選挙戦で勝敗を決するカギ何か
      鹿児島知事選挙はそのことを教えている。



 共産党は選挙戦の勝利の最大の保障は赤旗の拡大だと言って「大運動」を取り組んでいる。国民大衆から見ればこの運動に全く関心が無い。国民から見れば共産党は自分の政党の金儲けだけに力を入れている政党にすら見える。

 さらに、この「戦い方」(指導)は、末端の党員に対して嘘の情報(選挙勝利の最大の保障は赤旗拡大)を流して、馬車馬のように働かせ、疲弊させている。 「大運動」を取り組んでいる個々の党員は、大衆と接する中で、この活動方針では、国民から遊離していくことを肌感覚でつかみながらも、「党中央は絶対」(党中央の言うことに間違いは無いとインプットされている。・・・「大会」の議決で全員一致という北朝鮮並みの水準で党運営を行っている。)という思いの中で、赤旗拡大に取り組むが成果が上がらない。自分はダメな党員だと自己嫌悪に陥ってしまう。そして未結集党員になる。

(未結集を選択できる党員は、ある意味では自由な思想を持っている。未結集を選択できない党員は精神的に病んでいく党員もいる。・・・これも個人の経験から描いているが、宮地健一氏のホームページにさらに詳しい状況説明がある。・・・他のホームページの引用で論証すると批判にあいそうなので、少しだけ私の経験を披瀝すると、例えば選挙になると強烈な指導が入る。
目標達成までにどうするのかと夜中の2時3時まで延々とつめられた。私は当時勤めていたのが風呂に入る時間も無く、選挙期間中はほとんど風呂に入らず出勤し、頭から臭いがすると職場で指摘され、恥ずかしい思いをしたことがあった。・・要するにムダに時間を引き延ばし、詰めるだけつめ倒す(極限状況に追い込んで行く)そうした指導がおこなわれていた。)

 卑近なたとえ話で申し訳ないが、生命保険会社に入社し、新たな顧客の拡大をノルマとして与えられ、頑張ってもなかなか成果は出ない。そこで親戚や知人に頼み込んで加入してもらう。2〜3ヶ月はこれで暮らせても、この対象者が無くなれば、次の足が出ない。そこで退社を余儀なくされる。(これは、私の身近な人が経験した事例で、他の社員の経験とは違うかも知れないが。)

 このようなやり方は一人ひとりの党員を大切にせず、党員を消耗品のように扱っている姿である。現にこの「大運動」のさなか共産党は9万人の党員を除籍している。日本社会の変革を求め結集してきた多くの党員を育てられず、除籍処分していく姿は異常だと思われる。赤旗の歩留まりの悪いのは、公然の秘密だが、党員までが歩留まりが悪い状況は、党運営に重大な欠陥があることを共産党の幹部は認めるべきだ。

 恐らく共産党の幹部は、反共攻撃が厳しく、敵の攻撃があったから、党員が離党していったと言うであろうが、果たしてそうであろうか、例えばオオム(現アレフ)は公安から監視対象にされながら、着実にその信者を増やしている。要するに魅力があるか無いかの差でしかない。

 それほど今の共産党には魅力が無い、個々の党員を見ても疲れ果てているだけで、輝いてはいない。未来に対する展望が無いからである。これも共産党は敵の攻撃論との関係で合理化をおこなうであろうが、私が目で確かめたのではないが、戦前の共産党が非合法であり、国家権力から弾圧され、拷問で殺されたりしている状況下でも、共産党員には、未来に対する確信があり、また個々の党員も輝いていたと思われる。(私は学生時代、ベトナム戦争の記録映画を見たが、若いベトナムの兵士の目は輝いていた)

 何が党をダメにしたのか、全ては議会を通じて革命をおこなうという方針の下に、国民大衆の苦しみと共に戦うのではなく、国民を赤旗拡大の対象や選挙の票としてしか見ない風潮(退廃)が全てをダメにしてしまった。(議会を通じて革命をおこなうことを否定しているのではなく、国民を拡大の対象者、あるいは票としてしか見ない、党活動のあり方を批判している。) 

