討論の広場に投稿していただいた記事(09)   令和2(2020)年度分
 令和3年(2オ21)2月1日(月)に、新たな記事を「1件」を載せています。    


日本共産党は「非実践主義」 「思考停止に」に陥っている。    Araki Nadreck
送信日時:2021/01/24 20:07:58

 
 エガリテ様、また、お世話様になります。

 以前の投稿で、日本共産党志位委員長が、30年続くデフレ、20年以上続く経済成長しない日本、等々の主張をもつ山本太郎さんと同席した場でも共産党自身の日本経済の分析を発言していないこと、また、その日本経済の分析をしない(できない)ことの「根深い原因」を「川上正道先生 資本論と日本経済 1980年」から2つ引用させていただきました。その原因の1つ目は、「資本論から外にでないことが経済学者の使命」という明らかに誤った風潮があったこと、2つ目は、「ヘーゲルは抽象、分析を真の科学の方法ではないと退け、科学を否定し、唯物論を否定する」というヘーゲルを全面的に排除する見田石介氏の見解です。

 レーニンは、哲学ノートを通して、ヘーゲルの唯物論的傾向を明確にしました。たとえば「この章”絶対的理念”全体がとくに観念論を含んでいるということはほとんどなく、弁証法的方法をその主要な対象としている。・・・ヘーゲルのこのもっとも観念論的な著作のうちには、観念論がもっとも少なく、唯物論がもっとも多い。矛盾している。
 
 しかし、事実だ。」と述べました。
 見田氏の見解では、ヘーゲルのみならずレーニンをも排除することにならないか。レーニンは、「資本論の方法と成果をロシア資本主義分析に適用し、「ロシアにおける資本主義の発展」を著し、ロシアのブルジョワ革命の主要な勢力を農労同盟の巨大な力に求めた。このレーニンの方法をも見田氏は否定・排除するのであろうか。

 見田氏は「ヘーゲル主義」に反対するという立場から、資本論を「分析の道具」とする経済学者を攻撃しました。山田盛太郎氏は、「再生産過程表式分析序論」で、戦前の日本資本主義の科学的な分析を実現したにもかかわらず、見田氏から「ヘーゲル主義」との批判を受けています。本来、この批判は「戦前の日本資本主義に対して同等な分析」を行ったうえで、その方法論を相互に批判すべきもので、「ヘーゲル主義」と決めつけて批判することは、およそ生産的な批判とは思えません、川上先生が「資本論と日本経済」のなかで、この事実をさりげなく書き残したことは、先生の「微妙な配慮」と「見田氏の何を問題にするのか」を思いやるには十分です。

 見田氏は1975年に亡くなり、見田氏のヘーゲルに関する見解を、彼の組織した研究会がまとめた「ヘーゲル論理学入門 有斐閣新書 1978年」が刊行されました。この書籍は、1977年から研究会の参加者によってまとめられたもので、「ヘーゲル主義」とは、「こけおどしのヘーゲル用語をならべた不可解な弁証法が乱用されたりする」悪影響を示す言葉のようです。しかし、それは、「ヘーゲル主義」ではなく「ヘーゲルもどき主義」のような別の用語が充てられるべきで、ヘーゲルに対する明確な「悪意」を感じます。この書籍は、丁寧に解説されてはいますが、ヘーゲルの論理学を少なからず非合理な表現が登場する理解不能なものとして描き出そうとしています。結論的には「ヘーゲルの理解のためにはマルクスが必要だ」そうです。不思議なことにレーニンのこと、および彼の哲学ノートについての言及は皆無なので、「マルクスが必要」という結論は、きわめて意図的なものだと思われます。

 ヘーゲルの小論理学(岩波文庫 松村一人訳 1951年初版 ページ数は同署上巻)に感じられるのは、その熱意です。翻訳ではありますが、教壇から呼びかけられているような熱意を感じさせる書籍は稀有ではないでしょうか。そのエンチクロペディーへの序論で、ヘーゲルは言います。「哲学は宗教と共通の対象をもち、神が真理であり、神のみが真理であるという最高の意味における真理を対象としている。P61」ヘーゲルは、神の存在を信じることが教養ある学者の当然な態度であると思われていた時代に生きていたので、そのことを「唯物論的でない」と指摘・批判することは、意味があることとは思えません。この序論のなかで、注意しておくべき記述は、「経験の原理」についてです。「経験の原理は、限りなく重要な規定を含んでいる。それは、人がある内容を受け入れ信じるには自分自身がそれに接していなければならないということであり、もっとはっきり言えば、そのような内容が自分のたしかめたことと一致し結合するのを見出すということである。」なにか、それだけで唯物論的な雰囲気があります。以下、見田研究会の「ヘーゲル論理学入門」について、気づいたことを何点か述べます。

 この「入門」で最初に注意を引いたのは、「ヘーゲルは、・・・なんの媒介をふくまないような直接的なものなどありえないことを、はっきりさせます P18」との箇所です。この箇所はヘーゲル小論理学、予備概念、C 客観に対する思想の第三の態度 直接知」の部分に該当しますが、ここは、ヘーゲルにとって「真理を構成する直接知」という限定の上での「ありえない」なので、この「はっきりさせます」には、「あるワナ」を感じます。つまり、直接知がすべてなんらかの媒介を含むというわけではないということです。言い換えれば、われわれの直接的体験に起源をもつ直接知を低く見て、書物その他から得られる間接知だけを重んじるのは、「間違った態度」だということです。ヘーゲルの合理的な理解のためには、直接知を「媒介知」ではないもの、「自分自身がそれに接していることから得られる」知として理解することが大切だと思います。つまり、直接知、直接的なもの、感覚的なものを第1部「有論」に割りあて、媒介された間接知を第二部「本質論」に残しておくということです。また、そのことによって、主観と客観の一致という第三部「概念論」の余地を残すことになります。「なんの媒介をふくまないような直接的なものなどありえない」と断定すると、直接知をあってはいけないもの、無視してもいいものとする解釈を許してしまいます。このことは、ある意味では有害です。なぜ有害なのかは、我々の意識は、ほとんどすべてが直接知であってそれに満足しているからです。確かにその一部分は間接知によるものですが、それも多くは直接知に裏づけられたものだけです。さきほどの「経験の原理」ですね。この考えは、マーケティングにおけるAIDMAという商品購入を導く営業マンが教えられる仮説とも通じるところがあります。

 なお、この「思想の第三の態度 直接知」は、「態度」という用語が使われています。「態度」というのは、その人間がもつある対象に対する認識、評価と言われるものとは微妙に異なる、それ以上の「全人格的なもの」を想起させるものなので、ヘーゲルは、「態度、姿勢、注意・関心、意識的になった」などのような「単に主観的な認識」以上のものを論理学・認識論に引き入れていることになると思います。また、通常の哲学という学問の「澄明な思想の純粋な空間」に対する「嘲笑」はレーニンとも共有するものです。

 「入門」で、次に気になるのは、やはり、第一部「有論」の「有ー無ー成」の記述です。「入門」は言います。「有ー無ー成の展開にはたしかにむりがあり、ヘーゲル弁証法の限界となっていることは否定できません。有ー無ー成の弁証法はすばらしい内容を含みながら、その議論の運びかたに非合理なところがあるということです。」しかし、この3つの項を弁証法の適用例とするのは、明らかな誤りだと思います。ヘーゲルは言います。「成は最初の具体的な思想、したがって最初の概念であり、これに反して有と無は空虚な抽象物である。P275」つまり、われわれの心に浮かぶ最初のものは、「成」であって、「有」と「無」は哲学史、宗教史から人類が獲得した抽象的なものにほかならないというのが、ヘーゲルの説明です。だから、個別の「成」のもつ規定性を分析することから、端緒としての無既定の「有」に「定有」「向自有」というそれぞれの抽象的な規定性を付加していく論述が続くわけです。 
 ヘーゲルは、「弁証法」について、こう言います。「弁証法の正しい理解と認識はきわめて重要である。それは現実の世界のあらゆる運動、あらゆる生命、あらゆる活動の原理である。」ヘーゲルにとっては、「有ー無ー成」ではなく、「有ー無」および「成」であって、それは、議論の余地がありません。「有ー無ー成」は「入門」の著者たちが作り出しただけのもので、当然「現実のあらゆる運動」には含まれえないものです。だから、ヘーゲルの弁証法を「こけおどしのヘーゲル用語をならべた不可解な弁証法」として乱用しているのは、ほかならぬこの「入門」の著者たちです。

