猜疑心の塊になった共産党

   情勢が求めているのは、護憲勢力の結集であって、保守との共同ではない!


                                                                                                       平成25(2013)年4月4日

 共産党が選挙でなぜ勝てないのかは、今までたくさん書いてきたが、その最大の原因は、情勢が求めているものに対して有効なスローガン・旗が建てられず、常にピンボケな方針(政策)を出しているところに最大の原因がある。(共産党は天邪鬼参照)

 ところが本家本元の共産党はこれに気が付かず、六中総でもこうした視点が全くなく、すべての責任は、党中央にあるのにそれを覆い隠し、個々の党員の活動形態の変更が、共産党躍進の最大の課題と捉えている。

 「マイ名簿をつくり国民の中に溶け込む」という方針(六中総)は、全くばかげた方針である。なぜこんな初歩的な誤りに共産党は気が付かないのか、あるいは、気付こうとしていないのか理解に苦しむ。

<溶けて流れりゃ 皆な同じ・・お座敷小唄>

 私は「国民の中に溶け込む」という方針を聴いて、お座敷小唄(作詞不詳・作曲陸奥明、唄和田弘とマヒナスターズ・松尾和子)を思い出した。その歌詞は「富士の高嶺に降る雪も京都先斗町に降る雪も雪に変りはないじゃなしとけて流れりゃ皆同じ」という物であるが、おそらく共産党の国民の中に溶け込むという方針は、国民の中に逆に取り込まれ、共産党そのものが溶けてしまうとみている。

  政治的オルグというものは、オルグする側が高い政治意識を持って、国民の中をに入って初めて成功するものである。現在の共産党は国民の中にどのような政治課題をもって入るのかが明確になっていない。明確なのは赤旗をもって入るだけである。現在の情勢が何を求めているのかを明らかにし、その課題をもって大衆の中に入らないと、「ヘラブナ釣り」の仲間を大切にするというような入り方(2013年党旗びらき 志位委員長のあいさつ)では、共産党の理念で組織する前に、釣り仲間に逆オルグされるのが関の山だと私は見ている。

  大切なのは、情勢が何を求めているのかを把握し、それをオルグできる政治集団としての成長抜きに、ただ単に大衆の中に入る方針は、大衆の中で逆オルグされ溶けてしまう、危険性がきわめて大きいという事である。

 共産党の今出している方針が、本当に国民に受け入れられるであろうか、国民の中に入ってみて、共産党の今の政策に対する反発が強いことを知り、自信と確信を失うのではないか、その典型的な事例が3月31日の赤旗に掲載された方針である。

<「とめよう壊憲!護憲結集!討論集会」に不参加表明(3月31日赤旗4面)>

 4月14日に神戸市内で予定されている上記集会の実行委員会代表あてて。同「集会」への参加要請に応じられないとする全文次のような回答を送りました。」という記事が掲載されている。

 その内容は一口で言えば、「『集会』が憲法改悪阻止の国民的共同を広げるための建設的な意見交換になりえないことは明白です。」という決めつけを行い、断っている。

<この集会をなぜ「護憲勢力の結集の場」にならないと決めつけるのか?>

 それは。基調報告を行う広原盛明氏の発言が気に入らないというものである。

 案内文書では、当日の運営は、広原氏の提言が60分行われ、その後四つの政党(日本共産党・社民党・新社会党・緑の党日本)がそれぞれ15分発言した後、「フロアー討論」「集会まとめ」をそれぞれ60分、10分行うというのである。

 共産党が気に入らないのは、この広原氏に特別の時間が与えられていること、さらには。広原氏の現在までの言動が気に入らないというものだ。

  なにが気に要らないかと、実行委員会が広原氏の「革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ」という表現を案内文書に引用し、「私たちは、広原提言に多くの示唆を受け・・・」などとのべたうえで、「講師紹介」では、広原氏のブログから次のような一節を紹介している。・・少し長くなるが以下に引用する。

・・・・(「革新政党」が総選挙で)歴史的な惨敗・大敗を喫した・・にもかかわらず選挙総括が現実を直視したものになっておらず、その体質に絶望に近い気持ちを抱かざるを得ない・・・/選挙総括にはいわば政党の未来がかかっているのであり、キチンとした総括ができない政党には「未来がない」と言っても過言でない・・。

