大飯原発再稼働を報じる赤旗紙面

 一般紙との差別化が図れない間抜けた姿を露呈


 5月31日の新聞各紙の朝刊の一面トップ記事は、大飯原発の再稼働の記事であった。毎日新聞の見出しを拾うと、「大飯原発再稼働へ」「広域連合「容認」受け」「福井同意後、首相決断」であった。朝日、読売、日経各紙もほぼ同じ論調であった。

 わが赤旗はこれをどう伝えたか、まず赤旗は、大飯原発再稼働を一面トップ記事にはせず、一面トップは「原発再稼働テスト」「”お手盛り検査”東芝・日立も」、「原子力行政の欠陥鮮明」であった。大飯原発問題は2番見出しで「大飯再稼働 首相最終判断へ」「関西連合の容認を受け 地元の合意促す」という記事を書いている。他紙に比べトップ記事でなかった点と、その文書量が半分ぐらいで、見出しは一般紙と同じという「体たらくぶり」である。この大飯原発再稼働の報道の政治的意味を全く理解していない。

<原発反対でも主導権は橋下徹が握っていた>

  関西における原発の再稼働の要否は政治的には橋下徹が握っていた。彼は「たとえ停電になっても原発再稼働を認めない」とか、「政権が大飯原発の再稼働を認めるなら、選挙で民主党政権に代わってもらう」と挑発してきた。正に反原発の世論を誘導してきた。(旗手であった。)、その彼が、国民の側に立っているふりをしていたが、手のひらを返すように財界の要望に従い、原発再稼働に立場を変えたのである。これほど橋下徹がどんな人物かを世間一般に見せたこの時こそ、共産党は正論を唱え、彼のメッキをはがす一大チャンスであった。しかし、赤旗の報道を見る限り共産党の反応は極めて弱い。

<ここで笑わないと、笑うところはありません>

 話はころっと変りますが、関西の漫才師で酒井くにお・とおるという兄弟漫才がいる。彼らの最大のギャグは、「ここで笑わないと、笑うところは無い」という自虐ネタだが、物事には「ここだ」というキーポイントがあることを示している。

 共産党は、橋下・「維新の会」との対決を強めている。この政治勢力との戦いで勝利すること抜きに、共産党の躍進は図れない。橋下徹の政治手法は、相手を「ののしる」ことによって政治課題は何かを浮き上がらせ、一定世論が熟したところで妥協していく、あるいは撤退していく。この繰り返しを延々と行っているところに彼の躍進の秘密がある。この橋下徹「ののしり」(切り込みは)国民にとっても心地よい面があるから拍手喝采を受けるのである。しかし彼は打ち上げたアドバルーンのほぼ全てを途中で撤回している。(注1)

  この状態を捉えて共産党は橋下徹をペテン師と批判してきたが、彼の勢いは留まるところを知らず、国民は次から次へと出てくる彼の「ののしり」を支持してきた。

 問題は、しかしである。大飯原発の稼働を認めた橋下徹を「またいつものようにやっている」と安易に共産党は捉えている。現在までの「大阪市の思想調査」などの撤回と、原発問題は政治的意義が全く違うし、同時に国民にとって最も分かりやすい題材である。「正にここで戦わないと、あとで闘うところはない」今日の政治の分水嶺が原発問題である。共産党はそういう政治感覚が麻痺し、橋下徹が前言を翻すのは日常茶飯事のことと捉え、この政治的意義を見逃している。

注1:橋下・「維新の会」の一斉地方選挙での最大の主張は「大阪都構想」であった。元々これは「維新の会」の存
     在理由(1丁目1番地)であった。しかし本日毎日新聞2面に「大阪都「3〜5区」でも」、「橋下市長自民に譲
     歩、議論促す。」という見出しが躍っている。これを受け「これまでの主張は何だったのか」と自民側は戸惑っ
     ているという記事がある。・・これが橋下政治である。

<なんでこうなるの?(コント55号)>

  ギャグばかりで申し訳ないが、なぜ共産党はこの時点で(橋下徹が裏切った)原発反対運動の旗手に取って代れないのか。それは政治感覚の麻痺と、共産党の原発政策に弱点を有しているからである。 