 この著作で繰り返されるのは、「現実の歩みと認識の歩みとを同一視するのは、ヘーゲルにいつも、つきまとう欠陥です P181」という主張です。しかし、「現実の歩みと認識の歩みが一致する」ことは、ありえないことではありません。たとえば、プロジェクトを管理していれば、プロジェクトの現実の歩みは管理者の認識の歩みと一致するはずです。国を独占する独裁者の頭のなかでは、その2つは当然一致します。だから、主観は実践を通して客観的事実を獲得すると明言するヘーゲルに対して「ヘーゲルにつきまとう欠陥」と言うのは、ほとんど意味がありません。 ヘーゲルが生きていた時代と異なって「無神論」を違和感なく受け入れているわれわれは、単純な観念論として表明される「現実と認識は一致する」「現実の歩みと認識の歩みとを同一視する態度」が正しいと思えないのが当然です。いまさら学者たちによって「説教される」ことではありません。ヘーゲルは言います。「すなわち真理は、それが真理であるからこそ、自己が真理であることを確証しなければならないのであって、この確証は、論理学の範囲内では、概念が自己自身によって自己を自己と媒介し、このことによって自己が真に直接的なものであることを示すことにある P257(予備概念の最終節から)」われわれがヘーゲルを読むのは、このヘーゲルの予備概念からうかがえる「自己を真理であることを確証する」および「自己自身によって自己を自己と媒介する」方法を求めるからです。その方法つまり認識論は「自己が真に直接的なもの」になったところから生じる「自己充足感」を与えることができ、その「自己充足感」は、結果として、他者を説得する場合には「説得力」として現れるものになるでしょう。マルクスやレーニンの著作から感じられる「説得力」は、彼らのヘーゲル理解と無縁ではないと思われます。

 見田研究会のメンバーと「頭目」見田石介氏は、「ヘーゲルには大きな欠陥がつきまとう」と信じ、、小論理学の読解から「ヘーゲルの弁証法による議論の進め方には非合理がある」という結論を出し、その2つが「自己に回帰したものとしての確信」なのでしょうか。見田氏は、資本論を日本の経済を「分析する道具」とするマルクス主義経済学者を「ヘーゲル主義」として「理不尽」に攻撃しました。あたかも、日本の共産主義運動の基本的な認識をなす「日本経済の分析」が必須のものではないかのように。マルクスは資本論という経済学の本ではなく哲学の本を出版したかのように。1930年代にスターリンは軍の実権を握るために、時代遅れの騎兵隊派を残して、先進的な戦車の利用を主張した多数の機械化派の軍人を「ドイツのスパイ」として粛清させました。見田氏は、その時に暗躍した秘密警察の長と同じ役割ですね。そのことには高い代償が必要になりました。騎兵隊派の軍上層部は、「馬のスピード」で動く騎兵隊という単位でしか作戦計画を思い浮かべず、ドイツ軍の電撃戦の前には無力で、おおくの犠牲を払い、ドイツ軍をモスクワの近郊まで迫らせてしまいました。ジューコフは、騎兵隊派ではありながらも、極東で機械化派の影響を強く受けました。そのジューコフがロシア軍を指導する地位を得てはじめて、モスクワ前面からドイツ軍を押し返すことに成功しました。その後のスターリングラード、クルスク、ベルリン包囲・陥落までの経緯は、第二次大戦でのもっとも目覚ましい成功例の1つだとも言えます。

 見田氏が「ヘーゲル主義」で暴れまわったことの結果は40年後のいま、はっきりしています。日本共産党は、国家独占資本主義と言いながら消費税を日本国家独占資本主義の政策だと認識できていない。消費税によって、国民の生活が徐々に追い詰められていて、また、中小企業が生き残りのために四苦八苦しているのに、大企業側には流通に投入されない巨大な内部留保が溜まりつづけていく。40年間も実際の経済に向き合わないから気づかないのでしょう。唯物論は科学の立場といいながら、この40年間に大きく進んだ「医療」という科学、「コンピュータ」とい科学に、正確なコミットメントができない。PCR検査体制の構築、支援金の支給、アベノマスクの配布等々、他の先進国の政府が、金属の一枚翼の戦闘機で「がんがん」飛び回っているのに、日本政府は、二枚翼の布製飛行機でやっと飛んでいるようなものだと、なぜ気がつかない。デジタル庁が本来的には国民の利便のために「能率的な不正のない行政機構」を構築するために役立たなくてはいけないのに、国民にマイナンバーというタグをつけるためにだけ、国民に強制的にワクチンを投与するためにだけ使われようとすることに疑問を感じないのか。野党の連立政権といいながら、政府のコロナ対策を「WITHコロナ」というコンセプトから明確に批判し、政府、自治体、病院、専門家、その他を適切に配置し、役割を定めながら、実行可能なトータルな計画を立案して国民に提示する発想はないのか。プランを提示し、実行力をアピールすることが、連立政権に支持を集める最短の方策ではないのか。マルクスは資本論のなかで「貨幣の総量」を議論しているのだから、貨幣の発行は国の施策では「国債発行」になるだけのことだから、国民の救済にインフレ・デフレを指標とする積極財政で行くことを明確にするのは、判断できない困難なことなのか。

 2021年1月の国会冒頭の代表質問で、志位委員長が5%の消費税を明言したことは、画期的なことです。ただ、そのことによって、山本太郎さんが言う「消費の罰金」以上の理論が必要になります。商品が価値と使用価値をもつなら、消費税を含む商品は、価値と使用価値をもつのか。消費税率を10%とし、再生産表式を変形すると、m×0.1+v×0.1=w×0.1ーc×0.1となる。右辺を企業が政府に支払いを行う消費税額であるならば、左辺の剰余価値を10%を減らし人件費を10%増やす「価値」の評価はどうあるべきか。商品が順調に売れ続ければ、拡大再生産は、当然可能です。しかし、価格支配力をもたない企業は、販売に失敗することが当然起こりえます。バブル崩壊、IT不況、リ−マンショック、および複数回の消費税UPは、それぞれ販売に失敗する、消費税の価格転嫁に失敗する大きな原因になりました。消費税を資本の運動の面からみれば、中小企業の淘汰、正規労働者の削減、派遣労働者の拡大を目指したものとは言えますが、理論的、実証的な数値の裏付という面からは、ほぼ何もない状態ではないでしょうか。マスコミ、官僚、与党等からの批判に答えうるかどうか、国民の信頼に答えうる回答をだせるかどうかは大きな試練です。

 一般の多くの国民にとっては、日本共産党はなにかいいことは言うが、実行力があるとは思えない存在のように思えます。山本太郎さんは、野党はこの30年間、経済政策を提示しなかったと言っています。それは、国民の経済的な現実を見てこなかった結果でもあり、また、同時に政府の経済政策を批判し、それとは異なる政策を国民に訴えてこなかった結果とも言えます。党の上層部が、ヘーゲルの実践的な、現実に向き合う姿勢を「ヘーゲル主義」として排斥することを容認する。唯物論的弁証法を理解できない非合理なものとして決めつけ、実践的な経済分析を行う経済学者を排除する。具体的な事実を分析するのではなく、イメージの良い言葉を選んで、そのイメージを国民に訴えるポイントにすえる。それらの体質を40年間世代を更新しながら維持し続けてきたのなら、組織の上から下までに染みついた「非実践主義」「思考停止状態」を払拭することは、至難の業でしょう。  コロナ対策も、政府の施策の結果を個別に批判する批判者の立場からだけではなく、「コロナ感染者を0にする」という実践する立場から、トータルの計画を立案して実行可能なプランとして提示する発想はないのでしょうか。「批判する立場」と「実践する立場」では、当然のことながら、視点、注目する対象、結果の判定、あらゆることが異なります。たとえば、数学的な計算から、「何%の感染者をPCR検査で見つけ隔離すれば、その集団の感染者数を半月後に何%減少させられるか」を求め、感染率の異なる集団ごとに能率的なPCR検査の運用を定めて運用計画と実行予算を試算してみる。そのような試みを公表し、党内でも討論させるのが、連立内閣・政権交代という政策実行主体に変わりうる意識変革を党内に広める契機になりうると思えます。ソビエトでも中国でも共産党は科学技術を正当に評価するのに、日本共産党には、科学技術重視の姿勢が皆無に等しく、科学者・技術者の発想と実行方法、問題解決能力を無視しているのは、自民党とあまり変わらないのではないでしょうか。

