。(私はこんな議論で本当にいいのだろうかと思って参加していた。)

 今日ではこのフレーズがもう使われていないのか知れないが、赤旗は本当に「正義の味方真実の友」になりえているのか、あるいは本当に一紙で間に合うのか大きな疑問符が付く。以下具体的事実を持って検証する

<さよなら原発6万人集会の赤旗の報道姿勢について>

 作家の大江健三郎さんら著名な9人が呼びかけた「さよなら原発6万人集会」が東京・新宿の明治公園で開催された。(9月19日)会場では主催者側がそれぞれ意見表明を行ったがインターネットでは4名の発言が紹介されている。(一般紙はほとんど紹介していないし、赤旗は自分達に都合の悪い意見は省略している)

 インターネットはそれぞれのさわりしか紹介していないが、私がさらに圧縮して報告する

 ◆鎌田慧さん(ルポライター)

 原発の安全と信頼性はすでに破綻しています。それでも原発を再開することは国民に敵対する行為です。国民の8割が原発のない社会で生きたいと言っています。この声を無視して政治をできるわけがありません。(中略)この原発への「さよなら」はまたあいましょうなど再開を期することを含んだものではありません。もう絶対に会いたくないという意味での「さよなら」が、原発に対する私たちのメッセージです。

◆大江健三郎さん(作家)

  原発の電気エネルギーなしでは偉大な事業は成し遂げられないと申す人々もあります。これはウソであります。原子力によるエネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴います。(中略)私たちはそれに抵抗するという意志を持っているということを想像力を持たない政党の幹部とか経団連の実力者たちに思い知らせる必要があります。そのために私たちに何ができるのか、原発を推進する勢力に対抗するには集会やデモしかありません。

◆内橋克人さん(経済評論家) 

  注意しなければならないことがあります。それは「新しい原発安全神話」、「原発安全神話の改定版」、「新版」、これが台頭しつつあるということです。つまり、「技術が発展すれば安全な原発は可能である」とする安全神話の改訂版が新たな装いを凝らして台頭しつつある点に注意しなければなりません。(中略)原発を持ち続けたいという意図の裏には何があるのでしょうか?それは、私たちの国が「核武装」、「核兵器で武装」することが可能となる潜在力を持ち続けたいとする政治的意図だと思います。

◆落合恵子さん(作家)

放射能廃棄物の処理能力も持たない人間が原発を持つことの罪深さを私たちは叫んでいきましょう。それは、命への、それぞれの自分自身を生きていこうという人への国家の犯罪です。容易に核兵器に変るものを持つことを、恒久平和を約束した憲法を持つ国に生きる私たちは決して許容してはならないはずです。

この主催者側の4名の発言は、いずれも共産党の原発政策を乗り越えている。とりわけて、内橋さんの批判している「あたらしい原発の安全神話」という批判は、正に共産党の政策そのものです。(注1)

 一方「正義の味方真実の友」であるべき我が赤旗はこの集会をいかに報道したか、これを見れば赤旗が「正義の味方でも真実の友」でもないことが分かる。

 ★さよなら原発6万人集会の赤旗記事(これは前後の省略はしているが発言の要約は省略していない。)

この日の集会は、新規原発計画の中止、既存原発の計画的廃止などを求めるもので、全労連、全労協、連合系、中立系の労働組合、民医連などの民主・市民団体や多数の個人が全国から参加しました。午後1時半の開会より1時間以上も早くから、最寄りのJR千駄ケ谷駅から会場に向かう長い列ができました。「原発いらない」のゼッケンを身につけた子ども連れの母親など、女性の姿が目立ちました。

 呼びかけ人の鎌田慧(ルポライター)、大江健三郎(作家)、落合恵子(作家)、内橋克人(経済評論家)、澤地久枝(作家)5氏らがステージに立って発言しました。

  • 鎌田氏は、野田首相が原発を再開していく姿勢を見せていることにふれ、「原発の安全性と信頼性はすでに 破綻しています。再開するのは住民への敵対です」と話しました。
  • 大江氏は、原発を推進する勢力に対抗するには集会やデモしかない、とのべ、「しっかりやっていきましょう」と呼びかけました。
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  • 落合氏は、「子どもが夜中に起きて、『放射能こないで』と泣き叫ぶような社会を続けさせてはならない」と訴え、

  • 内橋氏は、「さようなら原発、こんにちは命輝く国。その第一歩をみなさんとともに歩み続けたい」とのべました。

        (中略)

