根本問題は、象徴天皇制は立憲君主制の一種と見るか否かである。


平成27(2015)年12月29日

 このページは討論の広場の今井 明さんの「国会開会式における儀礼と形式の問題性」にたいするコメントとして書いたものです。

 まず(2)記者団の質問の項で貴方は、第1、第2の質問と第6の質問に注目されていますが、私はまず第6が最大の課題であることは貴方と一致しますが、次に興味があるのは、第3と第4です。(注1)

注1:記者団の質問(今井さんの投稿から引用)
 1.国会開会式の改革を実現するうえでも出席することが積極的な対応になると
   いう趣旨について
 2.国会開会式の形式の改革の具体的な内容について
 3.見解表明を行うことになった経緯について
 4.第3の質問を受けて、共産党が「普通の政党」になる一環として国会開会式
   に出席するという意味なのかどうかについて
 5.戦後、日本共産党が国会開会式に出席したことがあるかについて
 6.「君主制」に関する見解について

「君主制」に対する日本共産党の見解について

 この点について志位委員長は「2004年の綱領改正では、天皇を君主とは規定していないことを端的に述べています。」「日本国憲法では、天皇には『国政に関する機能』はありません」「君主とは、政治的な機能を有する存在であり、それを持たない天皇は君主でないということです。」それを理由にして、「志位委員長は日本の政治制度が君主国でなく、国民主権の国に分類される」と述べています。(私は手元にこの会見の記事を持っていないためすべての情報は今井氏の投稿から引用しています。)
 この志位委員長の「君主論」は正しいのか、その検討からはじめる必要があります。
 共産党の61年綱領では、天皇制について「現憲法は、このような状況のもとでつくられたのであり、主権在民の立場にたった民主的平和的な条項をもつと同時に、天皇条項などの反動的なものを残している。天皇制は絶対主義的な性格を失ったが、ブルジョア君主制の一種として温存され、アメリカ帝国主義と日本独占資本の政治的思想的支配と軍国主義復活の道具とされた。」と定義されています。
 私は天皇条項の位置づけとして、この61年綱領の位置づけこそが正確であり、この点の議論を深めるべきであり、記者の質問の第1、第2は全く意味のないものと捉えています。(記者側の勉強不足だと見ています。)
 この第1、第2の質問は、共産党がなぜ今回このような方針転換を行ったかのこじつけの説明に引っ張られた質問です。象徴天皇をどう捉えるかに最大のポイントがあり、共産党は一種の君主制という性格を持つ天皇制の反動的な意図を覆い隠し、天皇の「お言葉」が改善されているとか、天皇の「お言葉」の発言する形態や場所の問題に矮小化して、この問題の本質を覆い隠そうとしています。

天皇制の問題/第23回党大会での不破議長の綱領報告より(2004.1.13)

 23回大会で綱領の改正を行い61年綱領の「ブルジョア君主制の一種」という位置づけから「君主制」では無いと綱領改正の際の不破氏の説明
日本が「君主制」か「共和制」であるかはっきりさせろ、という声も聞かれました。日本は、国民主権という民主主義の原則を確立した国だが、現状で は、「君主制」にも「共和制」にも属さない国であります。だから、七中総報告では、日本の憲法のこの特質を、「いろいろな歴史的な事情から、天皇制が形を 変えて存続したが、そのもとで、国民主権の原則を日本独特の形で政治制度に具体化した」と記述しました。この特殊性を事実に沿ってリアルにとらえることが 重要であります。
 どんなものごとにも中間的、過渡的な状況ということはあるものであります。それをのりこえるのは、将来、国民の意思にもとづいて、日本の国家制度 が民主共和制に前進するときであります。改定案は、日本における社会進歩の、この大局の方向についても明記しているのであります。(以上不破報告)
 この段階では不破氏は「君主制」でも「共和制」でもないと答えています。今回の志位発言は。はっきりと君主制でないと言い切っています。注2

注2:ちなみに「教えて!GOO」で日本は共和制?君主制?と入力すると9件 
  の回答が出ますが、ほとんどが君主制と答えています。(君主制が6件、あとは
  どちらとも取れるという回答であって、共和制という回答は一件もありませ
  ん。)