 代表質問の場では、菅総理が原稿を読むのに精いっぱいで、既定の政策を継続させるためにだけの役割しかもたない「間に合わせ」総理だという事態がはっきりしてしまいました。小池書記局長の質問は、その迫力もあいまって、菅総理のポンコツぶりを一層きわだたせました。大きな危機状況での追い風という有利さはあるかもしれませんが、しかし、党内の体質改善がなければ、継続的な効果は望めないし、かえって党勢拡大に逆効果になる可能性さえあり得ます。党の上層部は来年の党創立100年に焦っているかもしれません。この文章が、党内に残ってはずの少数でも良心的な党員の方々にとって、党の上層部を突き上げ、「戦う党」という体質改善を実現するための助けになれば幸いです。

 共産党の強大な棟建設論に誤りがあるとみています。最近の茨木市の選挙結果を見ても  エガリテ
令和3(2021)年2月1日

 投稿ありがとうございます。

 非常に長文ですので、私のコメントも長くなり、この欄では収まりませんので、他のページに書いています。
 良ければ下記のページに飛んでいただけますか、よろしくお願いします。

★消費税・コロナ・党建設・茨木市長選挙の結果等

日本共産党の将来を楽観視しないほうがいいだろうと思います。 Araki Nadreck
送信日時:2021/01/08 16:34:16


 エガリテ様、掲載して頂いて、ありがとうございます。

 資本論の結論の1つは、「資本主義の発展とともに、一方の極、すなわち資本の側には富が累積するのに対し、他方の極、すなわち労働の側には、貧困者の大群が形成されることになる。」です。国家独占資本主義の段階においては、これが国家の経済政策および社会政策のなかの個別の政策として、直接ではなく、結果的に実現されるような政策として、立案され立法化されることになります。当然、それらの政策は、一般的に聞こえのよい他の政策目標を掲げて、政策化されるはずのものです。

 ここで、昨年春からの政府のコロナ対策を考えてみましょう。我々国民は健康的で文化的な生活を憲法で保障されているので、国は国の機関、自治体、病院その他を介して、「無症状の感染者がいて、免疫上の重篤な病気を引き起こす新型の伝染病」に対する作戦計画をたて、厚労省、大学、国の研究機関、自治体等を組織化して、政府の基本的な機能の発現として、コロナに対応すべきでした。今もそうですが。しかし、安倍内閣は、それを、尾身氏を代表とする感染研に「丸投げ」しました。感染研は、結核等の感染者=重症者であるような感染症に実績がある機関で、比較的少数の患者本人と直接の接触者である濃厚接触者を隔離する以外のノウハウをもたない組織です。以降は、すべてのコロナ対策がこの感染研の不適切な「枠組み」のなかでのみ、実施されることになります。無症状の感染者は存在しないという誤った前提が維持されていきます。(コロナについては、Youtubeデモクラシータイムズの東大先端研の児玉竜彦先生の動画を参考にしています。)

 この不適切な枠組みのなかの政策としては、PCR検査の「手の込んだ」抑止方針と「三密」に代表される感染経路の遮断にのみ力点をおく感染防止対策でした。この方法では、「無症状の感染者」に対応することができません。また、東京都台東区の永寿病院、また慶応病院などにおける大規模な院内感染の実態に目をつぶり、病院勤務者等の不可避なコロナ感染にも不対応にならざるをえません。

 PCR検査を大量に行うことは、ある水準の総合的な科学技術力が必要です。まず検査およびデータ処理を大量に行うことの困難さです。1980年前後に出版された「ガン回廊のあした」という書籍には国立がんセンターの医師がガン検査を大量に行うための懸命な努力が語られています。
 評価済み検査データは、検査対象者、検査受付施設に返す必要があり、同時に各種統計処理に耐える精度も保持している必要があります。だから、共産党が主張するような「大規模なPCR検査の拡張」だけでは不十分で、1つのトータルなシステムとして、児玉先生が国会に持ち込んだ「予算処置を伴う仕組みの構築」というプランニングに関わるものとして構想される必要があります。この辺りに、世間受けを意識した批判と、実現を目的とした主張との違いを感じざるをえません。日本共産党の「目的実現を目指した実践的活動」に対する「発想力、構想力、組織的活動力」は、高くないと言わざるをえないのではないのでしょうか。そのことは、政府の政策・施策に対しての分析の弱さにもつながります。

 ・安倍晋三は、なぜ本来の「コロナ」対策を実施しなかったのか。
 医療費の抑制は、1990年代以前からの政府方針であり、財政構造改革の中心である。コロナ渦での病院・病床削減計画も予定通り実現するので、予算支出を伴う新規計画なんてとんでもない。
 また、「クルーズ船での無対応」で試した結果、コロナなんて「たいしたこと」ではない。どのみち多少死亡者が出でようと国民に恐怖心を与えるほうが、政権にとって好都合ではないか。・安倍晋三は、なぜ「アベノマスク」配布、給付金配布を決断したのか。自分のお友達が、中間にたって国の資金を「中抜き」することができる。国の資金の電通、パソナ等々への合法的な横流しは、安倍政権当初からの政策の一部である。

 ・安倍政権はなぜ、ワクチン推奨なのか。
 ワクチンをアメリカから購入すれば、アメリカを喜ばせることができる。アメリカに奉仕するのは、日本の義務だ。(児玉先生は、ワクチンが感染を拡大させる危険性を実例をあげて警告している。)

 ・菅内閣は、GoToトラベルを急に廃止し、緊急事態宣言を行うのか。
 中小企業が淘汰されるのは、消費税施策に含まれた暗黙の政策目標であり、今更問題にすべきものではない。結果的に失業者が多数発生しても、資本主義的には当然のことだ。・オリンピックは、なぜ開催しなければ、ならないのか。ナチスドイツの「ベルリンオリンピック」を見ろ。英米の反対を押し切って実現した。自民党および維新は、このナチスを暗黙の手本にしている。失業者を増やして、戦争に駆り立てたナチスに見習おう。コロナと共存を呼びかける「新常態」は、ナチスの「新秩序」から借用したものだ。

 日本共産党は、1970年代以降本当に何をしてきたのか。日本共産党の綱領には、70年代、80年代、90年代、2000年代、2010年代それぞれの10年になにが起き、どのような10年なのかを明確に区分する特徴に関する記述がない。綱領とは「そんなもの」という意見があるのは、承知しているが、「昔はこうだった、将来は共産主義革命を経て理想社会がくる」という「現在がまったく抜けている」文書には、まったく同意できる部分がなく、自分の体験を通しての関心・興味を感じることはできない。「戦ってきた」というが、その戦いはどのような具体性があるのか。この綱領から何を学ぶことができるのかがわからない。この綱領を読む一般人の多くがそう感じるのではないだろうか。過去の歴史と将来の希望的な展望だけがあって現在の行動方針、計画、計画の途中経過がまったくない会社の株を購入する出資者は、はたして存在するのか。

 「資本論と日本経済」を書かれた川上正道先生は、資本主義の発展に伴って、労働の側には、貧困者の大群が形成されることになるのだから、「日本資本主義分析の1つの焦点を経済発展と階級構成の変化におかねばならないことは、資本論の方法と成果からみて明白であろう」と述べている。「資本論から外にでないことが経済学者の使命」とした本流経済学者たちは、この1970年代以降の日本経済を分析しない、できないことによって、致命的な逸脱をしたのではないのか。この「貧困者の大群」が共産党の味方になり、革命勢力とは言わないまでも投票をしてくれる人々になるのを期待していないのではなかろうか。この貧困が個々人の責任ではなく、政府の施策の間接的な効果を通して資本主義下の労働が、この貧困をもたらしていると発言するだけで、「自分を責める」人々の心を救えるかもしれない。また、「心の健全性を維持するために、戦いを選ぶ」人が確実に存在するはずだ。これらは、山本太郎さんがすでにやっていることと同じかもしれないが、本来、日本共産党がやっているべきことではないのか。

