日本共産党 最近おかしくないですか

新版 第二回投稿批判


平成28(2016)年10月31日


 第一回の批判文書で、第二回・第三回の投稿も引用していますので(谷川H氏の文書の一貫性のなさを証明するため)改めて、第二回、第三回の批判が必要か迷うところですが、批判者のストーカー的しつこさと対応するためにも、完ぺきに批判しておきます。(基本的批判は第一回目の批判で終わっています。)

●「討論の広場」におけるブログ主の返信の在り方について、
 ブログ主にお願いしておきますが、ここは政治や理論について討論する場でしょうから、投稿者が投げた問いや質問についてはキチンと返答し、関連した持論があるのでればその後に記述するという姿勢とルールが互いに求められるのだと思います。そのことは当ブログの「基本視点」が「マルクス・レーニン主義」だというのですからなおさらのこと、理論問題は階級闘争の主要側面の一つであり理論問題の討論において論点をずらすことなく正面から向き合うことを要求します。

▼貴方は、「討論のひろば」おける投稿者のマナーについて。(一般常識は守りましょう)
 その前に投稿者のマナーというものを自覚してください、インターネットだからと言って何でもありではありません。
 貴方の投稿には、前向きの議論や品性が全くありません。人の書いた内容を素直に読まず、自ら一方的に味付けし、貴方は間違っていると指摘されています。しかし「貴方は間違っている」という結論は、すべてあなたが勝手に理解し私の主張をゆがめ新たな主張を作り出し、これがエガリテの主張だと私に押し付け、「矛盾」していると迫られても馬鹿らしくて答えようがありません。
「討論の広場」に参加する基本的資格の問題として捉えているのです。貴方はこのブログに参加して建設的な議論を行う姿勢が全くなく、「ウソ」や屁理屈を並べて、私をやり込めることを目的とされているため、「無視」しただけです。

 貴方の議論のやり方には誠実さを全く感じません、ウソや詐欺的な議論展開を重ね、勝手に私の議論を深めれば、共産党は「似非社会主義政党」で在り、「裏切者」集団であるとに決めつけ、さあ「どうする」と迫られています。
 今回改めて第一回の投稿批判で貴方の主張を分析して丁寧に批判しています。まずこれを読んでください。貴方の正体はだいぶ分かりました。
 貴方の三回の投稿をいただき、だいたいの貴方の姿が見えたので貴方の期待されている全面批判を行います。ただ私が批判するまでもなく、貴方は三回目の投稿で論旨を完全に変え、自分の投稿が自分で間違っていることを認めておられます。
 まず、その点を抑えてから2回目の投稿批判を行います。(一回目の投稿批判でも同じことを書いていますので重複します。一回目を読まれた方は、読み飛ばしてください。)

●しかしそもそも、「国家権力とたたかうことを忘れた」革命政党などあろうはずはありませんのでので、実際どうであるかについては、本当に日本共産党が「おかしい」のかそれとも当ブログ主の認識が「おかしい」のか、そのいずれかの問題です。
しかしハッキリしていることは、
 「国家権力と戦うことを忘れた」日本共産党と表現する当ブログ主の「忘れた」とする記述は間違いです。「忘れた」のではないでしょう。その党は「日本共産党」を名乗り、社会主義を目指すと言い、今も最高幹部の一人である不破哲三が「党科学的社会主義研究所所長」を名乗っている通り、彼らは「忘れた」のだとする当ブログ主の見解は明白な間違いです。彼らは自信と確信を表明してその態度をとっています。
 私は今回の投稿に当たって少し調べてみましたが、日本共産党は最近も「党綱領の生命力」を堂々宣伝しています。彼らは彼らの路線に確信をもって運動しており「忘れた」状態などでは全くありません。
 かりに、日本共産党本部に対して“貴方たちは今や国家権力とたたかうことを忘れた政党である”と言ってみなさい、必ず猛反撃されるはずです。だから「忘れた」とする当ブログ主の認識は、完全なる誤りです。(以上第三回投稿から)

▼貴方の議論のおかしなところは、共産党が『似非社会主義団体』、あるいは『裏切者』集団すべてあなたが言ったことですよ。貴方はこの論議を学生時代からしていたと認めています。(第一回投稿で)くどいですが以下引用します。
「そうなると、社会主義運動の側からは、日本共産党は革命運動における「日和見主義集団」とか、時に「裏切者」の烙印も押されることにもなるでしょう。 私たちの青年時代はこの種の話で盛り上がったものです。」
 ところが貴方によるとこの議論は、私(エガリテ)がしたことになり、第三回目の投稿では、私(エガリテ)の主張は破綻し、日本共産党は正当な社会主義政党だと確認できたという主張を成されています。(いつの間にか貴方が裁判官になっているのも変ですが)
 この貴方の主張(方向転換が最もわかるのが)第三回投稿で、つまらないブログを行うよりも共産党の隊列に入り運動せよと私に呼びかけたところです。以下この部分を引用します。
―――エガリテさんの「基本視点」と「実践の優位性」の問題
 付随して、当ブログの基本スタンスについて一言。
 「基本視点」は「マルクス・レーニン主義」だそうですが、その理論・思想の柱はマルクス主義の経済学、哲学としての弁証法的唯物論、そして階級闘争理論としての史的唯物論です。革命運動の武器としてのこの理論・思想の「基本視点」において、人間の社会的行為で最も生き生きしたものは「実践」であるとされています。
 そうであるならば、日本共産党の「躍進」を願うエガリテさんであれば党員として「実践」することが「基本視点」から生ずる行為でならねばいけないのではありませんか?

