討論の広場に投稿していただいた記事(09)   令和2(2020)年度分
 令和3年(2021)5月3日(月)に、新たな記事を「1件」を載せています。    

        共産党のポスター「やさしい政治」は何を目指すのか?     Araki Nadreck  さん
時:2021/04/26 15:18:14


 エガリテ様、またお世話になります。                      2021年04月26日

 最近、町中に日本共産党のポスタが目立ちます。「やさしい政治」なにこれ、政権交代じゃないの。家でYouTubeを見ていると、小池書記局長の会見動画が自動選択されました。定例会見では、こちらから話すことはないとのこと。記者からの質問「大阪での感染拡大、大阪維新についてどう思いますか。」「原因の調査が必要です」記者「え…」共産党中央は、つまるところ大阪維新への批判内容をもっていないことが、はっきりしました。大阪府下の地区委員長が維新のふりをして変なメールをだしたことは一体どうしたのだろう。維新はコロナだけでなく名古屋のリコール事件でも窮地に立っています。名古屋の警察がまっとうであれば、事務局の数人が刑事告訴されるのは必至です。

 日本共産党がまったく異常なのは、綱領で「日本独占資本主義」と言いながら、消費税および社会保障の拡大政策を日本における「国家独占資本主義」の政策として言及しないことです。消費税は、国民経済の成長力を奪い、生活の直接的な打撃です。健康保険、介護保険、年金等の社会保険料は、第二の税金であり、国民への支出が減少すれば、その分企業に流す資金ができます。
 健康保険料という医療費はすべて病院等に支払われているような印象がありますが、違います。それは医療コンピュータシステム等の企業に流す補助金の原資です。20年以上前のことではありますが、会社で補助金を受けて数千万円のシステムを受注したことがありました。また、介護保険は介護を必要とする国民の相互扶助のシステムといわれますが、「生活保護者の無料医療給付」も介護保険の一部です。これは生活保護者の医療費が適切に予算化され投入されなければ、一般の介護保険料支払者が全体で負担させられるという「抜け穴」です。年金生活者は、天引きされる介護保険料の金額にびっくりさせられていると思います。現在の国家独占資本の政策は、法人税等の一般的な減税、特定の政策目標への政策的支出等だけではなく、「個別の企業に対して補助金を垂れ流す」システムに「高度化」されています。

 この認識が必要なのは、なぜコロナに対して、このように無対策なのかを説明できるからです。
また、大阪維新が「社会保険政策はムダ」という一見合理的な理屈を掲げて、実際は国の施策、国家の社会保険支出の削減を地方自治体から行っている事実を説明できるからです。国、自民党のコロナ対策は「個別企業に合法的に国の金を流せるか」という問題であって、その一端は安倍晋三による「アベノマスク」発注の疑惑に現れています。かれらにとっては、国民の命は眼中になくコロナ対策という金を流す口実が長く続くことの方が意味があるのです。「オリンピック」も同様です。大阪維新はそういった国の政策に忠実なのです。その点では小池書記局長の「原因の調査」とは、なぜ共産党の国会での批判が表面的な事実の批判に留まっている同一の理由とも言えます。つまり、国家独占資本主義についての認識が欠如しています。何故といえば、彼らにとって経済学は40年前から「資本論の解釈学」だからです。ここで欠如といって悪ければ、ひょっとして自民、維新への遠回しの配慮、援護射撃?

 冒頭の「やさしい政治」というポスターもこれらの背景からその意味がわかります。これは、
まず、政府・自民党に対して、責任追及をしない、言いかえれば、「国家独占資本主義についての見解が相変わらず欠如しています」という共産党からのメッセージです。国民はコロナの根本的な対策および生活補助を望み、また国の政策に対する決定権を制約することのできる自民・公明・維新以外の政治勢力の伸長を望んています。それは地方自治体の選挙結果にも示されています。その点では、政権交代が当然の争点になるはずです。しかし、日本共産党は「批判おじさん」の党として、政権担当の点で自民・公明と比較対象となる党ではないので、国民からの政権交代の選択肢にはまったく入っていないのが現状の姿です。その点では政権交代を掲げないのは、妥当とも言えます。

 別の観点からは、共産主義革命は「暴力革命」ではない、つまり「暴力」に対するアンチテーゼという共産党の自己都合から来ているのが真実かもしれません。たぶんそうなんでしょう。しかし、なぜ、ソビエト、中国の革命が武力革命だったのかについての理論も欠如しています。安倍晋三が「暴力革命」と国会答弁で共産党を非難していたように思いますが、その非難に対して共産党の反論は何だったのでしょう。この点について答えるには、まずヘーゲルの「条件が満たされれば、現実性は現実になる。」を意識する必要があります。言いかえれば「本来、平和的にも実現されるべき社会革命が武器を用いる武装革命になったのは、戦争という条件があった」からです。
 ロシアでは、皇帝による弾圧、フランス産業資本による収奪という条件のもとに、ドイツとの戦争下で兵士が労働者・農民のデモ行動に対して発砲を命じられた。その命令に反抗したのが兵士の武力蜂起の始まりです。戦争が大衆の反乱の直接の原因であり、かつ武器の使用を可能にしました。中国の場合はもっと明確です
。日中戦争が発端で、国民党と共産党の国内戦争が引き起こされたのですから。戦争のできる国を目指している安倍晋三に対して「戦争という条件があれば、平和的革命が武力革命、暴力革命になりうる」ことを指摘して、中国での革命の直接的原因となった日中戦争についての見解を求めることは、インパクトの大きいことになったかと思われます。

「やさしい政治」が共産主義革命を目標とした間接的表現だとしても、そこには目標設定についての基本的な誤解があります。つまり、人はあまりにも遠く疎遠な目標については目標にはしません。遠くにあって言わば「非連続」な到達点を「連続」なステップを踏んで実現できる、具体的なものとする目標設定が必要です。その目標として妥当なのは、政府・自民党の「決定権の縮小、排除」という目標です。コロナ、オリンピック問題では。政府・自民党の「決定権の独占」および「他からの決定権介入の排除」が現在の混乱をもたらしています。東大先端研の児玉先生を始めとした外部の専門家、医療関係者の「決定権介入」をマスコミ等を大動員し排除してみた
ものの、自らの「決定権」を正しく実行できない不手際は、十分に明白です。政府・自民党の「決定権独占」に対する戦いは、沖縄から福島、羽田の新飛行ルート、大深度法による地盤沈下など、すべての現在の混乱に対するキーワードになりえます。また、共産党の地方議員の選択にも影響があるはずです。現在のいたずらに「党
勢拡大」に走る議員ではなく、与党の「決定権独占」を排除して住民の先頭に立てる議員が必要です。それらの議員が、行政能力を育んで、地方に「味方」を作ります。当然、共産党の地区責任者にも、担当地区の与党の政策に対する批判、対抗政策の立案能力が問われます。与党の「決定権独占」は、同時に国家独占資本主義が生んだ「高度に発達した資本主義」の日本的産物でもあるという認識が不可欠です。

 さて、 哲学の分野からいえば、現在の共産党中央はマルクス主義者ではありえません。なぜなら、反ヘーゲル主義者はマルクス主義者ではありえないからです。ヘーゲルの小論理学を翻訳した松村一人氏は岩波文庫の末尾の訳者解説で、ヘーゲルの誤りは「思惟形態を世界の創造者に変えた」というトンデモ理論を展開します。詳細ははぶきますが、松村一人氏、見田石介氏、「ヘーゲル論理学入門」を書かれた諸先生はすべて同系列です。ヘーゲルの解説書が反ヘーゲル主義者、具体的にいえばカント主義者によって書かれていることは、ヘーゲルの持っている合理性を理解させる上での現実的な障害です。ヘーゲル論理学がきわめて合理的な内容を持つということは、われわれ技術者また現場の作業者にとっての通常の作業が言語化されているからです。たとえば、「条件が満たされれば、現実性は現実になる。」という考え方は、システムが動作する条件を満たす、または障害を修正して条件を実現する。そうすればシステムが動作するということになります。また(話を大きく転換します
が)共産主義革命について言えば、革命が現実になるためには条件を満たす、つまり十分な味方を外部につくるということを意味します。だから、革命運動は味方を作る現実的な運動であるということです。また、生命(つまり人間)は意思をもって、合目的な活動を行うことで外部世界を創造し、同時に外部世界の客観的な認識をもつ。これはすべての行動、活動をも含みうる包括的な総括です。ヘーゲルはその結論を導いた彼自身の論理学を「絶対的理念」と表現します。これが、松村一人氏が「世界の創造者」とするものの正体です。これらのヘーゲルの合理性は、すでに資本主義社会のなかの常識です。ただ、へーゲルの名前がでてこないだけです。このことがわからないのは、唯一「反ヘーゲル主義」の日本共産党中央でしょう。かれらが「批判おじさん」であるのは、「カント主義者」である証拠です。なにしろ、批判は主観的理性の産物で客観的な分析を排除するもので、実践理性は対象を変革するものではなく主観的満足のみ生み出すものなのですから。すこし話がそれたかもしれま
せんが、日本共産党中央は、プロレタリア階級の全体の利益から離れた利益を持っていない共産主義者ではなく、国民全体の利益および労働者階級の利益とは別の利益をもつ「共産党主義者」と言わなくてはなりません。もっともこれらは個人的見解だと付け加えておきます。

 日本共産党が党員に押し付ける「党勢拡大」とは何でしょうか。それは共産主義者の運動ではありえません。なぜなら、それは条件を満たす対象がないということです。満たす条件のない「運動のための運動」は合目的活動ではありません。それは単なる赤旗拡販、赤旗配布の従事者徴募という経済活動をすりかえたにすぎません。また、「やさしい政治」というキャッチは、義務感でキャンペーンに参加する党員には、どんな気持ちを与えるのでしょう。「毎日毎日党員が顔を突合せ、どうしたら党員がふえるかばかりを議論」するって、ヘーゲルの条件という思考方法に反します。党員が増えるための条件とは何ですか。党中央が適切なメッセージを国民に発言して、それに応じた国民をキャッチする活動です。また、同時に地区での活動が、キャッチする行動をより容易にします。ところが、暴力革命という言葉におびえ、戦前のコミンテルンと日本共産党の誤りを党員の責任で解決させるもののかのように言い、大阪維新について記者から聞かれても批判する言葉をもちあわせていない「共産党主義者」が指導者だとしたら、また、党員からブラック企業、カルト集団という声がでるとしたら、そんな政党を支持して党員になることは当人にとって自殺行為に等しい選択です。資本家および労働者という関係性のなかでのみ、労働者は法律的に保護されるので、労働者には組合活動の自由はあります。党費または組合費を払っていれば、党の経済活動への義務は果たしている、それ以上は強制されるべきことではないという立場を党中央は認める時期だと思います。党中央は、党員に経済活動を負担させるのではなく、党中央の経済活動として党中央が直接管理する組織が専門的に行うべきです。その脱皮を行うのは、創立100年がベストなタイミングだと思います。外部からの無責任な見解ではありますが。それができなければ、共産党宣言にいう資本主義のそれと同様に日本共産党の「墓掘り人」を作っていると言わざるをえません。いつまで党員に前近代的な赤旗新聞商売を強制し続けるつもりなのでしょう。政治家秘書が政治家のパワハラを暴露した録音テープが流出したように、組合活動を逸脱した党勢拡大の強制を記録したテープが流出するのは、おそらく時間の問題です。

コンピュータ技術者の見地から言えば、現在の赤旗をネットに移行する電子赤旗は無理だと思い
ます。なぜなら、もし、赤旗の購読者リストが各地区委員会等に分散しているならば、それを集約してコンピュータに一元管理をさせないといけません。この管理は、購読者の登録IDおよびパスワード、入金の有無等を管理するものです。それは、個人情報保護法によって購読者の同意が必要です。その同意は不可能だと思われます。また、電子版のみ希望者を登録する場合にしても、その購読者リストを管理するプログラムが必要です。また、そのプログラムを実行して、日々運用しなければならないのですが、その運用要員が必要です。これらのプログラムの作成要員、運用要員は多分外注は機密保持の観点からできないと思われるので、党内部から要員を調達しなければいけません。プログラム作成の技術的水準、情報漏洩を起こさないセキュリティ技術の水準等を考慮すると、そのような要員確保は共産党のデジタル庁の理解から見て、不可能に近いと思われます。現行の紙による赤旗発行が、5年程度で限界に至ると仮定すると、その未来の構想は党中央の責任です。まったく党中央の実務的な課題も山積しています。この課題を党中央はクリアできるのでしょうか。

最後に「やさしい」という言葉から連想した例の名文を書いておきましょう。「つよくなければ
生きていけない、やさしくなければ生きてる価値がない。」この言葉は、つよい人間だけが、やさしさを周囲にひろげていいと言っています。日本共産党は、そういう強い組織なのでしょうか。