 日本共産党は、だれからも批判を受けないように表面的な政策目的で飾られた政府の政策が、社会階層の違い、貧困や規模の違いによって、結果・負担が異なることに鈍感である。端的な例は消費税であるが、山本太郎さんと同意するまで、消費税に賛成していたのではなかったか。消費税は消費者の収入が少ないほど打撃が大きいが、小規模の事業者にとっては、従業員の給与総額に消費税率を乗算したものが、実際の人件費になるため、小規模なほど、労働集約的であるほど、人件費の負担が大きい。給与総額には、所得税、年金、社会保険料を含むため、税金等々に税金を掛けるという不当なことにもなっている。これらに気づかないことも、社会階層の分析を放棄していることの結果ではないであろうか。なお、本流経済学者たちは、再生産表式のC+V+Mを用いての経済分析にも反対していることは、注目されてよい。

 日本共産党は統一戦線という。この統一戦線は、異なる組織の相互理解から生まれるのであろうか、それとも共通の敵から生まれるのであろうか。社会階層が異なっても、その敵、または反対する政策が「本来共通なものであった」であるところに生まれるはずのものである。共産党の、いわば「だれからも批判を受けない政策または、キャッチフレーズ」は、統一戦線を形成することができるものであろうか。できるとすれば、マルクスの資本論およびレーニンをもまったく誤解しているとか思えない。

 さて、「赤旗」については、将棋の新人王戦についてぐらいしか興味がないが、もし、学問的な方向に向きを変えることができれば、コロナ対策の主張にタイミングを見計らって、免疫学、遺伝子工学の初歩的な知識を掲載するのは、どうだろうか。たとえば、家ネコの系統は数種類しか残存していないが、そのいずれも「ヒヒ」の遺伝子をもっている。ヒヒの遺伝子がウイルスの抗体を作って特定の猫の系統を保護して現存させたのかもしれない。また、40年前はネアンデルタール人、北京原人はホモサピエンス(現生人類)の直接の祖先と考えられていたが、その後、別の人類として区分され、女性のRNAを解析することで、ホモサピエンスがアフリカから世界に伝播していった経路と時期を確定することが可能になった。どちらも約40年前の知識がもとになっているので、現在では、不正確かもしれない。(後者のネタは、日本人がどこから来たかに直接つながるので、日本では社会的にタブーな話題かな?)本来、赤旗が共産党の機関紙であるならば、共産党の政策から意図的に少し外したテーマで「肩の凝らない」歴史、科学知識、医療知識を掲載する方向があるかなとは思います。

 エガリテさんは、日本共産党が本来の「共産党」であれば、一番評価されなければならない存在かと思います。政党は、知識や見解の普及の団体ではなく、実践者、行動者の団体であるはずのものなので、行動するための知識、判断、評価が自ずから主流を占めなくてはいけないはずだからです。自分が、資本論の理解に関して、見田石介氏のヘーゲル批判をとりあげたのは、そのなかに「非実践的・非行動的な認識の構造」を感じざるをえないためです。それは、また科学技術を重視するはずの唯物論者とは、異なる存在です。上向法・下向法は、哲学ノートの中でレーニンも用いていますが、それは、ヘーゲルの「主観は、実践を通して、外部世界の客観的認識を獲得し、また、主観は、実践的手段において外部世界を創造しさえする」という唯物論的発想を高く評価した直後なので、見田氏の「本を読むためだけのような」上向法・下向法とは、自ずから別物と思います。

 川上正道先生の「資本論と日本経済」が古本でも手に入るといいのですが、どこにも(ネットでも)見当たりません。40年前には古本屋にゴロゴロしていたマルクス・レーニン・マルクス主義経済学の書籍も、大手の古本屋(ブックオフ等)には皆無です。それが、日本の現状なので、日本共産党さんも将来を楽観視しないほうがいいだろうと思います。エガリテ様、また、投稿させていただくかもしれないので、そのときは、どうぞよろしくお願いいたします。      
       2021年1月8日 Araki Nadreck
 共産党は、強大な党建設を目指しているが赤旗依存では成功しない。 エガリテ
令和3(2021)年1月20日


 投稿ありがとうございます。マルクス・レーニン主義の基本に立ち返って論理展開をされており、非常に説得力があります。あなたが主張されていること、私の思っていることに近く共感を覚えます。
 ただ私はあなたの様に学問的知識から批判できる力量が無く、日常の共産党の活動を見て「違うな」と思う点を批判しています。(テレビドラマ臨場の「俺の(見立て)とは違うな」と いう感覚です。)
 貴方が批判されていること、ほぼ私がこの間批判してきたことと一致しています。今共産党に欠けているのは、大衆運動を通じて組織を大きくしていく戦いを放棄して、赤旗を増やして共産党の支持を拡大しようという考え方が最大の弱点になっています。
 すでに一般紙の購読件数が大幅に減っている中で、赤旗だけが部数を拡大することは極めて困難であり、共産党はどうしても勝てない戦いを目指しているように見えます。
 全国の共産党支部に活力がどの程度あるのかは把握できていませんが、大阪の現状を見る限り惨憺たる現状です。大阪の政治地図は、大阪維新が生まれてから、共産党は敗北に次ぐ敗北です。
 共産党は維新政治をぶっ壊し、共産党の躍進を」をスローガンに掲げていますが、選挙をやるたびに、維新は勢力を伸ばし、共産党は陣地が小さくなるばかりです。大阪全体を正確に把握しているわけではありませんが、私の住んでいる高槻などは、ポスターの張り出しやビラの配布などほとんどなされず、国民大衆に話しかけていく力が全くありません。
 大阪都構想の反対で共産党が勝利したように見えますが、これは公明党が5割ぐらいしか「賛成」に回らなかったことが大きいです。
 共産党の大阪都構想反対は、前半戦は「プールの数が減る」から反対だというものでした。そこには大阪都構想の本質をあぶりだす努力が全くされていません。これが大阪の共産党の現状です。高槻市の市会議員団の ビラ等を見ても、何が主張したいのか全く分かりません。このような状況で選挙に勝てるはずがありません。そうした現状を党中央は把握できているのか疑問に思います。
 政治には政治家としてのカリスマ性が必要です。あなたも山本太郎さんのことを例示的に出されていますが、私も山本太郎さんにものすごく魅力を感じます。彼が街頭演説を行えば多くの国民が集まり、とりわけ若者が集まってくる姿は、これが政治だと思っています。
 共産党の街頭演説は、動員された者の集まりです。山本氏の情熱が国民に伝わるのだと思っています。
貴方が指摘されていますが、共産党の政策は「すべての人が受け入れられる内容」を目指しており、自らの政党の立ち位置、政策を明確にして国民の中に入っていません。この間の共産党の政策は「大企業にも嫌われない政策」を目指しています。そのために切れ味がとても悪いのです。
 消費税の問題、コロナ対策、あるいは賃上げ闘争などすべてわけのわからない政策になっています。さらには外交政策もアメリカや、中国とどう向かい合うのかも機軸がしっかりしません。
 もう少し具体的に書くと「消費税反対」の本心は選挙の時だけであり。政府与党の出した「10%」に反対しているだけで、8%は容認しています。山本太郎氏は消費税は絶対反対だし、そのことを通じて日本の経済は発展するという筋書きを描いています。共産党は「国民が値上げがイヤ」という感情だけに訴えています。
 私は最近テレビのユーチュブで右翼の人(水島社長)の番組を見ますが、ここに集まってくる学者はすべて消費税反対論者です。彼らは共産党以上に弱者にとって消費税の廃止がいかに効果があるかを語り、同時に日本経済の発展につながるかを主張しています。
 「コロナ問題」もそうですが、共産党がダメなのは、旧社会主義の悪いイメージの中で政策が発表されていることです。「幹部会委員長の志位和夫がこう言った」という形で政策を出してきています。「志位氏が言ったからこれが正しい」という形で政策を出しています。コロナ対策では、「志位和夫委員長の声明」というのもあります。しかもその都度緊急の課題が変わってきています。
 ただ赤旗を見ていて感じるのは、昔と違い「志位委員長がこう言った」と茶坊主のような発言がありますが、同時に「無視」している場合もあります。
 最初の幹部会委員長としての志位発言は「感染者を見つけ出し隔離する」がメインでしたが、私は共産党の主張は、中国方式だ、ハンセン氏病の隔離政策を行った過去の過ちに学ばず人権無視の政策だと主張し続けました。
 これが効果があったのか分かりませんが、今度は「感染者の追跡だ」と主張をしだしました。しかし赤旗の記事を読んでいて、追跡が大事という記事はあまり出てきません。志位発言は常に上から目線であり、「感染者の治癒」という視点が抜け落ちています。