 この指摘は先輩等の物わかりの良い人のアドバイスに見えます。しかしそれなら今までの議論は何だったのか疑問を抱かずにはいられません。
 上記に見られるように谷川Hさんは、私が批判するまでもなく、自ら転んでしまいました。彼の主要な主張「『共産党は似非社会主義政党』であり革命運動から見れば『裏切者』集団である」を撤回されています。ご丁寧にも共産党は真の社会主義政党で在るから、私に復帰することまで進めています。(ここまでくれば漫画の世界です。彼の得意なマルクス・レーニン主義はどこへ行ったのでしょう)
 彼の論理は完全に破たんしたのです。しかし本人はそのことに気づいていません。どこまで馬鹿なのかと思います。

ここからが新版第2回投稿文批判になります。
 すでに第三回の最も重要な部分を引用し、谷川H氏の理論崩壊が明らかになってしまっているので第二回の批判を今からしても間がぬけるかもわかりませんがお付き合いください。

●ブログ主にお願いしておきますが、ここは政治や理論について討論する場でしょうから、投稿者が投げた問いや質問についてはキチンと返答し、関連した持論があるのでればその後に記述するという姿勢とルールが互いに求められるのだと思います。そのことは当ブログの「基本視点」が「マルクス・レーニン主義」だというのですからなおさらのこと、理論問題は階級闘争の主要側面の一つであり理論問題の討論において論点をずらすことなく正面から向き合うことを要求します。
 その点で、貴方の返信文は、下記に記す通り、残念ながらそのようなものではありませんでした。
 それで、今回は最初にその問題からはじめ、討論を具体的にするために番号を付けて論点とし、それを率直に書きます。

▼この谷川Hさんの文書を読んで「思わず吹き出しませんか?」谷川Hさんは「理論問題は階級闘争の主要側面の一つであり理論問題の討論において論点をずらすことなく正面から向き合うことを要求します。」と書いています。彼はこれが守られているでしょうか?
 彼は日本共産党を何の根拠もなく「似非社会主義政党」と断定しました。(これは全く非論理的です)さらにそれに追い打ちをかけたのが、三回目の投稿で、日本共産党は社会主義政党だと評価を変えました。(これも何ら根拠なしに)しかも彼の議論の根幹は、似非社会主義政党に対して、躍進を期待する私は非論理的な人間だと批判されてきましたが、日本共産党の評価を180度変え、今度は共産党に入って実践を行えと私にアドバイスを行っています。
 このブログの目的は間違っているとブログの攻撃をしたり、貴方は共産党に入ってがんばれとか大きなお世話です自分を何様と思っているのか分かりません。途中の論議では私は一方的に病人にもされていました。見たこともない人がなぜ私の人生の方向性に絡んでくるのか私には全く理解できません。(マルクス・レーニン主義というより、近所の訳のわからないおせっかいな老人です。)

●一、投稿者の問いに向き合わない貴方の姿勢と返信内容に見る問題。
 
 根拠を述べず憶測を基に“「共産党憎し」の貴方”という私へのレッテル貼りであり、挙句に私の設問テーマに関係ない持論披露という貴方の返信文です。このような文章癖の原因には、精神科学では認知の歪みの一種「確信バイアス」の歪みがあると言います(※)。

貴方の投稿が礼儀を逸しているからですただ単に相手にしなかっただけです。このブログをどのような物にするかは私の判断です。「ここはまずい、こうすればもっと良くなる」という議論は受け付けますが、貴方は最初から攻撃的です。さらに人格攻撃も平気で行われます。これが討論に参加する姿勢ですか?というのが私の疑問です。
 もう一点、自分の政治的立場を曖昧にして攻撃されてきたから、警戒していただけです。三回の投稿で貴方のことが少しは分かりましたが、貴方の政治的立場が、共産党支持なのか共産党批判かまだ分かりません。ひょっとしたら右翼でないかとも思い始めています。(この点は三回目の批判の際に明確にします。)
(※)確証バイアス
 自分の願望や信念を裏付ける情報を重視・選択し、これに反証する情報を軽視・排除する心理的傾向。個人の先入観に基づいて他者を観察し、自分に都合のいい情報だけを集めて、それにより自己の先入観を補強するという現象である。