<選挙戦の勝利の最大の保障は赤旗拡大>

 まず、この嘘をたたくことが、現在の共産党の建て直しには一番必要なことである。多くの党員はこの呪縛から離れられず、かといって拡大もできない自己嫌悪に陥っている。しかしこの中でも、拡大を成功させ、輝いている一部党員がいる。しかしここにもからくりがある。ズル賢い党員は「お客」を持っている。拡大月間に入るとその方に赤旗を取ってもらう。数ヶ月すると切ってしまい、次の拡大月間にまたその手を使う。あるいはそんな手を使えない者は、自腹を切ってしまう。今回の拡大大運動でも、7ヶ月全党が頑張って増えなかったものが、終着駅が見えた7月になって増え始めている。これは自腹を切って増紙を申告し、何とか7月を乗り越え8月に切ってしまうという動きである。

 恐らくこの拡大運動の終了した、8月、9月は減紙の嵐で結局は元の木阿弥になってしまう。こんな馬鹿げた運動に全党の力を使う共産党の指導部のセンスを疑う。この人たちは民間の会社で部下を統率する力があるのかと。

 さらにこの方式(赤旗を拡大したものが出世する)の怖さは、スパイを簡単にもぐりこませることができる。(公安が拡大部数を引き受けてくれるため。・・・新日和見主義批判の騒動の際、民青幹部の有力者(大阪府委員長など)からスパイが発覚した。・・新日和見主義で批判された側ではない。)

<重要な選挙戦の分類>

 少し、話はそれたが、選挙の勝敗は何で決まるのかを、3.11の大震災とそれに伴う原発のメルトダウンという情勢の中で闘われた選挙戦を検証する中で明らかにしたい。大震災以降の選挙結果を見ても、「勝てた選挙」、「善戦した選挙」と「負けた選挙」には大きな教訓が残されている。

 まず、選挙の分類ですが

    ◇勝った選挙は、世田谷区の区長選(社民党)、震災被害地域の選挙、沖縄県議会選挙

    ◇善戦した選挙は、京都市長選挙(2月12日投稿)、長崎県知事選挙

    ◇敗北したのは、一斉地方選挙、大阪ダブル選挙、羽曳野市長選挙

 である。

  これらの違いを赤旗の拡大(部数)との関係だけでは説明できない。(そんなところに本質があるのではない)これらの勝敗を決した真の原因は、共産党が戦いを組織したのか、それとも戦いを放棄したのかが決定的な分岐点である。

  まず負けた方から分析してみたい。

<負けた選挙の原因は何か>

   ◆一斉地方選挙

     ここでの共産党の最大の誤りは、

      @選挙戦の最大の課題を「震災復興」にしたこと
       地域の具体的課題で戦わなかった。

    A命を守る政治といいながら、「原発反対」を掲げなかった
        共産党は「安全優先の原子力政策」を唱え具体的に「安全点検」を課題としてしまった。

    B震災復興を最大の争点としながら具体的政策が全く無かった。

   ◆大阪ダブル選挙

     ここでの最大の誤りは

       @「安全・安心・やさしい大阪」という全く腑抜けなスローガンで戦った。
         このスローガンは与党的スローガンで、戦いのスローガンでない!

     A橋下・「維新の会」との対決を避けた

       B橋下徹という政治家の危険性を全く認識できなかった

 参考:この選挙結果は歴史的敗北である。

            ○梅田候補の得票数は、 357159票 (得票率   9.74%)

            ○黒田良一(第2期目)   1494040票 (得票率  42.87%) 

   ◆羽曳野市長選挙

         上記二つの選挙についてはすでに十分分析してきた(さざなみ通信投稿・12月8、12月30日)

      羽曳野市長選挙も、大阪ダブル選挙並みのスローガンで戦っている。少し具体的に見ていきたい。

      毎日新聞は7月2日大阪紙面で選挙結果を伝える共に各候補者の訴えてきた内容を書いている。

         〇北側氏(民主・自民推薦・・当選者)は、実績を強調、次期は「百舌鳥・古市古墳の郡の世界遺産登録を
            実現したい」として、観光面の充実などを掲げた

         ○麻野氏(維新推薦)は「維新の風を南河内にも」と呼びかけた。

         ○宇山氏(共産党推薦)は、「しあわせ実感市政」を訴えた。

      と分析されている。

         赤旗7月3日付近畿欄では、「しあわせ実感羽曳野へ全力」「市長選健闘の宇山氏」(選挙結果報告)という
      見出しの記事を載せている。共産党はここでも大きな間違いをしている。敵との切り結びをおこなわず、「しあ
      わせ実感羽曳野へ」というスローガンで戦っている。このスローガンは、大阪ダブル選挙のスローガン「安全・
      安心・やさしい大阪」と同じで選挙に勝利したものが、施政演説で使う言葉(行政用語)である。(共産党は選
      挙が全くわかっていない)

