党の体質改善へ幾つかの提案                                          意見書15

                                                                                                                      23年6月6日

  共産党はここ10年長期低落傾向に入っています。いまその原因がどこにあるのかを把握しその克服をすることを行わないと、消滅の危機(国会議員が1人〜3人)さえ現実の問題となっています。(この間の「減税日本」や「大阪維新の会」で最も吹っ飛んだのは共産党です)この認識をまず持つことが重要です。

  共産党は、選挙戦の総括をいつも同じパターンで行われ、その総括が反転攻勢に結びついていません。それは失礼ですが「負けたことを隠し」常に屁理屈をつけて「勝ったと総括」されているところに大きな原因があります。

  負けは負け、素直に認めてその原因を探ることが重要です。前にもいいましたが選挙は水物で、負けるならすべて負ければいいものを勝つ選挙区も生まれます。そのため共産党は常に良い事例を出し、あたかも勝ったかのように演出してきました。それがため、負けたところと勝ったところの正確な分析を常に避けてきています。

 勝つには勝つ要素、負けるには負ける要素が必ずあります。その場合の指標が何なのかの研究を怠り、常に赤旗の拡大との関係で総括してきました。ここに共産党の選挙戦の最大の弱点があります。以下、選挙戦の勝敗を決めるものは何かを見ていきます。

<選挙という党派間の戦いを科学に>

1.選挙の勝敗を決めるのは、第1に候補者の魅力です。

 意見書7で取り上げた京都二区の候補者の差し替えが、選挙でどのぐらい効果があったのか等、共産党は教訓にしていません。

「意見書7」の抜粋

 全く古い話をして恐縮ですが私は子どものころ京都に住んでいました。京都1区は伝統的に共産党が強く谷口善太郎さんが議席を得ていました。ところが2区は何時も次点でした。しかしその候補者(田端シゲシさん)は、どう見ても戦前の活動家で、現代の社会になじまない風貌をしていました。そして1962年の第32回衆議院選挙の際、候補者が寺前巌氏に代わりました。この選挙では寺前氏は田端シゲシ氏が今まで獲得してきた票のおよそ2倍を取りトップ当選しました。(この4年間で党勢は2倍になっていたのですか)この勝利は寺前氏の個人的魅力に負うところが大きかったと思われます。


 おそらくこれを読まれる党の幹部も田畑シゲシをご存知無いでしょうが、同志社大学の総長のお兄さんか弟です。風貌はひげの講談師田辺一鶴さんに近く、こぶしを振り上げ演説します。その姿は旧社会主義国の独裁者のしゃべり方です。それに対して寺前さんは仕立ての良い背広姿で、紳士であり、しゃべり方も諄々と説く、タイプでした。この選挙は選挙戦での候補者の役割(比重)を示したものでした。(この経験に共産党は学んでいません)

 選挙の勝敗は候補者の良し悪しでほぼ70%〜80%決まる。と私は思っています。私は学生時代からそう思っていました。共産党は魅力のない候補を立てて、我々の尻をたたきますが、候補者に人気があれば選挙戦は楽なのに、いったい幹部は何を考えているのだと。

 しかし、現状は魅力のある候補を共産党は失っています。他の党派と比較した場合圧倒的に魅力のある政治家が不足しています。たとえば高槻市ではA氏という市委員がいます。かれは選挙のたびに役割を担わされ、2003年の市会議員選挙では1514票で落選した(当選には2000票必要)にもかかわらず、2009年の衆議院選挙では大阪10区から出馬し、18425票で落選、ちなみに辻元清美は109693、松浪健太は85106票獲得しています。このA氏の18425票はこの時点での党の基礎票であり、市会議員選挙でまったく票の取れなかった候補を国会議員選挙に出す手法は、選挙民から見放されます。他党の候補に比べA氏が政治家として最も優れていると思って投票した人はゼロに近いと思います。(失礼ですが)

  「そんなことを言ったって、候補者がいないのだからしょうがない」と反論されるでしょうが、それは違います。党建設の誤りがこんな状況にしたのです。私が大学にいたときはすばらしい先輩が山ほどいました。私などはどうすればあのような人物になれるのだろうとあこがれていました。人材はいくらでも輩出できるのです。大学4年間ですばらしい活動家(政治家)が山ほどいました。党建設を赤旗拡大一本に絞ったため、人材養成はまったく失敗してしまいました。選挙に勝つためにはまず政治家の養成が不可欠です。(赤旗の拡大や配達に使っていては政治家は育ちません。)