 そのブログでは、広原氏はさらに次のようにも言っています。(以下は案内文書でなく広原氏のブログの内容)

 ―――“護憲戦略”;を再構築する。・・ためのまず第一歩として・・公開討論形式にして革新政党の選挙総括や参院選挙方針の問題点を有権者の間で広く議論する、「外部第三者委員会」といった形で党外に選挙総括を依頼し、党独自の総括と対置させながら公開討論で問題点を探り出す・・・。

 以上赤旗から引用

  これに対して、共産党は、政党が正規の機関で決定した総括や方針を、公開討論で変えさせようなどというのは、政党の自主的活動への不当な介入、干渉に他なりません。今回の「集会」はこの「広原提言」を受けて、広原氏を「講師」に、政党代表と「忌憚のない意見交換」をおこなおうというものになっています。このような「集会」が憲法改悪阻止の国民的共同を広げるための建設的な意見交換の場になりえないことは明白です。というのが共産党の主張です。

<上記共産党の主張こそが、現在の共産党の限界です。>

 「共産党の主張」のどこがおかしいのか

第一に、そもそも論であるが、最近の共産党は、革新の統一戦線という言葉を使わず、保守との共同路線
     に活路を見出そうとしている。

  現在の情勢は、憲法改正派が国会で3分の2を占める可能性がある(衆議院ではすでに、参議院選挙でも)状況下で、まず護憲勢力が結集して、それを阻止することが最大の課題である。

 この際に、護憲戦力を束ねる統一戦線の結成が急務であるが、共産党は、社民党や新社会などと統一戦線を組む意志が全く見られない。共産党は議会では改憲派が三分の二を占めているかもしれないが、国民の半数は改憲反対派だと主張しているが、このような意識調査の結果では、政治を動かす力にならない。

  先の衆議院選挙の際も、原発反対派が過半数を超えていると主張(宣伝)したが、選挙結果にはそれが反映されなかった。

  それは、世論調査というような国民意識では政治は戦えないことを示している。過半数の人の声なき声を組織した時点で初めて、政党間の戦いで力になることを示した。

第二に、共産党の無謬性、(自分たちのみが絶対という思考である。)

         この案内で共産党が一番怒っているのは、選挙結果に対する評価である。「革新(「革新政党」が総
         選挙で)歴史的な惨敗・大敗を喫した・・にもかかわらず選挙総括が現実を直視したものになってお
         らず、その体質に絶望に近い気持ちを抱かざるを得ない。」

  共産党の六中総は、「選挙結果は、前回参議院選挙の票数を上回った。微々たる成果ではあるが前進したが」公式見解である。この見解に無理があることは、共産党中央もおそらく承知しているが、無謬性のため、絶対に負けたとは言えない。負けたとなると責任問題が発生する。目標を達成できなかったのは、いつも幹部は正しい方針を出したが、末端の党員がこれに十分応えなかった。あるいは国民が十分理解しなかった(個々の国民にまで届かなかった。)と総括している。

第三に、第二とも関連するが、共産党はこの集会に参加して、自らの総括が批判されることを恐れている
         からである。

 共産党もバカではない。選挙戦の総括を大衆の前で議論されれば、共産党の総括が如何におかしいかが暴露されてしまう。この議論の中で、共産党の主張を押し通して勝つ自信がないから逃げている、

 国民大衆に支持されない総括を行い党内は騙せても、国民大衆は騙せない、その焦りが居丈高に集会の持ち方が気に入らないから参加しないという結論になっている。

<共産党が嫌う広原盛明は「反共主義者」か?>

  私は、この集会の実行委員会のこの呼びかけに何ら問題があるとは思っていない。まさにこの広原氏の指摘通りであり、共産党は国民大衆から学ばなければならない。(唯我独尊の姿勢を改めなければならない。)

  共産党の「不参加の回答」を見ればこの広原盛明氏は相当性質の悪い人に見えるが、なんとこの広原盛明氏は2004年の京都市長選の共産党側の候補者である。(注1)

