共産党に橋下・「維新の会」を批判する資格があるのか?

       昨年度と今年度の「メーデー報道の違い」をどう説明するのか。



<正義の味方真実の友は事実か>

 赤旗は、数十年前に「正義の味方真実の友」というキャッチフレーズで売り出した。はたして「しんぶん赤旗」は真実を伝えているか見てみたい。

<赤旗はメーデーをどう伝えたか>

◆今年のメーデー記事

 5月2日付け赤旗は1面トップでメーデーの記事を載せている。その記事の中に大きなカラー写真が載せられており、メーデー会場の雰囲気を伝えている。その横断幕には、「もういらない!原発・新基地・核兵器!」その下に大きく「We Love 日本国憲法」とかかれさらにその下の行に「暮らしと仕事破壊の悪政・消費税増税・TPP参加反対!」最後に「2012年5月1日 江東区職員労働組合」と書かれている。この横断幕のスローガンは全面的に支持できる。

 これは今年のメーデーが共産党の無責任な引き回しが無く、正常に運営されている姿を現している。

 昨年度は、共産党は一斉地方選挙の中で、投票日前日の4月9日付け「赤旗の主張」で共産党の原発政策は「安全優先の原子力政策」だと書いてしまった。このため戦いの現場は混乱し、3.11の震災の影響で原発が崩壊するという国民の命が危機にさらされる状況下で戦われた選挙戦で、共産党は「命を守る政治を」掲げながら、「原発反対」を訴えることができなかった。(大失態である)

◆昨年のメーデー記事

 5月2日の赤旗一面トップの見出しは、「「被災地支援復興」「ルールある経済社会を」「国民的戦いを」」;であり、「原発問題」に全く触れていない。記事も「「今こそ働くものの団結で大震災からの復興を」、「ルールある経済社会を」などと書かれたデコレーションや横断幕、プラカードでアピールしました。」と、やはり「原発問題」に触れていない。

 会場の雰囲気を伝える一面トップの大きな写真の横断幕も(文字が1字一字貼り付けられ何が書いてあるか非常に分かりにくいが)、「「いのちをたいせつにしたい」、「こどもがかがやく復興支援を」、「とめよう原発」」になっている。ここでも明らかに「復興支援」がメインであり、原発はかろうじて「とめよう」という表現がなされているに過ぎない。

   ところが、当日の赤旗は一面左上トップでは、「メーデー当日志位委員長は挨拶で「「政府に原発からの撤退決断とそのためのプログラム策定」=「原発ゼロ」を求めた」」と報道していた。

  しかし実際の運動(メーデー会場)は、横断幕やプラカードで原発反対が掲げられず、「安全優先の原子力政策」を掲げてしまった。なぜなら、この「原発ゼロ」の政策は、志位委員長がメーデー会場で唐突に発表したものであり、他の党員には全く知らされていなかった。

<「原発ゼロ」は志位委員長の独走>

 このことを語っているのが、5月2日付け赤旗4面の「共産党(中央本部)がデモ行進」という記事である。「共産党の隊列は「東日本大震災 被災者救援に国の総力をあげよう」の横断幕を先頭に、「原発依存止めよう!めざそう低エネルギー社会を」、「震災口実の中小零細企業切捨て許すな!」などのプラカードとのぼりを掲げ、表参道や青山を行進しました。」と書いている。そのあとに「「安全優先で原発を見直せ」、「大企業の内部保留を復興に回そう」と唱和して歩いた」この隊列には「志位委員長、市田書記局長、浦田国民運動委員会責任者らが参加しました。」と書かれている。

  この会場で志位委員長が「原発ゼロ」を宣言したばかりなのに、共産党中央本部隊列の唱和の中にそれが入っていない。唱和したのは「安全優先で原発を見直せ」である(「安全優先」は、4月9日の赤旗主張の立場である)。赤旗記者が志位委員長の「原発ゼロ」発言の重要性を気づいていない(朝日・毎日などは気付いていた)、何とも間の抜けた赤旗記事である。

 ここから判ることは5月1日の時点では、「原発ゼロ」が全党の方針になっておらず、志位委員長が隊列に入っていながら「安全優先で原発を見直せ」との唱和をやめさせ「原発ゼロ」の唱和に切り替えることすらできなかった。それほど思いつきの「原発ゼロ宣言」であり、力が入っていなかったことは「バレバレ」である。