         羽曳野市は共産党の津田一郎市長が4期16年間(1973〜1989)勤めた全国でも有名な市(共産党籍市
      長)である。なぜ津田一郎が共産党籍で市長になりえたのか、それは彼の個人的人気(紙芝居屋・市議)や
      全国的な革新自治体の誕生という流れもあったが、やはり「乱脈不公正な同和行政の是正」を掲げて戦った
      から勝利したのである。

          その歴史ある都市で、「しあわせ実感羽曳野へ」などという馬鹿げた方針で戦うことは先人の戦いに泥を
      塗るものである。この選挙では2位になった麻野住秀は維新候補であったと共に、ハンナンの支持があったと
      いわれている。このハンナンこそが同和利権の象徴であり、この戦いを通じて津田一郎市長が誕生したので
      ある。羽曳野でのハンナン勢力に対する戦いが共産党ではなく、現市長派に移ったことが証明されてしまっ
      た選挙である。

 つまり、負けた選挙は全て共産党が戦いを放棄し、いつの間にか与党思考で戦った選挙が全て負けている。大阪ダブル選挙の総括を、平松氏の勝ち取った52万票にすがりより、あたかも共産党が勝ち取ったかのような表現で総括し、負けた教訓をしっかり見に付けていないことに、歴史ある羽曳野での惨敗の最大の原因がある。

参考:羽曳野市長選での共産党候補の獲得票数の推移

     ★1989年津田市長が敗れた際の得票率は46.49%

      ★2004年 得票率 40.18%、

      ★2008年 得票率 40.19%

         ○北側 つぐ雄  20993(59.80%)自民推薦

         ○若林 信一   14107(40.19%)共産推薦

   ★2012年(今回選挙) 

         ○北側つぐお   18796(47.18%)民主、自民推薦

       ○麻野住秀    13373(33.57%)大阪維新会羽曳野支部

         ○宇山鉄雄     7666(19.24%)共産推薦

          羽曳野市での共産党の役割が終わったことを示す結果になっている。

<勝った選挙の原因は何か>

     =世田谷区長選=

        共産党の選挙でこの間「アット驚く」選挙が無いので、ここでは社民党の保坂のぶと氏の例を見てみたい。

    この選挙で保坂氏は脱原発を掲げ、83983票獲得し当選した。共産党系の候補者と見られる人は、9963票
 で最下位、保坂氏の12%しか獲得できなかった。(政党間の力関係では一番小さな社民党が脱原発政策を掲げ
 て戦い見事に勝利した。ここに選挙の真実がある。)

   =被災3県の選挙=

    次に、震災で被害を受けた、被災三県(福島県、岩手県、宮城県)は一斉地方選挙は見送られ、半年後頃     に行われが、福島県議選で3議席から5議席岩手県議選(1議席から2議席)、宮城県議選(2議席から4議
     席)と被災3県では躍進した。    

       これは、一斉地方選挙の際の「安全優先の原子力政策」から「原発ゼロ」へと方針転換したことが大きかっ
    たと思われる。

   =沖縄県議会選挙=

      さらに沖縄県議会選挙(24年6月10日)の選挙戦においても共産党は勝ちに等しい善戦をした。(5→5) 社民
  党はさらに善戦している。(5→6)また沖縄地域政党である沖縄社会大衆党も善戦している。(2→3)
    これに対して、民主党は2名から1名に、自民党は14名から13名に減らしている。

    沖縄という日本の矛盾の集約点(アメリカとの従属関係が実感としてわかる)では、基地反対闘争等で戦ってい
 る政党が躍進している。沖縄では、共産党の戦いが評価されている結果だと思われる。

 これらの選挙結果から明らかなように、選挙は戦う者が勝つ(選挙戦の争点を明確にし、その主導権を握ったものが勝つ)のであり、戦いを放棄した場合は必ず負ける。(「安全優先の原子力政策」や「安全。安心・やさしさの大阪」や「しあわせ実感羽曳野へ」)

