橋下氏・石原氏と共産党では役者が違いすぎます。


<民主政治は国民の参加と政治家の主導性を求めています>

 3.11震災に起因する原発の崩壊は、この国のエネルギー政策の根本的見直しを突きつけています。ここでそれぞれの政治家(党首・代表)がどういう発言をするかで、それぞれの政治勢力(党派)の雌雄を決します。政治的決戦は、その陣営の大将の政治的センス・発言能力が大きく影響します。(この間の党首討論を見ても谷垣さんの劣勢は否めません。だから民主党がいくらこけても、自民党の支持派あがらないのです。)

 さらには、この間の大きな政治決戦を見れば、そのことは明らかです。小泉氏の「自民党をぶっ壊す」あるいは「痛みを伴う改革」、橋下氏の「大阪市をぶっ壊す」「既得権益をぶっ飛ばす」これらの「言葉の爆弾」のすごさが政治を動かすことを我々は見てきました。こうした状況下で、政治オンチの共産党は情報発信に力を入れず、赤旗の部数を増やせば世の中が変わると相も変わらず訴えています。そして大将(志位氏)は頓珍漢な発言を繰り返しています。これでは末端の党員がいくら頑張っても党勢は拡大しません。むしろどんどん衰退しています。馬鹿につける薬はないと言いますがどうしようもない状況です。

 以下具体的にこの間の橋下市長やや石原知事の発言を見ながら共産党との格の違いを見ていきます。

<国民相互の矛盾に目を背けてはいけない>

             ・・矛盾の中に戦いのエネルギーがある。

  まず橋下氏は、「沖縄の負担を軽減するため普天間の移設先として政府から相談があれば、関西空港での受け入れの議論に入っていく、との考えを明らかにしました。」同じく石原氏は原発について「極端なことを言えば、東京都のどこかに造ってもいい」と発言したと報道されています。これらの発言に関し、共産党は猛烈に反対しています。たとえば石原発言に対して今日(3月16日)の赤旗は、都議会で大山議員が「驚くべき発言だ、重大事故が起きれば日本の心臓部が破滅的打撃を受ける」と批判し、「都民と千葉県民への謝罪を求めた」という記事が載っています。

  これら2氏の発言は、迷惑施設の代表である米軍や原発を特定の県民に押し付けておいて良いのか、自分の問題として捉えようという問題提起だと捉えるべきです。共産党のように都民の利益のみを優先して、真っ向から噛み付けば、自己の利益のみを優先する小市民的エゴと捉えられてしまいます。これらの発言を受けて共産党が行なわなければならないことは、石原発言に対する怒りを、原発反対に高めていくことが求められてくるのです。彼らは意識的の問題を都民や府民に投げかけ、それぞれ自分の問題として捉え、議論させ、それを組織していくことを狙った発言です。これが政治家です。

  同日付け(3月16日)の赤旗には、一面に志位さんの会見記事が出ています。「新たな安全神話に立った再稼動押し付けをやめよ」という記事がありますが、新たな安全神話を撒き散らしているのは共産党ではないですか、一斉地方選挙で共産党が掲げた方針は「安全優先の原子力政策」でした。この会見でも志位さんは、安全確認が弱いとは言っていますが、どうすれば安全かには触れていません。その切り込み(積極的提案)をしない限り、共産党の安全神話側の立ち位置を否定できません。

  そもそもこの会見では、安全神話の安全基準の問題ではなく、エネルギー政策の根本的見直(原発に依拠しないエネルギー政策)を掲げて対決しない限り、共産党はやはり原発維持勢力だという疑いは晴れません。ここに共産党の政治オンチさがあります。

<瓦礫処理の問題は当面の政治的重要な課題>

                            ・・政治家の力が試されています。

  次にもう少し身近な問題で瓦礫処理の問題があります。野田首相はこの瓦礫を「絆」という名目のもと、すべて県や市町村が受け入れてくれることを要請しています。この瓦礫の受け入れを野田首相の呼びかけを待つわけではなく、いち早く表明したのが、やはり石原都知事や、橋下大阪市長でした。この点でもこの二人の政治家は傑出しています。共産党はこの瓦礫問題で国民間の利害対立が有るのを見て、沈黙を守っています。

