「知識人の思想改造」・・これってどこの国の話ですか。



 マルクス・レーニン主義はプロレタリア独裁を掲げ(注1)、労働者階級の社会での指導的役割を認めてきましたが、知識人の果たす役割を過小評価してきました。現在までの社会主義国といわれた政権でこのことがどのように実践されてきたかをみておく必要があります。

注1日本共産党は1973年の第12回党大会での綱領改定時に、「独裁」を「プロレタ
  リアートの執権」と言い換えた。また、1976年の13回大会における改定の際
   に、「労働者階級の権力」とした。さらに2004年の新綱領ではこの言葉もなくな
   った。

 この思想を実践する上でもっとも大きな誤りを犯したのがカンボジアです。(注2)知識人の大量虐殺を行いました。中国でも紅衛兵が跋扈(ばっこ)し、知識人の下方政策や、つるし上げがいたるところで行われました。(注3)

注2:1976年5月にポル・ポトは民主カンボジアの首相に就任し、国家の大改造へと
    大きく乗り出すこととなるが、知識人と思われる人間は弾圧され、ポル・ポト政
    権下で虐殺された人間の数は定かではないが、70〜300万人と言われていま
    す。

注3中華人民共和国1966から1976年まで続いた文化大革命において紅衛兵
   による組織的な暴力を伴う全国的な粛清運動が展開され、多数の死者を出し
    たほか1億人近くが何らかの被害を被った。当初は事業家などの資本家層が、
    さらに学者、医師、弁護士などの知識人等が弾圧の対象となった。(これらの
    状況は、ワイルドスワン(講談社文庫):ユンチアンや、大地の子(文春文庫):
    山崎豊子が詳しい)

 日本における社会主義の建設にあたっては、これらの負の遺産と決別し、このようなおろかなことは絶対に行ってはなりません。かつて宮本委員長は、「知恵のあるものは知恵を、体力のあるものは体力を、お金のあるものはお金を」とそれぞれのできることで社会に貢献することを求めていました。

 こうした観点から今回の京都市長選総括の渡辺府委員長の談話を見ると、違和感がある部分があります。市長選を戦った者の発言を紹介し「市長選で一番変ったのは自分だった。もっと政治的なことと生活の関係を考えなければいけない。そういう場に身を置いて、日々活動すれば世界は変るだろう」(いずれも大学教授)という発言を載せています。

 この発言は、紅衛兵に取り囲まれ、大学教授が自己批判している発言と瓜二つです。党の指導機関の前で自分が如何に自己変革を成し遂げたかを報告するこのやり方こそ、党の指導の絶対化を示し、たとえ大学教授でも、党の指導の下自己の思想改造を如何に行ったか報告している姿です。共産党がいまだにスターリン主義を克服できず、中国の毛沢東主義と戦ったと言いながら、その思想的影響を持っている姿を露呈しています。

 大学教授が選挙選に自己の研究分野で如何に貢献できたかを語るのではなく、如何に思想改造したかを求められるのは屈辱です。(このことが共産党は分かっていません)このような考え方(党の指導部に忠誠を表明さす)を克服しない限り、国民は共産党を支持しないと思われます。