 「やさしい政治」という標語は、労働者階級というような言葉との餞別を感じる。    エガリテ
令和3(2021)年5月3日


 投稿ありがとうございます。
 共産党の問題点をいくつか挙げて頂いています。私も共産党に属して戦ってきましたが、これではダメだと思って離れてしまいました。何が問題かそれは活動の大部分が赤旗拡大であるからです。全ての人が、新聞の拡大員になっています。一般の新聞でも記事を書く人と、実際の拡大をしている人とは全く違うと言われています。新聞拡張班はどちらかと言うとブラック企業的イメージがあります。
私が共産党にいたとき思ったのは、全ての活動が赤旗拡大に向けられ、それ以外の活動は他党派にも劣るのが共産党です。共産党の市会議員を見れば分かります。政治家だと思える人はいません。訓練が全くされていないのです。政務活動費の共産党の報告内容を見れば、そこには本を購入したとか、他府県に視察に行ったとか政治家として勉強をしたという出費が全くありません。訳の分からない市政資料を作ることが最大の出費であり、後はほとんど使わず返しています。このことが潔と思っているのだと思いますが、私は違うと思っています。共産党の議員として政治的技量を如何に養っていくかにもっとお金を使うべきです。そうした情報収集等々にもっと力を注ぐべきです。一般的に議員の出張はほとんどカラ出張で、市民からの批判が多いことに気を使い、出張などほとんど行っていません。そうではなくお金を使って自らの見聞を広めるべきなのです。そのためにお金が支払われているのです。
 市会議員といえども赤旗拡大の負担が多く、又地区内の指導に力を注ぐ必要があり、独自に勉強をすることなど、ほとんど考えていません。知識・技量の全くない人達が市会議員を占め、いったい市政にどのような影響力を発揮したのか全く見えてきません。(これは言い過ぎかもしれませんが私の実感です。)
こうした状況の中で共産党の市会議員選挙では、じり貧に陥っています。貴方も言われていますが、政治家には発信力が必要です。コロナ下でも吉村知事は大きな失敗をしていますが、テレビに出まくり逆に指示を広げていると思われます。数日前に毎日新聞を見ていいたら、大阪の池田の市長(家庭用サウナを市庁舎内に持ち込み)の記事があり、その下には維新の議員秘書が車で人をはね殺人未遂で容疑で逮捕された記事が載っています。どう見ても維新は行儀が悪いです。新聞に載る議員の不祥事は維新議員が圧倒的に多いとみられます。貴方が言われているように名古屋の事件も維新が絡んでいます。それでも維新への指示は減りません。もしこれが共産党であれば、いっきに指示を失うと思っています。
 政党に対する支持は何処から増えるのか、そのことを共産党は科学的に分析せず、「赤旗が増えれば共産党への支持が増える」という判断の下に、全ての共産党員に同じ任務を与えています。このシステムこそが共産党の勢力をそいでいることに気が付いていません。共産党員の中でもこれはおかしいと思いながらこの論理を認めない限り、共産党にはいられないと思って、反旗をあげずについて行っていますが、本当にそうだというのが全党の意思であるのなら、いくら月間を設定しても前に進まない現状をどう説明するのか、理解に苦しみます。
 貴方も触れられていますが、私は会社であればいろんな部署があり、そのことで成り立っていると思っています。共産党には赤旗拡大という部署しかない運営を行っています。(中央はそれなりにいろんな部署があると思われますが、)地区単位では赤旗拡大一本やりです。全く古い話で恐縮ですが、市委員会の責任者(専従)であった者が他市の職員に採用されて行った事がありました。私はその市の職員に、「良かったね!強力な助っ人が入って」と言った際、その人の回答は、「何の役にも立たない」でした。
 つまり市委員会のトップで活動していても、政治的には何ら成長しておらず、ただ赤旗拡大の激を飛ばしているだけです。このような活動をしていたら党員は成長しません。ただ疲れるだけです。
 政党ですから政治家を育てることが必要です。私が見てきた限りでは、公明党の方が政治家に育てています。赤旗拡大以外に何の視点もない党運営は党の組織の弱体化を推進しています。若者の多くが既に新聞を取らない時代に、新聞にしがみつく党活動には、あきれ返ります。ここ10年以内にはこの方針は必ず破たんします。赤旗新聞の投稿欄を見てもほとんどが70歳〜80歳の方です。中学生ぐらいの投稿もありますが、働き盛りの人の投稿は皆無と言えます。時代に乗り遅れた産物です。
 貴方は共産党のスローガン「やさしい政治」に疑問を持たれていますが、私もそう思っています。高槻では富田地域の共産党の事務所のポスターは「暮らしに希望を」「HOPE」というポスターを貼っています。これらはもう60年以上前に富士山のポスター出てきたときにビックリしまいたが、「共産党はあなた方の敵ではない」というアピールを共産党は一生懸命やっていると思います。
 私のイメージは「戦う共産党」ですが共産党はこのイメージの払拭にやっきになっており、「ほんわか」としてイメージの宣伝を行おうとしています。赤旗の日曜版などは保守の人が「共産党の主張は正しい」という記事を頻繁に載せています。一方では労働者の戦いなどは取り上げません。このような宣伝の在り方が本当に効果があるのか極めて疑問です。身を削って、良い人に見せようとしていますが、私は国民が求めているは「戦う共産党」だと思っています。「戦う共産党」のイメージを消せば共産党は躍進するという考えは、敵の攻撃に屈服した姿だと思っています。

 最後に共産党の事務所前のポスターを載せておきます。私はこの共産党のポスターの貼り方に、共産党のセンスの無さ感じます。自らが貼っていたコロナ政策の上から他のポスターを貼る、私なら即辞めさせます。何をしているのかと怒ります。そんなことを誰も感じないところに共産党の衰退があります。
 
 資料:共産党の貼りだしているポスター
     @「HOPE」、Aやさしい政治

                 エガリテ様、またお世話になります。          1Araki Nadreck  さん
送信日時:2021/04/08 15:27:12


 日本共産党の国会質問を見ていると、コロナもデジタル庁も、表面的な事実に対して表面的な批判をぶつけるだけの議論で、何らの新鮮味もありません。将来の共産主義革命を目指す組織が、一般社会における「批判おじさん」としか見えない議論をするのでは、だれが政権交代、共産主義革命に対する希望をもつのでしょうか。資本主義のなかで生きてきたので、その見地からいえば、コンセプトを立て、現在の問題点の明確化、関連する組織のリストアップおよび専門家との意見調整等々を行って、国民を対象とした当面の実施プランを立案するという基本動作ができないものなのでしょうか。仮定の行為としても、そのような作業を準備して初めて、与党に対する有効な批判ができると思います。

 桜問題の時に、官僚の忖度について野党は批判を集中しましたが、その批判は忖度は悪だという点でした。確かに忖度は悪かもしれませんが、組織の意思決定がどのようなものであるのかについての論議はありませんでした。たとえば、欧米風の組織「in Charge」「in Command」「in Execute」という形態を仮定した場合に、忖度行為は、責任者のプランとその実施決定についての責任、実施管理者の判断能力という二つの要素を、末端の実施担当者がスキップする行為です。
 それは、責任者および管理者の管理責任をウヤムヤにするだけでなく、組織の意思決定機構の破壊でもあります。このような組織形態を提示することで忖度の批判を行うことは、有権者、国民がなぜ忖度が悪なのかを判断できる「判断が可能な空間」を作ることでもあります。忖度を悪というだけでは、批判者の悪という判断をそのまま受け入れろという強要にすぎません。野党は批判することしかできないのであれば、国民が判断力を行使できるような内容をもつ批判を展開するべきです。

 そんなことを思っているうちに、党内地方会議での小池書記局長の発言を記録したYouTube動画を見ました。これを見て日本共産党中央の思考形態が極めて異質だと感じました。この動画は、小池書記局長による党勢拡大のための赤旗購読者と入党者との数値目標の発表、および「なぜ今、党勢拡大運動なのか」の理由表明でした。その理由は、今、国民の共産党に対するマイナス評価がへったという理由です。まずこの発言は、国民に支持を求める政党なのに、否定的な評価を平然と受け入れ、その原因や対策について口をつぐむ姿勢が不可解です。また、その評価をマイナスからプラスに変えるための、日本共産党が国民に対する働きかけについて何らの実績また戦術・戦略をもっていないことを裏返しに認めているものです。もしそれらがあれば、たとえ党内の会
議にしろ、その実績をアピールするはずですから。

 大多数の国民にとって日本共産党の存在感はゼロに等しいのではないでしょうか。自分はコロナ問題について立憲民主党が児玉竜彦先生を参考人として国会招致をしたとき、その処遇のひどさに腹がたって立憲民主党ではなく共産党なら、当然科学技術について理解を持っているという「まったくの誤解」から共産党のHPからコロナ対策についてのコメントを書きました。それが、そもそもの始まりではあります。マイナス評価が減ったという点よりも、そもそも存在感がないというほうが妥当のような気がします。存在感がない理由ははっきりしています。バブル崩壊、消費税、リーマンショック、原子力事故、消費税の引き上げ等々に関して、日本共産党の明確なコミットメントがなにもなく、注目を引くことがなにもなかったことです。これらの眼前にある生活に直結し国民の関心が深い事象について口をつぐみ続ける習慣は、党中央の暗黙の行動方針なのでしょうか。

 党中央における党勢拡大のための実績、戦略・戦術がないなかで、また党の存在感がまったく希薄な状態で、どのような党員による勧誘活動が可能なのでしょう。共産党の「売り物」が「共産主義革命」だとしても、それは「売り物」になるのでしょうか。営業マンに商品力のない商品を売らせようとするのは、エガリテさんのおっしゃる通り「ブラック企業」「カルト集団」のやり方です。ここにある一つの問題点は、党中央と地方組織の関係性です。今までにどのような関係性が築かれていて、そのうえで今回のキャンペーンでより良い関係性が築かれるかどうかという展望です。そのような展望は党中央の責任であって実行部隊はその責任を負いません。その責任の自覚がない小池書記局長の発言は、ブラック企業のそれといわれても当然です。関係性という言葉は、ヘーゲル、マルクス、レーニンをつなぐ「世界のすべてのものは相関している」という弁証法の基礎をなす世界把握の概念です。共産党の上層部は関係性のロジックについて自覚がないように思えます。例えば、政府と国民の関係性といえば、国民側が一方的に押し負けているということです。なお、全体と部分とはヘーゲルの本質(存在)論、相関の最初のカテゴリです。

 しかし、党中央と党員との関係性以上に問題なのは、党と国民の関係性がどうなのかということです。なぜ、現在の日本共産党中央は、労働者階級を含む日本国民に対する過去の実績、および現在・将来の戦術・戦略を党員に対して明言できないのかという点です。マイナス評価の増減ではありません。大衆運動の評価以前に共産党一般は労働者階級、プロレタリア階級に対してどのような関係にあるかということをまず確認しておく必要があります。大内兵衛氏、向坂逸郎氏訳の共産党宣言(岩波文庫、1951年初版 1971年改定版)の第一章は、「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」という一文から始まり、「かれら(ブルジョア階級)の没落とプロレタリア階級の勝利は、ともに不可避である」という一文で閉じられます。階級闘争を戦うのはプロレタリア階級であり、共産党ではないということは自明です。第二章は、「プロレタリアと共産主義者」という章です。「共産主義者はプロレタリア一般に対してどんな関係に立っているか」「かれらはプロレタリア階級全体の利益から離れた利益をもっていない。」「共産主義者の当面の目的は…階級へのプロレタリア階級の形成、ブルジョア支配の打倒、プロレタリア階級による政治権力の奪取である。」ここに共産党一般とプロレタリア階級との関係が要約されています。しかし、ここには1つのエアポケットがあります。もし、結果的にプロレタリア群を階級まで高める階級闘争を妨害すれば、もし「プロレタリア階級がブルジョア階級との闘争のうちに必然的に階級にまで結集」することを妨害することができれば、不可避な革命を阻止できるかもしれないという可能性です。労働者は企業
毎に分断されているので、そんなに困難ではないことかもしれません。これはブルジョア階級からの考えではあります。

 現在の日本共産党は、党自身が革命の主体であるかのように振舞っているが、それは共産党宣言からの逸脱ではないのかというのが、基本的な疑問の一つです。もっとも、宣言の時代は共産党以前に労働運動がある状態だったので、直接は当てはまらないことかもしれません。もう一つは、労働者階級が階級闘争によって階級になることを促進するための党の施策はなにかということです。さらにもう1つの疑問は、党の閉鎖性は、党自身が革命の主体であるかのように振舞いと表裏の関係にあるのではないかということです。国民から肯定的な評価を得るためには、国民に対して肯定的な対応が当然必要です。だから、国民に関心がない、また、現在・将来の戦術・戦略を党員に対して明言できないと受け取られるような動画をYouTubeに流す神経がまったく理解できません。あるいは、それ以外には国民に提示するものがないという「否定的な」理由かもしれません。

 日本共産党が国民に関心を持たなくなったそのタイミングは、1980年代の見田石介氏の「ヘーゲル主義」による経済学攻撃であり、マルクス主義経済学を「資本論」の解釈学に埋没させ、労働者階級の状態に関する「感覚器官」を自ら破壊した行動として端的に現れています。「資本論と日本経済」の著者である川上正道先生は経済企画庁の主任研究官等を歴任された国民経済・国民所得論の専門家としてご自身をマルクス主義経済学者として位置付けておられました。現在この著書が古本でも見当たらないのは本当に残念なことです。党中央は、資本論を読んで共産主義革命の必然性を実感したという彼ら自身のエリート意識の裏付けに資本論を利用するばかりで、それが労働者階級の武器になることをまったく看過しています。社会経験の希薄な高校生に資本論と共産主義革命の話をして評判がよかったかもしれませんが、社会の主流を占める社会人に訴えかけるものがない、認められるものがないという事実の前には、それらは枝葉末節のことではあります。

 1978年に刊行された「現代独占資本主義の政治経済学 協同産業KK出版部発行」の序論ではレーニンのつぎの言葉を引いています。「…必要なことは、マルクス主義者はいつまでも昨日の理論にしがみついていないで、生きた生活、現実の正確な事実を考慮しなければならないという、あらそう余地のない真理を学びとることである。すべて理論がそうであるように、この昨日の理論は、せいぜい基本的なもの、一般的なもののあらましを示すだけであり、生活の複雑性を近似的に把握するだけである。」このレーニンの言葉をうけて、「われわれのイデオロギー上の敵は、新しい諸現象にかれらの弁護論的説明を加え、それらの階級的根源を隠し、広範な大衆が資本主義の全般的危機の発展傾向を深く認識することを妨げるために、非常に膨大な数に膨れたかれら
の学者・理論家を動員している。以上のことは、マルクス・レーニン主義者が、現代独占資本主義の経済と政治の新しい諸現象の分析に答えるだけの十分な高さにあるべきことを要求している。」という記述があります。日本共産党は、このコロナやデジタル庁の問題で医療やコンピュータなどの科学的な問題について、答えられるほどの「十分な高さ」にはないことを証明し続けています。上記の「政治経済学」では、科学技術革命の論述およびその他のところにコンピュータ技術についての将来を見通した記述がみられます。この著作はソビエト国内では1970年の発行なので、日本国内とは10年近いギャップがあります。この書籍が「日本の多くの学者、学術団体とみのり多い交流を結んできた」成果であるのなら、その成果物はだれが受け継いだのでしょう。

 日本経済・経済学においても、30年続くデフレ、成長しない日本、消費税の理論的解析、財政赤字と会計上の負債と借金との違い等々、理論的な課題がまったく放置されています。党中央は、なによりも「議論の手工業性」を克服して党内部に理論センタを確立しなければならないと思えます。ここでいう「手工業性」とは日本共産党が立党の根拠となったレーニンの「なにをなすべきか」のなかの言葉で多くの党員も読んでいるはずのものです。もっとも40年も放置されてきたのであれば、議論が山積み状態になり、どこから手をつけたらよいかという混乱状態になるのは必至ではあります。ただ、どこかで国民と党員の疑問、および実践的課題に先回りをして答え
るだけの理論深化を担うバックスペース要員が必要なのは明白だと思いますが、党内の人材育成方針を(仮にあるとして)想像するとすれば悲観的にならざるを得ない。
 
 大阪の維新についても党中央が維新についての分析を行って、その内容を地方に伝えて地方組織内での議論を経て、選挙対策が立てられるべきものです。それらを担うのが理論センタ、バックオフィスの役割です。その中には、最近の維新によるコロナ対策の失敗の総括が含まれるべきです。選挙の勝利のために選挙勝利の活動をして、そうすれば選挙に勝てるだろうという「思考停止のロジック」では選挙に勝つこと、有権者の支持を集めることはできないと思います。
                                           