志位委員長・市田書記局長ら参加

  「さようなら原発集会」には、日本共産党の志位和夫委員長、市田忠義書記局長、笠井亮衆院議員(党原発・エネルギー問題対策委員会責任者)らも参加し、市民と交流しました。

  志位氏は主催者側の人らに「盛況ですね」「まずは原発の再稼働を止めたいですね」と声をかけるとともに、本部スタッフと握手。舞台の付近で一参加者として呼びかけ人らの発言に拍手を送りました。

  スマートフォンで志位氏らを撮影したり、握手を求める人も。志位氏は、離れたところから手を振ってくる参加者たちにも笑顔で手を振り返して応えました。(後略)


 この赤旗記事とインターネットで報告されている内容の違いこそ、今日の共産党の誤った姿をさらけ出している。赤旗は各発言者の最も重要なポイントをはずして報告している。

 これは、すでに大衆運動が共産党を乗り越え新たな地平を築こうとしていることを共産党は歓迎していないことのあらわれである。

 まず、この集会に参加したのは、多くの市民です。共産党の影響力のある団体が参加したものではありません。市民が決起したところに値打ちがあるのです。

 つぎに、共産党は核の平和利用があきらめきれず(注1)、主催者側の挨拶を共産党の政策、(核の平和利用)に反する主張を全く切り捨てている。

<以下共産党がはずしたそれぞれの発言のポイント>

  • 鎌田さんは、このさよならは、「もう絶対に会いたくないという意味での「さよなら」が、原発に対する私たちのメッセージです。」と主張しています。
  • 大江さんは原子力によるエネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴います。と主張しています。

  • 内橋さんは「技術が発展すれば安全な原発は可能である」とする安全神話の改訂版が新たな装いを凝らして台頭しつつある点に注意しなければなりません。原発を持ち続けたいという意図の裏には何があるのでしょうか?それは、私たちの国が「核武装」、「核兵器で武装」することが可能となる潜在力を持ち続けたいとする政治的意図だと思います。

  • 落合さんは容易に核兵器に変るものを持つことを、恒久平和を約束した憲法を持つ国に生きる私たちは決して許容してはならないはずです。

  このさよなら原発6万人集会の赤旗の報道は、主催者側の挨拶を共産党の方針の枠の中に押さえ込み報道するという極めて不誠実な、権威主義的(「前衛」であるという。)報道である。こんな報道をして市民に真実を語らない新聞が果たして一紙で間に合う新聞といえるのであろうか。(注2)

注1:毎日新聞2011.08.25 東京朝刊 11頁
   ザ・特集:共産・志位委員長と社民・福島党首、反核の「老舗」対談という記事がある。この対談は共産党の
       原発政策を知る上で重要な記事である。

  福島― しかし、共産党は核の平和利用について認めてきたんですよね。社民党は、核と人類は共存できな
             い、いかなる国の、いかなる核にも反対、です。核の平和利用はありえない、と訴え、行動してきました。

 志位― 私たちは核エネルギーの平和利用の将来にわたる可能性、その基礎研究までは否定しない。将
          来、2、3世紀後、新しい知見が出るかもしれない。その可能性までふさいでしまうのはいかがか
          との考えなんです。

 福島― 共産党は極めて安全な原発なら推進してもいいんですか?

 志位― そうじゃない。現在の科学と技術の発展段階では、「安全な原発などありえない」と言っています。いま問
            われているのは、原発ゼロの日本にしようということでしょ。

 福島― 安全な原発はないし、核の平和利用と言って原発を肯定するのはおかしいです。

 志位― そこでは意見が違っても原発ゼロでの協力は可能だと考えています。

 

※ 志位委員長は、共産党は核の平和利用についてはあきらめていないと明言しています。(2、3世紀後の可能
   性を、なぜ今発言する必要があるのか共産党のセンスを疑う。・・・運動が全く判っていない学者の論議だ。)

注2:赤旗は主催者側の基調報告を正しく伝えないだけでなくまたもや提灯記事を載せている。「スマートホンで志
     位氏らを撮影したり、握手を求める人も。志位氏は、離れたところから手を振ってくる参加者たちにも笑顔で
     手を振り応えていました。」という記事を載せている。これは、志位氏を褒め上げて書いたつもりが、この歴史
     的に重要な集会(偉大な国民の戦いの場)で、志位氏が「スマートホンで撮影されていた」というような馬鹿げ
     た役割しか果たせなかったことを自ら白状している。(追い返されなかっただけましとしますか・・「正義の味方
     真実の友」が泣いている。)