 原発問題は、今後の日本の針路を決める最も重要な戦いである。橋下徹はこのことを察知しており、原発問題で積極的発言を続けていた。しかし所詮はパホ−マンス狙いであり、最終局面で裏切った。(6月2日読売新聞は、大飯再稼働「容認」経済界の「圧力」と表現している。)これに対して共産党は原発問題で自からの政治姿勢を曖昧にしたまま、この戦いを挑んでいる。(「安全優先の原子力政策」と「原発ゼロ」との関連が不明確であり、原発再稼働を一切認めないのかも不鮮明)この党中央の曖昧さが赤旗記者にも影響し、この重要な政治的記事を、一般紙と同じ姿勢で客観的報道を行ってしまった。  

 私なら、5月31日赤旗一面の見出しは「国民の願いを踏みにじった大飯原発再稼働は政治的暴挙である」、「再稼働を誘導した橋下・「維新の会」の犯罪的役割」(マッチポンプ)というような見出しを掲げる。(赤旗の見出しからは怒りが何も伝わってこない。)

 当日の赤旗2面に署名記事があり、「無謀な首相「政治的判断」」「「暫定」基準で大飯再稼働」という記事があるが、この「無謀な・・」を一面に出せなかったところに、共産党の原発反対の決意が伝わってこない。またこの記事でも「橋下徹の裏切」について言及していないし、個人の意見と記事の格を落としたものになっている。

 共産党は、赤旗を一紙で間に合う新聞といって宣伝しているが、一紙で間に合うという概念は、一般紙と同じ主張をするという意味か?共産党に問いたい。今回の大飯原発再稼働の報道姿勢は、赤旗の存在価値が問われる無内容な記事だ。赤旗は党指導部の指示が無ければ記事が書けないという制約があり、大きな事件が起こった場合、まず一般的報道しておき、後日党中央の意見を聞いてその立場性を明確にする、そんなだらしない政治記者しかいないのか、大きな疑問である。

 事実、翌日(6月1日)の赤旗2面に「大飯原発再稼働」「橋下市長「事実上容認」」という記事を載せている。どうしてこの記事が31日に出なかったのか、共産党の原子力政策との関連で見ていきたい。

<再度共産党の原発政策は何かを整理したい>

  3.11の震災に伴う原発の崩落事故が発生し、未だに放射能汚染の危機の下で国民は生活を強いられている。この事態に際して、共産党が最初に出した方針は「原発反対」ではなく「安全優先の原子力政策」(赤旗4月9日主張・・一斉地方選挙前半戦投票日前日)

  次に5月1日のメーデー会場で突如志位委員長が「原発ゼロ宣言」を行った。(しかし当日のメーデーの行進で、共産党中央本部の部隊は「安全優先の原子力政策」をシュプレヒコールして歩いた。・・赤旗23年5月2日)

  この「原発ゼロ宣言」は、23年6月13日志位委員長が記者会見で発表し、その内容は、6月14日付け赤旗で発表された。この中で重要なことは、共産党の主張は、市民運動家が主催した「さよなら原発集会」での無党派の市民の主張「原発絶対反対」とは違い、あくまで経済的整合性の下で、原発からの段階的撤退である。(さらにもっと遡れば、共産党の政策は「原子力の平和利用」だった。)

  この主張(赤旗6月13日)は「原発からのすみやかな撤退、自然エネルギーの本格的導入を」「国民的討論と合意を呼びかけます」(2011年6月13日 日本共産党)の内容は、「1.福島原発事故が明らかにしたものは何か、」、「2.原発からの撤退の決断、5〜10年以内に原発ゼロのプログラムを」としています。その「(3)で「原発ゼロ」にむけ、原発縮小にただちに踏み出す。」といています。ここで確認しておく必要があるのは、共産党は「原発絶対反対の立場」を取っていないことです。

<共産党の原発政策は段階的縮小論>

 上記で見たように、共産党の原発政策は「段階的縮小論」(5年〜10年かけて)ですから、橋下徹の主張した、この夏を乗り切るために、大飯原発を限定的に再稼働するという方針にそれほど違う立場性を持っているのではないのです。だから赤旗記者は、どう報道するか迷い、恐らく時事通信等の配信記事を無批判に掲載したと思われます。