                                           2021年04月08日

  共産党の弱点は「党勢拡大一本やりの活動」の限界にある。正に矛盾である。  エガリテ
令和3(2021)年4月10日

投稿ありがとうございます。

 共産党の問題点あまりたくさんあって、何が問題か把握しがたくなっています。全く大雑把な議論になりますが、労働者階級が決起して、革命政権を打ち立てるようなイメージは完全になくなっています。
 共産党への攻撃は、「武力革命を狙っている怖い政党だ」との宣伝が戦前・戦中に行われ共産党の前進が阻まれてきたという思いが、共産党の幹部にあるとおもいます。小池委書記局長の言われる「共産党のマイナスイメージが減った」というのは、そうした怖い政党のイメージが払拭されたということだと思いますが、私はそれとは違い、国民大衆は共産党の現在のあり姿そのものを見て、違和感を持っているのだと思っています。
 共産党が活躍しているにも関わらず支持が集まらず、大阪維新は相当質の悪い議員の集まりなのに、大阪では圧倒的な支持を得ているところから見て、政治とは何かを考えるべきだと私は思っています。
 まず、共産党は議会で多数を獲得して政権を勝ち取ることを宣言していますが、そのためには議員を育てなければなりません。それが全くできていません。大阪の大都市のひとつである高槻市(中核都市)に、国会議員になれるような政治家が一人もいません。市会議員から府会議員、そして国会議員へと上り詰めた人材は一人もいません。市会議員は万年市会議員止まり、府会議員も同じです。上を見て成長していく人間がいません。そして特定の人物が市会議員選挙、市長選挙、国会議員選挙と同じ人間が顔を出してきます。
 一般的には、市会議員を担う人、市長を担う人、国会議員を目指す人がおり、そのために日常的に戦いを推し進めています。共産党は選挙屋のような人物がいつも顔を出してきます。このやり方では勝利することはできません。
 一般的な視点で言えば、「ギラギラ」したところがないのです。政治家の匂いがしません。私は、現役時代様々な政党の控室に説明に行きましたが、共産党の議員が一番生意気でした。人が説明していても、十分聞かず、市職員からから学ぶというような市政が見られませんでした。
 私は職業としての政治家というのを重んじます。共産党は議員を機関の幹部として事務員のようにこき使い、議員としての成長に重きを置いていません。人材を育てることに完全に失敗していると思います。

 話はだいぶそれましたが、大阪維新はなぜ躍進するのでしょうか、それは橋下徹が政治家としてのカリスマ性を持っているからです。すでに維新からは抜けていますが、テレビにコメンテーター出まくり維新のかさ上げに協力しています。橋下氏が引いた段階で、維新は衰退すると思っていましたが、吉村、松井という二流政治家でも大阪維新の勢いは収まりません。そこにはやはり大風呂敷を開けて府民に訴えていくことが上手いからです。
 新聞に議員の不祥事が出る場合、なんといっても大阪維新の議員がダントツです。しかし維新の力は落ちません。これは維新は政治的メッセージをみんなに届けているからです。共産党は何をしているのか、それは党勢拡大運動ばかりに力を注ぎ、党の持つ力のほぼすべてを党勢拡大に使っているから、逆に共産党の勢力は伸びないのです。
 党活動が全く面白くなく、ノルマに追いまくられた無気力な人の集まりになってしまいます。毎日毎日党員が顔を突き合わせ、どうしたら党員が増えるかばかり議論し、気が狂ったように私は今までの10倍頑張りますと宣言させ、結局は何もできず、自信喪失に追い込まれ、自己破壊していくのです
党中央は、選挙の際の高槻市のJR富田駅の党員の姿を見てください。その姿は全くみじめなものです。他党派の活動と比較してみてください。共産党が一番劣っています。みんな義務感だけで、生き生き感が全くありません。
本当に党勢拡大運動で世の中は変わると思っているのですか、この運動こそが共産党をつぶしていることに気付きませんか。もっともっと共産党は大衆の中に入り大衆とともに戦ってこそ力が湧いてくるのです。大衆とともに戦わず、党勢拡大だけを戦っている姿を見て大衆は共産党を支持(応援)しないのです。
共産党が嫌われているのは「反共攻撃」のためにではありません。現在の姿を在りのままに見て、おかしいなと大衆は肌感覚で感じています。
党中央は正しい方針をだした、しかし下部党員が党の支持どうり働かなかった、だから党は敗北した。この選挙戦の総括などは、資本主義の世界でも通用しないだらしない幹部の言う言葉です。このような総括をしている限り共産党は絶対に伸びません。
もっと多方面からの批判はありますが、今回は、これだけにしておきます。Araki様の理論的批判にお答えせず感情的批判になってしまいました。お詫びします。またどこかで、これからも批判し続けます。

                    エガリテ様、本田様                              元党員 B  さん
送信日時:2021/03/20 14:31:56


1.ご記載の「3月は2月の10倍の働きかけに挑戦する」という明らかに実現不可能な県委員長の発言まであっ
 たにもかかわらず、3月前半の入党働きかけはたったの593件と記載されています。
  これは、党内に無責任な党幹部に対する不服従気分が充満しているが、中間機関がウソの報告を上げるま
 でには劣化していない現状を表しているのでしょう。
  「10倍働きかけ」を記事にする感覚は、以前の「1000万円カンパ」を喜んで紹介した委員長発言同様、カル
  ト集団を思わせます。(あの1000万円、その後有効に使われたとの記事はありません。選挙の経費に消えた
  な ら、寄付した女性への冒涜です。)

2.赤旗日刊紙、貴重な記事も多いのですが、昨春「コロナ便乗値上げ(減ページ)が改善されなければ購読
  を止めます」とメールし、返信がなかったので止めました。読者を増やせと大号令をかけている人たち自身は、こ
  の程度のメールに返信する気もないのです。

3.選挙人名簿の書き出しの件。私が担当したころは政党は個人情報保護法の規制対象外でした。ただ、その
 取扱いや利用については、当然同法の精神に従うべきです。時効と思いますので、当時のやり取りの続報をご
 紹介します。PW=jcpjcp

 〇訴願委員会からの回答(公開禁止の記載なし)
   https://drive.google.com/file/d/0B-qnGjvj-zCLMDN6Ymg0Yi1ZSjA/view?usp=sharing

 〇同回答への私の返信
  https://drive.google.com/file/d/1Lfg-UgISEGP-ACbtDjbLnSDU2umpED4X/view?usp=sharing

 〇離党報告(文中の添付ファイルは上の文書)
  https://drive.google.com/file/d/14RjQbFAZqSNk1YhOSZOww9EuVy_0iscL/view?usp=sharing

 党建設の要は、党員の力量のかさ上げと若者を組織できる運動形態の創設、議員活動の質の向上等である
令和3(2021)年3月29日


 投稿ありがとうございます。

 私は現役時代、党の組織原則について大きな疑問を持ちました。上意下達という方針は、党の発達を阻害していると、同時に赤旗拡大を中心にした党建設に大きな疑問を持っていました。
 党中央は、「私は不眠不休で先月の10倍頑張る」との発言を評価していますが、私はこの発言を重視(ほめあげる)ことに最大の欠陥があると見てきました。
 昔、選挙の票読みで、沢山の票読みをした人がいました。彼はまさに英雄です。しかし後で聞いたら、職場に出入りしている生命保険の勧誘の女性に頼みそれだけの票を集めたと聞きました。
 また選挙戦の最終版ともなれば上級機関は、何票増やしたか矢のような催促をしてきます。その当時の府会議員が市委員会のトップでしたが、電話での票読みを指導し、「相手が『「分かりました』」と言えば、それで1票読んだ」という方法で良いのだと指導しました。(彼は市委員会のトップでしたが、何もせず事務所の掃除をいつもしていました。)相手を本当に説得するのではなく、ノルマ達成に利用しているだけの選挙戦術です。
 票読みで一番固いのは、大衆団体の中で活躍し、日常的な信頼を受けていることです。地道に田畑を耕していくことが大切です。しかし今の党員にはそうした力量が極めて不足しています。党も自身の力をつけない限り、党勢の拡大はできません。
 しかし党は、地道な活動を否定し、党建設は独自の課題であり、大衆運動進めても党の拡大にはつながらない、党建設は独自の物だと主張します。しかしこの視点こそが共産党の衰退の原因です。
 今回の「赤旗拡大を10倍の力で頑張る」私はこのような人間を評価しません。全くのヒラメ社員(党員)です。彼の発言は上の人から評価されることを狙ったものであり、まったくのウソつきです。こんな人を重視して党建設を行うというのは馬鹿の骨頂です。

 三月末は、市会議員等にとって最も忙しい時期です。市会議員は市民の利益を守るため、全面的に努力すべきです。にもかかわらず、いや党勢拡大の方が重要だとの言うような"激"を飛ばし、議会よりも党活動に専念せよというような指導は全くばかげています。(「闇金うしじま君」という映画がありますが、ノルマ達成の決意表明をやらされ、地べたを這いつくばって働かされるという場面を彷彿させる活動方針です。)

 共産党の市会議員が伸びないのは、赤旗の部数が減ったからではありません。共産党の議会活動が評価されていないから伸びないのです。私は役所に務めていましたから共産党の議会活動をずっと見てきましたが全くダメでした。元もひどかった例は前にも書きましたが、議会で質問すると多くの課に通告しておきながら何を質問するかを明らかにしていないのです。夜の8時ごろ共産党の控室に行くと多くの課の課長連中が座っていました。みんな共産党の質問内容を聞こうとしていました。控室は共産党の議員が一人電話を抱えて座っており、その周りを役所の幹部が埋め尽くしています。共産党の議員は、電話で指示があるそれまで待ってほしいと言っていました。私の課の上司はそれを見て、「馬鹿らしい帰ろ!」とその席をたちました。あくる日の議会で共産党の議員は「貴方の課には質問はありません」と報告したのです。
 おそらく多くの課をまたせながら、質問原稿すら作れず、みんなに帰ってもらったのだと思います。これが共産党議員の能力です。自分で質問原稿もかけないお粗末です。こんな姿を見せていて躍進することなどありえません。
 党建設の主題がどこにあるのか共産党は見失っています。個々の党員の力量を高め、議会活動でもさすが共産党議員だと言われる活動をしない限り、共産党は伸びません。市民は肌感覚で共産党の力量を図っているのです。赤旗の部数では決してありません。

エガリテ様、元党員B様                    本田 ホンダ さん
送信日時:2021/03/12 22:05:47

 
 同じく元党員の本田と申します。さざ波通信には私も投稿していました。
私も赤旗を購読しているのですが、党活動面は飛ばしており(経済面や国際面では一般紙にない見るべき情報があります)、お二人のご意見を読んで慌てて目を通しました。

 冒頭、表題や書き出しはある意味で画期的です。とにもかくにも共産党の後退・減少を正面から認めたのですから。それほど後退が大きく、隠せなくなっているということでしょうが…

>得票は前回比84.9%、
>党が立候補した選挙区で、選挙の投票率が、コロナ危機にもかかわらず、ほぼ半数近い選挙区で上昇しています。(この引用部分、エガリテ様の投稿では、投票率を得票率と打つタイプミスがあります)

 これは、固定票すら守れず得票が減ったうえ、投票率は上昇(他党の得票は増えた)したので議席数大幅減となった、と私は見ます。
 そして、いつも通りの≪中央の方針は正しいが、地方が、現場が、それを実践できなかった≫と続き、SNSやオンラインの活用も提起はしますが、深い掘り下げはありません。
 更に、選挙人名簿の不特定多数書き出しと言う個人情報保護法違反の疑いのある行為を奨励するに至っては、党もここまで劣化したのか、とショックすら覚えます。

結局、現状を打開する新しい方針らしきものは、SNSやオンラインの活用、それも一般論だけで大変弱いものです。これで今後共産党が大きく前進することはあり得ないと確信させてくれる評論でした。

 エガリテさんが言われる通り、赤旗拡大に偏重した党勢拡大はとっくの昔に不可能になっていることをなぜ直視しないのか。そもそも一般紙すら部数を減らし続ける時代。雑誌や本も売れなくなった時代に、どうやれば有権者に政策を届けられるか、真剣に考えていないのでは? 私自身は紙の新聞が好きですが、特に若い人はもう紙の新聞を読みません。赤旗をWeb化してますが、単に紙を画面に置き換えるのでなく、SNSとの連動やスマホ・タブレットで読みやすい工夫など、やってるんでしょうか?

 野党共闘に活路を見出したのは評価します(野党第3〜4党?だけで政権を狙えるはずもない)が、「共産党」名にこだわり(1月3日付け赤旗の坂本龍一発言にあるよう、党名変えれば支持増えるでしょう。もちろん中身も民主集中制廃止やら科学的社会主義削除やら必要ですが)、立民も消費税減税をやるかやらないか、あやふやで、次の選挙が心配です。

 私も山本太郎を大いに評価してますが、長くなり過ぎたので別に投稿します。とりあえず

  中井作太郎氏の論文より、さらに悪質な主張(総選挙躍進特別月間推進本部)の文書  エガリテ


投稿ありがとうございます。

 まず、入力ミスのご指摘ありがとうございます。確かに「得票率」は「投票率」です。

 「さざ波通信」懐かしいですね。あそこの記事には優秀な方が沢山おられ参考になる記事が沢山ありました。しかし最後の方はただの掲示板のようになり玉石混交のような様相を呈していました。運営していた人が変わったのではないかと思っています。

共産党の大きく前進することはあり得ない


 貴方が書かれた「これで今後共産党が大きく前進することはあり得ないと確信させてくれる評論でした」この指摘鋭いですね。本当にそう思います。何かがくるっている。狂い始めている。と感じさせます。
 今日そのことを確信させるような記事が載っていました。赤旗3面【党活動】に「党の働きかけの現状を直視し、今こそ党機関と地方議員が支部に入り、力を合わせて事態を打開しよう」という題名の長い「"激"文」載っています。
 もともとこの文書の見出しからすれば、対象者は「党機関と地方議員」に対する指示書です。内部文書で済む文書かなと思います。このような恥ずかしい文書を対外的に大大と宣伝するのは恥さらしのような気がします。
 党員拡大では「@党員拡大を根幹にすえ『支部が主役』で広く働きかける、党員拡大の『大道』を発展させる。A党員拡大を党活動のあらゆる推進力として位置づけ推進する」――ことを、党中央の反省を含めて提起しました。

『支部が主役』この言葉ほど共産党にとっては都合のいい言葉はありません。


 この文書、日本語としておかしくないですか?「党員拡大では@党員拡大を根幹にすえ」当たり前のことを指摘しています。これ以外の根幹があるのですか?意味が分かりません。(おそらく「支部活動においては党員拡大を根幹にすえ」と言いたかったのと思います)
 次の『支部が主役』というこの文言は、支部を尊重しているように読めますが、党は常に『支部が主役』と言う言葉を使い、同時に責任は支部にあると責任回避にこの言葉を使っています。
 コロナ禍で最近「上級国民」と言う言葉が流行っていますが、党の『支部が主役』という言葉は党幹部が上級党員であって、支部が働くのだと言われているように見えます。

