選挙戦の勝敗をどう見るか?
衆議院選挙結果の敗北を覆い隠す共産党幹部の卑劣さ
平成25(2013)年1月12日
共産党は、今回の選挙結果を2010年参議院選挙と比較して、少しだけど前進したと評価している。(常任幹部会声明:2012年12月27日:注1)この評価は果たして正しいであろうか。選挙結果を正しく評価しない者は、選挙という「イクサ」に勝利することはできない。戦いは敵の力と自らの力の客観的な力の評価から始まる。共産党はこの13年間どんどん追い詰められている。この事実を自らの陣営及び国民に隠して戦いを挑み、もはや反転攻勢が不可能なところまで追い詰められている。
注1:共産党は、この声明は選挙戦の総括を正しく行わず、敗北した選挙を勝利したように描いている。
常任幹部会声明は、
日本共産党は、「私たちが出発点とすべきは、2010年の参院選の356万票(6.10%)」(4中総決定)であ
ることを銘記して、このたたかいにのぞみました。この出発点に照らすと、総選挙で、わが党は、比例代表で
369万票(6.13%)に得票・得票率をわずかですが前進させました。
一般的に選挙戦の総括は、自らが掲げた目標との関連で総括される。さらに衆議院選挙の総括は、前回衆議院選挙と比較して、勝ち負けの判断がなされる。しかし共産党は常に勝ったと総括しなければならない宿命を負っているため、(なぜかはわからないが)都合の良い数字かき集め選挙戦の総括を行ってきた。これが選挙戦で反転攻勢できない最大の誤りである。10年1日、同じ総括を行い、同じ方針で戦っている。化石集団になりつつある。
自らを客観視できず、無理な目標を掲げ、空回りし反転攻勢ができない。なぜ負けたかの総括がなされないから(負けたことを認めないから)何ら新しい方針は出ない。20年前と今日では、情報伝達の手段が変わっているのに、相変わらず紙媒体である赤旗にしがみつている。「赤旗が増えれば世の中が変わる」と念仏のように唱えているが、情報端末の発展に逆らっても、勝てるはずがない。世間が新聞離れを起こしているとき、新聞で世の中を変えるなどという方針は、夢のまた夢の話であり実現するはずがない。社会の変化・進歩から取り残された集団となりつつある。
共産党中央委員会は、客観的情勢を把握して指導を行うのではなく、主観的希望的観測で、命令を発している。「兵」を統率するものとして、その機能を果たしていない。通常こうした誤りは批判され、処分されるが、民主集中制という組織は、下々の気分感情が全く中央に行き届かない組織である。この弱点に気づかない共産党中央は、政治的能力も、国民の気分感情も理解できない「烏合の集」になってしまった。(注2)
おそらく共産党の幹部は、自分たちは東大を出ているから、一番偉いと思っているのだと思われる。偉いか、偉くないかの価値判断は、マルクスやレーニンの本をどれだけ読んだかで決まるのではない、国民の気分感情を把握できる力こそが求められている。国民が何を求めているかわからないものは、政治家としての資質がない。国民に対して誠実でないものは政治を語る資格がない。
注2:私はこの間一貫して中国共産党を批判して、共産党が中国と手を切らない限り、躍進はないと訴えている
が、日本共産党は中国共産党よりも、上位下達が徹底しており、中央に物申すことを一切認めていない。規
約上は認めているがその処理がどのように扱われたかの報告はない。
私は若い頃、意見書を出したことがあるが、中央からは何の返事もなかった。最近は一市民として、各級
機関に15通の意見書を出したが基本的には無視された。
中国共産党は、不正・腐敗の摘発の申し出が、○○通あったが、何件解決したと報告を行っている。(最
も告発は600万件有り、解決は60万件ぐらいというようなニュースだと記憶している。) 日本共産党は、意見
書が何通有り、解決が何通か語らず、すべて闇の中である。
<最近17年間の選挙結果を分析する>
