「大津・中2自殺事件」第5弾
  大津教育長襲われけが・・・マスコミの無責任さが招いた結果

        「大津事件から教師集団は何を学んだのか」(全教アピール批判)



 8月15日毎日新聞夕刊は、「大津教育長襲われけが」という記事を一面トップで載せている。逮捕された大学生の目的などは新聞記事に譲るとして、このような事態になぜ陥ったのかを見て生きたい。と同時に教職員の今後の課題について触れてみたい。

 私は今回の一連のマスコミの報道を批判し、「ダーティーハリー症候群」が起こっていると書いた。正義のためなら、天誅を加えても良い、このような煽りが行われ危険な状態にあることを警告してきた。幸いにも教育長の怪我は軽かったようだが、捕まった犯人は明確に「殺意」があったと答えているらしい。

  今回この事件に直面し、前述の毎日新聞夕刊に二人の評論家がコメントを載せている。この二人の「大津・中2自殺事件」の捉え方の違いを先ず見てみたい。

<大谷明宏氏の談話・・・基本的には正しい。>

 まず一面トップの記事の後に、ジャーナリストの大谷明宏さんの話として「一線を越えた」という談話を載せている。この内容は、私が今まで指摘してきた内容に沿ったものである。以下全文引用する

 「ネット上に加害者側の情報が掲載されるなど一種の集団ヒステリー状態になっている。特定の個人の集中攻撃はいじめと同じだ。教育長は誠実な対応ではない印象であったが、(いじめの問題は)警察の捜査や議会などで明らかにすべきこと。教育長への暴行は明らかに一線を越えてしまった。メディアも含め、冷静に事態を解明していくよう訴えていく必要がある。」

<尾木直樹(尾木ママ)の談話・・・本質を突けていない>

 同日の毎日新聞9面(社会面に)、「少年「許せなかった」」という記事を載せている。この記事に対して、共産党支持者と見られる尾木直樹さんの談話を載せている。見出しは「迷惑千万だ」・・・ピントが外れている。これも全文引用する。

 「これから委員会が公平・公正にいじめと自殺の因果関係や構造的原因を調べようとしている矢先で、迷惑千万だ。事件の詳細はまだ分からないが、インターネット上で怒りがエスカレートし、軽薄な風潮になっている。市教委の隠蔽体質に怒る気持ちは分かるが、そこで踏みとどまるべきだ。暴力はあってはならないし、絶対に許せない。」

<この二人の談話の何処が違うのか:マスコミの本質と役割について>

 この二人の談話は似ているようであるが、決定的な違いがある。大谷氏のほうがこの問題の真実に迫っている。(尾木ママの談話は自己中心でポイントをはずしている。)

 何回も言うが「大津・中2自殺事件」のマスコミの騒ぎ方は異常であり、インターネットと呼応して、裁判事案を「私刑、リンチ」に変えてしまった責任は大きい。大谷氏は、この状態を「一種の集団ヒステリー状態になっている」と指摘し、「特定の個人への集中攻撃はいじめと同じだ。」とこの問題の本質を突いている。メディアも含め冷静に事態の解明に努めることが必要と、メディアの責任にも触れている。

 これに対して尾木直樹氏は、この犯罪がメディアの無責任なあおりから来ているというような社会的問題としての把握が出来ず、「インターネット上で怒りがエスカレートし、軽薄な風潮になっている。」とあたかもインターネットで「義憤から」エスカレートしたように見ている。(大手マスコミの批判をしていない。)

 また、自分が大津市の真相究明の委員になったことから発言し、この行為は「迷惑千万だ」といっている。(自分の委員としての活動妨害だという視点でしかない。)さらにインターネットの異常さを「市教委の隠蔽体質に怒る気持ちは分かるが」と「合理化し」、これから「公平・公正に解明する」といいながら、すでに偏見で市教委を「隠蔽体質と断定」してしまっている。

 これを大谷氏は、「教育長は誠実な対応ではない印象であったが」、と「印象」という言葉を使い断定せず、みんなの気分感情に添う形で評価している。次に暴力反対は同じであるが、このような暴力の発生の原因を大谷氏は、この間のメディアの果たした役割との関係で検証しようとしているが、尾木ママにはこの視点が全く無い。

 尾木ママの見解が、もし共産党の見解なら、共産党はこの問題の本質を全く把握できていない。前回指摘した国会での宮本岳志議員の発言も大手マスコミの主張の上塗りでしかない。赤旗は「大手マスコミは、堕落し真実を伝えているのは赤旗だけだ」と宣伝するが、「大津・中2自殺事件」を見ている限り、大手マスコミよりさらにひどい報道を行っている。(この事件を客観的に見ていない、マスコミの煽り乗っかって報道合戦に参加している。・・・前回も述べたがニューズウイーク紙日本版のみが冷静に伝えている。)

<尾木ママと大谷氏の違いは何処から来ているのか>

 尾木ママはこの間のマスコミの報道が正しいという前提に立っている。教育委員会の隠蔽体質とは何を指しているのか、これはアンケートを実施し、これを公表しなかったから教育委員会は隠蔽体質だというマスコミの扇動に踊らされている。

 マスコミの中では、最悪の記事を載せたのは赤旗であった。赤旗はこの問題に対するコメントをほとんど載せず、学校へ警察が捜査に入った翌日もこの事実を一切記事にしなかった。ところが7月20日赤旗は「大津。中2自殺事件」の特集を組み、その概要を伝えたが、それは一般マスコミの見解とほぼ同じものであった。