  私は今回M氏からの手紙を受け取って、彼がよい人で、不眠不休でがんばっていることは痛いほど判りました。しかし違うのです。よい人だからと言って許されるのではないのです。彼は府会議員です。府会議員として府民の信託に答える必要があるのです。もう「いっぱい、いっぱい」だとの彼の声は聞こえますが、それで許される問題ではないのです。

 共産党は確かによい人の集まりです。日本の中の一番良心的な部分がここに集まっていると私も思っています。しかし仕事ができません。その最大の原因は、議論を通じて何かを作り上げる訓練がなされていないからです。上から指示されたことを忠実にやりぬく、この繰り返しでは政治家として育ちません。M氏の手紙を見て、人の良さは100%感じますが、それでは橋下府政とは戦えないというのが率直な感想です。(人物が違いすぎます。)M氏の手紙の個々の点を批判するなら山ほどありますがそれはやめておきます。(これ以上やれば悪趣味になりますので)

2.次に勝敗を決めるのは、政策の良し悪しです。

  今回の選挙戦で最大に注目すべきは、85万人いる世田谷区の区長選で社民党の保坂氏が勝利した事例です。私は「意見書5」で取り上げています。

◆意見書5の抜粋

  特筆すべき事項は世田谷区長選で社民党の保坂氏が当選したことです。彼は「脱原発」掲げて、勝利しました。毎日新聞の記事を引用すると「福島第1原発事故に伴う放射能物質拡散への危機感が高まる中、有権者の原発不信が保坂氏を押し上げた。」と書かれている。これは自ら争点を設定した者が勝利できることを証明した極めて貴重な経験です。

 共産党は今回の原発事故に対して「安全優先の原子力政策」という訳のわからない政策を出して敗北したと私は思っています。原発に対する方針は、「原発反対」か「脱原発」か「安全点検」かの争いだと思われますが、共産党は関電と同じ「安全点検」を党の原発政策にしてしまいました。これが後半戦の敗北の最大の要因と思われます。

 政党間の力関係では社民党は0.8%程度の支持が無いにも関わらず、保坂氏が勝利したことは国民の中にある要求を的確に捉えて政策で戦えば選挙で勝利できることが証明されたものです。

  同時に戦われた区議会選挙では、社民党の当選者は2名得票数7377票、共産党は5名得票数1万9507票です。区長選挙では、保坂氏83983票、共産党系と思われる候補は9963票で惨敗です。

  これは選挙が候補者や政策で決まることを示す事例です。この選挙戦の総括を是非科学的な目でやることが共産党にとって重要です。(得票は赤旗の数に連動などしていません。是非結果を素直に受け入れるべきです。)

3.自らの政党のカラー(他党派との違い)を明確にしたものが勝ちます。

 共産党は、すでに無党派が最大になっていることを注視すべきです。この無党派はそれぞれの政党の政策をすべて熟知して投票するのではなく、自分のヒーリングにあっている政党や人物を選んでいます。選挙には選挙毎に争点が設定されます。その争点をうまく処理したものが勝ちます。その代表例が「郵政選挙」であり、昔の「消費税選挙」です。

 今回の一せい地方選挙でも、大阪では「維新」と付くだけで大勝利しています。高槻市では、府議選では、維新の会は42931票、共産党は14447票(昨日今日できた政党の約34%に留まっています。)、市会議員選挙では、高槻維新の会が1位、2位を占め14231票、共産党は5人で12452票で共産党の得票数を上回っています。 

 この実態を見て、まだ赤旗の拡大が少なかったのが、負けの原因といわれますか。負けの原因は自らの政党のカラーを打ち出せなかったところにあります。今回の選挙は「維新の会」は大阪都構想を掲げ(中身はまったくないが)大阪市が無駄の根源であるイメージを振りまき、大阪市をぶっ潰せば府民の生活は良くなると宣伝して勝利をつかみました。自ら争点を作り出したのです。ところが震災が起こり、橋下氏の作り出した争点は吹っ飛び、震災が争点になるかと思いましたが、結果は橋下氏の設定した争点が、今回の府民の投票行動の分岐点でした。