共産党常任幹部会声明(選挙総括)が如何に「嘘とペテンの産物」であるかを実証するため、ここ17年間の選挙結果から見てみる。
1996年衆議院選挙から2012年衆議院選挙までに参議院選挙も加えて11回の選挙が行われている。この結果を時系列に見れば、共産党が既に危機的状況まで負け続け、解党的出直しが必要なことが判る。以下に資料を添付する。
★1996年衆議院選挙〜2012年衆議院選挙までの共産党の得票数の推移
@ |
A |
B |
C |
D |
E 備 考 |
1996年 |
衆議院選 |
7,268,743 |
88.70% |
167.90% |
高揚期 |
1998年 |
参議院選 |
8,195,078 |
100.00% |
189.30% |
高揚期 |
2000年 |
衆議院選 |
6,719,016 |
81.99% |
155.20% |
高揚期(すこしかげりが) |
2001年 |
参議院選 |
4,329,211 |
52.83% |
100.00% |
@致命的な敗北 |
2003年 |
衆議院選 |
4,586,172 |
55.96% |
105.94% |
停滞期 |
2004年 |
参議院選 |
4,362,573 |
53.23% |
100.77% |
停滞期 |
2005年 |
衆議院選 |
4,919,187 |
60.03% |
113.63% |
停滞期(それなりに奮闘) |
2007年 |
参議院選 |
4,407,932 |
53.79% |
101.82% |
停滞期 |
2009年 |
衆議院選 |
4,943,886 |
60.33% |
114.20% |
停滞期(それなりに奮闘) |
2010年 |
参議院選 |
3,563,556 |
43.48% |
82.31% |
A致命的な敗北 深刻 |
2012年 |
衆議院選 |
3,689,988 |
45.03% |
85.23% |
上記敗北を追随 深刻 |
★この表をどう見るかについて説明する。
1.最近17年間の選挙結果を時系列で表している。
2.左から順番に、@選挙の実施年度、A衆議院選挙か参議院選挙か、B獲得票数、Cその次が1998年を
100%とした場合の各年次の比較、D次の欄は、2001年を100%とした場合の各年次の比較。E最後の欄は
備考。
3.重要なことは、高揚期(1996年、1998年)と停滞期(2000年〜2009年)と衰退期(2010年〜2012年)があること
である。
以下もう少し詳しく見てみたい。
共産党が最大の得票数を獲得した、1998年の参議院選挙の獲得票数(約820万)を基準に分析していく。この17年間を3期に分けて分析する。
<第一期:高揚期>
1996年の衆議院選挙は、第一期橋本内閣の下で行われた。中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に変わった第一回目の選挙である。主な争点は消費税の是非であり、共産党は比例で7268743票獲得し、議席数も26獲得(+11)で躍進した。ちなみにこの選挙では、民主党の比例代表の票数は8949190であり、共産党の獲得票数のすごさが判る。
その次の1998年参議院選挙で、共産党は大躍進し獲得票数は、比例代表で8195078票取り、(選挙区では8758759票取り)、民主党の比例代表の9063939に迫りうる力を見せた。
さらに、2000年衆議院選挙で後退(26名から20名)するが、獲得票数は参議院比81.99%で踏みとどまった。
これが共産党:第一期黄金時代である。(あくまでここ17年間に限ってではあるが)
<第2期:敗北及び停滞期>
大勝利した1998年の参議院選挙から3年後の2001年の参議院選挙で獲得票数(433万)得票率52.83%と半減した(1998年参議院選比)。この原因を究明する必要があったが、共産党はその作業を行わなかった。しかもその後の5回の選挙で挽回を目指すが、微増はしても、2度と1998年参議院選挙の水準の戻ることはできなかった。
