大津・中2自殺事件 第8弾

  「教育の森」の毎日新聞は死んだのか?
      マスメディアは、第三者委員会の報告をどのように報道したか


                                                  平成25(2013)年2月3日

 「大津・中2自殺事件」は、第三者委員会が報告書を越大津市長に提出し、一応の終焉を迎迎えている。しかしこの報告書を受け、各メディアは、息を吹き返したように、この報告書を利用し、またまた無責任でセンセーショナルな記事を書いている。

<教育の毎日新聞は、三流週刊誌に身を落としたのか?>

 問題の記事は、毎新聞(2月1日付け)の27面で「やはり学校が見殺し」という大見出しを掲げている。その下に「大津いじめ「自殺直接要因」」、「父「教師ら認識を」「報告書230ページに批判」と見出しをつないでいる。

 この見出しから見れば、「やはり学校が見殺し」という主張は、この報告書の内容か毎日新聞主張のように読みとれ、それを踏まえ、父親が「学校にこの内容を認識せよ」と迫ったように見える。さらには報告書で230ページにわたって批判が展開されているようにも読み取れる。

 大津・中2自殺事件では、教育を得意とする毎日が異常に頑張っている。しかしその論調は煽り行為であり、すでに教育的視点を失っている。

 この同じ記事を他の新聞はどのように伝えたのか、

同日付けの朝日新聞の35面は「いじめ 学校知りえた」「市教委も調査丸投げ」「大津・第三者委報告」さらに「父「息子見殺しにされた」」と見出しを打っている。

 朝日新聞は、報告書の趣旨を正確に捉え、報道し、あくまで「見殺し」という言葉は父親が発した言葉として伝えている。

同日付けの読売新聞の35面は、「いじめ「生への気力」奪う」「大津市第三者委布告」「生徒の無念に応えた」と見出しを掲げ、その横に「やはり息子は学校に見殺しにされた」と書いている。これも朝日と同様に、「見殺し」という言葉は、父親の言葉として紹介している。

 毎日新聞のみが、功を焦り、突出した異常な記事(やっぱり学校が見殺し)を書いている。ところが、毎日新聞は、報告書の中に「報道合戦を批判」という内容があることを小見出しで紹介し、その中で読売新聞をやり玉に掲げて批判しているが、毎日新聞の今回の記事の見出しこそ報道合戦の記事であり、自己を客観視できず、思い上がりでしかない。「やはり学校が見殺し」という見出しの中のどこに教育的視点が入っているのか、この記事を読んだ学校関係者や当該学校の先生がどれだけ傷つき、学校運営にどれだけ障害が発生するかを考えたことがあるのかと言いたい。

 今後、この学校で教師が、子どもや保護者に対して、教育的な面で指導を行った際に、子供や保護者から「見殺しをした先生に言われたくない」と返されれば、教育は崩壊するし、教師は2度と立ち上がれないと思われる。

 「やはり学校が見殺し」という見出しは、第三者委員会の報告の価値をすべて打ち消しにし、毎日新聞が三流週刊誌に落ちたことを証明してみせた。

<大津・中2事件は、教育問題を考える原点であり、政治的にも大きな課題>

 私のHPは共産党の問題点を明らかにするのが本筋であるが、この「大津・中2自殺事件」は別途特集として取り組んでいる。なぜなら、この問題は戦後教育をどう評価するのかという重大な問題を含んでおり、同時に橋下市長が絡んでおり、この問題に適切に対応しないと、橋下市長の政治的影響力がますます大きくなるからである。(注1)

 共産党はこの件に対して現在まで有効な対応ができておらず、橋下維新と戦うといいながら、具体的の問題で対応できない弱さを持っていると認識している。そのような状況を踏まえ、この問題をどう捉えるか積極的に発言してきた。

 余談ではあるが、私は早くからこの「大津・中2自殺事件」は、教育問題であるとともに、政治的問題でもあると主張してきた。そこで「さざなみ通信」にこの件を投稿したが、掲載を拒否された。「なぜボツですか」と聞くと「政治的課題でないから」との返事が返ってきた。私はこの返事にびっくりした。なぜなら共産党もその当時この事件にについて黙っていた。その共産党の問題点を指摘しているサイトが同じ弱点(政治的鈍感さ)を共有している姿に。(それ以降さざなみ通信への投稿はやめた。)

注1:橋下市長は、「大津・注2自殺事件」が発生した際、「クソ教育委員会」と呼び、大津市の越市長と連携して、
      教育委員会を攻撃していた。さらに大阪の桜宮高校で教師の体罰による自殺事件が発生し、ますます橋下
      市長が「いじめや体罰問題」で発言権をまし、教育を自らの直接の支配下に置く策動を強めている。