 この教訓は、今まで大きく選挙の結果が動いた選挙戦を見ればさらに明確になる。

    ★第15回参議院選挙(1989年)

      消費税選挙で社会党の土井たか子が言った「ダメなものはダメ」と主張

      結果:社会党45人、自民党36人、比例で社会党が19688252票獲得し、自民党を約435万票上回った。          土井たか子の明言「山が動いた」
      ちなみに共産党比例で3954408、選挙区で5012424

   ★第44回衆議院選挙(2005年)

      郵政選挙、小泉が言った「郵政改革」、「自民党をぶっ壊す」と主張

      結果:自民党296人、民主党113人、自民党に圧勝した
          ちなみに共産党比例で4919187(得票率7.25%)

   ★第45回衆議院選挙(2009年)

       野垂れ死に解散;民主党「国民生活が第一」と主張

       結果:民主党308人、自民党119人民主党の圧勝に終わった。
           ちなみに共産党比例で4943886(得票率7.03%)

    ★大阪ダブル選挙

           大阪維新の会:橋下徹が公務員などの「既得権益をぶっ壊す」と主張

          結果:○松井一郎 2006195票(54.7%)  

                ○倉田薫  1201034票(32.8%)

                ○梅田章二 357159票(9.7%)

 これらの選挙が語っているのは、自ら争点を作り出したものが勝つ。選挙は切り結んだ者が勝つことを教えている。

  なぜ黒田知事を実現させることができたのか、それは共産党が「不公正乱脈な同和行政を正す」と自ら争点を描き出したから勝てたのである。(羽曳野市長選も同じ)昔は共産党も戦闘的に戦ってきた。最近は、「安全・安心・やさしい大阪」や「しあわせ実感羽曳野へ」というような与党的思考の政策で戦うから勝てない。(赤旗の部数が減ったからではない。)

<善戦した選挙区の教訓は>

 勝利はしなかったが、善戦した選挙の教訓は何か。(善戦とは共産党の基礎票を大幅に上回った場合をさす。)

  ここでは京都市長選、鹿児島知事選を取り上げるが、京都市長選はさざ波通信ですでに述べた(2月12日)ので省略する、そこで鹿児島知事選だが、選挙の勝敗を決めるものは何か、一番わかりやすい事例である。選挙の勝敗は既成政党の支持率の足し算で決まるのでなく、現在の国民の抱えている課題に真摯に向かい合ったものが勝つのである。

  まず鹿児島の政治勢力の地図の確認を、前回の知事選挙の結果と県議会の各党派の議席数から見てみる。

 ★2009年知事選挙結果

    ○伊藤 祐一郎   414024  官僚

    ○みぞぐち宏二   349849  元県議会議長

    ○たまりみず義久   66490  元兵庫県副知事

    ○有村 寛治      44027  共産党

 詳しくは判らないが、共産等以外の候補は全て保守派と思われる。その中で共産党の獲得票率は5.04%である。

  ★県議会勢力

     自民党    35人

     県民連合  7人

     公明党    3人

       共産党       1人

       無所属        5人

          合計       51人

     県議会の議席占有率は1.96%でしかない。

 このような力関係の中で、鹿児島知事選挙は戦われた。

    ★鹿児島知事選挙の結果は(7月8日開票)

    ○ 伊藤祐一郎(民主・自民推薦) 394170(得票率 66.28%)

      ○  向原   祥隆 (共産党推薦)   200518(得票率  33.72%)

 という結果になっています。前回の知事選挙では、5.04%しかなかった支持が33.72%に増えている。これを赤旗の増減で立証することは不可能である。

 この現象がなぜ起こったのか、それは国民の中にある反原発の気持ちが集約されたからです。この向原さんという候補者は「川内原子力発電所」の稼動阻止と廃炉を掲げ選挙戦を戦い、しかも選挙のときだけその主張をしたのではなく、彼自身「反原発・かごしまネット」の創設に参加し、事務局長として活躍されていることを県民が認めていたからです。つまり正しい主張と粘り強い戦いこそが選挙の票になるのです。

 共産党のように赤旗の拡大でのみ選挙に勝利するなどという方針は、党内で支持(?)されても、党外では全く相手にされません。そのことを十分理解すべきです。

 共産党がこれらの選挙結果から、学ばない限り、選挙で勝利するは、夢のまた夢になるであろう。