  たとえば京都の伝統的行事「五山の送り火」で燃やす薪として、東日本大震災で津波に流された岩手県陸前高田の名称「高田松原」の松を使用する計画を、放射能汚染を懸念する対場から反対論が巻き上がり、中止になった事例等に対しても共産党は沈黙を保っています。

  野田首相が要請した瓦礫の受け入れ問題も、各地の市民運動が反対を唱え、受け入れを表明した自治体首長は政治的に苦しい立場におかれています。私は震災による被害を受けた自治体が瓦礫処理を全国の自治体に求めるのであれば、これを受け入れるべきだと思っています。瓦礫受け入れ反対の市民運動が、原発反対に集約されていかない限り、この運動は単なる市民のエゴであり、共産党はその辺を見極め積極的に発言する必要があります。

<常識のウソの怖さ・・これを見破る力を!>

  ところが、2〜3日前テレビを見ていて驚きました。瓦礫の山に埋まった被災地の現場の首長はこの瓦礫の山の撤去を自分たちの市町村でやりたいと思っていると報道されました。(注1)被災地から見れば、瓦礫の山は宝の山であり、瓦礫の撤去に伴い仕事が発生し雇用の確保に役立つとともに、港湾設備の改修の際の埋め立てなどの資材に使えるというのです。

 現に阪神大震災では、瓦礫はすべて地元で処理されており、それとほぼ同じ質量の瓦礫(注2)を被災地において処理することが可能と報道されました。

  共産党は、政府の報道をすべて鵜呑みにし(原発がないと電力が足りないとか)政府の世論誘導の枠内で物事を考えていますが(注3)、政府は国民の中に漫然とある「常識のウソ」を利用して国民世論の誘導を図っており、それらを見抜く独自調査が必要です。瓦礫処理を地元が本当に望むのなら、その立場で政府に要求していくべきです。現状では受け入れ反対の市民の運動に直面し、その対応に動揺し具体的政策を打ち出すことができないのが共産党の現状だと私は見ています。

注1:陸前高田市長、岩泉町長などが瓦礫の地元での処理要望
      岩手県陸前高田市長「がれきの処理というのは復興へ向けた最重要課題のひとつですが、現行の処理場
    のキャパシティー(受け入れ能力)を考えれば、すべてのがれきが片付くまでに3年はかかると言われています。
     そこで、陸前高田市内にがれき処理専門のプラントを作れば、自分たちの判断で今の何倍ものスピードで
   理ができると考え、そのことを県に相談したら、門前払いのような形で断られた」ということです。

注2:阪神大震災の瓦礫は2000万屯、東北大震災の瓦礫は2200万屯   

注3:3月3日のテレビ討論で橋下氏は、なぜ既成政党は電力会社が電気が足りない節電に協力してくれというとそ
   れを鵜呑みにしたのか、私は関西電力に対して、「いくら必要でいくら足らないのか資料も出さないこの理不尽
   な要望を受け入れられないと断った。結果は電力は足りている。なぜこんな詐欺的な話にだまされるのか」と
   追求しました。
     これに対して穀田氏は政府に資料を求めたが、提出されなかったと答えるにとどまった。(「資料を出さない
   のなら協力できない」とすごめなかったお人よしさが出ています。)


<国民は政治の主導性を求めています。>

 石原氏や橋下氏が瓦礫問題でも積極的に発言し、常に都民や府民がその問題を考える場面を作っていいます。また、議論を戦わす中で一定の結論に持っていきます。これが民主政治のあり方だと思っています。彼らは、国民の中にある矛盾を意識的に挑発し、国民を政治の場へ引き入れています。共産党は国民内部の矛盾をできるだけ覆い隠し、常にいい子になり、誰からも愛される党を目指しています。しかし、この政治手法が国民に受け入れられず裏目に出ています。国民が求めているのは、政治の主導性です。彼ら(石原氏・橋下氏)が国民に受けるのは、国民間の対立をあおり、政治を熱くしているのです。その上で国民を組織するという政治手法に長けているからです。

 共産党は、政治が分からなくなり、もはや新聞屋さんになってしまっています。悲しい限りです。