<赤旗は第三者委員会の報告書をどう伝えたか>

 共産党の問題点を指摘するのが、わたしの役割であるから、一般紙だけでなく赤旗がどう伝えたかを押さえておく。
 まず一般紙は、毎日新聞・朝日新聞が一面トップ記事、読売新聞は一面トップではなく2番目の記事になっている。(これは報告書に名指しで批判されている影響か?)赤旗新聞は、一面の最後の記事である。(取り上げ方が弱い)

 上記で各紙の記事を取り上げ、論評したのは1面ではなく、社会面で書かれている記事なので、赤旗も15面の記事を見てみる。見出しは「いじめ19項目を列記」「大津市事件報告書」「再発防止提言も」という見出しを掲げている。

 「大津市事件報告書」という見出しは堅いが、客観的でしかも「再発防止提言も」と今後の内容も提言されていることに着目しており、赤旗の紙面が一番報道合戦という視点から外れ、冷静に見ている。(毎日新聞の「報告書230ページに批判」という無責任な表現とは全く違う。毎日のこの見出しは、230ページにわたって批判と読むのか、230ページに批判が書いてあるのかよくわからないが、一般的には230ページにわたって批判とよみとれる。)

 さらに赤旗は、2月2日付けで「「大津いじめ報告書」「読売」報道を批判」という記事を5面に囲い記事で相当大きく載せている。見出しは「“ 虚偽記事が調査の妨げに”」と書き、報告書が「本件事案に関する報道合戦は異常でセンセーショナルものであった」と指摘した具体的内容を引用している。

 「生徒に対して金銭をちらつかせ情報を得ようとした▽通学中の激しい取材、▽自宅への押しかけ取材▽加害少年の報道―などの例をあげています。その現象はインターネットに波及し。加害少年と家族が地域内で生活できなくなったほか、いじめ行為をしたことが認められなかった生徒や家族まで、平穏な社会生活が奪われる事態になった」と指摘しています。と報告書の要旨を載せている。さらに紙面4段抜きで報告書の内容(要旨)を載せ、読者に冷静な判断ができる資料提供を行っている。(2月2日の朝日新聞や読売新聞は手に入れていないので早計には判断できないが、この記事に関しては赤旗が優れている。)

 ただ朝日新聞はすでに2月1日の段階で「大津いじめ調査報告書要旨」を載せているが、赤旗の半分ぐらいの量である。しかも、注目すべきはそれぞれ要旨であり何を伝えたかが大切であるが、私が一番注目したのは、朝日新聞が「Aの性格や家庭環境は自死の要因とは認められない。Aに加えられたいじめが自死につながる直接要因になったと考える。」というもっとも大事なところを敢えて赤旗は外している。

 これを読んで頂いている方は奇異に思われると思いますが、私は赤旗のこの対応を支持する。第三者委員会及び一般紙は根本的なところで誤っているとみている。

<なぜ赤旗の記事が正しいのか>

 この問題を説明するために、またもや奇妙なことをするが、1月30日付け毎日新聞9面に投稿欄がある。ここに雨宮塔子さんもよく投稿されているが、右翼文筆家の西部遇さんもよく投稿されている。私は3.11の震災後、西部氏投稿に注目し、共産党の原子力政策、「安全優先の原子力政策」が如何に誤っているかを指摘したことがある。(参考:後半戦(市会議員選挙)の戦い方の問題点 意見書3)

  今回の投稿「学校現場での体罰が問題になっています」で「異論・反論」で西部氏が「「徳育」を実現せよ」という記事を載せている。(この投稿は桜宮高の体罰に関する一般世論を批判したものと思われるが、大津事件にも共通していると思われるので引用する。)

 彼は、自殺について以下のように語っている。

 「自殺についても「当人がおのれのつらい状況にたいして「絶望、抗議、適応、逃避」のいずれの動機をもって向かったか、そのつらさの出所は「社会環境、友人関係、私的事情」のいずれなのか、などについてインテグリティ−をもって考察する必要がある。少なくとも「体罰が自殺の最大原因」という証拠は、この件では、まだ挙がっていない。体育のモレーイズ(習慣)にも選手のモラール(士気)にも無関心な連中による出来合いのモラル(道徳)話が、このやかましい体罰批判ではないのか。」というものである。