注1:日本共産党京都市議団のホームページでは、彼のことをベタ褒めしている。

     (NO,369)  その一部を引用すると、

    見識、勇気・信念
         市民とともに二一世紀の京都をきずく

  広原さんのわかりやすい、ウイットにとんだ語り口は、多くの人から“元気と勇気をもらった”と評判です。京都のまちこわし、京都市の不正や税金のムタづかいを許さない勇気と信念の人、京都の再生、市民とともに二一世紀の京都をきずく見識と力をもった人です。

※このHPは現在もこの主張を載せている。

<六中総の総括には、国民の声が反映しているか>

 六中総の総括に際して共産党は広く国民の意見を聞き、選挙戦の総括を行いたいといった。(一斉地方選挙の総括でも同じことを言っていた。私の15通の意見書に1回だけ中央委員会選対本部から返信のメールがあった。それは6月に広く国民の意見も聞いて選挙総括を行うのでそれまで待ってくれというものであった。・・・その後国民の意見を聞いて総括した片鱗が見られない)

 六中総を見てがっかりした。党内外から1千200通を超える意見が寄せられたと主張しているが、その内容にふれず、総括のどの部分にそれが生かされているかは全く触れられていない。(実際は国民からの意見はすべて握りつぶしたと思われる。・・私も出したが。「受け取りました」の返事すらない。)

  この「呼びかけ文」(案内)では、革新勢力の惨敗を共産党に対して名指ししたものではない。また国民の目からの総括も共産党を名指ししたものでもない。しかし共産党は脛に傷持つ身であるから、それが自分の党のことを言われていると猛反発している。(猜疑心の塊である)

 共産党が彼のブログを見て批判しているので、私も彼のブルグによって見た。彼の主張はきわめてまともであり、彼の主張こそ的を得た主張である。以下長文になるが彼の主張を引用する。


原発ゼロ・護憲連合結成が急務

 その一方、この総選挙にはもうひとつの見逃すことのできない危険な兆候がある。それは、この間の政治空白の間隙を縫って橋下新党(日本維新の会)と石原新党(太陽の党)が極めつきの大野合を画策し、“極右第3極”を形成して政界再編をうかがっていることだ。石原・橋下氏という稀代の「デマゴーグ」(扇動政治家)を2枚看板とする「極右第3極」は、ナチス党が当初は国民受けする政策と議会重視のソフトな装いで議会進出を果たしたように、最初から「改憲」「集団自衛権行使」「核武装」といったハードな政策を掲げているわけではない。表向きは「国の統治構造を変える」などと抽象的な言葉を散りばめながらも、国会で一定の議席を占めれば、安倍自民党などと組んで一挙に右傾化する可能性(危険性)は十分あると言わなければならない。

 今回の総選挙は、おそらく21世紀の日本の政治動向を決める歴史的な選挙になるに違いない。野田首相が目論んだように、この総選挙を契機にして民主・自民の保守2大政党は名実ともに崩壊に向かい、保守勢力は自公民主流派から編成される「新自由主義構造改革グループ」と「その他(残余)保守」に分裂していくだろう。またこれにともない「その他保守」の一部が「極右第3極」に合流するとか、場合によっては「革新勢力」と手を組むなど、従来には見られなかった多様で複雑な政治状況が出現するだろう。

 そして革新政党がこれらの複雑多様な政治状況に柔軟に対応するためには、個々の政党レベルの活動に加えて、「原発ゼロ・護憲」を基軸とする“国民第3極”(原発ゼロ・護憲連合)を結成し、「その他保守」や「無所属・無党派層」との連携を深めていくことが求められるようになるだろう。

 すでに“国民第3極”の原型は出来上がっている。毎週金曜日の官邸前デモや全国デモに見られるように、国民・市民の圧倒的な原発反対エネルギーは衰えることなく継続しているし、「9条の会」が10年近くにわたって粘り強く掘り起こしてきた草の根平和運動も全国各地に固く根を張っている。今回の総選挙には間に合わないかもしれないが、当面は東京都知事選挙でまず「原発ゼロ・護憲連合」の原型をつくり、来年の参院選挙では全国展開できる政治状況を必ずやつくり出さなければならないと思う。