  この原因、共産党が維新の会との対決を避けたことと、震災を争点にしながら「復興支援」を中心テーマにすえ、原発反対を争点にできなかったことが敗北の最大の原因だと思っています。(震災との関連で選挙を語るのは不謹慎だと批判されると思いますが、私は党中央は震災が選挙戦を有利にすると思われたと思います。ところが結果は有利ではありませんでした。党は震災を争点にしながら、震災問題を如何に政策化して戦うかで失敗したと思っています。その最大の失敗が「原発の安全点検」です。)

 党は今回の選挙総括を是非民間の調査機関なども利用し、科学的な総括をされることを期待します。「原発の安全点検」というスローガンが国民の中でどう理解されたのか調査を行う必要があると思います。この党の政策を見て、共産党の原発政策が一番進んでいると思って共産党に投票した人がどのくらいいるかの総括をきちっと行うべきです。同時に世田谷区長選挙で保坂氏の「脱原発政策」が勝利にどの程度影響を与えたかも調査すべきです。   選挙を科学にしませんか。赤旗との関連だけで選挙を語っていれば、党は完全に埋没します。

  以上選挙戦の総括は是非このような点から行わない限り党の再生はないと思っています。

<党が勝てない根っこの部分>

  次に共産党がなぜ選挙戦で勝てないかを考えるとき、忘れてはならないのは好きな政党はと嫌いな政党はときかれた際、嫌いなほうが圧倒的に多いのは共産党と公明党です。この問題に真剣に取り組まないと共産党の選挙戦での勝利はありません。以下この点についてもう少し詳しく見ていきます。

1.解放同盟と共産党の類似性

  党は部落解放同盟と相当厳しく戦われ、その中で国民の中にも支持を広げました。その成果もあり、最近は解放同盟の行政に対する影響力は低下し、行政の健全化という意味では大きな成果がありました。しかし解放同盟の衰退とともに、党も戦う相手がなくなり衰退しています。(大阪では)

  解放同盟は「差別だ」という殺し文句を携え、行政をことごとく屈服させ、自らの利権を獲得してきました。しかし、戦後60年が経過し、部落差別も大幅に改善される中「ますます差別が厳しくなっています」という彼らの言葉は「空ろになり」、政治的には後退し、現在では、同和地区の住宅を買わないのは「忌避意識」であり「差別だ」と主張していますが国民の共鳴を得るにはいたっていません。

 共産党も「反共攻撃だ」というやはり殺し文句を持ち、共産党に意見を言う人(一般的に民主的な感覚を持った人でも)を蹴散らかしやはり支持を失いつつあります。私も今回この意見書を上げるには相当の決意が要りました。党から反共攻撃だと批判され、民主的な考えの持ち主ではなく、反動勢力からの手先だとレッテルを貼られるのではと。

(ただ私もすでに65歳になり、党からのそうした攻撃が怖くなくなり、遺言の気持ちで党中央に異議申し立てしています。)

 何が言いたいのか、「差別だ」とか「反共攻撃」だとか「一言」で相手を全面否定することをやめませんか。(こういうやり方は百害あって一利なしです。)多くの民主的な人々は、共産党を全面的に支持しなくても、その活動を認め応援している人はたくさんいると思います。しかし共産党に対して何か批判的なことを言えば「反共攻撃だ」と悪罵を投げつけられたら、共産党を支持している気持ちはなくなります。相手の持っている思想の多様性を認めず、共産党を批判すればすぐに「反共攻撃」と過敏に反応する姿は、解放同盟の言う「差別だ」に似ています。

 ここまで言うと、そんなことはしていない。党に対して打撃的批判をする者にしかその言葉を使っていないと言われると思います。私は「意見書3」で具体的事例を挙げて批判しています。(以下「意見書3」の抜粋)

 また赤旗22日1面の記事の中に、「市長派の反共攻撃に反撃」という見出しが躍っていますが、中身をさがすと「自民、公明、民主などオール与党に担がれた現市長陣営は「自衛隊を認めない○○党」と悪口を並べた法定ビラを広範囲に配布し、共産党追い落としに躍起です。」という記事を指していると思われます。