 ついでに、大阪では、大阪民主新報(12月26日付け)の写真で振り返る20011年という特集を組んだがメーデーの写真がない(原発反対の横断幕やプラカードがないため)という悲しき写真集に成ってしまった。

<共産党の一貫した主張(原発撤退 ゼロへの計画)が政治を動かす?> 

 昨年度の5月2日の赤旗メーデー記事と今年度5月2日の赤旗メーデー記事を比較し、共産党の原発政策が一貫していないことを見て来た(実証した。)しかし2011年5月23日付け「しんぶん赤旗」は厚顔にも、“「原発事故―問われる政党の立場」という大見出しを掲げ、「共産党「原発撤退 ゼロへの計画」一貫した主張が政治を動かす」”という見出しの記事を書いている。

 これは果たして事実であろうか?共産党の「原発ゼロ」政策は5月1日メーデー会場の志位委員長の挨拶が初めてであり、発表後20日ほどしか経っていないのに、「一貫した主張が政治を動かす」というこの共産党の主張は、詐欺師的主張であり国民を愚弄するものである。

 私は、一斉地方選挙、大阪ダブル選挙で共産党に15通の意見書(「共産党の原発政策は何か」など)を送付したが、一切回答をもらえなかった。それは回答不能だからである。共産党は自らの誤りや、方針の変更などの真実を語らず、常に共産党の政策は一貫しており、誤りが無いという主張の上に成り立っているからである。


<嘘つきペテン師はだれか>

 共産党の支持者は、橋下・「維新の会」は嘘つきでペテン師だと批判する。その批判に私も同意するが、共産党と橋下氏を比べれば「五十歩百歩」である。あるいは「目くそ鼻くそを笑う」水準の戦いである。しかも共産党のほうが性質が悪い。橋下・「維新の会」は、政策変更を認めている。その際の理屈は屁理屈だが、自らの政策変更は認めている。共産党は「一貫性に」こだわり、変更したことも認めない。こんな無責任な態度では国民の支持を獲得することはできない。

<共産党は無謬性を主張するが故に没落を早めている>

 さらに私が共産党に言いたいのは、このような不誠実な対応を続けるなら、多くの党員はその良心の呵責に耐えかねて、自信を失ったり、やる気をなくしたり、さらには精神的にもボロボロになり、共産党から離れ、今度は共産党に敵対する人物に変ってしまうことである。

 私がこのブログを始めて気がついたのは、インターネットの中で共産党の議論をしている多くの人は元党員であり、党活動を真剣に続けたが、党のおかしさについていけず、離れていき、さらに憎しみを持っていることである。昔「ニコニコ離婚」を円より子(現民主党議員)氏が提唱したが、共産党も党を去る者と今後とも付き合っていくという寛容な精神がない限り、敵ばかり再生産し、今ににっちもさっちも行かなくなる。もうすでにこうした元党員に相当包囲されてきているのではないか。

<共産党再生のカギは誠実さと革新とは何かの確立である>

○誠実さ

  共産党は主張の「一貫性」、「無謬性」を強調するが故に、「誠実さ」という大切な「価値観」を置き忘れている。先に述べたように共産党の原発政策は全く一貫していない。その根っこには共産党の「原子力の平和利用」という考えある。そのため3.11の震災に伴う原発崩落に対して、共産党が最初に出した方針は「安全優先の原発政策」だった。次に5月1日メーデー会場で志位委員長が「原発ゼロ宣言」を行ったが、共産党中央の隊列は「安全優先で原発を見直せ」と唱和して歩いた(2011年5月2日付け赤旗)。

 今現在は「原発ゼロ」ではあるが、「原発絶対反対」や「再稼働を一切認めない」とは言わない。「原発ゼロ」は努力目標であり、10年後か20年後か判らない。(ここをあいまいにしたまま主張している。)

 政策に「誠実さ」がない、まず「一貫している」という「嘘」を平気でつく。同時にあいまいさを残し、自分の党に傷がつかないようにしている。「一切反対」、「一基も再稼働を認めない」という言葉を使わず、共産党は原発反対だと反対派にラブコールを送るが、「一基も再開を認めない」という方針を出せば、企業や、国民の半数を的に回すとおびえ、その言葉を使わず、そちら側にも配慮している。このようなカメレオン的方針は国民の信頼を得られない。