 共産党自身も40数年「ブルジョア君主制の一種」と定義してきたのですから、なぜ君主制を否定したのか、明確な回答(説明)をする必要があります。

 私は61年綱領の「天皇制は絶対主義的な性格を失ったが、アメリカ帝国主義と日本独占資本の政治的思想的支配と軍国主義復活の道具とされた。」という指摘にその重要性があると思います。
 「いつか来た道」の復活を目指す安倍政権が、今後天皇の政治的利用を行い、日本を再び戦争出来る国へと変えて行くことを狙っていると思われるからです。

質問3:見解表明を行うことになった経緯について。

 この点については、今井氏の投稿の中では触れられていないので、志位委員長が何を言ったか分かりませんがおそらく本来の意図を隠し適当なことを述べたと思っていますが、質問第4とも絡んでここに今回の問題のカギがあります。
 質問第4は、「共産党が「普通の政党」になる一環として国会開会式に出席するという意味なのか」聞いています。私もここに本質があると思っています。
 どこかの週刊誌の広告に2016年度大予想の中に「共産党『大衆党』に党名変更」というのがありましたが、あながちハズレでは無いような気がします。(当たってはいませんが、共産党が革命政党から国民性等へ脱皮を図る模索をしているという点では的を射ています。)
 共産党は2004年の第23回大会で綱領を改正し、革命政党から改良政党に基本的には移行しています。その主な内容は、マルクス・レー民主着の基本的な考えから離脱し(万国の労働者と被抑圧民族団結せよ!というプロレタリア国際主義放棄・・・これは志位委員長の「イスラム国」を「解体」するという「声明」に明確に現れている。)、敵は誰かという階級的視点を放棄し、アメリカ帝国主義と日本独占資本主義を免罪し、さらには、象徴天皇を君主制ではないと言い切り、自衛隊の規定を「日本の自衛隊は、事実上アメリカ軍の掌握と指揮の下に置かれており、アメリカの世界戦略の一翼を担わされている」としました。
 61年綱領では「日本の自衛隊は、事実上アメリカ軍隊の掌握と指揮の下に置かれおり、日本独占資本主義の支配の道具であるとともに、アメリカの世界戦略の一翼を担わされ、海外派兵とその拡大がたくまれている」と規定されていた。
 なぜ「日本独占資本主義の支配の道具」という言葉を削除したのかは不可解ですが、基本的には革命政党として持っていた基本的理念を、2004年綱領改訂の際に全て捨て去ってしまったと言える。(日本の支配層と敵対しない)
 しかし、その変更はある意味では密かに行われており、党内はもとより、国民大衆に余り認知されていない(共産党は自らの政党の政策を常に一貫した立場と宣伝するため、その違いに気がつかない人が多い。例えば原発政策等)。
 戦争法案反対で、安保反対闘争以来の大衆の闘争が盛り上がり、しかも若者(SEALDs)が立ち上がるという予想だにしなかった現状に接し、共産党はこの若者達との共闘をすすめることこそが、共産党再生の道だと理解したと思われる。(共産党の支持者は完全に老齢化しており、この若者を吸収していくことが、共産党再生の道である。)
 そこで共産党は、今回「SEALDs」の主張である「平和憲法と立憲主義を守り、対話と協調に基づく外交・安全保障政策を求める」を取り入れ「国民連合政府」を提案し、その実現を図るためには、共産党が従来持っていた革命政党としての独自の政策をすでに放棄していることを改めて国民に周知徹底するために、あえて、国会開会式への参加を打ち出したものと思われる。
 質問者は「普通の政党」になるための一環として出席するのかと聞いているが、まさに今回の問題の核心はここにある。共産党は革命政党から国民政党へと脱皮をはかっており、この開会式への参加は、その総仕上げに値する。
 

真面目な教職員が、この裁判法理を打ち破るため人生を賭けて闘っています。

 今井さんが言われるように、この先生方は、「日の丸の掲揚」や「君が代の斉唱」を拒否されて来たのは、61年綱領に規定されていた象徴天皇制が「ブルジョア君主制の一種として温存され、アメリカ帝国主義と日本独占資本の政治的思想的支配と軍国主義復活の道具とされた。」という内容の立場に立たれ、これらを拒否されてきたのだと思います。
 共産党はそうした人生を賭けた闘いを評価せず、選挙でどうすれば票が稼げるかに主要な関心があります。それぞれの労働者が人間性と人格を取り戻す戦いに対して、すでにあまり興味をもっていないように思っています。その総仕上げが国会の開会式の参加です。
 この行為は踏み絵的な性格を持っており、共産党は象徴天皇制については逆らわない(反対しない)ことを天下に周知徹底するための行為です。当然その延長線上に、国旗掲揚や君が代斉唱も反対しないというのが共産党の立場だと推測されます。
 憲法を守るという概念は、従来は憲法の平和主義的側面を守るという概念でしたが共産党は、現行憲法全てを守るという立場に変更したものだと思われます。象徴天皇制も憲法に書かれている以上はこれを守り、尊重するというものです。