 「反共攻撃」とは一体どのような概念ですか、共産党の政策を批判すれば反共攻撃ですか、私はこの言葉の定義はできませんが、「戦前からの権力の弾圧との係わり合いの中でうまれてきた言葉だと思います。謀略的な意図を持って、事実と違うでっち上げで共産党を攻撃し、国民と共産党の遊離を図ることを目的とした攻撃だと捉えています」。「自衛隊を認めない共産党」は共産党の政策を語ったものであり、果たしてこれが反共攻撃に当たるのでしょうか。「自衛隊を認めない共産党の何処が悪いのか、共産党は命を守る政党だから憲法を尊重し一切の戦争に反対してきた」と自らの主張を堂々と語れば良いのではないでしょうか。相手の言論を封殺するような反共攻撃だと主張することは必ずしも得策ではありません。(くどいですが、高槻民報の共産党の相手方に対する攻撃の方が私は節度を欠いていると思っています。)


 選挙戦で相手の党の政策を「たたく」のは常識的な戦い方です。これを反共攻撃だというような「言葉」で反撃するやり方をやめませんか。解放同盟に「差別だ」という言葉をやめませんかといってもやめられません。しかし部落差別を本当に解消していく上ではこの「言葉」を封印するぐらいの覚悟が必要だと思っています。同時に共産党が世間から認められ一人前の政党になるにはこの言葉(反共攻撃)の「封印」が必要だと思っています。

 相手を一撃(一言)で撃沈できる。こんな便利な言葉はありません。しかしこれは麻薬です。それがために「考える思考が妨げられ」、「仲間を失っているのです」戦後の民主主義の中で、戦前共産党を不当に弾圧したことの反省(それを批判できなかった)が多くの人の心の中にあり、反共攻撃だといわれれば、自分は民主的な人間だと思っていたが、そうした批判がある以上問題があるのかと、自己否定につながる要素があります。この心理を利用したのが解放同盟の「差別だ」です。やはり人間には弱さがあり、差別的な気持ちは心のどこかにあります。そこで「差別だ」と追及されると、良心的な人々は屈服します。

  もう少し判りやすい言葉で言うと、最近では「セクハラ」だという言葉が破壊的力を持っています。就職の面接で「家族構成は」と聞くのもセクハラ、「今日の服装は良いね」も「セクハラ」といわれれば、何もしゃべれません。職場の人事異動も「セクハラ」といわれれば、どこかに飛ばされます。(確か筆坂氏もこれでした・・・)

 話を元に戻しますが、解放同盟が「差別だ、差別はますます厳しくなっています」というのも、世間一般の常識とkかけ離れています。共産党の「反共攻撃だ」というのも世間一般の常識から遊離しています。今の若い人に「反共攻撃」という言葉を使っても「しらける」だけです。こうした世間の常識(気分感情を)学びませせんか。

2.忌避意識

 嫌いな正党はのアンケートで共産党はいつも公明党と1位、2位を争っています。この二つは他の政党に比べダントツです。これは国民がこの二つの政党は民主主義と相容れない政党の体質を持っていると見ているからです。

  そのための提案は

 (1)共産党は、政治的立場を異にしても、人間として相手を尊重する。」ことが大切。

 共産党の「共産党」だけを絶対化し、それとの関わりで人物評価をするやり方が、既に時代遅れになっているのを気がつきませんか。(それは、原水爆禁止運動において活躍された哲学者古在由重さんが亡くなられた時、赤旗には古在の死亡記事が掲載されなかったことが、世間から批判されました。)

  5月29日(日曜日)の赤旗「不破哲三 時代の証言」の中で、志位和夫の論文はこうした共産党の人物観を変えたものとして私は注目しています。この記事の中で(5)の中に、国会の論戦について触れ、「相手も相手なりに真剣に答えようとする。そして、その姿勢には著者(不破氏)もまた暖かい眼差しをそそぐ。そんな国会の雰囲気が伝わってきます。政治的立場を異にしても、人間として相手を尊重する。これはとても大切なことだと思います。そしておそらく著者のこの姿勢は、相手にも伝わり、(あるいは脅威)をさらに高めただろうと、私は思います。・・・ここまで志位論文を引用

  この「政治的立場を異にしても、人間として相手を尊重する。これはとても大切なことだと思います。」の指摘は正しく極めて重要な内容を含んでいると思います。

 私は「意見書2」の4ページで 

  選挙は政党間の争いであり、他の党派と自らの違いを明確にして、市民を自らの陣地に引き寄せて行く戦いだと思っています。「命を守る政治」は政治の原点であり、政治を志す者には共通の概念です。もし共産党が「命を守る政治」という概念で政党間の違いが描きだせるというなら、それに最もふさわしい政治的課題は「原子力政策」です。