模範党員から発せられる言葉の古めかしさ

 
 その次に各県委員長は「自分の党員拡大の独自追及の構えが問われているとおもった」あるいは「3月は、2月の10倍の働きかけに挑戦する」など、自己検討を深め、事態打開への決意が表明されました。
 この文書が「オカルト集団の言葉と瓜二つ」だということに党中央は気が付いていない。このような発言は、ブラック企業などでも職員を詰め倒してこうした発言をさせて人を追い込む手法である」こんな時代遅れの「激」を利用している党運営の方法が、既に若者から全く受け入れられない。
 昔から共産党には「自己批判」という風潮があるが、多くの幹部の前でこの発言をされられた人は、本当に自己改革を行い、その後の自分の生き方の糧になったのでしょうか。私は屈辱感が残っただけだと思います。(「彼には彼の言い分がもっとあると思います。その内容を引き出し手立てする。その方がよっぽど活力につながります。」)
 もう一人の「2月の10倍の働きかけをする」こういう出来もしないことを平気で言う者は常にいます」一般的にこうした人物は重宝がられますが、こうした発言こそが組織をダメにするのです。
 一人の人間が先月よりも10倍働けますか?そのことを科学的に分析していますか?この男は、2月は何も働くことはせず、眠っていたのですか?この発言を聞いて、回りに力が湧いてくると本当に思っているのですか?この発言は、先月は頑張りが足りなかった今月は一歩踏み出そうと感がえていた者の出鼻をくじき、10倍も絶対にできない。そんなことを求められているのなら、私にはできないという感情を抱かすだけです。(私はこの男の発言が本物であったか追跡調査をして報告してほしいとおもいます。こういうお銚子者が組織をダメにするのです。)・・・党はこの発言を利用し、各党員は不眠不休で戦えとの指令を出しているのです。

指導方針は、オカルト集団と酷似


 すべての指導方針が、戦争下の指導方針やオカルト集団の方針や、高度成長期のサラリーマンの指導方針、もっと言えば催眠商法から学んだ方針であり、現代的視点が全くありません。この指導方針の誤りこそが停滞の原因なのに、その責任をすべて『支部』とらすというシステムは、『支部』そのものも疲弊させ、組織を破壊していきます。
 これが改善されない限り、共産党の成長はありません。

4割の地区の入党働きかけがゼロ・・・増やしたのがゼロなら理解できるが

 
 事実赤旗は共産党の凋落を自ら暴露しています。これだけの"激"を飛ばしながら、「4割の地区の入党働きかけがゼロ」と書いています。なぜこうなるのか残念ながら共産党は「カルト」集団ではありません。カルト集団の組織拡大の手法をとってもそれは成功しません。そのことに共産党は気づくべきです。

 昔話になりますが、大阪知事選挙の最中、私が飲食店でカレーを食べていた際、公明党のおばちゃんが入ってきて、そこの店主に知事選挙で票を入れてほしいと話し始めました。店中にその人の話が聞こえる状況で延々とその話をつづけました。これが公明党の強さだと思いました。共産党の人は常識があり、このような力(厚かましさ)がありません。
 
 インターネットの阿修羅掲示板で、党の未来を映し出すような記事が載っていました。(2021/3/14)
創価学会の寄付金トラブルや聖教新聞の購読が原因で、家庭崩壊、殺人事件、夜逃げが多発していた。と言う見出しで、聖教新聞の購読が落ちてくる中でのトラブルが多く載せられている。一部転載させていただく。
 創価学会の機関紙「聖教新聞」の購買部数維持のため、新聞の解約や減部は、代わりに誰かがひきうけなければならないことが多い。という記事で、大阪の80歳の老人が減部を一人で引受、毎日70部も購入していた。毎月の新聞代は約14万円で、最後は栄養失調で餓死した。
 夫婦で2部取っていたが、1部にしようと願い出ると、拒否された。そのことが発端となり、創価学会は両者を除名した。これが裁判沙汰になっていると。

夫婦で赤旗を2部購入することは、正しいのか?

 
 この話は人ごとでは無いように思われる。赤旗も夫婦で2部取っている人を大きな記事にしたことがあった。お金持ちなら良いが、赤旗を2部取ることは年金生活者には厳しいと思われます。
 創価学会と同じような事例が起こらないことを願いますが、昔から拡大を迫られ、赤旗日曜版複数部購入している人はありました。党員の評価(忠誠度)はすべて赤旗の部数で決まっています。このような組織構成は、創価学会と同じ問題を起こしかねない要素を持っています。
 前から何回も書いていますが、拡大月間には赤旗を取ってもらい、その後切らせて置き、拡大月間が来たらまた拡大するということを行っていた人物がいました。この者が支部長でした。彼はこれを武器に私は何部拡大した、貴方は何部拡大したかとみんなを詰めまくって虐めていました。

共産党躍進の道は

 
 党の躍進は、1970年代に成功した手法に固執せず、現代的ビジネス感覚を受け入れた方針転換が必要です。
  (「『支部が主役』と言うようなごまかしの理屈から脱却しない限り成長はありません」)

     赤旗 中井作太郎さんの文章の件ほか                    元党員 B  さん
送信日時:2021/03/03 10:47:46


エガリテ様

いつもお世話になり、ありがとうございいます。
 貴記事に関し何点か述べさせていただきます。

1.ご記載の通り、中井作太郎さんの文章は中身がないというか的外れです。「党の得票に結実できなかった」
  原因として、党員の奮闘不足しか思い当たらない振りをされています。しかしながら、中井さんはしっかりした元
  京都府委員会委員長です。党の様々な課題に気付かれないはずがありません。このような文章しか書くこと
  を許されない党本部において、歯ぎしりしながら耐えておられるのではないでしょうか。

2.選挙人名簿の閲覧利用は、微妙ですね。適法に利用されていればよいのですが。私も利用したことがありま
  す。数人で選挙管理委員会を訪れ、運転免許証で本人確認いただいたうえで名簿を筆記で写します。何
  回も通って写し終えた後、PC に入力する段階で情報管理規定を求めたのが、私の党機関に対する違和感
  の始まりでした。最終的に訴願委員会にも適当にあしらわれ、訴願の1年後に離党しました。
https://drive.google.com/file/d/1f8z8aOBFV9tAooZTUAvBT5ao5IPE0OP8/view?usp=sharing
PW=jcpjcp

3.2020年6月14日掲載の吉良よし子さんの文中に「民青と協力して実態アンケートや学費減額の運動を励ま  すことなどのとりくみを行い、それらを通じて、青年・学生と結びつきをつくりましょう。党機関はこうした結びつき
  を名簿にしましょう。」との記載がありました。あらかじめそのように利用されることを示さずに名簿化すると個人
  情報保護法違反になるかも、と党本部と赤旗編集局にメールしましたが、開封通知も来ませんでした。



3月2日付け赤旗の記事を
      前日インターネットに公表されていたのを読んで投稿
                     送信日時 2021/03/01 23:27:02 
中間選挙(後退)の教訓

 明日(3月2日付)の全紙面のPDFがHPに掲載されました。(発行日前の掲載を初めて見ました。)
 この8面に、中間選挙後退の事実と、党幹部の考える(あるいは、考えた振りをする)原因と打開策が示されています。
 甚だ残念なことに、その内容には過去延々と党のジリ貧をもたらしてきた方針からの進化がありません。
「どこでも党の訴えに共感が広がり、自・公を追い詰める力を発揮したが、わが党の得票に結実させることに成功していない」原因として、党員の奮闘不足しか考え及ばない振りをしています。
 本当の理由を書けば、その幹部が処分されるのでしょうね。

 ついでながら、いまだに宝くじ類の当選番号が載ってました。


  選挙人名簿から転記して、個別訪問に利用するのは、個人情報保護法に抵触している。   エガリテ
令和3(2021)年2月4日


 投稿ありがとうございます。

 少しややこしくなりますが、貴方は赤旗のこの記事(3月2日付け)を3月1日にインターネト上で読まれたとのこと、私は3月2日付赤旗で読みました。これは面白い記事だと飛びつきましたが、既に貴方から1日の23時に投稿を頂いていることに気が付かずに、3月2日にこの記事に対する投稿を載せました。
 あなたの着目点と私の着目点は同じでした。「中間選挙(後退)の教訓」という赤旗の見解は注目に値します。なぜなら今まで無理やり勝ったと報道しても、負けた選挙の分析・総括が皆無でした。何を問題と捉えたのか非常に興味を持って読みましたが、躍進を支える方向性は全く見えない、下部党員の「やる気・本気度」が足りなかったという総括だけです。

 例えば大阪都構想は、何とか多数を得て勝ちましたが、これは自民党の反対や、公明党の揺れ等があって何とか勝ちましたが、共産党は本当に維新と真正面から戦ったのか、理論的な優位性を持っていいたのか等の分析が全く行われておりません。
 私が見た大阪都構想に対する共産党の批判は、「プールの数が減る」だけでした。全くピント外れな議論を平気で行っていたのに、なぜ党中央はその点検に入らないのか疑問に思います。大阪府会議員のテレビでの発言、大阪民主新報の記事等々に相当の弱点があったことを乗り込んで分析する位の力量が党中央にはないのか、極めて疑問です。
 大阪都構想反対で共産党が維新をやっつけて大阪都構想踏みつぶしたものであれば、その後の大阪府下の選挙戦で党は前進するはずです。私の隣の市町村:今年1月の茨木市議選の結果を書いていますが、大阪維新は大躍進し、共産党は全く敗北しています。
 これは理論戦線ですべて敗北し、「勢い」というものが市民に全く伝わっていません。大阪府下で今も増殖する維新を如何に対峙するかの戦略・戦術を持たず、選挙ごとに後退していく共産党の将来に対する危機感が全くありません。
 日本の大都市として東京に次ぐ大阪府会の議員に共産党が2名しか存在しないとは、政党として全くだらしなく、なぜ勝てないのかの分析くらいできないのか不思議でたまりません。

 あなたも個人情報保護について書いておられますが、住民基本台帳法は個人情報保護に力を入れています。住民票を取る場合にも本人確認を要請しています。その住民基本台帳から18歳未満の者を省いた台帳が選挙人名簿です。この名簿は選挙の公平に行われるために作成されており、その目的が合理的な場合に開示されるものです。選挙立候補者がその開示を受けて何らかの判断に使うことは了解されていますが、全ての名簿を閲覧して、転記しそれをもとに、自己の選挙区の台帳を作成し、戸別訪問に使うなどの利用は明らかに個人上保護の精神に違反します。
 住民票が個人情報保護法でクローズされているから、選管ならいくらでも見せてくれるという盲点を見つけ、選挙人名簿を作成し選挙に使うのは誤った行動です。
 この閲覧は、閲覧する対象者の基本情報をあらかじめ知っている方が、何らかの確認のために閲覧できるものであり、全ページを筆記して返り、それで選挙人名簿を作成するのは法の抜け穴を利用した違反行為です。
 選挙に勝つか負けるかはこんなセコイことをして勝つのではなく、政治的に他党派に勝ち共産党の議員が増えれば、自分たちの生活が良くなるということを理解していただける具体的な活動が必要なのです。
 他党派と同じ土俵で戦って勝つべきであって、選挙人名簿を閲覧して違法行為の疑いのある選挙人名簿を作って個別にオルグするという選挙方針は最悪です。まことに申し訳ないですが「地に落ちた」というのが私の感想です。

参考記事:赤旗に注目すべき記事が載った。この間の地方選挙での敗北を共産党が認めた??

追記:おそらく共産党のこの手法は、世間的に批判され、選挙人名簿の個人情報保護の議論が起こると思い
    ます。(正に秘密の暴露です。)

日本共産党は「非実践主義」 「思考停止に」に陥っている。    Araki Nadreck
送信日時:2021/01/24 20:07:58

 
 エガリテ様、また、お世話様になります。

 以前の投稿で、日本共産党志位委員長が、30年続くデフレ、20年以上続く経済成長しない日本、等々の主張をもつ山本太郎さんと同席した場でも共産党自身の日本経済の分析を発言していないこと、また、その日本経済の分析をしない(できない)ことの「根深い原因」を「川上正道先生 資本論と日本経済 1980年」から2つ引用させていただきました。その原因の1つ目は、「資本論から外にでないことが経済学者の使命」という明らかに誤った風潮があったこと、2つ目は、「ヘーゲルは抽象、分析を真の科学の方法ではないと退け、科学を否定し、唯物論を否定する」というヘーゲルを全面的に排除する見田石介氏の見解です。

 レーニンは、哲学ノートを通して、ヘーゲルの唯物論的傾向を明確にしました。たとえば「この章”絶対的理念”全体がとくに観念論を含んでいるということはほとんどなく、弁証法的方法をその主要な対象としている。・・・ヘーゲルのこのもっとも観念論的な著作のうちには、観念論がもっとも少なく、唯物論がもっとも多い。矛盾している。
 
 しかし、事実だ。」と述べました。
 見田氏の見解では、ヘーゲルのみならずレーニンをも排除することにならないか。レーニンは、「資本論の方法と成果をロシア資本主義分析に適用し、「ロシアにおける資本主義の発展」を著し、ロシアのブルジョワ革命の主要な勢力を農労同盟の巨大な力に求めた。このレーニンの方法をも見田氏は否定・排除するのであろうか。

 見田氏は「ヘーゲル主義」に反対するという立場から、資本論を「分析の道具」とする経済学者を攻撃しました。山田盛太郎氏は、「再生産過程表式分析序論」で、戦前の日本資本主義の科学的な分析を実現したにもかかわらず、見田氏から「ヘーゲル主義」との批判を受けています。本来、この批判は「戦前の日本資本主義に対して同等な分析」を行ったうえで、その方法論を相互に批判すべきもので、「ヘーゲル主義」と決めつけて批判することは、およそ生産的な批判とは思えません、川上先生が「資本論と日本経済」のなかで、この事実をさりげなく書き残したことは、先生の「微妙な配慮」と「見田氏の何を問題にするのか」を思いやるには十分です。

 見田氏は1975年に亡くなり、見田氏のヘーゲルに関する見解を、彼の組織した研究会がまとめた「ヘーゲル論理学入門 有斐閣新書 1978年」が刊行されました。この書籍は、1977年から研究会の参加者によってまとめられたもので、「ヘーゲル主義」とは、「こけおどしのヘーゲル用語をならべた不可解な弁証法が乱用されたりする」悪影響を示す言葉のようです。しかし、それは、「ヘーゲル主義」ではなく「ヘーゲルもどき主義」のような別の用語が充てられるべきで、ヘーゲルに対する明確な「悪意」を感じます。この書籍は、丁寧に解説されてはいますが、ヘーゲルの論理学を少なからず非合理な表現が登場する理解不能なものとして描き出そうとしています。結論的には「ヘーゲルの理解のためにはマルクスが必要だ」そうです。不思議なことにレーニンのこと、および彼の哲学ノートについての言及は皆無なので、「マルクスが必要」という結論は、きわめて意図的なものだと思われます。

 ヘーゲルの小論理学(岩波文庫 松村一人訳 1951年初版 ページ数は同署上巻)に感じられるのは、その熱意です。翻訳ではありますが、教壇から呼びかけられているような熱意を感じさせる書籍は稀有ではないでしょうか。そのエンチクロペディーへの序論で、ヘーゲルは言います。「哲学は宗教と共通の対象をもち、神が真理であり、神のみが真理であるという最高の意味における真理を対象としている。P61」ヘーゲルは、神の存在を信じることが教養ある学者の当然な態度であると思われていた時代に生きていたので、そのことを「唯物論的でない」と指摘・批判することは、意味があることとは思えません。この序論のなかで、注意しておくべき記述は、「経験の原理」についてです。「経験の原理は、限りなく重要な規定を含んでいる。それは、人がある内容を受け入れ信じるには自分自身がそれに接していなければならないということであり、もっとはっきり言えば、そのような内容が自分のたしかめたことと一致し結合するのを見出すということである。」なにか、それだけで唯物論的な雰囲気があります。以下、見田研究会の「ヘーゲル論理学入門」について、気づいたことを何点か述べます。