2001年以降の5回の選挙(7年間)はそれなりに奮闘し、433万票を上回る結果を出している。とりわけ2005年の衆議院選挙と2009年の衆議院選挙では奮闘し、2005年衆議院選挙で492万票、2009年衆議院選挙で494万票を獲得し、最悪だった2001年参議院選挙比114%の得票を獲得している。この段階(2009年衆議院選)でおそらく長期低落傾向には止めをかけたと共産党は認識したと思われる。
<第三期:敗北が決定的になる。衰退期>
しかし、2010年の参議院選挙で、決定的(歴史的)な敗北を期する。1998年の最大得票数の43.48%、まで落ち込んだ。これは1998年参議院選挙の最高時から、2001年の参議院選挙で半減し、2010の参議院選ではその最悪の数字(半減した数字)から82.31%まで落としている。(つまり共産党の凋落は2段階で行われていることに注目する必要がある。)この2回目の凋落は共産党の幹部すら予想だにしなかった結果だと思われるが、今回の衆議院選挙で、650万票、18議席を獲得目標にしたが、結果は369万票、8議席(−1)という共産党の現在の実力が突きつけられた。(ここまで現実を突きつけられたら、普通の人間なら、何が問題か真剣に考えようと思う。しかし共産党の幹部は性懲りもなく、来るべき参議院選挙にまた650万の目標を設定した。・・・よっぽど楽観主義か馬鹿かのどっちかであろう。)
<7月の参議院選挙に望むにあたって、何を考慮すべきか>
今回の選挙では共産党は650万票の獲得目標を掲げた。これは最大獲得した820万票の8割を狙ったものと思われる。しかし結果は、369万票で、最大獲得した820万票の45.03%であった。(2010年参議院選挙とほぼ同じ結果になった。・・・共産党はわずかですが前進と主張しているが、総得票数が12年衆議院選挙の方が1726456票多いので(分母が大きいので)率的にはほぼ同じである。)
先に見たように、共産党の凋落は、1998年の820万票から、2001年の433万票に大きく後退し(第一次凋落)、その挽回を図る取り組みを行い、その後の5回の選挙は、433万票以上の獲得を達成していた(停滞期)。しかし、209年の参議院選挙で第二次凋落機を迎えたにもかかわらず、この現実を受け止められず、今回の衆議院選挙では、一足飛びに、650万票の獲得狙ったが、2010年の参議院と同じ結果になってしまった。第一次凋落時は巻き返しを測り、この7年間一進一退ではあるが、それなりの水準を維持した。しかし2010年第二次凋落機に入ったことを気づかず、今回の衆議院選挙で650万票の獲得目標を掲げ、惨敗した。(負けた)選挙総括を行ってこなかったことのツケが回ってきた。
共産党は、選挙の勝利の最大の保証は赤旗拡大だと言って来ている。選挙前1年数ヶ月赤旗拡大に取り組み、結局は不成功に終わった。(注2)であるなら、650万票取れるはずがない。それにもかかわらず運動員に650万票の獲得目標を与え酷使した。何の保証もないのに運動員に対して無責任に煽りたてるやり方は必ず破綻する。
注2:2013年党旗びらき 志位委員長の挨拶の中で、「昨年1年間で、全党の努力によって拡大した読者は、日刊
紙と日曜版をあわせますと約32万人にのぼります。たいへんなエネルギーをここに注ぎ込み、これだけの数
の読者を増やしているわけです。しかし同時期に、約35万人の読者を減らして、差し引きでは3万人の読者減
になりました。かりに減らした読者を半分にすることができれば、拡大数が同じでも、年間約14万人の読者増
になるということになります。」と発言しています。
党の全てのエネルギーを投入しても増えない、この事実を直視すべきである。これからの撤退が遅れば遅れるほど党は衰退し、立ち直れなくなる。「立ち枯れ日本共産党」になってしまう。物事には見切りを付ける眼力、引き際が大切だ。