  私は批判を恐れず、「命を守る政治」を目指しているのは共産党だけなく、全て政治家の原点だと。この思想を受け入れる度量が無い限り、共産党の発展は無いという意味で敢えて書きました。今までの共産党では、私たちは「命を守る唯一の党」との自負の下このスローガンを掲げられたと思いますが、そんな合意が市民的にできていますか、共産党の独りよがりに過ぎません。だからこのスローガンは選挙戦では全く無意味だと申し上げてきました。

 今回の志位論文は、他党派の政治家にも敬意を表する(政治的立場を異にしても、人間として相手を尊重する。)という共産党にとってははじめての見解のような気がします。例えば自民党の市会議員であっても、「命を守る政治」を目指して地道に戦ってきたら共産党に行き着いたという人もいれば、逆に、共産党にはいろいろ問題があると疑問に思われ他党派へ流れる人もある。しかしそこには共通した国民のためという考えがあるのだという意識を持ち合わせ無いで、他党派から来た人は褒めちぎり、他党派へ流れたものは口汚くののしるという政治姿勢は、国民的支持を得ないことを理解すべきです。たとえば、共産党が今回の選挙戦で「脱原発」を最大の課題として戦ったのであれば、世田谷区での社民党の保坂氏の当選を赤旗で評価すべきでした。

 この一番悪い見本が公明党です。元の委員長や書記長を創価学会の新聞で、仏罰が当る地獄へ行け見たいなことを書いています。これらは国民から拒否反応が出ます。なぜ共産党、公明党に対する拒否反応が、他の政党より高いのか、それはこの排他主義的(共産党を離れていった者に対して)な党の姿勢にあると私は思っています。(この共産党と公明党の類似性が「忌避意識」でも同じように1位、2位を占めているのです。)

  私は、「意見書13」で「社会的常識を党活動の基本」にと訴えました。今回の「意見書15」では、「政治的立場を異にしても、人間として相手を尊重する。」この思想を党の基本に置き、党を離れた人を口汚く攻撃する事を辞めることを期待します。

 この指摘は重要であり、インターネットではこの様な意見がありました。「国民の8割は共産党の政策を支持している。しかし共産党の体質に問題があり、投票行動に至らないのだ」と。私もそのように思います。そのために克服すべき課題として、次に述べる「反共攻撃」という文言の整理が必要だと思っています。

 (2)反共共攻撃という言葉を封印すること。

   @少なくても、警察やプロの政治家などを除いて一般の国民に対して「反共攻撃」という言葉を封印すること。

   A選挙戦における政策論争で、この言葉を使わないようにすること。上記「自衛隊を認めない○○○党」の

        件で言えば、反共攻撃という一言で相手と対峙せず、自衛隊に対する共産党の政策をしっかり訴えて反

     撃することが重要です。

   B党に対する意見や批判に対しても、よほど悪意でない限りこの言葉を使わないこと。(私の今回の事例など

     も党にとって耳の痛いことでも、「ありがとうございます」という度量を持つこと)

 

(3)選挙戦の戦い方を検討すること。

 党はあらゆる名簿を駆使して、選挙戦電話戦術に出ます。しかし、20年前と現代ではプライバシーの概念も相当変わっています。他人が何かの名簿を見て電話をすることには相当の拒否反応があります。いまの若者は固定電話は持っていませんすべて携帯です。電話は相手が誰かわかる場合のみ対応します。

  例えば、組合員名簿等が選挙活動に使うことは、相当批判があります。このような名簿の利用はやめるべきです。なんら効果がなく「忌避意識」を拡大するだけです。

  これは私の全くの個人的考えですが、どこの誰かわからない人からの電話で選挙の投票行動を変えるような人を私は全く受け入れることができません。(おそらく電話戦術で獲得した票数より、蹴散らしている票数の方が多いと思います。・・・これらも科学的調査が必要です。)

 

(4)選挙の戦い方を根本的に変えること。(金太郎飴は最悪)

