共産党の原子力政策は何か(いまだ揺れ動いている)
       「さよなら原発」一千万人署名が原発反対の運動の主導権を握る。



 3.11の震災に伴う福島原発のメルトダウンは、原発を54基も有する日本の国家の在り方に大きな警鐘をもたらした。この時点でどのような方針を出すかで政党の真価が問われていた。

 日本共産党は震災後に行われた一斉地方選挙で、「安全優先の原子力政策」という「訳の判らない政策」を発表し、具体的には「原発の安全点検」を訴えてこの選挙戦を戦った。(結果は見事に惨敗した。)

 その後共産党は5月1日のメーデーで「原発ゼロ宣言」を行い、6月13日には志位委員長が「原発ゼロ宣言」の中身を記者発表した。現在の共産党の原発政策はこの時発表されたものを踏襲していると思われるが、共産党は国民の原発反対の世論に押され、じわじわとその政策を変更(スライド)している。

<共産党の「原発ゼロ」とは何か>・・・・原発からの段階的撤退論

 「原発からのすみやかな撤退、自然エネルギーの本格的導入を」「国民的討論と合意を呼びかけます」(2011年6月13日 日本共産党)の内容は、「1.福島原発事故が明らかにしたものは何か、」、「2.原発からの撤退の決断、5〜10年以内に原発ゼロのプログラムを」としています。その「(3)で「原発ゼロ」にむけ、原発縮小にただちに踏み出す。」といています。ここで確認しておく必要があるのは、共産党は「原発絶対反対の立場」を取っていないことです。 

 共産党の主張する「原発ゼロ」は、5年から10年かけて原発をゼロのしようというものです。いうならば「原発段階撤退論」です。(共産党はこれを隠していますが。)

<さよなら原発運動は我々に何を突き付けているか>
      =人間は核と共存できない=

  これに対して「さよなら原発」1千万署名を集めている市民団体(以下「さよなら原発派」という)の主張は「人間は核と共存できない」です。この違いは何を意味するのか。「さよなら原発派」は、核問題を原発という矮小化した次元で捉えるのではなく、原子力爆弾を含むすべての核に反対しているのです。

 この違いはさよなら原発集会での主催者側の主張を見れば判ります。

  •  鎌田さんは、このさよならは、「もう絶対に会いたくないという意味での「さよなら」が、原発に対する私たちのメッセージです。」と主張しています。
  • 大江さんは、原子力によるエネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴います。と主張しています。
  • 内橋さんは、「技術が発展すれば安全な原発は可能である」とする安全神話の改訂版が新たな装いを凝らして台頭しつつある点に注意しなければなりません。原発を持ち続けたいという意図の裏には何があるのでしょうか?それは、私たちの国が「核武装」、「核兵器で武装」することが可能となる潜在力を持ち続けたいとする政治的意図だと思います。
  • 落合さんは、容易に核兵器に変るものを持つことを、恒久平和を約束した憲法を持つ国に生きる私たちは決して許容してはならないはずです。

 この4名の主催者の主張を見れば、共産党の主張と明らかに違います。彼らの主張の根本は、「人間は核と共存できない」という思想に根幹に「核物質」を人間が利用する(いじくる)ことに反対しているのです。

 さらには、原子力爆弾に反対する運動の延長線上に「さよなら原発」の運動を捉えています。

 このことが簡単にわかるのは「さよなら原発派」のビラを見れば明らかです。2011年9月7日発行のビラは、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマとキノコ雲を書き、大きな「×」を付けています。今回の福島の原発メルトダウンによる放射能汚染による住民の被害(命の安全を脅かされた事象)を原爆と同じ次元で捉え反対しているのです。

 このビラはなかなか面白いです。共産党が封印している言葉が多数出てきます。「避難・移住の権利を!」「子どもたちを放射能からも守ろう!」(子どもに原発や病院の放射線管理区域の1.6倍も多く被爆しても良し、とする方針は許せません!)、「津波より地震のゆれが事故の原因」(配管を問題にすると運転再開できなくなる!?)、「2012年を全原発停止年に!」と書いています。彼らが原発絶対反対派だと良くわかります。