  西部氏の話しは難しくてわからない面もあるが、私も自殺に至る契機は単純なものでなく様々な要因があると思っている。

<子どもに対する責任は第一義的には両親(保護者にある)にある。>

 まず考えなければならないのは、一人の中学生の成長に責任を負っているものはだれか、この整理から行わなければならない。それは第一義的には両親(保護者である)その次に教師であろう。さらに責任ではないが、その成長を助けるのは友人・知人であろう。さらには地域社会の果たす役割も重要である。

 この子の場合、いじめがあって自殺に至るまで、だれも気が付かなかったのであろうか?先生が気付かなかった、あるいは気付こうとしなかったと批判され、「見殺しにした」と糾弾される中、なぜか両親の責任に全く触れないこの世論は異常である。

 先生が気付かなかったから、「見殺しにした」とまで言われるのなら、両親はこの子が友達関係でうまくいっているのか、悩みを抱えているのか、見抜いていたのかいなかったのかを問題にしなければならない。もし、いじめられていることを知っていたならば、どう子どもに対応したかも問われなければならない。極端な話、知っていたならば転校という選択肢もあったはずである。こうした選択を実際行われている方もあると思われる。両親であれば、子どもに学校が適応していないのであれば、学校を変わることも、学校を不登校になることも含めて選択し、子どもと向かい合う必要がある。

 マスコミが誘導する一般世論が明らかに間違っているのは、学校が教えるのは第一義的には学力であり、そのことに一生懸命になっている先生が30人〜40人もいる生徒それぞれの悩みを正確に判断し解決するなどということはどだい無理な話である。両親こそがわが子であり、目に入れても痛くないという感情を持てる関係を有しており、両親が果たした役割を抜きに、すべて学校が悪いという論議は全く現在の学校がおかれている問題に対して、初歩的な理解のないものの議論である。(たとえ先生方に不十分差があっても、一生懸命働いておられる。その先生方に「やっぱり学校が見殺しに」と悪罵を投げつける人たちの気がしれない。私はこの人たちの品性や人格をうたがう。)

  私はこの父親の記者会見を見ていて非常に嫌悪感を持つ。「私たちがしてやらなければならないことがあった」という発言が一切でない。すべて学校が悪いと学校や加害者の子ども達と裁判闘争で争っている。その際マスコミを利用し、裁判闘争を有利にするように動いているように見える。

 話は飛ぶが、最近中国人であって帰化された石平さんの本の宣伝が新聞でなされており、何か問題が起これば「相手が悪いと思う」(中国人の発想)、それに対して日本人は「相手に悪いとおもう」というキャッチフレーズが載っていた。日本人と中国人の特徴を端的に表しており面白いと思ったが、このお父さんの主張には、自らの子育てにおける問題点等が何も語られず、「学校が子どもを見殺しにした」とすべて責任を他人に押し付けている姿に、私は同意しかねる。

 西部氏は先の投稿でこの現象を「・・・騒ぎを拡大している。それらはすべ、体罰を受けた高校のスポーツ選手が自殺してしまった、という事実への感情的反発である。」「いや、その体罰(容認)教師の周辺にまでメディアは取材先を広げているので、これはいわばリンチ(私刑)なのかもしれない。」と書いているが、私も「大津・中2自殺事件」の報道姿勢は私刑になっていると常に警告してきた。(参考:「大津・中2自殺事件」を取り上げました

Aの性格や家庭環境は自死の要因とは認められない・・・おかしな判断>

 第三者委員会は報告書で「Aの性格や家庭環境は自死の要因とは認められない。Aに加えられたいじめが自死につながる直接要因になったと考える。」と断定しているが、これほどおかしな見解はない。

  なぜならば第三者委員会の委員の選定が行われた際、そのうちの1名が、父親が子どもの件で「県子ども家庭相談センター」相談に行っている事実を把握し、相談センターに相談内容は何かを聞きに行ったことが「公になり」第一回会合を待たずに罷免(実質上)された経過がある。この際の、大津市の言い分は、大三者委員会は、家庭問題には一切触れないことで設置している。設置要綱違反だということであった。(注2)

 その第三者委員会が、「家庭に問題はなかった」とどの面下げて語れるのか私は問いただしたい。(私はすでにこの設置要綱を批判していた。)