  高槻市の今回の市会議員のポスターは5人とも同じ図案及び文言でした。こんな金太郎飴作戦をやめること。(これが党の選挙の最大の弱点)だれが金太郎飴みたいな自主性のないロボットみたいな人に投票しますか。党はそれぞれの候補者の個性を前面に出して戦うことが必要です。(M氏の手紙では、「ポスターについては、党内や支持者の中でも賛否両論がありました」)そんな生易しい問題ではありません。共産党が全体主義的政党かそれともそれぞれの個性を尊重する政党かを市民は肌感覚で感じ取っているのです。あのポスターを見ておかしいと思わない人は、政治的センスがすでにさび付いています。

  それなら、M氏のビラが正解のように見えますが、個性の出し方が間違っています。M氏の個性は、苦労人、京大生でした。(苦労人がお涙頂戴路線でした。谷善さんの苦労人は大衆のために戦ってきた苦労人です。)それと共産党の支持者はおそらく京大が偉いと思う人は少ないと思っています。まさに現場で働く人であって、京大出のボンクラに虐められていて、そんな偉そうなことを言うならお前がやってみろというような考えの方が多いと思います。

 これも全くの余談ですが、今刑事ものをはじめとするドラマを見てください。ほとんどのドラマは現場の労働者が本当は偉く、一流大学での肩書きのある指導者がボンクラに設定されています。これが一般市民の感覚です。

  もっと悪口を言えば、今回の震災でも、国民は「原発はだめだ」と一瞬に悟りました。しかし東大出の志位さんにはそれが判りませんでした。注2

 「原発の安全点検」で戦い、敗北した選挙結果を見て初めて志位さんは気づいて、5月1日のメーデーでの発言になっています。一流大学出が偉いなどと誰も思っていません。(高槻の選挙でも、京大大学院卒を掲げたN氏は最下位、M氏は下から3番目でした。)

  共産党と公明党以外の他の候補者は、すべて自分の個性・魅力で勝っています。選挙は「自分の魅力で勝つ」この方針を確立しない限り、共産党は大衆政党として国民に認知されません。(金太郎飴では絶対勝利できません。何の魅力もありません。)

注2:私は今回の震災で共産党の原発政策が失敗したのは、震災の深刻さの状況現状把握ができていなかった
    と思っています。「意見書3」で私は会えて西部邁氏の論文を引用しています。以下「意見書3」の抜粋

   毎日新聞の引用を行えば、右翼にかぶれていると批判を受けそうですが、あえて書きます。4月20日付毎日新聞朝刊9面に 西部邁氏の寄稿論文が載っています。見出しは「技術が安全なはずがない」というものです。その中で「常に危機をはらみいつも誤謬にさらされるものとしての技術が、安全であるはずがない。」「「安全な技術を」を要求するたとえば反原発派も、「安全な技術」を宣伝するたとえば原発推進派も、同じ穴の技術信仰にあるといわざるを得ない」とし、中見出し「国民が感じ取った「日本国家の危機」」の中で、「われわれは、この大地震における3万人近い使者・行方不明者と放射能の止めようのない漏出に、かつて無い驚愕と不安を覚えている。なぜか。それが「日本国家の危機」である」ことを、強かれ弱かれ、日本人が感じ取っているからだと思われる。国民は自らの国家の危機を座視できないのだ。」と書かれているが、この視点が基本的には正しいと私は思っています。

 

 ここで指摘されている「日本国家の危機」というような状況認識をこの時点で共産党は持っておられません。

 同日付けの赤旗は

 赤旗16面の「原発事故 そこが知りたい」の記事の客観的な記事は何ですか。「老朽化した炉の危険」、「金属・熱疲労■侵食・腐食発生」、「原子炉に亀裂入りやすく」この客観性は何ですか、だから最低限「老朽原発はすぐに廃止させる」位の見出しがあっても良いのではありませんか。今、客観的な学術論文が今必要ですか、事態は切迫しているのですよ、緊張感が全く感じられません。 

 共産党は、5月26日の赤旗1面トップではじめて「存亡の危機国は対応早く」とかかれています。 この段階で西部氏の指摘の水準になっています。

 ついでにもう一点追加しますと、震災後の早い時期の赤旗の震災記事の主要な内容は選挙目当ての市開議員の慰問写真ばかりが占めていました。この点についてもすでに「意見書1」で指摘しています。

  「意見書1」の抜粋

 さらに志位さんが避難所に入った写真がありました。この写真もおかしな写真でした。志位さんの横で聞いている方の表情は、まさに被害にあわれた方の悲しみを感情移入され、悲しみを共有されている様に見えました。しかし、志位さんの目は明らかにほかの事を考えている陰険な目つきです。なぜこの様な写真を載せるのか判りません。明らかに一般紙の写真から遅れをとっています。「震災」を写真を通して伝えることに成功していません。