<共産党の原発政策は、なぜ分かりにくいか>

  =それはごまかし続けているから=

 共産党の政策「原発ゼロ」は段階的縮小論です。しかしこれでは戦えないことを共産党も理解し始めています。現在共産党は「原発ゼロ」という言葉を「2012年全原発停止年に!」という内容に摩り替えて、あたかも共産党も原発絶対反対勢力だと踏ん張っています。

   しかし、すでに国民は共産党のこうした胡散臭さを見抜いています。本日(6月16日付)赤旗一面トップは、「大飯再稼働許すな」「官邸に1万人包囲」という記事があります。そのリード部分に「思い思いのゼッケンやプラカードなどを持ち寄った人たちが」と書いていますが、写真を見る限り「原発ゼロ」は一枚もありません。読み取れる範囲で読んでみますと「・・・・やめろ」、「原発と東電最終処分場行」、「大飯原発再稼動に断固反対」、「大飯原発稼働阻止」、「原発はいらない」、「福島第一原発20キロ県内に取り残された動物たち、この悲劇を二度と繰り返してはならない」などです。共産党の掲げる「原発ゼロ」は一枚もありません。なぜならこれは運動方針にはなりにくいですから。(何時ゼロにするのか曖昧さを残している)ついでに、赤旗15面にも「この瞳守って」というすばらしい写真がありますが、この写真のゼッケンも「大飯原発再稼働絶対反対」です。

 ところが、赤旗2面の衆院経産委員会での記事は、事故前の不作為未解明”再稼働は論外”という記事が載っていますが、記事の最後は「「これで”安全”といって再稼働に走るのは論外だ」と批判した」と書かれていますが、この論理は安全なら良いになってしまいます。原発反対の国民の姿を伝えながら、国会では「安全神話」の議論をしている。これが共産党の限界です。

 さらにとんでもない記事が見つかりました。またもや大阪民主新報(6月17日付)一面です。ページ一面を使って原発再稼働も消費税もノー!!」という記事を載せています。上半分が原発の記事です。この見出しが「原発メリット何もない」というものです。この見出しを見ておかしいと思わないものは、全くの政治音痴です。

今、原発問題は人類の生存に関わる問題として戦われているのです。大江健三郎さんは、さよなら原発集会で「原子力によるエネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴います。」と主張しています。「何かメリットがあるか否か」の戦いをしているのではありません。国民の半数以上はすでに絶対反対です。(注1)共産党がいくら原発反対を叫んでもこんな見出しを出している限り、誰も信用はしません。

注1:本日付(6/17)毎日新聞は社説で、「脱原発の流れを止めるな」という記事を載せている。(大阪民主新報より
     反原発の立場を取っている)その記事の中に、毎日新聞が行った世論調査を載せている。大飯3,4号機の
    再稼働を「急ぐ必要はない」と答えた人が71%に達した。「夏までに原発が稼動せず、家庭や職場で電気の
     使用が制限された場合、あなたは我慢できますか」との問いには、77%が「できる」と答え、「できない」の19%
     を大きく上回っていた。と発表している。

<日本共産党の平和運動の理論の原点>

 =共産党に突きつけられている課題=

 平和運動及び核兵器反対運動で、共産党の理論を振り回し、平和運動に分裂を持ち込んだ経緯があります。以下はその当時の理論的支柱であった上田耕一郎氏の主張を紹介し、共産党は今も引きずっているのか、それとも清算したのか問いただしたいと思います。この点を明確にしない限り、平和運動での共産党の足場は確保できないと思われます。

