政治用語は正確にー赤旗、大阪民主新報の見出しの文字(10月29、10月30日版)

  赤旗は「橋下氏の横暴」、大阪民主新報は「暴走政治」



  共産党は橋下知事の政治手法の評価を迷っている。(定まっていない。)赤旗と大阪民主新報でまた違う。さらには大阪府委員会発行のビラもまた違う。
 赤旗は「独裁」という規定が出たり消えたりする。大阪民新報は「独裁」を一切使わない。梅田候補のビラは、「安全・安心の街づくり」どこかの防犯ビラのようで全くのピントはずれを垂れ流している。

  本日の赤旗は「独裁」から一歩後退し「橋下氏の横暴」になっている。大阪民主新報は「暴走」になっている。「独裁」「横暴」「暴走」政治は果たして同じ意味でしょうか?共産党は政治的用語である「独裁」をなぜ使用することをためらっているのか疑問が残ります。

  「独裁」と聞いて最初に頭に浮かぶのは、旧社会主義国や現在中国の事実上の「一党独裁」である。共産党は「独裁」いう言葉が社会主義と結びつきやすく、「独裁」という批判は自分に逆に降りかかってくると思って避けているのか、はたまた橋下徹という人物の本質が見抜けないのか不可思議でたまらない。
 「独裁」は政治的用語であり、科学的に定義できる用語である。それに対して「横暴」や「暴走」は「政治的な用語」ではない。
 「暴走」で最初に思い浮かぶのは、「暴走列車」である。「横暴」で思い出すのはワンマン経営者などの立ち振る舞いである。これらの用語は橋下氏の一定の特徴を捉えているようではあるが本質を捉えていない。

 彼は政治家である。その特徴は政治的用語で括る必要がある。それはまさに「独裁」である。なぜ「独裁」が正しいのか、それは独裁は民主主義に対する反対概念であるからです。「横暴」や「暴走」はやりすぎやという次元である。橋下氏になぜこんな支持が集まるのか、それはそれは「暴走」しているからである。小泉の発言と橋下徹の発言は瓜二つである。小泉は「自民党をぶっ壊す」といって大勝利した。橋下徹はこれに習い「大阪市をぶっ壊す」という勇ましい言葉で大衆をひきつけようとしている。

 その際、「横暴」や「暴走」では「敵」の本質攻撃したことにはならない。彼の状況を客観的に述べたのに過ぎない、これは暴走に拍手をしている市民の支持を引き剥がせない。彼は「独裁」、「ファッショ」ですよ、民主主義に敵対し、ヒットラーのようなことをたくらんでいると宣伝しない限り、彼への幻想から市民は目を覚ますことはできない。

  共産党はいつ目を覚ますのか、それとも何か思いがあるのかわからない。