今回の選挙で通常の指導者(戦略家)なら、まず1番底(停滞期)の400万代を目標に戦いを組織したと思われる。最大限、前回衆議院選挙で獲得した494を梃子に500万票の目標設定が現実的設定と思われる。(この水準「400万代」を10年間維持した実績がある)しかし共産党中央は成果を焦り、最大得票数の820万票の80%の650万票目標に設定し、結果は369万票と見事に敗北した。この時点で目標設定は正しかったのかの総括が必要である。・・・しかしこれを放棄し、2010年参議院選挙と比較し、僅かではあるが勝ったとまたもや勝ちにしがみついている。・・この辺も宗教政党が負けることが許されないのと同じ範疇の思考形態である。負ければなぜ負けたか徹底的に分析し、勝つための方針を編み出せば良い。(自民党の再建案はその点で優れている。)
★参考;17年間の選挙戦を振り返る。
以下参考に17年間の歴史を添付する。
年号 |
衆か参 |
得票数 |
その時の選挙の特徴 |
1996
年 |
衆議院選
第1次
橋本内閣
争点は
消費税 |
7,268,743 |
選挙直前に結党した民主党は新党ブームを起こすことなく、解散時勢力を
維持するに留まった。また、社民党は改選前の30議席を大きく下回る15議
席と惨敗。
新党さきがけも9議席から2議席と大敗を喫した。自民党は239議席と
復調したが、過半数には届かなかったので社民・さきがけとの連立政権
は維持した。
しかし、両党は閣外協力となり、組閣は自民単独に戻った。
共産党は社民党から離れた左派票の受け皿となり、11議席増の26議席
を獲得した。
|
1998
年 |
参議院選
第2次
橋本内閣
争点は
消費税導入
後の景気
悪化 |
8,195,078 |
自民党の敗因は、前年の国民負担増(消費税率引上げ等)、それに伴う景
気の後退、失業率の上昇などとみられる。また、投票直前の橋本総理の減税
に関する発言が二転三転したことも有権者の不信を招いた。
自民党は負けたとはいえ野党側の選挙での共闘体制が整っていなかっ
た。新進党の解党から間もない時期であることで、民主党が野党第一党にこ
そなった。
また共産党が結党以来最多の当選者を出し、自民批判票の受け皿と
なった。15議席獲得(非改選8)合計23名、社民党は5(8)合計13名
|
2000
年 |
衆議院選
第1次
森内閣
争点は
政権選択 |
6,719,016 |
政権選択を最大の争点にした。自民党は前回選挙時勢力を下回り233議
席にとどまり(−36)単独過半数(241議席)には達しなかったが、公明は31議
席獲得(−11)、保守7議席獲得(−11)を加えた与党三党では絶対安定多数
(269議席)を確保した。三与党は連立政権を堅持し、森喜朗首相が続投した。
民主党は127議席を確保し、(32議席増)存在感を増した。
共産党は20議席を確保したが、前回比−6となった。社民党が奮闘
し、19議席を確保(+5)した。
|
2001
年 |
参議院選
第1次
小泉内閣
争点は
小泉人気
郵政
民営化 |
4,329,211 |
第1次小泉内閣発足後初の国政選挙となった。自民党は小泉純一郎
総裁が高い人気を得ており、64議席と復調。比例区では20議席を獲得
した。
公明党は選挙区、比例区とも手堅く現有を維持し、13議席を得た。
保守党は0議席も予想されたが、比例区で扇千景党首への個人票に助
けられ、1議席を死守した。
民主党は現有を上回る26議席を得たが、自民党が候補者を絞った
ことに助けられた部分もあり、比例区では公明党と並ぶ8議席に留まった。
前回躍進した共産党は5議席と1/3に激減、9年前の水準に戻った。
(非改選15)
共産党は筆坂秀世氏が当選したが、途中で辞職した。小林美恵子氏が繰り上げ当選した。
|
2003
年 |
衆議院選
小泉
改造内閣
マニフェスト
選挙
郵政民営化
脱官僚
脱中央 |
4,586,172 |
自由民主党(自民党)と公明党、保守新党の与党3党で絶対安定多数を維