 ただ私は共産党という政党を全面批判しているのではありません。私は日本の中の良心が共産党にあると思っています。多くの党員は日本社会が平和で、国民の生活が豊かになる社会を夢み、多大な自己犠牲を伴いながら努力されていることを知っています。
 その実現への戦いが、赤旗拡大に集約され、政治家として成長できず、市会議員の人でも市の運営上はほとんど何の役割も果たしていない事も見てきています。
 1人1人が政治家として育たず、新聞の拡大や配達に大きな力が割かれ、政治に対する理論武装ができていません。
 菅政権ができて、支持率がどんどん下がっていますが、悪政が基本にあると思いますが、国民は一人の政治家として彼は失格だと見抜いていると思います。政治を目指すものは、日本はどうあるべきは、世界の中で日本はどう生きていくのか、それらのことが「語れ無い人」は失格です。政治家として、首相としてこの人はその器ではないと見切っています。
 これは市会議員、府会議員、国会議員も同じです。この人は政治家として力量があるか否かを国民は査定しています。大阪都構想が政治的立場での争いになっているのに、「プールの数が減る」という主張を行った府会議員や大阪民主新報を見て、大阪人なら「吉本新喜劇でみんながずっこける」というシーンがありますが、正にそれに値する「ずっこけ場面」です。
 共産党は何から手を付け、共産党を強固な政党に育て上げるかの方針を見直さない限り、この国で天下を取ることはできないと思っています。
 現在の共産党は立憲民主党との共闘で権力を握り、数名の大臣を出すことを狙っているように見えますが、社会党がそれを行い消滅した歴史から学ぶ必要があると思っています。

 日本共産党がおかしいのは、最近ではなく、数十年前からである。 Araki Nadreck
送信日時:2020/12/14 17:21:43


 前略
 日本共産党は、「最近おかしい」のではなく、数十年にわたって「おかしい」のだと思います。
 2020年11月13日金曜日に、日本共産党のHPから、あるレポートを送りましたが、残念ながら黙殺されました。日本共産党志位委員長と山本太郎さんが握手しているYouTube動画をみて感じた違和感を分析したものを中心として、政府のデジタル庁およびコロナ対策に対してまっとうなコミットメントを出すことができない共産党の科学技術についての認識の欠如について述べたものです。

1.日本経済の現状について、共産党の具体的な分析が聞こえてこないのはなぜか。山本太郎さんの以下の指
  摘に対して、共産党は何らかの見解をもっているのか。
 ・30年続くデフレ、1997年以降続く経済成長しない日本、国際的比較から見て政府支出の絶対的過少
 ・97年消費税5%UPと財政構造改革による国のデフレ政策と日銀による異次元緩和の効果
 ・財務省による「国民の借金」論、単なる「資産と負債」における負債は国民が返済すべき借金なのか。

2.日本共産党が現在の日本経済についての分析をしない(できない)「根深い原因」その1(以下、「資本論と
  日本経済」川上正道、1980年、有斐閣選書からの引用、ページは同書)
 ・マルクス経済学の研究を志す人々の多くを資本論の解釈学に埋没させ、資本論から外に出ないことが経済
  学者の使命という風潮をうみださせている。(P2)

3.日本共産党が現在の日本経済についての分析をしない(できない)「根深い原因」その2・見田石介氏の
  へーゲル批判(P31) 実践的、歴史的、唯物論的なヘーゲル理解の欠落「ヘーゲルの方法によると、われ
  われの思考は、いつでも対立の統一としての全体から全体へ、矛盾から矛盾へ、いつでも必然的に移行する
  ものであるから、彼の方法は必然的に、この全体そのものをその構成諸要素に分解すること、科学的認識の
  基礎である抽象、分析を否定することになるし、また彼は抽象、分析を真の科学の方法ではないとして拒け
  たのである。だが、分析を否定することは科学を否定することであり、唯物論を否定することにほかならない」 
   あまりにアホな主張に思わず全フレーズを引用してしまった。

   なにを要素とするかも未定な状態から始めて、要素を確定し、要素間の関連を規定して、全体を有機的
  な構成物として認識する。そのときにヘーゲルの有論、本質・現象論、客観としての概念論は、本当に有効
  なツールだと思える。ヘーゲルは、単なる分析的方法では「内的生命」が失われる、つまり、対象要素を
  その要素たらしめている内的関係の1部分が失われると述べている。そのことを無視して、ヘーゲルは科学的
  認識の基礎である抽象・分析を否定したと断言する。。。。外部から借りてきた「科学的認識」論をもちだし
  て批判する。マルクスは、「ヘーゲルの論理学にあらためて目をとおしたことが大いに役立った」と述べていたの
  ではなかったか。複数の要素をもつ全体が、その全体自体が複数あって多重構造をもつとすれば、結果的に
  各要素が個別の全体のなかで異なる規定をもつ、そのようなモデルがマルクスの心のなかにあったと思えてしか
  たがない。また、唯物論は単に「科学の方法」だけではなく、人間の認識・および活動においての根本的なも
  のだ。

4.川上正道先生の主張
  「資本論を資本主義分析のためのもっとも基礎的で科学的な理論として受けとめると同時に、これをさらに国
 家独占資本主義の現段階に適用できる理論として発展させねばならない」(P2)

5.日本共産党から教えてもらいたいこと。。
 1)消費税は、理論的な問題として、経済の「縮小再生産」をもたらすのか。その条件はなにか。
 2)97年以降のGDPにおける成長が止まっているのは、消費税なのか、財政構造改革なのか。
   両方なのか。なぜ、97年に消費税UPと財政構造改革を同時に開始する必要があったのか。その経済理
   論的根拠は。
 3)日本の経済は、恒常的なインフレ要因を抱えているため、一時的なビルトインスタビライザ的なものでなく同
   じく恒常的なデフレ政策をとる必要があったのか。もしそうだとすれば、消費税を廃止することは、その恒常
   的なインフレを顕在化させることになるのか。
 4)国家独占資本主義が、国家と独占資本が結託した体制であるならば、消費税、財政構造改革というデフ
   レ政策は、国独資の新しい段階を意味するのか。その新しい段階において、小泉、安倍および維新等に
   よって、構造改革路線、あえて言えば羊頭狗肉路線が遂行されていったのではないか。ここで羊頭狗肉と
   いうのは、経済成長を停止させた状態を作っておいて、経済成長を「錦の御旗」にして構造改革という総資
   本のみに分配を集中するところの「エセ」改革についてのことです。「維新」という政党もその「たぐい」です。こ
   の間の「大阪都構想」は、名前と実際との乖離というサギ的手法そのものです。
 5)資本主義における成長とは、利子率分の通貨を追加発行して、それを投資することだとすれば、通貨の
   発行量がその分増加することは、避けられない。この場合、資産量=負債量とすれば、負債も同額増加
   することになる。この流通する通貨の総額および負債の総額は、国家のB/S,C/Sとは別のものとして
   扱われるべきではないか。(これは、MMT理論かもしれない)