 これも批判を恐れず敢えて書きましたが、一般紙に報道されている天皇・皇后の慰問の姿と全く違い、志位さんの気持ちが全く伝わってこない写真です。(慰問しながらほかの事を考えている姿が映し出されています。・・この話おそらく誹謗・中傷といわれるでしょうが写真の専門家に見せてください、私の主張が正しいことが証明されるでしょう。)

  

 (5)社会的常識を党活動の基本に

    これは「意見書13」を参照

(6)与党からの支持を政策の正しさの表明に使うことをやめる

 また5月26日赤旗1面に、自民党の元宮崎県日南市議の記事を大きく扱っておられますが、共産党の政策を自民党など保守政党が褒めてくれたと極端に喜ばれますが、(この件についても「意見書1」で批判しました。注1)これが一面の記事内容ですか。そんなことが大きな記事になるのなら、共産党から離れた人が他党派を褒める場合も認めるべきです。最近では筆坂議員がそのような役割を果たされていると思いますが・・・・

注1:意見書1に11ページ

 共産党は自らの政策の正しさを与党が褒めてくれたという「フレーズ」で語るようになっています。これほど「語るに落ちる」ことはありません。共産党の値打ちは国家権力からは批判され、国民から支持されるところに値打ちがあるのです。今日の新聞でも4面に東京都知事選挙の記事を載せ、「与党関係者も”小池氏が一番まとも”」という小見出しを入れています。これこそが罠であり共産党を彼らの手の内で踊らせようとする、敵側の作戦だと思いませんか。

  「与党だった人も支持してくれているから正しい」は何処に根拠があるのか。私がこの種の記事に違和感を持つのは、自民党の幹部がとか、財界の幹部が共産党を褒めてくれた場合、手放しで喜ぶのではなく、共産党が体制内化していないか、自ら厳しく律することこそが求められていると思います。原発問題では当初「安全点検」という関電と同じスローガンを掲げたことが与党から評価されているのですよ。

 私の更なる違和感は、共産党から離党して他党派に移った人物を「口汚く」攻撃されます。その際人間性を疑うような批判をされます。共産党から去って行くものは人間性が疑われ、他党派から共産党へスタンスを変えた者を英雄士するようなやり方は何か違和感を感じます。人間としての思想の一貫性を尊いと思われているのか、それとも共産党だけが善で他党派は悪だという意識で、共産党を評価する側に回った人には賞賛を与え、共産党を批判する側に回ったものはパッシングする。この手法どこかで見た気がしませんか。北朝鮮や韓国がそうです。自国を裏切り他国に逃れれば英雄になる。生活保障もなされる。この様な発想は民主主義国家である日本の国民には馴染まないのでは無いのではないでしょうか。

 (7)党建設のあり方の改善(政治家を育てることが重要)

   「意見書7」参照 

 (8)常に共産党は正しいという唯我独尊主義を改めること

  共産党への「忌避意識」の大きな構成部分を占めているのが、共産党のこの態度だと思っています。私なども若いときは共産党はすべて正しい、共産党に間違いはないと思っていました。しかし、時がたつにつれこれはおかしいと思いはじめました。選挙戦で負けてもいつも勝ったという総括等に不振を抱きはじめました。今回の選挙では共産党は大きな誤りを犯しました。一せい地方選挙の争点を「震災復興」に設定したこと、原発の事故に対して「原発の安全点検」を叫んだことなど私から見れば信じられない誤りを共産党はしました。(これが私の一連の意見書の原点です。)私は「意見書8」で、安全点検から脱原発に舵を切ったことを国民に説明すべきだと主張しました。

1.これは原発政策の転換を図ったものだということを明確にする事

  共産党はいつの間にか政策転換を行い、最初からそういっていたとこじつけます。これを行えば国民から不

 信を招きます。

2.選挙戦でこの方針を立てて戦えなかったことを、国民にお詫びする事

    国民の多くは共産党がこの方針(原発ゼロ)を出すことを望んでいました。 

    注1:次ページ「1.共産党の政策転換を国民は歓迎しています」参照

3.選挙戦を戦った党員やその支持者に、「原発の安全点検」という方針が、国民との対話の中で反撃にあい、

  苦労したことに対してお詫びすること。

4.なぜ「安全点検」という誤った方針が、前半戦の結果を見た段階で克服できなかったのか、その理由を解明

  にする事。(吉井議員の優れた国会論戦をなぜ活用できなかったのかも)