象徴天皇制度をどうするかは、国民の総意によって決めればいいのです。

 今井氏の投稿の中に志位委員長の発言として、「天皇制問題は、国民の総意で決めれば良いと」と書かれていますが、この点についても61年綱領は全く違う判断をしています。以下該当部分を引用します。
 「労働者、農民を中心とする人民の民主連合独裁の性格をもつこの権力は、世界の平和、民主主義、社会主義の勢力と連帯して独立と民主主義の任務をなしとげ、独占資本の政治的経済的支配の復活を阻止し、君主制を廃止し、反動的国家機構を根本的に変革して人民共和国をつくり、名実ともに国会を国の最高機関とする人民の民主主義国家体制を確立する。」

 明らかに、君主制の廃止を革命の前提条件にしています。2004年の綱領改正で君主制を否定し、打倒すべき対象から外しているのです。

共産党は革命生党としての性格を放棄すれば支持が増える?

 と考えていますが、私は全く逆だと思っています。その一番良い事例が、社会党の実質的な消滅が示しています。自・さ・社政権が誕生し、社会党の委員長であった村山市が首相に選ばれ、社会党は従来の自衛隊は違憲の存在としていたのを合憲に変えたため、その後の凋落は目を覆いたくなるような無残な姿です。
 共産党も「国民連合政権」の樹立を訴え、なんとか「普通の政党」に脱皮しようと焦っていますが、共産党が右へ右へとウイングを広げれば広げるほど従来の支持者であった左派的な人々の支持を失うことになる。
 例えば、今回の大阪W選挙で共産党は自民党と連携しました。その結果は惨めなものでした。新聞各社の出口調査では、共産党支持者の74%しか共産党の指示に従わなかった。あるいは、大阪都構想反対に投票した人は、今回の選挙では棄権に回った人が多かったと報告されています。

共産党はなぜ保守との連携を重視するのか、その理由が全く分からない

 12月27日付(月曜日)赤旗は、一面トップで「安倍政権復帰から3年」「なんでもあり」の暴走政治」「『1強』というが、基盤ぜい弱 世論反発」という見出しを掲げ、安倍政権が如何に世論と遊離しているかを書いています。
○戦争法:   賛成34.1%、反対53.0%
○原発再稼働: 賛成36,9% 反対55.35%
○秘密保護法: 賛成24.9%  反対60.3%
○消費税10%:賛成35.0% 反対56.0%
という記事を載せています。

 これだけ沢山の人が安倍首相の主要政策に反対しているのに、なぜこの人たちを組織しないのか、共産党のやっていることが全くわかりません。この人たちを組織できれば多数を確保できるのです。しかし、共産党は3.11の震災後に戦われた選挙でも、しんぶん赤旗で「国民の意識は大きく変わっています。原発反対の人が増えています。」という記事を書きながら、共産党の原発政策は「安全優先の原子力政策」だと主張し、実質的には原発容認派で選挙戦を戦いました。結果は見事な惨敗でした。
 今回も同じです。なぜ国民の世論がどこにあるのか明らかなのにそれに応えず、共産党が国会の開会式に臨まないことを批判する右翼的な勢力に気を使い、国会の開会式にも参加します。共産党はありふれた「普通の政党です」という打ち出しを行うのか、私には全く理解できない。
 共産党は他の政党に比べれば「ここが違う」ということを前面に出すべきなのに、あるいは争点は「戦争法案反対か賛成か」なのに、敢えて争点をずらし、国会の開会式にポイントを持ってきて、天皇制に反対していないというような言い訳を行うのか全く理解に苦しむ。
 選挙で勝つには、「相手方の弱点を徹底的に攻撃するものが勝つ」、言い訳をするような者は絶対に勝てない。(今頃「国会の開会式に出ます」は白旗を挙げたようなもの)最初から負け戦の場を自ら設定する共産党のセンスが私には全く理解ができない。勝ち戦を常に続ける橋下徹大阪維新の会の爪の垢でも煎じて飲む必要がある。