6.個人としての感想
 元書記長の不破さんが、改定資本論出版の意義を強調し、資本論の中に発達した資本主義国の民主的
革命の根拠を見つけたという感激を語ったとしても、我々一般国民がその感激を実感できる生活環境にいたわ
けではない。我々一般国民は、生きていくのに精一杯ではあるが、せめてこの年々苦しくなり、余裕がなくなる生
活実感が、どこに原因があるか、また、政府の政策はなぜこのように欺瞞的なのかについて、だれかに説明しても
らいたいと思っている。その説明が合理的で生活実感に直感的に合致するものであれば、その先を聞きたくなる
かもしれない。今のように、日本共産党が国民の生活に直結する経済問題に理論的で合理的な説明をするこ
とを「避けている」状態であれば、資本論なんて現在の経済を説明することができない、過去の遺物と思われて
もしかたがない。
 不破さんがその感激を語れば語るほど、逆効果になるとさえ思える。

7.日本のコンピュータ技術の遅れ
  1980年代から欧米で始まった「オブジェクト指向」の考え方は、日本では、2000年以降のJavaという開
  発言語の受容から始まったということができる。もし2000年時点で欧米に比較して20年の遅れがあったとい
  えるならば、菅総理のデジタル庁に関して、韓国のジャーナリズムが、「日本は韓国に比べて20年遅れてい
  る。しかも政府内の利害調整も済んでいない」と言及したことは、あながち間違いではないと言わざるをえな
  い。日本共産党は、コロナの医療対策、給付金支給、デジタル庁等にみられる科学技術、コンピュータ技術
  の遅れについて、どのような認識を持ち、どのような政策を持ち合わせているのだろうか。

   資本論の方法について、「ヘーゲルは科学的認識の基礎である抽象、分析を否定する」というプアな批判
  を持ち込むようでは、科学的認識に基づいた科学時術に対してまっとうな議論ができるとは到底思えない。

 最後に、このような日本共産党に対する批判は、どのように位置づければいいのだろうか、レーニンの哲学ノー
ト大月書店、1970年版、マルクス・エンゲルスの著書<聖家族>の概要P25からの引用してみたい。

 フランス人とイギリス人との批判は、人類の外部にある、あの抽象的、彼岸的な人格のようではなくて、社会の
働く成員であり、人間として悩み、感じ、思惟し、また行動する個々人の現実的・人間的活動である。だから、
その批判は同時に実践的であり、その共産主義は1つの社会主義である。すなわち、そのなかで、彼らが実践
的な手でつかめるようなはっきりした方策を与え、そのなかで彼らが思惟するだけでなく、さらに行動する、そのよう
な社会主義である。彼らの批判は現存社会の生きた、現実的な批判であり、<没落>の原因の認識である。

 草々                   2020年12月14日          

 貴方の批判は学問的で難しいですが、私も同感します。   エガリテ
令和2(2020)年12月18日

 
 投稿ありがとうございます。

 あなたのご意見は専門的で難しく、私にはわかりかねますが、最後のレーニンの哲学ノート引用は、私も同感です。
 まず「最近おかしい」のではなく、数十年にわたって「おかしい」のだと思います。という指摘には、同意せざるを得ないと思っています。
 私が大学生の時の共産党には活力がありました。選挙でも倍々ゲームで勝ち、世の中が変わる展望を持てる時代がありました。しかし私は30歳ごろから疑問に感じてきました。この政党は何を目指しているのか、わからない世俗的な政党になったなと思いました。
 赤旗拡大に最大の力を使い、「正義委の味方、真実の友、」というフレイズを掲げ、地区の集まりで赤旗の料理欄が主婦に受けている。これを宣伝の武器にしてほしいという指導には驚かされました。同時に市会議員の奥さんが手を上げ、一般紙には織り込み広告が入っているが、赤旗には「安売りの宣伝や、ポイント」等が織り込まれていないから、赤旗拡大が上手くいかないというような発言がありました。
 これらの会議に出ていて、私は大きな失望感に追われていきました。そういう意味では数十年前からおかしかったと思います。
 あなたが言われるように共産党の消費税政策、コロナ対策すべて私もおかしいと思っています。あなたは経済理論として批判されていますが、私は経済論ではなく、選挙政策として全くおかしいと思います。共産党は値上げのたびに反対します5%から8%値上げ反対、8%セントから10%反対、この段階で前の値上げを認めています。山本太郎氏は消費税の絶対反対を掲げています。これは経済政策としてこれが日本の経済の発展につながるという視点で戦われています。 共産党の政策は、票を取るための反対です。ここに共産党の没落があります
 コロナ対策も同じです。急に国家主義的な目線からコロナ対策路線を出しています。「隔離」だとか「追跡」だとか感染者が悪者(犯人)のような言葉使いをします。ここでは自民党の方が人権に配慮した言葉を使っています。
 すべては票を如何に獲得するかにポイントを置き、国民の命や財産を守ることを中心に据えていません。コロナ政策でもコロコロ変わり、志位委員長がこう言ったと言いますが、いつの間にかその言葉は死語になっています。
 今日の赤旗6面で「おはようニュース問答」という欄がありますが、この記事にも共産党の弱点が出ています。以下に引用します。
 晴男 だいたい、感染拡大の影響が表れるのが2週間後だと日本共産党の志位和夫委員長も指摘している。さらに2週間も「Go To」を続けて、医療が手薄になる年末年始に感染症や重症患者が増えれば、大変なことになりかねない。

 ここに共産党の弱点が出ている。「感染拡大の影響が表れるのが2週間後」だという判断をだれがしたかは知りませんが、少なくとも志位委員長で無いことは明らかです。当然医療関係者から出た言葉だと思われます。志位委員長がこのような判断ができるはずもなく、志位委員長が言ったからこの判断が世間の常識になったわけでもありません。
 このような提灯記事を書くものが出世する異様な社会(組織)を作ってしまっているのです。数週間前にアメリカの大統領選挙の行く末を開票後もトランプが勝つとユーチュブで言っていた人がその根拠に大川隆法氏がそういていると発言され、びっくりしましたが、それと同じ次元です。このような組織に堕落させてしまった共産党に躍進はありえないと思っています。
 あなたの批判は学問的で鋭いですが、私は共産党の今の姿の弱点をコツコツ暴いています。こんなバカなことをしていて労働者の政党か、忖度政治が批判されているが、共産党も同じ次元で政治を語っていることを自ら気付くべきだと指摘し続けています。

  「山本太郎の爆発的な威力」が「大阪都構想」を打ち負かした。 たつみ コータローファン
送信日時:2020/11/07 23:35:49


-「山本太郎の爆発的な威力」
 今回の大阪市廃止住民投票は紙一重で否決された。潮目が決定的に変わったのは山本太郎が参戦してからと私は見ている。賛成票が多いと思われた若年者、勤労男性向けの仁義なきシリーズを捩った動画。ディスプレイを活用した演説。反対一辺倒ではない経済講義と見紛うような演説内容。イデオロギーを感じさせないメンバー。この効果は大きかった。梅田の最終日の演説はあらゆる陣営よりも聴衆が多かったのではないか。維新は山本太郎に脱帽しれいわ新選組の影響で5000票逃げたと総括したが私は20000票賛成から逃げたと見ている。言うなればれいわ新選組は普通の活動、真実のみを訴えた活動のみを行ったに過ぎない。しかし他陣営が参戦を境に一気に勢いづいたのは事実。
 日本共産党も参考にすることが多いのではないか。住民投票で勝ったとは言えど油断してはならない。前回は気が緩み維新の伸長を許した。手を緩めずに徹底的に維新を倒さなければならない。先ずはこれが最大目標だろう。

 10代、20代の若者の反対が多かった。これは山本太郎さんの奮闘が大きかったと思います。  エガリテ
令和2(2020)年11月12日


投稿ありがとうございます。

 大阪都構想は紙一重で反対が多数を占めて廃案に追いやることができました。あなたが言われるように山本太郎氏の活躍は大きかったと私も思っています。彼の演説には多くの人が集まり、若者を引き付ける魅力も持っています。これが本当の政治家だと思います。
 このHPでも何回も批判したように共産党の主張は全くピンボケでした。最終盤になって大阪維新の本質や、大阪都構想が何をもたらすかなど幅広い批判が展開されました。これには様々な分野から大阪都構想反対の意思表示が行われ、いろんな考えを持っている人に理解される内容のものに仕上がっていました。この最終盤の批判の論点の広がりも私は大きかったと思っています。
 これを機に維新や公明党が大阪の政治情勢の中で力を落とすことを願っていますが、大阪府の共産党は全くピンボケであり、大阪市会議員団長の発言のみまともに見えました。最後の最後まで共産党は大阪都構想の本質をつかめなかったと思っています。
 今後の維新との戦いもおそらくピンボケになり、まだまだ大阪での維新の影響を抑えることには成功しないと思っています。
 山本太郎氏の演説は聞いていないのですが、れいわ新選組の出したビラは立派なものでした。大阪都構想を推進する維新の狙いと、その内容が市民の利益にならないことを浮かび上がらせていました。
 共産党はこうした力さえ失っています。選挙ごとのじり貧は避けられないと思います。大阪府委員会の幹部を変えない限り、大阪の再生は難しいとみています。