 ところがその記事の裏づけに、大貫隆志(教育評論家)に語らせ、「アンケートの実施事態を学校が隠そうとした」、「この隠蔽体質が遺族を非常に傷つけている」という趣旨のコメントを載せている。

 この情報が嘘なのは、皇子山中学校の学校通信「やっぱり皇中がすき」を読めばすぐに分かる。11月に1日に子どもにも、保護者にもアンケート調査結果は報告されている。これらの事実確認をせず、マスコミは無責任な事実を流し続けた。

 尾木ママも自分で確認もせず、マスコミに流されている情報に基づき、「隠蔽体質」と言い切っている。軽率な人である。これに比べれば、さすが大谷氏は腐っても鯛(私は、個人的には彼の政治姿勢に批判的である)である。「教育長は誠実な対応ではない印象であったが」と断定せずに逃げを打っている。この辺に格の違いがうかがわれる。

<アンケート問題で大事な確認点>

 アンケート問題で大切なことは、@アンケートの目的は何か、Aアンケートは公開を前提に行われたのか。この2点の確認を怠り、マスコミは、アンケートは犯人探しの道具のように勝手に捉え市教委を攻撃している。

 アンケートの目的は在校生の心のケアを目的としたものであって、決して犯人探しを目的としていない。つぎにアンケートの内容は。教育的配慮の下に公開されるべきであって、何が何でも全部公開せよという論議は教育現場を混乱に陥れる議論である。

 例えば「自殺の練習をさせられた」これが公開されなかったから、隠蔽体質だと騒いでいるが、全てが伝承であり、もう少し事実確認をしっかり行った上で公開するか否かを判断する市教委の判断は当たり前の判断であって、これをもって隠蔽体質だと騒いでいるものはためにする議論でしかない。

<結局「大津・中2自殺事件」とは何か・・なぜマスコミは騒いだのか>

 この事件は、9ヶ月も前の事件である。なぜこの時点でマスコミが騒いだのか、それは第2回の口頭弁論(7月17日)を控え。市側が用意した準備書面を何者かが手に入れ、市教育委員会が「「いじめ」を認めていない。「いじめと自殺の関係」も認めていない」とマスコミに情報を流し、裁判闘争を有利に展開しようとしたことがこの問題の出発点である。(と私は思っている。)それにマスコミが踊らされ、マスコミ各社とも子ども不在のスクープ合戦になりこの問題は混迷した。(注1)

注1:マスコミがこの事件を9ヶ月間調査し続けて、このたび発表したという代物ではない。なぜなら、この9ヶ月の皇
    子山中学の取組に全く触れていない。ニューズウイーク紙だけが触れている。

 大切なことはこの間の9ヶ月間の取組の評価であり、同時にどう子ども達といじめ撲滅に向かって、どう一緒に歩めるかである。この積極的な議論が一切語られないマスコミは無責任な扇動者でしかない。(ニューズウイーク紙のいう「大津いじめ事件を歪曲する罪」でしかない。)

<全教の集会アピールは、今回の問題の本質を突いていない。>

  神戸市で「みんなで21世紀の未来をひらく教育のつどいー教育研究全国集会2012」は3日間の日程を追え、アピールを採択し集会を終えたと8月20日赤旗は伝えているが、その中で「大津の中学生自殺事件について、「なぜこのようなことが起きてしまったのか真摯な討論と交流が行われた」としています。」と書いているが、赤旗は、ここでも変に客観的論評を行い、共産党の立場を覆い隠している(「としています」はいらない)。

  また集会(アピール)は、「大津・中2自殺事件」について、このようなマスコミの事件化(大騒ぎ)が教育に与える影響や、子どもに与えた影響などを論議せず、純粋にいじめ問題の枠の中で議論している。今回の事件での教訓は、当然いじめ撲滅に向かって取り組むことは重要であるが、いじめが起こった際(今回のように自殺にいたるという事例までに至った場合)教師たちがどのように対応しなければならないのか、校長や市教育委員会の対応のまずさが、マスコミの餌食となり、結局は子ども達の学校に対する信頼が崩れ、正義のためなら加害者を「私刑、リンチ」にしても良いという風潮を広げ、最終的には教育長が暴漢に襲われるという結末に至った総括がおこなえていない。

  学校といえども経営の概念が必要であり、いざそのような事態が起こった場合の対処方法を学んでおくことも今回の大きな教訓である。マスコミは教師集団という社会性に弱い集団を、ペンの暴力(正義感?)でかき回した。こんごは、学校自身が学校を守る力を蓄えないと、あっちでもこっちでも火を噴き、結局は戦後の民主教育の改悪がおこなわれて行くことにつながることに、もっと警戒感を持たなければならない。橋下氏の「クソ教育委員会」や大津市長の「教育委員会はいい加減」というような発言は、教育の政治的中立そのものを犯しかねない。

  アピールでは、学校の抱える問題、教師と子ども、地域と学校のかかわり、等々に触れつつも、今回、マスコミの扇動の下、加害者といわれる側の人権侵害が明確に行われ「正義の鉄槌」を煽る動きが、最終的には教育長が暴漢に襲われる事態に至ったことについては、「抗議」の意思を表すべきであった。 ニューズウイーク紙のいう「大津いじめ事件を歪曲する罪」あるいは大谷氏のいう「一線を越えた」という視点がこのアピールにない。このままでは、教師はますますしんどくなるだけであろう。事件は深刻である、だからといって全て否定されるわけではない。この件を持って煽った人間も、やはり加害者である。この勢力とキチット戦わないと教育は萎縮するだけになるであろう。

  (上記は全て赤旗の報道を基に批判している。アピール全文を手に入れているのではない。)