 この彼の情勢把握こそが大切であり、情勢が正確に把握できれば、おのずから課題(戦い方)も見えてくる。
 共産党は自らの政党の崩壊を避けることを最大の課題に設定し、今国民が何を求めているかを見誤っている。共産党が力を入れている赤旗拡大は、党内問題であり、国民には何ら関係がない。
 さらにマイ名簿をつくり大衆の中に溶け込むという方針は小手先の方針であり、日本の現在の情勢が求めていることと、全く関係が無い。
 情勢は主体的に切り開いて行くものであり、今日本の政治の中で何が求められているのかといえば、広畑氏のいうような、原発ゼロ・護憲連合の結成であろう。この課題を共産党が掲げて、全党一丸となって戦ってこそ情勢が切り開かれるのであり、敵と味方の結節点が何か明確にしないまま、赤旗拡大や、支持拡大を行っても、それは本当にちまちました成果しか得られず、原発推進、憲法改悪の流れに押し流されるであろう。(溶けて流れてしまう。)

<命と暮らしを守り、平和を希求(求める)共同戦線の構築こそが急務の課題>

 今共産党に求められている(国民から)ものは何か。それは命と暮らしを守り平和を希求する(求める)共同戦線(革新の統一戦線である。)より具体的に言えば、原子力発電反対、消費税増税反対、TPP反対、憲法改悪阻止の国民共同の戦いを組織することである。こうした政治課題を高らかにあげて、国民各界層に呼びかけていくことが大切である。

  共産党は3.11以降何をやってきたか、原発政策は「安全優先の原子力政策」であったし、赤旗紙面をにぎわしていたのはオール北海道、オール十勝(保守との共同路線)であった。さらに大阪のダブル選挙では「安全・安心・やさしい大阪」であり、警察の防犯協会の標語で戦っている。安全の為に何が必要か、安心の為に何が必要かなどの具体的政策を掲げず、敵を明確にせず、「ほんわか」とした気分で選挙戦を戦っている。

  この選挙を戦った相手側(橋下氏)は、明確に旗印を挙げて戦っている、共産党は旗印を掲げず戦うから負けるのである。衆議院選挙ではどうであったか、この場合も原発反対が国民の半数の世論がある中での戦いであったが、共産党は消費税反対で戦った。つまり国家権力側と真っ向勝負を挑まず、保守との共同路線にみられるように、国民間に階級対立はないという筋立てで戦おうとしているところに、現在の共産党の敗北の最大の原因がある。

  しかも急務である、革新の統一戦線の結成への足がかりを、国民側が提供してくれているのに、徳川家康が、豊臣家が再建した方広寺の鐘に刻まれた文字が家康を呪っているものだとして、落慶供養を延期するように命じた(いちゃもんをつけた)ように、理屈にならない理屈をつけて,せっかくの機会を蹴飛ばす共産党の姿は、政党の役割というものを本当にわかっているのか疑いたくなる。

  すでに戦後政治の総決算(憲法改正)が行われようとしているとき、憲法改正反対を中心にした国民共同の統一戦線を組織すること抜きには、それは阻止できない。極端なことを言えば、この統一戦線に、公明党に参加申し入れを行うぐらいの大胆な政治行動に出ない限りダメである。(世論調査で半数の人は憲法改悪反対派だと共産党はいうが、その中には公明党支持者も多くいると思われる。)
  一番共産党に近い政治理念を持つ社民党ですら統一に戦線を組もうとしない共産党には、危機感がまったく感じられない。(赤旗拡大にすべての勢力をつぎ込んでいる)

  共産党はどこに目を向けているのか、党内幹部の保身が、革新統一戦線の結成よりも優先するのか、このような方針を取る限り、日本の政治戦線で共産党が日の目を見ることはありえないと思われる。

  共産党は追い込まれ、仲間であった京都市長選挙の候補者まで敵に回し共産党の権威を守ろうとする姿は、周りがすべて敵に見え始めているのかもしれない。

 目を覚ますべきだ!