 この「入門」で最初に注意を引いたのは、「ヘーゲルは、・・・なんの媒介をふくまないような直接的なものなどありえないことを、はっきりさせます P18」との箇所です。この箇所はヘーゲル小論理学、予備概念、C 客観に対する思想の第三の態度 直接知」の部分に該当しますが、ここは、ヘーゲルにとって「真理を構成する直接知」という限定の上での「ありえない」なので、この「はっきりさせます」には、「あるワナ」を感じます。つまり、直接知がすべてなんらかの媒介を含むというわけではないということです。言い換えれば、われわれの直接的体験に起源をもつ直接知を低く見て、書物その他から得られる間接知だけを重んじるのは、「間違った態度」だということです。ヘーゲルの合理的な理解のためには、直接知を「媒介知」ではないもの、「自分自身がそれに接していることから得られる」知として理解することが大切だと思います。つまり、直接知、直接的なもの、感覚的なものを第1部「有論」に割りあて、媒介された間接知を第二部「本質論」に残しておくということです。また、そのことによって、主観と客観の一致という第三部「概念論」の余地を残すことになります。「なんの媒介をふくまないような直接的なものなどありえない」と断定すると、直接知をあってはいけないもの、無視してもいいものとする解釈を許してしまいます。このことは、ある意味では有害です。なぜ有害なのかは、我々の意識は、ほとんどすべてが直接知であってそれに満足しているからです。確かにその一部分は間接知によるものですが、それも多くは直接知に裏づけられたものだけです。さきほどの「経験の原理」ですね。この考えは、マーケティングにおけるAIDMAという商品購入を導く営業マンが教えられる仮説とも通じるところがあります。

 なお、この「思想の第三の態度 直接知」は、「態度」という用語が使われています。「態度」というのは、その人間がもつある対象に対する認識、評価と言われるものとは微妙に異なる、それ以上の「全人格的なもの」を想起させるものなので、ヘーゲルは、「態度、姿勢、注意・関心、意識的になった」などのような「単に主観的な認識」以上のものを論理学・認識論に引き入れていることになると思います。また、通常の哲学という学問の「澄明な思想の純粋な空間」に対する「嘲笑」はレーニンとも共有するものです。

 「入門」で、次に気になるのは、やはり、第一部「有論」の「有ー無ー成」の記述です。「入門」は言います。「有ー無ー成の展開にはたしかにむりがあり、ヘーゲル弁証法の限界となっていることは否定できません。有ー無ー成の弁証法はすばらしい内容を含みながら、その議論の運びかたに非合理なところがあるということです。」しかし、この3つの項を弁証法の適用例とするのは、明らかな誤りだと思います。ヘーゲルは言います。「成は最初の具体的な思想、したがって最初の概念であり、これに反して有と無は空虚な抽象物である。P275」つまり、われわれの心に浮かぶ最初のものは、「成」であって、「有」と「無」は哲学史、宗教史から人類が獲得した抽象的なものにほかならないというのが、ヘーゲルの説明です。だから、個別の「成」のもつ規定性を分析することから、端緒としての無既定の「有」に「定有」「向自有」というそれぞれの抽象的な規定性を付加していく論述が続くわけです。 
 ヘーゲルは、「弁証法」について、こう言います。「弁証法の正しい理解と認識はきわめて重要である。それは現実の世界のあらゆる運動、あらゆる生命、あらゆる活動の原理である。」ヘーゲルにとっては、「有ー無ー成」ではなく、「有ー無」および「成」であって、それは、議論の余地がありません。「有ー無ー成」は「入門」の著者たちが作り出しただけのもので、当然「現実のあらゆる運動」には含まれえないものです。だから、ヘーゲルの弁証法を「こけおどしのヘーゲル用語をならべた不可解な弁証法」として乱用しているのは、ほかならぬこの「入門」の著者たちです。

 この著作で繰り返されるのは、「現実の歩みと認識の歩みとを同一視するのは、ヘーゲルにいつも、つきまとう欠陥です P181」という主張です。しかし、「現実の歩みと認識の歩みが一致する」ことは、ありえないことではありません。たとえば、プロジェクトを管理していれば、プロジェクトの現実の歩みは管理者の認識の歩みと一致するはずです。国を独占する独裁者の頭のなかでは、その2つは当然一致します。だから、主観は実践を通して客観的事実を獲得すると明言するヘーゲルに対して「ヘーゲルにつきまとう欠陥」と言うのは、ほとんど意味がありません。 ヘーゲルが生きていた時代と異なって「無神論」を違和感なく受け入れているわれわれは、単純な観念論として表明される「現実と認識は一致する」「現実の歩みと認識の歩みとを同一視する態度」が正しいと思えないのが当然です。いまさら学者たちによって「説教される」ことではありません。ヘーゲルは言います。「すなわち真理は、それが真理であるからこそ、自己が真理であることを確証しなければならないのであって、この確証は、論理学の範囲内では、概念が自己自身によって自己を自己と媒介し、このことによって自己が真に直接的なものであることを示すことにある P257(予備概念の最終節から)」われわれがヘーゲルを読むのは、このヘーゲルの予備概念からうかがえる「自己を真理であることを確証する」および「自己自身によって自己を自己と媒介する」方法を求めるからです。その方法つまり認識論は「自己が真に直接的なもの」になったところから生じる「自己充足感」を与えることができ、その「自己充足感」は、結果として、他者を説得する場合には「説得力」として現れるものになるでしょう。マルクスやレーニンの著作から感じられる「説得力」は、彼らのヘーゲル理解と無縁ではないと思われます。

 見田研究会のメンバーと「頭目」見田石介氏は、「ヘーゲルには大きな欠陥がつきまとう」と信じ、、小論理学の読解から「ヘーゲルの弁証法による議論の進め方には非合理がある」という結論を出し、その2つが「自己に回帰したものとしての確信」なのでしょうか。見田氏は、資本論を日本の経済を「分析する道具」とするマルクス主義経済学者を「ヘーゲル主義」として「理不尽」に攻撃しました。あたかも、日本の共産主義運動の基本的な認識をなす「日本経済の分析」が必須のものではないかのように。マルクスは資本論という経済学の本ではなく哲学の本を出版したかのように。1930年代にスターリンは軍の実権を握るために、時代遅れの騎兵隊派を残して、先進的な戦車の利用を主張した多数の機械化派の軍人を「ドイツのスパイ」として粛清させました。見田氏は、その時に暗躍した秘密警察の長と同じ役割ですね。そのことには高い代償が必要になりました。騎兵隊派の軍上層部は、「馬のスピード」で動く騎兵隊という単位でしか作戦計画を思い浮かべず、ドイツ軍の電撃戦の前には無力で、おおくの犠牲を払い、ドイツ軍をモスクワの近郊まで迫らせてしまいました。ジューコフは、騎兵隊派ではありながらも、極東で機械化派の影響を強く受けました。そのジューコフがロシア軍を指導する地位を得てはじめて、モスクワ前面からドイツ軍を押し返すことに成功しました。その後のスターリングラード、クルスク、ベルリン包囲・陥落までの経緯は、第二次大戦でのもっとも目覚ましい成功例の1つだとも言えます。

 見田氏が「ヘーゲル主義」で暴れまわったことの結果は40年後のいま、はっきりしています。日本共産党は、国家独占資本主義と言いながら消費税を日本国家独占資本主義の政策だと認識できていない。消費税によって、国民の生活が徐々に追い詰められていて、また、中小企業が生き残りのために四苦八苦しているのに、大企業側には流通に投入されない巨大な内部留保が溜まりつづけていく。40年間も実際の経済に向き合わないから気づかないのでしょう。唯物論は科学の立場といいながら、この40年間に大きく進んだ「医療」という科学、「コンピュータ」とい科学に、正確なコミットメントができない。PCR検査体制の構築、支援金の支給、アベノマスクの配布等々、他の先進国の政府が、金属の一枚翼の戦闘機で「がんがん」飛び回っているのに、日本政府は、二枚翼の布製飛行機でやっと飛んでいるようなものだと、なぜ気がつかない。デジタル庁が本来的には国民の利便のために「能率的な不正のない行政機構」を構築するために役立たなくてはいけないのに、国民にマイナンバーというタグをつけるためにだけ、国民に強制的にワクチンを投与するためにだけ使われようとすることに疑問を感じないのか。野党の連立政権といいながら、政府のコロナ対策を「WITHコロナ」というコンセプトから明確に批判し、政府、自治体、病院、専門家、その他を適切に配置し、役割を定めながら、実行可能なトータルな計画を立案して国民に提示する発想はないのか。プランを提示し、実行力をアピールすることが、連立政権に支持を集める最短の方策ではないのか。マルクスは資本論のなかで「貨幣の総量」を議論しているのだから、貨幣の発行は国の施策では「国債発行」になるだけのことだから、国民の救済にインフレ・デフレを指標とする積極財政で行くことを明確にするのは、判断できない困難なことなのか。

 2021年1月の国会冒頭の代表質問で、志位委員長が5%の消費税を明言したことは、画期的なことです。ただ、そのことによって、山本太郎さんが言う「消費の罰金」以上の理論が必要になります。商品が価値と使用価値をもつなら、消費税を含む商品は、価値と使用価値をもつのか。消費税率を10%とし、再生産表式を変形すると、m×0.1+v×0.1=w×0.1ーc×0.1となる。右辺を企業が政府に支払いを行う消費税額であるならば、左辺の剰余価値を10%を減らし人件費を10%増やす「価値」の評価はどうあるべきか。商品が順調に売れ続ければ、拡大再生産は、当然可能です。しかし、価格支配力をもたない企業は、販売に失敗することが当然起こりえます。バブル崩壊、IT不況、リ−マンショック、および複数回の消費税UPは、それぞれ販売に失敗する、消費税の価格転嫁に失敗する大きな原因になりました。消費税を資本の運動の面からみれば、中小企業の淘汰、正規労働者の削減、派遣労働者の拡大を目指したものとは言えますが、理論的、実証的な数値の裏付という面からは、ほぼ何もない状態ではないでしょうか。マスコミ、官僚、与党等からの批判に答えうるかどうか、国民の信頼に答えうる回答をだせるかどうかは大きな試練です。

 一般の多くの国民にとっては、日本共産党はなにかいいことは言うが、実行力があるとは思えない存在のように思えます。山本太郎さんは、野党はこの30年間、経済政策を提示しなかったと言っています。それは、国民の経済的な現実を見てこなかった結果でもあり、また、同時に政府の経済政策を批判し、それとは異なる政策を国民に訴えてこなかった結果とも言えます。党の上層部が、ヘーゲルの実践的な、現実に向き合う姿勢を「ヘーゲル主義」として排斥することを容認する。唯物論的弁証法を理解できない非合理なものとして決めつけ、実践的な経済分析を行う経済学者を排除する。具体的な事実を分析するのではなく、イメージの良い言葉を選んで、そのイメージを国民に訴えるポイントにすえる。それらの体質を40年間世代を更新しながら維持し続けてきたのなら、組織の上から下までに染みついた「非実践主義」「思考停止状態」を払拭することは、至難の業でしょう。  コロナ対策も、政府の施策の結果を個別に批判する批判者の立場からだけではなく、「コロナ感染者を0にする」という実践する立場から、トータルの計画を立案して実行可能なプランとして提示する発想はないのでしょうか。「批判する立場」と「実践する立場」では、当然のことながら、視点、注目する対象、結果の判定、あらゆることが異なります。たとえば、数学的な計算から、「何%の感染者をPCR検査で見つけ隔離すれば、その集団の感染者数を半月後に何%減少させられるか」を求め、感染率の異なる集団ごとに能率的なPCR検査の運用を定めて運用計画と実行予算を試算してみる。そのような試みを公表し、党内でも討論させるのが、連立内閣・政権交代という政策実行主体に変わりうる意識変革を党内に広める契機になりうると思えます。ソビエトでも中国でも共産党は科学技術を正当に評価するのに、日本共産党には、科学技術重視の姿勢が皆無に等しく、科学者・技術者の発想と実行方法、問題解決能力を無視しているのは、自民党とあまり変わらないのではないでしょうか。

 代表質問の場では、菅総理が原稿を読むのに精いっぱいで、既定の政策を継続させるためにだけの役割しかもたない「間に合わせ」総理だという事態がはっきりしてしまいました。小池書記局長の質問は、その迫力もあいまって、菅総理のポンコツぶりを一層きわだたせました。大きな危機状況での追い風という有利さはあるかもしれませんが、しかし、党内の体質改善がなければ、継続的な効果は望めないし、かえって党勢拡大に逆効果になる可能性さえあり得ます。党の上層部は来年の党創立100年に焦っているかもしれません。この文章が、党内に残ってはずの少数でも良心的な党員の方々にとって、党の上層部を突き上げ、「戦う党」という体質改善を実現するための助けになれば幸いです。

 共産党の強大な棟建設論に誤りがあるとみています。最近の茨木市の選挙結果を見ても  エガリテ
令和3(2021)年2月1日

 投稿ありがとうございます。

 非常に長文ですので、私のコメントも長くなり、この欄では収まりませんので、他のページに書いています。
 良ければ下記のページに飛んでいただけますか、よろしくお願いします。

★消費税・コロナ・党建設・茨木市長選挙の結果等

日本共産党の将来を楽観視しないほうがいいだろうと思います。 Araki Nadreck
送信日時:2021/01/08 16:34:16


 エガリテ様、掲載して頂いて、ありがとうございます。

 資本論の結論の1つは、「資本主義の発展とともに、一方の極、すなわち資本の側には富が累積するのに対し、他方の極、すなわち労働の側には、貧困者の大群が形成されることになる。」です。国家独占資本主義の段階においては、これが国家の経済政策および社会政策のなかの個別の政策として、直接ではなく、結果的に実現されるような政策として、立案され立法化されることになります。当然、それらの政策は、一般的に聞こえのよい他の政策目標を掲げて、政策化されるはずのものです。

 ここで、昨年春からの政府のコロナ対策を考えてみましょう。我々国民は健康的で文化的な生活を憲法で保障されているので、国は国の機関、自治体、病院その他を介して、「無症状の感染者がいて、免疫上の重篤な病気を引き起こす新型の伝染病」に対する作戦計画をたて、厚労省、大学、国の研究機関、自治体等を組織化して、政府の基本的な機能の発現として、コロナに対応すべきでした。今もそうですが。しかし、安倍内閣は、それを、尾身氏を代表とする感染研に「丸投げ」しました。感染研は、結核等の感染者=重症者であるような感染症に実績がある機関で、比較的少数の患者本人と直接の接触者である濃厚接触者を隔離する以外のノウハウをもたない組織です。以降は、すべてのコロナ対策がこの感染研の不適切な「枠組み」のなかでのみ、実施されることになります。無症状の感染者は存在しないという誤った前提が維持されていきます。(コロナについては、Youtubeデモクラシータイムズの東大先端研の児玉竜彦先生の動画を参考にしています。)