  大阪都構想の成否の再度の住民投票は、法令違反である。      たフたつみ コータローファン
送信日時:2020/07/16 18:30:21


 維新が大阪市廃止の住民投票を企んでいるが多勢に無勢、可決は避けられない見通しになった。しかし5年前の法的拘束力のある住民投票で一旦否決されており再住民投票自体が本来であれば違法。日本共産党の支援団体は再住民投票は違法ということを様々な団体と共同して訴えるべき。今の裁判所の体質から勝訴は望み薄だがやる価値はある程度はあると思う。

  大阪と構想の再度の住民投票が違法か否かの判断基準を持っていません。申し訳ありません。 エガリテ
 令和2(2020)年8月1日

 投稿ありがとうございます。

 掲載が遅れてすみません。実は私は大阪都構想に関してあまり関心を持っていません。それは大阪維新が
何をしようとしているのか? あるいは共産党をはじめとする反対者は何を主張しているのか、その争点というか
接点が全く伝わってきません。
 私の居住は大阪府下の衛星都市ですが、大阪都構想の議論は全く入ってきません。大阪民主新報を見て
も何が争点か今一つ分かりません。
 私の関心は「こんないい加減なものを看板に掲げても選挙では勝利できる」そのメカニズムについて興味があ
ります。橋下徹という人物はまさに政治家だと思います。(注1)

注1:私は橋下徹氏、が2008年1月知事選挙で1,832,857票(得票率54.02%)を獲得した時、相当驚き
    ました。政治家は選挙戦で個人の魅力が相当影響すると前々から思っていましたが、橋下氏の獲得し
    た得票には恐れ入りました。(化け物だなと思いました)
      その後調べて見たら、1995年大阪知事選挙で横山ノック氏が1,625,256票(得票率42.06%)獲
    得している。さらに横山ノック氏は1999年知事選で2,350,959票(得票率67.64%)も獲得している。
        大阪人は「面白い」という価値観を政治の場でも一番優先する人種である。横山氏の政界への進出
        は1989年参議院選子で804,626で当選。3年後の1992年の西川きよし氏も975,593票で当選して
        いる。ここに問題の本質があると思っています。

  前回の住民投票では反対派が勝利しましたが、ほぼ互角の戦いであったと思っています。
前回の投票後、反対に回っていた自民党や公明党は賛成に舵を切っています。なぜ反対派が多数であった
その方針を変えるのか、ここには市民不在であり、大阪維新と真っ向から戦えば自らの党の国会をはじめとす
る議員選挙で不利になると考え賛成に軌道修正したとみられます。何か大阪市民不在の戦いだと思っていま
す。
 もともと大阪維新の橋下氏が2008年大阪府知事選挙に当選したことが主要な原因です。2011年大阪
府知事に松井氏を立候補させ、彼は市長選挙にでて当選しています。そこで彼が最も力を入れたのは、労働
組合や大阪市という独特の村社会が構成されており、市民と大阪市が一体となって行政の私物化を行ってき
た歴史があると彼は判断し既存の権力基盤の破壊を橋下氏は行ったと見ています。大阪の市長は歴代庁内
から担ぎ出された人物が担い、2007年の平松邦夫氏が初の民間企業出身者です。このような閉鎖社会に
橋下氏は目を付け次々と既存の権力との戦いを進めてきた。その一番に上げたのが労働組合であった。さらに
彼は同和問題については親近感を感じながらも、今までの弊害を取り除くことにも力を入れた。(例えば、彼は
文化や芸術潰しにも力を入れたが、解放同盟の聖地であった大阪人権博物館(リバティー大阪)への補助金
等を打ち切った。・・・つい最近(2020年5月末)閉鎖された。)大阪市を牛耳っていた権力構造の解体を推
し進め、自らの独裁体制を築いて行った。
 平松氏が市長になっていますが、それ以前は外部から大阪市長が実現することが困難な状況にあったのでは
ないかとみています。労働組合と当局は全く敵対しているような姿勢を示しながら、裏ではお互いに協力して
解放同盟の理不尽な要求を実現する行政を行ってきたのではないかという疑いを私は持っています。
 橋下氏は大阪市長選挙を戦った際に、これら旧態依然たる権力構造をつぶすことが大切だということを選挙
戦を通じて感じてきたと思います。
 橋下氏は大阪市の権力構造の解体を狙い、労働組合の弱体化や、市のOB等の組織等切り込んでいった
のではないかと思われる。
 大阪都構想も、いろいろ理屈をつけているが、彼は旧権力基盤を潰し、大阪維新の会が大阪府全体を支
配していく組織作りだと私は見ています。
 大阪都構想の戦いは旧大阪府・市を握っていた権益をすべて剥ぎ取り、大阪維新がすべての権力を押さえ
ようという戦いであるのに、共産党は本質問題に触れず、こまごました内容で戦っていては絶対に勝てません。
例えば2015年3月「たかじんのマネー」という番組で大阪都構想の計画案についてテレビで府会議員による
討論会が開かれたが、出席したのは橋下徹氏と高槻・島本地区の共産党府会議員の宮原氏だけであった。
橋下氏まず宮原氏をほめちぎり、それから討論になったが、宮原氏の主張は市営プールが半分になるというよう
な主張をしていた。市民の判断はそんな些細なところにあるのでなく、どの政治家に大阪府・市を任せば、
我々の暮らしが楽になるかを見ている。この人物評価で負けている限り絶対に勝ち目がない。相手の本質を
暴ききれない限り勝利は生まれない。
 まじめな共産党員は大阪都構想が如何にいかがわしいものか一生懸命訴えている(プールの数が半分に
なる)と思われますが、市民はそんな些細なことは分からず、どの政治家が信用できるかで見ている。橋下氏、
吉村氏、松井氏が政治家としてその信頼を確保している。共産党もこの作業を行わない限り絶対に勝てない。
 共産党の人はみんないい人である。しかし政治は良い人を選んでいるのではなく、政治的能力があるか否か
を見ている。このコロナ禍で、吉村氏は次々と政策を打ち出し、世論調査の中でも彼が一番役に立つ政治家
として認められている。この力が共産党にはまったくない。
 今日別紙でコロナ対策に対する共産党の政策の間抜けさを書こうと思っているが、全くのピンボケであり、その
ことに気が付いていない。少しだけここでも書くと8月2日版の赤旗日曜版で6面に志位委員長が一面を使っ
てコロナ対策を訴えている。7面に東京都医師会会長のインタビュー記事が載っている。この2つの記事は見
開きで見える。その内容は圧倒的に尾崎会長の方に迫力がある。なぜ、志位氏がダメなのか、最大の見出し
は「『感染力ある人』」把握がカギ」である。政治的な発言では全くない。尾崎会長は「感染爆発抑える時」
であり、中見出しは「防止策示さない政府『Not go to』こそ必要」と書いている。
 この方がずっと政治的である。もう一つ志位氏の中見出しには「緊急事態宣言回避のために」という見出しが
あり、その中に「ただ、やみくもに検査を広げても解決できません。」と書いている。この主張は自民党の主張と
瓜二つである。
 どれをとっても間が抜けている。これでは大阪維新には勝てない。鋭さが全く違う。

 お詫び:大阪都構想の再度の住民投票は違法だとの指摘に全く答えていなくて、別の論点を書いてすみませ
      ん。勉強不足であなたの主張が正しいのか私には判断できないので、このような返信になりました。
       いつも投稿ありがとうございます。
   

参考1:「大阪都構想」反対の共産党の戦い方の稚拙さは目に余る(平成27年3月22日)
参考2:コロナ問題での共産党の間抜けさを暴露した赤旗日曜版(8月2日号)

     党幹部、号令以外に何してる?     元党員 B
送信日時:2020/05/17 18:41:43


いつもお世話になり、ありがとうございます。
 さて、緊急事態宣言を理由に減ページが実施されていますが、価格は据え置かれています。これは、コロナ便乗値上げではないでしょうか?