持したものの、民主党は177議席を獲得。177議席は自民党以外政党の議席
としては1958年衆院選の社会党の166議席を上回り過去最大となった。
その一方で日本共産党と社会民主党は、いずれも解散時の議を大きく減ら
し、自民党と民主党による2大政党の色合いが強くなった。
共産党9名、(前回は20名)社民党6名(前回18名)
|
2004
年 |
参議院選
第2次
小泉内閣
争点
消費税
年金
イラク
憲法 |
4,362,574 |
2004参院選は、民主党が大きく躍進し、今回選挙された議席のうち獲
得議席がトップに。自民党は今回選挙分の議席を減らしました。公明党は
議席を微増、共産党は大きく議席を減らし(−11)、社民党は議席を維持し
ました。
民主50(82) 自民49(115) 公明11(24) 共産4(9)
社民2(5) 無所属 5(7) ()内は非改選も含めた数
|
2005
年 |
衆議院選
第2次
小泉内閣
争点は
郵政民営化 |
4,919,187 |
今日では郵政選挙と言われている選挙で、自由民主党・公明党が圧勝し
た。時の首相(自民党総裁)小泉純一郎は、郵政民営化法案が参議院で否
決すれば自分は衆議院を解散して国民の信を問うと明言していたが、その言
葉通り、参議院で郵政民営化法案が否決されたので小泉は衆議院を解散した。
共産党9人、社民党7人
|
2007
年 |
参議院選
安倍内閣
争点は
安倍内閣
の信任
格差社会
年金問題
憲法など |
4,407,932 |
自由民主党の獲得議席数は37議席と第15回参議院議員通常選挙(1989
年)以来の歴史的大敗を喫し、1955年結党以来初めて他党に参議院第一党
の座を譲った。公明党は神奈川県・埼玉県・愛知県の各選挙区で現職議員
が落選比例でも票が伸びず議席を減らした。
一方、民主党は60議席を獲得し、第一党となった。 自民・民主の二大政党
の争いに埋没した共産・社民両党は苦戦し、議席を減らした。
野党は、非改選議席と合計すると137議席となり、参議院における安定多
数を確保した。
共産3(7)、社民2(5) ()内は非改選を含めた数
|
2009
年 |
衆議院選
麻生内閣
争点は
麻生内閣
の信任
年金問題
政権選択
など |
4,943,886 |
選挙の結果、民主党が選挙前を大幅に上回る308議席を獲得した。社会民
主党や日本共産党は選挙前勢力を維持、国民新党は1議席減らした。
一方、自由民主党は119議席を獲得したが、公示前議席より181議席の減
少となり、1955年の結党以来初めて衆議院第一党を失った。公明党は公示
前議席から10議席少ない21議席となった。
民主党は結党11年目にして衆議院第一党となり、第172回国会で民主党が
中心の新政権が発足した。
共産党9、社民党7
|
2010
年 |
参議院選
管内閣
争点
民主党
政権の評価
消費税
財政再建
基地問題
子供手当て
など |
3,563,556 |
参院選の任期切れ目前で首相が交代したため、選挙管理内閣の性格を見
せたが内閣発足から34日目で参議院通常選挙の投票日に入ったのは、歴代
最短記録である。野党第1党である自民党は1人区で21勝8敗と大勝、公示前
から13議席増の51議席を獲得し復調、改選第1党となり前年の衆院選後続い
ていた党勢の衰退に歯止めをかけた。なお、自民党が参議院選挙で改選第1
党となったのは第19回参院選(2001年)以来の9年ぶりであり、選挙区での39
議席獲得も第19回参院選に迫る獲得議席数である。しかし、比例区では12議
席しか獲得できず、結党以来の最低記録の14議席(第18回参院選(1998年)
・第21回参院選(2007年))をさらに下回る結果となった。
共産3(6) マイナス1、 社民2(4)マイナス1 |
2012
年 |
衆議院選
野田内閣
争点
原発
消費税
TPP
民主党政権 |
3,689,988 |