 この不適切な枠組みのなかの政策としては、PCR検査の「手の込んだ」抑止方針と「三密」に代表される感染経路の遮断にのみ力点をおく感染防止対策でした。この方法では、「無症状の感染者」に対応することができません。また、東京都台東区の永寿病院、また慶応病院などにおける大規模な院内感染の実態に目をつぶり、病院勤務者等の不可避なコロナ感染にも不対応にならざるをえません。

 PCR検査を大量に行うことは、ある水準の総合的な科学技術力が必要です。まず検査およびデータ処理を大量に行うことの困難さです。1980年前後に出版された「ガン回廊のあした」という書籍には国立がんセンターの医師がガン検査を大量に行うための懸命な努力が語られています。
 評価済み検査データは、検査対象者、検査受付施設に返す必要があり、同時に各種統計処理に耐える精度も保持している必要があります。だから、共産党が主張するような「大規模なPCR検査の拡張」だけでは不十分で、1つのトータルなシステムとして、児玉先生が国会に持ち込んだ「予算処置を伴う仕組みの構築」というプランニングに関わるものとして構想される必要があります。この辺りに、世間受けを意識した批判と、実現を目的とした主張との違いを感じざるをえません。日本共産党の「目的実現を目指した実践的活動」に対する「発想力、構想力、組織的活動力」は、高くないと言わざるをえないのではないのでしょうか。そのことは、政府の政策・施策に対しての分析の弱さにもつながります。

 ・安倍晋三は、なぜ本来の「コロナ」対策を実施しなかったのか。
 医療費の抑制は、1990年代以前からの政府方針であり、財政構造改革の中心である。コロナ渦での病院・病床削減計画も予定通り実現するので、予算支出を伴う新規計画なんてとんでもない。
 また、「クルーズ船での無対応」で試した結果、コロナなんて「たいしたこと」ではない。どのみち多少死亡者が出でようと国民に恐怖心を与えるほうが、政権にとって好都合ではないか。・安倍晋三は、なぜ「アベノマスク」配布、給付金配布を決断したのか。自分のお友達が、中間にたって国の資金を「中抜き」することができる。国の資金の電通、パソナ等々への合法的な横流しは、安倍政権当初からの政策の一部である。

 ・安倍政権はなぜ、ワクチン推奨なのか。
 ワクチンをアメリカから購入すれば、アメリカを喜ばせることができる。アメリカに奉仕するのは、日本の義務だ。(児玉先生は、ワクチンが感染を拡大させる危険性を実例をあげて警告している。)

 ・菅内閣は、GoToトラベルを急に廃止し、緊急事態宣言を行うのか。
 中小企業が淘汰されるのは、消費税施策に含まれた暗黙の政策目標であり、今更問題にすべきものではない。結果的に失業者が多数発生しても、資本主義的には当然のことだ。・オリンピックは、なぜ開催しなければ、ならないのか。ナチスドイツの「ベルリンオリンピック」を見ろ。英米の反対を押し切って実現した。自民党および維新は、このナチスを暗黙の手本にしている。失業者を増やして、戦争に駆り立てたナチスに見習おう。コロナと共存を呼びかける「新常態」は、ナチスの「新秩序」から借用したものだ。

 日本共産党は、1970年代以降本当に何をしてきたのか。日本共産党の綱領には、70年代、80年代、90年代、2000年代、2010年代それぞれの10年になにが起き、どのような10年なのかを明確に区分する特徴に関する記述がない。綱領とは「そんなもの」という意見があるのは、承知しているが、「昔はこうだった、将来は共産主義革命を経て理想社会がくる」という「現在がまったく抜けている」文書には、まったく同意できる部分がなく、自分の体験を通しての関心・興味を感じることはできない。「戦ってきた」というが、その戦いはどのような具体性があるのか。この綱領から何を学ぶことができるのかがわからない。この綱領を読む一般人の多くがそう感じるのではないだろうか。過去の歴史と将来の希望的な展望だけがあって現在の行動方針、計画、計画の途中経過がまったくない会社の株を購入する出資者は、はたして存在するのか。

 「資本論と日本経済」を書かれた川上正道先生は、資本主義の発展に伴って、労働の側には、貧困者の大群が形成されることになるのだから、「日本資本主義分析の1つの焦点を経済発展と階級構成の変化におかねばならないことは、資本論の方法と成果からみて明白であろう」と述べている。「資本論から外にでないことが経済学者の使命」とした本流経済学者たちは、この1970年代以降の日本経済を分析しない、できないことによって、致命的な逸脱をしたのではないのか。この「貧困者の大群」が共産党の味方になり、革命勢力とは言わないまでも投票をしてくれる人々になるのを期待していないのではなかろうか。この貧困が個々人の責任ではなく、政府の施策の間接的な効果を通して資本主義下の労働が、この貧困をもたらしていると発言するだけで、「自分を責める」人々の心を救えるかもしれない。また、「心の健全性を維持するために、戦いを選ぶ」人が確実に存在するはずだ。これらは、山本太郎さんがすでにやっていることと同じかもしれないが、本来、日本共産党がやっているべきことではないのか。

 日本共産党は、だれからも批判を受けないように表面的な政策目的で飾られた政府の政策が、社会階層の違い、貧困や規模の違いによって、結果・負担が異なることに鈍感である。端的な例は消費税であるが、山本太郎さんと同意するまで、消費税に賛成していたのではなかったか。消費税は消費者の収入が少ないほど打撃が大きいが、小規模の事業者にとっては、従業員の給与総額に消費税率を乗算したものが、実際の人件費になるため、小規模なほど、労働集約的であるほど、人件費の負担が大きい。給与総額には、所得税、年金、社会保険料を含むため、税金等々に税金を掛けるという不当なことにもなっている。これらに気づかないことも、社会階層の分析を放棄していることの結果ではないであろうか。なお、本流経済学者たちは、再生産表式のC+V+Mを用いての経済分析にも反対していることは、注目されてよい。

 日本共産党は統一戦線という。この統一戦線は、異なる組織の相互理解から生まれるのであろうか、それとも共通の敵から生まれるのであろうか。社会階層が異なっても、その敵、または反対する政策が「本来共通なものであった」であるところに生まれるはずのものである。共産党の、いわば「だれからも批判を受けない政策または、キャッチフレーズ」は、統一戦線を形成することができるものであろうか。できるとすれば、マルクスの資本論およびレーニンをもまったく誤解しているとか思えない。

 さて、「赤旗」については、将棋の新人王戦についてぐらいしか興味がないが、もし、学問的な方向に向きを変えることができれば、コロナ対策の主張にタイミングを見計らって、免疫学、遺伝子工学の初歩的な知識を掲載するのは、どうだろうか。たとえば、家ネコの系統は数種類しか残存していないが、そのいずれも「ヒヒ」の遺伝子をもっている。ヒヒの遺伝子がウイルスの抗体を作って特定の猫の系統を保護して現存させたのかもしれない。また、40年前はネアンデルタール人、北京原人はホモサピエンス(現生人類)の直接の祖先と考えられていたが、その後、別の人類として区分され、女性のRNAを解析することで、ホモサピエンスがアフリカから世界に伝播していった経路と時期を確定することが可能になった。どちらも約40年前の知識がもとになっているので、現在では、不正確かもしれない。(後者のネタは、日本人がどこから来たかに直接つながるので、日本では社会的にタブーな話題かな?)本来、赤旗が共産党の機関紙であるならば、共産党の政策から意図的に少し外したテーマで「肩の凝らない」歴史、科学知識、医療知識を掲載する方向があるかなとは思います。

 エガリテさんは、日本共産党が本来の「共産党」であれば、一番評価されなければならない存在かと思います。政党は、知識や見解の普及の団体ではなく、実践者、行動者の団体であるはずのものなので、行動するための知識、判断、評価が自ずから主流を占めなくてはいけないはずだからです。自分が、資本論の理解に関して、見田石介氏のヘーゲル批判をとりあげたのは、そのなかに「非実践的・非行動的な認識の構造」を感じざるをえないためです。それは、また科学技術を重視するはずの唯物論者とは、異なる存在です。上向法・下向法は、哲学ノートの中でレーニンも用いていますが、それは、ヘーゲルの「主観は、実践を通して、外部世界の客観的認識を獲得し、また、主観は、実践的手段において外部世界を創造しさえする」という唯物論的発想を高く評価した直後なので、見田氏の「本を読むためだけのような」上向法・下向法とは、自ずから別物と思います。

 川上正道先生の「資本論と日本経済」が古本でも手に入るといいのですが、どこにも(ネットでも)見当たりません。40年前には古本屋にゴロゴロしていたマルクス・レーニン・マルクス主義経済学の書籍も、大手の古本屋(ブックオフ等)には皆無です。それが、日本の現状なので、日本共産党さんも将来を楽観視しないほうがいいだろうと思います。エガリテ様、また、投稿させていただくかもしれないので、そのときは、どうぞよろしくお願いいたします。      
       2021年1月8日 Araki Nadreck
 共産党は、強大な党建設を目指しているが赤旗依存では成功しない。 エガリテ
令和3(2021)年1月20日


 投稿ありがとうございます。マルクス・レーニン主義の基本に立ち返って論理展開をされており、非常に説得力があります。あなたが主張されていること、私の思っていることに近く共感を覚えます。
 ただ私はあなたの様に学問的知識から批判できる力量が無く、日常の共産党の活動を見て「違うな」と思う点を批判しています。(テレビドラマ臨場の「俺の(見立て)とは違うな」と いう感覚です。)
 貴方が批判されていること、ほぼ私がこの間批判してきたことと一致しています。今共産党に欠けているのは、大衆運動を通じて組織を大きくしていく戦いを放棄して、赤旗を増やして共産党の支持を拡大しようという考え方が最大の弱点になっています。
 すでに一般紙の購読件数が大幅に減っている中で、赤旗だけが部数を拡大することは極めて困難であり、共産党はどうしても勝てない戦いを目指しているように見えます。
 全国の共産党支部に活力がどの程度あるのかは把握できていませんが、大阪の現状を見る限り惨憺たる現状です。大阪の政治地図は、大阪維新が生まれてから、共産党は敗北に次ぐ敗北です。
 共産党は維新政治をぶっ壊し、共産党の躍進を」をスローガンに掲げていますが、選挙をやるたびに、維新は勢力を伸ばし、共産党は陣地が小さくなるばかりです。大阪全体を正確に把握しているわけではありませんが、私の住んでいる高槻などは、ポスターの張り出しやビラの配布などほとんどなされず、国民大衆に話しかけていく力が全くありません。
 大阪都構想の反対で共産党が勝利したように見えますが、これは公明党が5割ぐらいしか「賛成」に回らなかったことが大きいです。
 共産党の大阪都構想反対は、前半戦は「プールの数が減る」から反対だというものでした。そこには大阪都構想の本質をあぶりだす努力が全くされていません。これが大阪の共産党の現状です。高槻市の市会議員団の ビラ等を見ても、何が主張したいのか全く分かりません。このような状況で選挙に勝てるはずがありません。そうした現状を党中央は把握できているのか疑問に思います。
 政治には政治家としてのカリスマ性が必要です。あなたも山本太郎さんのことを例示的に出されていますが、私も山本太郎さんにものすごく魅力を感じます。彼が街頭演説を行えば多くの国民が集まり、とりわけ若者が集まってくる姿は、これが政治だと思っています。
 共産党の街頭演説は、動員された者の集まりです。山本氏の情熱が国民に伝わるのだと思っています。
貴方が指摘されていますが、共産党の政策は「すべての人が受け入れられる内容」を目指しており、自らの政党の立ち位置、政策を明確にして国民の中に入っていません。この間の共産党の政策は「大企業にも嫌われない政策」を目指しています。そのために切れ味がとても悪いのです。
 消費税の問題、コロナ対策、あるいは賃上げ闘争などすべてわけのわからない政策になっています。さらには外交政策もアメリカや、中国とどう向かい合うのかも機軸がしっかりしません。
 もう少し具体的に書くと「消費税反対」の本心は選挙の時だけであり。政府与党の出した「10%」に反対しているだけで、8%は容認しています。山本太郎氏は消費税は絶対反対だし、そのことを通じて日本の経済は発展するという筋書きを描いています。共産党は「国民が値上げがイヤ」という感情だけに訴えています。
 私は最近テレビのユーチュブで右翼の人(水島社長)の番組を見ますが、ここに集まってくる学者はすべて消費税反対論者です。彼らは共産党以上に弱者にとって消費税の廃止がいかに効果があるかを語り、同時に日本経済の発展につながるかを主張しています。
 「コロナ問題」もそうですが、共産党がダメなのは、旧社会主義の悪いイメージの中で政策が発表されていることです。「幹部会委員長の志位和夫がこう言った」という形で政策を出してきています。「志位氏が言ったからこれが正しい」という形で政策を出しています。コロナ対策では、「志位和夫委員長の声明」というのもあります。しかもその都度緊急の課題が変わってきています。
 ただ赤旗を見ていて感じるのは、昔と違い「志位委員長がこう言った」と茶坊主のような発言がありますが、同時に「無視」している場合もあります。
 最初の幹部会委員長としての志位発言は「感染者を見つけ出し隔離する」がメインでしたが、私は共産党の主張は、中国方式だ、ハンセン氏病の隔離政策を行った過去の過ちに学ばず人権無視の政策だと主張し続けました。
 これが効果があったのか分かりませんが、今度は「感染者の追跡だ」と主張をしだしました。しかし赤旗の記事を読んでいて、追跡が大事という記事はあまり出てきません。志位発言は常に上から目線であり、「感染者の治癒」という視点が抜け落ちています。

 ただ私は共産党という政党を全面批判しているのではありません。私は日本の中の良心が共産党にあると思っています。多くの党員は日本社会が平和で、国民の生活が豊かになる社会を夢み、多大な自己犠牲を伴いながら努力されていることを知っています。
 その実現への戦いが、赤旗拡大に集約され、政治家として成長できず、市会議員の人でも市の運営上はほとんど何の役割も果たしていない事も見てきています。
 1人1人が政治家として育たず、新聞の拡大や配達に大きな力が割かれ、政治に対する理論武装ができていません。
 菅政権ができて、支持率がどんどん下がっていますが、悪政が基本にあると思いますが、国民は一人の政治家として彼は失格だと見抜いていると思います。政治を目指すものは、日本はどうあるべきは、世界の中で日本はどう生きていくのか、それらのことが「語れ無い人」は失格です。政治家として、首相としてこの人はその器ではないと見切っています。
 これは市会議員、府会議員、国会議員も同じです。この人は政治家として力量があるか否かを国民は査定しています。大阪都構想が政治的立場での争いになっているのに、「プールの数が減る」という主張を行った府会議員や大阪民主新報を見て、大阪人なら「吉本新喜劇でみんながずっこける」というシーンがありますが、正にそれに値する「ずっこけ場面」です。
 共産党は何から手を付け、共産党を強固な政党に育て上げるかの方針を見直さない限り、この国で天下を取ることはできないと思っています。
 現在の共産党は立憲民主党との共闘で権力を握り、数名の大臣を出すことを狙っているように見えますが、社会党がそれを行い消滅した歴史から学ぶ必要があると思っています。