○共産党は立ち位置を見失っている

 共産党は政治の大局を見失い、ポピュリズムに陥っている。この間の共産党の唯一の売りは「政治と金」である。国民大衆の中にある政治家は金に汚いという意見を捉え、そこに依拠すれば支持が得られるとの幻想で戦っている。 

 しかし大事なことは、国家権力と国民大衆という対立軸の中で問題を立て、戦いを組織する視点を放棄すれば、共産党は衰退するばかりである。その典型が小沢問題である。

 小沢問題の核心は、水谷建設から一億円の政治的賄賂を貰ったという点である。これが事実であれば、当然に小沢は実刑を受け、政治家としては終わりである。しかしこの水谷建設の社長は極めて怪しい人物であり、前の福島県知事の失脚させる事件でも一億円の賄賂を贈ったと証言している。(この失脚した福島県知事は原発反対派の知事であり、政治的謀略で失脚した可能性が高い。裁判でこれ(一億円)が嘘だったことが判明している)(注1)この同じ人物が、小沢氏にも一億円賄賂を行ったという話に共産党が飛びつくのは政治的センスがうかがわれる。現に小沢裁判でも一億円の立証は行われず、単に記載に誤り(期ずれ)がありそれを共謀したか否かの争いに最後はなっている。

注1:この点については「知事抹殺」佐藤栄佐久著 平凡社 が詳しい。

 新聞(赤旗も含む)を読んでいる限りでは、小沢悪人説に目を奪われがちだが、この裁判は、検察側の不法行為が次々と発覚しているところこそが注目点である。先の村木裁判を通じて明らかになった筋書きに応じて罪人を作り上げていく検察手法がこの裁判でも踏襲されている(これが検察の手口だ)。

 この段階で共産党のなすべきことは、国家権力が証拠をねつ造して国民を犯罪者に仕立て上げるという検察の手法(国家権力の犯罪)と闘うことである。これが国民の立場に立った戦いである。現在の戦い方は「政治と金は共産党の専売特許であり」、これで勝てば共産党にとって有利であるという政治的エゴの戦いに見える。

 小沢裁判では、大手マスコミはすべて小沢犯罪者の扱いであったが、週刊誌は5分5分であり、新聞でも日刊ゲンダイは小沢支持であった。その他民主的と言われたジャーナリズムも二分していた。共産党は大手マスコミに追随し、反権力という立場を鮮明に出来なかった。この痛手は大きいと思う。

<大衆迎合のポピュリズムでは、共産党の再生は行えない>

 四中総で明らかになった、「保守との共同」路線で共産党は再生を図ろうとしている。ここに共産党の方針(本音)が見え隠れする。「国家権力との戦い」などは死語になりつつある。嘆かわしい現実だ。共産党の再生は国家権力と戦う革新統一戦線の構築である。この視点を忘れた運動は共産党をますます衰退させる。

 この間の私の周りを見ていても、高槻市長選挙の戦い(自民党から共産党までが同じ候補を支持)、茨木市長選挙の戦い(反維新候補を支持せず、前市長派の候補を支持)、そのたびに共産党は昔からの支持者を振るい落としている。(保守との共同路線である)

 高槻市議会では共産党は与党になり、ほぼすべての議案に賛成している。共産党高槻市会議員団発行のビラ(2012年4月号)は、「みなさんの願いが前進しました」、「日本共産党もがんばってきました」という内容になっている。何とも言えない「天下太平」のビラである。裏面の見出しは「国の悪政の被害を少なくするために、がんばります」と書いている。これも「請け負い民主主義」である。私は、共産党は本来国民大衆の戦いに依拠して、国政の革新に努める政党だと認識している。「戦いの課題のない」共産党のビラは上から目線であり、票さえ入れてくれれば、私たちが善政を行いますと言っているように見え、「戦う政党としての共産党」の根本が腐り始めている。

 共産党の今の姿は、誠実さが失われ、スジが通らず、一貫性が無い。また国家権力と戦う姿勢が全く見られない。このような現状では、橋下・「維新の会」に嘘つきと悪罵を投げつけても、それは「天に唾する」ようであり自分に降りかかってくることを知るべきだ。