●二、“当ブログ主旨説明がもつ基本矛盾”―――求められるスタンスの再構築
 ―――似非社会主義政党に変質した日本共産党を支持するブログなのか?
 1、そこで貴方が「忘れた」としている日本共産党の状態を書いたその記述表現は正確ではなく誤りですね。
2、日本共産党の「マルクス・レーニン主義からの逸脱」状態は、上記1の通り、その「逸脱」は「忘れた」どころか、党は明確な意思に基づいてその状態にあるとするのが正しいでしょう。「忘れた」のではなく、貴方の言う「逸脱」は日本共産党の確信的「逸脱」行為とすることが妥当でしょう。
一般的には「路線転換」したと呼び、階級闘争のスタンスにおいては「変質」「変節」したとか呼ばれるようです。
 以上から、日本共産党は「マルクス・レーニン主義からの逸脱」をはかり「変質」した政党である、ということになりますが違いますか?

この議論こそ貴方の正体を現す議論です。
 貴方はここで「すり替え」と「論理の飛躍」を行い自分に都合の良い結論を導きだしています。
 貴方は私の「忘れた」という言葉をいつの間にか「逸脱」変えさも私が言ったように見せている。上記文書では「2、日本共産党の「マルクス・レーニン主義からの逸脱」状態は、上記1の通り、その「逸脱」は「忘れた」どころか、党は明確な意思に基づいてその状態にあるとするのが正しいでしょう。」
 この文書から分かることは、貴方は「忘れた」と「逸脱」同義語でなく、「逸脱」という言葉には「明確な意思に基づいてその状態にある」と理解しながら、私の文書の「忘れた」を「逸脱」に置き換え、共産党を攻撃し、涼しい顔をして、共産党が「似非社会主義政党」と言ったのはエガリテだと主張し、自分は傍観者を装っています。共産党を『似非社会主義政党』と規定したのは、谷川Hさんあなたですよ。逃げないでください。第一回の投稿でも言いましたが「忘れた」から「逸脱」と定義しなおした段階でこの言葉は貴方の物になり、「逸脱」状態の説明は貴方の責任で認定されている物です。
 しかし、貴方は「逸脱」も私の言葉と言い張り、「逸脱」状況の共産党を「似非社会主義政党」と認定したのはすべて私(エガリテ)であり、自分は代弁したに過ぎないと逃げている。(無責任・無節操・私のブログの討論に参加する資格はない。)
 この身軽さ(谷川Hさんが「似非社会主義政党」と言ったのではない。)があるから、第三回目の投稿では、いや共産党はしっかり戦っているとあたかも私が見違えたように主張し、貴方(エガリテ)の共産党批判は間違っていたのだから、共産党に入ってがんばったら」という無責任な発言ができる。(今までいろいろ議論してきたが、これほど自分の発言に責任を持たない人は初めて見た。こんないい加減な人に社会主義について語る資格はないと私は思います。)

彼が何を言っていたかを証明するため、以下も引用しておきます
5、「共産党」を詐称した『似非社会主義政党』は、体制党であれ在野党であれ社会主義運動からは放逐すべき潮流でしょう。その潮流に向き合って「あくまで共産党の躍進・・」とするのであれば、当ブログは自らの「基本視点」により「修正主義」の烙印を押すことになるのではありませんか?

ここでも共産党を「似非社会主義政党」と書き、「当ブログは自らの「基本視点」により「修正主義」の烙印を押すことになるのではありませんか?」と人を挑発しながら、私(谷川H)は、共産党批判をしたことは一切ないと主張しています。・・・どういう神経の持ち主なのかと思います)

6、以上から、―――当ブログは「基本視点」に基づいて、基本スタンスの再構築が必要なのではありませんか?

 青年期に革新無党派を自称した私は、社青同や民青同盟の仲間が革新統一でスクラムを組むこと願い、互いに批判し合う彼らと論戦するために史的唯物論、弁証的唯物など必死に勉強したものです。そうした目で現状の政治の荒廃を見ながら書いているのであって、、、貴方の勝手な言いがかりであるところの「社青同・・に対する郷愁」などをもってこれを書いているのではさらさらありません。
 社会発展の原動力としての階級闘争の「逸脱」問題を曖昧にして、時評を行うことなどは「基本視点」が揺らいでいる証ではありませんか?

▼ここでまた青年期を出し、自分は社共統一派の良心的革新無党派を装っています。
 他の文書では、全く違うことを言っています。くどいですが以下引用します。
「そうなると、社会主義運動の側からは、日本共産党は革命運動における「日和見主義集団」とか、時に「裏切者」の烙印も押されることにもなるでしょう。私たちの青年時代はこの種の話で盛り上がったものです。」と書いています。おそらくこちらが彼の本性でしょう。(第一回投稿

 総括的に言って谷川H氏の投稿はウソとペテンの文書です。これは第三回目の投稿で一層明らかになります。

次回は、連載の最後、新版 第三回目の投稿批判です.