  共産党は原発政策を、原発反対の世論の広まりの中で少しずつ変更しています。現状では54基の原発の再稼働全てに反対しているかのように赤旗は報道しています。(6月13日に出した、「5年〜10年かけて」を覆い隠しているように見えます。)

 しかし「共産党の主張は一貫している」(強く主張している)わけですから、未だに「安全優先の原子力政策」も生きています。例えば6月1日の赤旗主張(大飯原発再稼働を受けて)は、「前提抜きの決断はただの暴走」という見出しで書かれていますが、その基調は「安全対策や万一の場合の避難計画などが前進したのではありません」と「安全優先の原子力政策」の視点で書かれています。

  共産党が原発問題で決して言わない(言えない)言葉は、「原発再稼働は一切認めない」あるいは「人類と原発は共存できない」、「原発推進派は、「原爆」開発を視野においている」、「たとえ市民生活の水準が下がっても原発の稼働を認めない」これら6万人を集めた「さよなら原発集会」の基調を共産党は認めていません。

 ゆえに今年の夏をどう乗り切るかについて共産党は具体的プログラムを提起できない状況です。この具体的提案をしない限り、結局、共産党は影では橋下徹の「容認発言」で、財界と同じく胸をなぜ下ろしているのではと疑いを持たざるを得ません。(財界の嫌われたくない・・・保守との共同)

  共産党の立つべき位置は、「原発再稼働は1基も認めない」と主張して、直ちに原発依存を止めることを要望し、たとえ計画停電等が行われても国民生活が混乱しても、政治的責任を担う覚悟を示すべきです。この覚悟の無い原発反対は無力であることを知るべきです。(橋下徹は怖くなり逃げた。・・財界の反発や国民の批判が・・しかし彼が偉いのは負けたと認めていることです。)

 

<大飯原発の再稼働は本当に必要か>

 政府・財界は大飯原発再稼働を梃子に、全ての原発の稼働を目指している。関西圏が本当に電力不足で危機に陥るのかは、極めて怪しげな議論である。当初は16%以上不足すると言い。次に15%と修正し、最終的には5%の不足と関西電力は認めていた。5%の節電か国民みんなが協力すれば可能な水準と思われる。

 このような状況下で、関西電力が、JR西日本に電車の間引き等節電要請を行ったがJR側が拒否したのは正に国民に対する挑戦である。(すでに朝の通勤電車でも冷房を入れている)東海道本線は朝のラッシュアワーでも昼間のお客が少ないときでも6分に1台の間隔で列車を走らせている。(ダイヤ改正が面倒だから)乗車率は、座席の半数ぐらいと思われる。十分可能な間引き運転を断ったJR西日本は、原発反対の国民世論に背を向け、節電要請を断ることによって、原発再稼働に手を貸している。これら政府財界が一体となった再稼働への企みに対して、共産党は抗議の声を上げていない。

 共産党が本当に大飯原発再稼働に反対するなら、節電を含めてその手法を明確にして、政府当局に迫るべきである。国民生活の劣化を恐れ、そのことを口に出さず原発反対を訴えても無力である。

 予想される電力不足は、夏の特定の日の特定の時間帯に限定されている。それを如何に乗り切るかは、工夫の問題であり、例えばJRでも昼間は現在の本数の半分でも、3分の1でも市民生活にさほどの支障はない。さらに夏場はクーラーが電気の需要の半分を超えるという。高校野球をクーラーの利いた部屋でテレビを見る行為を止めただけで、相当の節電効果があると思われる。こうした具体的課題を設定し国民との対話を進めない限り共産党の主張は広がらない。国民にお願いする部分を覆い隠し、原発反対と主張してもそれはうわすべりで支持拡大に結びつかない。

 橋下徹は原発問題で馬脚を現した。国民よりでなく財界よりだと(前掲読売新聞)、ここで共産党は、国民の立場に立った主張をしなければならない、しかし最近の共産党は財界も受け入れてくれたという記事を連発しており、財界と敵対し国民の側にあるという立場を打ち出せていない。

 この共産党の体たらくは悲しい限りである。