 日本共産党がおかしいのは、最近ではなく、数十年前からである。 Araki Nadreck
送信日時:2020/12/14 17:21:43


 前略
 日本共産党は、「最近おかしい」のではなく、数十年にわたって「おかしい」のだと思います。
 2020年11月13日金曜日に、日本共産党のHPから、あるレポートを送りましたが、残念ながら黙殺されました。日本共産党志位委員長と山本太郎さんが握手しているYouTube動画をみて感じた違和感を分析したものを中心として、政府のデジタル庁およびコロナ対策に対してまっとうなコミットメントを出すことができない共産党の科学技術についての認識の欠如について述べたものです。

1.日本経済の現状について、共産党の具体的な分析が聞こえてこないのはなぜか。山本太郎さんの以下の指
  摘に対して、共産党は何らかの見解をもっているのか。
 ・30年続くデフレ、1997年以降続く経済成長しない日本、国際的比較から見て政府支出の絶対的過少
 ・97年消費税5%UPと財政構造改革による国のデフレ政策と日銀による異次元緩和の効果
 ・財務省による「国民の借金」論、単なる「資産と負債」における負債は国民が返済すべき借金なのか。

2.日本共産党が現在の日本経済についての分析をしない(できない)「根深い原因」その1(以下、「資本論と
  日本経済」川上正道、1980年、有斐閣選書からの引用、ページは同書)
 ・マルクス経済学の研究を志す人々の多くを資本論の解釈学に埋没させ、資本論から外に出ないことが経済
  学者の使命という風潮をうみださせている。(P2)

3.日本共産党が現在の日本経済についての分析をしない(できない)「根深い原因」その2・見田石介氏の
  へーゲル批判(P31) 実践的、歴史的、唯物論的なヘーゲル理解の欠落「ヘーゲルの方法によると、われ
  われの思考は、いつでも対立の統一としての全体から全体へ、矛盾から矛盾へ、いつでも必然的に移行する
  ものであるから、彼の方法は必然的に、この全体そのものをその構成諸要素に分解すること、科学的認識の
  基礎である抽象、分析を否定することになるし、また彼は抽象、分析を真の科学の方法ではないとして拒け
  たのである。だが、分析を否定することは科学を否定することであり、唯物論を否定することにほかならない」 
   あまりにアホな主張に思わず全フレーズを引用してしまった。

   なにを要素とするかも未定な状態から始めて、要素を確定し、要素間の関連を規定して、全体を有機的
  な構成物として認識する。そのときにヘーゲルの有論、本質・現象論、客観としての概念論は、本当に有効
  なツールだと思える。ヘーゲルは、単なる分析的方法では「内的生命」が失われる、つまり、対象要素を
  その要素たらしめている内的関係の1部分が失われると述べている。そのことを無視して、ヘーゲルは科学的
  認識の基礎である抽象・分析を否定したと断言する。。。。外部から借りてきた「科学的認識」論をもちだし
  て批判する。マルクスは、「ヘーゲルの論理学にあらためて目をとおしたことが大いに役立った」と述べていたの
  ではなかったか。複数の要素をもつ全体が、その全体自体が複数あって多重構造をもつとすれば、結果的に
  各要素が個別の全体のなかで異なる規定をもつ、そのようなモデルがマルクスの心のなかにあったと思えてしか
  たがない。また、唯物論は単に「科学の方法」だけではなく、人間の認識・および活動においての根本的なも
  のだ。

4.川上正道先生の主張
  「資本論を資本主義分析のためのもっとも基礎的で科学的な理論として受けとめると同時に、これをさらに国
 家独占資本主義の現段階に適用できる理論として発展させねばならない」(P2)

5.日本共産党から教えてもらいたいこと。。
 1)消費税は、理論的な問題として、経済の「縮小再生産」をもたらすのか。その条件はなにか。
 2)97年以降のGDPにおける成長が止まっているのは、消費税なのか、財政構造改革なのか。
   両方なのか。なぜ、97年に消費税UPと財政構造改革を同時に開始する必要があったのか。その経済理
   論的根拠は。
 3)日本の経済は、恒常的なインフレ要因を抱えているため、一時的なビルトインスタビライザ的なものでなく同
   じく恒常的なデフレ政策をとる必要があったのか。もしそうだとすれば、消費税を廃止することは、その恒常
   的なインフレを顕在化させることになるのか。
 4)国家独占資本主義が、国家と独占資本が結託した体制であるならば、消費税、財政構造改革というデフ
   レ政策は、国独資の新しい段階を意味するのか。その新しい段階において、小泉、安倍および維新等に
   よって、構造改革路線、あえて言えば羊頭狗肉路線が遂行されていったのではないか。ここで羊頭狗肉と
   いうのは、経済成長を停止させた状態を作っておいて、経済成長を「錦の御旗」にして構造改革という総資
   本のみに分配を集中するところの「エセ」改革についてのことです。「維新」という政党もその「たぐい」です。こ
   の間の「大阪都構想」は、名前と実際との乖離というサギ的手法そのものです。
 5)資本主義における成長とは、利子率分の通貨を追加発行して、それを投資することだとすれば、通貨の
   発行量がその分増加することは、避けられない。この場合、資産量=負債量とすれば、負債も同額増加
   することになる。この流通する通貨の総額および負債の総額は、国家のB/S,C/Sとは別のものとして
   扱われるべきではないか。(これは、MMT理論かもしれない)

6.個人としての感想
 元書記長の不破さんが、改定資本論出版の意義を強調し、資本論の中に発達した資本主義国の民主的
革命の根拠を見つけたという感激を語ったとしても、我々一般国民がその感激を実感できる生活環境にいたわ
けではない。我々一般国民は、生きていくのに精一杯ではあるが、せめてこの年々苦しくなり、余裕がなくなる生
活実感が、どこに原因があるか、また、政府の政策はなぜこのように欺瞞的なのかについて、だれかに説明しても
らいたいと思っている。その説明が合理的で生活実感に直感的に合致するものであれば、その先を聞きたくなる
かもしれない。今のように、日本共産党が国民の生活に直結する経済問題に理論的で合理的な説明をするこ
とを「避けている」状態であれば、資本論なんて現在の経済を説明することができない、過去の遺物と思われて
もしかたがない。
 不破さんがその感激を語れば語るほど、逆効果になるとさえ思える。

7.日本のコンピュータ技術の遅れ
  1980年代から欧米で始まった「オブジェクト指向」の考え方は、日本では、2000年以降のJavaという開
  発言語の受容から始まったということができる。もし2000年時点で欧米に比較して20年の遅れがあったとい
  えるならば、菅総理のデジタル庁に関して、韓国のジャーナリズムが、「日本は韓国に比べて20年遅れてい
  る。しかも政府内の利害調整も済んでいない」と言及したことは、あながち間違いではないと言わざるをえな
  い。日本共産党は、コロナの医療対策、給付金支給、デジタル庁等にみられる科学技術、コンピュータ技術
  の遅れについて、どのような認識を持ち、どのような政策を持ち合わせているのだろうか。

   資本論の方法について、「ヘーゲルは科学的認識の基礎である抽象、分析を否定する」というプアな批判
  を持ち込むようでは、科学的認識に基づいた科学時術に対してまっとうな議論ができるとは到底思えない。

 最後に、このような日本共産党に対する批判は、どのように位置づければいいのだろうか、レーニンの哲学ノー
ト大月書店、1970年版、マルクス・エンゲルスの著書<聖家族>の概要P25からの引用してみたい。

 フランス人とイギリス人との批判は、人類の外部にある、あの抽象的、彼岸的な人格のようではなくて、社会の
働く成員であり、人間として悩み、感じ、思惟し、また行動する個々人の現実的・人間的活動である。だから、
その批判は同時に実践的であり、その共産主義は1つの社会主義である。すなわち、そのなかで、彼らが実践
的な手でつかめるようなはっきりした方策を与え、そのなかで彼らが思惟するだけでなく、さらに行動する、そのよう
な社会主義である。彼らの批判は現存社会の生きた、現実的な批判であり、<没落>の原因の認識である。

 草々                   2020年12月14日          

 貴方の批判は学問的で難しいですが、私も同感します。   エガリテ
令和2(2020)年12月18日

 
 投稿ありがとうございます。

 あなたのご意見は専門的で難しく、私にはわかりかねますが、最後のレーニンの哲学ノート引用は、私も同感です。
 まず「最近おかしい」のではなく、数十年にわたって「おかしい」のだと思います。という指摘には、同意せざるを得ないと思っています。
 私が大学生の時の共産党には活力がありました。選挙でも倍々ゲームで勝ち、世の中が変わる展望を持てる時代がありました。しかし私は30歳ごろから疑問に感じてきました。この政党は何を目指しているのか、わからない世俗的な政党になったなと思いました。
 赤旗拡大に最大の力を使い、「正義委の味方、真実の友、」というフレイズを掲げ、地区の集まりで赤旗の料理欄が主婦に受けている。これを宣伝の武器にしてほしいという指導には驚かされました。同時に市会議員の奥さんが手を上げ、一般紙には織り込み広告が入っているが、赤旗には「安売りの宣伝や、ポイント」等が織り込まれていないから、赤旗拡大が上手くいかないというような発言がありました。
 これらの会議に出ていて、私は大きな失望感に追われていきました。そういう意味では数十年前からおかしかったと思います。
 あなたが言われるように共産党の消費税政策、コロナ対策すべて私もおかしいと思っています。あなたは経済理論として批判されていますが、私は経済論ではなく、選挙政策として全くおかしいと思います。共産党は値上げのたびに反対します5%から8%値上げ反対、8%セントから10%反対、この段階で前の値上げを認めています。山本太郎氏は消費税の絶対反対を掲げています。これは経済政策としてこれが日本の経済の発展につながるという視点で戦われています。 共産党の政策は、票を取るための反対です。ここに共産党の没落があります
 コロナ対策も同じです。急に国家主義的な目線からコロナ対策路線を出しています。「隔離」だとか「追跡」だとか感染者が悪者(犯人)のような言葉使いをします。ここでは自民党の方が人権に配慮した言葉を使っています。
 すべては票を如何に獲得するかにポイントを置き、国民の命や財産を守ることを中心に据えていません。コロナ政策でもコロコロ変わり、志位委員長がこう言ったと言いますが、いつの間にかその言葉は死語になっています。
 今日の赤旗6面で「おはようニュース問答」という欄がありますが、この記事にも共産党の弱点が出ています。以下に引用します。
 晴男 だいたい、感染拡大の影響が表れるのが2週間後だと日本共産党の志位和夫委員長も指摘している。さらに2週間も「Go To」を続けて、医療が手薄になる年末年始に感染症や重症患者が増えれば、大変なことになりかねない。

 ここに共産党の弱点が出ている。「感染拡大の影響が表れるのが2週間後」だという判断をだれがしたかは知りませんが、少なくとも志位委員長で無いことは明らかです。当然医療関係者から出た言葉だと思われます。志位委員長がこのような判断ができるはずもなく、志位委員長が言ったからこの判断が世間の常識になったわけでもありません。
 このような提灯記事を書くものが出世する異様な社会(組織)を作ってしまっているのです。数週間前にアメリカの大統領選挙の行く末を開票後もトランプが勝つとユーチュブで言っていた人がその根拠に大川隆法氏がそういていると発言され、びっくりしましたが、それと同じ次元です。このような組織に堕落させてしまった共産党に躍進はありえないと思っています。
 あなたの批判は学問的で鋭いですが、私は共産党の今の姿の弱点をコツコツ暴いています。こんなバカなことをしていて労働者の政党か、忖度政治が批判されているが、共産党も同じ次元で政治を語っていることを自ら気付くべきだと指摘し続けています。

  「山本太郎の爆発的な威力」が「大阪都構想」を打ち負かした。 たつみ コータローファン
送信日時:2020/11/07 23:35:49


-「山本太郎の爆発的な威力」
 今回の大阪市廃止住民投票は紙一重で否決された。潮目が決定的に変わったのは山本太郎が参戦してからと私は見ている。賛成票が多いと思われた若年者、勤労男性向けの仁義なきシリーズを捩った動画。ディスプレイを活用した演説。反対一辺倒ではない経済講義と見紛うような演説内容。イデオロギーを感じさせないメンバー。この効果は大きかった。梅田の最終日の演説はあらゆる陣営よりも聴衆が多かったのではないか。維新は山本太郎に脱帽しれいわ新選組の影響で5000票逃げたと総括したが私は20000票賛成から逃げたと見ている。言うなればれいわ新選組は普通の活動、真実のみを訴えた活動のみを行ったに過ぎない。しかし他陣営が参戦を境に一気に勢いづいたのは事実。
 日本共産党も参考にすることが多いのではないか。住民投票で勝ったとは言えど油断してはならない。前回は気が緩み維新の伸長を許した。手を緩めずに徹底的に維新を倒さなければならない。先ずはこれが最大目標だろう。

 10代、20代の若者の反対が多かった。これは山本太郎さんの奮闘が大きかったと思います。  エガリテ
令和2(2020)年11月12日


投稿ありがとうございます。

 大阪都構想は紙一重で反対が多数を占めて廃案に追いやることができました。あなたが言われるように山本太郎氏の活躍は大きかったと私も思っています。彼の演説には多くの人が集まり、若者を引き付ける魅力も持っています。これが本当の政治家だと思います。
 このHPでも何回も批判したように共産党の主張は全くピンボケでした。最終盤になって大阪維新の本質や、大阪都構想が何をもたらすかなど幅広い批判が展開されました。これには様々な分野から大阪都構想反対の意思表示が行われ、いろんな考えを持っている人に理解される内容のものに仕上がっていました。この最終盤の批判の論点の広がりも私は大きかったと思っています。
 これを機に維新や公明党が大阪の政治情勢の中で力を落とすことを願っていますが、大阪府の共産党は全くピンボケであり、大阪市会議員団長の発言のみまともに見えました。最後の最後まで共産党は大阪都構想の本質をつかめなかったと思っています。
 今後の維新との戦いもおそらくピンボケになり、まだまだ大阪での維新の影響を抑えることには成功しないと思っています。
 山本太郎氏の演説は聞いていないのですが、れいわ新選組の出したビラは立派なものでした。大阪都構想を推進する維新の狙いと、その内容が市民の利益にならないことを浮かび上がらせていました。
 共産党はこうした力さえ失っています。選挙ごとのじり貧は避けられないと思います。大阪府委員会の幹部を変えない限り、大阪の再生は難しいとみています。

  大阪都構想の成否の再度の住民投票は、法令違反である。      たフたつみ コータローファン
送信日時:2020/07/16 18:30:21


 維新が大阪市廃止の住民投票を企んでいるが多勢に無勢、可決は避けられない見通しになった。しかし5年前の法的拘束力のある住民投票で一旦否決されており再住民投票自体が本来であれば違法。日本共産党の支援団体は再住民投票は違法ということを様々な団体と共同して訴えるべき。今の裁判所の体質から勝訴は望み薄だがやる価値はある程度はあると思う。