野田は内閣不信任決議案・問責決議案の否決と参議院での法案の可
決・成立を目指して自民・公明の協力を得るべく、8月8日に野田首相
(民主党代表)、谷垣禎一自由民主党総裁、山口那津男公明党代表の3党
首会談が行われた。この席上、野田は「(一体改革)関連法案が成立した
後、近いうちに国民の信を問う(=衆議院を解散する)」と発言し、これ
が3党首の合意を得た[4]ことで、一体改革関連法案成立後の遠くない時期
に解散総選挙が行われるとの観測が一気に強まった。
田中真紀子-自爆テロ解散。総選挙後に発言。「解散時期が適切では
なかった。独りよがりで周りの意見を聴かず、他人の土俵に乗ってしまった」
「惨敗するだろうと思っていたが、その通りになった」と発言。
自民294、公明31、維新54、みんな18と改憲勢力が多数を占め
た。
共産党8名 マイナス1、社民党2 マイナス3名
|
共産党は、1996年衆議院選挙で11人増の26人になり、1998年参議院選挙では、15議席獲得し、非改選8名を加えて23名になった。
2000年の衆議院選挙は、民主党が躍進し、共産党は20名で6名減となった。社民党が検討し、19名当選している。(+5議席)ここまでは共産党の高揚期であるが、2001年の参議院選挙で大きく票を減らした(1998年最高時の52.83%)。
なぜこれだけ大敗したかは、小泉氏の登場である。小泉氏は「痛みを伴う改革を」唱え、「自民党をぶっ潰す」とまで叫んだ。この段階で、改革政党としての共産党がかすんでしまった。(第一次凋落期)(政治家の演説の力という物を再認識させられた。)
その後、7年間は400万票代を維持したが、橋下氏の登場で共産党は再び大きく後退する。(第2次凋落期)橋下氏も強烈なアピール力が有り、既得権益の打破という「弱者の権利擁護」的スローガンを前面に掲げ、共産党の支持者を相当数奪った。(今回の選挙でも橋下・「維新の会」がなければ、近畿ブロックでもう1議席取れたであろうと思われる。)
私は共産党の凋落には、様々な要因があるが、小泉氏と橋下氏の登場も大きな要因になっていると見ているる。彼らのスローガンは既成権力をぶっ壊すという点で共通項が有り、本来共産党が主張すべき主張を行っているので、共産党が一番食われてしまう。
まずいことに共産党は1996年から2000年の高揚期を経験し、与党化思考を強め、「戦う」というような言葉を使わなくなっていた。小泉、橋下の特徴は敵を明確にして、戦い、「勝ち取る」と叫ぶ。このロジックがわかりやすく受けている。
一方で改革政党の本家本元はいつの間にか「お公家集団」になってしまい、上品で「戦う」とか「ぶっ壊す」など口が裂けても言わない集団になっていた。
国民大衆は日本社会の閉塞感に腹を立て、既得権益者をぶっ壊し、公平な社会を実現する中に、自分たちの未来を託している。その波長にあった「セリフ」を声高に叫ぶ小泉や橋下らに支持は集まっている。
共産党は図式論にはまり、赤旗を増やして支持拡大し、選挙で勝利して国民生活を守るというが、国民大衆からすれば、日本の改革の「イの一番」が赤旗拡大という論理にはどうしてもついて行けない。それは「あんたの「利益」だろう」とこの図式には乗ってこない。戦いは気分の高揚から生まれる。改革の展望のあるスローガンを掲げ、未来が見えなければならない。3.11の震災で原発がメルトダウンした祭、共産党が原発政策で最初に打ち出した、「安全優先の原子力政策」などというスローガンは屁の突っ張りにもならない。共産党は現状を如何に打破し、未来像を見せるスローガンを確立できていない。これでは戦いにならない。
この点をもう少し突っ込めば、選挙戦で掲げた「提案し、行動する党」というスローガンも最低のセンスである。小泉や橋下が誰が敵で何を勝ち取るかを訴えている時、共産党は「手続き論」を語っているに過ぎない。全く魅力がない。・・・しかし「これの何処が悪いのか」が今の与党化した共産党には分からない。悲しい限りだ。