「新日和見主義」事件に対する私の感想


平成27(2015)年12月14日

お断り
 以下の文書は今井 明様の12月13日の投稿に対するコメントとして書いたものですが、「新日和見主義」事件は、共産党がその後大衆運動から遠ざかっていく契機となった重要な事件ですので、よければ読んでください。
 例えば橋下市長が演説で大衆を組織していくのは得意ですが、そのような感性に訴えて大衆を組織(扇動)するような運動は誤りだと批判されました。


投稿ありがとうございます。
 川上徹さんは伝説の人であり、私は面識も彼の理論も分かっていません。私の意識は新日和見主義」の議論の中で「粛清」された人ぐらいしか位の知識しかありません。
 ただ、私は赤旗に「新日和見主義批判」の論文が発表された際、非常に大きなショックを受けたことは今でも覚えています。この論文は我々が行ってきた学生運動を否定するものであり、就職後も地区の無内容な指導に辟易としながら、いかに労働組合の中で多数派を勝ち取るかで奔走しているのに、地区指導部はそれらに対しては全く関心が無く、指導は赤旗の拡大と選挙の票読みの点検ぐらいしかできない全くのサラリーマン化した人たちでした。
 赤旗をいくら拡大したか、選挙の票をいくら読んだか、こんな指導なら誰でもできます。大衆運動をいかに組織し、党の影響力を高めていくかには、マルクス・レーニン主義の知識と運動の経験が要ります。これらの要素を全く持たない人が指導部に居座り、「日報だ」あるいは「指定された時間ごとに報告せよ」と我々に命令を下してくる組織のあり方については、ずっと疑問に感じていました。
 そして、この「新日和見主義」批判の論文が出た際、これで終わりだなと思いました。新聞の部数が何部増えた、選挙の票が何票増えた、支部の会議の話題もこればかりです。そしてみんなが拡大対象者を上げ、それを何時までにやるか表明させられ、その後その点検をずっとされてくる。まさにサラリーマン化した悲しきセールスマンのような状態でした。
 この時期、私が経験したいくつかの事例を紹介しますと、私は新日和見主義の党内での首謀者と見られた、広谷俊二氏に共産党の本部で学生時代あったことがあります。学生部落問題研究会の集会が東京であり、そのうち何人かが代表に選ばれ、広谷氏と面談しいろいろ話をしました。その話の内容は全く覚えていませんが、一点だけ覚えていることがあります。それは彼が「学生運動の本を書き上げたが、党中央の点検が入り、なかなか許可が下りない。官僚主義で困っている」というような趣旨の発言をされたことです。私は党中央の人でも自由に発言できず、本の発行も全て検閲を受けるのだなと思ったことを鮮明に覚えています。
 つぎは、全く話は変わりますが、高槻市の市会議員で、実は私の結婚式の仲人でもあった人が、晩年市民の集会に出るのが怖いと言っているとの噂を聞きました。共産党が大衆を怖がったら終わりだなとそのとき思いました。赤旗の拡大と、選挙の票集めしかしていない人はいつの間にか大衆の気分感情が分からなくなり、市民を集めた小集会で話すことが怖くなってしまうという、その当時の活動の問題点だなと思っていました。
 地区の役員が、如何に力が無かったかのエピソードで、高槻市の共産党地区の実質的指導者であった人がなぜか、吹田市の現業職で採用されたことがありました。私は吹田市の友達に、「大物が吹田市に採用され、吹田市の党としてよかったな」という話をした際、彼の反応は、「全く役に立たない」でした。・・・こんな人が高槻の指導者であった。これが現実です。
 それともう一つは、新日和見主義批判が出た際に、大阪の民青の委員長は、いかにも親分肌で迫力があり、共産党の幹部のサラリーマン化した無気力な人とは違いました。私はこの委員長が好きでした。ところが「新日和見主義」事件の2年後にこの人が公安のスパイであったことが分かり、除名されるという事件が起こりました。しかも。かれは、新日和見主義摘発に貢献した人物であったらしいのです。新日和見主義の摘発が、公安も何らかの役割を果たしていたこともショックでしたし、この人物を信頼していただけにさらにショックを受けました。(全く私的なことになりますが、この人の家に一回だけ行ったことがあります。地区党の指示で、選挙戦のビラを奥さんと作れと言われ、一緒に考えていたのですが、奥さんが途中で用事があると出て行かれ、私ひとりでビラの原稿を書いていました。)
 私の記憶ですが、この事件が契機となり、共産党は二本足の活動(大衆運動と党勢拡大)から一本足の活動(党勢拡大)に運動を全て矮小化し、そのことで逆に党のジリ貧かが進んだと見ています。
 大衆運動の指導を行うには、それなりの経験と知識が要ります。あるいは天性の素質みたいなものもいります。共産党は自らの活動を党勢拡大に一本化してしまったため、大衆運動とのかかわりが完全に希薄なものになりました。
 共産党自身も、前衛という言葉を放棄し、国民政党といっていますが、もう共産党には大衆運動を指導する力量は無いと思っています。あるいは、指導する気もすでに失せているのかも知れません。共産党の目指す革命運動の中での労働者の役割という議論もすでに引き下げていると思います。賃上げ闘争で労働者の権利として戦う路線を放棄し、大企業の内部留保金から1%で良いから労働者に分けてくれという路線にかえています。
 労働運動は、労働者の学校であり、労働者としての権利に目覚め、革命運動に参加していく道筋でもありました。それらは全ての過去の運動の誤りであり、いまは、お金がそんなに余っているなら、我々にも分けてくれという物乞い運動に代えています。
 これでは労働者階級の自覚など生まれません。全ては「票」なのです。しかしそのことが逆に支持者を逃がしているという自覚がありません。
 話は、変わりますが、今日インターネットの掲示板で面白い記事を見つけました。現在の日本の政治的潮流は、安倍政権が右傾化する中で、保守本流といわれる立ち位置が開いている。ここに共産党が収まれば、共産党は飛躍的に発展し、政権が取れるというような書き込みです。
 全く奇想天外な発想ですが、赤旗に元自民党の幹事長経験者がよく顔を出すのは、ひょっとしたら志位委員長はこれを狙っているのかもと思われる節もあるなとふと思いました。
 今井さんは、前回共産党の高齢化を指摘されましたが、私は高齢化と同時に、戦う能力が全く失せてしまったのでは無いかと見ています。今回の大阪ダブル選挙でも、大惨敗です。そこには共産党の戦いの稚拙さも大いに影響していると見ています。
 発行しているビラがそもそも全てピンとハズレで、大衆の心を全く掴む事ができません。橋下氏の政治的センスとでは、月とすっぽんほど開きがあると思っています。