5.この方針転換が、何時、どの機関で行われたのか明らかにする事。

 4月29日の赤旗は共産党のメーデーのスローガンを掲載しています。そこには「安全優先の原子力行政の転換を。」「原発依存から自然エネルギー中心の低エネルギー社会へ」としており「脱原発」を明確にはしていません。注2

  4月30日付赤旗は、「原発・エネルギー問題対策委を設置」という記事を載せています。私はここで議論され党の原子力政策が修正されるものと期待していました。それが1日で方針が変わる(早くて良いですが、大衆は不気味な感じがします。)党の方針決定が党のもてる英知を結集して決められるのではなく、特定の幹部が決めているイメージを与えます。(それほどこの政策転換を行うことの必要性に迫られていたのかも知れませんが。メーデーを逃せば更に政治的に敗退するという危機感があったのですか。)


  私のこの指摘は、おそらく共産党は「脱原発」は共産党の一貫した方針だといわれると思いあらかじめ、先制攻撃をかけものです。しかし私の心配は、杞憂に終わらず、やはり一貫した政策で押し通そうとしておられます。「うそつきは泥棒の始まり」といいますが、このようなことをやっておられたらだんだん支持を失うことを、真剣に考えてください。

 以上のような改善を通じて、党に対する「忌避意識」の改善に努める必要があります。部落問題も同じですが、差別はますます強くなっているのではなく、差別の解消には、部落内部の取り組みも重要になっています。これが現在の局面です。

 共産党に対する「忌避意識」も戦前・戦後の相当の時期までは、国家権力によって意識的に作られた「反共意識」によって、国民大衆の中に反共意識が生まれました。しかし共産党に対する現在の「忌避意識」の原因はほぼすべて現在の共産党の活動の弱点から来ています。自分たちだけが気づいていない、国民大衆は日常的に共産党と接していて、感じ取っているのです。たとえば5人とも同じポスターを出す。これは金太郎飴です。それを見て共産党は党の命令一下みなが動く独裁的な党だと市民が判断したとした場合、市民が悪いのでなく共産党がそれを市民に立証して見せているのです。(候補者の顔(個性)が見えないのです。)

 もし公明党が同じことをやって場合、市民は同じようにこの政党には個々人の個性はない、池田大作のロボットだと思うでしょう。同じことです。自分でそれを実証しておき、反共攻撃だと叫ぶのは滑稽でしかありません。共産党の「反共攻撃」だとの主張は被害者意識(あるいは特権意識ー戦争中も侵略戦争に反対した唯の党)です。社会の変化発展を捉えきれていないのです。多くの国民は反共意識になど染まっていません。現在のありのままの共産党を批判しているのです。

 以上共産党はその支持を拡大するためには、「忌避意識」克服が絶対に必要です。これ抜きには共産党の支持は広がりません。是非具体的検討をしてください。これに対する共産党の回答を是非ください。私なりに共産党に再生のモメントがあるか確かめたいので。

 ここまで私が共産党を批判し続けたら、共産党は私が敵だと認識されていると思いますが、私は共産党を立て直すには、純粋に事務能力の改善から始めるべきだと考えています。(資本主義社会の企業の持っている社会的責任とかコンプライアンス、説明責任などの規範を共産党も学ぶべきです。一番手始めにインターネットの常識を学ぶことです。)私は今働いていますが、共産党が必要とするなら、仕事をやめ無償で応援に行こうと思ってこの批判を始めています。私のような事務的なセンスを受け止める用意がありますか、その度量の広さが共産党に求められているのです。

 ここまでメールをあげて来ましたが、大阪府委員会など返事もしないのはおそらく私を受け止めないということでしょう。M氏の手紙も選挙戦のポスターの顔も鬼気迫るものがありますが、私から言えば「それが何ですか」、国民大衆の意識センスに合わせないで「私は命をかけて戦っている」という主張は、「しらける」だけです。今重要なのは自然体で国民の要求に応えていく上での「単なる事務能力」が求められているのです。メールに返答すらできない無残な状態の改善をしませんか、それが私の提案です。