上田耕一郎 マルクス主義の平和運動 大月書店 に収録されている論文

1.アメリカの核兵器は
  けっしてたんに「保有」によってのみ「政治の手段」であるのではなく、まさに使用において最も危険な「政治の手
 段」である。

  他方社会主義の核兵器は、

       第一に、帝国主義の核兵器「使用」を防止するために「保有」され、

       第二に、世界的な平和運動を結合して、全般的軍縮を帝国主義に強制する政治的、軍事的前提を作り出す
                 ために「保有」される平和の手段である。

         (1962年「前衛」11月号 「ソ連核実験と社会主義の軍事力の評価」)

【解説】帝国主義の核と社会主義の核は本質的に違う、社会主義の核兵器は「平和の手段」であると言い切ってい
        る。・・・ここに共産党の平和運動や核に対する考え方の基本がある。

 共産党はこの理論を現在どう発展させているのか説明しない限り、共産党の原子力政策には常に疑心暗鬼に陥る。

2.「核兵器対人類の対立」 

 ★社会主義の防衛的軍事力は、帝国主義の侵略的軍事力に対抗する必要な限り、引きつづき、発展させられな
   ければならない。「核兵器対人類の対立」という現実を理由に、この努力を一切拒否することは、現実に
  は平和のとりでとしての社会主義と人類を無防備のままで帝国主義の侵略にさらされることを意味して
  いる。

     (1962年「前衛」10月号 二つの平和大会と修正主義理論)

★帝国主義を敵とするのではなく「核兵器を敵とする人類的立場からの平和運動」が必要だとか、「いかなる
  国の核実験にも反対」すべきだとか等々のゴッタ煮が、その根底にある帝国主義の侵略性に対する信
  じがたいほどの過小評価ないしは無視から発していることを示している。
 
 (1063年7月9日、10日 「アカハタ」 核戦争防止と修正主義理論)

 【解説】共産党は「核兵器対人類の対立」という考え方を「絶対的平和主義」、「修正主義」として批判していた。現
          在「さよなら原発」派は、まさに「人間は核と共存できない」という「絶対的平和主義」である。共産党はこの
          間、赤旗で「核と人類は共存できない」という主張をしたことが無い。現状においても、共産党は「人間は核
          と共存できない」という考え方に批判的なのか。これについても明らかにしなければならない。

 また共産党は、綱領においても、原子力の平和利用を掲げていた。(注2)

注2:日本共産党綱領(1994年7月23日 一部改定)

    党は、原子力の軍事利用に反対し、自主・民主・公開の三原則の厳守、安全優先の立場での原子力開発
  政策の根本的転換と民主的規制を要求する。

  共産党は党の方針は一貫していると常に主張する。今現在、党はこの平和利用について、どう思っているのか明言しない限り、党の原発政策は信用されない。

  現に一斉地方選挙の党の原子力政策「安全優先の原子力政策」は、上記1994年綱領と同じ立場である。(この方針は、国民に受け入れられなかった。)

<「誤り」を認めない共産党は一人前の政党として成長していない>

  =「一貫性」と「無謬性」を放棄しない限り、国民は共産党を支持しない=

  共産党の最大の弱点は、政策の一貫性の主張と、無謬性の主張にある。共産党が橋下市長を目の敵にするのは、橋下氏は思いつきで政策を語り、まずくなったら撤回するからである。共産党の支持者は「嘘つきペテン師」と吠えまくるが、所詮は犬の遠吠えである。国民(市民)を見方に付けたものが勝ちである。君子豹変するという言葉があるが、政治の世界では一定こうした考えを容認する土壌がある。

  これに対して共産党は「一貫性・無謬性」にこだわるため、間違いが認められずずっと引きづっている。その中でも典型的事例が原発(核)政策です。

 しかし、福島原発のメルトダウンで、共産党の主張、「社会主義国の原爆(核)は平和の手段」だとか、「原子力(核)の平和利用」等の理論は吹っ飛んでしまった。原発のメルトダウンという、この現実を目の当たりにして国民は「人類と核の共存」はありえないと直感した。