 こんないい加減な委員の判断を認めることはできない。

注2:大津・中2自殺事件第6弾で以下のように書いた。

<第三者委員会の設置目的は>
   8月24日付毎日新聞は、「いじめ調査委員」「委員が家庭情報漏らす」「大津・中2自殺 遺族側、抗議へ」とい
  う記事を載せている。この記事の中で第三者委員会の設置目的を「学校で起きたいじめなどの事実解明」
 と要綱で定められている。という記事がある。この要綱に反し、野田委員が、「県子ども家庭相談センター(児
 相)に生徒の父親が相談した内容」を聞き出し「第三者に漏らした恐れがある」としている。この状況を「調査に
 関係ない家庭の情報で先入観を持って調査にあたる委員の中立性は疑わしく、委員就任に際   して市
  が公平・公正な調査を求めた要綱に違反する」などと遺族側が批判しているという記事を載せている。

<2月1日は教育の毎日が死んだ日に>

 そもそも、委員たちはこの何のためにこの委員会が設置され、何を解明する必要があったのかを理解しているのであろうか。マスコミの騒ぎに合してその報告を行ったとそれば、尾木ママにみられるように、単なるテレビ芸人である。

 問題の究明は、犯人がだれかではなく(すでに警察が入り捜査し別件であるが送検している事件で、第三者委員会が犯人捜しを行うことは全くの筋違いである)子どもたちのために学校現場はどうあるべきか、今後これらの不幸な事件の再発を許さない学校にするための課題整理こそが重要であった。(新聞に書かれている要旨からだけの判断ではあるが、・・・報告書を手に入れていないので、そのような内容になっているのかもしれないが)

 そのために、教育委員会の役割の見直しや、校長・教頭の仕事の整理、学級担任の役割や、専門のカウンセラー等の役割、さらにはPTAや地域で学校をどのように支えていくことが重要かの提言を行うべきであった。

  世間では、読売新聞の論調のように、わざわざこれだけのいじめがあったとの一覧表まで作り、結局は加害者少年が悪い、被害者少年がかわいそうという次元でこの問題を捉えようとしているが、西部氏の指摘である、無関心な連中による出来合いのモラル(道徳)話で」終わらしてはならない。

  究明すべきは、子どもの成長にとって両親の責任、学校の役割(これについては、現場の先生の課題、教育行政の見直し、地方自治体だけでなく、文部省の役割も含め)、友達の役割などを整理し、さらには地域でどう支えられるのかの究明を行うべきであった。(要するに未来が見えるものでなければならない)

 2月1日の毎日新聞の見出し「やはり学校が見殺し」という結論からは、何も生まれてこない。2月1日は「教育の毎日」という看板を捨てた日でもあった。

<教育委員会制度について>

 最後に、大津・中2自殺事件や桜宮体罰自殺事件を利用して戦後の日本における民主教育の見直し論を行なおうとする者がいるが、その内容は、政治が教育に介入し、時の権力者に都合のいい教育を行おうとするものであり、危険な動きである。(阿倍首相や橋下市長など)

 大津では、第三者委員会が報告書を持参した際、越市長はいい加減な教育委員会に任せず私が責任を持って解決するというような発言を行った。問題の解決には現場の先生の協力が不可欠であり、政治の力で解決できるようなものではない。

  また橋下市長は、一方的に桜宮高校の入試の中止を発表し、先生の全員交代を求め、それに従わなければ予算の執行をしないと圧力をかけた。これに対して教育委員会は、「体育科の入試は中止し、普通科として120枠の入試を体育科で行っていた科目で行う」と玉虫色の案を出し、橋下市長が強引に権力を振り回し、ひっこめられなくなった現状を救済した。

  これを見て「クソ教育委員会」と言って騒いでいた橋下市長が教育委員会を絶賛している。こんな茶番(政治ショー)が行われているのに、マスコミは橋下氏への批判を行わない。唯一桜宮の在校生や保護者及び弁護士などが立ち上がっている。

  ここで注目すべきは、尾木ママがテレビ番組で橋下氏に全面的に賛成だと表明したと聞く、またその後のテレビ番組で、高校生が批判に立ち上がったことを「危険」だと論評した。高校生に自由に発言させてはならない。テレビが取り上げるべきでないというような主張をした。(この番組は見ていた。)

  前にもどこかで書いたが「大津・中2自殺事」をインターネットで取り上げ騒いでいるのはネトウヨである。私が見て一番詳しいのは「ただしい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」というサイトである。しかし、その内容は「正しい歴史認識」にみられるように、先の戦争が正しかったという歴史認識であり、教育を政治の道具にしようとするものである。

 いじめ問題・体罰問題を利用した攻撃(「やっぱり学校が見殺し」など)から、戦後の民主教育を守るため、子どもを中心とした教育理念や時の権力に利用されない教育の発展のための展望を出すことが、今求められている。