1.5月末で、しんぶん赤旗日刊紙の購読をやめる旨担当支部に伝えました。
 下記、編集局&中央委員会宛メールが自然承認された(=返信なし)ためです。
  ★To 赤旗編集局、日本共産党中央委員会    2020/04/26 12:07
    5月中に改善されない場合、購読を中止します。
                               **市 ***

2.エガリテ様もご指摘のとおり、このところ党勢ジリ貧の危機と拡大を訴える記事が頻繁に掲載されていま
   す。
  拡大の意義と客観的可能性を説き、綱領・大会決定・常幹声明などを読んで奮闘せよ!の大号令。
    「私も全力で頑張ります」などと記事の最後を締め括る幹部がおられる党本部には、上記私のメールを
   いなす知恵も開封通知を返す社会常識もないのが実態です。党幹部の本気度が疑われます。
   配達体制を守り抜く訴えもありますが、「幹部が早朝配達している記事」掲載の過去提案も無視。党
  費で養われているはずの党幹部は、ボランティア党員に党衰退の責任を転嫁することにしか関心がない、
  自らは汗を流さぬご貴族様のようです。

3.今に始まったことではありませんが
  ・減紙の原因分析とその対策の記事や資料を見た記憶がありません。離党についても同じ。「対話でき
      れば今度は共産党、理解が進めば、次他党(実態を知ると他党支持に逃げる)」放置と同じです。
   党幹部の怠慢があぶりだされるために避けているのでしょうが、党方針以外では貴重な記事も多い機
     関紙が減紙を続けるのは実にもったいないです。
  ・「私達の活動をはかる基準はあくまでも自ら決めた目標におかなければならない」(2013年11月9中総
     など)と叱咤を続けるが、「850万票に見合う」目標を「自ら」決めさせた党幹部は無反省。企業でも目
     標が上から降りてきますが、達成時は社員の成果、未達時はTOPの責任、が一般的と思います。
  ・最大25%(4ページ)も減って貴重になったはずの紙面にいまだ宝くじ類の当選番号を掲載。NET検
     索能力のないギャンブル大好き幹部への忖度でしょうね。

4.改定綱領学習講座読了率のご記載がありますが、5月3日の記事では、大会決定文書類のほんの一
    部の綱領部読了率もたったの32.3%です。
   大会決定を読めば元気が出る(=未読党員が悪い)というだけで、読了率半減=魅力・読む価値低
   下に気づかぬふりが続いています。

  赤旗中心の党活動はいずれ行き詰る。路線変更を早く決断する必要がある。   エガリテ
令和2(2020)年5月21日


投稿ありがとうございます。

 共産党の再建の課題はたくさんあると思われますが、党中央は赤旗の部数ですべての判断を行い、その責任を下部党員に押し付け、「頑張れ・頑張れ」とはっぱをかけているだけのように見えます。
 各級機関で改善することが沢山あるのに、赤旗拡大だけを叫んで下部党員を疲弊させるだけの運営は、組織として無責任体制です。
 すべての根源はお金だと思います。赤旗は党にとって最大の資金源です。100万部を割ると赤字になり共産党という組織が持ちません。これを拡大で乗り切ろうとしていますが、既に一般商業紙も部数が減りつつあり、時代は「紙」から「デジタル化」へ流れており、これに逆らっても成功しません。ここは切り替えの発想が必要です。

 私は政党助成金をもらうべきだと思っています。そのことによって党の財政再建を行い赤旗は政治宣伝の武器として運用し、今のような無理な拡大運動で党員を疲れさすことから開放すべきです。
 
 赤旗拡大にいくら力を入れても、100万部を乗り越えていく事はもう無理です。末端の党の現状をしっかり見て判断すべきです。

 私が住んでいる大阪の高槻市では、共産党は市内にポスターを貼りだすことも、ビラをまくこともできません。この理由が党員の老齢化が原因か、それともお金がないからできないのか私にはわかりませんが、党の勢いが落ちていることは分かります。
 駅から家に帰るまでおよそ18分歩きますが、共産党のポスターは1枚も目にしません。自民党や大阪維新や公明党はポスターを要所要所に貼りだしていますが、共産党のポスターはありません。また共産党のビラも全く目にしません。今日久しぶりに共産党のビラが赤旗に折り込まれてはいっていましたが、その内容は、「くらしの応援」という見出しで行政が出すべきお知らせです。
 〇国の特別給付金という見出しを掲げ、
 @一人10万円支給されます。A高槻市は申請書を5月15日から今月末にまでに郵送します。Bマイナンバーカードがなくても申請できます。C本人照明のコピーが必要ですが、国民健康保険証、後期高齢者医療保険証、年金手帳、運転免許のいずれかでよいです。D口座番号が書かれている通帳のコピーが必要です。と書いて申請書がコピーされています。
 これでは行政が出す文書と何ら変わりません。共産党が出したビラだという特徴がどこにもありません。
 私はこの給付金の手続きに様々な問題があると見ています。@の一人10万円支給に対する共産党の主張が必要です。A高槻市の申請書の送付日を書いていますが、なぜ15日から今月末までかかるのか、これでは6月支給になってしまう。(本当に困っている人の側に立っているのか)この点を共産党は質したのか、少なくとも共産党はもっと早く送付せよと迫ったがこうこういう理由で遅くなったぐらいの説明が必要です。Bマイナンバーカードがなくても申請できます。と書いていますが、もともと行政側の説明にマイナンバーカードが必要と書かれていません。テレビでマイナンバーカードの申請は失敗続きでこの方法をやめた市もある中で、なぜこのような書き方をするのか理解に苦しみます。そもそも共産党はマイナンバーカードには反対だと思います。マイナンバーカードでの申請が前提のような表現に違和感を禁じえません。
 C本人の証明が必要ですと書かれ国民健康保険所等をコピーせよと書いていますが、その次にD口座番号の書いている通帳のコピーも求めています。この方式も馬鹿げています。役所から住民基本台帳に基づき申請書(家族の氏名を記載したもの)送り、この申請書を手に入れられるのは本人に限られています。万一配布誤りや、ポストから抜き取られても、通帳のコピーは本人しか提出できません。国民健康保険証も役所から住民基本台帳をベースとして送られており、この健康保険証と今回の申請書は本人確認書類としては同じ価値しかありません。(運転免許とかパスポートならルートが違いますし、写真が載っていますが・・)申請書と貯金通帳の提出があれば、ほぼ100%本人確認はできています。
 こうした役所の馬鹿さ加減を何も批判しない文書を、共産党が送る必要があるのですか?テレビでお笑いタレントのカズレーザが、「マスクも10万円の申請書は来ないが、税金の請求だけは何回も来る」このような視点がないとだめです。
 少なくともこの申請に当たって、共産党はどのような活躍をしたのか、その奮闘ぶりを何ら示さず、行政の広報と同じものを送る共産党の間抜けさには恐れ入ります。
 赤旗(5月6日付)の最後のページ一面「新型コロナQ&A 暮らしと営業 お役立ち編」が既に配布されていました。この時の相談はすべて行政の窓口でしたが、今回のビラは相談先は共産党議員団や地区委員会になっています。この点だけが改善されています。(私は既にこの苦情を挙げていました。「新型「コロナ」に対する共産党の主張は何か、明確な主張ができていない。」5/6日)

 少し話がずれましたが、多くの点で共産党の活動は見直しが迫られています。その具体例として挙げてみました。その他最近のHPにUPした文書すべてにそのような視点で書いています。

 共産党の立て直しには、抜本的な改革案が必要になっています。その最大のものは党活動の中心を赤旗拡大から脱却することです。いずれこれは現実のものとして突き付けられます。最後まで追い込まれるか、いち早く決断するかは、党指導部の力量にかかっていると思います。
  


令和元年版を見られる方はここを「クリック」してください。