 今回の事故後原水禁系の運動は盛んだが(さよなら原発1千万人署名など)、原水協系の運動が全く見えない。(「人類と核兵器は共存できない」という主張を「絶対的平和主義」「修正主義」と批判してきた。)運動論的には決着がついたのではないかと思われる。(注3)

  共産党は、従来の共産党の平和運動論、核兵器廃絶の戦いの運動論の清算を行わずに、「さよなら原発」集会にもぐりこみ、自らの運動のように宣伝しているが、先に見たように「さよなら原発派」と共産党の考え方は一致していない、     

 共産党は自らの政策の弱点がバレル事を恐れ、赤旗やビラ等で「「安全神話」を打ち破ろう」と盛んに宣伝しているが、さよなら原発集会での内橋さんの、基調提案、「「技術が発展すれば安全な原発は可能である」とする安全神話の改訂版が新たな装いを凝らして台頭しつつある点に注意しなければなりません。」との指摘は正に共産党の政策に向けられたものである。(注4)

  共産党が本当に、「人間と核とは共存できない」という立脚点に立って反原発運動を進めるのであれば、過去の主張「社会主義の核は平和の手段」「核の平和利用は必要」さらには「安全優先の原子力政策」、「原発ゼロは段階的縮小論」等々は、基本的に誤っていたことを認めるところか出発しない限り、国民からの信頼は得られないであろう。

共産党が過去の政策の「誤りを認める」大人の政治家にならない限り、もう二度と花は咲かないであろう。

 

注3:共産党は、「さよなら原発派」の1千万人署名運動の意義を過小評価している。赤旗は13日付で報道している
 が、その中に、呼びかけ人の鎌田氏の発言「世の中が国民の力で動いているのを感じます。過ちを二度とくりか
 えさない決断が政府に求められます」と話していたという記事を載せているがこの主張こそ、国民を主人公にす
 る政治の立場だ。共産党はこの記事を毎日新聞と同じベタ記事にしている。(毎日新聞は見出しに脱原発署名
 780万人署名と運動を評価する見出しをつけたが、赤旗は、国会に提出と事実のみを伝えた。)

    この間の赤旗の報道は、北海道で地元財界と経済懇話会行ったが、参加者の感想として、共産党が「大企業
 と敵視しない」判って安心したというような話や(6月10日赤旗1面)、赤旗の拡大が進んだという記事を載せてい
 るが、歴史を動かそうとしているのは、さよなら原発署名に結集した780万人の国民である。決して財界が、共産
 党が「大企業を敵視しない」ことを聞いて安心したという話しの中にあるのではない。   

注4:毎日新聞2011.08.25 東京朝刊 11頁
  ザ・特集:共産・志位委員長と社民・福島党首、反核の「老舗」対談という記事がある。この対談は共産党の原
 発政策を知る上で重要な記事である。

 福島― しかし、共産党は核の平和利用について認めてきたんですよね。社民党は、核と人類は共存できない、
        いかなる国の、いかなる核にも反対、です。核の平和利用はありえない、と訴え、行動してきました。

 志位― 私たちは核エネルギーの平和利用の将来にわたる可能性、その基礎研究までは否定しない。将
       来、2、3世紀後、新しい知見が出るかもしれない。その可能性までふさいでしまうのはいかがか
       との考えなんです。

 福島― 共産党は極めて安全な原発なら推進してもいいんですか?

 志位― そうじゃない。現在の科学と技術の発展段階では、「安全な原発などありえない」と言っています。いま問
         われているのは、原発ゼロの日本にしようということでしょ。

 福島― 安全な原発はないし、核の平和利用と言って原発を肯定するのはおかしいです。

 志位― そこでは意見が違っても原発ゼロでの協力は可能だと考えています。


 ※ 志位委員長は、共産党は核の平和利用についてはあきらめていないと明言しています。(2、3世紀後の可能
      性を、なぜ今発言する必要があるのか共産党のセンスを疑う。・・・運動が全く判っていない学者の論議だ。)