  大阪と構想の再度の住民投票が違法か否かの判断基準を持っていません。申し訳ありません。 エガリテ
 令和2(2020)年8月1日

 投稿ありがとうございます。

 掲載が遅れてすみません。実は私は大阪都構想に関してあまり関心を持っていません。それは大阪維新が
何をしようとしているのか? あるいは共産党をはじめとする反対者は何を主張しているのか、その争点というか
接点が全く伝わってきません。
 私の居住は大阪府下の衛星都市ですが、大阪都構想の議論は全く入ってきません。大阪民主新報を見て
も何が争点か今一つ分かりません。
 私の関心は「こんないい加減なものを看板に掲げても選挙では勝利できる」そのメカニズムについて興味があ
ります。橋下徹という人物はまさに政治家だと思います。(注1)

注1:私は橋下徹氏、が2008年1月知事選挙で1,832,857票(得票率54.02%)を獲得した時、相当驚き
    ました。政治家は選挙戦で個人の魅力が相当影響すると前々から思っていましたが、橋下氏の獲得し
    た得票には恐れ入りました。(化け物だなと思いました)
      その後調べて見たら、1995年大阪知事選挙で横山ノック氏が1,625,256票(得票率42.06%)獲
    得している。さらに横山ノック氏は1999年知事選で2,350,959票(得票率67.64%)も獲得している。
        大阪人は「面白い」という価値観を政治の場でも一番優先する人種である。横山氏の政界への進出
        は1989年参議院選子で804,626で当選。3年後の1992年の西川きよし氏も975,593票で当選して
        いる。ここに問題の本質があると思っています。

  前回の住民投票では反対派が勝利しましたが、ほぼ互角の戦いであったと思っています。
前回の投票後、反対に回っていた自民党や公明党は賛成に舵を切っています。なぜ反対派が多数であった
その方針を変えるのか、ここには市民不在であり、大阪維新と真っ向から戦えば自らの党の国会をはじめとす
る議員選挙で不利になると考え賛成に軌道修正したとみられます。何か大阪市民不在の戦いだと思っていま
す。
 もともと大阪維新の橋下氏が2008年大阪府知事選挙に当選したことが主要な原因です。2011年大阪
府知事に松井氏を立候補させ、彼は市長選挙にでて当選しています。そこで彼が最も力を入れたのは、労働
組合や大阪市という独特の村社会が構成されており、市民と大阪市が一体となって行政の私物化を行ってき
た歴史があると彼は判断し既存の権力基盤の破壊を橋下氏は行ったと見ています。大阪の市長は歴代庁内
から担ぎ出された人物が担い、2007年の平松邦夫氏が初の民間企業出身者です。このような閉鎖社会に
橋下氏は目を付け次々と既存の権力との戦いを進めてきた。その一番に上げたのが労働組合であった。さらに
彼は同和問題については親近感を感じながらも、今までの弊害を取り除くことにも力を入れた。(例えば、彼は
文化や芸術潰しにも力を入れたが、解放同盟の聖地であった大阪人権博物館(リバティー大阪)への補助金
等を打ち切った。・・・つい最近(2020年5月末)閉鎖された。)大阪市を牛耳っていた権力構造の解体を推
し進め、自らの独裁体制を築いて行った。
 平松氏が市長になっていますが、それ以前は外部から大阪市長が実現することが困難な状況にあったのでは
ないかとみています。労働組合と当局は全く敵対しているような姿勢を示しながら、裏ではお互いに協力して
解放同盟の理不尽な要求を実現する行政を行ってきたのではないかという疑いを私は持っています。
 橋下氏は大阪市長選挙を戦った際に、これら旧態依然たる権力構造をつぶすことが大切だということを選挙
戦を通じて感じてきたと思います。
 橋下氏は大阪市の権力構造の解体を狙い、労働組合の弱体化や、市のOB等の組織等切り込んでいった
のではないかと思われる。
 大阪都構想も、いろいろ理屈をつけているが、彼は旧権力基盤を潰し、大阪維新の会が大阪府全体を支
配していく組織作りだと私は見ています。
 大阪都構想の戦いは旧大阪府・市を握っていた権益をすべて剥ぎ取り、大阪維新がすべての権力を押さえ
ようという戦いであるのに、共産党は本質問題に触れず、こまごました内容で戦っていては絶対に勝てません。
例えば2015年3月「たかじんのマネー」という番組で大阪都構想の計画案についてテレビで府会議員による
討論会が開かれたが、出席したのは橋下徹氏と高槻・島本地区の共産党府会議員の宮原氏だけであった。
橋下氏まず宮原氏をほめちぎり、それから討論になったが、宮原氏の主張は市営プールが半分になるというよう
な主張をしていた。市民の判断はそんな些細なところにあるのでなく、どの政治家に大阪府・市を任せば、
我々の暮らしが楽になるかを見ている。この人物評価で負けている限り絶対に勝ち目がない。相手の本質を
暴ききれない限り勝利は生まれない。
 まじめな共産党員は大阪都構想が如何にいかがわしいものか一生懸命訴えている(プールの数が半分に
なる)と思われますが、市民はそんな些細なことは分からず、どの政治家が信用できるかで見ている。橋下氏、
吉村氏、松井氏が政治家としてその信頼を確保している。共産党もこの作業を行わない限り絶対に勝てない。
 共産党の人はみんないい人である。しかし政治は良い人を選んでいるのではなく、政治的能力があるか否か
を見ている。このコロナ禍で、吉村氏は次々と政策を打ち出し、世論調査の中でも彼が一番役に立つ政治家
として認められている。この力が共産党にはまったくない。
 今日別紙でコロナ対策に対する共産党の政策の間抜けさを書こうと思っているが、全くのピンボケであり、その
ことに気が付いていない。少しだけここでも書くと8月2日版の赤旗日曜版で6面に志位委員長が一面を使っ
てコロナ対策を訴えている。7面に東京都医師会会長のインタビュー記事が載っている。この2つの記事は見
開きで見える。その内容は圧倒的に尾崎会長の方に迫力がある。なぜ、志位氏がダメなのか、最大の見出し
は「『感染力ある人』」把握がカギ」である。政治的な発言では全くない。尾崎会長は「感染爆発抑える時」
であり、中見出しは「防止策示さない政府『Not go to』こそ必要」と書いている。
 この方がずっと政治的である。もう一つ志位氏の中見出しには「緊急事態宣言回避のために」という見出しが
あり、その中に「ただ、やみくもに検査を広げても解決できません。」と書いている。この主張は自民党の主張と
瓜二つである。
 どれをとっても間が抜けている。これでは大阪維新には勝てない。鋭さが全く違う。

 お詫び:大阪都構想の再度の住民投票は違法だとの指摘に全く答えていなくて、別の論点を書いてすみませ
      ん。勉強不足であなたの主張が正しいのか私には判断できないので、このような返信になりました。
       いつも投稿ありがとうございます。
   

参考1:「大阪都構想」反対の共産党の戦い方の稚拙さは目に余る(平成27年3月22日)
参考2:コロナ問題での共産党の間抜けさを暴露した赤旗日曜版(8月2日号)

     党幹部、号令以外に何してる?     元党員 B
送信日時:2020/05/17 18:41:43


いつもお世話になり、ありがとうございます。
 さて、緊急事態宣言を理由に減ページが実施されていますが、価格は据え置かれています。これは、コロナ便乗値上げではないでしょうか?

1.5月末で、しんぶん赤旗日刊紙の購読をやめる旨担当支部に伝えました。
 下記、編集局&中央委員会宛メールが自然承認された(=返信なし)ためです。
  ★To 赤旗編集局、日本共産党中央委員会    2020/04/26 12:07
    5月中に改善されない場合、購読を中止します。
                               **市 ***

2.エガリテ様もご指摘のとおり、このところ党勢ジリ貧の危機と拡大を訴える記事が頻繁に掲載されていま
   す。
  拡大の意義と客観的可能性を説き、綱領・大会決定・常幹声明などを読んで奮闘せよ!の大号令。
    「私も全力で頑張ります」などと記事の最後を締め括る幹部がおられる党本部には、上記私のメールを
   いなす知恵も開封通知を返す社会常識もないのが実態です。党幹部の本気度が疑われます。
   配達体制を守り抜く訴えもありますが、「幹部が早朝配達している記事」掲載の過去提案も無視。党
  費で養われているはずの党幹部は、ボランティア党員に党衰退の責任を転嫁することにしか関心がない、
  自らは汗を流さぬご貴族様のようです。

3.今に始まったことではありませんが
  ・減紙の原因分析とその対策の記事や資料を見た記憶がありません。離党についても同じ。「対話でき
      れば今度は共産党、理解が進めば、次他党(実態を知ると他党支持に逃げる)」放置と同じです。
   党幹部の怠慢があぶりだされるために避けているのでしょうが、党方針以外では貴重な記事も多い機
     関紙が減紙を続けるのは実にもったいないです。
  ・「私達の活動をはかる基準はあくまでも自ら決めた目標におかなければならない」(2013年11月9中総
     など)と叱咤を続けるが、「850万票に見合う」目標を「自ら」決めさせた党幹部は無反省。企業でも目
     標が上から降りてきますが、達成時は社員の成果、未達時はTOPの責任、が一般的と思います。
  ・最大25%(4ページ)も減って貴重になったはずの紙面にいまだ宝くじ類の当選番号を掲載。NET検
     索能力のないギャンブル大好き幹部への忖度でしょうね。

4.改定綱領学習講座読了率のご記載がありますが、5月3日の記事では、大会決定文書類のほんの一
    部の綱領部読了率もたったの32.3%です。
   大会決定を読めば元気が出る(=未読党員が悪い)というだけで、読了率半減=魅力・読む価値低
   下に気づかぬふりが続いています。

  赤旗中心の党活動はいずれ行き詰る。路線変更を早く決断する必要がある。   エガリテ
令和2(2020)年5月21日


投稿ありがとうございます。

 共産党の再建の課題はたくさんあると思われますが、党中央は赤旗の部数ですべての判断を行い、その責任を下部党員に押し付け、「頑張れ・頑張れ」とはっぱをかけているだけのように見えます。
 各級機関で改善することが沢山あるのに、赤旗拡大だけを叫んで下部党員を疲弊させるだけの運営は、組織として無責任体制です。
 すべての根源はお金だと思います。赤旗は党にとって最大の資金源です。100万部を割ると赤字になり共産党という組織が持ちません。これを拡大で乗り切ろうとしていますが、既に一般商業紙も部数が減りつつあり、時代は「紙」から「デジタル化」へ流れており、これに逆らっても成功しません。ここは切り替えの発想が必要です。

 私は政党助成金をもらうべきだと思っています。そのことによって党の財政再建を行い赤旗は政治宣伝の武器として運用し、今のような無理な拡大運動で党員を疲れさすことから開放すべきです。
 
 赤旗拡大にいくら力を入れても、100万部を乗り越えていく事はもう無理です。末端の党の現状をしっかり見て判断すべきです。

 私が住んでいる大阪の高槻市では、共産党は市内にポスターを貼りだすことも、ビラをまくこともできません。この理由が党員の老齢化が原因か、それともお金がないからできないのか私にはわかりませんが、党の勢いが落ちていることは分かります。
 駅から家に帰るまでおよそ18分歩きますが、共産党のポスターは1枚も目にしません。自民党や大阪維新や公明党はポスターを要所要所に貼りだしていますが、共産党のポスターはありません。また共産党のビラも全く目にしません。今日久しぶりに共産党のビラが赤旗に折り込まれてはいっていましたが、その内容は、「くらしの応援」という見出しで行政が出すべきお知らせです。
 〇国の特別給付金という見出しを掲げ、
 @一人10万円支給されます。A高槻市は申請書を5月15日から今月末にまでに郵送します。Bマイナンバーカードがなくても申請できます。C本人照明のコピーが必要ですが、国民健康保険証、後期高齢者医療保険証、年金手帳、運転免許のいずれかでよいです。D口座番号が書かれている通帳のコピーが必要です。と書いて申請書がコピーされています。
 これでは行政が出す文書と何ら変わりません。共産党が出したビラだという特徴がどこにもありません。
 私はこの給付金の手続きに様々な問題があると見ています。@の一人10万円支給に対する共産党の主張が必要です。A高槻市の申請書の送付日を書いていますが、なぜ15日から今月末までかかるのか、これでは6月支給になってしまう。(本当に困っている人の側に立っているのか)この点を共産党は質したのか、少なくとも共産党はもっと早く送付せよと迫ったがこうこういう理由で遅くなったぐらいの説明が必要です。Bマイナンバーカードがなくても申請できます。と書いていますが、もともと行政側の説明にマイナンバーカードが必要と書かれていません。テレビでマイナンバーカードの申請は失敗続きでこの方法をやめた市もある中で、なぜこのような書き方をするのか理解に苦しみます。そもそも共産党はマイナンバーカードには反対だと思います。マイナンバーカードでの申請が前提のような表現に違和感を禁じえません。
 C本人の証明が必要ですと書かれ国民健康保険所等をコピーせよと書いていますが、その次にD口座番号の書いている通帳のコピーも求めています。この方式も馬鹿げています。役所から住民基本台帳に基づき申請書(家族の氏名を記載したもの)送り、この申請書を手に入れられるのは本人に限られています。万一配布誤りや、ポストから抜き取られても、通帳のコピーは本人しか提出できません。国民健康保険証も役所から住民基本台帳をベースとして送られており、この健康保険証と今回の申請書は本人確認書類としては同じ価値しかありません。(運転免許とかパスポートならルートが違いますし、写真が載っていますが・・)申請書と貯金通帳の提出があれば、ほぼ100%本人確認はできています。
 こうした役所の馬鹿さ加減を何も批判しない文書を、共産党が送る必要があるのですか?テレビでお笑いタレントのカズレーザが、「マスクも10万円の申請書は来ないが、税金の請求だけは何回も来る」このような視点がないとだめです。
 少なくともこの申請に当たって、共産党はどのような活躍をしたのか、その奮闘ぶりを何ら示さず、行政の広報と同じものを送る共産党の間抜けさには恐れ入ります。
 赤旗(5月6日付)の最後のページ一面「新型コロナQ&A 暮らしと営業 お役立ち編」が既に配布されていました。この時の相談はすべて行政の窓口でしたが、今回のビラは相談先は共産党議員団や地区委員会になっています。この点だけが改善されています。(私は既にこの苦情を挙げていました。「新型「コロナ」に対する共産党の主張は何か、明確な主張ができていない。」5/6日)

 少し話がずれましたが、多くの点で共産党の活動は見直しが迫られています。その具体例として挙げてみました。その他最近のHPにUPした文書すべてにそのような視点で書いています。

 共産党の立て直しには、抜本的な改革案が必要になっています。その最大のものは党活動の中心を赤旗拡大から脱却することです。いずれこれは現実のものとして突き付けられます。最後まで追い込まれるか、いち早く決断するかは、党指導部の力量にかかっていると思います。
  


令和元年版を見られる方はここを「クリック」してください。